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2021年6月16日 (水)

修証一如のこと

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修証一如とは、「修行」は悟りのための手段ではなく、「修行と悟りは不可分で一体のもの」だということ。
道元はこの考え方を「修証一等」と呼んでいます。

私たちは、仏教の修行者は悟りを求めて修行すると思っています。若き日の道元もそう考え、私たちに仏性があるのに、なぜ悟りを求めてわざわざ修行しないといけないのか?

道元が抱いた疑問に対する解答も、道元が達した結諭からいえば、それは逆で・・・『「悟り」は求めて得られるものではなく「悟り」を求めている自己を消滅させる』・・・のです。そして、悟りの世界に溶け込む……。それがほかならぬ「悟り」です。

悟りを開くために修行するのではなく、悟りの世界の中にいるから修行できるのです。「悟り」の中にいる人間を仏とすれば、仏になるための修行ではなく、仏だから修行できる…。それが道元の結論です。

私たちはついつい、これはいけないことだと知っていながら、でも……これぐらいのことはしてもいいだろう……と思ってしまいます。それは自分を甘やかしているのです。


 

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