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2022年1月

2022年1月31日 (月)

生きることは理屈でない

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「生きることは理屈じゃない」
人間が人間を信じて生きることは理屈ではありません。「信じる」から「信じ抜く」ためには理性的な努力が必要です。人間は不完全、失敗したり、裏切ったり、心ならずもウソを言ったりもします。

言いたくて言うのではありません。追いつめられて「心ならずも」という良心が存在するのです。人間を信じるとは、この良心の存在を信じることです。理性的には信じられないものを信じて、信じて、信じ抜くという奇跡的な決断をすると・・・理屈では考えられないことが起こります。

真実の愛とは、理屈を超えた「無償の愛」です。
無償の愛とは、見返りを求めることはせず、相手のために尽くす愛情のことです。「無償」とは、対価を払わないという意味。つまり、利益など一切考えずに相手に注いでいる愛情こそが、無償の愛なのです。
 
無償の愛は親子間や夫婦間、家族など身近な人に対しても抱く愛情でもあります。親が子を思うとき、見返りは求めません。親が子に抱く愛情は、まさに無償の愛と言えます。理屈ではなく、この無償の愛があって人間社会が成り立っていると思います。

2022年1月30日 (日)

花は語らず

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「花語らず」 
「花はだまって咲き、だまって散って行く。そして再び枝に帰らない。けれどもその一時一処にこの世の全てを託している。一輪の花の声であり、一枝の花の真である。永遠に滅びぬ生命の喜びが悔いなくそこに輝いている。」・・・京都南禅寺の柴山全慶老師
 
何かと慌しい現代社会、忙しい日常生活にとかく埋没しがちの中で、とかく埃に紛れ…我を忘れてしまいがちな…自分に頭から水を浴びせ…身を洗ってくれるような…自分自身の生き方に対して方向を指し示してくれる光明のように感じます。
 
花は大輪の牡丹であろうが野辺に咲くスミレ・タンポポであろうが、皆そこで陽光を浴びて悔いなくそして、それぞれが誇り高くそこに美しく輝いている姿に・・・他人との差別と比較ばかりを意識して常にあくせくし、ぐちって悔いばかりしている人間の愚かしさ、光を忘れ、闇に迷っている自分自身のみじめな、何とちっぽけな存在であるかをあらためて思い知らされます。
 
大輪の牡丹であれ、スミレ・タンポポであれ、陽光に向かう尊さには寸部の差別や違いは無いという信念を持たねばなりません。差別をつけたがるのは己の心の狭さ…、そのものからくるものではないでしょうか・・・。
 
人間というのはとかく弱いものです。時に自分を見失いがちになることが多いことです。本当の「幸せ」を心から感じることが、できる人生をもう一度考えて見たいものです。

2022年1月29日 (土)

高齢者の悩み

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高齢者の悩みベスト3・・・① 認知症への恐れ ② 介護問題 ③ 病気の恐れ・・・です。
認知症予防の10か条・・・『認知症にならないための10か条』杉山孝博(川崎 幸クリニック院長)より

第1条 生活習慣病を予防・治療する
高血圧症、糖尿病、脂質異常症、肥満などの生活習慣病は血流の不足、脳の機能低下につながる。
 
第2条 バランスのよい食生活で健康を保つ
活性酸素による老化を防ぐ働きがある緑黄色野菜やビタミンC、脳梗塞の予防効果が期待できる魚などをしっかりとる。
 
第3条 よく歩き、運動する
歩く習慣は、動脈硬化や循環器系の機能低下、筋力低下による転倒の予防に。運動の基本は歩くこと。
 
第4条 過度の飲酒・喫煙に注意する
禁止するものではないが、ほどほどに。特にアルコール依存症からのアルコール性認知症の発症が増加。
 
第5条 活動・思考を単調にしないように努める
学習活動や趣味が脳によい刺激に。家事や買い物、旅行でも。無理な脳トレーニングや学習は効果がない。
 
第6条 生きがいをもつ
生活に張りを持たせ、前向きで積極的な気持ちに。趣味や地域のボランティア活動への参加などもよい。
 
第7条 人間関係を普段から円滑にしておく
家族・隣人・社会との人間関係に問題があると、閉じこもりやうつなどの精神神経症状につながることも。
 
第8条 健康管理は自分で
散歩やスポーツを気長に行い、定期的に健康診査を受けるなど、自分の健康は自分でという思いで過ごす。
 
第9条 病気や障害の予防や治療に努める
どの疾患でも、身体的・精神的な負担があり、生活に支障をきたす。予防や治療に努めること事が不可欠。
 
第10条 寝たきりにならないよう心掛ける
閉じこもりや寝たきりは認知症発症、悪化の要因に…。転倒・骨折もきっかけに…。生活環境の安全面に配慮し、歩行が不安定になったら早めに杖や押し車などを使うことも考える…。栄養不良や運動不足には自治体や介護施設などで専門職のアドバイスを求める…。

この10か条を考えて・・・生きたいと思います。

2022年1月28日 (金)

俳句を創る

「俳句」を創ってみました。

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そこばかり 光溢れて 野水仙

独り行く 冬山奥は 寒かりき

冬枯れや 湖面に写し 水静か

貯水湖の 蒼き水面に 鴨が浮く

小春日や 新聞の字 疎くなり

寒中を 忘れてしまう 日和かな

冬日なり 鯉の姿勢は 一直線

風収む 満点の星 寒夜かな

硬きは葉に 柔らか花の 寒椿

今日という日は二度と来ない

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「・・・今日という日はもう二度と来ない・・・」イタリアの詩人ダンテの言葉

「今日という日はもう二度と来ない」・・・だから一日一日を大切にすることです。毎日、明日が当たり前にやってくると思い込んでは、いけないということです。毎日、明日が当たり前にやってくると思い込んでいる私たちにとっては、少々現実味に欠ける言葉かもしれません。

過ぎ去った日々や時間を取り戻すことはできませんが、その日一日を大切に生きることが大切です。「~したら~しよう」と自分自身へ条件付けをして、行動を先延ばしにせずに一日の重みを感じましょうということです。

今日という日がニ度と来ないということは誰もが知っているでしょう。今日という一日は過ぎてしまえばもうニ度とはやって来ません。こんな説明不要の当たり前のことですが、今日やるべきことを、明日・・・また明日・・・と先延ばしにしてはいないでしょうか?

「光陰矢のごとし」
この先、立ち止まる、、、つかの間の休息や後退、、、そして回り道が必要になることも必要になるかもしれません。もちろん、それは無駄な時間にはなりません・・・。人生にとって大切な時間と受け止め、「時間の使い方について・・・」考えていきたいと思います。

2022年1月27日 (木)

中庸の精神

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中庸とは…「かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること」です。

孔子は、「不足でもなく、余分のところもなく、丁度適当にバランスよく行動できるということは、人の徳としては最高のものです。しかし、それができている人を見ることは少ない」と言われたそうです。
 
いつも偏った考え方や、極端な行動をとる人は、心のどこかに変なこだわりや無理を生じやすい傾向があります。そういう状態は中庸とは言えです。
 
心が落ち着く中心が何もない感じでしょうか。だから、そういう人は精神的にもつらくなりやすく、何事にも長続きしない傾向があるように思います。
 
中庸の精神
この子供の時に身についたものは簡単には捨てられません。いまだに自分にとっては都合のよい解釈となっています。常に目立たずに…でも、現代社会ではこの思考法は通じないのかもしれません、人は居場所を求めてさまようものです。
 
人としてお互いに認め合う、居場所を作ることが求められているはずなのに、なんとも悲しい社会になっているように感じます。わかりやすく言えば、私は中庸の精神の中で生きているということです。
 
一方で、中庸とは「足して二で割って平均をとる」といった単純な話でもありません。中庸は、心が何かにとらわれたり、何かにこだわることなく、「素直な心で実践する」ことによって得られてきます。
 
すなわち、中庸とは「平均点」というよりは、「バランスの取れた状態」という意味に近いように思います。人の心は、上下・左右にもどんどん動くものです。素直な心を持って判断を行えば、ある時期に大きく右に振れようが、上下に振れようが、最後は中心点に向かって自然にバランスが取れていくものです。

自己心やこだわりを捨てて素直な心になれば、何が極端で、何が自然なのかがすぐに判断できるようになるということでしょう。

2022年1月26日 (水)

「町会」の必要性

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見直される…町会…の必要性
近年の社会情勢は大きく変化し、人々の価値観を多様化…人口の急増と生活圏の拡大…物質的な豊かさ…などで、地域の連帯感や人間関係が希薄になり、町会の活動に無関心な世帯が増えてきたことは否定できません。

しかしながら、最近頻繁に起きている…地震…自然災害はいつ自分に降りかかるか分かりません。また、犯罪は、一向になくなることはありません。それらの理由から、近年の少子高齢社会に伴う地域福祉の向上や、行政との協働のまちづくりの推進のためにその必要性は、確実に増大していると思います。

町会の果たす役割
町会には、一定の区域を単位として、その地域に住む住民同士が助け合い協力しあって、住みよい地域社会を創っていくという目的があります。

その目的を果たすために、区域内での生活上の諸問題や防犯灯などの、身近な環境の整備・管理、あるいは、公園や区域内の清掃・美化…防災・防犯活動…さらには、夏まつりや、敬老会、新年会など、地域の人々との交流…相互扶助…などの活動の活性化は、必須のものとなってきたと思います。

人と人のふれあいや地域の連帯感高揚は、行政が主体となって築かれるものではなく、こうした生活環境の整備活動や諸行事によって築かれるものであり、真に住みよいまちづくりを築くために、町会の果たす役割は大きいといえるのです。

2022年1月25日 (火)

歴史に学ぶこと

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歴史は、過去の出来事などから、なぜそれが起きたか、その理由や関係性を考え、その教訓を現代に活かすためにあるのではないでしょうか。過去の人々の叡智や失敗から学ぶことが大事なのだと思います。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
ドイツの名宰相であるオットー・ビスマルクの言葉です。愚かな者は経験からしか学ばない、と解釈できます。しかし、これでは経験したことしか学べないことになってしまいます。

自分が経験できないことでも先人たちが経験したこと、すなわち歴史を学ぶことで、沢山の経験を身に着けることが出来ると言う訳です。
 
当然ながら、先人たちは多くの失敗と成功を繰り返し、その経験の中から歴史という形で、私たち後世の者に貴重な経験談を残してくれているのです。過去から学び、今をよりよく生きることです。
 
格言に「未来は過去の延長線上にある」
今ある現在、そして未来は全て、過去の出来事が基盤となって表れた現象でしかないのです。すなわち、未来を知りたければ過去を学ぶ、歴史を学ぶことが近道だと言うことです。歴史を学ぶことによって今起きていることがこの後どのように進むかを推測できます。そういう力を身につけることが大事なのではないでしょうか。

2022年1月24日 (月)

素直な心

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今年の始まりに感じたことは、「素直な心をもつ」ことの大切さです。
素直な心とは、自分自身の至らなさを認め反省でき、そこから努力するという謙虚な姿勢のことです。我の強い人は、自分の立ち位置や役割を忘れ主張したり、人の意見を聞かず、たとえ聞いても反発することがあります。

世の中が豊かになるにつれて、自己中心的な価値観を持ち、自己主張の強い人が増えてきたと言われます。しかし、この考え方ではエゴとエゴの争いが生じ、到底「いい社会」になりませんし、町内会などのチームワークを必要とする仕事などできるはずはありません。

「自分はできる」「自分が正しい」「非はない」と傲慢不遜になると、周囲の人たちの協力が得られないばかりか離れていき、自分自身の成長の妨げにもなります。

今、地域のコミニケーションが問題となっています。常にみんながいるから、自分が存在できるという認識のもとに、素直な心で謙虚な姿勢を持ち続けることが大切です。「ありがたい」と想う素直な心が、幸せな心にしてくれるのです。

2022年1月23日 (日)

老いを考える

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「老いはマイナスなことではない・・・」
一般的には、「老い」をマイナスなこととして受け止める人が多いと思います。しかし、「老い」はマイナスという発想を逆転させ、プラスに捉え直してみる・・・。

そもそも「老い」とは何なのかを、いま一度考え直す必要があります。「老い」を辞典等で調べてみると、大きくわけて二つの意味があります。
 
一つは、身体的に老化することです。そして、もう一つが家庭、地域、職場などでの社会的変化・退く現象です。

二つ目が円熟(えんじゅく)です。
これが「老い」に対する発想の変化に繋がる鍵となります。どういうことかというと、さまざまな場の社会的なものから・退くを「円熟」(十分に熟達して、ゆたかな中身をもつに至ること)と理解するのです。
 
この場合、「えんじゅく」と聞くと、一般的には「円熟」という漢字が当てはめられると思います。「円熟」は、人格・知識・技術などが円満に発達し、豊かな内容をもっていることを意味します。「老い」をプラスに捉える解釈としては、的確な表現だと思います。
 
しかし、実際の生活においてはそう素直に受け止められない場合が多いのが本音ではないでしょうか。

2022年1月22日 (土)

人生の目的は幸せになること

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人生の目的は人によって違います。やりたいことをやる…夢を叶える…お金を稼ぐ…出世する…社会に貢献する…世界を変える…などその大きさも抽象度も人によって違いますし、「特にない」という場合もあります。

しかし、ほとんどすべての人に共通することは、「幸せになりたい」ということでしょう。もちろん幸せの定義は人によって違いますが、「幸せになりたくない」という人はいないでしょう。

幸せは「なる」ものではなく「感じる」もの……
幸せになりたければ、幸せを感じられるようになればいいのです。より大きな幸せを得たいのであれば、自分自身が幸せに感じる瞬間を、できるだけ多く持てばいいのです。

「幸せを感じる感度」と「幸せを感じる瞬間」
この二つの幸せはこの掛け算で大きくなるのです。そして、あくまで「自分が」です。「感じる」のは自分なのですから、他人と比較することではありません。多すぎる情報と、同質の人々と暮らす社会の中では、どうしても他人と比べてしまいます。

しかし、自分以外に誰もいない静かな自然の中に身を置いて…自分はどんな瞬間に幸せを感じるかを考えてみることです。そう考えてみると、毎日の生活の中の出来事で、「私は、なんて幸せなんだろう・・・有難いこと」と気づくことがあると思います。そのことを大事にし、感謝する心を持つことです。

2022年1月21日 (金)

毎日を大切に生きる

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人生は一日一日の積み重ねです。自分の人生は何だったんだろう……そんなふうに思いたくはないですが、二度と戻らない一日一日を、意義ある毎日を積み重ねていきたいものです。
 
暮らし生き方・なりたい自分習慣
「人生は一日一日の積み重ね」明るく、楽しく、自分らしく生きることです。一日に何か一つ善い行いをする…。それをコツコツと積み重ねていくことは、幸せの種まきをすることでもあるのです。そんな「一日一善」と同じように、一日一日を積み重ねていけば、毎日が有意義なものに変わっていくと思います。

一日、一日を大切に生きるためにできること
毎日をなんとなく流して生きるのがクセになっていると、「一日一日を大切にして、一日が一生のつもりで生きてみよう」と急に思ってみても、実践が伴わずに、再び日々の生活に流されてしまう・・・。
 
しかし、無理をして「いまの瞬間を大切にしなくちゃ!」と一日中気を張らなくていいのです。一日が一生のつもりで生きようと決めたら、まずは、毎晩日々の行いを振り返ってみることです。自分自身の行いを省みることは、自分自身と向き合う時間を作り、物事を客観的に把握する力を養う。
 
一歩一歩地道に進む・・・それが人生
一歩一歩、地道に進んでいくことが大切だとわかっていても、なかなかできないものです。しかし、人生はとにかく一歩ずつ前へ進むことを繰り返すしかないのです。一歩ずつ地道に進んでいけば、道に迷うこともないし、間違いない人生を送ることができると思います。

2022年1月20日 (木)

生老病死・・・人の一生を考える


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「人の一生」生・老・病・死について
食生活の改善、医学の進歩、保健衛生の向上、生活環境の改善等により、人生五十年から人生八十年となった今ではただ長生きではなく、健康で元気という条件付きの長生きが追求されています。しかし現実は年と共に体の自由を失い、歩くことも困難になり、耳も遠くなり、若い者から邪魔者扱いをされ、こんな筈ではなかったと愚痴をこぼしたくなります。

頂いた命
頂いた今日という日は昨日亡くなっていたとしたら、今日という日はとてつもなく大切にしたい日であります。そのことに気が付かされれば、今日一日精一杯、自分の出来ることをさせていただく気持ちでいっぱいになるでしょう。

人に褒められようと褒められまいと・・・人に認められようと認められまいと・・・人に馬鹿にされようがされまいが、自分なりに精一杯させていただく・・・。そして睡魔におそわれ床につくとき、「今日もお陰様で一日励むことが出来ました。」と床につかせていただくのです。

幸せを感じる
背伸びすることなく自分なりに今日を精一杯生きること、その積み重ねが永遠に生きることに繋がります。もう一度人生をやり直せたらなんて考えたこともありましたが、「私の人生これで良かった…」思えます。

人に褒められることもなく、なんの手柄も立てられず、名声を博することも出来なかったが、私は私で良かった。長生きできるか分かりませんが、嬉しいことです。有難いことです。

2022年1月19日 (水)

高齢となって居場所を見つける

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人と比較される場面が減ることで心が平穏になる
仕事を引退したり、それまで参加していたコミュニティから身を引く年齢になると、少し淋しさを感じる・・・。一方、無理な人付き合いから解放されて気が楽になることがあります。自分の価値観に従ってマイペースに過ごすことができる毎日は、心に平穏な幸福感をもたらしてくれると言えます。
 
自分らしい新たな居場所を見つける
引退によって社会的な居場所を一部失ったとしても、時間的・精神的余裕ができたことで、共通の趣味などを持った人々と新たな人間関係を築けるのも楽しみのひとつです。また、これまでの経験を活かし、別の形で社会貢献をしようと取り組む高齢者には、より自分らしい新たな居場所とやり甲斐が生まれます。
 
今の自分に最適な目標を立て、じっくりと向き合うことができる
「年相応」という現実に上手に対応していきます。今の自分にふさわしい目標を立て、焦らずじっくりと歩んでいく楽しみを見つけた高齢者は、例え結果が思ったように出なくても自己否定することなく、挑戦することそのものに幸福を感じると言われています。
 
「関係の深い人とのあたたかな関わり」
家族や親しい友人など、今までの人生で深めてきた人間関係は、高齢者にとって大切な宝物です。そんな人たちの笑顔を見れば何よりうれしく、幸せを感じられるものです。

自分の人生は良いものだったと、かみしめることができる瞬間です。大切な人と良好な関係を築き、穏やかに日々を過ごすことができれば、高齢者の幸福度はきっと高まるはずです。

社会貢献をすることも高齢者の幸せに役立ちます。地域のボランティア活動をする・社会貢献を行うことで・・・感謝されると、自分自身に価値があると思えるものです。そういったことに積極的に取り組んでいくのは、自己肯定感を高めるとても効果的な方法です。

2022年1月18日 (火)

飄々と生きる

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信念があれば飄々として倒れない
「飄々とした人」はふわふわと揺れるような捉えどころのなさが特徴ですが、そうしていながらも「これだけは」という信念を持っています。信念の内容は人それぞれですが、自分なりの譲れないものを大切にしてるのです。
 
この信念が「飄々とした人」の軸となります。しっかりした軸があれば、その分気持ちのしなりも大きくなり、さまざまな状況に対応できるようになるでしょう。この軸となる信念の有無が「飄々とした人」と「ふらふらした人」を分けています。
 
飄々とした人
「飄々とした人」に対して、好感や憧れの気持ちを持つ人は多いものです。現代でもコミュニケーション能力に乏しい人の特徴として「空気が読めない人」は挙げられることが多いものです。それなのに、なぜ「飄々とした人」は他人に好かれやすいのでしょうか。
 
相手のことを認めて受け入れる
人間には誰にでも長所と短所があります。得手不得手もあるでしょう。全てにおいて完璧な人は存在しません。誰もがそれを知っているのに、つい「ダメな人間だ」「こんなこともできない」と自分や相手を責めてしまうことは多いものです。これは知らず知らずの内に、自分にも相手にも完璧を求めてしまうからこそ生まれる感情ではないでしょうか。
 
しかし「飄々とした人」は自分や相手に対して完璧を求めません。足りない部分は他の人に補ってもらえば良いと考えるからです。この考え方は「もっと頑張らなくては」と考えている人にとってホッとする感情を持たせてくれます。そう考えると「飄々とした人」が好感を持たれやすいのは当然かもしれません。

2022年1月17日 (月)

歩きながら考えた

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歩きながら考えた・・・「今こうやって、歩ける事の幸せを感じながら、今歩いている事は生きているからだ。」と・・・。
 
このところ、正直言って辛く感じる時もある。体調も不安がある(目が焦点が合わない、右の耳が殆ど聞こえないし、耳鳴りがこのところ酷くなってきた。)だからである。
 
しかし、誰のせいでもない。自分の不摂生から起きる事なのかも知れないし、加齢による自然現象かもしれない。ただ確かなことは、世の中は、時間があり動いていて、ひと時たりとも、止まる事はない、川の水の流れのようなものだ。

言い換えれば、宇宙にあって、地球の星も止まる事がないし、動いているから、今があるのだから・・・。時間を止める事は、神様、仏様でも止められない。又タイムスリップする事が出来ない。
 
また、こうも考えた・・・世の中、文化文明が進んで、生活環境は変わって来たが、このままの発展の仕方でいいのだろうか?半世紀の地球状態で生物や物質の生態系が、人間の無謀さと、神にまで冒涜した、我ががままな生き方の、歴史を作ろうとしている。大変な間違いをしている事に気がつかない人たちが多すぎる。

2022年1月16日 (日)

泥臭い生き方

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今の世の中「クールで楽な生き方」を求めるようになってきていると感じます。
感情を顔に出さず、一生懸命なやつは必死さが伝わって「ダサい」んじゃないかなんて思っているのではないでしょうか・・・。人前でわざとクールに振る舞って、一生懸命さを見せない…。ときには、一生懸命な奴をバカにしたり、頑張ろうとする雰囲気をぶちこわしてしまう言動をとる…。
 
苦手なこと、嫌いなことからいつも逃げて、うまくいかないのは人のせいする…。適当に生活して、失敗しても「別にいい」とミスを取り返そうともせず…。そうやって自分を守っている・・・。
 
私は違うと思う。そんな考え方、手を抜いた生き方、自分の力をほとんど発揮しないやり方、失敗を挽回しようとしない人、他の人を見下す・・・が、一番ダサいと思います。
 
私は、笑顔で元気に挨拶し、地域の住む人たちと、「共生きの精神」を信条とし、「少しでもこの町に住んで良かった」を多くの人に感じて貰えばと、町の自然環境を良くしていきたいと自分一人で出来る「町の美化活動」を続けていく…「泥臭い生き方を」していきたいと思います。

散歩しながら一句
  小春日や 散歩の汗の 気持よさ
  独り行く 冬山奥は 寒かりき

2022年1月15日 (土)

自分らしく生きる

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私たちは「自分らしく生きる」を、真剣に考える時期に来たと思います。
 
自分らしく生きるとは自分の人生を楽しむことに繋がります。
多くの人は、他人の意見や評価を気にして行動や選択をしています。承認欲求という言葉があるように、人は他人に認められることで喜びを覚えます。
 
自分らしく生きるとは、「自分の気持ちに誠実に生きていく」ことを意味します。他人の意見や評価を気にせずに、自分の楽しいと思うことや、やりたいと思うことを選択していく生き方こそ、自分らしい生き方と言えます。
 
自分らしく生きる意味
世の中の人の中には流行や、有名人の影響で自分にも反映させる人もいるでしょう。でも、それは社会の流れに左右されているだけであって、自分で決めたわけではありません。ただし、仮に相手の意見を聞いて自分の中で、しっかり考えた上で反映させるのであれば、それは流されたとは言いません。
 
誰の意見も聞き入れず、自分だけの意見をもつことだけを、自分らしさということではないと思います。人間は一人では生きられません。もしもそれができたとしたら、コミュニケーションをとる必要性がなくなります。
 
また、他人の意見を聞かないということは、それだけ自分の視野を狭くするということです。自分の軸をしっかりつくり、相手の意見も取り入れながら枝を広げていくことが、自分らしく生きることだと思います。
 
このように考えるので自分らしさを大切にしたい。しかし、これはあくまで私の思いであり、「なぜ自分らしさは大切なのか」という問いの答えにはまだたどり着いていません。今まで、考えてきたことを基盤として、今後の私の課題としてこれからも追求していこうと思います。

2022年1月14日 (金)

当たり前に感謝

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「幸せだから感謝するのではなく、感謝しているから幸せなのです。」

「当たり前に感謝」感謝するとき、私たちは「有り難う」という言葉を発します。「有り難う」の本来の意味は、「命の貴重さや尊さに対して感動を表明した言葉」であり、それがいつの間にか感謝する際に用いられるようになったのです。ですから、「有り難う」と感謝の意を表すとき、実は同時に「これはめったにない貴重なことだ」という暗示や感動を自分自身の心に与えているのです。

「有り難い」の言葉の反対は「当たり前」です。
日常生活を送っていると惰性に陥り、多くのものが「当たり前」の存在になってしまいがちです。「毎朝目が覚めること」は「当たり前」のことだと思いがちですが、朝になっても目が覚めず、そのまま亡くなる人も少なからずいます。ただ、だからといって、「毎朝目が覚めること」に対して「有り難い」と感動を覚える人はほとんどいないのではないでしょうか。

感謝をすることはそれだけ価値のあることなのです。「苦労は買ってでもしろ」と言われますが、実は感謝も買ってでもしないといけないことなのです。人間の感謝の心を忘れると、誰もついてきません。

成功は一人ではできない
たくさんの仲間がいて成り立つのです。では、そのために必要なことは何なのかと言うと、まさしく感謝です。「感謝の心」を忘れないようにしたいものです。

2022年1月13日 (木)

歳をとるということ

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「誰だって歳を取るのは初めて」
人が生まれて最初のうちは、成長段階の出来事が劇的な分、「初めての〜」が目立ちますが、80代だろうと90代だろうと100歳を越えていようと、幾つになっても、その人にとってはその年齢になるのは初めてで一生を通じて未知の世界に足を踏み入れているのです。
 
80代の我が身を振り返って・・・
40代、50代で体力の衰えは確実に来ました、年数分駆使してきた身体はあちこちガタが来ています。「あれ?前はこんなじゃなかったのに」という場面は日常茶飯事です。一方で、この歳まで来たからこその精神的な余裕なんてものも、ちょっとは出てきます。
 
60代ってこんな感じか、70代は、ああ、なるほどこうか・・・と人はそれぞれ初めての状況を生きていく・・・それは別に衰えや、がっかりするようなことばかりではなくて、ワクワクするような新しい発見もあります。

高齢期に幸福感が向上する
仕事を引退したり、それまで参加していたコミュニティから身を引く年齢になると、少し淋しさを感じる一方、無理な人付き合いから解放されて気が楽になることがあります。他人と自分との能力差や境遇を比べてストレスを感じる必要もなく、自分の価値観に従ってマイペースに過ごすことができる毎日は、心に平穏な幸福感をもたらしてくれると言えます。

2022年1月12日 (水)

物事をシンプルに捉える

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この世の中、難しくて複雑なことを言っている人間の方が、なぜか正しいように感じてしまうことがあります。
知識が豊富で賢い言い回しをされると、この人の言う通りに生きていけば、きっと幸せになれるんじゃないか?と思ってしまうわけです。

でも、よくよく考えてみてみると・・・人生って意外とシンプルな答えしかありません。頭がいい悪いに関係なく、例え人一倍、仕事ができても、いつも不機嫌で、人から嫌われていたら幸せとは程遠い人生になってしまうこともあります。

ものごとの本質をとらえるためには、実は複雑な現象をシンプルにとらえなおすことが必要です。今の世の中の複雑すぎる問題が多いと感じます。「明るい言葉を使い、笑顔で人に親切にする、そして上機嫌で幸せの道に舵を切る。」これししかないと思います。

どんな難しい事象でも、単純にすればするほど本来の姿、すなわち真理に近づいていくと思います。単純に考え、単純に行動し、単純に改良する・・・このシンプルさが必要な時代のように感じます。

2022年1月11日 (火)

地域に愛着を持つこと

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私たちの生活や生き様に密着した土地、それが郷土(地域社会)です。
そこで生まれ育った人も、また、他の土地から移り住んできた人も、その土地で生活していくためには、その土地を良くしていかなければなりません。

争いがあったとしても、いつまでも憎み続けていたら、将来に対する禍根を残すだけです。現代人は、理念や思想に振り回されすぎます。

肝心なのは、自分の生き様であり、自分の思いです。
理論や理想で飯は食えません。人間は、先ず生きていかなければなりません。生きていくためには、時には、妥協せざるを得ない時もあります。それが現実です。

かたくなに自分の考えや立場に固執するのは、悲劇を長引かせるだけです。だからこそ、愛が必要なのです。自分達が住み、自分達を育んでくれる土地を愛し、感謝する心それが、「地域愛」です。

「地域への愛着」
地域での生活を通して、“地域への愛着”は、時とともに変わります。また、自分から他者、他者から自分に広がりを見せます。

人は「地域への愛」をもつことで、周囲の人や自然、地域のものを大切にするです。一人ひとりのちょっとした気持ちの持ちようによって、人や地域は豊かになるのです。でも、“地域への愛着”は、人間関係と結びついているために繊細であり、努力を怠ると消えてしまうかもしれないのです。

遠い先代から受け継いている土地(自然環境)を、守り未来に引き継ぐことの大切さを、その土地に住む人々が「地域の愛着」を共有することが、大事なことと思います。

2022年1月10日 (月)

幸せは自分のこころが決める

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「しあわせは いつも自分のこころがきめる (相田みつを)」
日々の生活の中で、「幸せ」を感じる時間はどのくらいあるでしょうか? 1日、1回ほど?それとも10回ほどでしょうか?人によって、また、おかれた環境によっても異なるでしょうが、幸せを感じる時間が多ければ多いほど、楽しい毎日を過ごせそうです。

このことばには、2つの意味があるのではないかと思います。
1つ目は、普段、自分の周りに当たり前にある幸せに気づいているか、ということ。2つ目は幸せ、不幸せという価値観は自分の思い込みで生まれるということです。

「当たり前にある幸せへの気づき」とは…
今日も一日をつつがなく迎えられ る幸せ、朝ご飯がおいしいと感じる幸せ、おはようと挨拶を交わしてくださる人がいる 幸せ・・・と、幸せを数えていけばきりがありません。そして幸せを数えれば数える ほど、実は自分を取り囲む幸せがたくさんあるのだと、実感できるのだと思います。

「幸せという価値観は自分の思い込みで生まれる」とは…
具体例を挙げれば、 どんなに恵まれて幸せそうに見える人でも、本人が幸せだと思っていなければ、その人は 幸せではないということがあるでしょう。幸せとは、例えばお金に不自由しないことだ、容姿に恵まれていることだ、などという定義は、自らが作りあげた価値観です。

大自然の中で生かされている

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「自然の法則・自然の流れに従い、自然に生かされいる」
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私たちは、宇宙の中にいます。そうです・・・私たちも宇宙の一部です。人間や、家、他人、空といった区別は、人間の目から見えている幻想に名前を付けているだけです。
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 「宇宙一つ」
「自然」という言葉がありますが、これは宇宙の法則のことです。私たちはみんな、宇宙の一部であり、宇宙そのものなのですから、この自然という宇宙のルールに従って生きています。
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「自然の流れに沿う」
これは結局宇宙の法則に従うことなのです。そうした意味においても、自然の流れに従うと、すべてがうまくいきます。そして「感謝」することで、平穏に暮らすことができるのです。
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私たちも宇宙の一部であり、自然の一部ですから、その流れに乗れば、力を入れなくても回り始めます。川の流れと同じです。海に向かって流れる川は、まさに自然の流れです。
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自然の流れに沿って生きる川に流れる水の上を、カヌーに乗って川を上っていこうとしても、力が入り、大きな前進がありません。水の流れは、その流れに沿って進むことが、最も自然な流れです。川の流れに沿って進むと、カヌーはもはや力を入れなくても、すいすい前に進むことができてしまいます。そして「感謝」することで、平穏に暮らすことができるのです。
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川の流れに逆らうような生き方では・・・
病気になったり、喧嘩をしたり、いらいらしたり、物事がうまくいかなくなります。それはまさに「自然に反しています」という自然からの警告なのです。宇宙の大自然が、教えてくれているのです。
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その警告に従い、自分の人生を振り返ることが大切です。私たちが自然そのものなのですから、自然には逆らえないのです。そして、大自然の川の流れに従い生きていられることに、感謝し明日をまた生きることです。

2022年1月 9日 (日)

日常の「当たり前」に気づくこと

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「幸せ」は自分自身が決めることです。
そして日常の幸せに気がつくと普段の生活がとてもキラキラと輝きだします。当たり前になっているから普段は気がつかないのです。
 
普段は当たり前になっている健康で気づく・・・
何らかの原因で体調が悪くなって初めて、体に不自由がないことはなんて幸せなんだろう、と実感することができます。体調が回復した直後は「健康のありがたみ」を感じるけど、元気なことが当たり前になるとすぐに忘れてしまいます。
 
人は失ってから気がつく生き物
もし失う前に気づくことができれば幸せをたくさん感じることができると思いませんか。「健康であることが幸せだ」と意識していれば体が不自由なく動くだけで自分は幸せな気分になることができます。
 
満足するごとに、幸せを感じることに鈍感になる・・・「もっともっと」と、自分自身で幸せのハードルを上げてしまい、結果、現状が不満の多い生活であるように錯覚してしまうのです。
 
幸せかどうか? 必要なのは自身が感じる力
「幸せとは、ポジティブ感情である」ポジティブ感情とは喜び、感謝、安らぎ、愛、希望などであり、その意味で、日常の当たり前の「幸せ」に気付くことが大事です。「お正月に、子供・孫たちに囲まれ嬉しい」・「夜寝るときに今日の無事に過ごせて感謝」・・・日常の当たり前の「幸せ」に気付くことです。
 
感謝の気持ちをもつこと
私たちの世界は、人との関わりで成り立っています。家族や仕事相手、友人など毎日誰かしらにお世話になっています。人とそれほど関わらない生活をしている場合であっても、どこかで誰かの働きの恩恵を必ず受けているものです。

2022年1月 8日 (土)

老人の呟き

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冬のある日 老人は呟いた。
生きていくということは、山の連なる道を行くようなものかも知れない。その道の途中に待ち構え、行く手を阻む山々、それは、丘程度の低い山もあるが、見上げても頂を見る事が出来ないほどに高く険しい山もある。
 
若い時は、高さも見当がつかなければ、行程の険しさも、困難さも充分に理解出来てない。だから、高いからと言って、そこで簡単に諦めない。先輩達に無鉄砲と言われても耳をかさないで、超えた先にあるものを求めて、ひたすら突き進んで行く事が出来た。
 
そのように、恐れず、躊躇せずに、前に、前にと、未来に向かって突き進んでいける事こそが、若さの特権である。だからこそ将来思いもよらない、成功を得るチャンスを得る事も出来ると思うのかも知れない。
 
しかし悲しい事に、人は、いつかは年を取って行く、年を重ね、知識が増え、挫折の経験を積み重ねていくに連れて、自分の前に立ちはだかる、或いは超えようとする山の高さ、偉大さに、そしてそれを乗り越える事の困難さを、知る事になってゆくのである。
 
能力の限界を感じ、道程の困難さをあらかじめ予想できるようになると、その道のりの困難さ、努力の後の挫折の虚しさなどを嫌って、道半ばで、早い人は、山を前にしただけで、諦め、回り道をしたり、後戻りしたりするようになってゆくのである。
 
これは、ある面では他人の偉大さを認め、おのれ自身を謙虚にするという良い面を持っているが、人類としても、民族としても、個人としても、進歩という点から考えれば、あまりに早い時期からそのようになっていくことは、憂うるべきことかも知れない。
 
人はどんなに年を重ねても諦めてはいけない。命燃え尽きるまで、高いハードルを目指して努力するからこそ前進できる。後戻りは出来ないし、ゴールテープはない人生行路だ。進むのみである。未知の世界にチャレンジをしていくと充実感を味わえる、人生を送れるのだと思う。

2022年1月 7日 (金)

小さな幸せに気付く

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誰もが忙しくストレスの多い時代に生きる現代人……
幸せになりたいのに思い通りにならず、何をやってもうまくいかないことも、時にはあります。「自分は不幸だ」という考えにとらわれていると、すぐそばにある「小さな幸せ」にも気づけず、どんどん深みにはまっていってしまいます。

幸せが見つからないのはなぜ?
幸せは自分で見つけ、感じ取るものです。頭では分かっていても、現実は困難なことが次々とやってきて、「小さな幸せ」なんて見つけられない! そう感じるかもしれません。
 
ないものよりあるもの
目の前にあるものを当たり前と思い、ないものばかりを数えていないでしょうか。他人が持っているものを羨み、自分にないことを嘆いても、何も得るものはありません。それよりも、自分が与えられているもの、恵まれていることに目を向けることです。家族や友人、住む場所や着るもの、毎日健康にすごせること・・・などに幸せを感じることです。
 
そして、身のまわりにある「小さな幸せ」に気付くことです。自分をいたわることです。「おいしいコーヒーを飲む」・「きれいな景色を見に行く」といったちょっと特別なことまで、「小さな幸せ」を自分にプレゼントする気持ちを持つことです。
 
「小さな幸せ見つけたら」
いつでも、どんな状況でも、「小さな幸せ」を見つけ、感じられやすくなるように、変われたら素晴らしいと思います。大きな幸せを追っては挫折し、心傷つくのはもうやめて、すでに身のまわりにある「小さな幸せ」に気付くことができれば、心穏やかに毎日をすごせると思います。

平凡は非凡なり

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「平凡は非凡なり」とは・・・
平凡で生きることが、実は一番難しいということだと思います。自分では平凡だと思っていても、人の価値観は様々なので、他の人から見ると非凡に見えることもあります。

「本当に平凡であるということの方が難しい」
平凡でいられることは非凡な才能で「平凡な人生」は存在しない…人の数だけそれぞれの「平凡な人生」が存在する…。そして、また「平凡ではない」とは、「その他大勢」ではないということです。
 
平凡な人生って・・・
五体満足で生まれて、悪い事、良いことを適当に、楽しんで大きな失恋を何度か経験して、結婚するまでに、恋人が何人かいて、20代から30代にかけて結婚相手を見つけ結婚・・・数年後には子供が生まれ子育てに悪戦苦闘、やがて成長し小学校卒業で涙を流し高校等への進学を助ける・・・。
 
マイホームを買ったり、子供への仕送りでお金のことを考え・・・その子が、やがて結婚し孫ができ、人生を振り返りながら死ぬ・・・平凡な人生って大体こんなとこでしょう。世の中は人それぞれ違うのは当たり前です。

2022年1月 6日 (木)

小さな善行を積み重ねる

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きのうのこと(情報)は・・・きょうは時代遅れ?
現代は、あまりのも忙しく、いろいろな情報で右往左往している人も多い?「時代の乗り遅れてはいけない。時代の波にのれない。」で汲々として・・・大事なこと忘れていませんか?

周りのことも、時節の移り変りも、振り向かず、ただ“がむしゃら”に生きている人が多いと思います。人生をもっと“ゆったり”生きたいものです。人のことなど・・・考えている“ひま”などありません?・・・自分さえ良ければの「自己中心」の人が多くなり、“ぎすぎす”とした人間関係となっているのでしょう。

「持久微善(じきゅうびぜん)を積んで撓(たゆ)まず」
今朝はわがままで、スローライフで?のんきな爺が想い綴ってみます。小さな善行を積み重ねて行くことの大切さを説いたものです。私たちは日常生活の中で、人の世話をしたり、地域社会を少しでも、気持ち良く暮してほしいと考えて行動をする・・・

しかし、その善行は、一時的で長続きしないことが多く、私たちの品性を向上させるうえで力が弱いのです。たとえ小さな善行でも、持続して行うことによって大きな成果をもたらします。道徳実行の生命は、このように不断に続けるところにあると思います。

私たちは、喜びや悲しみ、感謝や不平不満などの目に見えない心のはたらき・・・人に挨拶をしたり、ゴミ・タバコの吸殻を投げ捨てたりするなど、小さな行為については、比較的無頓着です。

しかし、このような軽微な心づかいや行いが、時々刻々に私たちの運命を形づくっているのです。したがって私たちは、日々の小さな心づかいと行ないにも十分注意し、少しでも善行を積むように努力することが大切です。

日常の生活の忙しさに、道徳実行の価値を十分に理解することができず、小さな善事を積み重ねることを軽視しがちです。しかし、日々の心づかいと行ないの累積が、やがて習慣となり、それが人生の大きく左右するのです。私たちは、日々心を新たにし、たゆまず微善を積んでいけば好運命を開くことができ、さらには明るい社会を築くことが出来るのです。

善いことはできることから、続けて行く・・・感覚としては種まきと、同じではないかと思います。善い種をまいて、毎日水をやったり、気にかけて世話をする。いろんな種類の善い種を見つけてきて、それもまく・・・善いことを続ける信念と勇気を一緒に成長させる。「途中困難最後必勝」の心で自分に勝つ。あきらめない。善を積み続けることです。

2022年1月 5日 (水)

高齢となっても前向きに生きる

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私も80代の半ばでの実感
高齢になるほど体力は落ちますし、社会との関わりそのものが薄れてしまったような、心細い気持ちになることもあります。そして、認知症の不安が出てきます。

老いは克服すべき試練
年を重ねることへのそうした不安は、「なるべく長く若さを保っていたい」という心の焦りを生むことがあります。心身の健康を気遣うことは確かに大切ですが、加齢を否定的に捉えるあまり憂鬱になってしまう人にとって、老化現象のすべてはまる克服すべき大きな試練と思います。
 
若い頃より楽しい・・・
実際に高齢者と呼ばれる年齢の方々は、決して不満の多い人ばかりではないようです。むしろ、「若い頃より楽しい」という人も多いのです。「高齢になるほど幸福感が増す・・・」若い頃より多くのものを失うはずの高齢者が、実は幸福感の低下どころか、向上を感じている現象は、世界各国の心理学的調査で明らかになっているそうです。

高齢期に幸福感が向上する理由
人と比較される場面が減ることで心が平穏になる・・・仕事を引退したり、それまで参加していたコミュニティから身を引く年齢になると、少し淋しさを感じる一方、無理な人付き合いから解放されて気が楽になることがあります。

他人と自分との能力差や境遇を比べてストレスを感じる必要もなく、自分の価値観に従ってマイペースに過ごすことができる毎日は、心に平穏な幸福感をもたらしてくれると言えます。また、これまでの経験を活かし、別の形で社会貢献をしようと取り組む高齢者には、より自分らしい新たな居場所とやり甲斐が生まれます。

2022年1月 4日 (火)

地域のコミニティについて

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「地域組織の活性化」において、「地域のコミニティ」の問題があります。
「地域コミュニティ」で、多くの人が指摘しているように、近年は人と人とのつながり(コミュニティ)が希薄になり、地域によっては、近所どうしでも挨拶しない、隣に住んでいる人もよく知らない、という状況になりつつあります。

それに伴って町内会・自治会の加入率も低下しつつあります。また、「地域コミュニティなんてもう古い。今後は徐々に廃れていくものだ」とか「町内会や自治会などの地域組織は古い体質が残っている、自主防災会など、目的を明確にして活動している地域の住民組織を、総称してこう呼んでいます。

なぜいま地域コミュニティなのか
「地域の者は地域で守る」人はひとりでは生きられません。友達や周りの人とつながり、認め合うことで安心を得て生きています。子どもや高齢者の方、障害者の方はもちろん、私たちは誰でも、周りの人たちのちょっとした気遣いや見守りのなかで、支え・支えられながら暮らしています。

この当たり前のことを、私たちは長い間忘れて暮らしてきたのかもしれません。コックをひねれば水やガスがでる。街の安全は警察や消防が守ってくれる・・・そんなサービスを前提に、わずらわしいことは「公共(役所)」にまかせて、「私は一人でも生きていける」と思ってきました。

しかし、とりわけ、近年人と人とのつながりがどんどん希薄になるなか、周りの人とうまく関係をつくることができずに孤立化する人たちや、お互いが無関心ななかで発生する都市型犯罪の問題など、「ひとりで生きる」ことのはらむ問題点が明らかになってきました。

地域コミュニティがしっかりしていた地域のほうが、「ひとりで生きる」人の多かった都市部よりも災害被害が少なく、その後の立ち上がりも早かったことはよく知られています。

震災のような非常時だけの問題ではありません。いま私たちの身の回りでおこっている、子どもを狙う犯罪や事故、高齢者の孤独死などのなかには、ちょっとした地域の見守りや支えあいがあれば、(もちろん完璧ではないまでも)防げるものが多くあります。

そんな大げさな想定をしなくとも、孤独になりがちな高齢者や小さな子どもを抱えて、がんばるお母さんたち、リタイアして居場所を失った中高年、周りに認めてもらえなくて自分を見失いかけている子どもや若者たちに、安心して生きていける地域社会を創生することが、大事なテーマであると思います。

「人と人とのつながり」の中に居る(コミュニティの中で、自分が自分として認められる、認め合う。すなわち、居場所がある)ということは、とても大切なことのはずなのです。「地域コミュニティがしっかりしていることが安心の基盤」だということに気づいて欲しいと思います。

マンションにお住まいの方も、以前のように「近所つきあいをしたくないからマンションを選んだ」という方も、ある程度地域と関わりながら、定住していこうという考えて欲しいと思います。

2022年1月 3日 (月)

町の美化活動について

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町の通勤・通学路・バス停・公園などに、タバコの吸殻やパンの袋、空き缶やレジ袋などが無造作に捨ててられています。

目に付くそれらを拾ってゴミ箱に捨てる・・・空き缶も分別する・・・処分は、市の公共施設に許可を得て処分しています。私は生まれも育ちも、今住んでいる町です。

「美化活動」
この町が好きだからで「美化活動」しています。だから当たり前であると思っています。ゴミ拾いの作業を終えた後は清々しい・・・この町に住んでいる人みんなが、この町に住んで良かったと思っていただけるようにと思って「ゴミ拾い」います。作業を終えると、何故か「幸せ感」すら感じるのです。
 
この「幸せ感」は、社会を批判だけして、自らは何もしない人には理解されないと思います。ゴミ拾いが習慣化して、天気や自分の都合で、ゴミ拾いが出来なかった日などは、町のあの場所はどうなっているのだろう?と思うようになってしまいます。

本当は、誰もゴミは捨てない・・・昔ののように家の前の道路を掃き掃除する・・・ことは習慣化して欲しいです。人のため・地域社会のため、みんなで町をきれいにし、きれいな町で住み続け、「この町住んで良かった・・・」町にしたいものです。

2022年1月 2日 (日)

感動するって新鮮

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「感動」する事は生きていくために、とても大切なことです。
個人の心の受け止め方に、かかっていることですが・・・普段の生活を「ハリ」があって新鮮で、前向きの暮らしをエンジョイする事に繋がります。

特に年を取って来ると、頭が固まってきて、考えに柔軟性がなくなり、人から「いっこく」「分らん人」といわれ、何かと敬遠されてしまう事になります。
 
感動の手段は、自分の心の支えとなることが大事です。趣味で音楽、旅行、読書、映画鑑賞、園芸等何でも人から見て「何んだこんなこと」と言われても構わないから、屈託のなく心に溶け込んでいるならばいいと思います。
 
硬直して何も受け入れない心をほぐし、柔軟性を持って何事も受け入れられる素直さが醸成されて来きます。言い換えれば、美しい畑では無く、土に栄養分たっぷりの肥沃の土壌を、何時も維持できるから、どんな作物でも、大きく育ち、立派な実が出来て収穫が楽しくなるという事です。
 
そして、「感動」することを素晴らしく高く評価し尊重することです。日常生活において、感性を高め感動する事は明日を明るく生きられると信じることです。そして、大きな心と柔軟性を保つ事を日頃、心がける事にあると思います。

2022年1月 1日 (土)

節がなければ耐えらない

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”明けましておめでとうございます”・・・2022年元旦(令和4年)
竹に節がなければ、ズンベラボーで取りとめがつかなく、風説に耐えるあの強さも生まれてこないでしょう。人間にも言えることで、はやはり「節」は必要で流れる歳月にも「節」があります。

ともすれば、取りとめも無く過ぎて行きがちな日々です。せめて年一回は「節」を作って、身辺の見直し、整理して長い人生に耐える力を養いたいものです。
 
そういう意味でも正月元旦は意義深く、今まで生き方を振り返り、反省し未来に向かって軌道修正しなければならない゛時”である。そして、常日頃から考えなければならない事も考えたい。そして、新たな勇気と希望を生み出したい。
 
 年迎え あり日思う 母遠く
 
 初空に 飛び立つ鳥の 羽音して
 
 夢つなぐ 新春のあさ 幕上がる
 
 穏やかな 年願いつつ 初日の出
 
 初富士や 空晴れ渡り 静心 

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