2008年4月12日 (土)

一心講で成田山

今日の名言

希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。

魯迅『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇』

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鶯や製茶會社のホッチキス 渡辺白泉

今年の茶摘は何時から始まるのだろう。スーパーの新茶もいいけれど、静岡からいただく自家製のお茶はすばらしくおいしい。新興俳句時代の白泉は「今、ここに在る現実」をタイムリーな言葉で捉える名人だった。

製茶会社も鶯もおそらくは静岡に住んでいた白泉の体験から引き出されたものだろう。最近は機械化されて手揉みのお茶は少なくなったらしいけど、掲句が作られたのは昭和32年。製茶会社も家族分業でお茶を摘んで乾かし、小分けに入れた袋をぱちんぱちんとホッチキスで留めてゆく小さな会社だったろう。

裏手の竹林からホーホケキョとうぐいすの声がホッチキスを打つ音に合いの手を入れるように聞こえてくる。そんな情景を想像するにしても句に書かれているのは、鶯と製茶会社のホッチキスだけである。

二句一章のこの句は眼前のものをひょいと取り合わせたように思えるけど、おのおのの言葉が読み手の想像を広げるため必然を持って置かれている。鶯の色とお茶の色。

ホッチキスとウグイスの微妙な韻。直感で選び取られた言葉を統合する「製茶会社」という言葉が入ってこそ取り合わせの妙が生きる。のんびりした雰囲気を醸し出すとともに、どこかおかしみのあるエッセンスを加えた句だと思う。『渡邊白泉全集』(1984)所収。(三宅やよい)

昨日千葉の成田山新勝寺にお参りに行って来た。境内の木々は新緑といえないが、薄緑の枝先が重なり合って、白緑 に見えた。木によっては緑が濃くなっていたものがあった。そして、鶯の鳴き声が聞こえた。

ウイクデイーであったからかも知れないが、お土産やさんのシャッターが締っている所が多く、広い境内は、意外と人は疎らだった。

毎年八王子成田山の一心講で4月11日に決まっていて、144年も続いている伝統の行事に参加させていただいた。そこで安全祈願で護摩を焚いてもらい、一年の無事を祈るのである。

2007年2月 9日 (金)

熱海市が財政破綻するとか?

 熱海市が、財政破綻?の恐れがあるとか、日本中何処の都市でも健全経営というところは少ないだろうと思うが、夕張市のようにどうにもならないと言う都市は無いと思っていたが、まさか熱海市が、日本でも昔から有数の温泉地、観光地と思っていたが、確かに客足が伸びず、大きなホテルの取り壊しが、7・8年前から見られるようになった。

集客力も・4割減って来ているし、益々、少子高齢化が進む将来に希望が持てないと、嘆く役所幹部の意見も解かるが、温泉では、昔から、東洋の観光地であり、立派な資産(天然温泉)はあるのだから、初心に戻って、いいところを掘り起こして将来を見据えた宣伝し、熱海ならではの出来きるサービスをすれば,また賑やかさは取り戻せると思う。

最近伊豆の観光地も全般的に観光客が減っていて、東伊豆町の稲取温泉も最盛期比べて4割も、客足が減っているという。東伊豆町の温泉協会では、何とか客足を取り戻そうと昨年10月に、協会事務局長を公募したところ、1,300人の応募があり、東京のNPO法人まちづくりに携わる渡辺法子さん(46)選ばれた。

年収700万円、家付きで働いてもらう。稲取温泉の再生は出来るのか大いに期待される。子供二人のシングルマザーとか。

最近ホテルの大型化で、どうもサービスが昔と違って来た様に見られるのは、自分だけではないと思うのだが?小さくても良い、心の隅々まで行き渡るサービスが欲しい。それが叶うなら1か月1度ぐらいは出かけて見たい。温泉だけなら、今あちこちに温泉は出来ているし結構楽しめる。その程度のサービスでは、物足りない。

だから、熱海市でも、今流行の日帰り温泉のようなサービスでは、近くて安い所を選んでしまう。この辺を検討して、集客力を増やすようにしたらいいと思う。

   亜麻色の  髪の少女は   春近し

   保育園   通う親子に    春の風

     水ぬるみ  小鳥もスター   撮影会

      春風や   女の髪の     通り去り 

   わらべ歌  歌うように    春は来る

今朝のNHK深夜便で、今井千鶴子さん(俳人)心の時代に出演していて聴いた。そして俳句をつくときの心は、素直さが、大事との事(見て感じたまま)。  

午前中、ゴミ拾いをしながら、本家アパート、本家にチェックに行く本日は、アパートの掃き掃除と、付近のごみ拾いをし、本家の芝刈りをする11時まで掛かる。

今夜は、町会の常任理事会で、町会長の選人の件で、話し合いをする。出席者高橋、中川、奈良、河合、浪花、竹内、向井、尾川(好)、尾川(洋)、尾川(重)、鈴木、遠山、矢崎、小松(頼)、今治、川幡、

で、次期会長は大庭さんにお願いし、その次は、高橋さんにお願いすると言う事で、明日、大庭さんに、高橋さん、中川さん、奈良さんが行くことになった。

2007年1月27日 (土)

風景歳時記

毎日歩いていると、時節の変化に気がつかないものだ。心のゆとり、身体の調子や人との係わりで不調等、人の感情はいつも同じではない。しかし、下手な句でも考えて、少しでも時節を書き留めたいと思う。

  この風景   やま川ありの    冬の色

  西日から   光滲みこむ     冬木立

今日の朝刊各紙で、民主党の角田参議院副議長の2,500万円の政治資金収支報告書に記載しなかった問題で、自ら職を辞した。当初は、いつも、政治家や企業家の不正の指摘を受けて弁明する言葉は、決まっている。「私は指摘のような事は、事実無根であり、神に誓って、そのような事はありません。」と云っていて、時間が経ち最後は、記者の前で「申し訳ありません」と頭を下げる光景をテレビで見る事になるのである。

国会も昨日から始まり、安倍首相の施政演説が行われたが、民主党の松岡農林大臣、伊吹文科省大臣の事務費不透明記載を追及すべく、てぐすね引いていたが、その出鼻をくじく問題が発生してしまった。そんな疑惑だけに汲々として本題の山積する問題も身が入らないとは、嘆かわしい。 今朝のニュースで自民党の小坂国会対策副委員長は、「向うがやれば、こちらも応戦する、かなり弾は乱れ飛ぶ。」というけったいな発言があった。

こんな事では、国民の政治離れは止まらない。従って、宮崎県の知事選では、無党派層の奮起があって、ダントツの得票で当選した。自民党の片山幹事長などは、「選挙戦の考えを組みなおさないといけない」と必死になってきた。民主党しかりである。

午前中はパソコン弄りで、午後は八王子のクリエイトホール5階でげんきフォーラム「魅力あるまちをめざして」に出席する230名の立ち見が出来るくらいの盛況だった。大庭さんと一緒で、往復歩きにした。コーデネーターは林泰義氏千葉大学客員教授パネリストは関谷一級建築士、荒井みなみ野自然熟運営委員長、小学校教諭と黒須市長、和田さん(多摩美の大学院生)荒井さんには、興味があった。感想は、良かったと思うが、もっと身近に話し合える仲間や、場所を知りたいと思った。そして、我々の住んでいる年寄りばかりの場合の不安を解消できる相談相手が欲しい思った。そして片倉城址公園地域の保全と湯殿川の浄化(カワセミの生息が確認され毎日バードウオチャーが来て写真を撮っている、その環境を維持して生きくには、多くの近隣の方の協力が必要である。こんな事をまちづくりのテーマにして、まちづくりとしていければと考えた)。

片倉町一丁目町会理事会に出席する。大きな議題は無く議事は早めに終った。三役会議を行い、大庭会長の辞任問題を話し合ったが、最終的には、もう一期(2年)をお願いする方向で、2/9(金)19時より、に常任委員会を開き、常任委員全員の了解を得ることにする。後、おばこにて、飲む(大庭、高橋、向井、河合、川幡)帰宅10時半となる。

 

2007年1月22日 (月)

宮崎県知事選挙に思う

宮崎県の知事選では、そのまんま東氏・266、807票川村氏195,124票自民党・公明党が押す持永氏120,825票だった。従って、タレントのそのまんま氏が圧勝した結果となった。

自分も、塚本秀雄八王子市議の後援会役員となって昨夜も会合に出席したが、色々考えさせれる。今回の統一地方選挙でも、初めての応援であるが感じるには、浮動票による票の読み込みで、大きく変わってしまう恐ろしさが問題となってくるのだろう思う。

具体的に思うことは、現在各地を引き回しを実施しているが、戸建だけを狙っているが、もっとマンション、アパートを、どう取り付き攻め込んでいくかがキーポイントと思えた。

何と言っても、身近な問題を、解決いてくれ、相談に乗ってくれ、そして実行し、信頼感がある事が、最も有権者が求めるものだ。これが基本だ。

宮崎県の知事選では、無党派層の支持を集めた、そのまんま東氏が当選、自民党は大きな衝撃を受けている。民主党も、3知事選に独自候補擁立できず、地方組織の脆弱性を露呈した。

4月の地方選、夏の参院選へ向け「東ショック」の波紋は、大きくなりそうだ。

知事選に徒手空拳(資金や、地位等の頼るものが無く自分の身一つであること)臨み当初は泡沫候補扱いされた元タレントが勝利したのは何故か、官製談合事件で、安藤前知事が逮捕された直後から、保守が2派に分裂したことから、などと一応の理はつけられる。

自民党の中川幹事長も21日夜「敗因は、保守分裂にある保守が大同団結出来ない時に何が起こるか教訓として心に刻みたい」との談話を発表した。

だが、「保守分裂」だけでは、かっての師匠のビートたけし氏とも、写真週刊誌の編集部に殴り込んで警察の厄介になり、女性問題でも世間を騒がせた元タレントの方が、霞ヶ関のエリート役人よりも知事にふさわしいと、県民は判断した理由は説明できない。

高い投票率と投票行動がから、読み取れるのは「政治や行政のおプロ」は信用できず「政官業癒着の既得権益まみれの古い政治をぶ壊してくれ」という「破戒願望」の強さだ。そうした県民の怒りを既成政党は受け止められなかった。

特に衆参両院で5議席のうち、自民党が4議席を占める宮崎県で、与党の推薦候補があっけなく敗れた意味は小さくない。

一昨年秋「郵政解散」でピークを迎えた「小泉人気」は、過去のものとなり、旧来の建設業界を始とする支持団体を基礎とした、利益誘導型の選挙が通用しなくなった。安倍晋三首相が胸を張るように「自民党は変わった」と有権者は実感していない。(以上産経新聞よりの記事)

朝、ゴミ拾いを済ませてどうも落ち着かない。車の疵で、人生が変わってしまうほどの思いで落ち込みそうになって、いても立ってもどうしょうも無く、とうとう修理を、東和整備(株)に見積もり以来をして貰った。結果バンバーを取り替えて38,000円と予想していた額より高く、妻は、止めてと強く引きとめた。そこで、議論となって、自分が引き下がった。そして疵をタッチペイントでの補修を考えて、山田のオートファクスに行き、探したが無く、多摩境の「オート上イブ」(大きな店)に行き来きタッチペイントを買い、家で補修ペイントをする。あまり満足できないが、しぶしぶ妥協する事した。本当に気をつけないといけないと思った。大いに反省させられた

2007年1月16日 (火)

今日の朝日の天声人語から

今朝、目が覚めてこんな事を考えた。団塊世代の輩が定年退職する。ある人は天下り、ある人は転職、ある人はサンデー毎日と色々だ。しかし、若くはないので、体力、持久力などは衰えている。中には、殆ど働く意欲が失せてしまっている人もいる。そして、10年、15年でボロボロになり、後は死ぬのを待つばかりの状態になるのである。生きているのに何の目標も無く、漠然と生活を送るだけの人になってしまう。恐ろしい事に?

そいうことの無いように趣味を持ち、ボランテアでもいい、生き甲斐を持つようにしてもらいたいと思う。自分も努力しなければいけない。

気にいったから書き留めてみた。

古今和歌集の仮名序に、印象深い一説がある。「やまと歌は、人の心を種として、万(まん)の言(こと)の葉(は)とぞ成れりける」。和歌は、人間の本性がことばという形にあらわれるものだという。(『新日本古典文学大系』岩波書店)

それから約1,100年の時が流れたが、人の本性の発露の器として、和歌は魅力を保ち続けている。東洋大が募った「現代学生百人一首」に、6万首以上の応募があったという。その入選作からは、時代と共に変わり、また変わらない人の本性と営みが、垣間見える。

〈好きだったその気持ちだけで十分と我に思わず六月の青空〉高2・佐々木愛

〈降り立ちて遠くを見れば夕焼けに消えていくバスの孤独な陽炎〉高2・荒井恵

人生の切なさは、いつの世にも変わらぬことはないようだ。身の回りの物や、仕組みは変わってゆく。

〈パソコンで電子の海に組み込んだホームページは僕だけの船〉高3・山崎桂士

〈「このままじゃあんたニートなしかない」母の辞書に「冗談」は無い。〉高1・大日向駿介

祖父母に向ける視線には、やわらかさがある。

〈ばあちゃんが着ているパジャマ手にとって毛玉の数ほど思いであった〉高3・安部さくら

〈笑み浮かべ稲刈り眺む介護5の祖父暖かき陽の中におり〉高2・穂苅裕毅

みずみずしい感性がひかる。

〈人間って皆個性を主張してなんだか似てる色えんぴつ〉中3・村尾雪歩

〈羽化といふその瞬間の危うさに力漲る蝶の前足〉大3・花俣明子

羽化を待つような不安と期待とが、若い心には、宿り続けてほしいものだ。

また、昨日は歌会始の儀があった。

都都逸に、〈映るものなら、映してみたや、月の鏡に主の影。〉がある。

そして、元住宅金融公庫総裁の大津留温(おおつるおん)さんの作

〈天の原 かがやき渡る この月を 異境に ひとり君みつらむか〉    以上。

午前中、野猿峠脳神経外科病院に行き帰りは歩いて、北野京王ストアーで買い物して帰る。午後はパソコン弄り。(12月の採血の結果全く問題なし、血糖値も105でクリアーしていた。)とはいうものの、まだ心配の種は尽きない。

防犯パトロールに出働、参加者は,自分と矢崎さん、佐藤さんの3人だった。

         ほっとする  薮入り日に   医師の談

         風収む    満天の星    寒夜かな      

2007年1月12日 (金)

少年時代の(トロッコ)の思い出

今、なんのためらいもなく、暮らしのなか浸っている生活環境は、そこに住んでいる人々が、便利にしたいとの思いで、山を削り、川に橋をかけ、トンネルを掘り、道路を作って来た。そして生活向上に努力してきた、歴史があり、思いある。

そんな道路を作る時期のことの思い出を記してみたいと思う。

国道が(16号)南北に伸びて八王子方面から横浜に続くつ、通称横浜街道(その昔はシルクロード)と言われていた。その国道を十字に東から西に横断して作られた都道(川崎街道または、北野街道とも言われている)の作られた時のことを、芥川龍之介のトロッコを読んで思い出した。

確か昭和20年後半だと思うがそこは、関東大震災があって雑木林の山があって崩れたままで少し土を取り除き畑や、田んぼを作っていたが全部取り除いたわけでもないまだ大きな土の塊や赤土の中に石が出ていたようなところを平らにし道路を造ろうと言うわけである。

今のような、トラクターやブルトウザーの建設機械がなくもっぱら人力しか便りにならないモッコや、ヨイトマケなどの時代のこと、道路作りの人策は、北国の出稼ぎ労働者の落ちこぼれ?(1年中いたから)工事現場に飯場があり、そこには飯炊き女がいて、そこに働く人夫の世話をやいたりしていた。

そこの工事現場の唯一の大型起動力というか、道具というかそれは「トロッコ」だった。レールを轢き少しずつ伸ばしていき土や、石をを埋めて平らにして固めるという作業だ。だから、芥川龍之介の小説「トロッコ」と同じなんだと思う。(小説の方は小田原から熱海)

工事は、半年近く掛かったと記憶しているが、工事は朝から夕方まで行って「トロッコ」の枠板に土砂を載せ4.5人で後を押したり、走らせて低いところに、「おんまける」作業である。仕事が早めに終ると、近所の我鬼どものもってこいの遊びばとなった。皆で高いところまで押して上がり、乗って走るのである。赤土のついた台車は重い、またみず気があり「べとべと」であるが、遊びが面白くズボンやシャツが泥だらけになってもお構いなしだ。とても楽しかった記憶がある。

今だったら、危ない、服が汚れる、そこまでの知恵はないので遊べない。しかし、その「トロッコ」遊びは4・5人いないと出来ない遊びである、まして、レールから車輪が外れた時には復旧するのには、全員でしないとレールに乗せられないし乗せるのが、大変だった。

遠い昔の思い出と、芥川龍之介の「トロッコ」を深夜便の番組で孫の芥川麻美子さんの思い出に話が出てきた。

今朝は、3時に起きて記してみた。

突然だが、生あるものいつか死ぬ、形あるものいつか壊れるとお釈迦様が言った。という事だが、10年一昔で我が家の色々な設備、家の傷みが来て悩みの種が出てきた。

先ずは、●トイレ(水が漏れてきてマットが濡れてしまう。

     ●お勝手の床がたわみがでてきて、不安。

     ●テレビがどうも操作が旨くいかない。

     ●お勝手の証明のコードを取り替えないといけない。

     ●車庫の物入れ戸棚の腐食して、交換しないと。

ざっとこんなところだが、悩んだってしょうがない。行動に移さないとね。

今朝は時雨れそうで寒い。

     短日や    冬日残して   月登る

     賀状のみ   交わし再び   逢い得ざる

     枯れ葉積み 尾ひれを見せて 水静か

     名も知らぬ  鳥の声降る   枯れ野かな

     霜の橋    佇む人や    着信音

     春知るや   花一輪の     軒の下

     小春日や   あくびと涙に   皺の顔

     冬畑に    鳥に残せし    青菜かな

     思い出の   けもの道なる  枯れ葉踏む

午前中会館チェックし、午後から散歩打越~北野~淺川~大和田橋~淺川大橋~JR八王子駅~百合子宅~自宅ちょうど2時間かける。途中都饅頭を買い百合子の所にあげる。

  

        

2007年1月11日 (木)

ゲーム漬で大脳が低下するという

ゲーム漬で大脳が低下するという「脳内汚染」インターネットに過激な主張を書き込む「ネット右翼」現実に背を向けたがる若者たちを、負のイメージで、捉えた言葉があふれている。そんなに目くじらを立てても、し方がなかろう。親たちの世代だって、テレビや、漫画にドップリとひたって育った。

社会に出る時期には、「今の若い連中は、つかみどころがない」慨嘆(がいたん=うれいなげく)されたではないか。大量退職者を迎えて「蓄積した、知恵と技術を伝承しなければ」などと、持ち上げられると、なんだか面はゆい。

終身雇用者の3人に1人がアルバイトや派遣社員などの非正規社員で占められ、所得格差が広がっている。若い労働力を安価に消費する社会から逃避したい気持ちは、誰にもせめられない。新年早々、あまり暗い話題はふさわしくないが、若者だけではなく、すべての世代が厳しい実態を直視して欲しい。

夢を持てとか、やる気をだせとか、掛け声だけで済む問題ではないのだ。国はようやく労働者間の格差解消の調査では、採用時にフリーター経験をキャリアとして認めないだけではなく、マイナス評価する企業が約3割に達する。こんな細かいところでもハードルを少し下げてやる工夫は出来ないか。

「若者よ、人生こんなに楽しいぞ」(青空太子)。毎日新聞の万能川柳で見かけた一句に、思わずひざをたたく。いま若者たちが、老境を迎えたとき、来し方を満足して振り返ることが出来るよう、社会の仕組みを整えねばと、説に思う。(毎日新聞1/8余禄より)

今日は、今年になって初めてのドライブとしゃれ込んだ。(大したことではないが)八王子の放射線通りにある通称みやこ饅頭を買い、伊勢原の鍛代さん家に行く(年初めだしと思い八王子の土産としてあげる。)野菜を買い、例のお店照国で寿司ランチを(1,050円)を食べて、帰りにフラワーランドにより食料品を買って帰宅途中御殿峠より歩いて帰宅する。何だか今日は国道を行ったせいかとても遠く感じた。夕飯は軽くご飯は全く食べないで過ごした。(お腹がすかなかった)

妻は、峠の尾川さん家に、カラオケに出かける。

8里先   時雨もようが   こちら晴れ [(今日雲の動きが激しい)8里先は、伊勢原市]                                                                         

2007年1月 6日 (土)

人生訓話あれこれ

恨みは恨みによってやまず、恨みは恨みなきによってやむ。法句経

健康は最上の利益、満足は最上の財産、信頼は最上の縁者、心の安らぎこそ最上の幸なり。法句経

境遇を、改めようとするより自分の心を改めよ、人の心は、こだわりを持つと氷のようになり、無心となると水のように流れ出す。

花を見る人は、花から見られている、仏を拝む人は仏から拝まれている。

赤子が知恵をつき人となる。人が智慧つき仏となる。

人生は出会い、人間ふれあい、世界は助け合い、御仏にはめぐりあい、これすべて愛である。

他人の悪口は嘘でも面白い、自分の悪口は本当に腹が立つ、褒めあう心を忘れるな。

美しいものを、美しいとと思える、あなたの心が美しい。

よい子、悪い子と見る心が悪い子を作る。

我が心、鬼と仏が共存、鬼が負け仏が勝ったら今日も無事。

死ぬとは、その時まで精一杯生きてから言うこと。

地獄は地底になく、極楽は西方になし、苦楽は共に自分の足元にある。

「日々是好日」飾らず、気張らず、私心なき日々で在りたい。

一本の野の花も、命いのちと一杯生きている、今日一日が自分の命なら、今日一日をどう生きる。

よく深き人の心と、降る雪は、積もるにつけて道を忘るる。

今生きてている。これほど確かで有りがたい。

子供は、「親の言うとおりはしない、親のするようにする」。

拘らず、人の話を聞く、自分を知るは,真の進歩。

人間欲ぼけの勝手ぼし、自惚れあって自信なし。

「価値ある人生」昨日や明日を考えず今日しかない思いでーこの一日を大切に。

葦(あし)と書いてよしと読む、勝手に決めるな人の善し悪しを。

世話を焼くより、じっと見守ること、これが親の役目、親と言う字を分解するとこの上に立って見ると書く。

自分を生かし、他人を生かす、この実践が人間的な生き方。

(以上誓願寺HPから、今朝雨となった3時半から推敲して記した。)

    小寒に   大雨降らす   暖冬化

今日は、消防の出初式があり、孫達が来る予定だ。空は爆弾低気圧(気圧が25へストパスカル下がることをいう)となって大荒れとなる予想で、3連休は最悪だ。

2007年1月 4日 (木)

世間では仕事初め

      冬空を    雲引き分ける   一番機

      川蝉や    枯れ枝で鳴き   藍が飛ぶ 

我が家でも、正月気分は今日から吹っ切り、朝食も何時ものに切り替える。従って自分が支度をする事にした。勤め人は今日から出勤の人が多いだろう。午前中は何時もの塵拾いをしながら、多摩信に行き、町会の会館会計の通帳記入してきて 帳簿付けをおこなう。午後からは、三ツ星まで歩き買い物をして帰る。

前の湯殿川になん人もカメラを(6人が望遠レンズのカメラで)川岸に向けていたので、気になり向こう側に行き聞いて見たら「カワセミ」がいるので(巣があるらしい)撮影をしているが、シャッターチャンスが難しい、3時間もチャンスを待っているらしい。でも定年後の趣味と言うからいいと思うよ。

暖冬といってもさすがに北東の風は、冷たく歩いて、耳が痛くなる程だった。

    

2007年1月 2日 (火)

感動する事って新鮮だ

「感動」する事は、生きていくために、とても大切なことで個人の心の受け止め方にかかっていることだが。また普段の生活を「ハリ」があって新鮮で、前向きの暮らしをエンジョイする事に繋がる。特に年を取って来ると、固まってきて、考えに柔軟性がなくなり、人から「いっこく」「分らん人」といわれ、何かと敬遠されてしまう事になる。

その手段は、色々あるが、人に進められてもいいが最終的には、自分の心の支えとなることが大事だ。趣味で音楽、旅行、読書、映画鑑賞、園芸等何でも人から見て「何だこんな事」と言われても構わないから、屈託のなく心に溶け込んでいるならば、結構だ。

それと、硬直して何も受け入れない心をほぐし、柔軟性を持った何事も受け入れられる素直さが醸成されて来る。言い換えれば、美しい畑では無く、土に栄養分たっぷりの肥沃の土壌を何時も維持できるから、どんな作物でも、大きく育ち、立派な実が出来て収穫が楽しくなるという事だ。

それには、生活に追われていても価値観のも影響してくることになり、家族の絆の中からも無意識に培われて行くものだ。子供の教育のなかでも道徳、躾、特に我慢し耐える心と広い心とおおらかさを、植え込むことである。

そして、「感動」することを素晴らしく高く評価し尊重することだ。何だか旨く表現出来ないが、日常生活において、感性を高め感動する事は明日を明るく生きられると信じたい。

前にも言ったことだが、大きな心と柔軟性を保つ事を日頃、心がける事にあると思う。

          穏やかに   夫婦で過ごす   さんが日

          寒雀      千両の実を    食べ尽し

大学箱根駅伝を朝8時から午後2時までテレビ観戦して一歩も外に出ず一日を過ごす正月2日だった。   

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