人生に勝った・負けたはない
自分が負けを認めた瞬間、人間は完膚なきまでに敗れてしまう、と思います。勝つことも数字の上だけで勝ったと思っている者は、本当の勝利を得ているとは言い難いです。
勝っても謙虚に次に向けて努力している時にこそ、本当の勝利者と言えると思います。だから、勝ち負けということにこだわっているうちはまだまだ真の結果を得たとは言えないと思います。
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「人間関係が希薄化の現代社会」
「隣の人と会話したことがない」昔に比べて現代社会は引っ越しても、隣の人に挨拶することもなく、親世代との同居もしない核家族が中心になってしまっています。そして、深く人とつきあったり、助けあい自体を負担に感じる人も増えているようです。
今の日本は人間関係が希薄でも生き残れる時代
わずか数十年前は、家族で住むのが当たり前だったのに、現代は、人間関係のわずらわしさのないドライな社会保障制度へ移行しています。
年金制度が充実した結果、核家族になっても生きていけるようになり、子供の面倒は保育園や学校に預けることで、家族の中で成立していた社会保障を政府に頼ることが可能になったのです。
社会保障制度が手厚くなればなるほど、地域間の相互扶助で支えあっていた文化は不要になります。こうして、つながりが希薄な社会に変化しているのです。
人間関係が希薄な時代に必要なのは、周りの人を大切にすることです。大切にしたい人だけを大切にすれば、人間関係を構築することも可能でしょう。しかし誰でも大切にすれば良いのかというと、そうでもありません。
私は、私たちの住む町のゴミ拾いをしています。
ゴミ拾いをすることは、なんとなく気恥ずかしいものです。ましてや、バス停などは、その人たちの足元に落ちている吸い殻を拾うのには、相当の抵抗があります。
しかし、人間というものは、そうした抵抗を超えていくことで心が鍛えられ、より成長できるものだと思います。ですから、吸殻を一日に少しずつでも拾って歩けば、そのたびに大きな勇気が得られることになります。
私は、散歩するとときは、いつもポケットに、軍手とゴミ袋が入れて、ゴミが落ちていれば、拾っています。むかし娘に、「お父さん止めて!」と言われたことがありましたが・・・今では自信をもって拾っています。
単に拾っているということではなく、自分に挑戦、自分への変革への強い思いと、昔の人のように「人情・思いやり・助け合い」の町にするには、きれいな町にするのが基本と思うからです。私のゴミを拾う姿を見て、一人でも分かってもらいたいと思いす。
私は、私たちが住む町は、安心・安全で人々が思いやりがある「住んでよかった町」みんなが実感できる町に強く思います。
「信念」とは、正しいと信じ、堅固に守る自分の考えです。
自分の軸がしっかりしているからこそ、ぶれない人生が歩めます。特に夢を叶えるときには「信念が大切」と言われています。
そうした人たちは、これらの障害を試練として真正面から受け止め、自らの信念を高く掲げて進んでいったのです。信念を貫くには、たいへんな勇気が必要ですが、これがなければ革新的で創造的な仕事は出来ないと思います。
過ぎ去った時間は取り戻せないけど、前にある時間は、手に入れられる。後半生が残り少ないと思うなら、前を見つめて生きる!ことです。
「あぁ、あの時注意していれば…あぁしておけばよかった」と、過去を後悔しないためにも・・・きっと、今日をしっかり生きていれば「明日の夢につながる」だろう。
「それぞれの 思いをこめて さくら咲く」
14日の東京都心は朝からよく晴れて20度近くまで気温が上がりました。
この暖かさで東京の靖国神社にあるソメイヨシノの標本木が数輪咲いているのが確認され、気象庁は東京の桜が開花したと発表しました。
平年より10日以上早い開花で、去年に続いて過去最も早い開花となります。
1週間から10日で満開となる見込みです。日本人は、むかしから桜の開花に関心が強いようです。現代の日本人も、桜の花に心を動かされますが、古代の人びとも桜の花に強く心を揺れ動かされていたようです。人々の想いは、歌に読まれています。
「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」在原業平
「世の中にまったく桜というものがなかったなら、春を平和な気持ちで過ごせるだろうに」という歌を詠みました。先人達も桜の開花に心躍らせたり、散りゆく花びらを惜しんだりしていたことがわかります。
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絵師も同じような気持ちを覚えたのか、変わりゆく季節を象徴する桜の日本画を数多く生み出しました。わずか十日ほどの花の命でありながら、今日に至るまでたくさん描かれてきたのはまさに愛されている証拠です。
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「散る桜 残る桜も 散る桜」 (良寛の辞世の句と言われています。)別離・愛惜・詠嘆・回帰・再生・循環・無限……なるほど…ね。
「荒涼の 木の芽にそっと 春の雨」
「長い冬に耐えてきた、野山の木々に、そっと手を触れるように、春の雨が優しく触るように降る」というように、優しさをイメージします。
春の雨
前線には温暖前線と寒冷前線があります。冷たい空気の上を暖かい空気がゆるゆると昇っていくのが温暖前線で、温かい空気の下に冷たい空気が潜り込むのが寒冷前線です。
寒冷前線付近では、冷たい空気に潜り込まれた暖かい空気が急に上昇するので、やはり積乱雲が発生します。そして、その積乱雲から春雷が発生するということです。
昨日の雨は、午後より「雷雨」となり、地面を叩きつけるような大粒な雨になり「春雷」とも言えるのでしょうか・・・。
自然の営みは、時には厳しいこともあります。自然の中でしか生きられない人間です。自然は時には平準でないことも起こります。厳しく、試練を与えているようの思えます。
生きることは 自分の花を咲かせること
風雪に耐え、寒暑に耐え、誰のものでもない、自分の花を咲かせることです。人生で壁にぶち当たっても、目をそらさず精一杯やっていくと、得るものが必ずあります。そのすべてが私たちの肥やしとなり、いつか花を咲かせる時がくるでしょう。私たち自身も美しい花を咲かせたいものです。
今年も、もうすぐ桜の花が咲く時期になり、思いだします。
「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」劉希夷(りゅうきい)
小学校の入学式の時に見た桜・・・大人になって節目の時に見た桜・・・高齢者となって見る桜・・・。どれも「桜の花」ということには間違いはありませんが、決して同じものではありません。だからこそ「花相似たり」と「似ている」としているのではないでしょうか。
誰しも感じることだとお思いますが、一年、二年ではさほど変化は目立たないが 十年もすると変わり、三十年もすると、 すっかり変わったことに気づき、その時に、老いを感じるものです。
桜の木も日々歳を重ねています。毎年その桜を見ている自分自身も間違いなく変わっているのです。「今この時」というのは、本当にかけがえのないものだなと胸を打たれます。
「少年」から「壮年」、そして「壮年」から「老年」 へと足早に過ぎていく。ただ、生きて、気づいた時に 残りわずかな 四季を感じます。「どう生きるか、残りの人生を・・・」
人生指標の選択肢
人生にはたくさんの選択肢があり、どの道を選ぶのか、私たちは常に選択を迫られます。日々の生活の中で、どちらの道を選べばよいのか?人生の選択に迷うことは、たくさんあります。
人生に迷ったとき、自分の本当にやりたいことや、信念を、自分で分かっていることが大切です。もちろん、この世の中には様々な価値観や文化が溢れていて、その中で生きなくてはなりません。日常生活の中のちょっとした事柄でも、人の目や世間体が気になってしまい、思うように動けない事がたくさんあります。
しかし、心に何か自分の芯の部分を、持っていることができれば、自然と実現へ近づくのです。人生の岐路に立ち、勇気が伴ったときに、自分の後悔しない人生の選択をするために、人生に迷ったときは自分の気持ちに、素直に向き合うということを覚えておくことです。
人間にとって「孤独」は一番怖いものです。
どんなに独りでいることが好きな人でも、集団が苦手な人でも、本当に独りになってしまったら生きていけません。自然と何かのために、誰かのために、人は生きているのです。
人は、誰かのために生きること、何かのためにいきることで、最大の力が発揮できるのではないでしょうか。もちろん、家族や恋人、友達以外にも、動物であったり、世界平和であったり、その「何か」はさまざまあります。
最終的に決断するのは自分ひとりなのです。
自分で自分の人生の進む道を決断することは、自信につながります。それが「人生の決断」を後悔しない」ための唯一の方法です。
私は今住んでいる「まち」に愛着があります。後世に大事に引き継ぐことを、使命と思っています。「きれいな町に住み続けたい・・・それには私の出来ることは・・・
町の安心・安全の基本は、町の美化です。
私たちは、人と人とがつながり合い、こどもから高齢者まで世代間の絆を深め、犯罪が起こりにくい美しいまちをめざして、朝から晩まで見晴らしのよい安心・安全な私たち町、片倉のまちづくり活動に、取り組むことが、重要と考えています。
人と人とのつながりが薄れつつある現在も、片倉町には多くの人と人のつながりが残っています。しかし、片倉町の環境も変化していくことが懸念されています。
ゴミのポイ捨て、空き巣など犯罪を助長する場所、災害時の一人暮らし高齢者や、高齢者世帯の救出などさまざまな問題や課題があります。
こうした状況に対応するためにも、「自分たちのまちは自分たちで守る」という意識のもと、日頃からの人と人の関係づくり、安全で美しい環境づくり、緊急時に備えたしくみづくりに取り組むことが大切と考えます。
人生は、思い通りにはいかないものです。
日々の生活をしていると、良いこともあれば、辛いこともあります。もちろん辛いことがあれば、へこむし…誰かに相談して、受け入れてもらって、守ってもらいたい時だってあります。
それを乗り越えたり、過ぎ去ってしまえば大したことも多いです。後から思い返してみると、実はそれは良い経験だったり、良い出会いだったりするものです。
その時点だけを見ると、とても辛い出来ごとなんだけど、実はそれによって成長できることが多いのです。それをどうやって乗り越えるか、どのように受け取るかによって、成長の度合いが変わってくると思います。
ですから、「前向きな心には、なに一つの無駄はない」・・・苦しみも、悲しみも成長の糧になるとると言うことです。そして「しあわせはいつも自分の心がきめる」(相田 みつを/詩人)です。
「地域社会における近隣関係の変化」
「共助精神や連帯感の希薄化」
これらは、主に核家族化や少子高齢化の進展と戦後の個人主義・自由主義の恩恵の浸透により、町内住民間のコミュニケーションや、良い意味での「おせっかい」が極端に減少していったためです。
例えば、町内における不審者のチェック、空き家対策、さらには子供たちに対する非行防止、高齢者や目上の人たちに対する礼儀あるいは、躾といった従来地域のコミュニティが、担っていた重要な役割が、果たされなくなったことが、大きな要因です。
はじめから、核家族化や少子高齢化そして価値観の多様化は、元には戻せない現実であることから、昔の隣組のようなコミュニティに戻すことは無理です。
しかし、少なくともお互いに助け合い支えあうことによって、安心で安全な地域社会に再生していくためには、住民相互のコミュニケーション、良い意味での現代において必要と思われる、住民同士の関わり方など新たなコミュニティ文化の再構築が必要と考えられます。
人間は満足していると知恵を出しません。昨日と同じことに満足していると考えることをしないのです。毎日の生活で、昨日と同じことをすれば、良いようなことが多いですが、それでは成長はしません。
自分にとって今何が不便で、前に進めないかと真剣に考えたとき、必ず打開策が見えてくるのです。それが、「知恵」です。それも土壇場までいくと知恵はいくらでも出てきます。普通の人でも、訓練をしていると、いくらでも「知恵」は出てくるようになってきます。
困ったこと、嫌なこと、自分の自由にならないこと、不便なこと、これが全て「改善のヒント」になります。いつでも、困ったときには困ったことにしておかないで、どうしたら解決できるだろうか?と、考える習慣を身につけることです。
「便利さを楽しさ」だと勘違いしてる人が多いけど、実は、「不便さこそが幸せにつながる」のです。
世の中がいろいろ見える・・・いろんな経験もできる・・・痛い目にも遭う・・・暑さや寒さや四季も感じる・・・。そういうものを、世の中の人は才能と呼ぶのです。
今の自分が幸せを実感できていない
不安なときでも笑いを忘れず、自分を見失わない・・・コロナ禍にあっても、これは大切なことです。いまは、目の前にあるちょっとした幸福感や生きている実感を、多くの人が忘れているのではないでしょうか。