« 2021年11月 | トップページ | 2022年1月 »

2021年12月

2021年12月31日 (金)

一隅を照らす

画像 019
.
「一隅を照らす」とは、天台宗の開祖である最澄の教えの中にある言葉です。「自分が輝くことで、周囲の人が輝ける」という教えです。
 
ここでいう ”一隅” というのは、いわゆる世の中の隅っこ、日の当たりにくい暗い所や片隅という意味ではなくて、「自分が居るところ」すなわち「家庭や職場など、一人ひとり自分の置かれたその場所」を指すのです。つまり「その場所において光る存在になる!」ということです。

世間一般的に、自分の置かれた状況や環境に対して不平不満を言う人は結構いるものです。自分の「夢」や「理想」を掲げるのは結構なことです。しかし、それを実現させようと思えば、まずは “目の前のこと” にド真剣に取り組むことが先です。
 
大事なのは、「いま」・「ここ」です。それを全うできないような人では、「夢」を叶えることなど到底できるわけはありません。

つまり「一隅を照らす」は・・・「自分の居場所で精一杯に尽くすこと」そんな姿勢で毎日を送っていれば、必然的にその場その場で欠くことのできない人間となり、社会からも必要とされる人間になっていくはずです。

2021年12月30日 (木)

リレーされる”いのち”

100401oza_009[1]
.
リレーされる命」とは人間として、種族として、家族として継承される生命ということです。家族で言うと、祖父母、父母、子、孫というように続いている「いのち」です。

私たちが先祖や子孫のことを想い起こすことができるのは、せいぜい3世代くらいまででしょうが、私が今ここにいるということは、何はともあれ、二人の父母がいたからです。その親がまた二人ずつで四人と倍々に増えていきます。

父母、祖父母、曾祖父母と世代をさかのぼればのぼるほど、祖様の数は増えてきます。実際はいろいろと複雑に絡み合っているのですが、こうして考えますと人類みな兄弟、ご先祖様はみな同じということになります。

人間同士も、すべてのいのちも同じつながりがあるのです。ですから、いのちあるものはみな兄弟と意識できれば、人間同士が傷つけあったり、他の生命を粗末に扱ったりということもなくなるのではないでしょうか。

動植物の多様性
スミレ・タンポポのような小さな草花も、アリのような虫も、私たち人間も、みな同じ生命の持ち主であり、その生命力は遠い先祖からはるか未来へリレーされていくいのちなのです。私たちは、あらゆる生命の誕生を喜ぶことはもちろん、人間のみならず、動物や植物の生命のつながりや重さをかみしめたいものです。

2021年12月29日 (水)

人間の生きる原点を考える

DSCN0400[1]
.
誰もが大切であると認める生命……
大切なものなら、ずっとそのままでいてくれたらいいのにと思いますが、必ずいつかは消える仕組みになっています。生命ははかなく、いずれ必ず消えてしまう、寿命や他の原因で死んでしまうことを、私たちは知っています。

私たち人間は、他の命を頂いて生きていられるのです。
今日の食事は何でしたか?ご飯、パン、お肉、魚、野菜……野菜や植物も生命があり、その生命をそれぞれの一隅で立派に生きていたに違いありません。

厳しい見方をすれば、いくら人間が共生と声を上げて主張しても、生命を大切にと訴えても、私たちは他の生命を奪わずには生きていけないのも明白な事実です。またこのことは大自然の営みにおいて、生きもの同士の連鎖があるように、他のどんな生きものも同様です。

一方、他の生命を奪うという点に関しては、結局は人間の身勝手であり、エゴです。そもそも常日頃からどんな生きものの生命も、できるだけ失わないように努めなければなりません。そうは言っても、食事を取らないと飢え死にしてしまいます。

また樹木を伐採して家を建てたり、家具を調製したり、緑の山野を、宅地開発を行ったりしていかなければ、人間の住むところが足りません。人間が自然を犠牲にしなければ生きていけないという宿命と、現実は心に留めるべき痛みと言えるでしょう。

だからこそ、いろいろな生命の恵みによって生かされている…そのおかげをいただいている…という感謝の心を持ち、そのような人間らしい反省の中から、私たちは分相応ということを、意識しなければならないということです。

2021年12月28日 (火)

人生の変遷に思う

画像 750
.
84歳まで生きてきて思う・・・人の世の移り変わりの激しさ・・・
いろいろな人との出会いがあり、そのたびに運命が変化し大きく輝いたこと、あるいは厳しい現実に打ちのめされたことなどを思い出し、みずからの歩いてきた人生に想いを重ねてみますと……

いま私は穏やかな人生の冬を迎え、人生を振り返り、いろいろな人との出会いに、希望と失望を混ぜながら、懸命に生きたあのころ、多くの人々との出会いを思い起こせば、感動にふるえ、いまでも心が熱くなります。

家族や親しい友人など、今までの人生で深めてきた人間関係は、高齢者にとって大切な宝物です。そんな人たちの笑顔を見れば何よりうれしく、幸せを感じられるものです。自分の人生は良いものだったと、かみしめることができる瞬間です。

高齢者のなかには、「あの人に会って謝りたい」「わが子に十分なことをしてあげられなかった」など、人間関係に心残りを抱えている人もいるでしょう。こうした思いを持っていることに気付いたら、当事者に連絡をとったり、こちらから会いに出かけるなど、前向きな行動を開始してみることです。
 
「謝って、長年のわだかまりが解けた」「子どもと関係が改善して、毎日が幸せになった」・・・大切な人と良好な関係を築き、穏やかに日々を過ごすことができれば、高齢者の幸福度はきっと高まるはずです。

2021年12月27日 (月)

幸せとは気づくこと

画像 038
.
人間にとっての幸せとは・・・
人の幸せとは人それぞれ感じ方・想いに違いがありますが、今の私たちの幸福の価値観、基準が昔とは大分変化していると思います。物質的な幸せとでも言うのでしょうか、言い換えれば金銭的に裕福であるということがイコール幸せであると、金銭的なことの成功が幸せと思ってしまうのが現代の傾向です。それは単にお金に価値観が縛られているということです。
 
現実的にはお金が無ければ、ほしいものも簡単に手には入りません、無ければ食べることも困ると言うこともあるでしょう。ですが、お金は本来、人が社会生活を送る為の便利な道具の一つにしか過ぎません。そのお金に縛られて本来の幸せを見失わないようにしたいものです。
 
人が幸せと感じるのは「達成感」と「存在感」
「達成感」とは何かを達成したときに感じる満足感に他なりません。仕事が巧く行ったとか、ほしいものが手に入ったとか、おいしいものを食べた時、プロ野球選手になりたいとか、オリンピックで金メダルを取りたいとかなどいろいろ有りますが、夢や望みがかなった時と言うことになります。
 
「存在感」とは己が今そこに居ることを他が認めること、知ってもらえた時に得る幸福感と言うことです。何か偉大なことを成し遂げて有名になり自分の存在を知らしめると言うこともありますが、もっと誰でも出来ることがあります。

たとえば挨拶もその一つです。朝、おはようと声をかけ、おはようと返ってくることもその一つです。何か他人に親切にしたり、他のために何かをしたりして、ありがとうと言われたり、感謝されたりした時に感じる幸福感が存在感という事です。

この存在感からくる幸福感は、達成感からこる幸福感より、とても小さいですが、誰でも簡単に得ることが出来る幸福感です。他のために、人のために何かすると言うことが、幸せになる、幸福感を得ることが出来るということです。

2021年12月26日 (日)

ゆったり丁寧に生きる

画像 205
.
現代社会は年々慌ただしく、複雑になっていっています。健全な心と身体を保つためにも、丁寧に生きることの重要性が増しています。人生を楽しくゆったり・丁寧に過ごして生きたいものです。

丁寧に生きる
丁寧に生きるとは、生きるために本当に必要なことを、常に注意を払いながら大切に行うことです。現代人は、日々時間に追われ、テレビやインターネットなどからのおびただしい情報に晒されています。
 
一日の出来事や流れてくる情報による刺激に反応しているうちに、自分にとって必要な行動が何なのかわからなくなり、行動にも集中できなくなたりします。仕事をする時も、食事をする時も何か別のことを考えて、心ここにあらずといった状態になり、雑になってくるのです。
 
刺激に振り回される流れを止めて、自分にとって必要な行動を取捨選択し、その行動に集中するよう意識を向けて生活する必要があるのです。ひとつひとつの行動を大切に、丁寧に生活すれば、心の安らぎとともに人生の主導権を取り戻すことができます。
 
丁寧に生きるを意識して毎日ゆったり過ごし楽しく過ごす考え
今していることに意識を集中することです。丁寧な暮らしを忘れた時、人はたいてい生活に関することをおろそかにしだします。毎日の生活におけるちょっとした行動に集中できない人は、仕事だけ集中できるということはなく、仕事のことを考えているようで、実は焦りや怒りといった余計な感情で、頭が埋め尽くされていたりします。
 
立ち止まって、今どのような思考、感情が生じているか気づくことです。その思考や感情を消そうとするのではなく、「ただ在る」とただ見ておくような感覚でいると、自然に消えていきます。雑念が都度消滅して、心が静かな状態になれば、今の行動のみに集中できるようになります。

2021年12月25日 (土)

長生きは幸せか

画像 001
.
長生きすることは昔から多くの人が望んできたことであり、「長寿」という言葉が示すように寿(喜び)であり(幸せ)であるはずです。

それにもかかわらず、長生きすることで不安を感じ、素直に喜べないという人も多くいます。そのような不安のもとになっているのが、「健康」「介護」「老後の生活費」など、長生きすることにより高まるリスクです。

健康・介護のリスク
認知症や寝たきりの、日常生活に支障があるような健康状態では、日常生活を送るだけでも大きな負担となり、長生きしていることの、ありがたみも半減してしまいます。

また介護が必要となる場合には、本人だけでなく介護する側の家族にも負担がかかり、現在では高齢者が高齢者を介護しなければならない「老老介護」という社会問題も生まれています。

ただ長生きするだけでなく、自分でやるべきことが自分ででき、やりたいことを自由にできるという、人が人らしく自立して生活できる期間を延ばすことが、より大切であるといえます。

健康寿命
こうした中、注目されてきているのが「健康寿命」です。健康寿命とは世界保健機関(WHO)が提唱したもので、「人が心身とも健康で自立して活動できる期間」と定義されます。日本では「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」との定義が主に用いられています。

幸せと…喜べる長生き(長寿)といえるためには、平均寿命と健康寿命をそれぞれ延ばしながらも、その差を縮めていく必要があるでしょう。厚生労働省による直近の調査(2019年)では、健康寿命は男性72.68歳、女性75.38歳となっています。

同年の平均寿命(男性81.41歳・女性87.45歳)と比べると、男性で約9年、女性で約12年の差があり、この間は健康の不安を抱えながら生活しなければならないことを意味します。

2021年12月24日 (金)

ゴミ拾いのこと

954A50D5
.
私はよくゴミ拾いをしています。
ゴミ拾いは勝手に始めたもので、頼まれた訳でも、お金をもらっている訳でもありません。完全なボランティアです。

もちろん、ゴミ拾いをする理由は環境問題です。そして、この町好きだからです。また、自然に優しい以外にもメリットがあってやっています。

町の人に声はださないが、「私たちの町は、私たちで守ろう」訴えたいのです。そして、私が自主的にゴミ拾いを、
人に勧めたいのですが
・・・その理由・・・
① 気分が良くなる
② 運動になる
③ ひと目を気にしなくなる
④ 視野が広がる
⑤ 自分を好きになれる

ゴミ拾いをすることで、”生きがい”すら感じることができます。自己満足と言う人もいますが、関係ありません。社会貢献して自尊心が上がればダブル・ハッピーです。

「自分に自信がない人、是非ゴミ拾いをしてみて!」
ゴミ拾いを続ければ自信にも繋がります。たとえば、私の人生は褒められたものではありません。それでも「自分はゴミ拾いしている」と思えば、ちょっとだけ胸は張れます。小さなことですが、こういう積み重ねは大事です。

2021年12月23日 (木)

地道なことを積み重ねること

画像 461
.
大きな夢や願望をもつことは大切なことです。
しかし、大きな目標を掲げても、日々の仕事の中では、一見地味で単純と思われるようなことをしなければならないものです。したがって、ときには「自分の夢と現実の間には大きな隔たりがある」と感じて思い悩むことがあるかもしれません。
 
しかし、どのような分野であっても、すばらしい成果を見出すまでには、改良・改善への取り組み、基礎的な実験やデータの収集、足を使った受注活動などの地味な努力の繰り返しがあるのです。
 
偉大なことは最初からできるのではなく、地味な努力の一歩一歩の積み重ねがあってはじめてできるということを忘れてはなりません。・・・京セラ 名誉稲盛和夫氏の言葉より・・・

「地道なことを積み重ねること」の大切さ…そして「人事を尽くし、天命を待つ」
運がいい人は必ず、地道な努力を重ねています。成功した人が言う「運が良かっただけ」という言葉の意味は「たまたまうまくいった」ということではありません。

「運がよかっただけ」の真実は、「自分にできることはやり切った、その結果がどうなるかは運に任せ」の結果です。

2021年12月22日 (水)

生きる意味

画像 332
.
生きる意味は・・・「幸せを求め続けること」です。

「生きがい」を感じることで「幸せ」と感じる…。
生きがいとは、平たく言えば、「生きる張り合い」のことで、「このために、自分は生きているんだ」という、生きる原動力になることです。

生きがいが失われると、毎日の生活が空しく感じてしまうことがあるでしょう。例えば、生きがいが感じられなくて苦しんでいる人には、こういったパターンがあります。
 
毎日、ただただお金を稼ぐことだけに時間と労力を注いでいるが、「自分が生きている意味分からない」「喜びを感じられない」「マンネリ化している(向上していない)」「自分らしく生きていない」などが理由で、生きていることに苦しくなってくることはあるのかもしれません。

「贅沢だ」と思う人はいるかもしれませんが、たとえ家族であっても、自分以外の人の人生に乗っかることはできないし、自分は「自分の人生」を歩まなくてはいけないため、「私は何をやっているのだろう。人生で成し遂げたいことはないのだろうか?」と考える人はいるでしょう。
 
逆を言えば、「喜びを感じること」「自分が向上していっていること」「自分らしくいられること」が実感できることは、生きがいになりやすいと言えます。

子供が、「自分の生きがいは?」なんていちいち考えないのは、好きなことに時間を費やし、親のサポートの元、日々、成長し、自分の人生を全うしていて、それが「生きる意味」になっているからかもしれません。

2021年12月21日 (火)

高齢となって人の一生を考える

1024px-Yudono_River03[1]
.
高齢者の生き方
「老後の安泰、福祉充実」これは人間の昔からの願望です。すべての生物は子孫を残すために生きています。そのため、子孫を残すと死んでいく・・・

例えば、さけは秋頃に日本に帰ってきて、産卵・受精をする。その時、産み落とした卵は、約2ケ月で孵化して稚魚になる。春になると、川の流れのあるところに出て成長しながら海に出て行く……海に出た稚魚は沿岸を移動しながら北洋へ向かい、4年後には再び自分の生まれた川に戻って産卵・放精後間もなく一生は終わる・・・。
 
人は生殖能力がなくなっても生き続ける・・・
子どもを生み、育てる期間を人間の前半とすれば、人間には同じ期間だけ後半の人生があります。後半の期間を持っているのは人間だけです。人間にとって後半の人生が本当の人生。

前半の人生を活動期とするなら、後半の人生は熟成期
今までの経験を生かして、じっくりと熟成しなければなりません。熟成期における人の役割は活動の幅は狭くなりますが、自分の特性と経験を生かして、人生前半の人たちに貢献しなければなりません。

少子化、高齢化社会のなか、高齢者は見捨てられるのは自然の道理です。しかし自然の道理であっても、その時代に遭遇した個人にとっては納得いきません。

「後期高齢者」に該当する人達は、これから楽隠居して、楽に生きていけると思っていますと…とんでもないことに、少子化で働き盛りの若者の数が少なくなり、老人の面倒を十分見る余裕がなくなったと言われてしまいます。「生きがいを持ち、老後は穏やかに暮らせる社会」であって欲しいしものです

2021年12月20日 (月)

自分らしく生きる

画像 324
.
「自分らしく生きるとは・・・」
ものごとを「あるがまま」に受け入れる・・・。つまり、目の前で起こっていることに対して、良いことか悪いことかを判断せず、「今はこういうことが起こっている」と受け入れることです。
 
自分を肯定
ものごとを受け入れるために、まずは自分自身を受け入れること・・・。コンプレックスがあっても、無理やり良く見せようとせず、「これが私の味」と思えることです。
 
考えたことや感じたことを受け止める
ものごとに対して、「嫌だなぁ」と思ったり、イライラしたりすることもありますが、そう考えてしまうことを悪いと思わずに、なぜそう感じたのかを自分なりに分析することです。

そして、人との違いを認識し楽しむ・・・他人と自分は違って当たり前です。自分と比べないで、「こういう人もいるんだ」とか「そういった考え方もあるんだ」と、違いを楽しむことです。
 
他人の意見に左右されない
強情なのは良くありませんが、大切な時には自分の意見をしっかりと主張することです。そうしないと後でモヤモヤした気持ちが残ってしまいます。

「仕返しをしない」ことです。他人に嫌な気持ちにされることがあっても、他人は他人であって、自分ではなし・・・。「私には必要のないものです」と、きっぱり切り捨てて、根に持たないようにすることです。

2021年12月19日 (日)

誠実に生きる

16BF410E
「誠実」とは?
私利私欲がなく、人や物事に対して真心があり、そして嘘などついたりしない真面目さがあるという意味があります。

世の中には色々な人がいます。自分の欲のために平気で嘘をついたり、相手を傷つけたりする「不実」な人もいるでしょう。「誠実」はその反対語で、私利私欲がなく、人や物事に対して真心があり、そして嘘などついたりしない真面目さがあるという意味があります。
 
「誠実な人」って具体的にどんな人なのか?
相手に嫌な思いをさせる嘘をつかない・・・誠実な人はまず嘘をつきません。それは相手に対しても自分自身に対してもです。

私利私欲で物事を考えない
相手目線に立って、相手の気持ちを考えて行動出来る想像力の豊かな人でもあります。親切心の押し売りや、良い人に見られようという偽善的な行為も一切しません。

2021年12月18日 (土)

失うことで得るものがある

画像 353
.
「失うことで得るものもある」
人は常に「何か」を求めて行動を起こしています。そして手に入らなかったり、思い通りにいかないことでネガティブになります。一方で、失って得るものがあります。

「何かを失ったときは必ず、それ相応の何かを得られる」・・・人生は失敗と正解の連続です。もし人生が、何かを一方的に失っていくだけのものだとしたら、人生はただ悲しくて辛い、無意味なものになってしまいます。
 
マイナスには必ず、それ相応のプラスがある・・・それを見つけようとするならば、必ず見つけることができるのです。つまり私たちは人生において、何かを理不尽に失うだけの存在ではないのです。

年を取れば取るほど、いろんな経験をすることで、人や世の中を知り、賢くなっていく・・・その反面、肉体はどんどん衰えていく・・・。「得るものあれば失うものあり…捨てる神あれば拾う神あり…」そうやって私たちの人生は、より良くなっていくと信じて生たいものです。

2021年12月17日 (金)

タバコのポイ捨てはやめて!

2013121402[1]
.
タバコのポイ捨ては昔から騒がれている社会問題ですが、一向に減る様子が見られません。

ポイ捨て常習犯の心理は「余裕がない」に尽きると思います。
「ポイ捨て」とは、社会に生きる人間全員が使用する公共の場所、または自分が所有権を持たない場所に、不適切な形で吸殻を投棄する行為を指すため、ポイ捨てをする時点で「環境への配慮」が欠けていることは明確です。
 
中には路上喫煙禁止区域とわざわざ立て看板を設置してある路上や地域、あるいは喫煙を禁止しているところですら喫煙を行い、あろうことかポイ捨てまでする輩までいるくらいです。
 
自分とは関係ない場所だから別に良い? 誰かが掃除してくれるし別に良い?彼らが考えていることは大体こんな感じと思いますが、まぁーふざけたご都合主義です。心に余裕がなく自分以外のことを考えられないからこそ、ポイ捨てという行為を平気で行えるのでしょう。吸殻だけでなく、パッケージ(容器)なども投棄されていいます。本当にやめてほしいです・・・。

もう一度考えてみてください
自宅の床や庭にたばこを捨てますか?道路やあき地などに捨てるのも一緒です。タバコ一つのポイ捨てがどれほど周囲の方を不快にし、迷惑になるかを考え、タバコのポイ捨ては、絶対にやめてください・・・。

2021年12月16日 (木)

将来への町づくり

29176231[1]
.
美しい景観が残る、私たちの町を維持し、将来に引き継ぐことは、私たちの責務と思います。

伝統・四季折々の風土の中で、 人々の暮らしとともに作られてきた素晴らしい伝統や景観といった地域資源を活かした美しいまちを、後世に継承することは、大切なことです。
 
今、私たちの町を、先代たちから引き継ぐに当たり、町民がいつまでもこのまちに住み続けたい、そして町民以外の方々にもこの美しいまちの魅力を感じてもらう……

これからまちづくりを進めるうえで、将来の姿を推測すると、少子高齢化社会に加え人口減少社会の到来など、自治体が行政運営を今と変わらず行うことは、容易なことではなく、 地域の運営においても人材の減少は、間違いなく進んでいく厳しさに向き合っていくものと認識しています。

地域を支える力の源は「人」であり、 地域の豊かなつながりが貴重なまちづくりの財産であると考え、「人」を大切にし、「人」を育てる町をしっかりと創っていくことが大切と考えます。
 
美しい自然を守り、すばらしい環境の保全を考えながら、 町民のみなさんのたくさんの笑顔を見ることができる、「美しい 楽しい 美味しい」そんなまちづくりに取り組んでいくことは、とても大切ことと思います。

2021年12月15日 (水)

自分らしく生きる

DSCN0400[1]
.
「自分らしく生きる」とは、自分の気持ちに正直に生きていくことを意味します。
他人の評価を気にすることなく、自分が楽しいと思うことや、やりたいことを自ら選択していく生き方のことです。「自分らしく生きること」と、「自己中心的に生きること」とは違います。

自己中心的な人は他人をコントロールしようとしますが、自分らしく生きている人は自分の軸を持ち行動します。つまり、自分らしく生きている人は、全ての行動に責任を持って生きているのです。

 自分らしい生き方・・・
〇 自分のやりたいことが明確
〇 自分に自信を持ち、心から認めている
〇 自分の意見を持っている
〇 他人を尊重することができる
〇 仕事はもちろん、プライベートはもっと充実している
これらのことを頭に入れて努力・研鑽し、生きていきたいものです。

2021年12月14日 (火)

郷土の歴史を学ぶ意義

1c729002[1]
.
「郷土の歴史を学ぶ意義」とは・・・
「過去の歴史を学ぶことで、その知恵を現在・未来に活かすことができる」ということです。

「生きる意味をつかむ」と言ったらいいのかもしれません。過去があり、現在につながり、それが未来に生かされていくのです。

昔の人々の勇気や、くじけない強い思いがあって、今があることを知れば、困難に立ち向かい、それを乗りこえていく自信も生まれてきます。

地域を愛し、人や社会と係る
地域の商店街で働くおばあちゃん…日本の食卓を支える農家の人たち…ものづくりに励む工場の職人さん…地域の安全を守る消防士さん…など多くの人と係りあって、地域社会が成り立っています。

私たちは、人と出会い、その人の思いや願いに触れること、「人に学ぶ」ことこそが、本当の意味で社会を理解することにつながると思います。だからこそ子どもたちには、もっとたくさんの人と出会いたいという思いを抱いてほしいものです。

伝統や文化を理解し、国際社会で生きる
今後ますます進展するであろう社会のグローバル化・・・その社会では、他国を理解し、尊重するとともに、自国を理解し、積極的に発信することが求められます。だからこそ、地域や国に誇りをもち、日本にしかない伝統や文化の素晴らしさに気付いてほしいものです。

2021年12月13日 (月)

多くの人に支えられて生きている

画像 418
.
人はみな多く他人から、助けられ支えられて生きている。
私たちは、誰かを助けたり支えたりして生きてきたはずです。親や友人、隣り近所の人たち、学校の先生・・・みんな誰かと一緒に生きてきたのです。それらの人々は、かけがえのない存在であったはずです。

でも、ただ単に誰かと一緒にいて、長い時間を共に過ごしたとしても、時間だけでは助けられたり助けたりの関係を築けません。当たり障りのない会話をし、楽しくみんなで群れているだけであったとしたなら関係は深まらないでしょう。

必要があれば言うべきことをはっきり言ったり、駄目なことを駄目だと叱ってくれるようなことがなければならないのです。言うなれば、その人の人生に踏みこんでいくようなこともあって、はじめてかけがえのない存在となっていくのだろうということです。お互いがお互いに対して真剣に向き合ってこそ、できてくるのです。

多くの人に支えられていきていることに感謝すること
感謝の心が生まれてくれば、自然と幸せが感じられるようになってきます。生かされていることに感謝し、幸せを感じる心によって、人生を豊かで潤いのあるものに変えていくことができると思います。

友達や親がしてくれることを当たり前だと思わずに、してくれたことに対して、自分もそれ以上のことを返していけるようにする・・・いろいろな人の意見を聞いて、いろいろな考え方があるので、違う視点でも考えられるようしたいものです。

2021年12月12日 (日)

郷土を愛することの大切さ

0401[1]
.
人間は、生まれてから、わが 家を中心にその 土地で過ごし、さまざまな 経験を通して 成長しています。成長の課程の 多くが、生まれ 育った地域社会と 切り離しては 考えられません。

したがって、子供たちが 人間性豊かでたくましく、望ましい人間として 成長するためには、まず身近な人々との 触れ合いの中で 郷土を愛することの 意義を知り、人々や郷土を 愛する心を持つことが 出来るようになることが 基本となります。その意味で、郷土を 愛することは 、子供たちの人間性を 培 う基本であ るといえるでしょう。

郷土を愛する 心は、郷土の 良さを自覚することから 芽生え、郷土をよりよく 発展させようとする 意欲へと高まります。この心は極めて 自然の情ではあ りますが、道徳の 内容と関連づけて 指導することによって、より 一層潜在的な 力を蓄えることができます。

中学校の時期は 、自我に目覚め 、自分の意志で 物事を行おうとする 自立の精神が 強くなってきます。そのため、自分は 自分だけで存在しているという 自己中心的な 狭い考え方になることもあります。

最近は 家族との対話や 近隣との触れ 合いも少なく ともすれば郷土意識も 薄くなりがちです。このような傾向を 考える 時、自分が自分だけで 存在しているのではなく、家族や社会に 尽くした 先人・高齢者によって 生かされていることに 気づかせたいものです。

また、現在の 郷土の発展の 背景には、多くの先人の 努力や貢献があ り、その上に 自分が存在することを 自覚させたいものです。したがって、郷土の 学習を通して、郷土を愛する 意義を理解させ、郷土に対して 深 い 愛情を持たせることが、子供たちにとって、大切なこことです。

2021年12月11日 (土)

幸せはシンプルで奥深い

画像 453
.
幸福だと感じている人たちは、習慣や物の見方、性格に共通点があるように思えます。
「どれもシンプルで奥深い」
今のような閉塞感のある時代であっても、普遍的な答えがあります。それは、幸せであること。幸せの形は人それぞれで、それを実現するために、仕事をしたり、勉学に励んだりするのです。

生きる意味が幸せであることなら、やるべきことはおのずと見えてきます。心を軽く、気持ちを楽にすること。それだけでも、幸せであることはできるのです。

「生きる意味は、幸せであること」
誰かと比べて幸せだとか、他人から見て幸せそうだとか、そんなことは関係ありません。自分が幸せだと感じられることが大切なのです。
 
「とらわれた心を自由にする」
先入観にとらわれた心は、認識がゆがめられ、自由を失っている状態です。自由を失うと、自分自身をも見失います。本当に幸せであるためには、とらわれた心を自由にすること。その価値観を身につけることが、大切なのです。
 
「人と比べることの無意味さ」
誰かより優位に立つことが目的になると、必要のないことにお金をつぎ込んだりして、真の幸せから遠ざかるのです。自分を卑下する価値観にすがりつくことも、幸せから遠ざかります。人と比べることは、自分を幸せにはしないのです。
 
「終わらせることの大切さ」
新しい自分に変わりたい。心機一転、新しいことを始めたい。そんな思いとは裏腹に、ぐずぐずと変われないでいる現実……。どれもきっちりと終わらせることが大切です。始めることばかりに意識をとられがちですが、ケリをつけることも同じくらいに重要なのです。
 
「報われないこともあると知る」
努力はいずれ報われる…。そう信じていると、不得意なことに時間や労力を費やすことになり、無駄な努力となってしまいます。世界は公正にはできておらず、いつも正しい因果関係が成り立つわけではないのです。それを知っておくことで、被害者意識や逆恨み、偏見にとらわれることもなくなります。

2021年12月10日 (金)

現実と折り合いをつける生き方

画像 236
.
「現実との折り合いの付ける生き方」
誰しも、これからどう生きよう「生き方」について、現実を考えて悩んでしまうこともあると思います。こういったときに、どう進路を選んでいけば良いのでしょうか?
 
現実と分けて考えてみる
まず、現実のことを考えてしまってモヤモヤ悩んでしまうときは、自分の気持ち(純粋な興味ではこの方向に進みたいなど)と、それと違った方向性を示す現実(お金のことを考えるとこの道が良い、この道は安定していそうなど)が混ざってしまっていることにより頭が混乱している場合が多いものです。
 
こういったときは自分の「気持ち」と「現実」を分けて、紙に書いたり、スマホやPCの画面などに打ち込んだりして、見える形にしてみると落ち着いて考えることができます。
 
このとき、「現実」の方は割とすんなり出てくると思いますが、「気持ち」の方はできればゆっくり時間をとって自分自身に「何の制限もなかったら、本当はどうしたい...?」と確かめてみることです。
 
悩んでいるということは、「気持ち」の方は大変そうに見える方向性に行きたくて、どこかで「認めたら困る...」と感じているということかもしれません。

選択肢は本当にそれだけ?
もう一つ、進路について悩んでいるときに頭に入れておきたいのは、「第3の選択肢」の存在です。悩んでいるときというのは、0か100か、気持ちか現実かと、選択肢が極端な2択になってしまっている場合が多くあります。そういうときは、第3の選択肢を意識することで、解決する場合があります。
 
「今すぐ決めず、〇〇の時点で決めよう」という「今は決めない」選択肢…一度冷静になって第3の選択肢を考えてみることで、納得のいく選択ができることもあります。

2021年12月 9日 (木)

自分の人生は自分で決める

画像 019
.
「自分の人生は自分で決める」
ちょっとした買い物から人生における重要な選択まで、私たちの生活は「選択」や「決断」死ぬまで続きます。

即決ということもあれば、選択に迷いや後悔が伴ったり、「誰か決めて!」と決断することから逃げ出したくなることも…でも、自分の人生である以上、「これでよかった」と思える瞬間を積み重ねていきたいものです。

正解・不正解などありません・・・
選んだ道を正解に導くのは自分自身、だからどの道を選んでも、自分の生き方で幸せな人生にできるのです。幸せになる道にも、谷や山はあります。

一度や二度険しい道があったからと言って失敗ではありません。その険しい道をどれだけ、自分のプラスに変えれるかが、選んだ道を幸せに導くポイントです。
 
自分を信じ、自分で自分を幸せになる・・・
幸せにしてくれる一番の人たちは、家族・恋人・友達ではなく、まずは、自分自身です。今自分が選んで歩んでいる道と向き合い・・・正解にしていくことです。
”今回は”自分にとって「いい選択だった!」自信をもって決断できれば、今よりもっとポジティブな毎日がやってくるはずです。

2021年12月 8日 (水)

天災は忘れたころにやってくる

画像 015
.
「天災は忘れたころにやってくる」・・・寺田寅彦の言葉です。
ごく最近ですが、山梨県・和歌山県・など震度5弱の地震があり、毎日のように日本列島に地震の報道があります。また、2030年代に大きな地震が起こると専門家は指摘しています。

大事なことは、日ごろから地震災害に対する備えておくことです。
◎家具の置き方・・・工夫していますか?
◎食料・飲料などの備蓄・・・十分ですか?
◎非常用持ち出しバッグ・・・準備できていますか?
◎安否確認方法・・・決まっていますか?
◎避難場所や避難経路・・・確認していますか?

東日本大震災では、多くの人が災害時における個々の役割の大切さを学びました。大規模な災害の発生直後には「公助」は期待できません。行動の基本は「自助」「互助」「共助」を中心に考えることが必要です。
「自 助」
「自分の命は自分で守る」・・・全ての人が自分の身を守るために全力を尽くさなければなりません。まず、自分がケガをせずに生き残ることが基本です。

「互 助」ケガをせず生き残れたら、次に「家族や近所、友人の人たちと助け合う」です。周りを見渡して、助けを求める人がいないか、確かめることです。

「共 助」
家族や近所の安全が確認できましたら、次は「地域の安全はみんなで守る」です。自主防災組織のような地域コミュニティを中心とした単位で、助け合うことです。

「公 助」
「国や自治体、防災機関などによる救助・災害支援活動」…災害の規模が大きくなるほど公助による住民への迅速な援助は期待できません。効果的な公助の展開には発災後 1 週間はかかると考えておく必要があります。

2021年12月 7日 (火)

生きていることに感謝

画像 231
.
私たちは多くの人に助けられ、沢山のものに生かされています。ときに誰かを傷つけ、気づかぬうちに迷惑をかけてしまうこともあります。
 
「困ったときはお互い様」
人はひとりでは生きられない弱い生き物です。だからこそ、助け合い寄り添いながら生きてきました。「大切なのは感謝の心を失わないこと」…「ありがとう」という気持ちを忘れないことです。
 
「感謝」の反対は「当たり前」
人は慣れる生き物です。はじめは感謝したいたことも、しだいに鈍感になってきます。「やってもらって当然」・・・考えてしまいます。身近なものほど「当たり前」になりやすいものです。

つい感謝の心を忘れてしまいがちです。そして、相手を「敬う」気持ちが薄れていき、感謝の気持ちがあっても、口に出して言わなくなります。
 
思っているだけでは伝わらないこともあります。「ありがとう」感謝の心を、言葉して伝えることが大事です。言われた相手も、言った本人も気持ちがいいものです。身近な人に感謝の言葉を伝えることです。感謝を「義務」や「義理」と捉えている人も少なくないように思います。
 
良くしてもらったからお礼を返さなくてはいけない…。助けてもらったのだから恩を感じなければいけない…。「やってもらったからしかたなく」そんな気持ちが少なからず含まれているのです。
 
自分にとってプラスになったときだけ感謝する・・・。何かをしてもらったときだけ感謝するのではありません。人は自分だけの力で生きているのではないのです。
 
自分の弱さを認めること…。驕ることなく、謙虚さを持つこと…。
今があるのが当然ではなく、多くの人たちのおかげです。沢山のものに自分が生かされていることに気づき、自覚することです。
 
「ありふれた日常にこそ感謝する」
私たちは変わらない毎日があることを「当たり前」だと思って過ごしています。人が生きるということ、平和が日々があるということ…。当たり前になりすぎて、そこにある幸せに気がつかない…。何か特別なことがないかぎり、改めて感謝することもありません。

「特別」に対してだけ感謝をするのではないのです。どんなときだって感謝の心を忘れないことです。何でもない「今」という瞬間に感謝することです。特別ではなく、何でもないありふれた日常にこそ感謝することです。足る心を知り、恵まれていることを実感する・・・感謝できれば今ある幸せに気がつくことができるのです。

2021年12月 6日 (月)

恩送り

画像 031
.
多くの人の優しさや助けによって、今日まで生きてきた私たちです。
かつてお世話になったその人たちに、「いつか“恩返し”できたら・・・」と、誰もが心の片隅に何らかの感謝を抱き続けているのではないでしょうか。

「恩送り」とは
「恩返し」は基本的に恩をくださった方にお返しする「一対一」のやり取りですが、恩送りは一つの優しさや助けを受けたとしても、その喜びや感謝を渡す人数に上限はありません。

助けや優しさをくれた相手に何らかの形でお返しする「恩返し」ではなく、自分が受け取った思いやりある行為を全く関係のない第三者に受け渡していく、それが「恩送り」です。いわば「恩のバトンリレー」です。
 
・・・「恩送り」を受け取った相手が、同じように何人もの人々に恩送りをしたら・・・
そのあたたかな恩のバトンは次々と無限の広がりを見せていきます。人から受けた恩はバトン。「恩返し」ではなく「恩送り」という考え方です。

誰かに対して時間や手間を割いたことに対して、大なり小なり相手からの見返りも期待してしまいがちなのが、私たち人間です。ところが恩送りは、あくまでも「はい、どうぞ」と恩を渡す行為であり、そのベクトルは自分から相手への一方通行です。

最初からそのベクトルの方向性が自分でもはっきり認識したうえで行動に移せれば、心のどこを見渡しても、見返りを求める気持ちがない自分に気づくはず。自己犠牲の精神や、恩着せがましさもなく、自分自身がとてもすがすがしくいられます

2021年12月 5日 (日)

思いやりと郷土愛

17715687[1]
.
現代社会は、誰も他人のことを思いやらなくなり、思いやるゆとりさえなくしてしまった・・・そして、他人と関わり合うのさえ面倒になってしまった・・・。

親は子の世話をしなくなり…子は、親の面倒を見なくなり…それで足りなくなったところを教育制度や介護制度、福祉制度に求めるようになり・・・。会社は、会社の都合だけで社員を雇い、社員にとって会社は、生活費を稼ぐだけの場でしか過ぎなくなっています。

誰の助けもいらぬと言う社会は、社会としての本質的機能、相互互助の精神を失ってしまいます。そうなってしまったら社会など不必要なのです。

人間は一人では生きていけません。
人と人との関わり合いの中で、社会は形成され、また必要とされます。人と人との関わりそのものを否定し、喪失したら、社会なんて無意味なものになるのです。

何が、私たちに必要なのか…。何を、依って立つべきなのか…。
以前の人々は、もっと単純明快に理解し、助け合って生きてきたのです。大事なのは、単純明快さでです。現代は、複雑怪奇になりすぎて、自分たちによっての、立つ基盤をも見失いつつあるように思えます。

中央集権化されすぎたために、自分たちにとって、大切な意思決定が自分達からかけ離れたところで行われるようになってしまったのです。

政治や経済というのは、本来、私たちの身近な生活の延長線上で捉えるべき事柄なのです。子供たちの教育も生活に必要な事も、根本には、私たちの郷土をどのような社会にするのかという構想からです。だからこそ、環境も大切にすることができるのです。

大切なのは郷土愛です。
その上にたって、その土地に生きていく人たち、地元で決めていくべき事なのです。つまり、日常生活の一環なのです。それがなければいかに土地が荒廃しても、開発を優先することになってしまいます。経済は栄えても、土地は荒廃していくだけです。

ほんの少し前の時代では、私たちの生活は、もっとシンプル、単純で素朴だったのです。生活に必要な物を自分たりの手で作り、助け合って暮らしてきました。現代社会は、そのころの生活に比べて複雑です。私の子供の頃と比べても大きく違います。社会・環境を見直していかなければと思います。

2021年12月 4日 (土)

郷土愛について

29176231[1]
.
自分たちが住み、自分たちを育んでくれる土地を愛し、感謝する心それが郷土愛です。

人に恵みをもたらすのは「大地」です。
今、損得ばかりにこだわって・・・自分を生かしてくれている、天や地に感謝する心を失うことは、悲劇の原因になり、自分を生かす郷土を荒廃させ、退廃させることに、いかなる道義をもっても許されません。
 
自分を育んでくれた…山や川に対する思いは、対立や争いを終わらせてくれます。だからこそ、話し合いが成り立つのです。郷土への愛があるから、私たちは、幸せになれるのです。郷土が与えてくれる恵みがあるから、人は生かされるのです。

こだわりを捨て…。執着心を捨て…。過去からの因縁、因習、わだかまりに囚われずに、筋の通った考えで今、現実を直視し、「何が…今…正しくて…」「何が…今…必要なのか・・・」それを見極める勇気が欲しい・・・。それが郷土愛です。
 
その土地に住む者には、長い歴史と伝統があり…文化があり…生活があります…。生まれ、育ち、生活をし、そして、子供を産み育て死んでいく…。郷土には、人生の軌跡があり、自分が生きてきた証があるのです。

2021年12月 3日 (金)

素朴な人

画像 054
.
素朴な生き方…考え方…行動…
「素直な人」は、
素直な性格のことが多いです。そのため吸収力が高く、仕事や趣味でもどんどんスキルアップする人が多いと言えるでしょう。また教えてもらったことに対して忠実に従うので、上司や先輩からも可愛がられる傾向にあります。持ち前の素直さで、どんどん力を付けていく人です。
 
素直な人柄のおかげで、相手も警戒心を抱かない心理状態になります。恋愛や仕事にも生きるのが「素直さ」なので、仕事でもプライベートでも重要になってくる能力と言えるでしょう。
 
「誠実」
素朴な人は、誠実な性格をしています。誠実だからこそ、相手に信用されたり、仲間から信頼されたりしています。嘘をついたり駆け引きをすることが少ないので、仕事でもプライベートでも安心される存在と言えるでしょう。誠実さや真面目さを持っているのが、素朴な人の特徴です。
 
素朴な人は誠実な人柄なので、それを生かせる仕事に就けば能力を発揮できるでしょう。相手の心理を信用させる能力を持っているので、販売職や営業職などが向いていると言えます。
 
「裏表がない」
素朴な人は、あまり裏表がありません。まっすぐな心の持ち主なので、裏の顔も表の顔もないのです。そのため、関わる人から絶大な信用を得られています。例えば仕事に関しても、取引先の相手から信用されているので、成果を上げやすい人となれるでしょう。素朴な人は、性格に裏表がありません。
 
「優しい」
素朴な人は、優しい性格の持ち主です。ただ穏やかなだけではなく、相手に対して思いやりを持って接することができます。これは、相手の感情を読み解く力に長けているからです。素朴な人は、相手が何をどう考えているのかをいつも気にしています。そのため、人間観察が得意です。優しい性格の持ち主の素朴な人は、周りからも優しくされることが多いでしょう。
 
優しい人柄のおかげで、コミュニケーションを取る相手の心理を穏やかにさせる力を持っています。警戒心をすぐに解くことができるので、打ち解けるスピードも早いでしょう。その能力は、恋愛や仕事で十分に力を発揮することとなります。
 
「プライドが高くない」
素朴な人はプライドが高くありません。しかし、それは悪いことではなくプラスのことと言えるでしょう。余計なプライドがないので、いつまでも好奇心旺盛でいられます。そして、たとえ年下からの意見でも吸収して学習し、自分の力に変えようとするのです。そのため素朴な人は、成長機会がとても多い性格の持ち主と言えます。

「素朴」な人は、性格に表裏がありません。
思ってもいないことを口にしたりもしませんし、好きでもない人といっしょにいても、必要以上に楽しそうに見せたりしないのです。そして人の悪口も言いません。そもそも、人のことを悪く思うことが少ないのですが、それを言うと、相手が傷つくことを知っているのです。

2021年12月 2日 (木)

老いても幸せ

画像 234
.
「老いても前向きに生きる」
人は老いるごとに生活が単調化し、時間はすぐに過ぎ去るようになり、感性は衰えていくと考えられています。しかし上手に老いることができれば、終わりが来るそのときまで、心豊かに生きることができると思います。

年齢を重ねること・・・。老いていくこと・・・。必ずみんなが経験することです。しかし、同じ年であっても、若々しい人もいれば、なんとなく元気がなく老け込んで見える人もいます。年を重ねることは一年に一度の大切なことです。どんな風に一年を過ごしたか振り返る良い機会でもあります。

年を重ねることをポジティブに捉え、成熟した大人になっていくために心がけたいこと・・・人は一生成長できる・・・経験は成長するチャンス・・・です。学んだり、心を豊かにしてくれるだけでなく、肉体も死ぬまで成長を続けます。例えば筋トレだって、年齢を重ねていても頑張ったぶんだけ身体はちゃんと応えてくれます。
 
年齢を重ねることで、様々な変化と向き合う機会はあるでしょう。シワやシミが増えたり、疲れが回復しづらくなったり、若い頃のように無条件でちやほやされたり、可愛がられることも減っていきます。
 
だからこそ、自分自身がどういった姿勢で生きていくかという在り方が問われてきます。年を重ねても素敵な人は、内面が素敵な人です。内面から醸し出される雰囲気だったり、言葉遣い、ふとした目の輝きや表情でその人の魅力が決まります。
 
ネガティブに不平不満ばかり抱えて生きていたら、年齢を重ねるほどに、いつしか醜くなっていくでしょう。今日を大切に、毎日成長するために生きていれば、輝きは年齢と共にどんどん増していくことでしょう。
 
経験を重ね、視野を広げ深めよう
若い頃はどんなに背伸びしてみても足りないものがあります。それは経験です。経験をする中で自分自身がどんなことを考え、感じたかによって、価値観も変化していきます。

2021年12月 1日 (水)

川浸りの思いで

画像 072
.
12月1日、母親が朝早く起きて、ぼた餅をつくり、川に供えて水神を祀る年中行事がありました。このぼた餅を食べると河童に引かれないとか、水難を免れるとか、風邪をひかないなどという信仰がありました。また、川に行って尻を水につけるとか・・・水辺での禊 (みそぎ) が変形したものとも考えられます。

朝早く、近所の子供たちで、ちかくの兵衛川に行き、橋の下に降りて川面に尻を浸けるのですが、川面は凍っていて、氷を割って浸けたのです。そして、氷の上で遊んでいるうちに、氷が割れて腰まで濡れて・・・家に帰り、母親に叱られた覚えがあります。

もちろん終戦後(1945年)以降はそんな行事はなくなりましたが、今では、温暖化で川の水が氷ることはりません。そして、河川改修が行われ、その面影も消え失せてしまいましたが、人々の楽しみの行事は、現代人には考えられません。

純朴で、人の絆・思いやり・助け合いなどの精神は尊いものであったと思います。昔の行事を思い、自然に生きる・・・自然を大切さを考えさせらる今日この頃です。

« 2021年11月 | トップページ | 2022年1月 »