年を取って知る生きることの難しさ
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生きることの難しさ、虚しさが如実に現れるのが、年老いてからです。
それは、生きることの意味を改めて考えさせられる時期でもあります。年をとると言うことは、ある意味で残酷なことです。未来への希望や可能性が狭まっていく…新しいことをするためには、気力も体力も残されていません。同じことを同じようにしようとすれば、若い人間には、太刀打ちできません。
それは、生きることの意味を改めて考えさせられる時期でもあります。年をとると言うことは、ある意味で残酷なことです。未来への希望や可能性が狭まっていく…新しいことをするためには、気力も体力も残されていません。同じことを同じようにしようとすれば、若い人間には、太刀打ちできません。
しかし、一方において、年寄りには、生きてきた蓄積があります。それは、人間としてかけがいのない財産であります。それは、人徳としてさらに高度な状態へ飛躍するものです。
現代人は、その蓄積を全て否定しようとしています。
年をとった人間に、年をとって衰えたことを理由にして、新しいことや新しい環境に移ることを求めるのはお間違いだと思います。たしかに、新しいことに適用ができないから、年寄りは大変で、できないのが解っていて、それを、強要するのは残忍です。
人は、生きてきた時間だけ多くの経験や知識があります。その経験や知識を上手に活用することが年寄りの特権です。そのためには、その人その人が、生きてきた軌跡の延長線上に生活の基盤を求めるべきです。
年寄りには、年寄りにしかできないことがあります。でも、老いても活躍する場所はあり、人に役に立てるからこそ生きる喜びがあるのです。生きてきた証のような事まで愚弄されれば、生きる気力まで奪われます。
年寄りは、すべて社会の厄介者ではないのです。
老人をただ介護の対象としてしか見れないのは、その人の心が貧しいからです。人はただ生きているわけではありません。生きようとして、生きる希望を持つから生きるのです。
生きると言うことは、生き生きと生きることです。
世間の世話になり、邪魔者扱いを受けることではありません。年をとっても幸せになる権利はあるのです。誰の世話にもなりたくない・・・そんなことを年寄りに言わせるような社会は、本当に豊かな社会なのでしょうか。
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