2022年7月10日 (日)

自分が今住んでいる町を大切に思うこと

シビックプライド(Civic Pride)とは、「都市に対する市民の誇り」です。
自分が・・・今…暮らしている土地に対して愛着と誇りを持つことが、シビックプライドが民主主義の原点です。

郷土とは自分の生まれ育った土地、ふるさとのことです。
生まれ育ったところには、誰しも格別の想いがあって、もちろんそれは快く思うことばかりではなく、嫌な想い出、あるいは思い出したくない------、二度と戻りたくない場所ということもあると思いますが、それらも全部含めての想い‐‐‐。そして心安らぐ場所、自分を回帰する懐かしい場所、心地よい居場所でもあり、人にとっての原点と言える場所と言えるでしょう。

また、生まれ育った土地に限定しなくても、今、あるいは過去に住んでいた、生活の基盤がある場所、人の生活、一人ひとりの暮らしに密着した場所・土地で、自分が一番豊かに穏やかに過ごせた場所のことをその人にとっての郷土と言えます。

転勤族の人や利便性や仕事の関係で、あるいはやむにやまれず寝に帰る場所という印象しか持てない人もいらっしゃるかもしれませんが、私としては寝に帰る場所ではなく暮らす場所として捉えて欲しい…と強く思います。

何処の土地に暮らしても、私のようにその土地で生まれ育った人だけでなく、結婚をして、また色々な事情から、あるいは自分の意思で他の土地から移り住んでこられた人が多くいらっしゃいます。住んでいる人が、その土地で少しでも暮らしやすくなるためには、やはり一人ひとりがその土地をよくしていこうとする気持ちが大切だと思います。

たとえ仮住まいであったとしても、あるいは過去・現在に大小の諍いがあったとしても、いつまでも無関心でいたり、拒絶していたり、憎み続けていたら、将来に対する禍根を残すだけで、誰にとってもプラスにならない、決してその場所は暮らしやすくはならないと思います。

ただ言えるのは理念や理想、思想は大切ですが、人が生きていくことの方が優先されなくてはいけないはず、頑なにその理念や理想に固執しているだけでは、惨事や悲劇を長引かせるだけで誰も幸せになれないと思います。

自分が描いた理論や理想に近づけるためにも、先ずそこで暮らす人たちが生き抜くことが優先、そして拘りや執着心を捨てて、過去からの因縁やわだかまりに囚われず、今、何が正しくて、何が必要なのかを見極めながら話しあうことが最も求められているような気がします。

郷土への思い(愛)というのは、一人ひとりの暮らし、生き方、思い、利害などが複雑に絡み合った計り知れない感情だと思います。何処の土地にも、そこで暮らしてきた人たちによって築かれた長い歴史と伝統があり、文化があり、そして日々の生活があります。郷土には、人が生きてきた証があり、人生の軌跡があります。

しっかりとその土地に根を張ることができた人は、自分だけでなく、家族を育て守っていてくれる土地に感謝の気持ちが持てる・・・。そうして自分の中に郷土への愛着と誇りが醸成されていくのだと思います。

2022年7月 7日 (木)

地球環境の保護の大切さ

地球が誕生してから約46億年と言われています。地球や生物は気の遠くなるような長い年月をかけて変化し、現在のような姿になっています。

自然界との共生から多くのことを学び進化してきた人類です。

美しく、厳しくもあり、常にさまざまに変化して止まない地球の自然環境が、そこに棲息する種々の動植物に、環境の変化に適応して進化し生存し続けるために与えた影響の大きさは計り知れません。

とりわけ他の動植物より抜きん出て優れた頭脳を有する人類は、自然現象を鋭く観察し、これらから類推的発想を得て、機敏に対応する英知と技術を身につけ、熱を用いて加工したり、道具を発案し、言語や文字などといったコミュニケーションの手法を発案し、協力し合って組織的に働き、より効率よく大量に自然界の諸資源を、活用し得たからこそ、他種族を支配して君臨し、更なる進化を遂げてきたといいえます。

年々世界中で深刻化が進み、問題視されている環境問題ですが、「正直環境問題が何なのかよく分からないし、自分の日常生活にはあんまり関係ないなぁ…」と思っている方も多いのではないでしょうか。
しかし環境問題には様々な要因や種類があり、そのほとんどは私たち人間が利便性を追究したことによる代償と言っても過言ではありません。

「人がより生活しやすい社会になるために」と思うことは決して悪いことではありませんが、私たちが生きる上で何よりも大切にすべき地球環境が壊れてしまっては元も子もありません。

まずは環境問題の基本情報を知ることです。
SDGsとは、ひとつしかないこの地球でこれからも安心して暮らし続けられるように、2015年に国連で定められた「持続可能な開発目標」のことです。SDGsの目標を達成するために、私たち一人一人にできる取り組みはたくさんあります。

「SDGs」を知り、「持続可能な開発」目標達成に向けて、日々の生活の中で私たちにどのような行動ができるのかを考え実践して、後世に引き継ぐいていくことです。

2022年7月 4日 (月)

郷土を愛すること

故郷とは・・・心安らぐ場所…回帰する場所…懐かしい場所です。だから必ずしも生まれ育った場所を指しているとはかぎりません。ただ、自分にとって原点となる場所です。自己を形成した場所です。

郷土とは、自分が生まれ育った場所と今現に住んでいる場所、自分の生活の基盤がある場所です。
郷土愛というのは、最も生々しい感情です…。複雑な感情です…。それは、親子兄弟、夫婦間の存在するような利害と直接結びついた感情です。だからこそ大切なのです。

私たちが、そこで生まれ育った人も、また、他の土地から移り住んできた人もその土地で生活していくためには、その土地を良くしていかなければなりません。

現代人は、理念や思想に振り回されすぎていると思います。肝心なのは、自分の生き様であり、自分の思いです。自分本来の想いを素直に吐露できないから辛く苦しいのです。


理論や理想で飯は食えません。人は、先ず生きていかなければならなりません。生きていくためには、時には、妥協せざるを得ない時もあります。それが現実です。頑なに自分の考えや立場に固執するのは、悲劇を長引かせるだけです。だからこそ、愛が必要なのです。自分たちが住み、自分たちを育んでくれる土地を愛し、感謝する心それが郷土愛です。


人に恵みをもたらすのは、大地です。人が、自分の理ばかりにこだわって自分を生かしてくれている天や地に感謝する心を失うことが、悲劇の根本にあるのです。それは、人間の傲慢さの所産です。自分を生かす郷土を荒廃させ、退廃させることは、いかなる道義をもっても許されまあせん。


こだわりを捨て。執着心を捨て。過去からの因縁、因習、わだかまりに囚われずに、透徹した目で今、現実を直視し、何が、今、正しくて、なにが、今、必要なのか、それを見極める勇気が欲しいと思います。

その土地に住む人には、長い歴史と伝統があります。文化…生活があるがあります。生まれ、育ち、生活をし、そして、子供を産み育て死んでいく…。郷土には、人生の軌跡があります。自分が生きてきた証があるのです。

現代では、人情がなくなったのです。それは、土地に対する愛着がなくなったからです。地域社会で人々が、助け合うこと。その互助の精神こそが、「共に生きる」ことの原点です。利害を調整することばかりが能ではありません。助け合うことこそ最も大切なことなのです。

今住んでいる土地に感謝することです。愛する事です。その感謝する気持ちがないから、傲慢になり。愛する気持ちがないから、土地を汚すのです。故郷を愛せぬ人は不幸です。例え、それが生まれ育った場所でなくとも、心の故郷を人は持つべきです。

現代人は、自分の古里を喪失しつつあります。故郷を失った代償として、無謀な乱開発、環境破壊、大気汚染、戦争、公害、人心の退廃を生み出してきました。♪ウサギ追いしあの山、小鮒釣りし、かの川~♪~と歌った心は今どこへ行ったのでしょうか・・・。

残された物は、見るも無惨な景色です。それを文明といい、それを発展というのならば、そのような文明も発展もいりません。故郷を愛する心、それこそが人類を救うのであると思います。

2022年6月18日 (土)

心の拠り所もつこと

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「心の拠り所」=「支えてくれるもの、頼みとするところ」を意味します。
「心の拠り所」を持っている人というのは、どんな時でもぶれずに自分を持っているように感じさせるものです。


心が折れるのを防いでくれる
毎日の生活のなかで、ときには悩んだり、疲れてひと休みしたくなることも、あって当然です。でも、誰かに心の内すべてを、話して相談するというのは、年齢が上がるごとに難しくなるものです。折れそうな心を支えてほしい、そんなときに大きな味方になってくれるのが「心の拠り所」です。

安心感を与えてくれる
「何があっても帰る場所がある」という確固たる思いがあると、人は強いです。「心の拠り所」とは、そんな、頼りにすべき対象でもあります。

そして、「心の拠り所」にしているものを思い浮かべるだけで、なんとなく安心感を得ることができます。その安心感は次につながる力を、きっとくれるはずです。

生きがいになる
「心の拠り所」というのは、何かあった時に、心を支えてくれるものであると同時に、慰めや癒し、気力を生み励みとなるもの、生きがいとなるものでもあります。

毎日をただやるべきことだけやって、淡々と過ごすのではなく、少しの時間でも「これが私の生きがい」と思えるようなことに時間を使うことができれば、充実度が上がり、毎日を輝かせることができるでしょう。

2022年6月17日 (金)

言葉は心を伝える

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言葉は意味を伝えるだけでなく、心を伝えるものです。
温かい言葉は人の心を和ませま、冷たい言葉は人を傷つけてしまいます。多弁である必要はなく、黙っていても気持ちが通じることだってあるのです。

でも、せっかく、家族や地域・社会あって、生活出来るのだから、温かい言葉を交わしたいものです。いま、生きていられることに、感謝を言葉にして表すことが大切だと思います。

「オアシス」で・・・
「おはようございます」・「ありがとうございます」・「失礼します」・「すみません」自分の意思を示すことが、よりよいコミニケーション基本だと思います。

そして、人との縁を大切に、まわりの人を大切に、感謝の気もちを大切に、心を大切に・・・・するために、言葉を大切に・・・温かい言葉は、相手の心を和ませるとともに、自分の心をやさしい気もちにしてくれます。

人と自分の心を幸せにする言葉を交わせたら、とても幸せでしょう。そのためには、まず自分から、人の心を幸せにする言葉を使うことでしょう。

その前に、自分の心を幸せにする・・・「嬉しい」・「楽しい」・「良かった」・「幸せ」・・・言葉遣い(心がける)だと思います。人を幸せにする言動は、幸せな心から生まれるのだと思います。

2022年6月16日 (木)

善悪について

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人間の心は本来清らかなものなのです。ではなぜ、人間は悪いことをしてしまうのでしょうか? 本来の心が清浄ならば、悪いことはできないはずです。そう思われるのも当然でしょう。しかし、人間には欲があります。 その欲が悪いことをする原因なのです。 
 
「自性清浄心(じしょうしょうじょうしん)」という言葉があります。自性とは「先天的に備わっている」という意味です。つまり、私たちの心は本来清らかで澄みきっているのだと考えるのです。
 
私たちは既に「清浄心」を有していますが、その宝石のように澄んだ心は、欲望や迷いに取り囲まれていて見えていないのです。原石のガレキを剥離して磨きぬいた奥底に宝石が発見されるように、心の中に渦巻く欲望や悩みを取り払えば、「自性清浄心」に気付くことができるのです。

このような心を研磨する作業こそ仏道修行であり、その修行法とは、先ずは自身の罪業を懺悔することです。自分が知らず知らずのうちに犯した罪の存在を認めて、至心に懺悔できる人こそ、清らかな心を磨き出すことができるのです。
 
生きるために欲望は必要です。悩み苦しみ欲望を満たすことも、人生の醍醐味であります。しかし、それは真実の安楽ではないのです。欲望を無くすことは不可能ですが、欲望を満たし続けていると更に悩みの坩堝に嵌ります。正しく欲望をコントロールして、清浄心にまとわりつく煩悩に打ち勝つという勇猛心をもって生きたいものです

2022年6月15日 (水)

生きて行くことにバランスが大切

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生きるとは、綱渡りをするようなものです。一番大切なのは、バランスです。
綱渡りをするときは、両手を左右に大きく広げて、釣り合いを保ちます。バランスが取れているからこそ、きちんと前に進めます。

偏りが大きくなりすぎると、綱から落ちてしまいます。落ちると、大けがです。しばらく動けなくなるでしょう。落ちてからでは、遅いのです。他人事のように思えますが、自分にも関係する話です。実は、今誰もが、綱を渡っている最中で・・・人生という名の綱です。

調子はいかがですか?
「なかなか前に進めないなぁー」と感じるなら、バランスが偏っているからではないでしょうか。綱渡りをするときに大切なのは、やはりバランスです。バランスが取れていないと、なかなかうまく前に進めません。

バランスこそ、安定です。安定した人生を送るためには、バランスが必要です。今なら、まだ間に合います。いま一度、生活を振り返り、バランスを整え前に進みましょう。

2022年6月14日 (火)

人生は苦である

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「生・老・病・死」とは、仏教用語です。
生まれること、老いること、病気になること、死ぬことの四つの苦のことを言います。苦は「苦しみ」という意味ではなく「自分の思うようにならないこと」の意味で、生きている限りは避けることのできない、この世での人間の苦悩のことです。

苦しみをなくす方法・・・ズレをなくせばいいのです。
ズレのなくし方は二つ。一つは欲望を満足させるために現実を変えること、もう一つは欲望をなくして現実を受け入れることです。老・病・死については、現実を変えられないので、欲望をなくして現実を受け入れるしかありません。

「人生で大切なこと」に集中すること
毎日やることばかりで、自分のやりたいことに時間が取れない・・・。本当にやりたいことに集中することですが、今の延長でさらに、頑張るだけでは難しいでしょう。

今の生活や習慣を変える
生活や習慣を改善していくためには、「減らす」「増やす」を調整しなくてはいけません。「人生で大切なこと」に集中すること不要なことを減らすこと・・・無くすことです。片づけの本質は、整理整頓ではなく、「減らす、捨てる、手放す」ことにあります。

心の片づけ
スケジュールの片づけも同じで、捨てること自体に、片づけの難しさがあるのは言うまでもありません。嫌われたくないから・・・適当にしていると思われたくないから・・・失敗したくないから・・・安心したいから・・・後悔したくないから・・・という心理的な要因が手放すことを躊躇させます。さらに、生活を改善していくためには、不要なものを「捨て」た上で、必要なものを「増やす」ことが大切です。

2022年6月13日 (月)

認知症になったら・・・怖い

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認知症になったらどうしよう……。
健康を維持しながらゆっくりと年を取っていきたい…。
できれば認知症にかからずに健康に過ごしたい…。長寿が当たり前になっている今だからこそ、病気にかからずに健康を維持するには、どういった暮らしを送ればいいのか・・・。

実際に、認知症にかかる人はどんな特徴を持っているのでしょうか?以下のような生活習慣をお持ちの方は認知症にかかるリスクが高いということだそうです。

〇 乱れた食生活
〇 運動不足、睡眠不足
〇 喫煙
〇 過度なストレス
〇 生活のリズムの乱れ
これらの項目にあてはまるものがある方は認知症はもちろん、さまざまな生活習慣病・その他の病気にかかるリスクが高くなってしまいます。今から食生活、生活習慣を見直し早めの予防を心がけていくことです。

一般的に「怒りやすい・短気な人」「小さなことを気にすぎてしまう人」「協調性のない人」は認知症にかかるリスクが高いと言われています。
 
怒りやすい・短気な人
すぐに怒ったり、イライラしたりしてしまう人は、その頑固な性格から、周囲と円滑なコミュニケーションをとることが難しい場合があります。些細なことでも怒鳴ってしまったり、自分が納得できないことがあったりして、人に当たってしまうなど、周囲の人たちとうまく関係を気づけない人に関しては、徐々に社会的にも孤立してしまう可能性もあるでしょう。人とのコミュニケーションや関わりが減ってしまい、脳の老化が進み認知症につながってしまう要因となると言われています。
 
小さなことを気にすぎてしまう人
気にしすぎてしまう人もまた、認知症のリスクにつながってしまう場合があります。小さなことや、人から何気なく言われたことを気にしすぎてしまう人のなかにはいつも周囲のことをが気になり、敏感で傷つきやすくストレスを受けやすい性格の方もいます。ネガティブな思考にとらわれ、小さなストレスが蓄積されていくと、鬱傾向に陥ることもあります。鬱は認知症予防にとってはリスクです。
 
協調性のない人
また、協調性のない人も、周りの人と一緒になって動くことが苦手という面から人とのコミュニケーションの場が減ってしまいます。人と交わることがあまり好きではない人は一人で行動することが多くなり、他者との関わりや会話が少なくなってしまうと認知症の発症リスクを高めてしまうといえるでしょう。

2022年6月12日 (日)

今を大切に生きる

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世界中揺るがしている、新型コロナが、少し落ち着いたと思えば・・・ロシアのウクライナ侵攻…戦争はどうなるのだろう?・先が見通せず、心配や不安が尽きない世の中に生きる私たちです。

緊張状態が続き、行動を制限され・・・。社会全体が大きく変わろうとしている・・・。そんな状況でも、「今」に立ち返ることで、気持ちを乱されることなく、心を落ち着かせことは、とても大事なことです。

「今」を、大切に生きる
一触即発の世の中であるにもかかわらず、みんな無関心?でもいざ戦争が始まると慌てふためく。自分のことしか、考えてないから平気でいられるのでしょうか・・・。

私は、子供のころですが、戦争で、ひもじい・怖い・苦しい・悲しい…を経験しています。自分が生きている地球の上のすべての人が飢えず、すべての子供が元気に学校に行ける、そういう時代が来ないと、本当の幸せとはいえません。

自分さえ良ければ思想・・・自分は健康で、おいしいものを食べ、自分だけよい気分で、それで結構という思想が、戦後の日本に広まってしまったと思います。

戦後、日本は知識だけを教育しました。知識偏重教育の結果が現在の荒廃です。知恵を教えずに、知識だけを教えてきた。その教育をまだ守り続けている・・・これは問題です。

想像力がなければ・・・思いやりもない。
相手が何を欲しているのかわからない・・・だから、戦争をしたらどういう悲惨なことが起こるのか・・・という想像力があれば、とても恐ろしくて戦争なんてできないはずです。

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