一心講で成田山
今日の名言 希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。 |
魯迅『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇』 |
鶯や製茶會社のホッチキス 渡辺白泉
今年の茶摘は何時から始まるのだろう。スーパーの新茶もいいけれど、静岡からいただく自家製のお茶はすばらしくおいしい。新興俳句時代の白泉は「今、ここに在る現実」をタイムリーな言葉で捉える名人だった。
製茶会社も鶯もおそらくは静岡に住んでいた白泉の体験から引き出されたものだろう。最近は機械化されて手揉みのお茶は少なくなったらしいけど、掲句が作られたのは昭和32年。製茶会社も家族分業でお茶を摘んで乾かし、小分けに入れた袋をぱちんぱちんとホッチキスで留めてゆく小さな会社だったろう。
裏手の竹林からホーホケキョとうぐいすの声がホッチキスを打つ音に合いの手を入れるように聞こえてくる。そんな情景を想像するにしても句に書かれているのは、鶯と製茶会社のホッチキスだけである。
二句一章のこの句は眼前のものをひょいと取り合わせたように思えるけど、おのおのの言葉が読み手の想像を広げるため必然を持って置かれている。鶯の色とお茶の色。
ホッチキスとウグイスの微妙な韻。直感で選び取られた言葉を統合する「製茶会社」という言葉が入ってこそ取り合わせの妙が生きる。のんびりした雰囲気を醸し出すとともに、どこかおかしみのあるエッセンスを加えた句だと思う。『渡邊白泉全集』(1984)所収。(三宅やよい)
昨日千葉の成田山新勝寺にお参りに行って来た。境内の木々は新緑といえないが、薄緑の枝先が重なり合って、白緑 に見えた。木によっては緑が濃くなっていたものがあった。そして、鶯の鳴き声が聞こえた。
ウイクデイーであったからかも知れないが、お土産やさんのシャッターが締っている所が多く、広い境内は、意外と人は疎らだった。
毎年八王子成田山の一心講で4月11日に決まっていて、144年も続いている伝統の行事に参加させていただいた。そこで安全祈願で護摩を焚いてもらい、一年の無事を祈るのである。