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2021年8月

2021年8月31日 (火)

平凡なことを続けることは非凡なこと

御殿峠より市内を望む
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「非凡とは、平凡な事を真面目に確実に継続してできる事を言う。」アンドレ・ジッドの名言がります。

・・・「平凡に生きるだけでも立派」・・・
私は、子供のころ父親から「平凡は非凡」と言われたことを・・・思い出します。今80歳を過ぎて、含蓄のある言葉だと思います。


「平凡」とは「普通で、特に優れたところや、変わったところが無いこと」を言います。「ありきたり」・「並み」・「凡庸」という表現で言い換えることも出来ます。

だがしかし、その平凡なことを毎日毎日、同じことであろうと、変わったことが起こらなかろうと平凡な気持ちのままで実行すること出来るということは、それこそが平凡の逆=非凡=普通より特に優れていること、人よりはるかに優れているという事なのです。

普通の日々の積み重ねが、後々に偉大な成果をもたらす可能性を秘めているということです。日々コツコツ・・・誰でもできる・・・簡単にできる・・・楽にできるかもしれないことを続けること・・・どんなに平凡なことであろうと、続けることを止めないことが、非凡に通じるということです。

2021年8月30日 (月)

屈託がない人間でいたい

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「屈託のない」とは、くよくよした感情や飽き飽きした退屈なもやもやした物が心の中に無く、感情に裏表がなく秋晴れの空のように清々しい状態を表しているポジティブで明るい言葉です。
 
屈託のない人
人間は成長して人生を歩んでいくと、楽しいこともあれば悲しいこともあり、嬉しいことがあれば辛いことや嫌なこともあります。その都度上機嫌になったり落ち込んだりの繰り返しです。

たとえ嫌なことや失敗をしてもあるがままに受け取り、それを前向きにポジティブに考えるので、落ち込まずに「屈託のない笑顔」が作れるのです。
 
言い換えれば「屈託のない人」とはポジティブでメンタルが非常に強い人とも言えます。屈託がないからこそ逆境にもめげずポジティブに前を向いて人生を歩めるのです。
 
屈託のない明るい話し方は、周りの雰囲気も明るくして、コミュニケーション力に長けています。それが無意識に自然に出るから屈託がないのです。
 
話し方がフランクでフリーなので周りの人も明るく話しやすくなります。また感情や心に裏表がないので安心して会話ができます。

高齢となって生きる喜びを知る

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人生は苦しく、不安ばかり。生きる意味すらわからない――。自分は何のために生きてきたのか?ときに見失うこともあるでしょう。今のような閉塞感のある時代であっても、普遍的な答えがあります。

「幸せであること」。。。幸せのかたちは、年代によって変化して行く。。。

(1)関係の深い人とのあたたかな関わり…
(2)「ありがとう」と言われること…
(3)介護予防に取り組み、前向きに努力すること…
(4)おいしく食べること…

自分らしく生きることが、幸せにつながり、幸せのかたちは、年代によって変化していきます。老年期に入ると、やがてくる人生の終わりについて考えるようになります。

きっかけは周囲の親しい人が亡くなったり、持病の悪化や病気の後遺症など、体の不調が多くなることもあります。人生を振り返り、締めくくる時期に入りますが、この段階ならではの幸せもあります。

□□□自分らしく生きることが、幸せにつながる□□□
「自分らしく」のカタチは、人の数だけありますが、共通項が一つあります。それは、だれかに押しつけられたり、強制されるものではないことです。

”このほうが体にいいから”といっても、本人の思いに反した押しつけになってしまっては、高齢者は幸せを感じることはできません。

2021年8月29日 (日)

歳月は川の流れの如く

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「歳月は川の流れの如く 」
夜になると虫の鳴く声を聞くようになりました。秋の到来の近いことを告げています。片倉城跡の桜も、黄色くなった葉が落ち始めてきました。月日の流れの早さを実感します。

「行く川の流れはたえずして、しかも、もとの水にあらず。澱みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく留まりたるためしなし。世の中にある人と住みかと、又かくの如し」・・・鴨長明が綴った『方丈記』

「不確実性や曖昧さ」
依然として、新型コロナウイルスの感染拡大は止まりません。コロナ以前より、”不確実性や曖昧さ”は、ますます増している状況です。多くの専門家の間で、長期的な“Withコロナ時代”を覚悟する必要があると言われており、コロナ禍が収束しても元の世界には戻らないとの見方が大半です。

「VUCA」という言葉があるように、世界はますます「変動的(Volatile)」で、「不確実(Uncertain)」で、「複雑(Complex)」で、「曖昧(Ambiguous)」になってきています。
 
リーダーがこれまでの経験から培ってきた既存の「知識」や「経験」だけでは、課題を解決できない「未知」の世界に突入しています。リーダーにとっては、暗闇の中を手探りで歩いているような感覚かもしれません。
 
そもそも人間は、予測のつかないものや不可思議なものを避け、確実なものを求める傾向があります。確信が揺るがされると、神経学的には、身体的攻撃を受けたのと同様の苦痛を感じるといいます。
 
ですから、私たちは、脳を心地よい状態に保つために、可能な限り不確実性を排除し、何かしらの確実性=答えを常に探し求めています。時に、拙速に判断するあまり、結果として、誤った答えさえも作り出してしまうことがあります。

倫理(エシカル)な考え・行動が大切なこと

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エシカル(ethical)とは、日本語に直訳すると「倫理的な」あるいは「道徳的上の」という意味の形容詞になります。

今現在はさらに進んで「人、地球環境、社会を大切にする気持ちや考え方および行動」がエシカルであるとして、私たちが暮らす社会のあちこちに拡がってきています。

言うまでもないすでが、今現在地球上のいたるところに課題が存在しています。それは生物多様性の損失、途上国における労働搾取や児童労働、気候変動、資源不足、食糧危機、貧困といったように広範で枚挙にいとまがありません。

いずれも深刻な問題であるために世界規模での対策が急務となっている状況です。これがまとめられたものが、SDGs(持続可能な開発目標)です。

そして、こうした課題を解決していくために「エシカル」に注目が集まっているのだと思います。地球が抱えている課題を解決に導く一端を、私たち一人ひとりが担うための有効な手段が「エシカル」だからです。

倫理は私たちに、人間らしくいなさいと求めています。
そして感受性を育てれば、他者が何を必要としているのかが理解できます。日本レベルの心を読む術が必要になるかもしれませんが…でも、そうすることで私たちはより敏感になり、より親切になります。

2021年8月28日 (土)

過去を踏まえ、未来に向かい、今日を生きる

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「どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。」

クオリティ・オブ・ライフ
健康、人間関係、やりがい、衣食住にとどまらない幸福感にどう向き合うか・・・豊かさとは何か・・・かつては「いかに衣食住を確保できるか」が豊かさの指標とされ、衣食住に恵まれた生活が幸せに直結していました。しかし現在は、着るものも食べるものも豊富にあり、自由に住む場所を選ぶことはそう難しくありません。

ではそれに伴って、人々の幸福レベルは上がっているのでしょうか。うまく人間関係が築けずに孤独を感じていたり、目の前の仕事をこなすだけでやりがいを感じていなかったりする人も多いのではないでしょうか。
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物質的に満たされているだけでは、人は幸せを感じられません。精神的な豊かさを含めた「QOL」は、現代に生きる人たちが考えるべき概念で、1960年代に米国で提唱され、日本では1970年代ごろから唱えられるようになりました。
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精神的な豊かさの定義は、人によって尺度や程度が違います。あえて要素を分解すると、十分な衣食住に加え、心身の健康、良好な人間関係、やりがいのある仕事、十分な教育、充実した余暇、といった観点が挙げられます。このことからも分かるように、何を得ればQOLが上がるのかは、人それぞれ。自分にとってのQOLを追求することが必要なのです。
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心豊かな生活
「住民が自ら、住みやすい地域づくりをする時代に」・・・近年、参加型の政策が増え、住民が学び、地域づくりに関わっています。暮らしやすい地域づくりには、行政と、地縁の組織(地域住民)がリンクし、つながっていることが必要です。住民が主役となり、地域づくりに関わることが求められています。

人生経験豊かなことを誇りと自信を

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「老いを嘆くより、人生経験豊かなことに誇りと自信を・・・」
若い頃は、どんなに背伸びしてみても足りないものがあります。それは経験です。経験をする中で自分自身がどんなことを考え、感じたかによって、価値観も変化していきます。
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すべての出来事は、人生を彩る大事なこと
経験をすることは時に痛みを伴います。本や映画の知識からでは補えないこと、それが生身の経験です。嬉しかったり、悲しかったり、腹が立ったり、我慢したり、泣いたり、笑ったり・・・経験を通していろんなことを感じることは、天から与えられた“贈り物”のようなものです。
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いつまでも夢と目標を大切に
年齢を重ねても若々しい人は、いくつになっても夢や希望を持っています。次はどんなことをしようかな?とワクワクすることは、とても大切なことです。
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ごく個人的な小さなことでも構わない、将来やってみたいことを想像することは、日々を大切にすることに繋がります。毎日を大切にできたなら、その先にある未来は、きっと今よりもっと素敵なものになっていくはず。。。
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小さなことを気にするのをやめる
細やかなことに気づくということは大切なことです。人の気持ちだったり、仕事のことだったり・・・細やかな気配りがプラスに働くことが何かと多い日本です。
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自分が気にしていることは、他の人にとってはどうでもいいことの場合もあるでしょう。小さなことにこだわって、もし疲れてしまうのならば、ちょっとだけ目をつぶってみるのも良いかもしれません。こだわることは大切ですが、度がすぎると、イライラの原因にもなりかねません。
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忘れることも大切なこと
人生に失敗はつきものです。失敗を見つめ、改善することは大切ですが、いつまでも捉われていては何も良いことがありません。
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思い出もまた然り。思い出して幸せな気持ちになれる思い出なら宝物ですが、思い出して辛くなるだけの記憶ならば忘れるようにすることです。過去はどんなに悔やんでも変えられません。今を大切に、未来を見つめて生きていくことが大切です。

2021年8月27日 (金)

自然環境と人間生活について

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地球温暖化とは、地球の気候系の平均気温が長期的に上昇することである。温暖化は気候変動で起きる主な現象の一つであり、自然サイクルの自然変動と、人為起源によるものがあるとされる。20世紀半ば以降の温暖化は人為起源の温室効果ガスが主な原因と考えられ、過去の現象より急激に起こっているとされ問題となっている。・・・ウィキペディア・・・

自然環境と人間生活
人間の生活は、大気や水、地形や土壌、生態系など、あらゆる自然環境とつながりを持って成り立っています。このため、自然環境の変化は私たちの暮らしに大きな影響を及ぼします。こうした課題の一つが、いわゆる地球温暖化の問題です。

レジリエンス(変化に適応する力)を持ち、安定的な地球システムの下、人類は過去約1.2万年間に文明を発展させ、今日の経済発展を謳歌してきました。しかし、現在の生活様式や経済活動を継続すれば、今世紀後半まで人類の繁栄を維持することはできない、と専門家や科学者は厳粛に警告を発しています。不可逆的な環境の壊滅を回避するために私たちに残された猶予は、実際には10年しかないと言うのです。

人類は、歴史上の運命の分かれ道に立っているのです。20世紀中盤からの人間活動が、地球に巨大な負荷をかけ、そのシステムのレジリエンスと安定性に深刻な負の影響を与えています。現在頻発する極端な気象や、新型コロナウイルス感染症などの人獣共通感染症などが示すように、「人類が現在の繁栄を未来永劫に維持することはできなくなる、地球システムの転換点は間近にある」と専門家は伝えています。

2021年8月26日 (木)

個性を活かす

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昔の年寄りは「若い人は経験が足りない」とよく言っていました。ここでいう経験というのは、感覚に触れて覚えること、身体を使って覚えることでしょう。

コロナ禍に関係なく・・・今の親はそんなこと、夢にも思っていない?
夏は冷房、冬は暖房、外に出たら危ないから家でテレビゲームしてなさい、というのが本音でしょう。だから子供たちの感覚世界が痩せて、慢性的な経験不足に陥っています。

何時からそうなってしまった?
私は、私の世代からだと思っています。私は終戦時に小学校二年生で戦前教育も多少は知っていますが、基本的な教育は全部戦後教育です。

私の世代の前と後で何が変わったか、それは、本当の意味での教育がなくなった、ということだと思います。たとえば、日本的な何かを教わろうとするときに大事なのは、お茶であれ、お能であれ、「師匠のやるとおりにやれ」という構えでした。

ところが、私の世代がそれを習おうとしたときに「そんな教育は封建的だ。子どもにはそれぞれ個性があるのだから、それに合わせて教えなければ」となったのです。 でも、子どもの個性って、実はそんなもの分かるわけないと思うのですが・・・。

生きていれば悩みは尽きない

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人はそれぞれなんらかの悩み苦しみごとを、一つや二つは持っています。老後のこと、病気のこと、経済的なこと、人間関係や、家族のことなど、さまざまです。
 
人間関係で、あの人は嫌な人と思えば、何事もうまく運びません、けれども自分を含めて人は皆、長所と欠点がありますから、その人の欠点ばかりを拾い出すのでなく、長所を見いだすようにすれば、その人と関係改善がはかれることがあります。
 
これは自分に合わないとか、嫌な仕事だとか思っていたけれども、世の中には役に立たぬものなどありませんから、工夫・改善によって、気づかなかったおもしろさや楽しさを発見することがあります。

相対としてとらえずに、目線を同じくしたり、 自分のこととしてとらまえたり、 世の中のお役に立ちたいという気持を強く持つこと、すなはちすべて発想の転換が大切です。
 
老いを嘆くより、人生経験豊かなことに誇りと自信をもって自己を生かすべきです。病に負けることなく、生かされている命を どんなかたちででも輝かせることです。
 
心配ごと悩み苦しみごとがあるのは、今、生きているからです。心配ごとや、悩み苦しみごとの中に、喜びや楽しみ、また生きる希望の種が、芽があるのです。そう思えばこの世は楽しくもあり、希望に満ちあふれています。この種をうまく育てて、花を咲かせることが、悩み苦しみから逃れる方法です。

2021年8月25日 (水)

正義感が強いことは価値観の押しつけか

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正義感が強いことは価値観の押し付けか?
価値観を押し付けることと正義感が強いこととは別物です。ただ、正義感を押し付けていたら、それは価値観を押し付けているのと同じことです。

価値観とは(広辞苑)「何に価値を認めるかという考え方。善悪・好悪などの価値を判断するとき、その根幹をなす物事の見方。」とあります。
 
自分の中の正義を出すと、他の人が傷つく・・・傷つくのが正義なのでしょうか。今の時代SNSで、誹謗中傷する人は、自分の中の正義を出してるのでしょうか。もっと幸せな正義をだせないものなのでしょうか?

人間関係において、価値観の合う合わないはとても大事なことです。その「価値観」とは、どのような意味を持つ言葉なのか改めて考えてみると・・・。
 
物事の良し悪しを判断する人それぞれの基準とでも言うのでしょうか、「価値観」を「基準」や「ものさし」かと思います。基本的には物事に対して人の考え方を示す言葉で、この中には「人生観」や「仕事観」なども含まれます。
 
価値観は「自分の人生の生き方」でもあるので、誰一人として同じ価値観を持っている人は存在しません。これまでの環境や経験など、さまざまな要因が影響して形成されていくのですが、同じ環境で一緒に暮らしている兄弟ですら、それぞれ違う価値観を持っているものです。
 
また、生まれた国や地域、自分を取り巻く風習の中でいかにして育ったか、そしてそれをどう受け取るかが、価値観を大きく左右します。あるポイントで同じ価値観を持つことがあったとしても、一人ひとりの価値観は違って当然なのです。

2021年8月24日 (火)

「今」に最善を尽くせば幸運を招く

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お釈迦さまの言葉に「
過去を悔まず、未来を憂えず、 今に最善を尽くせば幸運を招く」があります。今やるべきことをよく観察し・・・心を揺るがさず、今日やるべき事に最善を尽くすことです。

今、私も高齢者の仲間入りして、思うのですが、歳をとるとはこう言うことか「・・・心身に弱わさを感じるようになって・・・」これから先、どう生きればいいのか過去の悩みと違う、新たな悩み事が多くなりました。
 
「今を生きる」しっかり生きることだということ
過去のことを考えも、今では出来ない、未来のことを考えても不安ばかりで、悩み勝ちになります。それは、「今」をしっかり生きいないのです。時間をコントロールできるのは「今」しかないのです。
 
過去は「確定済みの出来事」であり、未来は「予測不可能」なものです。つまり、過去と未来は自分でコントロールすることができないことです。自分でコントロールできないことに拘っていたり、努力するのは労力の無駄というものです。
 
しかし、未来に関しては、今の行動次第で自己コントロール出来ます。予測不可能が、可能に・・・それは、過去の経験と、今の行動、習慣により、予測可能になり得るからです。未来から逆算し、今の行動を継続、積み上げることで、期待する未来を手にすることができます。ですから、過去の経験と将来を見据えて「今を確り生きる」ことです。

誰にも遺せる唯一なものとは

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「人生の中で何度も経験する出会いや別れ」
いい思い出になった別れもあれば、苦い思い出になった出会いもあるかもしれません。ところが考え方や行動を少し意識するだけで、晴れやかな気持ちで別れを受け入れ、また自然体の自分で新しい出会いを経験することができます。

「会うは別れの始め」といいますが、
人生は「出会い」と「別れ」の繰り返し、「別れ」と「出会い」は人生を変えます。

プラスにするために心得ておきたいこと。
人生にはたくさんの人との出会い、そしてその先には自ら離れることを決めた別れや望まない別れなどいろいろな「別れ」があることも事実です。その一つひとつを大切にするためには、どうしたらよいのでしょうか。

思想家・内村鑑三の名言
「後世へ遺すべき物はお金、事業、思想もあるが、誰にでもできる最大遺物とは、勇ましく高尚なる生涯である。」

事業を行ったかどうかで人の評価はできない。「もっとも尊い遺物とは資産でも知識でもない」・・・資産家にも、事業家にもなれず、本も書けず、教えることもできなければ、役に立たない平凡な人間として、何も遺さずに消えてしまうのでしょうか。

本当に誰にでも遺すことのできるものがあります。
「最大遺物・・・後世に誰でも遺せて、有益で害にならないものは、勇ましくて高尚な人の一生」です。これが本当の遺物ではないかと思います。今までの偉人の事業や文学者の遺した本は、偉大ですが、その人の一生に比べれば価値が小さいのではないでしょうか。


2021年8月23日 (月)

町の美化は一人ひとりの心がけ

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「みんなで町をきれいにしよう」
江戸時代の儒学者であった貝原益軒の言葉に「知っていても、それを行動に移さないならば、知らないことと変わらない」の言葉がります。「知る」とは物事を見聞きするだけではなく、その意味を理解し、さらに、自身が実践することであると教えです。

 
令和2年の7月より、プラスチックごみ削減のため、全国の小売店でレジ袋の有料化が義務づけられました。その背景には、プラスチックごみが海洋に流出し、波や紫外線によって砕かれた「マイクロプラスチック」が、地球規模の海洋汚染と環境破壊につながるという危機感があります。

マイクロプラスチックは、世界中の海で発見されており、世界最深のマリアナ海溝の海底からも見つかっています。海洋生物がこれを誤飲すれば、臓器に有害物質が蓄積します。それを食物連鎖の最上位にある人間が摂取することによる健康被害が、懸念されているのです。


「最近、なにか気候が変だ」
これは地球温暖化のせいだろうか?地球温暖化を「実感」している人は、少なくないでしょう。一方で「生まれ育った町がどんどん寂れていく・・・もっと活気を取り戻せないか」と感じている人々も多いと思います。

「なぜ不法投棄をするのか」・・・美化活動(ゴミ拾い)して思う。
■ごみがごみを呼ぶ
ひとたびごみを捨てれば、そのごみがまた新たなごみを呼び、その場所が不法投棄の名所になってしまいます。一度不法投棄の名所になってしまうと、たとえごみを撤去しても、またすぐに不法投棄され、多大な処理費用だけがかかるようになります。一人ひとりが「町の環境の美化に関心を持つこと」です。
 
■不法投棄がもたらす悪影響
不法投棄は、市の美観を損ねるだけでなく、その廃棄物から出る有害物質が地中に浸透し土壌や地下水等を汚染し、環境破壊を招きます。また、不法投棄の処理にかかる多額の費用は、税金によって賄われます。不法投棄をする者が支払うべき対価を、私たちの税金で賄っていることになるのです。

2021年8月22日 (日)

自分の存在が奇跡

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自分が存在していること奇跡で、親や祖父母、そのまた祖父母など、一人でも欠けていたら今の自分は存在していません。

その先祖の人と関わった人もいなければ、今の自分は存在しない。
助けてもらったこともあり、生き続けらることになったこともあるでしょう。それが誰なのか全く分かりませんが、今の自分が存在することは、何千年も受け継がれてきた命です。

「自分が好き」「個人」「自我」だけで、終えていいものなのか?
そんなに自分が大事で、自分のことだけを考えて生きて、感謝のない生き方をしていたら・・・互いに受け継がれた命で、奇跡が続いて今があり、その存在価値がどれほど凄いことなのか、想像できれば、他人を大事にできて、他人に恐れることなく、他人と仲良くしようと思えるものです。

生きるとは苦労や困難の連続ですが、好かれるように生きる…助けてもらえるように生きる…何よりも、今の自分の存在に感謝を本気ですれば、生き方は自然に変わるものです。

受け継がれてきたことに感謝をすると、自然と考えや性格も本当は変わってくる。。。素直をはき違えないで、素直に感謝して生きる。。。

もっと想像して生きる必要がある人がいるが、全ての人は、いろいろな人に助けられて支えられて生き、そして受け継がれてきたのです。他人と共に生きられて、感謝することで、他人に優しく出来るのです。

2021年8月21日 (土)

生きることに真剣に

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私たちは、「生きる」というテーマに関心をもち、よりよい人生を歩みたいと思うのなら、やはりこれからの生き方を真剣に考えるべきです。なぜなら、時代の変化のスピードが加速度的に増している今は、20年先、30年先のことなどまったくわからない時代だからです。

「自分の感性」を武器に変えて、一目置かれる人間になる
自分の価値観、自分が本当に求めていることを大事にして生きていくほうが生きやすいのではないでしょうか。どんどん変化していく時代のなかで常に自分らしく楽しく生きるためには、自分の価値観という確固たる軸が自分のなかになければそうできません。

また、自分が身を置いている領域において輝くためにも自分の価値観をきちんと把握することが大切です。結局のところ、どんな領域においても一目置かれている人というのは、自分の感性を武器にできている人だと私は考えています。
 
「感性」と聞くと、作家やミュージシャン、クリエイターなどをイメージするかもしれませんが、そういった人だけではなく、投資や経営などあらゆる領域においても、一目置かれる人は自分の感性を武器にしています。そして、その自分の感性を見つけて磨きをかけるためには、やはり自分の価値観を把握する必要があるのです。
 
稲盛和夫氏は・・・人生はドラマであり、一人一人がその主人公です。
「大切なことは、そこでどういうドラマの脚本を描くかです。運命のままにもてあそばれていく人生もあるかも知れませんが、自分の心、精神というものをつくっていくことによって、また変えていくことによって、思いどおりに書いた脚本で思いどおりの主人公を演じることもできるのです。

人生というのは、自分の描き方ひとつです。ボケッとして生きた人と、ど真剣に生きた人とでは、脚本の内容はまるで違ってきます。自分というものを大事にし、一日一日、一瞬一瞬をど真剣に生きていくことによって、人生はガラッと変わっていくのです。」・・・と言っています。

2021年8月20日 (金)

地域コミニティ活性化

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地域コミュニティは決して古くさい前時代の遺物ではありません。
今の時 代も、いや、いまの時代だからこそ、地域のなかで安心して、暮らし たいと願う・・・一人ひとりの住民にとっても、住民とのパートナーシップを求め る行政にとっても、地域コミュニティの再生は重要な課題です。

しっかりした地域コミ ュニティの存在が不可欠です。自分が住む地域「安心・安全で暮らせる」は、誰しもの願いです。

自分の地域を良くしたい という想い、「こうなったらいいなぁ」という個々の住民の つぶやきが活かさせるような、そんな地域コミュニティがあってはじめて、 自分たちで自分たちの地域のことを一緒に考えたり、自分たちでルールをつ くったりできるし・・・地域の想いをまとめて市に提言したりすることができる のです。

「そんなものは自分とは無縁」
と思っている人も、よく考えてみれば、地 域コミュニティは自分や自分の家族が安心して、暮らすうえで「役に 立つ・必要な」ものだということは分かってもらえるはずです。

私たちの地域はコミュニティがしっかりしていて良かったと、地域のみんなが思 えるようになることです。そのためには、地域も市行政も、昔ながらのやり方・昔ながらの関係を踏 襲するだけでは不十分です。

たとえば、地域や周りの人たちのことを思いや り、自己実現を目指して、子育て支援や地域文化の継承、環境保全など、様々 なボランティア活動に参加することです。

市民は多いにも関わらず、多くの地域組織は そのような想いをもつ人たちを巻き込むことができていないのも確かで す。地域組織も市行政も変わらなければいけない時代に来ていると、私は思っています。

環境美化は、行政・ボランテイァではない

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なぜやめられぬ、タバコの吸い殻のぽいすて!
タバコのポイ捨ては昔から騒がれている社会問題ですが、一向に減る様子が見られません。
どうして法律・条例違反でもあるタバコのポイ捨て行為が平気で行われるのか、考えてみました。
 
ポイ捨て常習犯の心理は「余裕がない」に尽きる
タバコのポイ捨てをする人間を頭に浮かべてみると、第一に「心に余裕のない人間」が浮かんできます。「ポイ捨て」とは、社会に生きる人間全員が使用する公共の場所、あるいは自分が所有権を持たない場所に、不適切な形で吸殻を投棄する行為を指すため、ポイ捨てをする時点で「他者への配慮」が欠けていることは明確です。
 
中には路上喫煙禁止区域とわざわざ立て看板を設置してある路上や地域、あるいは喫煙を禁止している事業者のところですら喫煙を行い、あろうことかポイ捨てまでする輩までいるくらいですから、彼らのポイ捨てに対する並々ならぬ想いが伝わってきます。
 
〇 自分とは関係ない場所だから別に良い
〇 誰かが掃除してくれるし別に良い
彼らが考えていることは大体こんな感じですが、まあふざけたご都合主義です。心に余裕がなく自分以外のことを考えられないからこそ、ポイ捨てという行為を平気で行えるのでしょう。

吸殻だけでなく、パッケージ(容器)なども投棄されている場面をよく見かけるので、本当にやめてほしいです。

タバコの吸殻から、プラスチックのゴミや空き缶・空き瓶のポイ捨てになり、やがては取り返しのつかない「環境破壊」「地球温暖化」つながるのです。

町中の公園・道路のゴミ拾いをしてください。。。環境美化は、行政・ボランテイァがすればいいのではありません、ゴミがない気持ちいい町は、私たちで守ると言うことです。

変えられるものと、変えられないもの

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人生において、どうしても変えることのできないものがあります。例えば地震 などの自然災害やウイルスの発生です。

備えることはできても、抑止することは残念ながら 現代の科学では不可能です。 しかし、変えられないものというのはこうした事には限りません。その中で大きなものは 2つあります。それは、「過去」と「他人」です。

「過去」は、タイムマシンでもで きない限り過去を変えることはできません。「他人」は、意外と他人を変えようとする人は多いものです。しかし、残念なが ら他人を変えることはできないと思っていた方が良いでしょう。

 一方、変えられるものは2つあります。
それは「今」と「自分」です。私たちは誰 もが過去や未来を生きているわけではなく「今」を生きています。といいますか「今」しか 生きることができないのです。

しかし過去を悔んだり未来に不安を抱いたりと、「今」を大 事にしないで生きている人が意外と多いような気がします。「今」という二度と訪れること のないこの瞬間を大切にしないというのは非常にもったいないことです。

2021年8月19日 (木)

老いは克服すべき試練

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子どもの頃は、「早く大人になりたいなぁー」と、思っていましたが、今、歳を取って思うのは、「若い時にもどりたいなぁー」。

「老いは克服すべき試練」
年を重ねることの不安は、「なるべく長く若さを保っていたい」という心の焦りを生むことがあります。心身の健康を気遣うことは確かに大切ですが、加齢を否定的に捉えるあまり、憂鬱になってしまう人にとって、老化現象は、克服すべき大きな試練のようです。
 
孔子の論語に「我十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲するところに順いて矩を踰えず」があります。
 
七十歳にして、「心の欲する所に従えどものりをこえず」とは、自分の思うことすべてが、真理にかない、思うがままの行いをとっても、自然の法則から外れることのない、悟りの究極を体得したことを意味します。
 
孔子のように、順調に精神的な進歩をとげることは難しいことですが、人生の精神的成長の目安として努めていきたいものです。
 
そして、せめて一生を終える頃には、欲に心が支配されず、悟りの境地を目指す心となっていたいものです。あの世には決して、地位も・名誉も・財産も持って行けません。持って行けるのは自分の心だけです。
 
いつ自分の欲を吹っ切れるかが大きな課題です。悟りの心になることは難しいけれど、せめて悟りを目指す心でありたいものです。

人生の悩みは尽きない

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生きている限り悩みは尽きないものです。
〇 生き甲斐
生き甲斐というものは、自分が誰かのために、何かのお役に立ちたいと、言うところから生まれてきます。
 
〇悩むこと
生きることは悩むことの連続・・・。悩みを持つからこそ、傲慢になったり、有頂天にならなくて済むのです。何よりも、そこから願いが生まれます。悩み、願う、また悩み、そしてまた願うそのことによって、人は磨かれていくのです。
 
〇生かされている自分
どうしてこんなことが起こってくるの?と・・・嘆くとき・・・よく考えて見ると、辛い中にも、今まで生かされてきた自分がいる・・・ここまで恵まれてきた自分がいる・・・ここまで自分の力だけでやってきたのだろうか?と問いかけるとき、大いなる力に導かれかれ、自分の力以上のものを、与えられていることに気付くのです。





真面目に生きることは・・・

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真面目=まごころのこもった態度・
誠実で飾りのないこと。本気であること。冗談でないこと。

「世の中、真面目に生きてさえいればきっと報われるとか、きっとよいことがある」…と言いますが果たしてそうでしょうか?この世の中は「真面目な人が損をする」というのが、現実には圧倒的に多いと思います。

本当に残念なことなのですが。。。真面目な人がなぜ損をしたり、馬鹿を見るのかが大きな問題なのです。

私は、世の中の裏と表を知り尽くした人が、真面目に生きることには、なんら異議を挟みません。このような人は、人生の苦労を十分にしてきているので、相手にだまされても、利用されてもそれは承知の上でまじめに生きているのですから、いまさら挫折することもないからです。

自分で納得して真面目に生きることは、とってもよいことだと思います。そこでは損得が、大きな問題にはならないからです。ここで問題にしたいのは、世の中の汚れをあまり知らない純粋な人が真面目に生きて、苦労ばかりすることを問題にしたいのです。

純粋な人は真面目に生きて報われないと、自信を失ったり、人を信じられなくなったり、自分を嫌いになったり、相手を恨んだり、社会を恨んだりして、自らの人生を無意味なものにする危険性があるからです。純粋であればあるほど、この危険性は大きいと思います。

2021年8月18日 (水)

純粋な気持ちでいたい

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「純粋」の意味は「混じり気のなく、異質なものをそれ自身に含まないこと」「邪念や私欲がなく清らかなこと」です。

純粋な人は素直な人がとても多いです。性格や態度がひねくれておらず、真っ直ぐです。相手の言動などに対して逆らわずに受け入れます。

嬉しいことがあれば喜び、悲しいことがあれば悲しみ、喜怒哀楽などの感情表現もストレートです。でもそれは感情の起伏が激しいとか情緒不安定とかではなく、自分の気持ちをありのまま表現出来るので周りからは愛おしく思われます。

「素直」
純粋な人は素直な人がとても多いです。性格や態度がひねくれておらず、真っ直ぐです。相手の言動などに対して逆らわずに受け入れます。

嬉しいことがあれば喜び、悲しいことがあれば悲しみ、喜怒哀楽などの感情表現もストレートです。でもそれは感情の起伏が激しいとか情緒不安定とかではなく、自分の気持ちをありのまま表現出来るので周りからは愛おしく思われます。
 
「裏表がない」
純粋な人は、人によって態度を変えることはありません。裏表がなく、誰に対しても誠実です。態度が変わらないといえど、常識はしっかりとあるので無礼なことをするわけではありません。
 
自分の好き嫌いや得意不得意で態度を変えないということです。そのため協調性もあり、会社でも友人間であっても人間関係をこじらせることはありません。「Aさんにはこう言ってたのにBさんにはこう言った」などといったことも無いので、周りからの信頼がとても厚いです。

最高のリーダー

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最高のリーダー
「 好かれなくても良いから、信頼はされなければならない。嫌われることを恐れている人に、真のリーダーシップはとれない」という言葉がある。身にしみる言葉です。

リーダーシップとは
信頼される人は誰からも好かれ、真のリーダーシップを取れる・・・トップを嫌う者はそうは、いないのではないでしょうか。

【「トップ」と「リーダー」】
その組織のトップになる…というのはそれなりの能力も努力も必要不可欠であり、場合によっては、キャリアや年齢にも左右されます。また、自分の能力だけでなく、政治的な力関係、その他の力も働く・・・もちろん、トップになれる人は、ほんの一握りの限られた人だけです。

リーダーは、トップの地位としての責任だけではなく、人間性、指導力、志、意欲、哲学やそれらを伝える言葉などすべてが必要です。組織の中で「トップ」に立ったからといって、その人物が必ずや組織の「リーダー」としてふさわしい仕事ができるかどうかは、別問題です。

自己犠牲的精神
人が嫌がりそうなことは率先して行い、仲間からの信頼と尊敬を集めていく事です。
人に嫌なことばかりやらせて、責任の重い仕事も人に押し付けて、成功すれば自分の手柄、失敗すると人のせいにするということをしていれば、仲間はついて来ないのは、当たり当然です。
 
しかし、自分を犠牲にして苦しい思いをするくらいなら、リーダーなんかなりたくない・・・と思う人もいると思いますが、それは「リーダーの自己犠牲」について良くわかっていないと言うことです。

老いの苦しみ

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「老いの苦しみ」。。。老苦(ろうく)
私たちは、一日、一日、一年一年、年を重ねています。しかも、絶対に逆戻りは出来ないのです。
 
年を取ることは「生きる」ことが大変になります。
身体は言うことを聞かなくなる。。。記憶力も落ちてくる。。。もちろん、外見の美しさ衰えてきます。
 
絶世の美女と言われた「小野小町」・・・
「面影の変わらで年のつもれかし たとい命に限りあるとも」・・・があります。

この顔が、変わらないでほしい。年を取ることがあっても、この顔は変わらないでほしい。たとえ命に限りがあるとしても、この顔は変わらないでほしい……ということでしょう。
 
どんなスポーツ選手でも、 ”老い” には勝てません。また、天才…名選手…100年に一度の逸材と言われた人も…やがて「老い」によって引退しなければなりません。
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「今まで、出来たことが出来なくなる。」その技術習得のために、「昼夜」血の汗や涙を流して取得したことが、老いによって蝕まれていくのは、本当に口惜しい悔しさでしょう。
 
このように、肉体上の若さや、美貌、身体的な能力は、老いとともに失われてしまいます。ですが、一つだけ老いなく出来るものがあります。
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それは「心」です。
人は、自分は自分の使命を知り、それに向かうことで、いつまでも心の青年でありつづけることが出来ます。肉体の若さや健康も大事です。でも、もっと大事なものは、身体の若さよりも「心の若さ」が大切なのです。

2021年8月17日 (火)

仏教用語の解脱とは

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「解脱」・・・(真言宗の解説)
解脱[げだつ]とは、一つには、際限なく生滅を繰り返す輪廻転生から抜け出す事であり、もう決して再び生まれなくなることを意味します。
 
あるいはまた、みずからを苦しみに導く種・原因であるみずからの愚かさを知ってそれに打ち勝ち、再び愚かな行いを、なさなくなることも解脱といい得ます。
 
この意味では、悟りとも言いますが、この場合、一回解脱すれば良し、悟ればお仕舞いなどといった、お手軽なものではありません。
 
常日頃みずからを律し、苦しみの原因となる悪しき行為、愚かな行いをなさないよう、よく気をつけて怠ることなく生活したならば、その日々の中にこそ解脱があって、それは一回こっきりのものではないのです。
 
ある程度、高い境地に至るまでに、「もうこれくらいで良いだろう。充分だ」と、それまで怠ることがなかった生活を放棄してしまえば、ただちに元の木阿弥になってしまいます。
 
この意味での解脱とは、なにかとてつもなく高邁で達しがたい、不可思議で神秘的な体験や境地などではなく、私たちの努力次第で現実に達し得るもので、仏教徒はそれを達すべく努力すべきものなのです。

反省と感謝

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「反省」する・・・
貪り・怒り・愚痴に振り回されていないか?
自らを客観的に見つめ直すことです。他に思いを巡らし、謙虚な思いで自らを丁寧に顧みることは、私たちに〈気づき〉をもたらしてくれます。

〈気づき〉はより深みある生き方へのきっかけとなり、好循環を生む原動力となるはずです。日々生活を送る中でイライラすることや、マイナス感情になってしまうこともありますが、簡単な考えの切り替えで感情の整理をうまく行い、気持ちを落ち着かせ、冷静な行動に移せることを忘れないよう、心がけることです。

「感謝」する・・・
そして、「ありがとう」と感謝する習慣を繰り返す事で自分自身のマイナス感情を整え、前向きで積極的な行動に変わることから、「感謝し、反省し、決心すること」そして「願い、行動すること」を忘れず、改めて自分自身を振り返り、これからの人生を送る。。。

何か、、、得をした時だけのありがとうではなく、目に見えないものへも思いを巡らすことは、謙虚な自分を保つことになり、私が・・・私が・・・の思いに”カンナ”をかけてくれます。

いらない人はいない

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「・・・いらない人は一人もいない・・・」
私たちは、毎日様々な人とふれあって生きています。その一人ひとりは、それぞれに自分の考え方を持っていて、それぞれ自分なりの生き方をしています。そのために、時には自分にとって「合わない」と思う人や、「理解できない」と思う人もいたりします。
 
考えが違う人もいる現実で、つい私たちは「この人は善い人だ」とか「この人は悪い人だ」と決めつけて接するようになり、やがて相手によって親しんだり敬遠したりするようになることがあります。

しかし、それは自分を中心にした考えなのではないでしょうか? 私たちは、つい自分を中心にして他人や物事を見てしまいがちです。

善い人だとか、悪い人だと決めつけてしまうのも、それは自分にとって都合が良いとか悪いとか言っているだけのことに過ぎず、本当にその人のことを正しく理解している訳ではないのです。
 
人は生まれた環境や生活習慣も同じではないように、性格や価値観もそれぞれに異なります。けれども、誰一人として「いらない人」などいないのです。

2021年8月16日 (月)

人は誰しも「世の中にたまたまの」存在

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人は誰しも、自分で望んで生まれてきたのではなく、この世に「たまたま」生まれた存在にすぎません。

「せっかく生まれてきたのだから、意味のある人生を送りたい」と、いう方がいますが、「せっかく」はなく、「たまたま」生まれてきただけです。
 
もちろん、「やりがいのある仕事」や「生きがいに満ちた毎日」がある人は、その日々を謳歌していただければいいでしょう。しかし、「生きがいが感じられない」と、悩むほどの問題ではありません。そんなものがなくても十分生きていけます。
 
「社会と関わりながら、充実した毎日を送りたい」「誰かの役に立っている実感を得たい」「自分の使命を見つけて、人の役に立ちたい」
 
そういう人には、具体的に「誰」の役に立ちたいかを尋ねます。すると、「誰と言われても……」とほとんどの方が口ごもるのです。「人の役に立ちたい」と思ったときは、自分がいったい「誰」を大事にしたいのかを考えていけばいい。ごく簡単な話です。現実的に言えば、大切にしなければならないのは、自分と縁の深い人間、身近にいる人間でしょう。
 
「生きがい」探しをしたくなるのは、現状に不満や問題を抱えているときです。問題を直視して、人生で不具合を起こしているところを調整すれば、わざわざ無理をして「生きがい」を探す必要はないのです。

自分の心を見つめる

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「醜い中にも美しさを、卑しいことにも尊さを、乏しい暮らしにも豊かさを、まずいものにもおいしさを、苦しいときにも楽しさを、ニッコリ笑って発見しよう。」・・・東京の下町、バタヤ街の天使と慕われた北原玲子さんの言葉です。

人生は、楽しい瞬間の連続ではありません。苦しいことや悲しいことに出くわすこともよくあります。しかし、それは不幸なことではなく、人生を歩む一過程にすぎないのです。

人間、苦しいことに遭遇すると、周りの人達と距離を置いたり、疎ましく感じたり、反発し、失望落胆します。

そんな時、今自分の置かれた状況を事実として、しっかりと見極めていくことが大切です。

心静かに、自分の「今」を見つめて、「今」に向かって眼を開く。するとやがて遠くから、生きる言葉がこだまして来ることでしょう。

小さな親切

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「小さな親切」は、心の文化活動です。
今、日本の社会で求められているのは、人と人のつながり(絆)です。人は、 一人では生きていけません。周りの多くの人々、つまり社会との関わり合いで成り立っているのです。

このことを深く考えてみますと、共生のための社会環境をつくる活動といえるかもしれません。高齢者も大人、子ども、それに障がいのある人も、一緒に暮らす共生社会を築き上げるため欠かせないのが「小さな親切」です。
 
「いつでも、だれでも、どこでも」できるのが「小さな親切」
「小さな親切」って?「小さい」とは、親切の大きさではなく、席をゆずったり、障がいのある人の手を引いてあげたり、ちょっとした気持ちさえあれば、だれでも、どこでもできる親切行為のことです。

2021年8月15日 (日)

地味な努力の積み重ね

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「地味な努力を積み重ねる」
誰もが早く成果を上げたいと願います。とはいえ、いたずらに焦ったところで、成果が上がるものでもありません。コツコツと努力をする、、、その積み重ねがやがて大きな実を結ぶのです。遠回りのようでも、地道な日々の努力こそが、一番の近道なのです。

大きな夢や目標をかかげていても、日々の仕事や暮らしの中では 、一見地味で単純と思われるようなことをしなければならないものです。ときには「自分の夢と現実の間には大きな隔たりがある」と感じて思い悩むこともあるかもしれません。
 
「千里の道も一歩から」
人生や仕事の成果にエスカレーターやエレベーターは存在しません。どんなに偉大な功績を残した人でも、一歩一歩地道な努力を積み重ね、、、ときには逆境に出会い後退することもあったかも知れませんが、それでも努力を重ね、、、その積み重ねた結果が偉大な成果となっているのです。

2021年8月14日 (土)

今を生きる

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人は仕事や生活がうまくいっているときには、日常の些細な問題も気になりませんが、うまくいかなくなると途端に、その原因を見つけたくなります。

そしてその原因を他人にもとめることはあっても、なかなか自分を省みるということはできないものです。そんな時こそ、やはり他人ではなく、自分の生き方を問うべきだと思います。  
 
人間としてどう生きたらいいのか?言い換えれば「いま」をどうとらえるかにつきます。「いま」を問うことは生きている者にしかできないことだからです。

私たちは誰もがそのままで、過去でもなく、未来でもなく、「いま」を生きています。ですから「いまを生きる」というのは、本当の意味で「いまを生きて」いるかが問題です。  

「結果には必ず原因がある」「原因なしに起きる結果は絶対にない」と言うことです。言い換えれば「まいた種は必ず生える。まかぬ種は絶対生えぬ」ということです。
 
「いまを生きる」ということは、「即今」は「いま」、「目前」は「ここ」、「わたし」となります。
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ですから「いま」をとらえるということは、必ず「ここ」と「わたし」も同時にとらえるということです。 私たちが生きているのは「私がいま、ここに居る」以外にないと気付くことだと言えます。

 

世の中に「完璧」な人は一人もいない

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この世に、完璧な人は一人もいません。どんな人でも、うっかり記憶を思い出せないことがあります。「猿も木から落ちる」ことはあります、「弘法(こうぼう)も筆の誤り」もあります。
 
間違えないようにと完璧を求めていると、3人が疲れると言われます。「自分」「相手」「周りにいる人」です。
 
自分に対しても、絶対に間違えないようにしようと心がけると緊張しますし、余裕もなくなります。相手に対しても完璧を求め始めると、ささいな相手のミスさえも急にいらいらしてしまいます。いらいらしているあなたを見ている周りの人も、不快な気分にさせてしまいます。
 
完璧を求めると、自分だけでなく、そのほかの人たちまでもたくさんのいらいらを撒まき散らしてしまいます。完璧を求めるのではありません。大切なことは「誰でも間違えることはある」と、おおらかに構えることです。
 
間違えてもいい。
人間は、そういうふうにできています。子供だけでなく、大人もそうです。どんな人でも、間違えることはあります。うっかりとした行動があるから、人間です。そう思うだけで、感じるストレスは小さくなります。
 
そういう、大きな心の余裕は大切です。人間関係では、余裕のある人がうまくいきます。いらいらしたら、いい結果は得られません。

2021年8月13日 (金)

心に「余裕」を持つ

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心に余裕のある人ってどんな人?
「やりたいこと・やるべきことが明確」今必要なことが明確であれば、あとはやるかやらないかだけ、、、周りが悩んでいるあいだに、どんどん物事をすすめられるので、時間の使い方がとても上手です。
 
〇 他人と比較しない
自信がないと、つい他人と比較してしまいますが、余裕のある人が比較するのは自分自身。過去の自分と比べて、どのくらい成長したかを知り、自分を分析することで、さらなる成長へとつなげます。
 
〇 物事を肯定的に受け入れる
自信がある人でも、ミスや間違いは犯します。でもその時に落ち込むのではなく、原因を探して改善するという方法を取るから、同じ失敗を繰り返すことがありません。
 
〇 小細工をしない
失敗を素直に受け入れられる人は、自分を取り繕う必要がなくなります。下手な小細工をせず、正々堂々とした振る舞いが、誠実な人柄を印象づけます。
 
〇 人に優しい
自分を肯定している人は、人や物事に対して寛容です。たとえ他人が失敗をしたり、意見が食い違ったとしても、広い心で受け入れることができるので、その分、周りからも好かれます。

2021年8月12日 (木)

与える喜びと、分け合う喜び

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「与える喜びと、分け合う喜び」与える人は幸福になれる。。。
世界が平和になるためには、世界中の人が手を繋いで、分け合う心が重要なのではないでしょうか。

あれも欲しい、これも欲しいという気持ちから、奪い合う精神が生まれます。私が好きな言葉に相田みつをさんの言葉に…「うばい合えば足りぬ、わけ合うとあまる。」があります。

与えるメリット
メリットといっても損得勘定や、見返りを求めては、また苦しくなるのでやめておきましょう。
〇 他人に与える喜びは持続しやすい。(与うるは受くるより幸いなり)
〇 与えられる幸福は徐々に順応するため飽きる。与える幸福は様々なパターンがあるため、飽きにくい。
 
大切な考え方…最初から見返りをもとめていないか?
例えば、電車で高齢の方に席を譲った。私が降りるまでお礼を言われなかった。
なんとなくモヤモヤしてひとに愚痴を言ってしまった。わかりますか?席を譲るという行為は自分の善意ですがエゴも入っています。(もちろん人を思いやる気持ちは素晴らしいです。)
 
エゴで行動する→見返り(御礼など)がないとモヤモヤする→そのモヤモヤが口に出てしまう。この考え方をよく理解してください。。。見返りではなく、与えることに対する喜びを素直に感じましょう。

「本当の幸せは、与えられる幸せではなく、与える幸せの中にあるのです。」人間関係とはすごくシンプルなものです。喜んでもらえる行動を考えましょう。

2021年8月11日 (水)

おかげさまの心

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私たちは生きている限り、さまざまな人の支えや助けを受けるものです。「おかげさま」とは、自分を支えてくれているすべてのものへの感謝を表す言葉です。

また、私たちが「お互いさま」という言葉を使うとき、そこには「自分も皆さんのお世話になっていますから」「自分も誰かしらに迷惑をかけることはありますから」といった謙虚な気持ちが込められています。

どのような気持ちで人と接し、どのような心で人や社会とつながっていくか。そうした一人ひとりの考え方や行動が、人間関係をよくも悪くもします。
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周囲への感謝を忘れない謙虚な心の持ち主のもとでは、いさかいは起こらず、温かく親しみやすい空気が醸し出されることでしょう。
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そして良好な人間関係が築かれたなら、自分にとっても周囲の人々にとっても安心と喜びのある生活が実現するはずです。

その意味で、「おかげさま」「お互いさま」といった思いを忘れず、「人や社会とよりよくつながる力」を育んでいくことは、「私たち自身にとって大切なこと」といえるのではないでしょうか。

しあわせは、いつも自分のこころがきめる


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「しあわせは いつも自分のこころがきめる」…相田みつを
とありますがその通りです。自分のこころが幸せと思ったら幸せです。質素な生活でも、こころに安らぎと感謝の豊かなよろこびがあれば幸せです。

逆に、経済的にも社会的にもどれだけ恵まれていても、それを当たり前としてこころに、感謝のよろこびがなければ幸せとは感じられないでしょう。外側にある条件が「幸せ」を決めるのではありません。

外側にある条件は、危うく、移ろいやすいものです。
「幸せ」を感じさせるものは、あくまでも自分のこころに安らぎと豊かなよろこびがあるかどうかだと思います。横浜市立大学名誉教授で教育心理学者の伊藤隆二先生が、「こころの健康な人」に多く見られた共通点を三つあげられています。

1.こころが安らいでいること。
2.打ち込むものがあること。
3.多くの人に喜びを分け与えていること。

逆にこれを欠いていると、こころは不健康だそうです。こころが安らいでいないことは、いつもイライラ、あせりがあるということ。

いまある自分に満足できず、本当の自分はどこにあるのかと考えている状態です。打ち込むものがない、というのは、自分なりの才能を活かしていないので、満ち足りた気持ちになれない状態です。他の人に喜びを与えることは、自分自身に喜びを与えることでもあり、それで自分のこころは安らぎ、立ち直る人が多いと言われます。

2021年8月10日 (火)

“ふるさと”は心のよりどころ

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激動の世の中・人の心は落ち着く時間がありません。
激しい変化、慌ただしさの中で走る事に疲れたら…自分を見失ったら…あるいは行き詰まったら…「ふるさと」を思い出したらいいと思います。「ふるさと」は心の原点です。原点に返って出直したら良いと思う。「ふるさと」は心のよりどころ…力になる…勇気を与えてくれる…。
 
地域開発が進んで、自分の故郷(ふるさと)は跡形もなくなったという人もいるでしょう。でも、大切なのは物理的な場所だけではなく「心のふるさと」です。実存の生まれ育った故郷だけでなく心に残る「ふるさと」・・・。

生まれ育った懐かしい・・・むら・まち、想い出の場所、懐かしい恩師、竹馬の友、あの夏祭りの想い出、野山を駆け回って遊んだ子供の頃の思い出でもよいです・・・懐かしい歌でもいいです・・・かつて読んで感動した本だっていいです・・・。
 
精神的なふるさとは
誰にでも、時代や環境の変化を超越して、いつまでも有り続ける。。。そこに帰れば自分の心を、その時の自分を取り戻す事が出来る。。。もしも人生の道程で、あるいは仕事で、自信を失ったり行き詰まった時には、この「ふるさと」に心を戻すことです。「ふるさと」は心の原点です。そこから出直したらいいでしょう。「ふるさと」はいつも暖かく、自分を取り戻させてくれます。

2021年8月 9日 (月)

自分に正直に生きる

東京工科大学3
人生で最も大切なことは・・・
最も大切なことは・・・「お金」「地位」「名誉」でもありません。確かにどれも大切ではありますが、最も大切ではありません。最も大切なのは「自分の心に正直に生きているかどうか」です。
 
自分の人生ですから、自分らしく生きることです。
「好きなことをやり、嫌いなことはやりません。やりたいと思ったときにやり、やめたいと思うときにやめます。」当たり前のことです。こうした選択を素直に繰り返せば、自分らしい生き方ができるようになり・・・必ず、後悔のない人生が送れると思います。
 
しかし、できていない場合が多いのではないでしょうか?
他人に流されたり、見かけに振り回されたりしていることが多いものです。見栄や世間体を気にして、諦めることもあります。どんなにお金や地位や名誉があっても、自分らしく生きていないのでは、意味がありません。

自分の生活を振り返り、どのくらい自分らしく生きているか、確かめてみることです。自分らしいと思うことは、すべて正解・・・自分らしくないと思えば、今すぐ修正することです。

2021年8月 8日 (日)

「有り難う」と「当たり前」

道了堂参道

「有り難うの反対語?」今まで考えて見たこともなかった・・・

「有り難し」という言葉は、仏教に由来しているとされています。
仏教の教えでは「私たちが日常で当たり前と思っていることも実は有り難い、まれなことであって、そこに感謝することが大切です」と説明されています。

「限りないたくさんのご縁が結ばれて、今のこの瞬間を迎えることができました」という感謝や喜びの言葉が「ありがとう」です。
 
「ありがとう」の反対語は「当たり前」です。
「こうやって生きているのは当たり前」、「太陽が沈んだら、お月さまが昇ってくるのは当たり前」、この世にはたくさんの「当たり前」であふれています。
 
でも、そうやって「当たり前」と思っているすべてが、実は「めったにない、有り難いこと」で、そこになかなか感謝の目を向けることができないものです。

そして大事なことは、「今生きていられるだけで、どれだけ大変なことなのか」考えてみることが大切です。

人の価値観は十人十色

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自分がいつも正しいと思わないこと
価値観は他人と違って当たり前。。。ものの考え方は、人それぞれ性格が違うように十人十色であるものです。いつも正論ばかり言う人の存在が気になるのは、実は自分も同じく正しいことを、相手に納得させたい願望があるためかもしれません。
 
価値観の違う人の意見を受け入れるのは、あまり簡単ではないでしょう。正論であっても威圧的に自分の考えを押し通したら、きちんと理解はされないはず。コミュニケーションで他人とぶつからないためには、相手を批判するだけでなく、自分の視点も考えてみることです。絶対に自分が正しいという考えが少しでもあると、他人がライバルに見えてしまいます。
 
自分以上に納得しやすい正論を振りかざす人に出くわすと悔しくなり、余計に避けたくなることもあるかもしれません。正論ばかり言う人とぶつからないためには、まず自分が謙虚な姿勢を持ち続けるのも大事なことで、そんな考え方もあるのかと、相手の気持ちを考える余裕も持つことです。
 
正論ばかり言う人が絶対に悪いということではありません。どのように自分の意見をアピールするかがとても重要なポイントで、正しいことを間違っている相手に伝える場面こそ、柔軟な解釈をされるようなコミュニケーション能力が求められます。

2021年8月 7日 (土)

心の支えを持つ

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常に人の心はいい気分と、悪い気分のはざまを、行ったり来たりしながら日々を生きています。
もちろん、いいことがあればいい気分になり、嫌なことや辛いことがあったときには落ち込んだり、塞ぎ込んだ気分になってしまいます。

そんなときに「心をいつもの平常心」に保ってくれる存在が「心の支え」となります。心の支えといっても人によって異なり家族や恋人が、心の支えになる人もいれば、自分自身が心の支えとなる強い人もいます。

人に限らず、宗教 言葉、夢や音楽など人によってその形はさまざまです。いずれの場合でも自分自身に、勇気や生きる意味を与えてくれる、「かけがえのない」存在といえる場合が多いでしょう。

安心感を与えてくれる
「心の支え」とは、辛いことがあったり心に余裕がなくなる状況になっても、自分自身に心に安心感を与えてくれるといえます。どんな物事をするにもまずは、安心感のある心の状況から始まるということは、言葉にしなくても、経験から分かったいることです。

落ち込んでいるときには世界が暗く見えますし、幸せな気分のときには世界中が自分の味方に感じることもあります。どちらの気分に傾いたときにも自分の心を支えて、人生を助けてくれるような、存在が心の支えとなります。

どうして「心の支え」が必要なのかというと「言葉」を自在に扱うことができるからです。「言葉」を自在に使うことができるということは、相手のことを知ることや共感することもできます。
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自分を取り巻く環境や状況が、変わっても頑張れる、これがあれば生きていける「心の支え」となるものを持つことで、芯が強く輝いているように見えてくるものです。

2021年8月 6日 (金)

万物流転と諸行無常

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岩山を眺めて思う。
岩は固くてちょっとやそっとでは壊れないものですが、年月とともに削れていきやがては土になります。では、土はそのままの姿でいるかと言うと、土を栄養として植物が茂っていくでしょう。そしてその植物はやがては枯れて土になったり、動物に食べられて吸収されてしまいます。

このように考えると「かたちあるものすべて壊れる」で、物質というのは岩→土→植物→というように無限に変化を繰り返し、一つの状態で永遠にとどまるということはないのです。ギリシアの自然哲学者ヘラクレイトスは、物質が繰り返す無限の変化を「万物は流転する」と表現したのです。

これは現代社会に生きる私たちから見ても非常に納得がいく考えです。ヘラクレイトスが偉大だったのは「すべての物質に当てはまる普遍的な法則」を見つけたことだったのです。

仏教の諸行無常とは何が違う?
それは「万物は流転する」という言葉は仏教の「諸行無常」とはどう違うのかということです。「諸行無常」もすべてのものは続かないという意味で、「万物流転」という言葉と全く同じ意味に思えますが、それは、「私たちの心に目が向いているかどうか」ということです。

「万物は流転する」という言葉は、どちらかというと自然界の物質や存在に目が向いていて、私たち人間の肉体もそこには含まれますが、「私たちの心」についてはそれほど注目されていません。

仏教の「諸行無常」とはもちろん物質が続かないという意味もあるのですが、私たちの心が、続かないという意味も含んでいるのです。

私たちはいつも自分の心をコントロールしていると思っていますが、実は心はコロコロ変わり通しです。人を好きになってもその気持ちが長続きしないこともあります。

嫌いだと思って腹を立ててみても、少し経てばケロッとしています。やはり私たちの心も無常なのです。このように仏教の無常観は私たちの心に対しても深い洞察を向けているものなのです。

2021年8月 5日 (木)

小さな努力の積み重ね

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「小さな努力の積み重ね」・・・はやがて大きな成果となるということです。
いきなり「大」を得ようとして、「小」さなことを怠っていると結局、大したものは何も得られないということです。

「コツコツと地味な努力を積み重ねる」
大きな夢や願望をもつことは大切なことです。しかし、大きな目標を掲げても、日々の暮らし中では、「一見地味で単純」と思われるようなことをすることです。

したがって、ときには「自分の夢と現実の間には大きな隔たりがある」と感じて思い悩むことがあるかもしれません。
 
しかし、どのような分野であっても、すばらしい成果を見出すまでには、改良・改善への取り組みは、地味な努力の繰り返しがあるのです。
 
偉大なことは最初からできるのではなく、地味な努力の一歩一歩の積み重ねがあってはじめてできるということを忘れてはなりません。

一日一日を大切に生きる

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「一日、一日を大切に生きる」
人生って、一日一日の積み重ねです。一日が一生のつもりで生きようと決めたら、まずは、毎晩日々の行いを振り返ってみて・・・日記を書く「その日の行動とその想い」を書き残すことです。

私は、他人に会って話をした内容と、感じたことを記して置くことが大事と思っています。その日の自分の時間の使い方などを振り返って、改善できる点を見つけられれば、明日から直すことができます。

誰かと話して意見が合わなかったときは、その場面を振り返り、冷静にその原因を分析してみて、自分が悪ければ相手に謝ればいいし、自分に原因がなければ、いつもどおりに接していけばいいと思います。
 
こうして毎晩その日を振り返って、自分自身の行いを省みることは、自分自身と向き合う時間を作り、物事を客観的に把握する力を養うことになり、モヤモヤした気持ちが整理されれば、いい気持ちで朝を迎えて、また新しいスタートを切ることができると思っています。
 
一歩一歩繰り返す、それが人生
一歩一歩、地道に進んでいくことが大切だと分かっていても、なかなかできない人もいます。しかし、人生はとにかく一歩ずつ前へ進むことを繰り返すしかないのです。一歩ずつ地道に進んでいけば、道に迷うこともないし、間違いない人生を送ることができると思います。

2021年8月 4日 (水)

歳を重ねるごとに老化は進む

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私も実感しています。
老化が進むと、若い頃に容易だったことが、思い通りにいかなくなることも多くなります。運動機能に加えて空間認識力が衰えて「身体感覚」が鈍くなります。

視野が狭まり、人や物にぶつかったり、わずかな段差につまずいたりすることも増えます。すべてが加齢のせいではないでしょうが、「身体感覚」の劣化は高齢者の社会生活にも大きな影響を与えます。

認知力の低下
一方、認知力が低下すると社会状況を的確に把握することが難しくなり、いわゆる「空気を読めない」高齢者が増える。その結果、社会の中でさまざまなトラブルが発生したりします。

高齢となると認知機能が落ちる
「認知機能」とは、認知とは理解、判断、論理などの知的機能のことを言い、五感(視る、聴く、触る、嗅ぐ、味わう)を通じて外部から入ってきた情報から、物事や自分の置かれている状況を認識する・・・

① 言葉を自由に操る
② 計算する、学習する
③ 何かを記憶する
④ 問題解決のために深く考える
などといった、人の知的機能を総称した概念です。

「老害」に成らないように気をつけたい
組織や社会で幅を利かせすぎて言動が疎まれる高齢者、あるいは、傍若無人な振る舞いによって若者に必要以上の負担や迷惑をかけている高齢者などを指す表現です。平たく言えば、迷惑な老人を侮蔑交じりに指す表現です。

「老害」の語は、もともとは組織の世代交代・新陳代謝を阻む高齢層といった意味が主流だったといえます。昨今では、組織というよりは世間・社会において迷惑な振る舞いをする老人一般を指す語として用いられています。

町の美化について

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空き缶、たばこの吸い殻などの、ごみの投げ捨てや、放置された”犬のふん”は、近くに住む人や通りかかる人の気分を害するとともに、ごみの投げ捨てが繰り返されるなど、町のまちの美化を阻害する負の連鎖を生み出しています。

また、歩行しながらの喫煙がもたらす受動喫煙の健康に与える影響や、手に持ったたばこも環境美化の観点から大きな問題となっています。町の美化は、町に住む人の一人ひとりが、マナーを守り「町の美化の認識」が大事です。

〇 町の皆様の努め
町の皆さんは、地域の良好な生活環境の保全とともに、地域における生活環境美意識を高め、自宅の前の道路などの積極的に清掃して頂くことです。

〇 土地所有者の努め
土地所有者の方には、その土地が周辺の生活環境を損なわないように生活環境美化のため必要な措置を講ずるとともに、協力するよう努めて頂くことです。

〇 事業者の皆さんの努め
事業者の方には、事業所及びその周辺において生活環境美化活動を積極的に推進して頂くことです。

2021年8月 3日 (火)

本当の幸福感

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収入や財産、社会的地位といったものによる幸福感は一過性で長続きしません。一方、心と体、社会が良い状態にあることで得た、幸福感は持続性が高いです。

具体的には他者とのつながり、健康、愛情、自由などがあるとのことです。お金や便利さをすべて否定するのではありませんが、やはりバランスのある暮らしが人を幸せ、豊かにするのではないでしょうか。

本当の幸福感や満足感、心からの喜びや自由を得ることです。では、どうすればいいのでしょう?「今あるものに満足しよう、感謝して生きよう」という考え方もあります。
 
修行によって煩悩を捨て去る、という手もあります。しかし多くの人たちには、それができません。答えはそういうことではなかったのです。ものの見方を変えても、欲望を抑えようとしても、欠乏感が止まることはありません。幸福にはなれないのです。
 
一体、私たちは何を求めているのでしょう? 何を得ることができれば満足するのでしょう? 誰もが心から「生きててよかった」と思えるような幸福感、満足感を得たいのです。

今、新型コロナウイルスによるパンデミックの発生により、これまでのようなコンパクトな暮らし方を目指した時代から、他の人との間合いを取った暮らし方と真逆の暮らし方が求められ、その中で幸せや豊かさを実現していくことになります。

新型コロナウイルス後、世界がどうなるのだろう・・・ということが人々の関心を集めています。私は、人間の本性には、不利な条件の中で道を切り開く能力が備わって、私たちは共感力から他者の憐れみを想像し、思いやり、同情する力を持っていると信じています。

2021年8月 2日 (月)

花はなぜ咲く

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「甘い匂いと、美しい花」花は、なぜ咲く?
植物は、 種 をつくるために花を咲かせているのです。種を作るのに関わる部分が おしべ と めしべ です。動物も植物もひとりで増えることはできません。増えるためには相手をみつける必要があります。

しかし、動物の場合は自分で歩きまわって相手をみつけることができるのですが、植物はそれができません。だからどうするかというと、おしべとめしべの間を虫に動いてもらって相手を見つけているのです。甘い蜜を出して…花びら は、 虫 を引き寄せるための目印になっているのです。

柴山全慶のことば
花は黙って咲き / 黙って散ってゆく / そうして 再び枝に帰らない。 けれども その一時一處に / この世のすべてを托している。一輪の花の声であり / 一枝の花の真である。 永遠に滅びぬ 生命のよろこびが / 悔いなくそこに輝いている。一輪の花にも、み仏のいのちが宿ります。

美しい花に感動する心
私たちに恵まれた、たった一つの尊いいのち。そのいのちの限りをつくし、いたわりあう心、己をふりかえる心、美しいものに感動する心、出会いに感謝する心を大切にしたいものです。

郷土愛について

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「郷土愛」とは、人が自らが育った地域に対して愛着ないし忠誠を抱く思想、心情です。

思い出を大切にする
幼少時代を過ごしてきた場所なので、思い出がとても多く詰まっている可能性が高いです。この思い出を今も大切にしながら生きている人は、地元愛をしっかり持っている場合が多いでしょう。
 
中にはつらい思い出もあったかもしれません。でもそれがあったから、今の自分があるんだと思うと、その思い出も大切にすることができるのでしょう。
 
このような性格の人は、これから先も自分の故郷を愛していくことができるタイプなのです。時にその思い出を思い出し、懐かしみながらこれからも進んでいけるでしょう。
 
友人同士で地元について語り合うような場面では熱くなり、自分の話をしたいと考える性格かもしれません。地元のことを語り出すと話が尽きないと、相手から思われる可能性もあるのです。これもその人の個性であり、受け入れられるケースが多いでしょう。
 
感謝の気持ちを忘れない
今自分がここにこうして存在していられるのは地元があったからだと思う人は、地元愛の心理を持ちやすいのです。このため人に対しても、感謝の気持ちを忘れない性格である場合が多いでしょう。仕事で過ごしてきた日々、そして学んできたことなどについて、そのおかげで自分が成長できたと理解しているのです。

経験を活かしていく
地元にて様々な経験をして、それを今後活かしていける自分になりたいと思っている人もいるでしょう。この場合も地元愛の心理が働きやすいのです。地元での経験について全てが上手くいったわけではないとしても、無駄な経験ではないと胸を張って言えるのでしょう。
 
もしこういった経験がなければ、今の自分はもっと未熟な人間だったと感じているのかもしれません。こういった感謝の気持ちをいつも持ち続け、現在関わっている人たちに対しても感謝していけるということはとても素晴らしいことです。

過去に対しての感謝も大切ですが、現在の環境に対しても感謝ができる人を目指していくことが理想的です。そして、生まれ育った郷土を大切に守り、後世に引き継ぐことが大切です。

2021年8月 1日 (日)

「共生社会」で生きられる

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社会の仕組みは「共に生きる」が基本です。
これはスローガンではなく、人間性に根ざした自然な在り様です。「共に生きる」は、競争を排除するものではありません。

競争は困難を乗り越え、能力を獲得する原動力。しかし他者を打ち負かすための競争は、やがて社会にひずみを生み、勝者もその負担を負わなければなりません。

人間誰しも求めることは「受け入れられる」こと。されたくないのは「排除される」ことです。「受け入れる」ことが「受け入れられる」ことでもあり、「排除すること」ことが「排除される」ことにつながります。

「共に生きる」
前提は、他者を受け入れ、他者に受け入れられることです。一人の人間の心の中にも嫌いな自分、認めたくない自分など「受け入れがたい」自分が潜んでいます。しかし、そんな「自分」も「受け入れられる」ことを望んでいます。

「受け入れがたい」他者は、「受け入れがたい自分」の他者に映った自分の影かもしれません。「受け入れがたい」自分を「受け入れる」ことは、「受け入れがたい」他者を「受け入れる」ことに繋がります。

社会の仕組みと同様に、一人の人間としても「共に生きる」が基本です。
人も、お金も、情報も国境を越えて様々な国の様々な人に伝わります。経済をはじめとした様々な社会活動は、その国一国で完結されるものではありません。アジアの国々と「共に生きる」日本、世界の国々と「共に生きる」日本であり、お互いに支えあい、受け入れあい、共に生きる時代です。

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