中庸の精神
孔子は、「不足でもなく、余分のところもなく、丁度適当にバランスよく行動できるということは、人の徳としては最高のものです。しかし、それができている人を見ることは少ない」と言われたそうです。
いつも偏った考え方や、極端な行動をとる人は、心のどこかに変なこだわりや無理を生じやすい傾向があります。そういう状態は中庸とは言えです。
心が落ち着く中心が何もない感じでしょうか。だから、そういう人は精神的にもつらくなりやすく、何事にも長続きしない傾向があるように思います。
中庸の精神
この子供の時に身についたものは簡単には捨てられません。いまだに自分にとっては都合のよい解釈となっています。常に目立たずに…でも、現代社会ではこの思考法は通じないのかもしれません、人は居場所を求めてさまようものです。
人としてお互いに認め合う、居場所を作ることが求められているはずなのに、なんとも悲しい社会になっているように感じます。わかりやすく言えば、私は中庸の精神の中で生きているということです。
一方で、中庸とは「足して二で割って平均をとる」といった単純な話でもありません。中庸は、心が何かにとらわれたり、何かにこだわることなく、「素直な心で実践する」ことによって得られてきます。
すなわち、中庸とは「平均点」というよりは、「バランスの取れた状態」という意味に近いように思います。人の心は、上下・左右にもどんどん動くものです。素直な心を持って判断を行えば、ある時期に大きく右に振れようが、上下に振れようが、最後は中心点に向かって自然にバランスが取れていくものです。
自己心やこだわりを捨てて素直な心になれば、何が極端で、何が自然なのかがすぐに判断できるようになるということでしょう。
自己心やこだわりを捨てて素直な心になれば、何が極端で、何が自然なのかがすぐに判断できるようになるということでしょう。
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