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2022年3月

2022年3月31日 (木)

自分らしく生きるとは・・・

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人生で最も大切なことは、何でしょうか・・・。
☆お金でしょうか・・・○地位でしょうか・・・□名誉でしょうか・・・いいえどれも違います。たしかにどれも大切ではありますが、最も大切ではありません。最も大切なのは『自分の心に正直に生きているかどうか』です。

『自分らしく生きる』
自分の人生ですから「自分らしく生きること」が最重要です。好きなことをやり、嫌いなことはやりません。やりたいと思ったときにやり、やめたいと思うときにやめます。当たり前のことですが、こうした選択を素直に繰り返せば、自分らしい生き方ができるようになると思います。

必ず、後悔のない人生が送れると思いますが、でもできていない場合が多いのではないでしょうか・・・。他人に流されたり、見かけに振り回されたりしていることが多いものです。

見栄や世間体を気にして、諦めることもあります。どんなにお金や地位や名誉があっても、自分らしく生きていないのでは、意味がありません。自分の生活を振り返り、どのくらい自分らしく生きているか、確かめてみることです。

『自分らしいと思うことは、すべて正解です。自分らしくないと思えば、今すぐ修正することです。』人生は一回しかありませんから、悔いのない、自分らしい人生を送ることです。

自分らしく生きることとは、自分の気持ちに正直に生きていくことを意味します。他人の評価を気にすることなく、自分の楽しいと思うことや、やりたいことを自ら選択していく生き方のことです。

自分らしく生きるといえば、わがままなイメージを持つ方もいるかもしれません。しかし、「自分らしく生きること」と、「自己中心的に生きること」とは違います。

自己中心的な人は他人をコントロールしようとしますが、自分らしく生きている人は自分の軸を持ち行動します。つまり、自分らしく生きている人は、全ての行動に責任を持って生きているのです。

2022年3月30日 (水)

幸せとは・・・

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「幸せとは、ポジティブ感情である」
ポジティブ感情研究の第一人者「バーバラ・L・フレデリクソン博士」ポジティブ感情とは、「愛、喜び、笑い、感謝」といった肯定的な感情です。

これらのポジティブ感情をもつことで、幸せになると言います。
「ポジティブ感情」研究の第一人者といわれるフレドリックが唱えるポジティブ感情は「喜び」「感謝」「安らぎ」「興味」「誇り」「愉快」「鼓舞」「畏敬」「愛」「希望」の感情です。

「幸せとは、遊びの感覚で夢中になれるものがあること」
時間を忘れて夢中になったり、何かに集中できていて、そのことすら気づいていない没頭の状態のことです。
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「幸せになりたければ、何かに没頭できたり、夢中になることができる何かを見つける」こと。そして、それ自体を楽しめるような「何かを発見して取り組むこと」と言います。

2022年3月29日 (火)

歴史を学ぶこと

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歴史は、過去の出来事などから、なぜそれが起きたか、その理由や関係性を考え、その教訓を現代に活かすためにあるのではないでしょうか。過去の人々の叡智や失敗から学ぶことが大事なのだと思います。
 
歴史を振り返ってみてみる
歴史を学ぶことによって、今起きていることが、今後どのように進むかを推測できます。そして、問題をどう対処すべきかを、そういう力を身につけることが、大事なのではないでしょうか・・・。
 
大事なことは・・・
そこから何を感じ取り、過去の事象の理由を考え、別の立場や考えの人とも議論を交わしたりして、深く考えることが重要です。そして、そこから得たことを将来に役立てるということが必要です。

私たちの町の80年前からの歴史を、振り返ってみると、第二次世界戦争(1939年~1945年)という世界を大きく揺るがし、日本国民の生活・環境・文化・教育などの大きな変遷がありました。そういう時代を経て現在があるのです。

今、ウクライナへロシアの侵攻が、世界を揺るがしていますが、核・細菌など恐ろしさも、さることながら、身近な、環境問題も深刻化してきています。

地域社会は、地域の人で守るという問題・・・こんな小さな事と思わず、地域の環境に対する考え・行動をもう一度見直していくことが大事なことです。

2022年3月28日 (月)

きれいな町で住みたい

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誰でも道端に落ちているゴミ、時々目に付くことがあると思います。私はそういうゴミが気になります。

私たちが住んでいる町は、綺麗で気持ちいい自然環境は、人間の生きていく大切なことで、自然に対する思いやりは、人に対する思いやりに・・・繋がります。

「綺麗な町で多くの人と笑顔で暮らしたい」
綺麗な町に住みたい・・・は誰でも願いと思います。それにはちょっとの心遣いが必要です。一つは年齢や障害の有る無しにかかわらず、住み慣れた地域で暮らし続けることができる・・・。

人一人が、ちょとの心遣いで住みよい…住んで良かった町になるのです。
一つは、小さなゴミでも捨てない。
二つは、町で会ったら挨拶をする。
三つは、自然豊かできれいな町を後世に引き継ぐ…意識し実践することです。
そんな町であるために、共助の精神と充実した町に皆で意識・行動することです。「つながる」ことで生まれる支え合いの気持ち、支 え 合 い 、助 け 合 うことで誰もが 安 心して暮 らせる町になるのです 。

2022年3月27日 (日)

ゆっくり生きよう

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最近「ゆっくり生きる」ということが苦手な人が多いように感じます。なんでも簡単に手に入る時代になりました。そして、どこにいても答えが分かる世の中です。
 
私たちもすぐに結果を求められることが増えてきました。だからでしょうか…いつも何かに追われるように感じてしまいます。大丈夫、慌てなくていい・・・急いで生きたりしなくていい・・・ゆっくり生きる方が、人生をよりよく味わうことができますから・・・。
 
即効性…すぐに…手軽に…。そんな言葉が重宝がられる社会です。たしかに便利になりました。しかし、簡単に手に入れたものは手放すのもまた簡単です。
 
いたるところに表面的、即席が溢れています。
生き方や幸せまで同じように考えてしまって、ゆっくり生きることができないでいる?小さくても、少しずつでも進んでいく・・・。ゆっくりでも自分のペースで歩いていく・・・。その一歩の積み重ねが自信につながります。自ら踏み出した一歩だからこそ、自分自身を肯定できるのです。
 
幸せに見せる努力をやめれば幸せは見えてきます。
自分人を苦しめる余計なものは捨ててしまえばいいのです。急がず焦らず、丁寧で穏やかな暮らしでいいのです。
 
幸せの種をまく
表面的な幸せや豊かを追い求めるのはやめて、自分の人生とじっくりと腰を据えて向き合っていくことです。
幸せの種をまき、手間隙をかけて愛情を注いでいく。。。芽が出て、やがて大きな花が咲く。。。手っ取り早く花を咲かせて満足して終わりではありません。結果ばかりではなく過程を楽しむことが人生の醍醐味です。その過程や道のりが、人生を豊かにしていくのです。
 
花が咲くまでじっと我慢するのではありません。わざわざ苦労する道を選びなさい、ということではないのです。耕す時間、育てる行為そのものに幸せがあります。その時々で見せる、いろんな表情を楽しむことができるのです。「急がなくていいんです。」「慌てなくてもいいんです。」まだまだ人生は長いです。

先のことばかりではなく、今ここを精一杯に生きることです。「ゆっくり生きる」生きていれば決して楽しいことばかりではありません。嫌なことも起こります。代わり映えのない毎日にうんざりすることだってあるかもしれません。その中にも楽しみを見いだせるのも私たちです。
 
どこかへ辿り着くことが人生の目的ではありません。人より前に行くことが幸せにつながる道ではありません。歩きながら見える景色を味わいましょう。ときには立ち止まったり、休みながらでいいんです。の道中を楽しむことこそが人生です。

2022年3月26日 (土)

怒ったら負け・・・

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私たちが日常生活を送る中で、怒りを感じる瞬間は度々あります。怒りを感じると、自分自身も穏やかな気持ちではなくなってしまいます。しかし、怒りの感情は「自分を守るための感情」だと心理学の中ではいわれています。
 
怒りを発する前に、私たちは悲しみや悔しさ、不安などの感情を心の中に蓄積する仕組みを持っています。しかし、その容量を超えてしまうと、それらの感情を含んだ「怒り」として表にあふれ出てしまうのです。怒りの根底には、複雑に絡み合った悲しみや不安などという感情が存在します。

怒っても物事が解決できない
これといった精神的支柱はない?にもかかわらず・・・プライドや競争意識のかたまり、みたいな人間います。誰からも被害を受けたことがないという人など、世の中にいません。

どんな人間でも何かひどい目に遭っています。被害を受けることは当たり前なのです。被害者コンプレックスで恨み憎しみを繁殖させるばかりだと、私たちは同時に加害者でもあることを簡単に忘れるのです。

他人に怒る理由、他を恨み憎む理由など存在しません。
人は、いい加減な屁理屈を駆使して、他人を恨むため、他人に害を与えるために、いくらでも言い訳だけはつくるのです。勇気を持って、コツコツ頑張らなければ「怒り」という病気は根治できません。その現実をまず認めることで、人格を向上する道がひらけてきます。

「生きることは苦である」
希望を捨てることは、自分の成長を飽きられることとは違います。誰でも日々成長しなければいけません。それた希望をいだく代わりに「今日は昨日よりマシな人間になろう」ということに挑戦することです。

他から害を受けても怒らず憎まず、穏やかでいられるのです。その人の心の幸福を壊すことは誰にもできません。「加害者を許すこと、加害者を憎まないこと、加害者に対しても慈しみの気持ちを抱くこと」・・・これは仏教の教えの一です。

2022年3月25日 (金)

ボケたらいかん…長生きしなされ・・・

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年を取ったら出しゃばらず・・・
憎まれ口に・・・泣きごとに・・・
人の陰口・・・愚痴いわず・・・
他人のことは・・・褒めなされ・・・
聞かれりゃ・・・教えてあげてでも・・・
知ってることでも・・・知らんぷり・・・
いつでも・・・馬鹿でいることだ。。。

昔のことは・・・みな忘れ・・・
自慢ばなしは・・・しなさんな・・・
俺らの時代は・・・もう過ぎた・・・
どれだけ頑張り・・・力んでも・・・
身体いうこと・・・ききません・・・
あんたはえらい・・・わしゃいかん・・・
そんな気持ちで・・・おりなされ。。。

わが子に孫に・・・世間さま・・・
どなたからでも・・・慕われる・・・
いい年寄りに・・・なりなされ・・・
ボケたらいかん・・・そのために・・・
頭の体操・・・生きがいに・・・
何か一つの・・・趣味を持て・・・
せいぜい長生き・・・しなされや。。。

早寝・早起きの習慣を・・・

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「早寝・早起きの習慣を」
夕食を食べる時間が遅かったり、寝る時間が遅くて朝ギリギリまで寝ていたりすると、朝は食欲がわきにくいもの・・・。だからといって朝食を抜き、昼までの長い時間を空腹のままでいると、脳が働くためのエネルギーが不足して午前中をぼんやり過ごすことになります。
 
また、おなかが空いていればイライラすることもあるでしょう。子どものからだと心が健やかに成長するためには、一日の生活リズムやよい生活習慣をきちんと身につけることが大切です。
 
そのためには、早く起きて朝食をしっかりとり、夜も早く寝て睡眠をしっかりとるといった生活習慣を身につけましょう。生活リズムが乱れると、活動能力や感情が不安定になってしまいます。

子どもたちがよい生活リズムや生活習慣を身につけるには、家族の協力が不可欠です。まず家族が率先して行動し、よい生活リズムや生活習慣が自然と身につくような生活を送ることです。

2022年3月24日 (木)

人間らしく生きる

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近年、インターネットの急速な普及などによるグローバル化が進む中で、個人や社会の様々な営みが同質化されることが懸念されています。

人々の価値観や思考方法などが多様であることは、個々人の持つ価値観やものの見方、考え方を補完し、一元的な思考が陥る危険を回避するものです。

今後世界が共存していくためには、各国、各民族が互いの文化を尊重し、多様な文化を認め合うとともに、文化交流を通じて、国境や言語、民族を超えて、人々の心を結びつけることによって、世界平和の礎を築いていくことが大切です。

文化の交流に当たっては、自らの歴史と伝統を理解し、自己のアイデンティティーを確立しなければなりません。他の文化を理解するためには、自己の文化を知らなければなりません。また自分という軸がしっかりしていなければ、他の文化を無秩序に受け入れることにもなりかねません。

そして、自己の文化の持つ良い点を相手に分かりやすく伝えるためにも、自己の文化についての理解を深めることが必要です。こうした中で、他の文化に対する寛容や尊敬の気持ちが育まれます。
また、日本の文化を支えてきた日本語を大切にし、継承・発展させていくことは極めて重要と考えます

2022年3月23日 (水)

地域は共生と協調が大切

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「共生・協調」
「今」心がふれあう交流を通し、理解を深め、共に生き、支え合い、そしてお互いに協力し、創意を生かしながら「人権文化のまちづくり」に取り組むことが必要です。さらに、地球環境をはじめとして身近な環境に至るまで、市民生活を取り巻くあらゆる環境との共生が大切です。

市民一人ひとりが人権を自分自身のこととして考え、人権尊重の大切さを理解し、自らの行動と人権を守る社会をつくるという意識を持ち、考えに裏打ちされた態度や行動を日常生活の中で実践することが必要です。

「互助の精神」
地域には、住民が相互に協力し合いながら、誰もが暮らしやすい地域コミュニティをはぐくむという役割があります。このため、住民一人ひとり人権を尊重したまちづくり活動に取り組むことが必要です。

そして、日々の治安・防災などの問題などは、日頃より地域のコミニケーションが大切です。また住みよい町にするには、自然環境を大切にする行動が大切です。「住みよい町に・・・」の願いは、地域住民のひとり一人の意識の高揚と行動であると思います。

2022年3月22日 (火)

もっと楽に生きる

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もっと「楽(らく)」・・・いい頃加減に生きられたら、悩むこともない。「楽しい」と「楽(らく)」は違う。同じ字を使うが、まったく違う。
 
「楽しい」とは、辛いことも苦しいことも乗り越えて目的を達成した時の喜びのこと。「楽(らく)」とは、辛いことも苦しいことも何もないこと。
 
人生は、喜びがあれば悲しみが、苦があれば「楽」がある、悲喜こもごである。はたして、人は悩み苦しみがなければ、幸せだろうか・・・
 
今、生きているから、人は悩み苦しみもする。悩み苦しみがあるのは、生きているからである。だから「楽しく」目指して悩めばいいのでだろうが、一つの悩みが解消できても、またあとから、次々と新たな悩みが起こるものである。悩みのおかげで生きる意欲や希望が持てるのだと「楽しく」生きられると、達観できればいいのだが・・・。
 
人間も動物で、本来なにものにも執着しない生命体であるはずであるが、貪(むさぼり)瞋(怒り)、癡(愚かさ)の三毒の心のおもむくままに生きてしまうから、あらゆる執着心が煩悩であり、ストレスを引き起こす原因となる。人は自分自身でストレスをつくってしまう。
 
執着しないで、 良い頃加減に生きることができれば最高であり「楽(らく)」に生きられるのだと思う。自分らしく生きる、身の丈に合わせた生き方をする、背伸びしない、この開き直りが大切である。「気は力なり」で、もっと「楽(らく)」に生きることだ。
 
一年先はおろか明日も見えないと嘆き悲しむよりも、一度しかない人生である。いつも笑顔で、もっと気楽に生きたいものである。そして、人は一人では生きていけない、お互いを思いやったり、励ましあったり、助け合ったりしないと生きられないということだ。

2022年3月21日 (月)

誠実な人とは・・・

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「誠実な人」とはどんな人のことを言うのでしょうか?
意味はだいたいわかったけれど、まだ「誠実な人」って具体的にどんな人なのかがわかりにくいです。「相手に嫌な思いをさせる嘘をつかない」誠実な人はまず嘘をつきません。それは相手に対しても自分自身に対してもです。

「嘘つかない人なんて?」
世の中には相手のことを思ってつく優しい嘘もあります。「誠実な人」がつく嘘は、そんな相手を嫌な思いにさせないための嘘です。自分の保身のための相手の事を考えない嘘や、相手を陥れるような悪意ある嘘を誠実な人はつきません。
 
誠実な人はまず嘘をつきません。それは相手に対しても自分自身に対してもです。しかし、世の中には相手のことを思ってつく優しい嘘もあります。「誠実な人」がつく嘘は、そんな相手を嫌な思いにさせないための嘘です。自分の保身のための相手の事を考えない嘘や、相手を陥れるような悪意ある嘘を誠実な人はつきません。
 
私利私欲で物事を考えない
「相手のため」と口では言いながら、自分の利益のために行動してしまう人もまた、誠実な人とは言えません。誠実な人は、自分目線からの思いやりや気遣いではなく、相手目線に立って、相手の気持ちを考えて行動出来る想像力の豊かな人でもあります。親切心の押し売りや、良い人に見られようという偽善的な行為も一切しません。

2022年3月20日 (日)

賢く生きなくてもいい

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「賢く生きなくてもいい・・・」
「賢く」というのは、「無駄なく・・・」「効率よく・・・」ニュアンスが含まれています。それ自体は大切なことなのですが、賢く生きないと「いけない」というわけではありません。
 
人は賢くばかりは生きられず、ときには体裁が悪く、みっともなく、不様にしか生きられないこともあります。自分の過去をふと思い出して、内心で恥ずかしくなったりすることなんて、いくらでもあります。
 
恥ずかしい気持ちになったとしても、否定しなくてもいいのです。
人生は、賢く生きることがあってもいいし、無様に生きることがあってもいいのです。やらなくていい苦労をしたり、大失敗をしたりして乗り越えてきた人もいれば、そうした荒波を極力避けて賢くスマートに歩んできた人もいます。
 
だからといって、前者の人生の満足度が低いかというと、そんなこともありません。結局、大切なのは、賢く生きるか不様に生きるかという話ではなく、人生の満足度を高めることです。
 
そう考えると、いろんな苦労を背負う不様な時期があったとしても、そこから学んで、その先の人生に活きることもたくさんあるわけです。いろんな失敗を経験しながら、頑張ってきたことに対しての、満足感というのもあるでしょう。
 
一方で、いろんな本の教えに学んで、いろんな苦難を事前回避して賢く生きることの満足感もあるでしょう。つまり、どう生きてもいいんです。

失敗の多い生き方をしても、自分に劣等感を抱く必要はないのです。辛い目や困難な目にあって、苦しんだり悩んだりすることがあっても、それによって自分の人生の味わいが増すこともあります。
 
人生は泥臭い面もありますから、あとになって思い出して恥ずかしい気持ちになったりしても、後悔する必要はありません。自分が思い描く理想通りにいかなくて当たり前、それでいいのです。
 
また、自分を他人と比較して、自分のほうが下だとか思って落ち込まなくてもいいのです。他人と比較するのではなく、他人のケースをひとつのアイデアとして、自分に活かす方向で考えるようにすることです。

2022年3月19日 (土)

人に感動を与えること

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本当に心が揺さぶられる位の感動を与えてくれる人と言うのは、苦しいことも、嬉しいことも、その人自身が経験して味ったからこそ、伝えられるものであるのだと思います。

人を感動させることができる人は、必ず本人が感動しやすい繊細な感受性を持っています。自分が感動できなければ、人を感動させることはできません。
 
熱い信念を持っている
熱い信念は周りの人も心を動かす力を持っています。一生懸命な人…。ひたすら努力を続ける人…。熱い人…。何かを成し遂げたいと思ったら態度は冷静でも心を打たれるものがあります。

人を感動させるということは意図的もしくは意図的ではないにしろ、誰かに何かを伝えるということです。

感動というのは、自分の心の中で、今も心に残っていることが多いものです。感動によってきずなや運命が変化する瞬間もあると思います。

2022年3月18日 (金)

幸せとは・・・

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幸せとは「自分が幸せと思う事である」
幸せとは、「主観的なもの」です。つまり、自分が「幸せだ」と思うのであれば、その人は幸せなのです。

たとえ、借金があろうが、病気であろうが、家族がいないだろうが・・・です。逆に、お金持ちで、健康体で、素敵な家族がいて、誰もが羨むような環境を得ているのだとしても、本人が幸せを感じていなければ、その人は幸せではありません。
 
幸せを感じられるようになるためには、ある程度、自分が「納得できていること」が大事なのです。どんな環境だと納得できるのかは、人それぞれではありますが、納得できる条件が高すぎる人は、幸せを感じにくいところはあるでしょう。
 
なかには、「自分が幸せであること」を必要以上にアピールする人がいます。そんなことをしたら、嫉妬心から意地悪をされてしまうリスクがあるにも関わらず、そういう人は、そうしないといられないところがあります。

自分で幸せを実感していないから、人から「幸せな人だ」と認めてもらうことで、ようやく「私は幸せ者なのかもしれない」と思えるところがあるからです。それでは、どんなに自慢できる豊かな環境にいるのだとしても、幸せ者とは言えないでしょう。

選択肢に柔軟性を持てる人の強み
自己肯定感が高い人には「柔軟性」が備わっています。この柔軟性を私はよく、「心に"あそび"がある」と表現しています。では、「幸せを感じられる人」になるためには、どうしたらいいのでしょうか? 人によっては、恵まれた環境にいても、幸せを味わい損ねてしまっていることもあります。

選択肢に柔軟性を持つこと・・・修練すること
自己肯定感が高い人には「柔軟性」が備わっています。この柔軟性を持つことで・・・心に「あそび」のある状態にする・・・ことで、もし失敗したとしても、「こんなこともあるよね」と笑顔で受け入れられるようになることが大切です。

2022年3月17日 (木)

環境に順化する人間

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「順化」とは、ある環境変化を受けたとき、生理的な調整によって、その環境に自身の機能をうまくあわせることをいう・・・日本大百科全書

町がゴミで汚れていても、最初は気になるのですが、いつの間にか、その汚れた環境でも気にならなくなる人がいる?・・・小さなタバコの吸いが一本ぐらい・・・と、何の悪げもなしに、ごく当たり前の如く捨てていく、それが普通になり、小さいから"いいか"が・・・パンなどの空き袋・さてはペットボトル・空き缶になっています。

自分が住んでいる町で、"大の大人"が・・・です。自分の家の中には、まさか捨てはしまい?「無意識に 捨てられるゴミに 悪気なし」最近はその光景を見ても、怖くて注意することも出来ない世の中です。

それを・・・「誰か気がつき 教える意味 で拾う」それを毎日やって・・・何年もやって・・・みんな気持ちがいい? そう信じて、これからも一日一膳の行だ・・・でも、とっても勇気のいることです。

深刻な問題と言われている環境問題ですが、「年々世界中で深刻化が進んでいる」と、言われても「正直環境問題が何なのかよく分からないし、自分の日常生活にはあんまり関係ないなぁ…」と思っている方も多いのではないでしょうか。

まずは日常生活の中の何気ない自分の行動に気を留めてみて下さい。「面倒くさがってゴミを町中に捨てていないか・・・?」細かな部分を気にかけるだけでも、大いに環境問題の解決に貢献できるはずです。

2022年3月16日 (水)

住み続けたい町に・・・

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私はきれいで、清潔感のある町に住み続けていたいです。また、思いやりのある町にしたいです。それには、一人ひとりが環境に対する心がけが大事であると思います。町の公園・道路にタバコの吸殻、ゴミを捨てたり、周りの人のことを考えずに歩いている人がいます。

他人のことや自然環境のことなど無関心
小さな子供たちの未来のことを、考えない人がいるということです。私は先輩たちが残してきた自然環境を守り、後世に繋げることが、とても大事なことだと考えています。そのために、私は、進んでまちのゴミを拾いをしています。

そうすれば、「思いやり」ということにもつながり、周りの人の心まできれいになると思います。心も町もきれいになると思います。町の清掃は、町に住む人たちで、まず自分が住んでいる場所(持家・マンション・アパート)の周りの清掃することです。
 
「町をきれいにしよう」一人ひとりの心がけで・・・
人に優しい町になると思います。そして、犯罪の少ない町になり、安心して暮らせる町になり、いつまでもこの町で暮らしていきたい・・・この町にと…思えるようになると思います。

2022年3月15日 (火)

地域は地域の人で守る

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人はひとりでは生きられません。友達や周りの人とつながり、認め合うことで安心を得て生きています。子どもや高齢者の方、障害者の方はもちろん、私たちは誰でも、周りの人たちのちょっとした気遣いや見守りのなかで、支え・支えられながら暮らしています。

この当たり前のことを、私たちは長い間忘れて暮らしてきたのかもしれません。「町の安全は警察や消防が守ってくれる・・・」そんなサービスを前提に、わずらわしいことは「公共(役所)」にまかせて、「私は一人でも生きていける」と思ってきました。

しかし、人と人とのつながりがどんどん希薄になるなか、周りの人とうまく関係をつくることができずに孤立化する人たちや、お互いが無関心ななかで発生する都市型犯罪の問題など、「ひとりで生きる」ことのはらむ問題点が明らかになってきました。

地域コミュニティがしっかりしていた地域のほうが、「ひとりで生きる」人の多かった都市部よりも災害被害が少なく、その後の立ち上がりも早かったことはよく知られています。震災のような非常時だけの問題ではありません。

いま私たちの身の回りでおこっている、子どもを狙う犯罪や事故、高齢者の孤独死などのなかには、ちょっとした地域の見守りや支えあいがあれば、(もちろん完璧ではないまでも)防げるものが多くあります。

自分たちの地域に関わることは、行政だけに任せるのではなく、行政と地域の住民が一緒に考え相談し一緒に取り組むことができれば、ずいぶんと効率もいいし、なによりも、それぞれの地域の実情にあったきめ細やかな対応が可能になるはずです。

さらに、行政サービスだけでは不十分な部分を地域コミュニティの力で補い協力しあうことで、行政だけ、あるいは地域だけで取り組むよりも、より暮らしやすい地域をつくりあげていくことも可能と思います。

2022年3月14日 (月)

平和とは何か

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「平和とは何か・・・」
平和とは、秩序がきちんと存在している状態す。平和の反対は、混沌、混乱になります。

いま、ウクライナとロシアでは世界を揺るがす、戦争となっていますが・・・決して平和の反対は戦争ではないのです。戦争は外交の問題を会議等で解決できないため、宣戦布告をして実力行使するわけですから、戦争の反対は外交会議、外交協議、外交交渉になります。

「平和ならざること」

聞けばそのままのようですが、その意味は、戦争のない状態が必ずしも平和とは限りません。それは、戦争がなくても、人として持つべき最低の権利をもっているか…不公平がないか…社会的暴力がないか…これらをすべて考えた上で平和な状態かどうか判断できます。

その中の社会的暴力についてですが、これは社会的に不公平があり、その人の潜在的人格を発揮できないまま生涯を終えてしまうことがあれば、そこには暴力があったといえるでしょう。

その暴力とは、個人的な暴力とはもちろん違い、主語がわからない、見えないものです。その社会からなる構造的暴力に侵されず、調和がとれて、そして、戦争がない状態であって初めて平和といえるということです。

2022年3月13日 (日)

春近し


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幼子の 髪乱れるや 春の風

千両の 実こぼれたるや 青たたみ

湯殿川 土手に芽を出す よもぎかな

やぶこうじ 実は小鳥に 採られけり

春近し 水の流れも ささやけり

鴨たちの 待ちきれぬ思いの 泳ぎかな

「今」を大切にする

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私たちは、過去には戻れず未来は、思い通りにはいかないと分かっていても、過去を悔やんだり未来に大きな期待を寄せることがあります。

「今を大切にする」
今やらなければいけないこと、今行かなければいけない場所などに日々追われており、現実的には「今」を生きる以外ありません。では、過去や未来を見つめるのとは違う「今を大切にする」とは・・・。

「他人と比べない」
他人と比べて優劣をつけることは、心を貧しくします。もっと何かを手に入れなければと、焦燥感に駆られるのですが、そうではなく、これまでの経験、学び、気付きを集め・・・それは、誰のものでもなく、自分自身のことです。

世間は華々しい活躍をした人ばかりに注目しがちなものです。でも、他人からの評価と、本人が自分の人生に満足しているかは、まったく関係がありません。

自分自身の人生に、“価値がある”と自分で思えること
それこそが、人生を輝かせるうえで大事なことなのです。自分自身の価値を見失ってしまったとき…生きがいをもてないと感じたとき…過去の輝いた瞬間をていねいに思い出してみることです。

仕事や、趣味などで、喜びを感じたとき…自然の美しさに気づいたとき…本や映画に感動したとき…など・・・たくさんあるはずです。そのときの幸せな気持ちを思い出して、ゆっくりと味わってみることです。過去素晴らしさが、今の自分を救ってくれて・・・心の支えとなります。

2022年3月12日 (土)

いまなぜ「地域共生社会」なのか?

御殿峠より市内を望む
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「いまなぜ「地域共生社会」なのか?」
日本にはかつて、地域の相互扶助や家族同士の助け合いなど、生活の様々な場面において、ある程度の「支え合いの機能」が存在していました。
 
社会保障制度は、社会の変化に応じて、地域や家庭が果たしてきた役割の一部を代替してきました。高齢者、障害者、子どもなどの対象者ごとに、また生活に必要な機能ごとに、公的支援制度の整備と公的支援の充実が図られてきています。
 
しかし、日本は超高齢化が進行、少子化・多死化により人口も減少しつつあります。そして同時に、地域・家庭・職場という生活領域における支え合いの基盤も弱まってきています。老々世帯、独居世帯のみならず、地域から孤立し、必要な社会的資源につながっていない人は少なくありません。
 
人と人とのつながりが失われることで、私たちの生活の質は低下し、そして生命のリスクは高まります。自立とは、誰にも頼らずに生活できることではなく、頼れる先をたくさん持っていることだ、と指摘する専門家もいます。
 
つながりを再構築することで、人生における様々な困難に直面した場合でも、誰もが役割を持ち、お互いが配慮し存在を認め合い、そして時に支え合うことで、孤立せずにその人らしい生活を送ることができるような社会としていくことが求められています。

重要なのは「誰かにやってもらう」のではなく、「自分たちもやれる」して、この取り組みを通じて、すべての人の「幸せ」が実現することです。そのためには、この取り組みの中で誰もが役割と目的を持ち、支える・支えられるという関係性が固定しないことが重要なのだと思います。

2022年3月11日 (金)

持続可能な社会(開発)とは

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「持続可能な社会(開発)」とは英語で「サステナブル(Sustainable)」です。
ここ最近、耳にする機会が増えた「持続可能な社会(開発)とは・・・「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発(が行われた社会)」のことす。

 
これは、ブルントラント・ノルウェー首相(当時)が1987年に公表した報告書が取り上げた概念で、地球環境保全と開発を共存し得るものと捉え、地球環境を考慮した節度ある開発が重要であるという考えです。
 
今、私たちが暮らす地球では、気候変動や貧困、紛争や感染症など、さまざまな課題に直面しています。このままでは、人類が安心して地球で暮らし続けるのが難しくなるかもしれません。そんな危機感から、持続可能な社会(開発)に向けた目標が掲げられました。
 
将来の私たちや私たちの子孫まで、変わらず豊かで美しい地球で暮らし続けられるように、持続可能な社会(開発)を目指す必要があるのです。しかし、持続可能な社会(開発)を実現するには、地球が抱えるさまざまな問題と向き合わなければいけません。
 
地球が抱える問題って?
経済の発展や技術革新など、私たちの生活は豊かで便利なものになりました。しかし、この便利で快適な生活の裏で、地球環境が悪化しているのです。私たちが暮らす地球では、温室効果ガスの濃度が急激に増加しており、地球の平均気温上昇(地球温暖化)が大きな問題になっています。

持続可能な社会を目指すには、私たち一人ひとりの行動も非常に重要です。地球上のみんなが地球環境に優しい行動を心がけることで、未来も変わらず豊かで美しい地球を維持できます。

地球温暖化により世界の平均気温が今後1度上昇した場合、国内の猛暑日発生回数は1.8倍増える。このような予測を気象庁気象研究所と東京大学大気海洋研究所、国立環境研究所の共同研究グループがスーパーコンピューターを使ったシミュレーションから導き出しています。

そして、国立環境研究所の共同研究グループがスーパーコンピューターを使ったシミュレーションから導き出したのです。日本列島は記録的な猛暑に見舞われ、最高気温が35度以上の猛暑日が続いて熱中症による死者は過去最多の1000人を超える・・・?

シミュレーション結果は温暖化の進行が人類の存在に関わる極めて深刻な問題であることを具体的なデータで示したと言えそうです

2022年3月10日 (木)

善く生きる

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「ソクラテスの善く生きるとは・・・」
「ただ生きる」というのは、欲望のまま生きたり、富や名誉を求めたりするだけの生き方ですが、ソクラテスの言う、「善く生きる」とは、精神をなるべく純良で優れた状態にしていくことです。

単純に言うと、正直であるとか、良からぬ思いを抱いたりせず、まっすぐに生きることです。そのことを、ソクラテスは、「魂の世話をする」とも呼んでいます。

では何のためにそうする必要があったのでしょうか・・・ ソクラテスは、人間は死後、霊魂が肉体の束縛を離れて、本来の自由な活動を行うようになると考えていたのです。

魂がより良い働きができるためには、なるべく善い状態にあることが望ましいのは当然です。そのためには、人間は生きている間、魂をより優れた状態に持っていくために努力する必要があるということです。
 
言ってみれば、人が生きている間というのは、死後の準備というか、肉体が滅んだ後のための練習をしているようなものです。そこに心を配る生き方が、ソクラテスの言う「善く生きること」になります。

ソクラテス「無知の知」・・・
人間も自分のことをよく知らなければ、良く生きることができません。人間(自分)は知っているつもりになっているだけで、ほんとはまだまだ知らないことが沢山あります。それを自覚して新たに学ぶほうが、知ったかぶりを、してる人よりも賢いということです。

2022年3月 9日 (水)

その日その日が最も善い日

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「その日その日が一年中の最善の日である。」
これは、アメリカの思想家・詩人であるラルフ・ワルド・エマーソンの言葉です。人はふと過去を振り返り「あのときはよかったなぁ」「あの日は最高だったね」という会話をしたり、考えたりすることがたびたびあると思います。

「その日その日が一年の中で最も善い日である。もしも悪いことが起きる日であろうともその一日は後々自分の糧(かて)になるだろう。」・・・「今日という日が一番善い日、時間の価値を知ること」「今日できることを明日へのばすな、何かを始めるにしても何かをやるにしても時間を無駄にしてはいけない」ということです。

毎日代わり映えしない日常を送っているような気になるときもあります。
同じ日など二度はなく、同じように見えて螺旋階段のように実は一段登ってるかもしれない・・・一日一日のその日が一年中で最も善い日であるのです。

しかし、過去というのは過ぎ去った記憶に過ぎず、未来というのは誰も知らない単なる予測に過ぎません。そして、“今日”という日は二度と来ない、大事な一日です。つまり、二度と来ない大事な一日だから、一年中で最善の日である、という意味がこめられているのです。

日日是好日(ひびこれこうじつ)
「日日是好日」は、表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味です。そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ…あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ…と述べているなどとする解釈がなされている。(ウキぺディア)

2022年3月 8日 (火)

高齢化での悩み

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年齢を重ねるごとに、身体能力や認知能力の衰えが進みます。
高齢者になると、若いころは自然にできていたことに対し、不自由さを感じる頻度が多くなるものです。
 
◎ 高齢者が困ること・困っていること。
■ 日常生活
■ 食事や健康面
■ 居住環境

◎ フィジカル的現象での悩み
〇 文字の読み書きが面倒になる。
〇  睡眠が浅くなる。
〇 食事の用意が難しい。
〇 体力が衰え疲れやすくなる。
〇 物忘れが多くなる。

◎ 環境(個人・社会)で悩み
〇 家が老朽化してきた。
〇 室内に段差がある。
〇 近所・町会・面倒になる。

肉体的・精神的に、心身を維持するには、毎日散歩する。今コロナ禍ではあるのですが、人に会って、挨拶・会話する。そして日記を書くことです。老化を遅らせる効果があると思います。

2022年3月 7日 (月)

「普通」「常識」「当たり前」の使い方

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「普通」「常識」「当たり前」の違い分(基準)
 
「普通」
「普通」とは、自分の中で基準を定めているものに使い、他と比べて突出していないことを意味します。特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。
 
「常識」
一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。
社会的に基準が定められているものに使います。「一般の人間が知っている事柄や人間として備えているべき事柄」を意味します。そのため、基準は自分ではなく、周囲の環境や社会的に定められている時に使います。
 
「当たり前」
義務である物事に使います。
1 そうあるべきこと。そうすべきこと。また、そのさま。
2 普通のこと。ありふれていること。並み。ありきたり。
・・・これが、一番使い方が難しいのではないでしょうか?普通と被る部分もありますが、使う人の立場や価値観によって差が出てしまう言葉です。そうであるべきという義務やありふれていることを意味します。

自分で基準を定める場合は「普通」を・・・社会的な基準がある場合は「常識」を・・・義務である場合は「当たり前」を・・・使うと良いでしょう。

2022年3月 6日 (日)

真実と事実の見極め

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『「事実」なのか、「真実」なのかを見極め・・・』
真実も事実も、うそ偽りのないことを指します。事実とは実際に起こったうそ偽りのない事柄のことで、真実は事実に対する偽りのない解釈のことです。しかし、事実は誰が見ても変わらないけれど、真実は人によって変わるということです。

『真実』にはストーリ性があるが、所詮は人の意見
『真実』には主観が入るので、そこにはストーリーが生まれます。言葉にインパクトがあるわけです。しかし、注意しないといけないのは、『真実』には人の意見が混ざっています。

巧みな印象操作をしようとしている可能性があるのです。良い報告は誇張されがちで、悪い報告は「事実」が巧みに隠れているものです。「真実」なのか「事実」なのかをしっかりと見極める目を養っておかないと、相手の都合が加味されています。
 
自分なりの『真実』を持つ
大事なことは、「きちんと事実を捉えて、自分なりに解釈をし、自分なりの真実を作る事が重要」だと言うことです。他人の『真実』は他人なりの解釈であって自分の意見ではありません。自分の考えを持つことなく、他人の意見を鵜呑みにすることは、人間としての評価が下がるということです。

2022年3月 5日 (土)

ゴミがゴミを呼ぶ

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「ごみがごみを呼ぶ」
ひとたびごみを捨てれば、そのごみがまた新たなごみを呼ぶ・・・「ここにゴミを捨ててもいいんだな」と、その場所が不法投棄が増えてしまいます。一度不法投棄されると、ごみを処理しても、またすぐに不法投棄されてしまいます。
 
不法投棄がもたらす悪影響
不法投棄は、町の美観を損ねるだけでなく、その廃棄物から出る有害物質が地中に浸透し土壌や地下水等を汚染し、環境破壊を招きます。何といっても、きれいな町にしたいものです。小さいゴミだから・・・タバコの吸殻だから・・・駄目です。

「止めよう・不法投棄!」
そうした状況の中、最近、マナーやモラルの欠如から大きな社会問題となっています。歩きたばこや吸殻のポイ捨てのが街の美観が損なわれているのも現実です。自然は、人間の無秩序な行為によってどんどん損なわれています。

「私たちの住む町は、私たちで守る!」・・・豊かな自然がある我が町を…後世引き継ぐことが大切です。損なわれた自然環境を元に戻すのは大変です。

2022年3月 4日 (金)

人生八変化

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『人生八変化』
自分が変われば、相手が変わる
相手が変われば、心が変わる
心が変われば、言葉が変わる
言葉が変われば、態度が変わる
態度が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、運が変わる
運が変われば、人生が変わる
自分の心を常に見つめ、人には思いやりの心で接し、そして「形を整える」
 
考え方一つで、いい方向に行くこともできれば、悪い方へも流れてく・・・「ポジティブに行こう!」って、ことでしょう。
 
ポジティブに考えていると、ポジティブな人たちが集まってきて、ポジティブな話が出来て、病気も寄せつけない丈夫でポジティブなカラダになっていくでしょう!

人生の最終章を考える

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老後の不安は「金・健康・孤独」→「3K」
と言われていますが、私の最後の生活は「老後はひとり暮らしが幸せ」と思っています。ある調査でも、老後は独り暮らしの方が、複数の家族と暮らすよりも生活の満足度が高い」と結論されています。
 
つまり、新しい生活環境や異なる世代との共同生活では食事や生活パターンが違い、かえってストレスに感じるのです。このため子どもや他の人と同居するより、独り暮らしの方が生活の質が高く保たれます。
 
理由は・・・
①住み慣れた生活環境がある。
②ひとりで気ままな暮らしができる。
③できるだけ一人でなんでもする。
④毎日規則正しく行える。

などが挙げられます。これに加え、自由に使えるお金があること、健康であることが、生活が豊かになる大きな要因と思います。最後は介護施設でお世話になる?…私の「死生観」…そして、自然の法則で死を迎えることが、私の一番の一生の終え方と思います。

2022年3月 3日 (木)

生命の不思議さ

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地球に最初の生命が誕生してから36億年、過去地球上では、少なくとも4回の大きな氷河期があったといわれていますが、その氷河期、火山の噴火、何度となく大きな地震・台風などの自然災害など、想像を絶する試練を経て現在があるのです。
 
様々な環境変化を乗り越えて進化をとげ、 命が連続して一度も途切れることがなかったから、今地球に多様な生命があるのです。人間もその一つに過ぎません。
 
どの生き物にも共通する遺伝子があるから、 この命の連続こそがご先祖の、遺伝子情報がこれを証明しています。人の遺伝子数は蠅の2倍といわれています。全人類の遺伝子情報は、99.9パーセント共通しているというから驚きです。
 
地球生命は三千万種ともいわれていますが、すべての種・命は互いに関係しています。生きるために他の命を食べ、他の命の犠牲の上に成り立っている命、食物連鎖は全生命に共通しますが、絶滅の危機にまで他の種を追いやってしまうのは人間だけです。
 
自分の身体であって意のままにならない、これが命であり、私たちの身体は、毎日3000億個の細胞が死に、細胞分裂によってほぼ同じ数の新しい細胞に置き換わる、この分裂の回数には限りがあります。
 
さらに神経細胞や心筋細胞はほとんど分裂せず、耐用年数に限りがあります。これらが寿命と関係すると考えられています。人の細胞は毎日死んで細胞は生まれるために死んでいく、すなはち命とは生まれるために死ぬということが、運命ずけられているのです。

2022年3月 2日 (水)

行動は損得でなく善悪の判断で・・・

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行動は「損得ではなく、善悪の判断で・・・」
判断基準が「損得」ではいけないということです。自分にとって得だからやっておこうとか…こんなことしても損するだけだからやめておこう…という考え方には常に「私心」が付きまといます。

「私心が勝るところに、公共性は生まれない」
私心や私欲、損得勘定を持っていては、人の心を理解することはできません。「善悪の判断」を支えるものは何なのか、一体何に照らし合わせて善悪の判断を下せばよいのでしょうか…
 
もめ事や警察沙汰を裁く裁判には、法律があります。法律に照らし合わせて、これは正しい、これは間違い、と判断していく訳です。
 
善悪は何を基準にするか
それは、理念や方針ということを超えて、その人、まさにその人間が、何を考えて、何を正しいと感じ、何を理想として目指しているのか、という、「人生・生き方の理念」そのものであるということです。
 
世の中の常識や倫理観というものは、明文化されて何かに記してあるわけではありません。 それぞれの人が生きていく中で、「どうすればお互いがいやな思いをせず、平和に、穏やかに過ごしていけるのか」ということに取り組んだ結果、暗黙の了解として生まれてきたものが、常識や倫理観です。
 
そこには、「人としてどう生きるべきか」「より良い人生とは何なのか」という、それぞれの人が意識的・無意識的に持つ、哲学的・観念的な「人生観」が大きな影響を及ぼしていると考えられます。つまり、「どう生きるのか、どう生きたいと考えているのか」ということに尽きるのです。

2022年3月 1日 (火)

生まれ育った地区を懐かしむ


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             左が兵衛川 右が湯殿川
私は、湯殿川と兵衛川の交じる(落合う)場所付近の農家に昭和10年代前半に生を受けました。

東京都南多摩由井村片倉でした。京王高尾線は、多摩御陵までの単線で、京王片倉駅はありました。JR横浜線(国鉄)片倉駅は片倉信号所で、単線であったための交換するだけでした。

湯殿川・兵衛川と暮らしが、密接なつながりがありました。水田への水の取り込み・野菜などの洗い・洗濯などです。また、川には、多くの種類の魚・昆虫など、今では幻となってしまった生物が沢山いました。

昭和40年代に湯殿川は護岸工事が行われ、私が子供のころと大きく変わってしまいました。現在は、河川管理通路として、住民が利用していますが、管理は、南多摩西部建設事務所で行っていますが、ゴミなどの不法投棄がなくなりません。管理通路を利用している、地域の住民のモラル・マナー問題です。

そして、川は改修が進み、環境が変り、そこに棲んでいた生物がいなくなってしまったこと、田んぼがまったくなくなり、寂しい思いがします。昔のいた魚や昆虫が棲める環境が、懐かしく想いだします。

自然とのふれ合いによって人に優しい人間作りが出来る・・・「環境を守る」ことは、人間とって、とっても重要なことだと思います。

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