« 小さな幸せに気付く | トップページ | 日常の「当たり前」に気づくこと »

2022年1月 8日 (土)

老人の呟き

画像 034
.
冬のある日 老人は呟いた。
生きていくということは、山の連なる道を行くようなものかも知れない。その道の途中に待ち構え、行く手を阻む山々、それは、丘程度の低い山もあるが、見上げても頂を見る事が出来ないほどに高く険しい山もある。
 
若い時は、高さも見当がつかなければ、行程の険しさも、困難さも充分に理解出来てない。だから、高いからと言って、そこで簡単に諦めない。先輩達に無鉄砲と言われても耳をかさないで、超えた先にあるものを求めて、ひたすら突き進んで行く事が出来た。
 
そのように、恐れず、躊躇せずに、前に、前にと、未来に向かって突き進んでいける事こそが、若さの特権である。だからこそ将来思いもよらない、成功を得るチャンスを得る事も出来ると思うのかも知れない。
 
しかし悲しい事に、人は、いつかは年を取って行く、年を重ね、知識が増え、挫折の経験を積み重ねていくに連れて、自分の前に立ちはだかる、或いは超えようとする山の高さ、偉大さに、そしてそれを乗り越える事の困難さを、知る事になってゆくのである。
 
能力の限界を感じ、道程の困難さをあらかじめ予想できるようになると、その道のりの困難さ、努力の後の挫折の虚しさなどを嫌って、道半ばで、早い人は、山を前にしただけで、諦め、回り道をしたり、後戻りしたりするようになってゆくのである。
 
これは、ある面では他人の偉大さを認め、おのれ自身を謙虚にするという良い面を持っているが、人類としても、民族としても、個人としても、進歩という点から考えれば、あまりに早い時期からそのようになっていくことは、憂うるべきことかも知れない。
 
人はどんなに年を重ねても諦めてはいけない。命燃え尽きるまで、高いハードルを目指して努力するからこそ前進できる。後戻りは出来ないし、ゴールテープはない人生行路だ。進むのみである。未知の世界にチャレンジをしていくと充実感を味わえる、人生を送れるのだと思う。

« 小さな幸せに気付く | トップページ | 日常の「当たり前」に気づくこと »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 小さな幸せに気付く | トップページ | 日常の「当たり前」に気づくこと »