幸せを感じるとき
人間は誰しもが、生まれた以上は、幸せになりたいと思っている存在だと言えます。
また、科学の発達はそのような人間の願いをかなえるための、歴史であったとも言うことができるように思われます。
ところで、私たちはどのような時に自分は「幸せだ」と感じるでしょうか。また、反対にどのような時に「不幸せだ」と歎くでしょうか。
考えてみると、同じ状態であっても、自分より幸せに暮らしている人を見ると、自身は不幸せであるように感じますし、自分より不幸せな暮らしをしている人を見ると、自身は幸せであるように思えたりもします。つまり、私たちの「幸せ」は、いつも他人との比較の中で考えられ、揺れ動いているのではないでしょうか。
「必要にして十分な人生」
私たちの人生には無駄なことなど一つもないということですが、それは嬉しいことや楽しいことだけではなく、辛いことや悲しいことも、その一つひとつが私の人生を、彩ってくれていることを教えている言葉です。
そして、そのような人生を生きることに目覚めた時、私たちは人生で出会うすべてのことに、感謝をしながら生きていくことが、出来るようになるのだと言えます。そして、ここに幸せだから感謝するのではなく、感謝できることが幸せであると思えるような、人生が展開していくのだと思います。
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