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2020年5月 4日 (月)

病・老・死が他人事ではない

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昔のハイキングコース

私たちは、老病死の現実の直中に生活しています。しかし、「老をきらい 病をおそれ 死をかくす」姿が現実の日常の生活ではないでしょうか。
アンチエイジングがはやる現代、大金を費やしてまでも若く美しい人が、“もてはやされている”ようでもあります。マスメディアもはやしたてるように若さと健康を美化し、大衆もその情報に流されています。テレビCMは、健康食品と美容薬品の宣伝が目立ちます。

若く健康で快適な生活を求めてきた私達は、生の事実である「老病死」を生活から切り離してしまいました。その結果、みんなが明るく生きやすい、社会になったかというと、そうではありません。
大人も子供も老人も、暗く孤独な人が増え、人生に不安を抱えている人が少なくありません。「終活」という言葉が象徴するように、死後のことも自分で手配しなければならず、誰かに任せて死んでいくことが出来ないのです。それは同時に、安心して生きることが出来ない姿を現しているように思います。
老病死が他人事ではない
私たちは、老病死の現実の直中に生活しています。しかし「老をきらい 病をおそれ 死をかくす」姿が現実の日常の生活ではないでしょうか。
三つの真理
作家の五木寛之氏は、この言葉のなかには三つの否定できない真理が含まれていると言っています。
一つは「人間は自分で自分の生まれ方を決められない」ということ。
二つは「人間の一生は日々死へ向かって進んでいく旅である」ということ。
三つは「人生には期限がある」ということ。
一つ目の真理「人間は自分で自分の生まれ方を決められない」というのは、非常な論理です。人間はどの時代、どの国、どの家、誰を親に持つかを自分で決めることはできません。体つきや皮膚の色、才能、個性、遺伝子すらも自分では決定できません。
人間は人生の第一歩からして自分の意志を超えた、何らかの力で本人の努力とは無関係に決められてしまうのです。つまり人間が生まれてくることは自己実現の結果ではありません。まさに不条理としか言いようがないのです。
二つ目の「人間の一生は日々死へ向かって進んでいく旅である」ということも大変つらい真理です。人間は生まれた途端、死へ向かって歩き始めるわけで、人間のゴールが死だということも、これもまた非常な論理だと言ってもよいでしょう。

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