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2020年7月 1日 (水)

精進は一生涯

「継続は力なり」といいます。どんなことでも続けてこそ身につき、力ともなるので、一日怠れば、それまでの何十日分の努力が水の泡となって消えてしまうことも多いのです。

ですから、精進は一生涯です。
精進も方法や方向を間違えると精進とは言えなくなります。
例えば、大変な技術をもったスリや、オレオレ事件のように巧みな話術で大金をだまし取る者などもいますが、こういう技術習得にいくら精出してもそれは精進とは言えません。

あくまでも、正しい方向への精進であることが大切でです。
ですから、稽古ごとでも社会生活も、よい師匠や先輩に学ぶことが大事です。深い智慧をもって正しい方向と方法を常に示してもらえますから、道を踏みはずすことはないと思います。

仏教には「修証一如」という言葉があります。「修」とは修行のことで、「証」とは証得(悟りを開く)のことを指しています。
つまり、「修証一如」とは、修行と悟りを開くことは同じことであるという意味です。悟りを開くのは、修行に身を置く人それぞれが、修行を通じてそれぞれの悟りを開いているのです。
 
そして「修証一如」は、私たちの暮らしにおいても、すべてに応用できます。
自分がいまやるべきことは何かを明確にしたら、つとめ励むことです。たとえ結果が伴わなくても、励んだ過程は、自分自身に大きな変化をもたらすことになるのです。


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