高齢者の生きる意味
病気で美味しいご飯も味わえなくなり、目や耳も衰えていくので(私も実感)年を取れば取るほど私たちは楽しみが減っていく・・・足腰が弱ってくれば、日常生活も誰かの力無しでは送れなくなるでしょう。
”生きがい”となる趣味も楽しめない身体になり、誰かに助けてもらわないと、生きられない状態になった高齢者が生きる意味はあるのか?
生きていても人生を楽しめない身体で、それでも生きたいと思うのは何故か・・・「まだやりたいことがあるから」と答える方が多いでしょう。それは「生への執着が凄い」とコメントで言われている高齢者の方も同じだと思います。もし、今夜死ぬことが分かったとして、死んでも悔いのない状態だと本心から、言い切れる人は、いないのではないでしょうか・・・。
口では「もう思い残すことはない」と言っていても、心には漠然とした不安があるのです。「年寄りに生きる意味があるのか」という疑問は「私に生きる理由はあるの?」という不安の裏返し「なんで年寄りは長生きしたがるの?」からではないでしょうか。この世に残していく家族の心配など、各人各様に気がかりな「心残り」はあると思います。
« 心の支え(心の拠り所)を持つこと | トップページ | 他人を生かし自分も生きる »
コメント