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2022年2月

2022年2月28日 (月)

ゴミ拾いをして思う


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私は、よくゴミ拾いをしていますが、拾っても拾ってもゴミは無くなりません。タバコの吸殻・ペットボトル・空き缶などは直ぐに袋一杯になってしまう。
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ゴミ拾いは、最初は勇気がいるものです。他人に「馬鹿じゃないの?」と言われたことは、ショックでしたが、それでも、今でも続けています。

最近の日本人の考えが憂いべきことです。「一人一人の責任を果たすこと出来ていない」「権利ばかり要求し義務を果たさない」人が多いと思います。そのことは、家庭で・学校で・地域で・職場でこの問題を考えないと、将来取り返しのつかない大変なことになります。

ユダヤの格言に日頃の私達の「行い」を的確に皮肉った言葉であります。問題が起こると、他人のせいにしてしまい自分は責任逃れして真正面から問題を取組もうとしない。それでは、問題は解決しません。

 自分自身が難局に立ち向かわないで、政治が悪い・世の中のせいにしている間は、生活は改善されないし、将来が心配となってくるでしょう。

 「人は転ぶと 坂のせいにする
      坂がなければ 石のせいにする
         石がなければ 靴のせいにする
             人はなかなか 自分のせいにはしたがらない」

 人と交わる時、口にしてはいけないのは、「愚痴る」「言い訳をする」「人の悪口を言う」の三つ。この三つのどれかを言いそうになったら、ユダヤのこの格言を思い出すことです。

2022年2月27日 (日)

何が正しいのか

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「何が正しくて、何が間違っているか?」
何が正しくて何が間違っているか?  人の集まりによっも常識は違います。 法律とでなく、価値観でも、人間同士の常識も違います・・・。

性格が空気が読めないというか、何かの集まりによっても、常識が違いがあり、戸惑うことがあります。いつも緊張してしまいます。

人は、悪意があったり失敗をしたりしなくとも、しばしば「正しく」ない振る舞いをしてしまうことも…。それはどうしてでしょうか?これには理由が二つあると思います。

価値観は人それぞれ・・・
そもそも個人として、常に「正しさ」を追求していないのが問題です。しかし社会において、正しさの追求は必ずしも必要ではありません。最低限、法律に触れない程度の分別があれば生きてはいけるし、まるで哲学者のような人生を送ることが幸せへの近道とは思えません。
 
例えば、自然環境の問題で、多くの人が、より良くしようとしても、ゴミを捨てる人が後を絶たない・・・小さい物だから…面倒だから…「正しくない振る舞い」が自然なものとなっていることです。

私は、この世に正しい振る舞いをする人間が増えてほしいと思っています。人間社会はすべてを、正しさを追求する意識の高い人間に啓蒙しようとは思わないし、それは現実的ではありません。

地域の美化活動
私の美化活動(ゴミ拾い)によって、環境は少しでも変えられる・・・。私が関わることのできるのは、ほんの僅かことかもしれません。だがゼロではありません。

環境を守る行動で、人々が関心をもち、自然と正しい振る舞いをできる環境を作り出すことができれば、それは私にとって、とても価値があることだし、社会にとっても価値のあることだと思ています。

2022年2月26日 (土)

社会人にとって重要な心構え

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『社会人にとって重要な心構え』→「マナー」と「モラル」と「ルール」の違いは何でしょう?
 
「マナー」・・・行儀。作法。礼儀。→礼儀作法のこと。世界的に見れば、日本は礼儀正しい社会と言われており、日本人が最優先に考える文化とされています。
 
「モラル」・・・倫理観や道徳意識のこと。→世代や状況によって徐々に変化するマナーよりも普遍的な価値観を含んでいます。公序良俗に反しない行動全般をさします。
 
「ルール」・・・規則。規定。きまりです。→日本が法治国家だから、三権分立で国を維持しているのです。ルールの守り方にも色々な理由があります。また、個人間のルールは信頼・会社とのルールは契約などがあります。
 
むかし、家風・名家の家訓というのがあって、よく使われていたと思いますが、その意味は、その家に特有の気風・習慣。その家の流儀や作法などです。
 
皇室の行事などの“しきたり”は、現代人では理解しにくい面もあるのですが、一つ一つの作法にも深い意味があるのです。結婚式や葬式など、その所作など簡略されていますが、庶民まで引き継がれているものがあります。
 
日本人の「心」・・・私たち日本人は戦後、自分たちの心を見失ってしまいました。それが今日のさまざまな、個人から社会レベルに至るまでの問題を生んでいます。
 
私は、日本人のマナー・ルールを考えた時、伝統の日本人の心、「思いやり」・「優しさ」を取り戻し、「和を持って尊し」の精神を大切にしていきたいと思います.

2022年2月25日 (金)

飄々と生きる

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「飄々と生きる」
社会は速いスピードでせわしなく流れていきます。他人と比べられ、目に見える結果を求められる世の中です。・・・追いつくために頑張ってしがみついて・・・取り残されないように無理に周りに合わせて・・・常に急かされて余裕をなくして暮らしています。

ストレスを抱えて、いつもピリピリしながら過ごしている・・・慌てなくていい…無理に他人に合わせなくていい…。人それぞれのペースがあります。自分なりのは速さで、自分なりの歩幅で歩いていけばいいのです。

競わなくていい。力を抜いて飄々と生きればいい。自分自身が「これでいい」と思えることをマイペースに積み重ねていく。大切なのは誰かの基準ではなく、自分の中の基準で選択していくことです。
 
決めつけず固執しない
「こうするべき」「こうあるべき」そうやって、多くのものを背負い込んでがんじがらめになっています。いろんなものに囚われて、いろんなものに縛られて苦しい思いをしている・・・。自ら不自由な生き方を選んでいるのです。
 
世の中を複雑にしているのは自分自身
絶対に「こう」と決めつける必要はないのです。どちらか一方が正しくて、もう一方が間違っている…。すべてが白か黒かと分けられるものではないのです。答えはひとつじゃない、絶対的な正解なんてない。完璧を求めなくていい。難しく考えなくてもいいのです。わざわざ自分で複雑にしない。もっといい加減でもいい。こだわらず「まあいいか」と、飄々としていればいいのです。
 
柔軟で自由な心
自分自身を縛りつける檻。自ら生み出したしがらみに苦しめられなくてもいいのです。「自分の思うように生きていい。」「もっとわがままに生きていい。」自分さえよければと、身勝手に振る舞うことではありません。何かに依存するのではなく、誰かに迎合するのでもないのです。
 
過ぎたことをいつまでもクヨクヨしたり、未来を悲観する必要なんてありません。不安や心配、必要以上に怖がらなくていいのです。「大丈夫、なんとかなるさ・・・」どんな環境にいても、私たちは幸せに生きていくことができます。囚われず自由に、飄々と生きていくことです。

2022年2月24日 (木)

哲学とは・・・

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「哲学」とは、高尚な学問でもなく、自らの生き方の姿勢(スタイル)を考える学問です。

「知力を鍛える学問で、哲学とはもともと、知識を得る学問ではなく、知力を鍛える学問である。」… 歴史小説家の塩野七生(しおのななみ)氏
 
古代の哲学者であるアリストテレスが年少の弟子たちに教えたのも、基本的には、次の三つに集約されます。第一「先人たちが何を考え、どのように行動したかを学ぶ」ことで、歴史・・・つまり縦軸の情報になります。
 
第二「反対に横軸の情報で、言うならば日々もたらされる情報」を、学ぶべきことは、これらの情報に対しては偏見なく冷静に受け止める姿勢の確立につきるのです。
 
そして、「第一と第二に基づいて、自分の頭で考え、自分の意志で冷徹に判断したうえで、実行に持っていく能力の向上」になるのです。
 
この「縦軸の情報」と「横軸の情報」、そして「思考と実践」という考え方は、まさにビジネスにも通ずるアプローチで、この一事をもってしても、哲学が現実世界とは隔絶された世界のものではなく、私たちの生き方や、生活に深く根ざしていることを実感します

2022年2月23日 (水)

よく老いる

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「よく老いる」
人間は、お金のためだけに生活しているわけではありません。「よく老いる」という視点も大切です。高齢期には、病気の1つや2つあるのは普通です。

人生を前向きに捉え、生きがいの維持…孤立を避けて人と人とのつながりを大事にし…人生の先輩としての、知恵をもって社会貢献や地域での役割を果たし、次世代への支えとなることが大切です。

認知症との対応
今後さらに高齢化が進む日本では、予防の視点は大切です。しかし、予防を重視しすぎると「認知症になった人は予防を怠ったというのか」という批判も出てきます。
 
すでに日本には認知症の人が、たくさんいます。良く老いるということの中には、認知症になることも含まれるでしょう。認知症であることも含めて、その人の人生です。

認知症を否定するのではなく、認知症の人の生活を支援し、認知症の人が安心して暮らせることこそ、高齢者の安心して暮らしを続けられる社会が大切と思います。

共生と予防は、どちらも大切な視点で、それぞれに、解決すべき課題がたくさんあります。社会全体として「長寿社会に生きるには・・・」すべての人が、高齢化に向き合い「よく老いる」を考える必要があると思います。

2022年2月22日 (火)

時間は戻らない

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「時間は戻らない」
私たちは時に過去の行為に対して悔んだり嘆いたりします。過去は常に過ぎ去っていくものですが、過去の積み重ねによって現在の私たちは作られています。

過去は記憶として残る
しかし記憶は、経験した過去そのものとは異なります。“今”という時点に記憶として残っていることです。完璧に固定された記憶などありえず、過去はいくらでも自分の都合のいいように作り変えたり、脚色したりすることができます。

私たち人間は、あの時間はもう戻らないのだと懐かしんだり、もっとこうすればよかったと後悔してみたりして、実体のない過去にこだわり続けてしまいます。しかし、実体のない過去にこだわるよりは、この先いかに生きていくべきかをしっかり考えた方が建設だと思います。

未来は現在が決めるもので、現在は過去からの集積の結果です。
もしもこの先、私たちが深刻な罪を犯してしまったら、未来だけでなくこれまでコツコツと積み重ねてきた過去も否定されてしまいます。つまり「未来が過去を決める」と言えます。言い換えれば「これからがこれまでを決める」とも言えます。

私たちは過去のことはわかり、未来のことはわからないと感じていますが、未来というものも冷静に考えてみれば、ある程度はわかります。しかも私たちは、未来を変える自由を“今”持っていて、未来を変えれば、過去も変えることができます。

最も大事こと
少なくとも過去の価値観を変えることはできるのです。過去にこだわり続けることにはあまり意味がありません。大切なのは“今”を生きること、そして未来に目を向けることです。

2022年2月21日 (月)

お蔭さま・・・

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私たちが日常よく使っています『おかげさま』とは・・・
『他人から受けた助力や親切に対して感謝の意をこめていう語・・・多く「おかげさまで」の形で・・・「お蔭様で息子も卒業できました」をさらに敬っていう語。「すべて神様のお蔭様と感謝する」・・・』weblio辞書

『誰かの「おかげ」で生きている』
人は一人では生きているわけではありません。助け助けられ、相互に与えながら生きているのです。なんでも自分ひとりで出来る気になっていても、人は自分だけでは生まれてくることもできません。
 
今こうして私が生きているのも両親の「おかげ」です。
その両親も、はじめから親だったのではありません。自分を産んだ「おかげ」で父親になり、母親になれたのです。両親もまた、その両親から生まれ、人生の中で沢山の人たちに支えられながら生きてきたのです。
 
すべての物事は関連しあい、繋がっています。
ひとりだけで完結する人生はありません・・・人は誰かの「おかげ」で生きていられるのです。感謝の気持ちを忘れないことです。その思いを伝えることが大切なのです。

2022年2月20日 (日)

今日という一日

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アメリカの政治家 ベンジャミン・フランクリン の名言に…「今日という一日は明日という日の2日分の値打ちを持っている」…があります。
 
言葉の意味とは?
今日という一日は、明日という日の2日分の値打ちを持っているから得られる、と言うことです。今日できることを明日に引き延ばすのではなく、今日という1日を大事に活用するべき・・・ということです。
 
明日になってしまってから、ああ昨日やっておけばよかった!と後悔するよりも、、、1日伸ばしにせず、今日という日にできることはやっておきましょう。。。今日できること、今日やるべきことを明日に引き伸ばしてしまえば、明日という1日が始まった瞬間にもう昨日という1日のやり残しを片付けることからしなくてはいけません。
 
今日できることを今日しておけば明日はまた明日のための準備もできます。
今日という1日が2日分(二倍の)価値があるということを頭の片隅において時間の使い方を工夫しよう。。。ということです。なんでもかんでも明日、明日へと引き延ばすことは、なんの価値も生み出みだいません。まさに「時は金なり」です。

2022年2月19日 (土)

品格ある人間

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「知識と教養と品格の違い」
知識を身につけることにより教養が高まり、教養が高まれば、品格が高まってくると言われますが・・・。
教養について「大辞泉」
1.学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。
2.社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。
こう考えれば、「教養=知識」となるでしょうが、単に知っているということでは、教養とはならないように思います。
 
知識を通じて、創造力や心の豊かさ、理解力を高めてこそ、教養を身に付けたことになるのであり、知ったかぶりをして、知識のあることを自慢ことは、教養の高さを示すことには、ならないでしょう。
 
品格は、志の高さでもあり、怒鳴ったり、けなしたり、見下したり、恨んだり、妬んだりすることは、品格のない人のやることではないでしょうか?

志高く、成長してこそ、品格も向上していく
知識と教養と品格の違いについて、いろいろな考え方も、人それぞれであるかと思いますが・・・勉強により知識だけを身に付けるのではなく、更に教養を身に付け、品格を、自分で向上させたいのかどうか、自分なりに考えてみることです。

今までいいと思っていたことが、いけないことだったと、気がつき、もっと精進しなければと思うようになると思います。

2022年2月18日 (金)

知性豊かな高齢者に・・・

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「高齢者となっても知性を豊かにする努力を!」
知性とは人が何かを知り、考え、理解をし、判断する、人間の知的能力のことです。知性は意思や感情などの理性や感性とは区別され、より概念的に物事を理解することです。

「知性」を育てる意識(勉強)をすること
知性が育つと、物事を意思や感情に振り回されず、より客観的に冷静に思考し、判断することができるようになります。そのことによって、人生の困難や迷いにぶつかった時にも、自分にとってより良い、より正しい選択をすることができるようになるでしょう。

謙虚で懐が深く、知恵もあり優しいのが老人
いざという時に焦らない!「大人のマナー」社会で暮らしていく中で、大人として身につけておくべきと言われている「マナー」知っていれば役立つことは分かっていても、必要に迫られなければ重い腰は上がらないものです。

とはいえ先延ばしにしていると、いざという時困ったり、大切な人に不快感を与えてしまったりするかもしれません。謙虚で懐が深く、知恵もあり優しいのが老人が理想です

2022年2月17日 (木)

人生の目的とは・・・

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「人生の目的は・・・幸せであることです」
誰かと比べて幸せだとか、他人から見て幸せそうだとか、そんなことは関係ありません。自分が幸せだと感じられることが大切なのです。そして人と比べることは、自分を幸せにはしないのです。
 
終わらせることの大切さ
生きる意味に迷い「新しい自分に変わりたい」「心機一転、新しいことを始めたい」そんな思いとは裏腹に、ぐずぐずと変われないでいる現実・・・。どれもきっちりと終わらせることが大切です。始めることばかりに意識をとられがちですが、ケリをつけることも同じくらいに重要なのです。
 
報われないこともあると知る
努力はいずれ報われる。そう信じていると、不得意なことに時間や労力を費やすことになり、無駄な努力となってしまいます。世界は公正にはできておらず、いつも正しい因果関係が成り立つわけではないのです。それを知っておくことで、被害者意識や逆恨み、偏見にとらわれることもなくなります。
 
思い込みではなく正しい認識をすること
自分の考えは正しい。誰もがそう信じたくなるものです。しかし、たいていは思い込みや先入観が含まれており、ゆがんだものの見方をしていることに気付けません。自分が受けた教育や経験など、ごく狭い範囲の材料をもとに決めつけていないか。うわさやデマに惑わされていないか。ものごとを正しく認識できているか、自らチェックするのです。
 
辛さを正しく理解する
生きることが辛いのは、なぜなのでしょうか・・・特定の出来事や人物、あるいは自分自身に、その原因を求めないことです。辛く感じるロジックを正しく理解すれば、「そういうものだ」と受け入れられるようになります。
 
耳が痛くなるような意見ほど、自分の盲点だったりするものです。一時的に嫌な気持ちになるかもしれませんが、自らの意見や主張を省みるチャンスでもあります。多様な意見を取り入れ、多面的な考察を経てこそ、クオリティの高い意思決定ができるのです。

2022年2月16日 (水)

「愛」とは何か・・・

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「愛とは・・・」
愛という言葉を語るとき、そこにはさまざまな意味が含まれます。家族や友人を大切に思う気持ち、子どもを愛しく思う気持ち、すべて愛と呼ぶことができます。相手や対象をいつくしみ大切にしたいという思いがあれば、それはすべて愛なのです。
 
また、愛という言葉がさまざまなものを包括しているように、愛のあり方もさまざまです。「どちらかが一方的に与え続ける愛」もあれば、「自分が与えて相手もくれる」「相手がくれて自分も与える」という愛の形もあります。愛というと「お互いに与え合うもの」のみを理想としがちですが、その形は必ずしも一つではありません。

相手を支えたい
「相手を支えたい」と思う気持ちは、顕著な愛の現れ方の一つです。相手がケガや病気で苦しんだり思いがけないトラブルに見舞われたりしたとき、「側にいたい」と思えますか?何があっても相手を支えるという強い意志があるのなら、そこには愛があります。
 
自分も苦境に陥るかもしれないと分かっていても「支えたい」と感じたり、「相手が悲しんだり苦しんだりする姿を見たくない」「何を置いても相手を助けたい」と思う気持ちは、愛がなければ湧いてきません。どんな状況でも相手の幸せを考え、優先するのが愛だとすれば、つまり愛とは、「自己犠牲」であると言い換えられるかもしれません。
 
見返りを求めない
「メリットがあるから愛そう」「愛してあげれば良いことがある」などと考えるならば、それは愛とは呼べないのではないでしょうか。愛する対象を前にしたとき、愛しい気持ちや大切に思う気持ちは自然と湧き上がってくるものです。「喜ぶ顔や楽しそうな顔が見たい」と思うのは当然で、そのために自分は何ができるだろうかと考えます。
 
基本的に、愛は「与えて満足するもの」といえそうです。相手を大切にできればそれでよく、理由やそれによる見返りは必要ありません。例えば親が子どもに愛情を注ぐのに理由があるでしょうか。笑顔が見られればそれだけでうれしいと感じますし、親は「子どもを愛せること、何かしてやれること」そのものに幸せを感じるものです。

2022年2月15日 (火)

自然環境に感謝と保護

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地球が誕生してから約46億年・・・40億年前に海ができ、気の遠くなるような時間をかけ、この星に生命が育まれてきました。陸地に生物が上陸したのがおよそ4億年前、恐竜の時代は2億年前です。

それにひきかえ、私たち人類の直接の祖先といわれる新人が現れたのは、たった20万年前にすぎません。この地球には、人類が生まれるずっと以前から、様々な生命体が生きてきました。

その歴史があったからこそ、人類は生まれてくることができたのかもしれません。太陽の恵みを受けた穀物を食べ、海で育まれた魚を食べる…。昔に生きた生物の化石を石炭や石油エネルギーとして使う…。

人類は太陽と地球に育てられてきたのです。そう思うと、太陽と地球に、そしてあらゆる生命に畏敬の念を覚えずにはいられません。と同時に、深く反省をすることです。

私たちは、あたかも地球が人類だけのものであるかのように、高慢に考えてはいなかったか? 地球がずっと変わらずに人類を守ってくれるものだと、甘く考えていなかったか、と・・・。

20世紀、人口は爆発的に増加し、文明や技術は大きく進歩しました。しかし、私たちが生きるためには、地球と太陽から食物やエネルギーをもらわなくてはならないという、根本的なことは変わっていないのです。

地球環境問題
人間が地球を汚す速度が、太陽と地球の自然浄化力の限界を上回るようになったために、起っている問題です。ですから、地球環境問題の解決には、私たちの日々の生活そのものが、環境に負荷を与えているのだというもっとも基本的な事実を十分に自覚し、真剣に受け止めることが何よりも大切です。

一人ひとりが、自然の恵みに生かされていることに感謝し謙虚にふるまう、そんな当たり前の生き方を思い出さなくてはなりません。環境保全活動でも同じことがいえるでしょう。人間の活動そのものが環境に負荷を与えているという反省なしには、どんな活動にも魂はこもりません。

2022年2月14日 (月)

春とは・・・名ばかり

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『早春賦』は(大正2年、吉丸一昌作詞、中田 章作曲)お年寄りの方ならご存じと思いますが、昭和の頃の音楽の教科書までは載っていた名曲です。
 
「春は、名のみの、風の、寒さや」・・・春にはまだ早い里の風景を実に美しく描いていて…100年以上の昔つくられた詩ですが、今になっても、しみじみと胸を打たれる思いがします。

春とは名ばかりの風の寒さ…谷のウグイスは、歌おうと(鳴こうと)するが、まだその時ではないと、声も出さない…。氷は解け 葦(あし)は芽吹く・・・もう春が来たかと思ったが、あいにく今日も昨日も雪模様だ・・・。

吉丸一昌という詩人、そして、中田章という作曲家、素晴らしい日本の歌をこの世に残してくれた、とありがたいことと思います。

2022年の今のこと・・・
立春が過ぎ、暦の上は春ということになっているのですが、それは全く名ばかりのことで、吹き付ける冷たい北風が身に染みる…。そして今日(2022年2月13日)東京地方は、昼間の雨が夜には雪になるとの天気予報・・・日本列島の南岸低気圧で雪は、例年のことですが、春になる前兆です。

2022年2月13日 (日)

老いをどう生きる

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人間が老いていくのは、避けられないことです。
一般的には年を取ると、髪の毛が少なくなったり、皮膚にシワやシミができてきたり、体力が落ちたり、体が言うことを効かなくなったりするものです。

しかし、これは当然のことで、体はこれまで長い間働いてきたのですから、古くなり衰えてくるのは自然の理です。人生は、もう後半、そろそろ最後の旅路の準備をしておいたほうがいいですよ…と、身体が教えてくれているのです。最後の旅路とは、天国に召されるということです。

最後の旅路の準備とは
人間は体と魂からできて、体は物質ですからいずれ滅びるのですが、魂はいつまでも残ります。体の死を迎えたとき、魂がどういう状態かで、その後の行く先が決まります。たとえ体はボロボロでも、魂を磨いていれば天国にいけるのです。
 
分かりやすく言えば、善き思いを心に抱き、善きことを実行していくことになります。魂を磨くためには、毎日毎日、そうありたいと思って自分が謙虚に反省し、自分自身を変えていく努力をしなければいけないと思います。知識として知っていただけでは、魂は磨けないのではないでしょうか。
 
美しい思いやりに満ちた素晴らしい、魂にしていこうと思えば、毎日毎日、自分にそう言い聞かせながら、「今日の自分の思い、今日の自分の行動は、果たしておまえが言う善きことに基づいていたか」と自分自身に問い詰めながら、自分の思いと行動を毎日のように、修正をしていかなくてはいけないのではないかと思います。

2022年2月12日 (土)

道徳…肝心なのは心の豊かさ

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「道徳とは、世の中の良いことと悪いことのお手本のこと。本当は個人の価値観によってバラバラのはずだが、実際はほとんどの場合みんな、似たり寄ったりの道徳観を持っている。」日本大百科全書(ニッポニカ)

「徳」か道徳は「道」とらなるが、この場合の「道」とは世の中で人が従うべき道のことであり、「徳」とはそれを体得した状態のことです。

すでに中国の古典にあることばで、たとえば『易経』のなかに、「(聖人は)道徳に和順して義を理(おさ)め、理を窮(きわ)め性を尽くして以(もっ)て命に至る」という表現があります。

ここでは、道徳は天の道でもあって、人間の従うべき理法と自然の理法とが一体であることが示されています。「本大百科全書(ニッポニカ)「道徳の解説より」

肝心なのは心の豊かさ
廣池千英の著書『道を悟る』(モラロジー研究所刊)の中で、「無知な人間の悪徳は大した害毒はないのです。」があります。

知識のある人間の害毒は、恐るべきものがあるのです。したがって、「立派な品性」がすべての人間の根幹をなすものであるということです。

2022年2月11日 (金)

道の道とすべきは常に道にあらず

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~道の道とすべきは常の道にあらず~『老子』の言葉
人生は毎日大変な事が沢山あり、苦難を乗り超えて必死に生きて来たら、気づいた時には、こんな年齢になっていた。 
 
完璧ではないが、一生懸命生きて来た、この人生はいったいどうだったのだろう?そう人生のある地点に到達して考える時、そんな時に答えをくれるのがこの『老子』です。 
 
どんなに自分が努力しても、複雑な社会や人間関係の中で、完璧に生きるなんて出来ないことです。失敗や成功を繰り返しながら、一生懸命生きて来た…その人生そのものに意味があるのです。
 
何が成功で、何が失敗か、なんていう判断で自分を評価したり苦しめたりすることは空しいことです。人が道と名づけた道は、天の道ではありません。だから永遠不変の道ではありません。すべての存在がもともと無であることを知れば、これほど楽な生き方はないのです。
 
人が幸せに生きるとは
日々の生活をより便利に幸せにするために、人類は科学技術を発展させて、文明を構築して来たのです。ですが、そうやって人工的な快適な社会を作り上げ、発展させて来たはずの人類の現状を冷静に見てみると、道を歩く人々は、本当に幸せそうな顔をしているでしょうか?

そしてまた「あなたは幸せですか」と聞かれた時に、「はい幸せです」と即答出来る人がいったいどれだけいるのでしょうか?では、なぜ「幸せ」を実感出来ないのか、その大きな原因が、人生とは人間の考えた優劣や常識に則った、まっすぐの道であるべきだと考えるからではないでしょうか。
 
考えて見れば、人間の一生は短いものです。いつまでも生きていられるわけではありません。その短い、あっという間の人生を、人間の考えた規範ばかりにとらわれて自分を束縛し、苦しむなんてもったいないことです。 
 
水や赤子のように、ありのままに素朴に対立無く生きることが、実は天地自然に添う事であり、もっとも幸せな生き方だと説いたのが紀元前の中国に生まれた『老子』の思想なのです。

2022年2月10日 (木)

心の三毒

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仏教で「心の三毒」は・・・貪瞋痴(とんじんち)
とんじんちとん、じん、ち は愚かの連鎖反応とでもいいましょうか。 三毒と言われていますが、もとは「とん」の場合が多いのです。
 
「とん」すなわち貪りです。 お金がほしい…地位がほしい…他人に好かれたい…成功したい…と自分のうつわ以上のことをしても、なかなか手に入るものではありません。 すると自暴自棄になって怒りがわいてくる・・・ これが「じん」怒りです。 怒って正常な判断ができなくなって愚かなことをしてしまう・・・ これが「ち」すなわち愚かです。
 
つまり、このおろかな連鎖反応を阻止するためには、自分の利益ばかり考えず、他の人のことを考えてあげることがまず出発点になります。 人に優しくして文句を言う人はめったにいないでしょう。

誰しも、人から好かれたくさんの良い友達に囲まれるでしょう。 それでも心無い人に心をかき乱されるときもあるかもしれません。 そんなときは極力冷静になることです。 これが祈りなのです。

頭に血が上っている人と同レベルで対処してもいい結果は得られません。 負けるが勝ちで、早くその場から立ち去ったほうがいいです。 どんなに正しくても、争いになれば後悔するのは目に見えています。 愚かな結末は避けるのが知恵というものです。
 
ですから、常に喜んで人の役に立つようにし、驕らず質素でも、笑顔の耐えない環境に暮らし、感情に流されず、人が良い方向に行くように常に祈り、愚かな結果を招くような言動を慎めばよいのです。

2022年2月 9日 (水)

大切な地球環境を後世に引き継ぐ

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環境を守ることの意味
「地球環境が大変です」「自然や生態系を守りましょう」「地球にやさしく」…地球環境の危機を伝える情報と、この問題への取り組みを呼びかける言葉が今、世の中にはあふれています。
 
私たちの命を守り、日々の生活を可能にしてくれるものはすべて、自然界に由来しています。しかし、残念なことに、私たち人間は、自然が与えられる以上の資源を消費しているだけでなく、地球の許容量以上の二酸化炭素を排出し続けています。

その結果、地球の生態系機能と人間社会とのバランスが崩れ、様々な問題が起こっています。環境汚染、生物種の絶滅、気候変動、これまでにないスピードと規模での人口増加(2021年は78億7500万人)…。

それらはすべて、地球の健やかな生態系機能を乱しているだけでなく、人間社会とのバランス崩壊となり、さらなる様々な問題を引き起こすことに繋がっています。人間は、地球が作り出す空気や水、食物なしに生きていくことはできないにも関わらず、みずからの危機を引き起こしているのです。

自然環境をまもるのは、人間一人ひとり心がけです。
私たちが暮らす地球は、環境に関連する様々な問題や課題を抱えており、それらはすべて私たちの生活と密接に関わっています。そして、これらの課題を解決していくためには、私たちがその関わりを理解し、一人ひとりの心がけでできる身近な取組を第一歩として、その取組を、家庭、学校、地域へと広げていくことが大切です。

2022年2月 8日 (火)

波動によって生かされている

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波動とは・・・
この世に存在する全ての物質(人間・生物・物体等)素粒子によって構成されています。また、これらのすべてはなんらかのエネルギーを出しています。エネルギーは、光や音、電波などと同じように固有の周波数と波長を持っています。これが波動です。

波動は共鳴によって伝達されます。私たち人間の思いや意識も波動であり、同様に伝達されます。つまり、全ての物質及び人の思い念や意識もこれらに影響しあっているのです。

どんなに偉そうな事を言っている人間でも、髪の毛一本、草一本さえ造りだすことはできません。鉱物も植物も動物も人間も、そして地球も宇宙も・・・在りとしあるもの、生きとし生けるもの森羅万象すべて、大宇宙のエネルギーによって造られ、そして生かされています。

大宇宙の波動によって生かされています。信仰心があろうがなかろうが、神様を信じていようが信じていまいが、分け隔てなく平等に大宇宙からのエネルギーが与えられ続けています。

1分間に18回というリズムで生かされています。寄せては返す海の波も1分間に18回のリズムです。生まれるときは満ち潮、死ぬ時は引き潮、月の公転と女性の生理の周期は同じ28日、この28日を1ヶ月として、赤ちゃんは10ヶ月で生まれてきます。
 
肺の呼吸は1分間に18回、その2倍は36で私たちの体温です。その36の倍は72、これは心拍数のリズムの数、72の倍数は144で最高血圧の目安となります。私達は自分の力で生きているのではありません。大宇宙のエネルギーによって生かされているのです。波動によって生かされているのです。

2022年2月 7日 (月)

悠々自適の老後

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「悠々自適」とは、俗世間のわずらわしさを超越して、心のおもむくままにゆったりと日を過ごすことです。

私は、若いころ子育てと会社勤めで、汲々としていた毎日でしたが、定年退職された人の、日常生活の話を聞き、私もあの人のようになって見たい・・・憧れのようなものを、いだいていました。

子供に愚痴を聞かせずに、似合わぬことは無理をせず、何か今出来ることをする人の心を見つめつづけ・・・不器用だけれどしらけずに・・・。

俗世間のわずらわしさを超越して、心のおもむくままに、ゆったりと日を過ごす「悠々自適」な生き方したいものです。

そして、妬まぬように焦らぬように、飾った世界に流されず、時代遅れと言われても、
人の心を見つめ続ける・・・そんな人間でありたい。

2022年2月 6日 (日)

なるほど名言

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井上ひさし の名言に・・・
「むずかしいことをやさしく」
「やさしいことをふかく」
「ふかいことをおもしろく」
「おもしろいことをまじめに」
「まじめなことをゆかいに」
「ゆかいなことをいっそうゆかいに」
があります。

「むずかしいことをやさしく」
・・・他者に何かを説明したり教えたりしようとするとき、何ともこれが難しい。中途半端な知ったかぶりではできないことです。難しい術語を並べて煙に巻いて誤魔化したり、上辺だけをなぞって子供騙しをしたりします。

「やさしいことをふかく」
・・・このためには、理解の深さだけでなく、その表現のための最高の言葉を、最高の場面に配置しなくてはなりません。
 
「ふかいことをおもしろく」
・・・しかし、やさしくても、ふかくても、おもしろくなくては受け手の心には至りません。ユーモア(Humour)とは、ヒューマン(Human)から生まれたようです。だからこそ笑っても、こらえきれずに涙をこぼしても、私たちをホンワカやさしい気持ちにさせてくれるのでしょう。
 
だから、最初に難しいことに出会った時には、やさしく説いてくれる支え手も大切です。さらに、ドンドン学び進んで「おもしろく」に達すると、自らの創造力、想像力がものを言うはずです。さらに、「ゆかいな」に達するには周囲と共鳴し共振する感受力になるのでしょう。

2022年2月 5日 (土)

人が幸せを感じるとき

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人が幸せと感じることは
一つには達成感と、もう一つは存在感の2つに分けられます。
達成感とは何かを達成したときに感じる満足感に他なりません。夢や望みがかなった時と言うことになります。欲が満たされることになります。

欲は煩悩とも言い換えることも出来ますが、欲のほうが解かりやいです。食欲、睡眠欲、名誉欲、欲といわれるものすべてを手に入れたときに、感じるのがこの達成感という幸福感になります。

達成感はまた新たな欲、煩悩を生みます。
それは向上心にもつながりますが、一瞬で消えてまた新たな欲のために生きることになります。人は欲によって生き、また向上心も生まれ、それらをすべて否定するものではありませんが、食欲や、睡眠欲などは誰でも手に入れることができますが、すべての人が夢や望みが叶うわけではありません。

存在感からくる幸福感
己が今そこに居ることを他が認めること、知ってもらえた時に得る幸福感と言うことです。何か偉大なことを成し遂げて有名になり自分の存在を知らしめると言うこともありますが、もっと誰でも出来ることがあります。

たとえば挨拶もその一つです。朝、”おはよう”と声をかけ、”おはよう”と返ってくることもその一つです。何か他人に親切にしたり、他のために何かをしたりして、ありがとうと言われたり、感謝されたりした時に感じる幸福感が存在感ということです。

この存在感からくる幸福感は、達成感からくる幸福感より、とても小さいですが、誰でも簡単に得ることが出来る幸福感です。他のために、人のために何かすると言うことが、幸せになる、幸福感を得ることが出来ると言うことなのです。

2022年2月 4日 (金)

心の広い人

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「心の広い人」とは、どんな人のことを指すのでしょう?
辞書によれば、「大らかな」とか「度量が広い」「寛容な」というような表現となっています。

この内容から推測するに、「どんな物事や人でも、大らかに受け入れられる人」が当てはまるかと思われます。社会にいれば、人とのコミュニケーションは欠かせません。人と人が接すればそこには必ず何かしらの摩擦が生じます。

人と接することの喜びがあるのと同時に、人と接することは、ある意味ストレスの大きいことでもあります。「心の広い人」は、何でも許し受け入れるという事だとしたら、相当我慢強い人であるといえるかもしれません。しかし、「心の広い人」は、何でも許して受け入れるのではなく、「違いを認められる人」なのです。

「人はみんな違う」
人はそれぞれ育ってきた環境も、性格も、考え方も、能力も、見た目も何もかもが一人一人違います。誰一人同じ人間はいません。これは血のつながった家族でも同じです。だから、意見が合わない…気が合わない人の方がほとんどなのです。

心の広い人

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「心の広い人」とは、どんな人のことを指すのでしょう?
辞書によれば、「大らかな」とか「度量が広い」「寛容な」というような表現となっています。

この内容から推測するに、「どんな物事や人でも、大らかに受け入れられる人」が当てはまるかと思われます。社会にいれば、人とのコミュニケーションは欠かせません。人と人が接すればそこには必ず何かしらの摩擦が生じます。

人と接することの喜びがあるのと同時に、人と接することは、ある意味ストレスの大きいことでもあります。「心の広い人」は、何でも許し受け入れるという事だとしたら、相当我慢強い人であるといえるかもしれません。しかし、「心の広い人」は、何でも許して受け入れるのではなく、「違いを認められる人」なのです。

「人はみんな違う」
人はそれぞれ育ってきた環境も、性格も、考え方も、能力も、見た目も何もかもが一人一人違います。誰一人同じ人間はいません。これは血のつながった家族でも同じです。だから、意見が合わない…気が合わない人の方がほとんどなのです。

2022年2月 3日 (木)

ルール・マナーを守ろう

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マナーとルールを守ろう・・・
車からタバコをポイ!お菓子を食べながら、缶コーヒー・ジュースのペットボトル・清涼飲料のビンを歩きながら飲んで、飲み終わったら植え込み電柱のカゲにポイ!・・・全く後のことを考えないで捨てていく人が後を絶ちません。
 
近頃、自分さえよければいい…バレなければいい…誰かに見られなかったいい…自分のやりたい放題やっている人たちがいるのではないでしょうか・・・そういう人たちは、子供のころから、ポイ捨てしてたり、自分の事だけを考えていたのでしょうか・・・
 
「マナー・モラルのない人間」
人間がしてはいけない行為をしている人は、恥じる行為と思っていないようです。ポイ捨てはいけない。当然もっていなければならない共通の感覚だと思います。
 
文明・文化が発達し便利・豊かな生活になっても、人間の精神向上は、比例していない?昔の方が人々の精神性が豊かだったと考えてしまいます。現代では、子供は学校や習い事に毎日いき、社会人も毎日仕事をしていく中で、小さい頃から、マナーやモラル、思いやりの心(常識)が身についていない人がいるようです。
 
その子の行動を見て、その親がありです。子供の恥ずべき行為は親に責任があるのです。その親が恥ずべき行為をしていたら、子に指導する資格ありません。その反対に立派な行動をする子供を見ると、立派な品格のある親御さんを想像するのです。
 
お互いに助け合い・励まし合って、人間社会は成り立つのです。自然に対しても、人に対しても、生き物に対しても、優しい心を持ち、未来に夢を持つことが出来ることは、一人ひとりの心が大切だと思います。

生物の多様性

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生物の多様性はなぜ必要か・・・今、地球環境が大きく変化しています。私たちにどのような影響があるのでしょうか。

東京大学・小林武彦教授
「残念なことに、地球は第6回目の大量絶滅期に入っています。その前の5回目は、恐竜など地球上の生き物の約70%が絶滅した中生代の終わりの大量絶滅です。」

今は800万種ぐらい地球上には生き物がいると推定されていますが、今から十数年の間にそのうちの100万種ぐらいが、この地球から消えて無くなるんじゃないかと言われております。それはとりもなおさず、人のせいです。環境変動のせいです。

やっぱり多様性が減るということに関して、私たちはあまり危機感を持っていないのかもしれません。なぜなら、そういうことにあったことがないからです。でも、実はすごく重要で、生物学者は多様性がとても重要だと思っています。

例えば、ゴキブリとか人の血を吸う蚊とか、こんなのいなくてもいいって思っている人いるかもしれません。でも、生態系の中で私たちは全部つながっていて…つながっているというのは、もともと1個の細胞から全部始まっているのです。

それが進化して、38億年かけて進化してすべての生物になっているので、もともとみんな兄弟っていうか親戚なんです。つながりがあるんですよ。お互いの多様性というか、違う種類でも支え合っているのです。

2022年2月 2日 (水)

「老いる」ということ

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「老いる」ということは身体的に老化することです。
そうなると社会の役にもたてなくなるイメージがあります。老いることはすべて若さも仕事も存在さえも失われていくというイメージです。
 
「諸行無常」
毎日として同じことはない。常に変化しているのです。では、年齢を重ねる度に元気な人と、そうではない人の違いは何でしょうか。殆どの人は、年齢とともに、それぞれの持病はお持ちだとは思います。

拒否するのではなく、気をつけながら生きることです。
よく運動をしている人が元気だというイメージもありますが、ある医師の話…、年齢とともに 運動は心臓に負担がかかりやすく、ましてや朝の運動は血圧をさらに高くするそうです。大切なのは ほんの少し、楽な動きをすればいいそうです。

年齢と共に老いを感じるのは精神的なことがもっとも大きい。
「人間は習慣の生き物」で、いつも通り食生活、生活習慣をまもり続け、楽しい会話をし、そこでは、悪口とか怒りはできるだけ持たずにいることです。誰かを意識して力を入れるのではなく、私の体力で、私にあった生き方をみつけたらいいのでしょう。

仏教では 自分の意思で生きているのではなくすべて「縁によって生かされている」と・・・言います。「縁」とは、今の自分の状態を作りだしてくれた無量(はかりしれない)道理です。自分の思いをこえて自然とそのようになっていく(巡り合わせ)ということです。

2022年2月 1日 (火)

時間は止まらない

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鴨長明『方丈記』の冒頭に・・・
「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し」

〈現代語訳〉
流れ過ぎる川はけっしてとどまることなく、しかしまた(流れる水は)もとの水でもない。よどみに浮かんでいる水の泡は、消えたり生まれたりを繰り返しながら長いあいだとどまっていることもない。

世の中にあるひとと家とも、この流れと同じようである。鴨長明の「方丈記」…「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の流れにあらず、淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例しなし」といっています…。

時間は「川の流れ」ではなく、それを測定する「物差し」「尺度」です。
時間そのものは流れたりしません。時間が流れるというのは、錯覚です。時間は「物」ではありませんから、「何が原因で時間ができて、時間が動き出したのですか?」なんて質問はナンセンスです。時間は「できるもの」でもなく、「動き出したり」するものでもありません。

「時は止まらない・・・立ち止まらない」
人もおなじ・・・呼吸は止まることなく、動き続けている・・・それは、自分が動かしているわけじゃない・・・。誰かが心臓を動かしてくれているの? 誰が呼吸をし続けてくれているの?
 
「私たちは、生かされている尊い存在」
宇宙自然の中で、生かされている…命をいただいている・・・だから、生きてるみんなが尊いのです。ひとりとして例外なく・・・。
 
「せっかくいただいた命を、どう生きるか…です」
人生100年と言われる時代・・・「おもいっきり楽しもう!」「おもいっきり最高の人生を生きた!」と胸を張って言えるように・・・そりゃ…楽しいことばかりではない…かもしれないが・・・

「大丈夫!」・・・誰かが必ず、見守ってくれているから・・・み〜んな独りじゃないんだよ……。

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