老いの苦しみ
私たちは、一日、一日、一年一年、年を重ねています。しかも、絶対に逆戻りは出来ないのです。
年を取ることは「生きる」ことが大変になります。
身体は言うことを聞かなくなる。。。記憶力も落ちてくる。。。もちろん、外見の美しさ衰えてきます。
絶世の美女と言われた「小野小町」・・・
この顔が、変わらないでほしい。年を取ることがあっても、この顔は変わらないでほしい。たとえ命に限りがあるとしても、この顔は変わらないでほしい……ということでしょう。
「面影の変わらで年のつもれかし たとい命に限りあるとも」・・・があります。
この顔が、変わらないでほしい。年を取ることがあっても、この顔は変わらないでほしい。たとえ命に限りがあるとしても、この顔は変わらないでほしい……ということでしょう。
どんなスポーツ選手でも、 ”老い” には勝てません。また、天才…名選手…100年に一度の逸材と言われた人も…やがて「老い」によって引退しなければなりません。
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「今まで、出来たことが出来なくなる。」その技術習得のために、「昼夜」血の汗や涙を流して取得したことが、老いによって蝕まれていくのは、本当に口惜しい悔しさでしょう。
このように、肉体上の若さや、美貌、身体的な能力は、老いとともに失われてしまいます。ですが、一つだけ老いなく出来るものがあります。
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それは「心」です。
人は、自分は自分の使命を知り、それに向かうことで、いつまでも心の青年でありつづけることが出来ます。肉体の若さや健康も大事です。でも、もっと大事なものは、身体の若さよりも「心の若さ」が大切なのです。
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