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2021年9月

2021年9月30日 (木)

年を取っても幸せでありたい

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誰しも「年を取っても幸せでありたい」と思っています。

そもそも「幸せ」 とはなんでしょうか?
「家族がみな健康であること」・「お金に困らないこと」・「地域の人がみないい人」・「自然が豊かであること」など・・・「幸せ」の定義は人それぞれであって、一義的な定義があるわけではありません。

ある人にとっては「幸せ」と感じていても、別の人にとっては、「幸せ」と感じないこともあります。「幸せ」とは、人それぞれの感じ方によるものなので、定義することは難しいです。

だからこそ、「幸せかどうかはすべて自分が決めている」ということにもなります。〇自分の捉え方しだい。〇自分で選択できる。○自分でコントロールできる。○自分で幸せな人生にできる。これを知るだけでも、違うと思います。

幸せだけでなく、今見えている現実はすべて、自分がどう捉え、どう認識しているか。。。すべては、自分が作り出しているということです。自分の過去の体験から、「これって、こういうものなんだ」という、解釈をして、それが間違いのない真実であると思い込む・・・

そうやって、自分の価値観を持って、今見ている、感じている世界はすべて、自分の価値観を通して見えている世界だということ・・・になります。言い換えれば、価値観を変えれば、自分にとっての現実は大きく変わるということです。

自分の価値観で、自分がどうあるべきか、どうありたいか?それを選ぶのも自分です。それがわかれば生きる心構えが見えてきます。普段、当たり前だと思っている些細なことも、捉え方が変われば、自分の幸せに変えることもできます。その積み重ねが、幸せな人生をつくっていく、そう思います。

2021年9月29日 (水)

ルール・マナーを守るということ

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マナーやルールを守れない人います。
守らない人を見かけるとイラ立つこともあります。マナーを守れない人間にイライラが止まりません。
ゴミのポイ捨て「車から空き缶・ペットボトル・タバコの吸殻を捨てていく・・・自転車や歩行者も同じ・・・ごみの処分のマナーが地域に住む人に、不快の想いをさせている行為が許せないのです。本当にイライラします。具体例をあげるとこのような状況です。

これは、自分さえ良ければ・・・後のことは考えない・・・まことに、自己中心な考えの持ち主と思えます。生き残るためには、危機を感じた時に、他人のことなど考えずに自分の得だけを考えるようにプログラムされている人がいるようです。

このように社会環境や生活環境が変わっていく中で、一人ひとりの近隣との関係も多様になり、近隣の人と関わりたくない人、関わりたいのに関われない人などさまざまとなっています。

その原因は、核家族化が進んだことや個人の権利が大切にされるようになってきたことから、住んでいる地域における人と人との、関わり合いが薄れてきていることです。

しかし、このようなケースでも、因果応報が回ってきて、自分さえ良ければいいと思う人は、後で損をするようにできているのです。

2021年9月28日 (火)

自然に学ぶこの世は無常

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最近、自然の植物をみて思うのですが・・・
植物には、種から芽を出す、休眠から覚めて芽が動きだす、葉が茂る、花が咲く、実をつけるなどの時期に、決まったパターンがあります。

「花が咲いていること・花に色がついていること」
どうしてきれいな花に、びっくりして、心洗われる気分になるのでしょうか・・・。それは移り変わりがあるからです。

私は84年も生きてきて、つくづく「すべては無常だ」と思えるようになりました。無常とは、この世の中の一切のものは常に生滅流転 して、永遠不変のものはないということです、つまり同じ状態は続かないということです。

私たちは常にどこかで「変化したくない」という気持ちを持ち続けています。
単純に、いつまでも若々しくて力が強く、自分の自由になる体を維持したいと考える人もいます。周りの人が何時までも元気にいて欲しい。自然の景観が何時までも変わらないで欲しい。と願うことは、とても自然なことです。

花は咲いて散って枯れるし、人は生まれて老いて死にます。どんなに辛くても花は咲き、散ってしまうのです。それが自然の理(ことわり)・・・そう考えることです。

2021年9月27日 (月)

高齢になると

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高齢になると現れる心の変化には、若い時には簡単に出来たことが、思うように出来なくなることで感じる不安感を抱くことがあります。加齢で、自分自身の価値観も揺らぐ一方で、周囲の仲間が徐々にいなくなるなど、さらに孤独感を増してしまいます。
 
老年期における環境の変化や孤独感を強める出来事がストレスとなり、こころの病を引き起こす原因となってしまうことがあります。「不満や怒り、不安感が大きくなる」・「無気力、無関心」・「頑固になる」など、高齢者特有のこころの状態や、精神的な変化が関係していると言われています。
 
高齢者が環境の身体の変化に対応するには
例えば、孤独感を解消するために子供と同居したのに、子供との生活に違和感を抱くことになる・・・というケースです。高齢者のこころの変化に早期に気づくためにも、社会的役割や家庭環境の変化が起こったときには、特に注意が必要だといえるでしょでしょう。

高齢者のこころの変化はさまざまありますが、個人差が大きく、核家族で、悩みを打ち明ける機会が少なくなっています。でも、自分自身に環境や身体の変化が起こったとしても、それまでと同様に自分と向き合える人がいます。

それは、地域の人・近隣の人たちとの、コミュ二ケーションを取っている人です。「地域の人の普段からのコミュ二ケーションの大切さ」を痛感する今日この頃です。

2021年9月26日 (日)

「今を生きる」ということ

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私たちは、ややもすると昨日の失敗を気に病み、明日の仕事の成否を心配します。

過ぎ去った、昨日を取り戻した人はいません。まだ来ぬ明日を生きることも出来ません。だから、自分でどうにか出来るのは今現在だけなのです。

《過去を悔やまず
     未来を憂えず》・・・お釈迦さまの言葉です。

大きな問題を抱えて不安や苦しみを抱えていたときに・・・【いまやるべきことをよく観察し、こころを揺るがさず、今日やるべき事に最善を尽くすこと】・・・

過去や未来について考え過ぎてしまうことで、こころの中で苦しみや不安を抱く事になる、と言っているのです。
 
ただ過去や未来を思うだけでは、私たちの苦しみや不安はこころの中で無限に膨らみ、それが自分を縛りつけて自分を動けなくしてしまうというわけです。

自分はいま何をすべきか・・・を考えて実行することです。私たちは過去への執着を手放し未来への不安から解放され、「今を生きる」ことを実践するしかないのです。

2021年9月25日 (土)

歴史に見る思いやりの大切さ

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私は生まれも、育ちも、いま住んでいる所も同じです。そして恐ろしい戦争を体験しています。

私たちが住む町は、かっては終戦(1945年)ごろまでは、米麦と、お蚕で収入を糧に生きる農村でした。農家の家は、川の淵に建ち、川の水を利用して野菜を洗い・洗濯をし、子供たちは魚を捕り、泳ぎ、自然の川の水を利用しての生活で・・・田畑で米や麦・季節の野菜を耕作の暮らしでした。

戦後は、
川はコンクリート化され、区画化が進み、農家の田畑に家が立ち並び、村から町へ・・・人口も増え、都市化の波は急なもがありました。現代は、少子化、都市化、情報化等の社会の急激な変化は、子どもたちに様々な影響を与えています。

昔は「…命…」にふれる機会が多かったが、今は、核家族化の進行によって、そうした命に関わる大事な場面にふれる機会が少なくなっています。

都市化に伴う連帯感の希薄化や地域の教育力の低下、子どもたちの遊びの形態の変化等を背景に、子どもたちの倫理観や社会性が不足していることが指摘されています。

人とのふれあいは安心感ややすらぎを生む一方で、摩擦やわずらわしさの原因にもなりますが、そうした人間関係を忌避し、人とうまく関わることができない子どもたちが増えてきています。

また、情報化の進展は、創造的な活動の展開を容易にした一方で、人間関係の希薄化や直接体験の不足等深刻な問題も生み出しています。人は一人では生きられません。多くの人に係り合って生きています。生きていくこで大切なのは「思いやりの心」です。

思いやりとは相手の気持ちになって考えることです。
この思いやりの心を失うと大変なことになります。もし、周りの人が「おもしろいから…」「冗談だから…」「ちょっと腹が立つから…」という理由で、いやなことを何回も
言ってきたり、してきたら、どんなに辛いことでしょう。

人の心はとて
も傷つきやすいものです。
相手の表情だけでなく、心の中に思いをやらないと、人の心を深く傷つけてしまうのです。相手が笑っているから…何も言わないから…してもいい、言ってもいいのではありません。

世の中は、みんなが助け合い協力して、共に成長していく所です。一人一人が互いに思いやりの気持ちを持てば、どんなに気持ちよく生活できることでしょう。

2021年9月24日 (金)

地球は一つ

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SDGsとは、「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」のこと。2015年9月に国連で採択されました。これは、貧困や紛争、気候変動による自然災害、感染症といった人類が直面している課題を整理し、2030年までに世界が達成すべき目標を立てた“道しるべ”です。193カ国が参加しています。

自然との調和を
科学の力で自然を克服したかのように思っていますが、これは大いなる誤解で、人間は自然を従えてもおらず、自然は人間を屈伏させてもいません。人間と自然はこの地球上で調和し一体となって古の時代から生きてきたのです。

人間は、大宇宙の中の太陽を中心の銀河系の一部の一つの星「地球」に住んでいるのです。地球が生きているのは太陽や月のおかげです。月は地球にとってなくてはならない星であり、常に因果関係を保ち、この地球へ私たちの目に見える影響を及ぼしています。

私たち人間は、宇宙の中の一つの星の地球にしか住めないのです。今地球上に76億人という人が住んでいるといわれますが、40億年の宇宙の歴史で地球で人や他の生物が、住めなくなるのではと・・・危機が迫っているということです。

それは地球温暖化です。
温暖化とは、人間の活動が活発になるにつれて「温室効果ガス」が大気中に大量に放出され、地球全体の平均気温が急激に上がり始めている現象のことをいいます。

この二つの恒星と衛星は協力関係にあり、時には突っ張り合うことで、地球の海の潮は「干満」をつくりだしています。地球が生きていけるのは太陽と月のおかげ、地球は月の引力のおかげでその場所に留まっていることができています。

その月に人間が足を踏み入れ、科学の力を過信して資源を持ち帰る計画を立てています。そんなことが、本来人間に許されるのでしょうか?
 
地球は様々な生命体が存在し平等に与えられた場所です。しかし人間のみが余りにも身勝手に行動し、次は宇宙をも侵そうとしています。だから人間も自然界に置いてもらっている、一つの生き物であるという基本を忘れてはならないのです。

2021年9月23日 (木)

時の流れに逆らわないこと

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人生で大切なことは、時の流れに逆らわないことです。
「自分の人生は自分で決めて自分次第でどうにでもなる」と思い込んでいる人もいますが、一人では何もできません。
 
周りの人や世の中の流れで、人は生きている・・・生かされているのです。
人との出会いも流れながれから~~意志を亡くして何もしないとは違います。求められた場所で、自分のできることを常に全力で取り組むことで、自然と流れができるものです。
 
自分の得意なことに打ち込み…周囲から求められることに、素直にそれに答えれば、自ずとそれが自信になります。考えても変わりません… 悩んでも変わりません…行動した人だけが、不安や悩みから離れられるのです。

その時の流れを感じて、世間の情報に流されない…周囲の人の意見ではなく、己の判断で流れを感じるのです。

流れに逆らうことも大切な時もありますが、多くは流れを感じて乗った人の方が幸せになります。時間と共に流されていると、どこに流されても生きていくすべを、身につける事が大切です。

流れに乗る事や流される事は悪いことではなく、逆らったとしても多くの人は流れに乗っているならば、流されてみる方がいい・・・流れを感じてみるといい・・・「運のいい人」とはその流れを敏感に感じ取れる人かもしれません。

2021年9月22日 (水)

ゴミのポイ捨てのこと

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ゴミ拾いをしながら、ポイ捨てという行為について考えました。
タバコの吸殻が道路や、公園ベンチの周りに、散乱しています。「たかが、小さなタバコの吸殻一本ぐらい?」・「また面倒だから?・・・」・「いけない事と分かっていても誰も見ていないから?」・・・それもあるでしょうが・・・

私たちの町は私たちで・・・
私は大事なことは「私たちの町の自然は私たちで守る」という認識と責任感が不足しているからです。自分の住んでいる町が汚れていたら、住んでいても気分が悪くなるでしょう。自分の家の中がゴミだらけでは嫌になります。

地域の環境は地域に住む人の責任で守ることです。市の職員が清掃はしません。業者にお願いして、ゴミ拾いはしません。

今「地球温暖化」という人間の勝手な行為で、異常気象・人間自信が苦しんでいます。このまま放置すれば、いやいや自分自身に大きな影響が、のしかかるのです。


「赤信号みんなで渡れば怖くない」
これは、一人で悪い事をしたら責任は一人で、周りから非難を浴びるのも一人ですが、「皆んなで悪い事をしたら責任は皆にあり、周りからの非難が自分一人に集中する事はないという」意味をもつ言葉です。

現代は、もうこの言葉は通用しないのです。自分も被害に遭いますから、タバコの吸いが一本ぐらいで・・・の考えは、通用しないのです。罰則に頼るのではなく、様々な工夫や人々の協力によって、社会全体の意識を高めていく必要があると思います。


2021年9月21日 (火)

人生は修行の場

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「人生は修行の場」
目の前のことが辛いことも、ポジティブに考えることで・・・「辛いけど何とか乗り切る」・・・というモチベーションになり、生きる希望になります。同時に、辛さと対峙できないと判断した際の生きる術になります。
 
成長や強さを得ることによって、同じような辛いことがもし起きたとしても問題ではなくなります。同時に、対処法や切り抜け方を理解することで、同じことが起きてもなんなく切り抜けられます。
 
一日の振り返りをすると、自分の持っているエネルギーの半分も使っていない自分を自己卑下したり、情けなくなったり、「あ〜ぁ」とガッカリする・・・

そんな自分の気持ちを奮い立たせるのは、自分しかありません。そういう意味で「人生は修行の場」なのです。

2021年9月20日 (月)

怒ったら負け

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「怒れば必ず負ける」
「…怒りにたいして、怒りを返すならば、さらに悪を積み重ねることになる…。」

今、私たちの身の回りで「怒る人」がふえています。電車の中や駅で、何かのお店の中で、駅員さんや店員さんの対応が気に入らないなどの理由で、訳もなくキレて怒鳴っている。こんな人をよく見かけます。

それどころか「怒って何か悪い」・「怒るのは相手が悪いからだ」という人さえいます。しかも、その「怒る人」が若者よりも中高年者に多いようなのも気になります。激しく変わって行く世間が気にくわない、自分が大切にされていないという思いが、ちょっとした機会に吹き出るのでしょうが、これも自分を守ろうとする自我の意識の表れにすぎません。

しかし、いちど怒りを爆発させると、自分を抑えられなくなって、怒りはますます強くなり、心は怒りで一杯になって身も心も消耗させてしまいます。怒りは、まさに私たちにとって猛毒なのです。

高齢となって「…”自分の思い通りに行かなかった時”…」怒るのかも知れない。その怒りの相手は様々です。相手が自然のときも・・・でも、天気が悪いと怒ってみても仕方がない・・・結局、身近な所に怒りをぶつける・・・。そしてその人の周囲に暗雲がたちこめることになるのです。
 
人間、一番心の底から怒るのは、理不尽なことをされた時です。理不尽にされたときに対する、怒りは心に残ります。怒りは体に良くありません。
 
周囲を見回すと、怒った姿を見たことがない、という人もいます。これは性格だろうか、それとも人間のスケールの違い? でも、怒ったことがない人は、逆に甘く見られることがあるので注意です。

年を取ったいま、家庭ではどうか? 
老夫婦だけの暮らしでは、自分の機嫌の悪さを、カミさんにぶつけても、自分に跳ね返ってくるのみで、アッと言う間に逆襲され、「スミマセン」と謝らされるのがオチ・・・。怒ったら負けを、何度も反省することになるのです。

2021年9月19日 (日)

アンチエイジングのこと

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最近、「年取ったなぁー」と感じることが増えてきたように思えます。
ふとした瞬間、しみじみ感じてしまう。■人の名前がすぐに出てこない・・・■簡単な漢字が思い出せない・・・■疲れがなかなか抜けない・・・■階段を上ることで息が上がる・・・など、どうしても体の衰えを感じてしまいます。

人は生きていれば必ず歳をとります。
歳を取る過程で起こる変化は「老化」という言葉でまとめられています。「老化」と聞くと、皆一様に、皮膚にシワが増え、足腰が悪くなり、やがては寝たきりになるというような過程を思い描かれるかもしれません。
 
確かにそれは老化のプロセスの一部ではありますが、人が皆同じように老化するかと言えば、そうではありません。歳を重ねる「加齢」は等しく皆に起こりますが、「老化」は、人の顔や性格がそれぞれ皆異なるように、そのプロセスもスピードも、人それぞれ千差万別です。

「アンチエイジング」
アンチエイジングとは「抗老化」「抗加齢」老化や加齢の進みを遅らせることです。
老化とは「年をとるにしたがって肉体的、精神的機能が劣える」ことです。これは加齢に伴う防ぎようのない現象ですが、生活習慣、病気 (特にメタボリック症候群)、たばこ、紫外線、大気汚染、ストレスなどによりさらに進行してしまいます。

この老化現象の進行を和らげるのみならず、少しでも若々しく健康に生活できるようにするための医学が、抗加齢 (予防) 医学です。心身が若々しくなることは、誰しもが望むことですが、それにはその人にあった適切な指導や治療が必要で、全ての人が同じことをしても効果がないばかりか、時には悪影響を及ぼすこともあり、注意が必要です。

2021年9月18日 (土)

他を生かして他に生かされて

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「他を生かし、他に生かされて」
「私たち人間は、生きているのではなく、生かされている」・・・のです。人であれば個人が、国であれば、一国が・・・自己中心的には存在できないのです。

民族や国の間の紛争も、宗教的対立も、環境問題も、経済格差が根本にある貧困やテロも、いずれも共生きの原理原則に逆らったものです。それは人間の傲慢さのあらわれです。

共生きの世では、共生の原則に逆らうと生きづらくなってきます。だから自己中心的なものはすべからく排除されていくでしょう。
 
人間の住む空間である世間がどんどん広域化してきました。地域社会から国境を越える時代になりました。けれども地域社会の世間も、国際的な世間も、人は人との関係のもとに生きていることに変わりありません。

人はみなこの世の共生きの同居人ですから、地域社会でも、国際社会であっても、利他(他の人びとを利益し、救済につとめること)という生かし合いの精神は世界に通用するでしょう。グローバルな時代であるからこそ、よりいっそう利他の精神が尊ばれなければなりません。
 
人は自分が大切だから自己中心に生きようとします。
人は、みなそれぞれがそうだから、人間関係がうまくいきません。それで人間関係の悩みが途絶えないのでしょう。だから人間関係を上手く保つということが生き方上手ということになります。

2021年9月17日 (金)

「親ガチャ」という新語

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「親ガチャ」とは
子どもの立場から「親は自分では選べない」「どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ」と述べる表現で、ソーシャルゲームにありがちなキャラクター入手方法(いわゆるガチャ)になぞらえた言い方(weblio辞書)

自分の”人となり”(その人の人間性、性格・性質)が親次第で決定してしまうということで、その両親を子どもは選べないことから「親ガチャ」と呼ぶそうです。

親のスペックで、子どもへの待遇も変わってくるという事・・・親が金持ちなら馬鹿でも大学ヘ行けて、いい仕事に就ける。親が貧乏でも本人の努力次第で大学に行けて、いい仕事に就けるけど、苦労の差は大きいものがあります。

【浪速風】親ガチャ - 産経ニュース
▼児童虐待など多発する痛ましい事件を聞けば、そう考える人がいるのも分かる。貧困家庭が増え、貧困がまた貧困を生む―という負の連鎖も同じ論理だろう。一方で「親のせい、人のせいにするのか」という意見もある。「親だって子供を選べない。〝子ガチャ〟も同じだよ」という人も

▼そんな言葉が飛び交うことにまゆをひそめる向きもあるが、むしろ、それに共感したり反論したりする世論の「なぜ」を考えることが大事なのだろう。そこには世代間のギャップや、漠然とした不公平感、世の中への不満といった背景があるはずだ。コロナ禍の閉塞(へいそく)感もあるかもしれない。

2021年9月16日 (木)

幸せの尺度

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幸せの尺度って・・・
「幸せ」は人によって感じるものやその感じ方も違います。また当然ですが、人生という時間軸で考えたときに、今が幸せでも実はそうではないかもしれません。
 
今が幸せな人は昔不幸だったかもしれませんし、またその逆も然りなのです。ここで、時間軸を考え、自分のやりたいことをやり続けて何十年・・・人生と自分のやりたくないことをやり続けて何十年・・・という人生。。。普通に考えれば前者が幸せです。同じ年40でも、同じ40年ではないはずです。青春は40歳になってから味わうことは不可能なのです。
 
自分が死ぬ間際に幸せな人生だったと思える人生ははたしてどちらでしょうか?「幸せ尺度」は他人と比較して生まれます。この世に一人しかいないとすると、幸せという感情そのものが生まれないでしょう。

他人と比べないこと
他人と比べないことが一番幸せを感じます。他人と比べている以上は、一生、幸せにはなりません。上を見ればきりがないですが、下をみてもきりがないのです。
 
やはり、人として生まれてきた以上、幸せでありたいと思うのが当然です。私は自分だけが幸せになるのではなく、身の回りの人間と一緒に幸せをシェアしていきたいと思ています。

2021年9月15日 (水)

コミユニケーションの在り方を考える

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コミュニケーション」とは、互いの考えや気持ち、価値観を伝える行為です。現代は、引っ越しても隣の人に挨拶しない人もいます・・・。わずか数十年前は、家族で住むのが当たり前だったのに、現代は、親世代との同居もしない核家族が中心になりました。
 
今、都会に住民の孤独は「絶縁社会」とも揶揄されています。電子メールやインターネット、SNSなどを使った新しいつながりが、「ネット縁社会」が喧伝されています。しかし電子メールやSNSはいつでも誰とでも瞬時につながり友達になれる代わりに、いつでも黙って退場できる・・・気ままで無責任な世界です。

SNSは、ブロックしてしまえば、それで関係は清算されてしまいます。常識の共有も保証されていません。場所や時間も共有されないため、濃密な関係とは全く正反対の、広く浅い関係になっています。いわゆる、真のパートナーにはなれません。
 
頼りたい時に人を頼ることが出来ない・・・
ネット社会が発達したことで、一見すると人とつながっているような気持ちになりますが、冷静に考えるとつながりは希薄なままなのです。

結論を言えば、気楽に会えばいいのです・・・
ネットで繋がっていて、気楽に会っている人間関係であれば、会えない時間でも相手のことを知れる機会が増えるので、より強い関係性を作れるのです。

周りの人を大切にすることです・・・
人間関係が希薄な時代の対策は、周りの人を大切にすることで、真の人間関係を構築することも可能となります。

2021年9月14日 (火)

地域の自然は地域の人で守る

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過去何十年かの人間の暮らし方で、古代から引きついてきた「自然環境」このまま放置されたとしたら、地球上に暮らす人間はじめ、生物にも、危機が迫ってきます。

今、問題となっている「地球温暖化」は、一見、関係が無さそうないのですが、私たちの普段の暮らしが、直接かかわっています。環境保全は、普段の暮らしの中で意識を持ち、後世つなげる責務があります。

海や森の自然を壊すような製品は使いたくない・・・また、他の国の人を困らせるようなライフスタイルは、できれば選びたくないものです。
 
「地域の自然は地域の人で守る」
大切なことは「地球温暖化」について意識と関心を持つことです。毎日の暮らしの中で、無意識に、自分がしている行為・・・公園・道路にタバコの吸殻・ゴミのポイ捨て行為を改めることです。

地球温暖化の抑止は、地球上に住む一人ひとりの「自然環境守る」意識と行動が大事ということになります。

歳をとって故郷を懐かしむ

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高齢となって・・・色々あった人生・・・むかしの風景・生きてきた過去を、懐かしく想い起こすことが多くなります。

むかしの思い出は、今まで歩んできた人生そのものであり、むかしを懐かしんで話をされている時は、自然と穏やかな表情になります。

語り合う相手がいれば、喜びや幸せな気持ち、大変だった経験を乗り越えてきたことも一緒に分かち合い、充実した時間を過ごすことができます。楽しかったこと、辛かったこと、家族や友人とのエピソード、生き抜いてきた社会的背景など、人それぞれ過ごしてきた時間は異なりますが・・・。

今までの自分の人生を振り返り、人生を再確認することで、現在の自分も肯定的に受け入れやすくなります。むかしの思い出に親しむことはごく自然なことであり、回想法は今の自分を認め、人生を豊かにするための手段のひとつとも、言えるではないでしょうか。

人は、自分がどこで生まれたのか、親はどのような人か、どこで暮らし今は誰とどこに住んでいるのか、私たちは普段は意識していませんが、このような自分の過去と現在の状況を記憶にとどめているからこそ、毎日の生活をとどこおりなく暮らしていけるのです。
 
人が故郷を懐かしく思うのは、自分がどこで生まれ、どこで暮らし、どのように生きてきたのかなどの過去の記憶をよりしっかりと、記憶にとどめるための心と感情と言えるのではないでしょうか。

2021年9月13日 (月)

当たりまえに感謝

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新型コロナウイルスの感染拡大を受け、私たちは息をひそめるような暮らしをしいられてきています。元の日常に戻れることを願い、苦しいながらも耐えしのぎ、助け合い、頑張っているのが今日であります。

いかに、これまでの当たり前の平穏な日々が尊く、有難く感じられ・・・くしくも実感させられるお互いではないでしょうか。
 
食べ物一つにしても、私たちは、豊富な物に囲まれて生活していると、つい物の生命を粗末にし、その有り難みを軽視し、いざ欠乏状態になると、誰もがその稀少価値を大事にしはじめ、しみじみとその物の有り難さを再認識し、あらためて感謝の気持ちがわいてくるものです。
 
だから、自粛中、この度の出来事を教訓として、自分が失って気づいたものを今一度振り返り、「ありがとう」に目覚めていくことが大切なのではないでしょうか。
 
私たちは、決して自分一人の力では生きられません。今もなお、リスクを背負い、一生懸命協力し合い、立ち向かい、大切な命を守るため日々尽力されている方々に多くの人々が支えられています。
 
せめて多くの人や物に支えられ、生かされていることを尊び、互いに支えあい感謝の言葉をかけあうことが出来れば、先は見えないけれども、心はきっと明るく豊かになって、心穏やかな感謝の生活に通じていくと信じます。
 
「ありがとう」感謝の気持ちを決して失わず、周りの人々と励ましの言葉をかけあい、暗いトンネルもいつか抜け出せると願い、この先も支えあいながら乗り切ってまいりたいものです。

2021年9月12日 (日)

一日一日の大切さのこと

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年を取るごとに、一日が過ぎていくのって早く感じます。

今日は、令和3年9月12日です。
去年より引き続き、新型コロナウイルス・・・都議選・・・東京オリパラピック・・・慌しく過ぎ、もう8か月が過ぎました。

年を取ってから感じる「月日の経つのが早い」こと…
一ヶ月、半年、一年・・・とあっという間に過ぎて行ってしまい、追いつけない自分がいる…「もっと一日一日を大事に過ごしたいなぁー」と最近よく思うようになったので、この機会にどうすれば、日々をもっと大切に生きることが出来るのか考えてみました。
 
時間配分を考えてやるべきことをこなす
シンプルなことですが、とても大事なことだと思います。今日は何かをやろう、と決めても時間が足りなくて結局出来なくなってしまうことは、結構あると思います。
 
何かできないことがあると、達成できなかったことが不満やストレスにもつながります。また、次の機会にやろうと思っても、その時はその時でやることがあれば・・・肝心の、やるべきことが溜まっていく一方になります。
 
時間は有限なので、その日のうちにやろうと思ったことが出来なかったら、もしかするとずっと出来なくなってしまうかもしれません。ですから、時間配分を考えてやるべきこと、やりたいことは時間内に済ませられるようにすることが大事だと思います。

2021年9月11日 (土)

正しい判断と心根

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「心根(こころね)」とは

心の一番奥底にある本当の気持ち、本心、本性、真情です。人の「心」は目に見えませんが、持って生まれた性質や物事の本質を意味する「根」がついて、人の内面のより深い部分を表すことで、「本当の」という意味を強調していると言えます。

世の中が豊かになるにつれて、自己中心的な価値観を持ち、自己主張の強い人が増えてきたと言われます。この考え方ではエゴとエゴの争いが生じ、到底「いい会社」になれません。チームワークを必要とする仕事などできるはずはありません。

「自分はできる」「自分が正しい」「非はない」と傲慢不遜(ごうまんふそん・謙遜でなく、おごりたかぶり人に屈することのないこと)・・・になると、周囲の人たちの協力が得られないばかりか離れていき、自分自身の成長の妨げにもなります。

「純粋な心」稲盛和夫氏・・・
純粋な心を身につけることによって、私たちは間違いのない人生を歩んでいくことができます。純粋で私心のない心、すなわち人間として高い見識や見解を判断基準として物ごとを決め、人生を歩めば、その人の人生に大きな潤いとすばらしい結果をもたらすのです。

「素直な心」
素直な心とは、自分自身のいたらなさを認め、そこから努力するという謙虚な姿勢のことです。素直な心を持つ人は、人の意見をよく聞き、常に反省をし、自身を見つめることができます。

そうした心を持っていると、その人の周囲にもやはり「同じような心根」をもった人が、集まってきて、よい方向に物事が進むといいます。

2021年9月10日 (金)

徳を積む

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社会情勢が不穏に行き詰まりを見せている今日、私たちはいったい、何を考え生活していけばよいか解らない世の中になりかけているのではないでしょうか?
 
皆が我事ばかり考え、執着から離れられず、争いを呼び、混乱しています。
人間が持つ徳を忘れてしまっているのではないでしょうか?現在、政治も経済も、まるでゲームで熱狂するかのように徳がなくとも、その地位や財を保持することができ、それに夢中になっているような気がします。

「徳を積む」
どんなに激動で不透明な時代になろうが変わらない価値、それは人としての徳です。徳を積むということは、目に見えない宇宙自然の理ことわり(=道)の存在を認め、それに従う心を持つことです。これが道徳です。

現代社会では「SDGs」「サステナビリティ」「シェアリングエコノミー」など目新しいキャッチコピーが流行っていますが、ほんの150 年ほど前まで、数千年にわたり誰もが実践していた当たり前のことです。

地球も人間も疲弊しつつある激動の時代だからこそ、これからは徳のないビジネスモデルは淘汰されるでしょう。どんな偉大なリーダーや経営者も、すべては自分の中にある小さな念を意識することから始まります。

良くも悪くも、どんなときに気持ちが動くのか心の奥底に向き合う、その中で”よこしま”な考えをそぎ落とすように努力する・・・そして何事にも動じない正しい信念を持つことです。

常に、心がけによって自分を修めることができる人は・・・最終的に社会を平和にできる・・・逆にいえば自分の想いと社会平和はすべてつながっているという考えです。

2021年9月 9日 (木)

心を磨く

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「心を磨く」とは・・・
人格を高めるということです。

生まれた時より、死ぬ時の魂のほうが心が磨かれた状態、身勝手で感情的な自我が抑えられ、心に安らぎを覚え、優しい思いやりの心がしだいに芽生え、利他の心が生まれるというような状態です。

「嘘をつくな・・・」・「正直であれ・・・」・「人をだますな・・・」・「欲張るな・・・」日々修練・努力することです。そして、謙虚にして驕らず、反省ある日々を送ることです。
 
そして、大切なことは、生きてることに感謝して、善行、利他行を積み、感情的な悩みをしないことです。
 
良いことと悪いことが織りなされていくのが人生です。福がもたらされた時だけでなく、いま生かされていることに対して感謝の心を抱くこと・・・その実践が心を高め、運命を明るく開いていく第一歩で、感謝は満足から生まれるもので、不足、不満からは生まれません。

森信三先生の言葉が心に残ります。
1、朝、必ず親に挨拶をする子にすること。
2、親に呼ばれたら必ず、「ハイ」とハッキリ返事のできる子にすること。
3、ハキモノを脱いだら、必ずそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる子にすること。

2021年9月 8日 (水)

生きていられるだけで幸せ

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「生きていられるだけで幸せ」
歳を取ると、身近にあるもので、日々感じられるものです。「一日が無事に終わり、明日にも不安を感じない毎日を過ごせることに・・・」「生きていられるだけで幸せ」と感じます。
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理想を言っていては限りがありません。まず、家族やご近所のトラブルもなく、家族も健康で毎日の、生活が出来ていることです。
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「何より生きていることが実感しているときに幸せ」
それは、人の喜ぶことができること…人の幸せを願うことができること…人の助かることができるとき「本当に幸せだなぁー ありがたいなぁー」と感じます。
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私の住む地域には、自然がまだまだ残っていて、自然を楽しむことができる環境があります。散歩をして、好きな景色をみているとき、自然と触れあっているとき、幸せだなぁーって思います。また、光、風、鳥、花、木々たちなど自然と触れあっているときにも幸せを感じます。
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幸せは心が決めていくもの
日々の出来事に感謝することが幸せを感じれることなのかもしれません。当たり前のことは何一つなく、すべてが、かけがえのない、幸せなことなのです。そして、感謝出来ることなのです。
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そのような当たり前のようで、当たり前ではない奇跡のように美しい幸せを、日々心に抱きしめて感じていきたいものです。

2021年9月 7日 (火)

私たちはどう生きるか

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私は、昭和・平成・令和・生きてきて、敗戦の悲惨さ、就職難の苦しみ、生きることの大変さを経験しています。吉野源三郎さん『君たちはどう生きるか』ブームになりましたが・・・

今「私たちはどう生きるか」・・・です。
現代の「大人」たちの余裕がなくなってきています。少し昔の大人たちは、ある程度の年齢になると「隠居」していました。

「俺はリタイアするけども、君たちはちゃんと生きてくれよ」と、若い人たちに励ましの言葉をかけていればよかった。定年退職後も、年金など社会保障が充実していました。しかし、時代は変わり、80歳でも90歳でも、生涯現役として生きなければいけない、時代になってしまいました。
 
国や社会に、大きな体制に依存して自分を守っていく道が閉ざされてきしまったのです。そして「自分はどう生きるか」を考えなくてはいけなくなりました。一人ひとりが、健康も含めて、自分で生き方を探し…ケアする道を探し…を考えなけれいけない時代です。
 
今は、一応は国家、社会保障といった仕組みが機能しています。私たちが今でも「老後の生き方」なんて考えられるのは、社会保障への信頼が残っているからです。これからも、社会保障の充実を願いたいものです。

2021年9月 6日 (月)

小さな善行でも続ける大切さ

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「持久微善(じきゅうびぜん)を積んで撓(たゆ)まず」
 
小さな善行を積み重ねて行くことの大切さを説いたものです。私たちは日常生活の中で、人の世話をしたり、地域社会を少しでも、気持ち良く暮してほしいと考えて行動をする・・・
 
しかし、その善行は、一時的で長続きしないことが多く、私たちの品性を向上させるうえで力が弱いのです。たとえ小さな善行でも、持続して行うことによって大きな成果をもたらします。道徳実行の生命は、このように不断に続けるところにあると思います。
 
私たちは、喜びや悲しみ、感謝や不平不満などの目に見えない心のはたらき・・・人に挨拶をしたり、ゴミ・タバコの吸殻を投げ捨てたりするなど、小さな行為については、比較的無頓着です。
 
しかし、このような軽微な心づかいや行いが、時々刻々に私たちの運命を形づくっているのです。したがって私たちは、日々の小さな心づかいと行ないにも十分注意し、少しでも善行を積むように努力することが大切です。
 
日常の生活の忙しさに、道徳実行の価値を十分に理解することができず、小さな善事を積み重ねることを軽視しがちです。しかし、日々の心づかいと行ないの累積が、やがて習慣となり、それが人生の大きく左右するのです。
 
私たちは、日々心を新たにし、たゆまず微善を積んでいけば好運命を開くことができ、さらには明るい社会を築くことが出来るのです。

2021年9月 5日 (日)

美しい心をつくる

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「きれい心」とは・・・
きれいな景色…きれいな空気…きれいな空と同じようにーー濁りのない心ーー美しい心をもっているーー人に対して使う言葉です。「心が濁っていない」「汚れていない」という意味です。
 
人生で何が一番の大事かというと、一生をかけて創り上げた美しい心です。
それには、実際にたくさんのことを体験し、いろいろな気持ちを感じることが必要です。そのために今のこの世界を現わし、身体を持っての一生を歩んでいます。今、この世に生きている目的は、自分の心を創り高めていくためです。

きれいな心をつくるには
心をつくるためには実際に身をもって体験してみなければ思いを心に収めることができません。想像したり考えたことを実際に行ってみて、身体を通して気持ちを味わい、その感じた思いが心に収録されていくのです。
 
それを、苦労に対して不平、不満をあげつらい、世を妬み、世を恨み、なんで自分だけがこんな目にあわなければならないのか、と拗ねていたのでは、心を磨けるわけもなく、かえって心が汚れていくのです。
 
今のこの試練は、それに耐えて一層頑張るようにという自然の教えなのだと受けとめ、苦しくても明るく生きていくのです。そうすることによって、すばらしい人間性というものが培われ、人生の勝利者となることができる。そのために、苦労をするということは大変大事なのです。

2021年9月 4日 (土)

感謝の力

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「感謝の力」
今自分が生きていることは、これまで出会った全ての人や物のおかげだと考えることで、周りの人や物事に対して愛おしいと思う感情が生まれます。今まで無関心だった人や物事を大切にできるようになります。
 
無関心だった、人間・物ごとに関心持つことで、次第に人間関係が円滑になります。素敵な人間関係が築けていること自体、幸せなことで、、、次第に人が周りに集まってくるようになり、幸運が自分の周りを巡るようになるのです。

どんな時でも、正直に、素直にそして感謝の気持ちをもって生きていくことです。そうすれば、周りの人から助けてもらえたり、協力してもらえたりすることがあります。

感謝のない人には誰も手を差し伸べてくれたりしません。嘘や誤魔化しのない正直で素直な心と、どんな時でも人に感謝する気持ちを持ち続けることが、生きる上でもっとも大切なことではないかと思います。

誰にでも挨拶をする
感謝は、人を大きく、美しく、また強くします。そして、本当に強く美しい人は、いつも周りに感謝している人なのです。いいかえれば、誰にでもきちんと挨拶ができる人でもあります。

あたりまえのことに感謝する気持ち、周りの友達や家族、支えてくれているすべての人に、感謝の気持ちを表現することで・・・自ずと「感謝の力」を感じてくるものです。

2021年9月 3日 (金)

高齢者が生きる糧を持つ

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高齢者が「生きる糧を持つこと」は大事です。
「誰の世話にもならず、自立して生活できること」は高齢者にとって、幸せの土台となるものです。この土台があれば、若いときより成長し円熟した精神で、心豊かに生きることもできるはずです。

そのためには、自立して生活できるだけの健康状態が必要です。ウォーキングなどの体力づくりや、筋トレ、認知症予防の脳トレなど、何かしらの介護予防につながる活動は、高齢者にとっては明るい未来につながるもの。トレーニングをがんばって効果を実感できたら、その喜びでもっとがんばろうという気持ちもわいてきます。

(1)関係の深い人とのあたたかな関わり
家族や親しい友人など、今までの人生で深めてきた人間関係は、高齢者にとって大切な宝物です。そんな人たちの笑顔を見れば何よりうれしく、幸せを感じられるものです。自分の人生は良いものだったと、かみしめることができる瞬間です。
 
(2)「ありがとう」と言われること
「ボランティア活動を続ける」・・高齢者は幸福度が高い・・と思います。「社会貢献」「ボランティア活動」をしていると、「ありがとうございます」などと周囲から認められ、喜んでもらったり、感謝されるされます。そんな時「幸せ感?」感じられます。
 
(3)介護予防に取り組み、前向きに努力すること
ウオーキングなどを楽しむ。。。これまでに多くの経験を積み、自分のスタイルを作り上げてきた高齢者にとっては、自分のことを自分で決められないのはつらいものです。自分の好みや習慣を大切にしたり、出かけたいときに出かけたり・・・

(4)おいしく食べること
好物を味わって食べるとき、人は誰でも幸せを感じています。「おいしい」ことは、純粋にそれだけで大きな楽しみです。ところが口から食べ物を摂取することができなくなってしまうと、味を感じることができず、生きる楽しみがぐんと減ってしまいます。
 
口の状態が良ければ、食べることを楽しめるだけでなく、栄養状態が良くなったり、誤嚥性肺炎などのリスクが下がる、会話がしやすくなるなど、うれしい副産物もあります。いつまでも食べる喜びを感じるためには、口の中や喉のケアをしっかりしていくことが大切です。

2021年9月 2日 (木)

温度差に参った!

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今年の夏の暑さと温度差には参った。
8月10日、八王子市では39度でこの日の全国で一番の暑さになり、その後も暑い日が続きました。9月に入り、2日の今日は、朝から小雨が降り続き、気温は、20度で10月の陽気になり、着るものは冬物に、変えなければ寒くていられないほどでした。

39度の、殺人的猛暑から、気温が15度も違う「寒暖差疲労」によって体に起こる症状とは?「温度差疲労」に要注意(ある医師の記事から・・・参照です。)

寒暖差疲労によって起こる症状は、体に起こる症状と心に起こる症状に分類できます。身体に起こる症状は身体の冷え、めまい、頭痛、肩こり、顔のほてりです。

冷えに関しては特に手足など四肢の末端が冷えやすくなる傾向にあります。人によっては頭痛やめまいによって吐き気を引き起こすこともあります。

心に起こる症状は、食欲がなくなる、睡眠障害(眠れない、夜中に目が覚める、朝早く目が覚める)、イライラする、落ち込みやすくなるという症状があります。

例えば、夏に食欲がなくなり冷たいものしか食べたくなくなるいわゆる夏バテは、この寒暖差疲労によって引き起こされるものと考えられています。特に前日よりも気温差が5度以上あると体に影響が出やすくなり、症状も引き起こされやすくなるといわれています。

夏バテとはどう違う?
回復に時間がかかる高齢者の秋バテには要注意・・・秋バテとは、真夏の生活習慣により、自律神経などが乱れ、食欲不振や倦怠感などの不調が秋までつづくことです。

自律神経が乱れる主な原因は、猛暑がつづくなかで冷たいものを多く摂取したり、冷房に長時間あたりすぎたことによって、内臓や体が冷えることと考えられています。

夏バテの症状や原因と大きな違いはありませんが、夏が終わり秋口にもこのような症状が起きる、継続していることを「秋バテ」と呼ばれています。

新型コロナウイルスの対処を考える

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百年に一度の疫病
新型コロナウイルスの感染が広がり続けるいま、特に100年前の「スペインかぜ」は、1918年から1920年まで3年かけて3度の流行を繰り返し、世界中で少なくとも4000万人以上もの人の命を奪ったと言われています。

2020年のスタートからすぐ、私達は今まで経験したことのない状況を経験しました。スペインかぜから、ちょうど百年になる「新型コロナウイルス」で、パンデミックはなかなか収まりそうもありません。

「新型コロナウイルス」日常生活は一変・・・その生活の変化によって、生活が不規則になり集中力が落ちる・・・特にお年寄りは、肩こりや頭痛、冷えやだるさを感じるなど、身体に不調が出てくる人も多いでしょう。

コロナに負けない体に食事・運動・睡眠に気をつける
免疫力を高めるための3つの柱「食事」「運動」「睡眠」健康な身体をつくるには、土台となる生活と食事の「リズム」を整えることです。

そして、私たち一人ひとりができることは、3蜜をさけ、手洗いや咳エチケットなどの…一般的な感染症対策… 加えて、普段から意識的に健康管理を行って免疫力を低下させない、地味な努力することが大切です。

足るを知る

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「足るを知る者は富む」の意味は「満足を知る人は貧しくても心は豊かである」・・・満足することを知っている人は、たとえ貧しくても心が豊かであること・・・という意味のことわざです。

「足る」とは「十分であること」や「満ち足りている」という意味で、「富む」とは「財産がある」とは別に「豊富である」という意味をもちます。
 
自分にとって必要なものや、持っているものの大切さを、知っている人は、貧しい生活をしていても精神的に豊かであるという戒めの言葉です。「足るを知る者は富む」の由来は、老子が記した「道徳教」の一節です。

満足することを知っている者は心が豊かです。
「ご飯が美味しい」・「景色が美しい」・「友達とこうして笑いあえているのが楽しい」・・・など、これらのことは、全て「生きているからできること」です。今、生きていることに感謝できる人は、生きていておこる全ての事象が有難いのです。
 
こういう日常生活の当たり前のことに小さな感謝を増やすことが、満足感や幸福感に繋がっていき、これで十分満足であるということがわかるのです。

2021年9月 1日 (水)

コロナ禍で高齢者の悩み

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新型コロナウイルス感染症の収束が見通せず、外出自粛の動きが長期化する中、高齢者が外出などを過剰に自粛することで筋力などが衰え、介護が必要になる一歩手前の状態・・・「フレイル」・・・のリスクが、高まっているのではないでしょうか。

フレイルは「身体的」「メンタル面」「社会性」の三つの要素で成り立っています。メンタル面や社会との関わりの部分で、新型コロナウイルス感染拡大による過度な自粛生活は、さまざまな問題を生んでいます。
 
最近ちょっと「つまずきやすくなった」「むせやすい」といった身体のことや、「出かけるのがおっくうになった」「物忘れが増えてきた気がする」といった気分や認知に関する自覚症状が現れてきます。

フレイルが注目される背景として、日本人の平均寿命は延びていますが、自立した生活を送れる「健康寿命」が延びているだけではなく、「要介護状態や寝たきりで過ごす」期間が延びてきたのです。

「健康寿命」を延ばすためにはフレイルの時期をどうコントロールするかが大切です。坂道を転がり落ちるようにフレイルから一気に要介護状態になるのか、踏みとどまり健康な状態に押し戻し、再び自分らしい生活を維持していくのかの分かれ道ともいえます。

「健康寿命」を延ばすためにはフレイルの時期をどうコントロールするかが大切です。坂道を転がり落ちるようにフレイルから一気に要介護状態になるのか、踏みとどまり健康な状態に押し戻し、再び自分らしい生活を維持していくのかの分かれ道ともいえます。

このような生活習慣になると、筋力や認知機能が衰えて、要介護の一歩手前の状態「フレイル」になるリスクが高まりますので「要注意」です。

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