現代社会を考える
今は、誰も他人のことを思いやらなくなってしまった・・・そして、思いやるゆとりさえなくしてしまった。また、他人と関わり合うのさえ“いや”になってしまったり、親は子の世話をしなくなり、子は、老いた親の面倒を見なくなった世の中です。
それで足りなくなったところを教育制度や介護制度、福祉制度に求めるようになった。国に、国民は、要求だけをして国に尽くす事を忘れてしまった。
誰の助けもいらぬという社会は、社会としての本質的機能、相互互助の精神を失ってしまう。そうなってしまったら、社会など不必要なのです。
人と人との関わり合いの中で、社会は形成され、また必要とされます。人と人との関わりそのものを否定し、喪失したら、社会なんて無意味なものになってしまいます。
何が、私たちに必要なのか。何を、依って立つべきなのか。昔の人たちは、もっと単純明快に理解し、助け合って生きてきたのです。
大事なことは、単純明快さです。今の時代は、複雑怪奇になりすぎて、自分たちが依って立つ基盤をも見失いつつあるようです。
政治や経済とは、本来私たちの身近な生活の延長線上で捉えるべき事柄なのです。子供たちの教育も生活に必要な事も、根本は、私たちの住む地域をどの様な社会にするのかという構想です。だからこそ、環境も大切にすることができるのです。大切なのは地域社会を大切にすることです。
その上にたって、その土地に生きていく人たち、地元で決めていくべき事なのです。つまり、日常生活の一環なのです。それがなければ、いかに土地が荒廃してしまいます。
ほんの少し前の時代では、私たちの生活は、もっとシンプル、単純で素朴でした。生活に必要な物を自分達の手で作り、助け合って暮らしてきました。現代社会は、そのころの生活に比べて複雑です。私たちの子供の頃と比べても格段に違います。
考えてみれば、単純な社会でも生活はできたのです。テレビがなくても、携帯電話がなくても、飛行機や自動車がなくても、石油や電気がなくても、それなりの生活はできたのです。ところが、現代社会では、それらが不足すると生活が成り立たなくなっています。それを進歩というのでしょうか。
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