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2022年5月

2022年5月31日 (火)

挨拶の大切さ

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「あいさつの大切さ」あいさつは、社会マナーとしてだけではありません。人間関係を築くうえで、基本中の基本です。
 
ときどき億劫になる・・・「あいさつ」
子供時代よりもマナー・礼儀を重んじる社会人生活を送る今のほうが、あいさつが“適当”になっている方が多いようです。
 
モゴモゴと小さな声であいさつをしたり、すれ違っても会釈だけで終わらせたり・・・悪気はないのに、無意識のうちに「挨拶をしても、相手から返ってこなかったら嫌だな…」「相手が挨拶してきたら、挨拶を返そう」「声をかけやすい人だけに挨拶しよう」と考える人もいるようです。
 
「あいさつ」こそ、ナチュラルに“コミュニケーションのきっかけ”を作れる言葉です。もちろん、あいさつされた相手も、嬉しいものです。おはよう。こんにちは。ありがとう―――。
 
あいさつは、とても短い言葉ですが、相手の気分を、一瞬で幸せにできる「魔法のことば」でもあります。実際に、気持ちの良いあいさつをされると、嬉しい気持ちになりませんか・・・?そう、あいさつをする・しないで、格段に印象で差がついているのです。

私たちに町の環境は私たちで!

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「地域の自然環境は、地域の人で・・・守る!」
持続可能な社会の、実現に向け、先人の知恵や経験などに学びながら、市民一人ひとりが、それぞれの意識を改革していくことが大切です。さらに、子どもから大人まで、家庭や地域、学校、職場など様々な場で環境問題を理解し、命や自然を大切にする心を育み、自ら考えて環境を守るために行動する人づくりを進めることも重要です。

そのため、基盤となる環境学習を積極的に推進していくことが求められていまます。国は、一人ひとりの環境についての理解を深め、取り組みを進めるため、環境教育を推進し、環境保全活動を促進する法律『環境保全の意欲の増進及び環境教育の推進に関する法律』を制定しました。
 
この法では、持続可能な社会を「健全で恵み豊かな環境を維持しつつ、環境への負荷の少ない健全な経済の発展を図りながら持続的に発展することができる社会」と定義しています。

地球温暖化は、異常気象の頻発や海面上昇など人類の生存基盤を脅かす深刻な環境問題です。こうした状況を踏まえ、安心して暮らせる生活環境を将来の世代に引き継ぐため、地球温暖化の主な原因である二酸化炭素の排出を削減することが求められています。
 
このような環境問題の発生は、大量生産・大量消費・大量廃棄型の社会経済システムによる環境への負荷の増大が要因となっていることから、私たちの生活や事業活動も含めた社会全体の変革が求められています。

2022年5月30日 (月)

正義が勝つ

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ロシアがウクライナ侵攻・・・の戦争が2022年2月から、3か月が過ぎても終息する様相は見えません。

戦争が起きると、世界中の国々まで大きな、影響があることが、ガソリン・食糧品なども値上がりで、実感しています。早く終結して欲しいものですが・・・どうして起きたのか、私はロシアのプーチン大統領の主張は大所高所からみて、納得できません。

一般的に、戦争の起こる原因はむかしから以下5つあるといわれています。
1「民族」の争い・・・民族の異なる人たちが、その考えの違いから争いを起こすことがあります。
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2「宗教」の争い・・・信じる宗教の異なる人たちが、その考え方の違いから争いを起こすことがあります。
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3「資源」の争い・・・金やダイヤモンド、石油やウランなど、鉱物資源が出る国では、それをめぐった争いが起こることがあります。
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4「政治」の争い・・・例えば、ひとりや少人数が政治を独占する「独裁政権」が続いた時に、住民がその政治に反対して、国内の争い「内戦」を起こすことがあります。
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5「領土」の争い・・・です。
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「正義は勝つ」と言いますが・・・結局は「勝った方が正義」という意味でもありますが・・・そのとき、相手を負かすのに「様々な力」を使うと思いますが、果たして、力で奪った勝利というのは本当の正義だといえるでしょうか?
 
人は、血や涙の流れる争いを避けるべきで、話し合いによって解決する・・・これが理想であるのですが、それが、出来ないので戦争となるのです。

2022年5月29日 (日)

自分の人生を生きる

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「自分の人生を生きる」というのは、当たり前すぎてふだん意識することはないかもしれません。

下記のようなことが思い当たることがある人は・・・
○ いさ何かを決めるとき、自分がどうしたいのか分からない。
○ 相手の顔色をうかがって、自分の望みを後回しにする。
○ 人の目を気にして、いつもクヨクヨと思い悩んでいる。
○ いつも誰かのために頑張っていて、自分のことは後回し。
○ 心から幸せだと感じることができない。

自分がこれらを心より、クリアーできれば幸せを感じ、充足感で満たされます。自分が納得のいく選択ができるようになりますので、クヨクヨと思い悩んだり、誰かのせいにしたりすることもありません。軸がしっかりとしているため、周囲に左右されずブレません。

自分に自信がもてるようになる
「自分の人生を生きる」とは、自分自身が心から喜び、納得し、幸せを感じられる状態のことです。どんな出来事にも感謝する心をもち、“今、ここ”に生きています。人の目を気にしたり、他者と比べたり、誰かの言いなりになることもありません。
 
自分のルール・哲学をもつ
物事の善し悪しを判断するとき、本当はどうしたいのかを、自分自身に問いかけてみることで、その小さな積み重ねから、自分のルールや哲学が、一定の範囲の人々の間に、少しずつ特定の雰囲気や考え方などを形成すると思います。

2022年5月28日 (土)

住んで良かった町

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私たち誰もが将来にわたって安心して住み続けることができ、「住んで良かった」と自信を持って語ることができる町に・・・そのためには、一人ひとりが自分の住んでいる地域を意識し、子どもから高齢者まで多くの市民が、まちづくりに参加していくことが必要です。地域はそこに住んでいる人達よってつくられています。

現代社会は時代の変化とともに価値観や生活形態が多様化し、住民と地域の関わりが希薄となり、地域が本来持っている互いに協力し、助け合う機能が低下しています。また、少子高齢化や核家族化が進む中、地域では高齢者世帯や高齢単身世帯の増加といった課題も大きくなっています。

その他にも、防犯、防災、福祉、環境、教育、文化など、住民の生活に直結する地域課題や住民ニーズが多様化し、複雑になってきており、その対応のすべてを行政サービスで充足することや、安心安全な住みよい地域社会を行政施策だけで実現することは難しくなってきています。

地域の問題は私たちで考え、改善していく・・・という気概が欲しいものです。公共政策って誰が行うんでしょうか?政治家や公務員がその主な担い手であることは確かですが、近年、SDGs(持続可能な開発目標)の達成に向けて、企業も一般市民もそれぞれの活動をすることす。

経済、社会、環境の統合的向上のために様々な立場の人たちが連携しながら活動を行う、これが新しい公共政策の実施スタイルと考えます。

2022年5月27日 (金)

ボケたらアカン、長生きしなはれ

絹の道
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出所<中風寺>京都府南丹市美山町豊郷作・天中新一郎さん<1987年(当時94歳)朝日新聞に投稿>茅葺で有名な京都府南丹市美山町にある中風寺(成願寺)で頂いたそうです。
 
「ボケたら、アカン、長生きいなはれ」
年を取ったら 出しゃばらず 憎まれ口に 泣きごとに
人のかげ口 愚痴いわず 他人のことは 褒めなはれ
聞かれりゃ教えてあげてでも 知ってることでも 知らんふり
いつでもアホでいるこっちゃ
 
勝ったらあかん 負けなはれ
いずれお世話になる身なら 若いもんには 花持たせ
一歩さがって ゆずるのが 円満にいく コツですわ
いつも感謝を忘れずに どんな時でも へえおおきに
 
お金の欲を捨てなはれ
なんぼゼニカネあってでも 死んだら持っていけまへん
あの人はええ人(おひと)やった 
そないに人から言われるよう 生きてるうちにバラまいて
山ほど徳を積みなはれ
 
というのは それは表向き
ほんまはゼニを離さずに 死ぬまでしっかり持ってなはれ
人にケチやといわれても お金があるから大事にし
みんなベンチャラいうてくれる 内証やけれど ほんまだっせ
 
昔のことはみな忘れ 自慢ばなしは しなはんな
わしらの時代はもう過ぎた なんぼ頑張り 力んでも
体がいうこと ききまへん あんたはえらい わしゃあかん
そんな気持ちで おりなはれ
 
わが子に孫に 世間さま どなたからでも 慕われる
ええ年寄りになりなはれ ボケたらあかん そのために
頭の洗濯 生きがいに 何か一つの趣味持って
せいぜい長生きしなはれや

2022年5月26日 (木)

人間が生きて行くことで大切なこと

湯殿川と君橋付近
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人間生きていくための条件に、「信用」・「信頼」が最も基本です。
〇 信用とは・・・「確かなものと信じて受け入れること」
〇 信頼とは・・・「信じて頼りにすること」

信用とは、何らかの実績や成果に、対しての評価のことをいいます。そのため「信用」するためには、実績や成果(結果)が必要不可欠です。この実績や成果(結果)といった、過去の業績に対して「信用」するのです。
 
一方「信頼」は、そうした過去の実績や業績、あるいはその人の立居振舞を見たうえで、「この人ならこの仕事を任せてもちゃんとしてくれるだろう」とか「この人なら私の秘密を打ち明けても大丈夫だろう」などと、その人の未来の行動を期待する行為や感情のことを指します。
 
もちろん「信頼」するためには何らかの根拠が必要ですが、その根拠を見たうえで、未来を「信頼」するということです。そう考えると、「信頼」してもらうためにはまず「信用」が必要です。「信用」なしには「信頼」を勝ち取るのは難しいと思います。
 
「信用」は何らかの実績や成果(結果)が必要です。
その人の過去の行為(事実)や作り上げてきた作品といった物理的なモノに対して「これは大丈夫だ」と信用するのです。つまり「信用」は、モノを評価する人から、そのモノを作った人に対する片方向になるのです。
 
一方「信頼」は、その人の実績や過去の振る舞いを見たうえで、その人の人間性や習慣、クセ、感覚といった目に見えないものに対して期待し、その期待に応えてくれるだろうという気持ちの表れです。気持ちに気持ちで応えるのが「信頼」です。「信頼」は気持ちと気持ちのつながりですから、双方向です。
 
信用は、一朝一夕には得られません。
コツコツ実直に・地道に実績を積み重ねた成果(結果)に、人は信用することになり、成果が多くの人の評価によって決まるのです。その蓄積が「信頼出来る人」となるのです。人が生きていくには、多くの人に関わり合って生きられのです。信用・信頼がなければ人間社会成り立ちません。
 
現代社会は、政治家の饒舌な言葉で惑わされたり、おれおれ詐欺(母さん助けて)があれば、社会は混乱するばかりです。弁護士・医師・会計士・警察・銀行業など、信用できるから職務が全うできるのです。メンタル的な家族・夫婦・友人など人間関係は信頼がなければ成り立たたないのは当然です。

2022年5月25日 (水)

片倉慕情・・・

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             むかしの湯殿川(イメージ)
むかし、私と中学で同級生だった高山晃さんの詩です。情景がよく描かれていると思います。

「片倉慕情・・・」作詞 高山 晃

1 住吉片倉 城址跡    
   烽火はるかに 駒の音
  水車の瀬音もコトコトと
   要塞いずこに 杉こだち
  里のカタクリ なごり雪

2 川の流れは 湯殿川
   空に流れる 白い雲
  時田弁天 しんしゅう寺
   御代伝える 菩提寺の
  湧き水清し 梅の花

3 峠のぼれば 御殿茶屋
   釜ぬき 富士谷戸 車石
  昔路の道は 絹の道
   兵衛川の 会う瀬にも
  川久保あたりの 花ミズキ

考えと行動について

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私たちは行動する度に、その行動の動機となった無意識に、考え方(心)を強化し続けています。例えば、嫌いな人たちと接して、直ぐにイラついたり、怒ったりして感情的に行動してしまうと、自分の日ごろの不満、妬み、憎しみ、嫉妬、更には劣等感が増し、イラつき、怒り易く、キレ易くなってしまいます。
 
別の見方をすれば、人間の性質、性格は生まれ持った遺伝特性と、人間関係を含む育つ環境に影響され左右されます。つまり、ある種の遺伝的特性を持って、人間がある特定の環境で育つ暮らすことで、その遺伝的特性が強く出ると思います。
 
そして人生の中での、決定的な影響を与えた重要な出来事によって、活性化される遺伝的特性があるということ、ある同じ出来事を肯定的に捉え人がいる一方で、否定的に捉える人もいます。

なぜある人は悲劇的な出来ごとから立ち直れたのか・・・ある人は何でもないことのように思える出来ごとに、打ちのめされてしまうのでしょうか・・・。
 
普段は意識することはない私たちがもつ、性質や考え方、性格は生まれ持った自分の遺伝的特性と、環境等そういった背景によって方向付けられ、強化され無意識に、”ある考え方”が行動パターンに現れます。

肯定的、楽観的に捉えられる人は良いのですが、同じ出来ごとを否定的、悲観的に捉える人、そしてそれを一人しまいこみ悩み、解決できない人がいます。
 
人が社会生活をしている中で何かを隠したり、演技したり、嘘をつくことも同じように思います。好きなのに、そうでない振りをする…逆に嫌いなのにそうでない振りをする…なぜそうするのか?

それを単純明快に説明するのは、様々な要素が複雑に絡み合うので難しいと思いますが、人は明らかに他人を意識して、生活していいるということです

2022年5月24日 (火)

信頼される人とは・・・

八王子市内を望む2
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人から心より信頼される人は、「つつしむ」・「つとめる」ということが身に付いている人のことと、あるお坊さんが言っていました。
 
つつしむとは・・・「あやまちをおかさないように気をつける。」「心をひきしめ、ひかえめな態度をとる。」とあり、「つとめる」とは・・・「精を出して仕事をする。」「努力して事を行う。」とあります。
 
要は、事象を慎重に判断し一生懸命仕事に精を出す(人)ことで、その積み重ねして人間が他人から信頼が勝ち取るものだと思います。だから立派な理屈は口にはするが、実行力がなければす信頼は生まれません。
 
たとえば、人から深刻な相談を受けた内容・本心を打ち明けてくれた内容・誰にも言えないような秘密を話してくれたとき、そのことを自分の胸の内だけに納め、決して他人に話したりしないのだと思います。
 
そして、その人の立場になって話を真剣に受け止めて対処していこうとする心配りの出来る人です。時には、一緒に涙したり・笑ったり・落ち込んだり・悩んだりして、相手の気持ちになって考え・悩んだりするのです。
 
それを繰り返し行っている人は、自然と「言葉をつつしむ」ことが出来ており、軽はずみな発言をすることもなく、その人自身の発する言葉には「責任感のある・重たさ」があるものです。
 
逆に言葉の軽い人は、人から深刻な相談を受けることもなく、人の心に勝手に踏み込んでいっては、何とかその人から誰にも知られたくないような興味深い情報を仕入れようとするのかもしれません。
 
そして、相手の本心を探り出した情報を他人に売ることもあるかもしれません。「どうだ・・私はこんなに人から信頼されているから、心の秘密を打ち明けてくれているのだぞ!」
 
と言わんばかりに、得意げな顔をして言いふらすこともあり得ります。人として同じ生き方をするのであれば、「口をつつしむ」ことを実際に身に付けた人になっていきたいものです。

2022年5月23日 (月)

他人を生かし自分も生きる

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仏教の言葉に「菩提心(ぼだいしん)」という言葉があります。「自分以外の誰か、何かのためになりたいと願い行動する」ことです。

「自分の生活さえままならないのに、人のために生きるなんてできない」「自分が損をしてまで、他人のために尽くす気にはなれない」と考えるのが、今の時代ではないでしょうか。
 
しかしながら、人間は「社会的動物」であり、「人の間」でしか生きていくことはできません。支え、支えられる関係の中で、人間は生きていく運命にあるのです。
 
たしかに、人間は本能的に、「自分を守りたい」「自分を生かしたい」と思うものです。でも、だからこそ、私利私欲に走らず、他人を生かすための行動することは、結局は回り回って、「自分を生かす」ことにつながるのです。

価値観も人それぞれ
人間同士がぶつかると、その価値観もぶつかり合います。ぶつかった時に怒りっぽい自分が首をもたげ、人を傷つけてでも、あくまで自分の価値観を押し通そうとします。そんな時、人間が使うためにつくった価値観に、あべこべに人間が使われているのではないでしょうか・・・。

ですから、私たちが自分の心を活かそうと思えば、心を「平」という本来価値観が無いところに「常」に置き戻す必要があります。それを平常心といいます。 平常心が怒の心を離れて、自分の心を活かし、他人も活かすということにつながるのです。

2022年5月22日 (日)

高齢者の生きる意味

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人間の身体は年とともに衰えていきます。
病気で美味しいご飯も味わえなくなり、目や耳も衰えていくので(私も実感)年を取れば取るほど私たちは楽しみが減っていく・・・足腰が弱ってくれば、日常生活も誰かの力無しでは送れなくなるでしょう。
 
”生きがい”となる趣味も楽しめない身体になり、誰かに助けてもらわないと、生きられない状態になった高齢者が生きる意味はあるのか?

生きていても人生を楽しめない身体で、それでも生きたいと思うのは何故か・・・「まだやりたいことがあるから」と答える方が多いでしょう。それは「生への執着が凄い」とコメントで言われている高齢者の方も同じだと思います。もし、今夜死ぬことが分かったとして、死んでも悔いのない状態だと本心から、言い切れる人は、いないのではないでしょうか・・・。
 
口では「もう思い残すことはない」と言っていても、心には漠然とした不安があるのです。「年寄りに生きる意味があるのか」という疑問は「私に生きる理由はあるの?」という不安の裏返し「なんで年寄りは長生きしたがるの?」からではないでしょうか。この世に残していく家族の心配など、各人各様に気がかりな「心残り」はあると思います。

2022年5月21日 (土)

心の支え(心の拠り所)を持つこと

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「生きて行くことで”心の支え”となる「心の拠り所」を持つこと」
自分を取り巻く環境や状況が変わっても頑張れる・・・これがあれば生きていける・・・そんな「心の拠り所」となるものを持つことは、芯が強く輝いて生きれます。

多ければ多いほど良い「拠り所」ですが、ひとつでも何かあると気持ちが違ってきそうです。自分にはこれがある、と思えるような「心の拠り所」を見つけて生きたいものです。

心が折れるのを防いでくれる
毎日の生活のなかで、ときには悩んだり、疲れてひと休みしたくなることもあって当然です。でも、誰かに心の内すべてを話して相談するというのは、年齢が上がるごとに難しくなるものです。折れそうな心を支えてほしい、そんなときに大きな味方になってくれるのが「心の拠り所」です。

安心感を与えてくれる
「何があっても帰る場所がある」という確固たる思いがあると、人は強いです。心の拠り所とは、そんな、頼りにすべき対象でもあります。そして、心の拠り所にしているものを思い浮かべるだけで、なんとなく安心感を得ることができます。その安心感は次につながる力をきっとくれるはずです。
 
生きがいになる
心の拠り所というのは、何かあった時に心を支えてくれるものであると同時に、慰めや癒し、気力を生み励みとなるもの、生きがいとなるものでもあります。
 
毎日をただやるべきことだけやって淡々と過ごすのではなく、少しの時間でも「これが私の生きがい」と思えるようなことに時間を使うことができれば、充実度が上がり、毎日を輝かせることができると思います。

2022年5月20日 (金)

習うは一生

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ことわざに「習うは一生」があります。
習う=人から教えてもらったり、本を読んだりして、何かを知ることです。

「一生=生まれてから死ぬまでの間・・・生涯。 習得=いろんなことを、習って、身につけること・・・学び続けると自分の器が大きくなり続け、死してもなおそれは伝え続けられる・・・学びをやめた人は過去にしか生きれない。」

「新しいことを知り、身につけていくために、人は、一生を通して、 常に学び続けなければならい、ということ」です。人が、一生の間に、知識として身につけられる量には、限りがあり、全てのことを、 知りつくすことは、不可能に使いと考えられます。

昔から伝わる書物、これから先、 常に、変化し、新しくなっていくことなど、あらゆる面での知識の習得は、一生 かかっても、学びつくせるものではありません。「人は、死ぬまで、勉強していく覚悟を 持たなければならない」ということです。

「学びは実践してこそ意味がある」
知識や教養を得ることは良いことですが、それだけでは人生の価値としては不十分であるということです。自分の中に吸収した知識を実践に役立ててこそ、意味があるのです。

2022年5月19日 (木)

人生は選択の連続

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人生は選択の連続です。
後悔も含めて自分の生き方なら、後悔しない人生を送ることが理想です。しかし、これが難しいものです。

後悔したくない、後悔しないようにとはよく聞く言葉であり、誰れしもが思うことです。でも、何かを選択する時に後悔はつきものではないでしょうか。人生においてじっくりと比較検討してから、良い方を選び取ることなど不可能です。

後悔も含めて自分の人生、悔やむのではなくそれを糧にして、前へ前へと進んでいく方法を考えてみる・・・後悔はしたくない・・・また、後悔をしないように、とはよく聞く言葉です。ところが、AかBかどちらか一方を選ばなくてはいけない場合、どちらを選んだとしても後悔は付いて回ると感じた事はあります。

後悔はしたくない生き方をしたいが・・・
人は、Aを選んだら「もしBを選んでいたとしたら…」またはその逆の想像を必ずと言っていいほどしてしまうものではないでしょうか。そして、想像の中の選ばなかったもう一方というのは、輝かしく見えてしまうものです。

このAとB、買い物のような小さなものから、人生を決める大きなものまでレベルは違えど選ばなかった方の事を想像してしまう、というのは共通しています。

人生は選択の連続
人は人生においてどの仕事をするか、結婚するかしないか、子どもを産むか産まないか等、選択しなくては進めない事柄が本当に数多くあります。そのどれもが重要なものばかりです。

重要ではあるものの、この仕事を選ばなかった自分と選んだ自分、結婚した自分としなかった自分、子どものいる生活と、いない生活を実際に比較検討してから良い方を選び取る事は不可能です。

2022年5月18日 (水)

今日一日を精一杯生きる

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「今日一日を精一杯生きる」と、こう言葉にすると、今日できることはあれもこれもやってしまわなければ、ということではありません。

今を最大限に、五感でそして心で感じること・・・大切と思うことです。
与えられた自分の肉体を十分使って、見て、聞いて、においを感じて、味を感じ、肌に触れるものを感じること。それが感じられたら、「ああ、生きているなぁー」と実感できることです。人間が外界の刺激を感じる事が出来る五感で感じることです。
 
自分を取り巻くものを感じることで、自分が自分であることを実感する・・・それが生きることではないでしょうか。そして感じることを大切にしていたら、ある事で涙を流した自分…感動した自分、悲しかった自分…怒りを感じた自分…嬉しかった自分…を、その時々の自分をきっと愛おしく感じられると思うのです。
 
そして「明日は明日の風が吹く」という考えで・・・
今日はどんな事があっても、明日はまた、別のなりゆきになる・・・くよくよと心配しても始まらないと・・・考え方が大事です。明日のことは明日案じよ。明日に気がかりを残さないことです。

「今日一日を精一杯生きる」と、こう言葉にすると、今日できることはあれもこれもやってしまわなければ、ということではありません。

今を最大限に、五感でそして心で感じること・・・大切と思うことです。
与えられた自分の肉体を十分使って、見て、聞いて、においを感じて、味を感じ、肌に触れるものを感じること。それが感じられたら、「ああ、生きているなぁー」と実感できることです。人間が外界の刺激を感じる事が出来る五感で感じることです。
 
自分を取り巻くものを感じることで、自分が自分であることを実感する・・・それが生きることではないでしょうか。そして感じることを大切にしていたら、ある事で涙を流した自分…感動した自分、悲しかった自分…怒りを感じた自分…嬉しかった自分…を、その時々の自分をきっと愛おしく感じられると思うのです。
 
そして「明日は明日の風が吹く」という考えで・・・
今日はどんな事があっても、明日はまた、別のなりゆきになる・・・くよくよと心配しても始まらないと・・・考え方が大事です。明日のことは明日案じよ。明日に気がかりを残さないことです。

2022年5月17日 (火)

高齢者のボランティアのこと


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「高齢者がボランティア活動を行うことでメリット」
後期高齢者の私は、地域内の清掃活動していますが、子供たちから、お年寄りまで「お早う」「お帰りなさい」と"声かけ"を、心がけています。返事が返ってくると、何か嬉しく感じます。
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〇 生きがいを感じることができる
地域に貢献すること、地域の人の役に立つことができます。それにより、社会への貢献意識が芽生え、色々な人と交流を深めることで、生きがいを持つようになるのです。
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 〇 健康づくりに役立つ
テレビを見ている世代の中で高齢者が最も多くなっており、これは高齢者が家の中でじっとしている人が多いことを示しています。家の中にいることで、筋力がなくなり足腰が弱くなったり、老人性うつになったりするリスクが上がります。

高齢者にとって、ボランティア活動は外出のきっかけを与えてくれます。そのおかげで運動不足が解消され、同時に気分転換になりストレスも解消されるのです。

〇 地域とのつながりができる
ボランティアをすることで、地域の人と交流を深めることができるだけでなく、いざとなったときに協力を仰いだり、孤独死などのリスクを回避することができます。

高齢者は、地域福祉を支えてもらうだけでなく、ボランティア活動を行う高齢者自身の介護予防にも繋げられることができると思っています。

2022年5月16日 (月)

ひたむきに生きる

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人生は長いようで短いものです。
時間は刻一刻と時をきざみ、それは二度と戻っては来ません。いま、このときの一瞬を輝いて生きることです。

“真摯”な気持ちを持ち、“ひたむき”な姿勢で生きる
ただただ、今目の前にあることに一途に、一生懸命に取り組むということが大事で、あれこれ(自分の立場とか損得勘定とかいろいろ)考えず、ただ今目の前にあること、今やるべきことを一生懸命するだけ・・・それでいいのではないかと思います。
 
そのために苦手なことにも挑戦しなければならないことがあるかもしれません。もちろん得意なことは継続して続け、さらに磨きをかけることだと思っています。

人間は死ぬまで成長する
大切なのは、目標や目的をもって、様々なことを意識しながら生きることを身に付けるということです。苦労することや辛いことから逃げて、結果だけに一喜一憂するのではなく、どれだけ自分が夢中になって取り組むことができたかが、今後の人生を、生きていくうえでの大きな糧になると信じているからです。

ひたむきに生きる姿に、私たちは感動します。そして、その感動は人にパワーをあたえてくれるのではないかと思っています。そして、”ひたむき”な人とは、「感謝・謙虚・素直」この3つを兼ね備えている人だと思います。

困っているときに、見えない存在のサポートが入って状況が好転したり、何かを成し遂げようと取り組んでいるときに、運が味方したり、道が開けたりするのです。こんな人は・・・日頃から、謙虚で素直で、何事にも感謝を心掛け、“真摯”な気持ちを持ちで“ひたむき”に生きている人ではないかと思います。

2022年5月15日 (日)

心豊なか地域社会づくり

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「互いを思いやり、言葉を発することができる社会こそ心の豊かな社会」です。
「地域社会の連帯感の希薄化」などから、今日、地域社会の教育力の再生を促すことが極めて重要なことになっていると思います。

このため、あいさつ運動、環境清掃活動、交通安全活動、防災活動などの地域ぐるみの啓発活動に取り組むことが、大切と考えます。また、これらの活動を振興していく上でも、年中行事や祭り、伝統芸能の継承は、大変に意義のあることと考えます。

地域は、人間や社会、自然など色々なものと、つながっている持つことで、心が豊かになっていくのです。これからの社会・・・心豊かな、いわゆる持続可能な人間社会に貢献することを使命となっていると思います。

「考えること」はもちろん大事ですが、行動してはじめて物事が始まります。
SDGs エス・ディー・ジーズ(持続可能な開発目標 )「成長し続ける社会を実現するために、自分自身も成長し続ける」ことで心豊かな社会を目指す・・・という考えが大切と考えます。

というと大げさに聞こえるかもしれませんが、自分のできる範囲で構わいません。特に、自分の身の回りの環境に関わりを持ち続けることが重要です。

2022年5月14日 (土)

小欲知足の生き方

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私たちは、どれだけ物があってもまだ満足できなくて、あれが欲しい、これが欲しいっていう欲望を持ちながら生きています。「本当に貧しい人はいくらあっても足りなくて満足できない人」…南米のウルグアイの元大統領でホセムヒカの言葉です。

小欲知足の生き方
少欲知足とは「欲を少なくして足るを知る」という意味です。欲を少なくするというのは欲を我慢するということでもありません。いくら我慢しても自分の中に欲がある訳ですから、これは苦しみの元になります。我慢するだけもっと苦しいかもしれません。


「今与えられているものでもう充分頂いています。」という事に気づくと苦が少なくなっていくのです。でも、これと貧乏暮らしとは何の関係もありません。私は貧乏な暮らしをしろとは決して思いません。

何の病気や災いもなく、日常を過ごすこと暮らせたらそれで良いと思います。欲が少なくなるというのはお金や物に執着が無くなっていくという事です。執着が無いから貧乏になるかというとそうではありません。貧乏がお金が無いという定義ならば、執着が無くなっても貧乏にはなりません。逆にお金やものはもっと入ってくるでしょう。

『今が一番倖せさ、今が一番心穏やかに 健やかに暮らせている』と思えば、一日が満ち足りた気持ちで『感謝』と『ありがとう』の二文字を心に留めることができれば、何とも言えない小さいけれど満足感で温かい優しい気持ちになれます。

これが人として生きる最高の至福の時間を、過ごすということではないでしょうか・・・。最近、つくづくそう思いながら一日平穏無事に、暮せて床につくことができれば、何とも言えない心地よさが、自身を包み込むような気がします。

2022年5月13日 (金)

人間愛について

東京工科大学
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人間愛とは、「人間を尊重する精神」生命に対する畏敬の念に基づく人間理解を基盤として、他の人に対する「感謝と思いやりの心」を通して具現化されるものです。
 
特に思いやりの心は、自分が他に対して能動的に接するときに必要な心のあり方です。すなわち、他の人の立場を認め、いたわり、励ます生き方として現れます。
 
したがって、思いやりの心の根底には、人間尊重の精神に基づく人間に対する深い理解と共感がなければなりません。そして、単なるあわれみや同情ではないもの、それが人間愛です。他の人とのかかわりの中で、温かい人間愛の精神を深め、これを身に付けることは、 人間としてきわめて大切なことです。
 
このように考えれば、思いやりの心は、単なるあわれみと混同されるべきものではないことが分かります。他者の思いやりに触れ、それを素直に受け止めたとき、人は自ずと感謝の念を抱くようになります。そして、自分が現在あるのは、多くの人々によって、支えられてきたからであることを自覚するようになります。

2022年5月12日 (木)

「人間は一人では生きていけない」こと

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普段、特に意識しないで何げなく暮らしていますが、よくよく考えると自分の身の回りのものは、ほとんどすべての物が、自分以外の人間が働いて作ったものだという事に気付かされます。

このことから私たち人間社会は、お互いの人間関係によって成り立っており、人間関係無しでは生活していくことが出来ないということが理解できます。この社会で働いている人たちは、何らかの形で人の役にたつ仕事をしており、社会に貢献していると言えます。

逆に言えば、私たち人間が何のために仕事をしているのかというと、もちろんお金を稼いで生活するためですが、もっと本質的な理由は「人の役に立つために仕事をしている」ということです。

また、高齢者や病気など何らかの事情で働けない人たちは、健康で働ける人たちの援助によって、助け合って生活していかなければいけないのです。

人間がこの世に生まれ、生きている理由は「進歩向上するため」です。
そして、人間が進歩向上するためには人間社会の中で人と関わり、他人の役に立つ仕事をして、お互いに助け合うことを学ぶことが必要なのです。人はたった一人では生きては行けませんし、たった一人では進歩向上することもできません。そして、たった一人では生きている目的がなくなり、人間の存在価値もなくなってしまうのです。

2022年5月11日 (水)

人生楽もあれば苦もある

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「花のいのちは みじかくて 苦しきことのみ 多かりき」(林芙美子)
花は、ぱっと咲いて、ぱっと散る「長く残るのは苦しきことのみである」人生もその通りで、現実は苦しいことの方が多いと感じることです。
 
ある哲学者は、一生の終わりに計算してみて、楽しいことのほうが多かったか、それとも苦しみのほうが多かったか、その結果によって幸・不幸を決めるしかないかもしれない、と語っています。

どんなに地位があり、財産があっても、幸福をつかめない人はいます。どんなにすばらしい結婚をしても、いつかは愛する人と別れなければなりません。愛別離苦は避けられません。

どんなに有名人になっても、病気で苦しみきって死んでいく人は、たくさんいます。美しく生まれたために、かえって、人生を不幸にする人も少なくありません。いったい、幸福は、どこにあるのか? どうすれば幸福になれるのか? これが人生の根本問題であり、永遠に追求すべき課題であると思います。
 
結論的にいえば、「幸福は自分自身をどう確立するか」という問題です。どんなに幸福そうな環境にあっても、自分自身がむなしさを感じ、苦しみを感じていれば不幸です。

一般的に、幸福の条件というと、経済的に豊かであり、健康で、周りの人からも大事にされることなどが、挙げられると思います。こうした条件を、満たしているように見える人は、世間にも数多くいるでしょう。

しかし、本当に、それで幸せを満喫しているかというと、必ずしも、そうとは言えません。心に不安をかかえている人も少なくありません。これらは、相対的幸福であり、決して永続的なものではないからです。

どんなに資産家であれ、社会の激変によって、一夜で貧乏のどん底に陥る場合もあります。健康を誇っていた人も、不慮の事故や病に苦しむこともあります。さらに、加齢とともに、誰しも、さまざまな病気が出てくるものです。
 
人は、財や地位、健康、名誉など、相対的幸福を願い、求めて、努力するなかで、向上、成長していくことも事実です。しかし、崩れざる真実の幸福は、相対的幸福にではなく、絶対的幸福にこそあるのです。
 
絶対的幸福とは、有為転変する周りの条件に支配されるのではなく、自分が心に決めた使命、目的に向かって実践していくなかで生ずる、生命自体の充実感、満足感なのです。

2022年5月10日 (火)

人生の迷いは誰にでもある

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生きていく上で、壁にぶち当たったり行き詰まったり、迷うことは誰しも一度は経験していると思います。そんな時、誰かの手が差し伸べられることはなかなか期待できないものです。どんなに行き詰まっても自分で打開していかなければ、今の状況を変えることはできません。

名言 松下幸之助
「迷う、ということは、一種の欲望からきているように思う。ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、という欲望から迷いがでてくる。それを捨て去れば問題はなくなる。」

捨てたいとは思いつつも捨てられない欲望。仕事に関すること、人生に関することなど、いろんな壁にぶち当たりながらも生きていく上で切っても切り離せないのが欲望であり、おのずと生まれてくるのが「迷い」です。

名言 坂本竜馬
「目の前のことを懸命に取り組むという選択肢もあり。夢中で日を過ごしておれば、いつかはわかる時が来る。」
 
迷った時、必ず変化をもたらさなくてはならないのかというとそうではありません。自分がそこから逃げたいだけかもしれないからです。でも、そこを踏みとどまって頑張った先に見えてくるものは、今の想像をはるかに超えるもののはずです。
 
迷った時、必ず変化をもたらさなくてはならないのかというと、そうではありません。自分がそこから逃げたいだけかもしれないからです。でも、そこを踏みとどまって頑張った先に見えてくるものは、今の想像をはるかに超えるものはあるはずです。

2022年5月 9日 (月)

老後を自分らしく生きる

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「老後を、自分らしく生きる」には、自分が自分であることを大切にして生きることです。老後を自分らしく暮らすには楽しさが重要で・・・幸せ感が味わせることです。


老後を自分らしくしく暮らす重要なのは、楽しさが重要で、健康・お金・まとまった資金で、これらを言い換えると以下の2点になります。
 
〇 心身ともに健康でいること
〇 経済的な余裕があること
 
さらに、人との関わりをもって毎日を過ごすことが加わると、老後の暮らしがより楽しいものになります。これらの要素を踏まえ老後の暮らしを考えるにはどうすれば良いか・・・必要なのは、老後を楽しく暮らすための環境を見つけることです。

「理想の自分になりたい」そう望むのであれば、「一日一〇」を掲げ、努力を積み重ねていくことです。その先にはきっと、理想とする未来が待っているはずです。

「一日一学」の心がけ
人生は一日一日の積み重ねです。明るく、楽しく、自分らしく生きるには、知識をそのまま受け取るだけでなく、自分なりに解釈することで、知識は知性となり財産となるのです。そんな「一日一学」を続けていけば、深みのある人間に成長できると思います。

2022年5月 8日 (日)

年寄りになっても幸せに生きるには・・・

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幸せのかたちは、年代によって変化していきますが、今までの積み重ねた人生を大事にしながら、老齢化によっての変化に対応すべく努力し、納得して生き続けられることです。
 
自分らしく生きられること
自分らしく生きることが、幸せにつながります。老年期に入ると、やがてくる人生の終わりについて考えるようになります。きっかけは周囲の親しい人が亡くなったり、持病の悪化や病気の後遺症など、体の不調が多くなることもあります。

関係の深い人とのあたたかな関わり持つ
家族や親しい友人など、今までの人生で深めてきた人間関係は、高齢者にとって大切な宝物です。そんな人たちの笑顔を見れば何よりうれしく、幸せを感じられるものです。自分の人生は良いものだったと、かみしめることができる瞬間です。

特技などで人から尊敬され感謝されれば、自己肯定感が高まり、幸せを感じることができます。また、社会貢献をすることも高齢者の幸せに役立ちます。

「ありがとう」言われること
地域のボランティア活動をして、感謝されると、自分自身に価値があると思えるものです。そういったことに積極的に取り組んでいき、「ありがとう」と言われることで、自己肯定感を高め、幸せと感じます。

介護予防に取り組み、前向きに努力すること
これまでに多くの経験を積み、自分のスタイルを作り上げてきた高齢者にとっては、自分のことを自分で決められないのはつらいものです。自分の好みや習慣を大切にしたり、出かけたいときに出かけたり・・・。「誰の世話にもならず、自立して生活できること」は高齢者にとって、幸せの土台となるものです。

子供家族と離れず近すぎずの関係

子ども家族とは、『できるだけ近い』・『しょっちゅう連絡を取り合える』所に住まい、子ども家族との交流のなかで自立して生きる・・・。そして、要介護状態になっても、子どもらに介護負担を課すことなく、親子の住まいは別々でも、互いに交流を図りながら生きていける状況・・・。

2022年5月 7日 (土)

地球環境問題について

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「人がより生活しやすい社会になるために」と思うことは決して悪いことではありませんが、私たちが生きる上で何よりも大切にすべき地球環境が、壊れてしまっては元も子もありません。

◎地球温暖化
地球温暖化とは温室効果ガスの排出により、地球の平均気温が長期的に上昇することであります。

地球温暖化とその影響
地球温暖化とは、大気中にある二酸化炭素(CO2)やメタン、フロンなどの温室効果ガスが増え過ぎ、宇宙に逃げようとしていた熱が地表にたまりすぎることで、気温が上昇したり、地球全体の気候が変化することです。

私たちの人間生活に、地球の温暖化によりさまざまな影響が出てきています。
過去100年間に地球全体の平均気温は0.3~0.6度と急激に上昇しており、現在のペースで温室効果ガスが増え続けると、2100年には平均気温が約2度上昇すると予測されています。

これは人為起源による温度上昇とされており、今のまま何もせずにほうっておくと、2100年には、地球の平均気温が1.4~5.8℃も上がると予想されています。

温室効果ガス
人間の利便性の追求を追い求めてきた結果、大量の化石燃料を経済活動に投じた結果、必要以上の温室効果ガスが排出され、数々の気候変動や異常気象を招くこととなりました。

〇 海面水位の上昇
気候変動が及ぼす海面水位の上昇は、沿岸や低平地、に住む人々の暮らしに大きな影響を与えます。台風による高潮、沿岸域の氾濫、海岸侵食による被害をより多く受けることになります。
 
〇 農作物への影響
食料生産への影響も現れています。リンゴは秋に色づきますが、その時期の気温が高いと色づきが悪くなったり遅くなったりします。収穫時期は色づきの程度で判断するため、収穫時期に影響が出ます。

◎地球環境問題は深刻
年々世界中で深刻化が進み、問題視されている環境問題ですが、世界中で起きている事実を知り、しっかり受け止めた上で、「今の自分には何ができるだろう」と考えることが、何よりも大切だと言えるでしょう。

「地球環境のために私たちは今何をしなければいけないのか?」
まずは日常生活の中の何気ない自分の行動に気を留めてみてとることです。歩きタバコをして、道路に捨てていないか・・・車から空き缶・ペットボトルを捨てていないか・・・面倒くさがってゴミを分別せず捨てていないか・・・調理に使った油をシンクに流して捨てていないか・・・など、細かな部分を気にかけるだけでも大いに環境問題の解決に貢献できるはずです。

2022年5月 6日 (金)

地域の人間関係の希薄化について

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今の社会は、個人主義の風潮が強くなっていると思います。それは人びとの意識や生き方に及ぶので、生活や社会のあらゆる側面に影響が現れていると感じます。

例えば、伝統の軽視、核家族化、利便性の志向、社会における人間関係の軽視などです。その結果、人と人の関係性が希薄になります。そのことは各個人が利益の最大化を目指すからです。

現代社会は、互いに競合する個人に分断されます。人びとや社会を分断する要因は、資源の奪い合い、経済的勝者と敗者、組織のリストラ、人・地域・経済格差などでしょう。
 
個人主義はあらゆる分野で、私化あるいは私事化を進めます。
テレビ・携帯電話などの道具のパーソナル(個人)化で、ライフスタイルにまで及びます。人と人の共同行為は個人の思い通りになりません。個々人の考えや都合が異なるからです。

それが、共同行為や相互扶助は個人ではできないことを可能にします。
その共同行為のメリットを犠牲にしながら、個人の思い通りになるパーソナル化が進み、利便性の追求が進行しています。そして、今や利便性は絶対的な価値になっているように思います。
 
利便性を追求するサービスや機械が開発され、それを購入するカネを稼ぐために、さらに個人主義を優先しなければなりません。個人主義、市場競争、利便性、パーソナル化が現代社会で循環しています。

モノが豊かになったはずの日本社会ですが、収入を増やすために、長時間労働選び、その労働時間を確保するために、家事や移動の時間を短縮する便利なサービスやモノをさらに購入する・・・という矛盾に陥っているのではないでしょうか・・・

その長時間労働は個人が地域社会で過ごす時間を奪い、地域での人間関係を希薄化しコミュニティも衰退するのです。

2022年5月 5日 (木)

高齢者が幸せに生きていくには・・・

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これからの長寿社会で生きていくには・・・
長く生きるほど、向き合わなければいけない変化も増えてきます。私たちはひとつの時代に生きるのではなく、いくつもの時代を生きることになるのです。

自らの生き方や価値観を柔軟に変えていくことが、長い人生を幸せに送るためには必要不可欠かもしれません。何歳になっても常に幸せを感じながら長生きしたいものです。

しかし、年はとりたくない、長生きは厄介なことだと考える人も少なくありません。"嫌なことはあまり考えず、楽しいことをより考えること"は、日々の生活をより前向きに充実させるためにも必要なことだと考えます。

年を経るごとに、自己中心性が減少し、寛容性が高まる・・・
空間や時間を超越する傾向が見られるようになり、高い幸福感を得られると思います。物欲よりも精神的な成長に喜びを見いだし、ただ生きているだけで幸せを感じる境地に至ると・・・いうことです。
 
寿命が伸びる分、生きがいや人のつながり、助け合いの仕組みを設計しなおす必要があるかもしれません。社会と関わることで、感謝されたり、利他的になったりするから、幸福度を高められ、孤独は幸福度を下げてしまいます。

介護予防に取り組み、前向きに努力すること
これまでに多くの経験を積み、自分のスタイルを作り上げてきた高齢者にとっては、自分のことを自分で決められないのはつらいものです。

自分の好みや習慣を大切にしたり、出かけたいときに出かけたり、「誰の世話にもならず、自立して生活できること」は高齢者にとって、幸せの土台となるものです。この土台があれば、若いときより成長し円熟した精神で、心豊かに生きることもできるはずです。
 
そのためには、自立して生活できるだけの健康状態が必要です。ウォーキングなどの体力づくりや、筋トレ、認知症予防の脳トレなど、何かしらの介護予防につながる活動は、高齢者にとっては明るい未来につながるものです。トレーニングをがんばって効果を実感できたら、その喜びでもっとがんばろうという、気持ちもわいてきます。
 
「体力が衰えるのに任せた暮らし」は、なかなか幸せを感じにくいものです。自分のがんばりが介護予防になり、その先に自立した生活があるという前向きな考えは、高齢者の幸福度をアップしてくれると思います。

生きることの難しさ

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「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。」
米作家レイモンド・チャンドラーによる探偵小説の主人公、フィリップ・マーロウの言葉。

「今、見ている状況で不安になるのは当然です。そうでなければ人間ではないでしょう。」今現在、戦争に巻き込まれている人々への影響を最初に考えることは、正しいことであり、遠くからウクライナの状況を見ている私たちが、うろたえるのも全く普通のことだと思います。

 
ロシアのウクライナ侵攻という、あってはならない戦争が、世界中の人が、コロナショックがいまだに消えず、世界を覆う中、生き物の頂点の人間として「強さ」と「優しさ」が同時に求められている・・・困難に立ち向かう強さに加え、苦しい状況にある人々に寄り添う優しさが不可欠です。

戦争による経済的影響は、近隣諸国やより広範な地域に急速に広がり、世界で最も脆弱な人々の被害はとりわけ甚大です。以前から何億世帯もの家族が低所得やエネルギー・食料価格の高騰に苦慮していましたが、戦争によって事態は遥かに悪化し、今後さらに格差が拡大する恐れがあります。
 
そして、インフレが多くの国にとって明白で目下の危機となりました。私たちは過去2年間にコロナ禍から立ち上がろうと前進し続けてきましたが、今回の戦争はその成果の多くを帳消しにする危険をはらんでいます。
 
こうしたリスクに有効な唯一の解決策は国際協調です。国際協調こそが、より公平で強靭な未来の唯一の希望であり、私たちの義務でもあります。「政治家は強くなければやっていけない。優しくなければ政治家である資格はない」そんな時代だと思います。

 

2022年5月 4日 (水)

納得した人生を送る

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自分の人生に納得するには、日々を真剣に生きることです。
毎日を何の目標もなくダラダラ生きていては、不満だらけだけの人生になるのになると思います。不満を抱えて、ふてくされたり、腐ったりしてダラダラした人生に、充実することは絶対にあり得ないと思います。

毎日を真剣生きること
真剣に生きていれば、例え結果が思ったように現れなかったとしても、清々しい気持ちになって納得出来ると思うのです。

「真剣に生きる=無理をするではない」
確かに自分を追い込むとか、無理をするとかって何となく真剣に、一生懸命やっているように思えるかも知れませんが、それは錯覚と思います。たしかに時には無理をしなきゃならない時もあるとは思います。でも、それは常にしなくてはないことでないでしょうし・・・、常に無理をして張り詰めていたりしたら、いずれ自分が壊れてしまうことにもなりかねません。ですから、普段はほどほどに努めて、無理をし過ぎないってことが大切です。

「今を生きること」
無理をしなくたって日々を真剣に生きることは可能です。では、日々を真剣に生きるとは、一体全体どういうことなのでしょう?私は、今現在の今目の前にあることに真剣に考え行動することと思います。要は「今を生きる」とです。そうしていれば、きっと自分の人生にも納得がいくようになると思います。

自分で選んだものであれば、どの選択肢を選んだってそれは正解
他の選択肢を選んだ先に結末はどうやっても、みることは出来ないのですから・・・。そして、他の選択肢を選んだ方が今の状況より良い結果に恵まれる、保証はどこにもないのです。もしかしたら、今より酷い結果になっている可能性だってあるのですから・・・。

自分が過去に選んだ選択は全て、正解にしていけばいいのです。だから自分で選択することを怖がる必要は全くないのです。自分の選んだ選択は全て正解なのです。それを繰り返していれば、きっと自分の人生に納得していくことも出来ると思っています。

2022年5月 3日 (火)

私たちの町をきれいにしよう

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私たちの町・・・八王子市片倉町を・・・きれいにしよう。

まちの公園、道路などをきれいにすることで、気持ちよく生活できます。

まず、地域の内の道路・公園・広場などに、ゴミを捨てないことです。
 
「あ!ごみが落ちてる」
 
そう思いながら、そばを通り過ぎたことはありませんか?
 
日常生活の中、ゴミを拾うのには、勇気がいりますが・・・
 
地域のために活動をしませんか?
 
「きれいにすることで犯罪のないまちにする」
 
まちがきれであれば、元気よく挨拶するようになり・・・
 
気持ちよくなり、みんな笑顔になります。

2022年5月 2日 (月)

安全・安心の町に住みたい

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近年の急激な社会環境の変化は、地域住民の価値観や生活様式を多様化させ、地域社会の連帯意識と規範意識の低下などが問題となってきています。

こうした状況は、私たちの町においても例外ではなく、窃盗等犯罪や交通事故、さらには迷惑行為による住民間のトラブル等が、町民生活は不安になってきていると思います。

町民が犯罪のない安全で安心なまちを実現するためには・・・
① 町民一人ひとりが、「自らの安全は自らが守る」という防犯意識を持つこと・・・(自助)
② 町民・地域活動団体等の相互の連携・協力により「地域の安全は地域で守る」という連帯意識を高める・・・(共助)
③ 町は、安全で安心なまちづくりに関する施策を総合的に推進すること・・・(公助)が必要と考えます。
そして、子供の躾は教育学者の森信三先生の「~しつけの三か条~」が町に住む人にもあたると考えます。
第一 朝必ず親にあいさつをする子にすること。・・・町で出会った人に誰にでも挨拶をする・・・。
第二 親に呼ばれたら、必ず、「ハイ」とはっきり返事のできる子にすること。・・・挨拶されたら、返事をする・・・。
第三 履物を脱いだら必ずそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる子にすること。・・・町の公園・道路などには、使ったらキチット元に戻す・・・。

この三つが、単純なことだが、「ハイ」という一語によって我を捨て、それまでの意地や張りの一切を投げ捨てる。我執を捨て素直な気持ちになった上で、新たに「ハイ、私です」と自分を確認します。
「ハイ」とはっきり返事をすることで、素直な自分にめぐりあい本当の自分を獲得する。履物をそろえ、椅子を元に戻すことで人の見ていないところでの行為の大切さを知る。人から見えない自分の心を整え、見知らぬ人のためにも思いやる・・・心が大切と考えます。

2022年5月 1日 (日)

大自然に生かされていることに感謝

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今のところ、日本では食べ物が大きく不足していませんが、食べ物を諸外国からの輸入に依存している現実があります。しかし、今、ロシアがウクライナに侵攻するという戦争で、世界中が、不安定になっています。

食べ物をはじめ、天然資源の石油・ガスなど物価の値上がりが、世界中の国々が大きな衝撃を受け、その対応が難しくしています。

今は食料輸出国のお陰で輸入できていても、これから先、農作物の生産や食べ物の供給は絶対に大丈夫といえるでしょうか。世界を見渡せば人口増加は続き、食べる人数が増えるだけでなく、地球温暖化の影響もあって世界各地で食べ物の生産方法や生産量も変化しています。
 
ところで、仏教には五つの基本の戒があり、五戒といいます。その一番目が不殺生戒(ふせっしょうかい・生きものを殺さないこと)です。「生きものを殺してはなりませんよ」ということを100%守っているかと問われて、ハイと答えられる人はいないはずです。それは、毎日の食事をみればおわかりのように、私たちが自らの命を保っていけるのは、様々な命の犠牲のお陰です。それでは、なぜ「不殺生戒」というものが定められているのでしょうか。
 
これは、「生きものを殺してはなりませんよ」という教えによって、まず私たちは他のいのちを奪っているということに気づくことと、そして人間の身勝手を抑制することではないでしょうか。
 
大自然の恵みや大勢の人々のお陰に感謝して食べよう
私たちは普段の食事の時、食前に「いただきます」、食後に「ごちそうさま」といいます。これは日本の行儀作法であったり、料理人や食事を提供くださった方への感謝という意味だけではありません。私たち人間は生きていくために、生命を維持するために実にいろいろな生命を奪ってしまっています。
 
牛や豚や鳥や魚の生命を奪い、食べています。お米や大根やお芋だっていのちがあります。船上の魚がピチピチ跳ねるのも苦しいからに違いありません。どんな生きものも死が苦しみであることは私たち人間と同じはずです。
 
このことをしっかりと認識し、食べ物を無駄にしない・・・自然の恵みに感謝をし「いろいろな尊い命をいただいて、それらの命の分、精いっぱい生かせていただきます」と、生かさせていただいているということを再確認することです。

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