集める人生から散らす人生
それに対して、散らす人生とは、時間も自分の財産も、能力も、自分と周りの人のために使う生活態度です。他人と分かち合って共に生きる生活態度であると言えます。
どうして、集める人生より散らす人生が幸せな人生と言えるのでしょうか。
人は、基本的に他人と共に生きていきたいという欲求を持っています。人が、本当に幸せを実感できるのは、自分の周りのみんなも幸せである時です。人は、分かち合いの人生に、その心を満足させます。その分かち合いによって相互の連帯性を感じ、協調性を感じます。
散らす人生は、愛に満ちた人生です。愛ある人は、受けるより、与えていくことに本当の喜びを実感する人です。散らす人生は、愛を実践していく人生ですから、他人の苦しみ、悲しみを共有する感性に満ちています。
感性は、感じ、感動し、実践の三要素で構成されています。ですから、散らす人生観の人は、自分の持っているすべて、できることのすべてを出し尽くして、自分のやろうとする目的を実現していきます。
私たちは、自分の欲望を満足させるために、自分に与えられた特質を利用して集めるのではなく、周りの人々の幸せのために、自分の特質を利用し、集めたすべてのものを散らしていくための人生を歩みたいものです。
豊かに散らすためには、まず、豊かに集めるために一生懸命にならなければなりません。何もない者は、何も他人のために散らすものはないのです。集めることは、散らすためであることを忘れないことが重要です。
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