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2020年7月

2020年7月31日 (金)

思うままにならぬ世の中

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はるかに遠いイメージがあった「傘寿」その傘寿を過ぎて、最近、生きることって大変辛いことだと感じる事が多くなりました。
心身ともに弱くなったと言うことだろう。自分の生活イメージと人間社会の流れが隔たりが大きくなったのかも知れません。

そもそも、そんなことを考えること事態なんだろう?
極力、日常生活に変化に気をつけて焦らず、慌てず、余裕を持つように心がけているのですが・・・毎日を生きているこの現実社会は、どこへ行ってもガマンすることばかりです。

自分の思いのままになるところなど一つもないということか…
しかし、そんな世の中で、私たちはときとして思いがけない歓びや、友情や、見知らぬ人の善意や、奇跡のような愛に出会うことがあります。勇気が体にあふれ、希望や夢に世界が輝いてみえるときもあります。人として生まれてよかった、と心から感謝するような瞬間さえ・・・皆とともに笑いころげるときもあります。

その一瞬を極楽というのでしょう。極楽はあの世にあるものでなく、天国や西方浄土にあるものでない。この世の地獄の中にあるのだと思います。極楽とは地獄というこの世の闇のなかに、キラキラと光りながら漂う小さな泡のようかもしれません。人が死んだのちに往く最後の場所では、決してないということだと思います。

そう覚悟してしまえば、思いがけない明るい気持ちが生まれてくるはずだ。それまで、のたうちまわって苦しんでいる自分が滑稽に、子供っぽく思えてくる時もあるでしょう。

2020年7月30日 (木)

後悔しない生き方


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「あのときああしておけばよかった」…誰しも経験はあると思います。
後悔しない生き方をするための唯一の方法は、その場の感情論だけで判断しないことです。いつも自分の判断に対して納得しているかどうかということです。
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“後悔”というのは、数ある選択肢の中から、最良の選択肢があるにも関わらず、不可抗力ではない何かしらの個人的な理由で別の選択肢を選ぶことをいいます。そして、この「何かしらの個人的な理由」は精神的な理由であることがほとんです。
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そう思ったときに「なぜやらなかったのか?」と自問自答していくと、答えはシンプルで「自分が何かしらの理由でその選択肢を捨てた」からです。大事なのは、いつも自分の判断に対して納得しているかどうかということです。
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納得できる判断とはなにか?
自分はどうあるべきか…どうしたいのか…を基準に下した判断であるかどうかです。そういう判断に基づいて行動すれば、後悔することが減ると思います。しかし、そういう判断は、感情でぶれることもありますので、落ち着いて判断し、自信をもって行動をすることです。

2020年7月29日 (水)

生きていられることに感謝



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人生は、一回限りで、やり返しが許されず、誰にも代わってはもらえず、どれほど永遠を願っても限りがあり、しかも、そのいのちの終わりはいつ訪れるかわかりません。
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まさに「無常」・・・これが、私たち人間が生きている事実そのものです。
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私たちは自分が「生きている」という実感を持ちながら生きているでしょうか。また「毎日を生き生きと生きていると、自分でそのように実感できるような、今日を生きているでしょうか。
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「一日を振り返って『本当に生きた!』と、そう言えるほどの実感できますか」と問われたとしたら、どのようにお答えになられますか。
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私たちが日々生活していく上で、「生きる」と本当に自分で言い切れるような積極性をもち、あるいは充実感をもち得たとき、今日という一日を、『ああ、本当に生きた』と実感できるようになるのだと、思えるのではないでしょうか。そしてそこに、感謝の心が湧いてくるのです。

2020年7月28日 (火)

人間として何が正しいかの判断



芦ノ湖①

人が持つそれぞれの「価値観」
多くの人と関わりながら生きていく中で、価値観の違いを感じる場面は少なくありません。家族やパートナーなど近しい人、仕事上の付き合いの人など、関わる深さによっても、価値観の違いとも、どう付き合うかは変わってきます。


「人間として何が正しいか」…倫理観・価値観は人それぞれです。何においても結論はでない気がします。また、国家によって、思想によって、宗教によって、年代によって、企業によって、立場によって、男女によって、正しいの基準は違います。

では、何を正しいと思えばいいのかって、別に正しさなんてそんなに、重要ではないと思います。正義をかかげれば人は戦争もします。そしてテロ行為も、虐殺も、差別もします。


だから人は本能的には、正しさをそんなに追い求めないのです、社会的に正しくない人やものが好きだったりするのです。結局何が好きかで動くのです、何がしたいかで動くのです。


私はそれでいいと思います。それは人間の本能からくるものであり、本質的な倫理観だからです。

人が殺された話を聞き「なんて酷いこと」と思い、いじめられてるのを見て「止めろ」と思う。また、明るい人を見て「いいなぁ」と思う。温かみのある人を見て「素晴らしいなー」と思う。そういう感受性は人それぞれです。

正しいとか正しくないに沿うと、虚無感にとらわれます。何かに与えられた倫理観で、好き嫌いは選べます。それは与えられるというより、「選ぶもの…見つけるもの…」で、こうありたいというのは、いくらでも自分自身の力で変わります。

2020年7月27日 (月)

真面目な人

湯殿川と君橋付近
人は真面目だからいい…なんていうことをよく言うけれど、 人間、真面目は当たり前です。真面目だけでは評価は余りよくない。

おとなしいのが真面目なわけではない。課題にちゃんと応えるだけでは真面目とは言えない。自分がやらなければいけない範囲のことをやっている程度では、真面目とは言えない。

真面目の上にさらに何ができるか
振る舞いの一挙一動が真面目であれば、その人がちゃんとしている人かどうかは、誰にでも分かります。しかし他人は「見てないようで見ている」のです。

そういう意味で、良くも悪くも・・・いい加減だけど愛される人って共通して「根がマジメ」なんです。たとえば新規案件に関わったときに知識を吸収するための勉強熱心な姿は、どんな人よりもマジメ……それ以外では調子のいい姿を見せる……。

マジメすぎる人って概して「あらゆる場面でマジメでなくては、不マジメと思われてしまう」という強迫観念が強いように思います。でも、根っから不マジメなのか、根はちゃんとしているのにルーズさを出しているだけなのかを、他人はちゃんと見てくれています。

だから、締めるところは締めながら「マジメさをゆるめる勇気」を持ってみて欲しいものです。

2020年7月26日 (日)

人生の道を迷うこと


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過去の哲人たちがこう言い示すように、虚心坦懐に一つの物事に努力を積み重ねていけば、やがて何か他力的(自分以外の力)を感じるように、なるのではないでしょうか。
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他力に任せる
そこで見えてくる道は、確かな道に違いありません。この精神は誰もが本然的(自然そのもの)に持っているものだと思います。
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「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」…高村光太郎『道程』より・・・東山魁夷の画は他力によって…眼前に進むべき一本の道を見ました。
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前に見えてくるものであろうと、後に出来てくるものであろうと、「道」とは、その人の決心や覚悟といったものの表れです。おのれの道を潔く真剣に歩んでいる人を、私には美しく思えます。

2020年7月25日 (土)

高齢者はどう生きる


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「高齢者はどう生きればいい」・・・
80歳過ぎた男の独り言
価値観の多様化・社会情勢の激変の時代をどう生きればいい・・・基本的には「交流を広め良き友人を多く持つこと。自己中心、個人主義とならないこと。」心がけることです。

「生きがいを持つ」
人は誰でも、何らかの「生きがい」を持つことで、人生の価値や意味を見い出そうとします。広辞苑によれば、生きがいとは「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」と定義されています。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものである、と捉えることができます。

「生きがい」という言葉の使い方としては、「生きがいを感じる」というのが一般的であり、主観的な感情を表す用語であるともいえます。従って、何を生きがいと感じるかは人によって様々であり、一概に定義できるものではありません。

人によっては「生きていく上でのはりあい」というやや消極的なものから、「人生をどう生きていくか」というその人の人生の根源ともいえるような積極的なものまで、さまざまな捉え方があります。

「置かれた場所で咲く・・・」
「こんなはずではなかった」と思うことが次から次に出てきます。そんな時にもその状況の中で「咲く」努力をすることです。どうしても咲けない時もあります。

雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして根を張るのです。次に咲く花がより大きく美しいものとなるために・・・。


 

2020年7月24日 (金)

シンプルに生きる

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「シンプルに生きる」とは、極端にモノをなくして、何もない空間で生活したりすることではありません。自分にとって不要なモノ、コトを取り除き、浪費している時間やお金、労力を取り戻すことです。

「シンプルに生きる」ために必要なことは、自分自身と向き合うことです。誰かが「これを捨てればいい」と教えてくれるわけでもなく、「この思いを手放せば幸せになれる」という正解があるわけでもありません。

そして、「シンプルに生きる」ことは、よりよく生きていくことです。どういう状態が、自分にとってベストなのか? どんな生活がしたいのか? 自分自身の幸せの基準を確立することです。

やりたいこと・やるべきことを明確する
今、必要なことが明確であれば、あとはやるか…やらないかだけ、周りが悩んでいるあいだに、どんどん物事が進められるられるので、時間の使い方がとても上手になります。

不安定な時代に生きている私たちです。思い通りにいかないこと、今すぐ変えることは難しいこともあります。そんなかでも、少し先の未来を見据え、そのために、「シンプルに生きる」ことを考えていくことでは…ないでしょうか。

 





2020年7月23日 (木)

お互い様の相互扶助

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人が生きる大切なことは「お互い様」精神
かつての地域社会では「おたがいさま」といった相互扶助により人々 の暮らしが支えられてきました。
日常生活における不安や悩みを相談できる相手がおり、また 世帯の状況の変化を周囲が気づき支えるという関係性のある地域が身近に存在していしました。

現代社会は、世代間の価値観の差の拡大、核家族化、 人々の移動性・流動性の高まりを背景として地縁や血縁といった伝統的なつながりが弱く なり、人々が個人の自由を求める中で、家族の中 でも一人ひとりが孤立し、少子高齢化の中で世帯のさらなる少人数化が進むなど、地域社会 を構成する基本である家族のつながりも弱まってきています。

このような中で、地域の人と 人のつながりは弱まり、地域への帰属意識は低下するなど、地域社会の脆弱化が進んでき ています。

それまで家庭や地域が果たしてきた 支え合いの機能を、介護や保育など公的な支援制度を整備することで代替してきました。そし て、今では、公的な支援制度が生活を支える中心的な役割を担うこととなっています。

現代社会は、核家族化、ひとり親世帯の増加、地域のつながりの希薄化により、家族・地域内の 支援力が低下しているという状況です。地域全体で支える…人間教育が大事なテーマとなってきたと考えます。

2020年7月22日 (水)

幸せな人生


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幸せな人生にする上で大切なことは、「苦労しても乗り越えたいと感じられる目標を持つこと」です。
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人生は、色々な予期しないことが毎日のように起こります。そのなかで、どれだけ豊かで幸せな人生を送ることができるか…自分の人生は、結局は自分自身の心構えによってしか変えることができません。

幸せを求めるなら、大きな目標を掲げて挑戦をする人生を選ぶ他ありません。失敗を恐れていては成長そして「幸せ」は望めません。何度失敗をしてもあきらめず、成功するまで努力を続けることです。最終的に成功をすれば、それまでの失敗は成功への単なる過程になるからです。
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誰しも、挑戦することで失敗したり、挫折を経験することもあります。目標を達成するためには、困難を乗り越えていかなければなりません、苦労をすることになります。高い目標であればなおさらです。
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挑戦することの大切さ
挑戦とは、目標を大きく持ちチャレンジすること、大きな困難を克服するために努力をすることを指します。挑戦の過程で人は、精神的にも肉体的にも成長することができます。そして幸せ感が得られるのです。

2020年7月21日 (火)

命の尊さ

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誰もが大切であると認める生命
大切なものなら、ずっとそのままでいてくれたらいいのにと思うのですが、必ずいつかは消える仕組みになっています。
生命は、はかなく、いずれ必ず消えてしまう、寿命や他の原因で死んでしまうことを私たちは知っています。

人間は他の生き物の命を頂いて生きられる
厳しい見方をすれば、いくら人間が共生と声を上げて主張しても、生命を大切にと訴えても、私たちは他の生命を奪わずには生きていけないのも明白な事実です。またこのことは大自然の営みにおいて、生きもの同士の連鎖があるように、他のどんな生きものも同様です。

だからこそ、いろいろな生命の恵みによって生かされている、そのおかげをいただいているという感謝の心を持ち、そのような人間らしい反省の中から、私たちは分相応ということを意識しなければならないということです。そのためには、まずもって自分の生命の大切さを知らねばなりません。そうでないと同時に他の生命も尊重できないでしょう。

他の生命を奪うという点に関しては、結局は人間の身勝手であり、エゴです。そもそも常日頃からどんな生きものの生命も、できるだけ失わないように努めなければなりません。

人生は一度きりで、自分の生命は自分に与えられた時間とも言えます。その一人ひとりの生命は誰でも等しく限りがあることは、当たり前のことです。限りある生命であるからこそ尊厳があり、自他の生命を大切にすることです。

2020年7月20日 (月)

老いて知る世の無常


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老いて、改まって知る世の無常
疎遠になっていた知人の訃報を聞きしますと、寂しい気分になります。
周りの人が一人欠け、二人欠け世の無常を実感させられ、日常の生活を見直し、この現実をわきまえて生きていかねば・・・。
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「朝には紅顔ありて 夕には白骨となる身なり」
私たちは、朝には若々しい顔つきをしていても、夕方には白骨となってしまう身なのです。現に無常の風が吹いてきて、最後の一息が永久に切れてしまえば、せっかくの血色のよい顔も色を失って、桃や李の花のような美しさをなくしてしまうでしょう。
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その時になって、親族の者が集まって嘆き悲しんだとしても、もはやなんの甲斐もないでしょう。そのままにしてもおけないので、野外に見送り、夜半に荼毘に付せば、煙となってしまって、ただ白骨のみが残るのです。悲しみはとても言い尽くせません。
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人生は儚く、無常なものです。だからこそ人と人との絆を重んじ、短い人生を懸命に生きようとする姿勢は、尊いものです。一生懸命に生き、老いて、死んでいく・・・ただそれだけの人生、感謝してすべてを、お任せすること・・・人生はそれだけでいい。

 

2020年7月19日 (日)

地域の環境を守ろう

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地球環境は、このままだと危ない

近年、環境問題が広範化・深刻化しており、人類が地球に与える負荷が増大していることから、現状のまま推移すると、人類のみならずすべての生物の生存基盤である地球環境のバランスが崩れるおそれがあります。

地球環境問題の解決は・・・
地域から・・・ひとり一人の認識・行動を起こすことです。
今、ひとり一人が「宇宙船地球号」の乗組員の一員であるという全地球的な視野を持つと同時に、人間と環境との、係わりについて理解を深め、自然と共生し、いかに身近なところから、具体的な行動を進めるかが極めて重要な課題となっています。

環境問題は、極めて幅の広い問題であり、したがって、環境教育も、その対象は身近な身の回りの問題から、地球規模の問題までの広がりを持ち、その学習領域も自然科学・社会科学の分野からひとり一人の感性や心の問題にまで及んでいます。

このような環境教育の特質を考えると、それは単に、学校教育における取組のみをもっては、到底そのねらいを達成できるものでなく、幼少年期からの、学校、家庭、地域社会のそれぞれの場における様々な取組によって、初めてその実効が期せられるものです。

2020年7月18日 (土)

真の教育を考える

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現代は、核家族化が進み家庭での教育が失われ、価値観が「心」から「物」へ移行する中で、改めて「人間教育」が問われる時代と思います。

今、放任された教育により「自分だけ満足できればよい」といった風潮が広がる中で、和の精神と「礼節」「知育」「勤労」を柱とする人間教育により、「他者への思いやり」「礼儀」「道徳」「善悪の判断」「協調性」などを身につけた日本人であるべき、教育が大事なテーマと思います。

日本の伝統文化を重んじ、家事の心得をはじめ、「物を大切にする心」「敬う心」「人との関わり合い」「協力してことをなすことの喜び」など・・・失いかけた日本人の「心」を、社会で、世界で活躍するための心を身につけることにもなります。

「泣く子と地頭には勝てない」
という諺がありますが、教育において「子どもは未熟だから仕方がない」と諦めてしまうのは間違いです。子どもの至らない考えを容認するのではなく、厳しい態度で道徳を規範とした、社会や人との関わり合いを教えていかなければなりません。

個性の尊重や自主性などを身につけていくのは、その次の段階です。また、男女は同権であっても同質ではありません。男女を同質と考える画一的な教育では、男女固有の特質を伸ばすことはできないのです。
教育の本質は「大切なことは何か」を教えることです。大切なものとは、いつの時代も変わらない人間としての生き方です。

2020年7月17日 (金)

老いても今を精一杯生きる

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老いても…『今を精一杯生きる』…今が幸せならそれを精一杯感じ取ることです。

人生、先には何が待っているかわかりません。そして人生には波があり、良かったり悪かったり。人間というものは起ってしまったことを後悔したり、まだ来ないことを不安に思ったりと、自分でコントロール出来ないことに悩むものです。

過ぎたことは変えられないし、まだ来ないことは分かりません。人間がいかに努力しても、どうすることも出来ないことは、あるがまま受け入れるしかありません。

どうすることも出来ないことを何とかしようと思う所に苦しみ悩みが生まれるのです。また、まだ来ないことをこうなったらどうしよう、ああなったらどうしようと思い悩むのも浅はかなことです。頭で考える未来の展開は無数にあります。

今出来ることに全力を尽くす
その結果は誰にも分かりませんが、やれるだけのことをやったわけですから、後悔は生まれないはずです。自分に出来るのも、今を精一杯生きることだけです。今が幸せならそれを精一杯感じ取ることです。老病死は、誰にもやって来るものなのです。

2020年7月16日 (木)

年を取ることを楽しむ

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ある一定の年齢を越えると、私たちは、つい年を重ねることをネガティブに考えがちです。高齢になるほど体力は落ちますし、社会との関わりそのものが、薄れてしまったような心細い気持ちになることもあります。

年を重ねることへのそうした不安は、「なるべく長く若さを保っていたい」という心の焦りを生むことがあります。心身の健康を気遣うことは確かに大切ですが、加齢を否定的に捉えるあまり憂鬱になってしまう、老化現象のすべては、まるで克服すべき大きな試練のようです。

今まで参加していたコミュニティから身を引く年齢になり、少し淋しさを感じる一方、無理な人付き合いから解放されて気が楽になることがあります。他人と自分との能力差や境遇を比べてストレスを感じる必要もなく、自分の価値観に従って、マイペースに過ごすことができる毎日は、心に平穏な幸福感をもたらしてくれると言えます。

年相応の対応
高齢になれば、体力的に行動力などが落ちます。今の自分にふさわしい目標を立て、焦らずじっくりと歩んでいく楽しみを見つけることです。例え結果が思ったように出なくても、自己否定することなく、挑戦することで、そのものに幸福を感じことになると思います。

2020年7月15日 (水)

魂を磨く

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魂とは・・・心・精神です。
私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。もっとも根源的ともいえるその問いかけに、やはり、私は心を高めること、魂を磨くことで、真の「幸せ」の心が得られると考えます。

素晴らしい魂にしていこうと思えば、毎日毎日、自分にそう言い聞かせながら、「きょうの自分の思い、きょうの自分の行動は、果たして、善きことに基づいていたか」と自分自身に問い詰めながら、自分の思いと行動を、毎日修正していかなくてはいけないのではないかと思うのです。

生きている間は欲に迷い、惑うのが、人間という生き物の性です。ほうっておけば、私たちは際限なく財産や地位や名誉を欲しがり、快楽におぼれかねない存在です。

現世とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場です。人間の生きる意味や人生の価値は心を高め、魂を練磨することにあるのです。魂を磨くとは、そういうことが言えるのではないでしょうか。

2020年7月14日 (火)

守ってほしいゴミ出しルール

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家庭からでる生ゴミを町の道路に捨てて行く・・・一週間一度ぐらいあるのです。それは大きなレジ袋です。

カラスによって生ごみが散乱
「カラス散乱されて、歩道いっぱいに散らかっているのです。昨日も処理して近くのスーパーの店長にお願いし処分しました。生ごみを歩道に落ちて?捨ているのです。もちろん捨てている人を確認できれば、注意しますが・・・非常に迷惑しています。

カラスは記憶力と学習能力が非常に高く、餌のある場所を何十か所も覚えることができるなど、記憶力も抜群です。一方で、嗅覚はそれほど発達しておらず、主に視覚により餌を探しており、餌がたくさんある場所を常習的に狙う習性があります。

捨てられている歩道は、通勤・通学路です。八王子市のゴミの収集日に合わせ、家の前・指定された場所に出すようお願いしたいものです。



2020年7月13日 (月)

地域と地球の環境について

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地域の環境の現状をみて、地球の環境の危機的状況が理解できます。それは、地域の環境はまだまだ、無関心な人が多いからです。

かけがいのない「地球」それは人間にとって、また動物や植物にとっても大切なものです。しかし、その地球の環境にいま、深刻な変化が起きています。

環境とは、私たちを取り巻くすべてのもののことで、私たちが生きるために欠かせない空気や水、動物や植物など、私たちの生活とつながっているとても大切なものです。だから、環境を今よりもよくしていくことは、とても大切なことなのです。

私たちの身近の地域で、そして地球全体で、どのような環境の問題がおきているのかを知り、それを解決するために私たちが、できることを学び、考え、たくさんの人たちと、ぜひ話し合って今、何ができ、何を守らなければいけないか、考えていただきたいと思います。

郷土を愛すること
地域社会の一員としての自覚をもって郷土を愛し、社会に尽くし 、郷土を愛した先人や、高齢者に尊敬と感謝の念を深め、そして環境の美化と保持に努めると共に、郷土の発展に努めることが、地球の環境を守ることになるのです。

2020年7月12日 (日)

人の気持ちを考える

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「人の気持ちを考えること」
人は、周りとかかわることで日々生活をしています。人間関係を築くにあたり非常に大切なことは相手の立場に立って考えられるかです。

相手の立場に立って考えるのには相手を思いやる気持ちが必要です。相手が何を考え何を求めているのかを考えられて、スムーズに行動できる人が相手の立場に立って考える人の特徴です。

常に考えられることは簡単なことではありません。普段から相手を思いやる気持ちがあり、相手の行動を全て許してしまうのではなく、マイナス面も伝えることができる人です。
相手の顔色をうかがうのが思いやりではありません。悪い点も伝えられる人が相手を思いやる気持ちを持っている人です。

人は、それぞれ生まれ育った環境が違うように、考え方も違ってあたり前です。自分の意見だけ通す、相手の意見だけ聞くのではなくお互いが、相手の目線に立って考えることで新しいことが発見となるのです。

相手が大事にしていることを大事に考えることです。
これからの人生、仕事仲間や友人など周りの人と上手くやっていくためにも必要なことです。より良い人間関係を築いていくためにも、相手の立場に立って考えるということが、なにより大切と思います。





2020年7月11日 (土)

お年寄りはどう生きればいい

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むかし、お年寄りが、「早くお迎えに来てほしい」という言葉を聞き・・・考えてしまったことがありましたが、いま私も“分か”る年齢になりました。

「生きがいを持つ」
「生きているのがつらい」「死にたい」という考える根拠は「生きがい」が失せてしまったからだと思います。『やはり外に出て、人と会うこと』とです。

「元気の秘訣」
人と付き合うこと。おしゃれをすること。趣味を持つこと。などが思いつきます。また、自分のことは自分でやる。そして同じ年齢の方が出来なければ手を貸すことです。

高齢になると親しい人を次々に亡くし、家族との関係も変わり、その寂しさが生きがいの喪失につながることが多々あります。しかしその一方で、また新たな周りの人々との関わりが生きる気力を与えてくれることも多い、ということです。

突き詰めて考えると、私たち人間にとって一番面白いのは、他者とのコミュニケーションなのだと思います。仕事にも、ボランティアにも、必ず他者と関わる要素があります。他者はこちらの働きかけにどんな反応を返してくるかわからない。だからこそ、他者とのコミュニケーションは活力を生むのです。

2020年7月10日 (金)

心の拠り所

「ささえてくれるもの、頼みとするところ」を意味します。
毎日の生活のなかで、ときには悩んだり疲れてひと休みしたくなることもあって当然です。でも、誰かに心の内すべてを話して相談するというのは年齢が上がるごとに難しくなるものです。折れそうな心を支えてほしい、そんなときに大きな味方になってくれるのが「心の拠り所」です。

「心の拠り所とは?弱いから持つのではなく持つから強くなれる」
心の拠り所を持っている人というのは、芯が強く輝いているように見えるものです。多ければ多いほど良い「拠り所」ですが、ひとつでも何かあると気持ちが違ってきそうです。自分にはこれがある、と思えるような「心の拠り所」を見つけていきたいものです。

毎日をただやるべきことだけやって淡々と過ごすのではなく、少しの時間でも「これが私の生きがい」と思えるようなことに時間を使うことができれば、充実度が上がり、毎日を輝かせることができることだと思います。

2020年7月 9日 (木)

共に生きること

人は一人では生きていけません。家族をはじめとして、隣近所、町の中で多くも人々と係わりながら生きていけるのです。その関係を大切に、助け合いながら生きる・・・ということになります。
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日本にはかつて、地域の相互扶助や家族同士の助け合いなど、生活の様々な場面において、ある程度の「支え合いの機能」が存在していました。
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社会保障制度は、社会の変化に応じて、地域や家庭が果たしてきた役割の一部を代替してきました。高齢者、障害者、子どもなどの対象者ごとに、また生活に必要な機能ごとに、公的支援制度の整備と公的支援の充実が図られてきています。
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しかし、ご存知の通り、日本では超高齢化が進行、少子化・多死化により人口も減少しつつあります。そして同時に、地域・家庭・職場という生活領域における支え合いの基盤も弱まってきています。老々世帯、独居世帯のみならず、地域から孤立し、必要な社会的資源につながっていない人は少なくありません。
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ここで、もう一度改めて、「共に生きる」を考えることが大事ことと思います。

2020年7月 8日 (水)

タバコの吸殻のポイ捨て

「タバコの吸殻一本」
たかが・・・タバコの吸殻一本・・・が「何でもあり」の状況となっています。
タバコの吸い殻のポイ捨ては、単に美観や清掃費用の問題だけでなく、環境へ有害物質を大量に放出する汚染源としても重要です。喫煙者は気軽に吸い殻をポイ捨てするが、それは海へたどり着き、有害物質は生態系で濃縮されてやがて我々の身体の中へ戻って来ています。

街のゴミが海を汚す・・・今、海洋ゴミが深刻な問題となています。
「海岸ゴミの7~8割は街からやってくる」言われています。雨が降ると街のゴミが下水へ流れ、河川を通じて海へたどり着く・・・雨が多く降った後、海岸には多くのゴミが漂着するが、タバコの吸い殻・プラスチックのゴミが最も多く、驚くほどの量になっているのです。

路上へポイ捨てされたタバコの吸い殻は、側溝から下水へ、河川からやがて海へたどり着く。。。砂浜にはタバコの吸い殻が散乱し、そこから浸み出した有害物質が環境を汚染し続けています。少し想像力を働かせれば、街のポイ捨てが海を汚すことは容易に理解できるはずです。

タバコの吸い殻は量も半端なく、有害性も凶悪で環境へ与える悪影響は無視できません。

2020年7月 7日 (火)

年寄りの生きがい

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生きがいとは・・・「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」と定義されています。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものである、と捉えることができます。

年寄りの生きがい
大事なことは今の自分の状態を受け入れ満足することです。年をとってできなくなったことを、悲しむのではなく、今ある幸せを見つけて心を満たすのです。

今日のご飯は美味しかった、家族やペットと楽しく過ごせたなど、何気ないことに幸せを感じるよう意識することで心が満たされます。そして、たくさんの幸せを感じるためにも趣味を見つけ、人との繋がりを大切にすることです。

少子高齢化が進んでいくことに不安は募りますが、将来の不安にとらわれずに、一日一日を大切に満足して過ごすことが幸せな生き方です。お金や健康の備えも必要ですが、長生きして良かったと思えるように、まずは心豊かに生きる努力することです。

どんなに物質的に豊かな生活をしていても、生きていることに感動せず、不平不満だらけの生活を続け、死への不安に怯え、死から逃げることだけを考える生活が、本当に幸せだと言えるのでしょうか? 自分の死から目を背けず、いのちの真実を見つめ続ける時、本当の幸せな人生というものが得られるのだと思います。

2020年7月 6日 (月)

本当の豊かさ


東京工科大学
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現代は物質的にとても豊かになりました。しかし、心の豊かさという点ではどうでし ょうか。すべてが急速なスピードで変化していく現代・・・日々の忙しさの中、つい自分 を見失いそうになりがちです。
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混沌とした社会や人間関係に押し流され、何が正しく て、何が正しくないのかさえ分からない、そんな方も少なくないのではないでしょう か。
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真の豊かさとはなにか、私たちにとっての幸せとはなにかを、いま一度見直 す時期に来ているといえます。こういう時代だからこそ、「人間らしい心」を大切に しなければと思います。
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「精神的豊かさ、愛情、愛着、友情など」
人とのつながりを通して得られる心です。幸せは、心で感じるもので、心があってこそ、本当の幸せを感じます。人とのつながりを通して得られる心に触れたとき、人は深い満足感を抱きます。
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人から慕われたり、愛されたり、尊重されたりするとき「幸せだな」と感動し、深い満足感が得られるのです。

2020年7月 5日 (日)

真っ直ぐな人


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「真っ直ぐな人」・・・私は憧れます。
どんな時でも自分の素直な気持ちに向き合える人ことを指します。
真っ直ぐな人の性格は、正義感が強く、違うと思った事にはきちんと「NO」と言える。そして、理不尽なことを突き付けられた時でも、しっかりと自分の気持ちを大切にして、自分の意見を主張することができます。
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トラブルを恐れて、多くの人は我慢する選択を選ぶと思いますが、真っ直ぐな人は、そのリスクを覚悟して自分の気持ちに正直に生きることを選んでいます。
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また、誠実で人に嘘をついたり、隠し事をしたりしない、嘘をつくことの罪悪感に向き合い、嘘をごまかし通すよりも、誠実に本当のことを打ち明けることを優先できるのも、真っ直ぐな人の魅力です。
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情に厚く、人との約束はきちんと守る
自分だけが良ければいいという独りよがりな考え方を良しとしない真っ直ぐな人は、人の気持ちをしっかりと考えます。だからこそ、思いやりが強く、約束にも責任感を持っているんです。
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気配りが上手で、人のことをしっかりと考えられる真っ直ぐな人男性は、女性から魅力的に思われることも多いでしょう。
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責任感が強いという長所を生かし、仕事でも信頼してもらいやすいというメリットもあります

2020年7月 4日 (土)

高齢になっても歩くこと

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健康維持のための散歩
普段の生活から歩く頻度が減ると、外出機会も減り身体能力の大幅な低下や精神状態に悪影響をもたらす症状である廃用症候群(身体能力の大幅な低下や精神状態に悪影響をもたらす症状)に繋がると言われています。

廃用症候群の進行は早いため、特に高齢者は気を付けなければなりません。例えば1週間寝たままの状態を続けると、筋力の低下や、気分的な落ち込みもみられてうつ状態になったりと、精神面にも影響します。

その結果、筋肉が痩せ落ちてしまったり、関節の動きが悪くなり健康的に歩くことができなくなるのです。

生活習慣病の予防
栄養を摂るために食事は欠かせないもの。しかし、食べ過ぎて摂取エネルギーが消費エネルギーを上回ってしまうと、使われなかったエネルギーは脂肪として蓄えられていきます。この状態が続くと肥満になります。

そして、その肥満が原因となって糖尿病、高血圧、脂質異常症などの生活習慣病になる危険性が高くなります。これらを予防・改善するために行うべきことが、歩行による有酸素運動です。

他人と会い挨拶・会話する
人間は社会的動物といわれます。他人との交流が何よりも脳を刺激して、認知症の予防に繋がると思います。私は、毎日5000歩を目標に歩いてます。そして小学生から、ご年配のの方に、挨拶を心がけています。

2020年7月 3日 (金)

高齢者となっての生き方

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体力にも気力にも自信がある若い頃には、時間の使い方や自分の健康についてもあまり深く気に留めることはありませんでした。しかし、私も高齢者となり「自分が今出来る能力を知る」ことが希望への道が続くことだと分かりました。

「身の程を知って生きる」
現時点で自分ができること・出来ないことはしっかり把握するべきだし、もし自分のスキルを伸ばすことで欲しいものが手に入るなら、なおさら自分のスキルの把握は重要になってきます。なぜなら、能力の把握によって自分がどれくらい時間をかけるべきなのかの見通しが立つからです。

身の程を知るからこそ、次に何をしたらいいのかがわかります。次何をしたらいいのかがわかれば、実行することで前に進めます。もしかして「身の程を知る」というのはものすごくポジティブな言葉なのではないか、そんなことを最近思いました。

「身の程を知りなさい」と言われたら「自分の現状をしっかり認識して、そこからちょっと頑張った目標を建てなさい。大丈夫、あなたなら出来ると信じてるよ」と応援されてると捉えてもいいかもしれません。

「身のほどを知ることが、希望の近道」
病や事故、災難に見舞われても、また人と比べて能力や財力が劣っていても、自分に与えられた現実を受け入れ入れることができたなら、それはなかば希望を手に入れたようなものです。身のほどを知ることは、希望を手にする第一歩です。
私たちは、願望のなかにいきるのではなく、希望のなかに生きたいものです。なぜなら、幸福はそこにあるからです。

2020年7月 2日 (木)

善悪の判断


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昨日の朝、散歩していて、前を歩く若い学生風の男が、歩きながらタバコを吸っていた、暫くすると男はタバコのすいがらを路上に、捨てた。
私は、大きな声で“落とし物”と言って、男を呼び止めました。

「駄目だよ!今、ゴミ拾いしたばかりなんだよ!」

男は、けげんそうな顔して戻ったので、私は素手で、火のついたタバコのすいがらを、拾って見せ
「ここ八王子市は歩行禁煙ですよ!自然環境にも悪し、これからは絶対捨てないようにしてね!」と言って諭したのです。

近年は、生産年齢人口の減少、グローバル化の進展や絶え間ない技術革新等により、社 会構造や雇用環境は大きく急速に変化し、予測困難な時代を迎えています。

このような時代において、社会を構成する主体である一人ひとりが、高い倫理観 をもち、人間としての生き方や社会の在り方について自ら考えることが一層大 切になっています。

同時に、多様な価値観の存在を認識しつつ、他者と対話し協 働しながら、よりよい方向を模索し続けるために必要な資質・能力を身に付けて いくことが求められており、道徳教育はこれまで以上に重要な役割を果たすこ とが期待されています。

善悪を教えることが子育ての基本
親が子供に善悪を教えることが子育ての基本ですが、このごろ若者の間でおこっていることで、善悪でものの判断をしないで、みんながしていることが善いことであるという判断です。

たとえ悪行であっても、みんながしているとそれは悪行ではないというのです。親が子供に善悪をきちんと教えていないと、その子が成長して大人になっても、善悪を教えられる親にはなれないでしょう。

2020年7月 1日 (水)

精進は一生涯

「継続は力なり」といいます。どんなことでも続けてこそ身につき、力ともなるので、一日怠れば、それまでの何十日分の努力が水の泡となって消えてしまうことも多いのです。

ですから、精進は一生涯です。
精進も方法や方向を間違えると精進とは言えなくなります。
例えば、大変な技術をもったスリや、オレオレ事件のように巧みな話術で大金をだまし取る者などもいますが、こういう技術習得にいくら精出してもそれは精進とは言えません。

あくまでも、正しい方向への精進であることが大切でです。
ですから、稽古ごとでも社会生活も、よい師匠や先輩に学ぶことが大事です。深い智慧をもって正しい方向と方法を常に示してもらえますから、道を踏みはずすことはないと思います。

仏教には「修証一如」という言葉があります。「修」とは修行のことで、「証」とは証得(悟りを開く)のことを指しています。
つまり、「修証一如」とは、修行と悟りを開くことは同じことであるという意味です。悟りを開くのは、修行に身を置く人それぞれが、修行を通じてそれぞれの悟りを開いているのです。
 
そして「修証一如」は、私たちの暮らしにおいても、すべてに応用できます。
自分がいまやるべきことは何かを明確にしたら、つとめ励むことです。たとえ結果が伴わなくても、励んだ過程は、自分自身に大きな変化をもたらすことになるのです。


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