人を信じること
と、いう言葉は日常けっこう使うと思いますが、「それがどういう意味なんだろう」と考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、「自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのか」と感じてしまっています。
だからこそ人は「裏切られた」とか、「期待していたのに」とか言うけれど、別にそれは「その人が裏切った」とかいう訳ではなくて、「その人の見えなかった部分が見えただけ」であって、その見えなかった部分が見えたときに「それもその人なんだ」と受け止められます。
「信じる」とは、人間が獲得する能力ではなく、すべての人のなかに既に与えられていて、あることを契機に開花する、ある種の本能なのではないでしょうか。
そして、「信じる」という言葉は、思い込む…念じる…祈る…あるいは信念などの語と類似していて、「自分の意志の力で作り上げる心理作用」です。私たちの「信じる」には、どうしても自己の意思が混じります。
私たちの心は大変うつろいやすく、もろいものです。そして、その心から生み出される「信」も同様にもろく、残念ながら簡単に揺れ動いてしまいます。そう考えてみると、純粋に信じるという行為はなかなか難しいものです。
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