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2020年4月

2020年4月30日 (木)

ご近所とお付き合いのこと

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画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、空、草、橋、屋外、自然、水

「いざという時に頼りになる近隣住民とは、ほどよい関係を保つ」

「町会にも入りたくない」・「ご近所付き合いってめんどくさい」と思う方もいるかもしれません。しかし、ご近所は、災害や事故などの緊急時には最も身近で頼りになれる存在です。

まったく交流しないでいると、いざという時に協力をお願いしにくくなります。したがって、日頃から適度によい関係を保っていくことが大切です。

家の周りを掃除するという習慣は、いつの間にか薄れてしまい、自分の庭のみだけしか掃除しないお宅が増えたように思えます。

むかし、姉さん被りの奥さんが、家の前の通りや、横町の路地などを、掃除をする光景をよく見ました。掃除をしながら近所のコミニケーションが図られたり、思いやり、譲り合い、助け合い、人間が生きていくための術を学べることが出来たのです。

外のことまで、手が回らないというのでしょうか?

現代人は忙しいのは分かりますが、よその所まで掃除をする余裕がないということが本音でしょうか、それともアパート・マンションで、関係ない?ということでしょうか?

社会の変遷で人間本来の価値観が違てきて、昔気質の人が少なくなって、寂しい思いをしている人は私だけではないでしょう。

 

2020年4月29日 (水)

一日一日を大切に

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「一日一日を大切に・・・」
人生の中で一番大切なことは「今日ただいまの自分の心なのだ」とはっきりと言い切られます。
戻らぬ過去を後悔してクヨクヨしてしまったり、未だ来てもいない明日というものに根拠のない希望を乗せるのではなく、今日ただいま目の前のことを一生懸命務めなければならないのです。

そうしなければ、明日という日が有意義になるはずがありません。今日一日をしっかり務め、明日もまたそのような一日がくるようにしなければならないということです。

「今日一日というのは、一生涯の一日ではなく、『自分の全生涯が「今日の一日である」と、自分の一生涯を今日この一日に詰め込んでいく・・・』このように看る視点を少し変えると、今日一日に対する思いも変えることができると思います。

2020年4月28日 (火)

高齢者「どう生きるか」が課題

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打越ふじやと公園

誰にでもやってくる「老い」、そして「孤独」や「死」をどのように受け入れ、楽しめばよいか・・・つまり、「自身の“後始末”」をどのように考えるかが大事です。

ボーっと何もしないでいても、一生懸命頑張っていても「一日」は過ぎていきます。周りに迷惑をかけずに、ピンピンコロリ(ppk)と天国に行きたいと願っていますが、何もしないでいると、認知症になり、家族や周りに迷惑をかけることにもなります。

心の豊かさ
「何を持って心の豊かさとは」近頃の私の自問です。優しさ、思いやり、夢や希望、怒り、怖さ、悲しさ、イライラなど・・・さまざまな、人間的な感情がきちんとわき起こり・・・それも、人生の局面では、より多くのプラス側の感性が自然と機能することなのではないでしょうか。

「イライラもするが、優しさや思いやりもしっかり備えている」・「笑顔もあるが、不機嫌な表情もある」そして、「怠けたくても努力する気持ちの方が強い」・・・。

物質的な豊かさや金銭的なそれは、数値で測れますが、心の豊かさは客観的にははかれません。だからこそ、心の豊かさという視点を意識して、生きる必要があると思います。

いつも心にささやかな心がけを
花を一輪飾ってみたり、おいしい珈琲を入れてみたり、本を読んでみたり・・・例え少しでも時間を自分のために使ってみると、良い気分転換にもなるかもしれません。

日々の生活にささやか心がけを、いつもより少しだけ丁寧に、ほんの少し変えてみることで、つい忘れそうな心のあたたかさも、取り戻せるかもしれません。きっと、自分にも相手にも優しい気持ちが持てる?今よりもっと魅力的な人でいられるかもしれないです。

曽野綾子さんの言葉より
『死ぬとき一生で楽しかったと思えるのは、「偉大なこど」ではない』・・・「私たちは日々、老いていく・・・不条理な世の中を、自分の思い通りに変えることなどできません。だが、失ったもの、叶わないことを嘆くばかりでなく、ほんの少し受け止め方を変えることができたなら、人生の見方は変わる。」

 

2020年4月27日 (月)

今、住んでいる町が好き

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誰でも思う、町が好きな理由は・・・
◎ 「ほどよい田舎感ある」・「閑静」・「自然が豊」
◎ 「買い物に便利」「公共交通機関が充実している」「学校・保育園・病院・銀行が近くにある」などの利便性。
◎ 「地域の行事が楽しみ」・「地域みんなで子どもを大切にしくれる」

こういった事ではないでしょうか。そして、大事なことは、昔からの伝統と文化を、引継ぎ大事にし、自然環境を守り、保持していくことではないでしょうか。また、自分たちの暮らす町で、人と人の心地よい関係をつくり、支え合い・助け合いのコミュニティを生み出すことです。

私たちの町の歴史があります。片倉城・・・片倉城跡公園です。その周辺も含めて、自然環境を大切に、守り次世代に引き継ぐ使命があると思います。

① 快適な環境
  環境にやさしいまち
② 安全と安心
  人にやさしい安心して、住み続けられるまち
③ 活気の創出
  にぎわいのあるまちをつくる
④ 地域の共生
  ともに力をあわせて、自分たちのまち

私たちの町「八王子市片倉町」を守り、次世代に引きついていかねばと思っています。

2020年4月26日 (日)

日々是好日ということ

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道了堂の階段

「新型コロナウイルス」
新型コロナウイルスのせいで、世界を先行き不透明な状況に陥った・・・パンデミック(世界的流行)のニュースは容赦なく続いています。こうした状況は人の心の健康に悪影響を及ぼします。

感染拡大により、国民の間に不安感と閉塞感が広がって、いつ終息するか分からない「見えない恐怖」との闘いが続くだけに、そうした感覚を覚えるのは当然と思います。とはいえ、過剰な恐れや適切とは言い難い行動は、新たな混乱や社会の分断を生みかねません。

◎ 通常の睡眠・起床のペースを保つように心掛ける
充分に食事を取り、できるだけ運動するよう心掛けることです。達成できるゴールを設定し、それを実行することで、自分自身をコントロール出来ている感覚を得ることができます。

◎ 楽しくリラックスできる活動をする
出来ることや場所が限られていても、楽しくリラックスできる活動をするよう心掛けることです。例えば絵を描いたり、お気に入りの本を読んだり、音楽を聴いたり、ストレッチやリラックスできる運動などを行うというものです。

「日々是好日」
どういった心構えでこの事態に向き合えばいいか。私たちの人生は雨の日もあり、風の日もあり、晴れの日もあります。
しかし、雨の日は雨の日を楽しみ、風の日には風の日を楽しみ…晴れの日は晴れの日を楽しむ…すなわち楽しむべきところはそれを楽しみ・・・楽しみ無きところもまた無きところを楽しむ・・・これを日々是れ好日ということです。

どんな苦しい境界に置かれても、これ好日、結構なことですと、カラ元気でなく、「心から味わえるようにならなければ」と思っています。

本当の幸せとは

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「幸せ」とは・・・心が満ち足りていることです。
実際に自分にとって何が幸せか、何が不幸なのかは、世間や他人が決めることではありません。自分が決めることです。いくら周りで叫ぼうが、最終的にそれを自分に定義しているのは他でもない、自分自身でしかありません。

本当の幸せとは
自分が見つけた純粋な幸福・・・自分が本当にしたいことを選択し続けること・・・自分は何をしたいのか…何をしていきたいのか…それは本当に心からしたいと思うことなのか…人生は選択の連続です。

いくつかの選択可能なカードの中から選んで実行していく・・・人間は今というこの瞬間に生きています。逆に言えば、今という瞬間以外を人は生きられません。

人は”今”しか生きられない
人間には本当は過去も未来も”ない”。“ある”と思うのは、人の脳がもつ記憶という機能を「過去」と認知しているだけにすぎない。未来はその応用版です。本当に”ある”のは今この瞬間だけです。

そして、今、実行しているのは常に一つのことだけです。例えばこうしてこの文章をお読みになっていること。それと同時に別の文章を読んだりすることはできない。

2020年4月25日 (土)

百の議論より一つの実践

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「思考を基にした議論を重ねるより、一つの実践から、百の可能性を見つける」
今の世の中、情報なども多くなり、頭でっかちになってしまって、行動が伴わないケースは、とても多くなっています。

無限の可能性のある自然界では、どんなに机上で考えても、その答えは出てきません。実践していく中で学び、本質に近づいていくことが大事です。

考えることは、実践しながらでもできる
足を止めて、議論することに、何かの価値を見出そうとしている傾向も強く、この傾向は、人間、人間界の進化を遅らせています。

まずやってみること
仮に考えるにしても、それからです。。。やりもしないうちから、考えたり、議論をしても、あまり意味はないと思います。そして考えることより、感じること、思感( 思うところ。考え。意図。見込み。期待)を活用していくことです。

思考が集まるより、思感が集まって、議論をした方がはるかに、創造性に溢れた、発想が展開していくでしょう。思感で議論することも、とても面白く有意義なものになります。議論するのであれば、思考ではなく思感にしてみることです。

実践の体感をどんどん増やしていく
量と質の体感を増やしていく…脳のメカニズムからすれば、反省の時間なども必要ないでしょう。脳は全ての経験から、その瞬間に本質を掴み、必要に応じてフィードバックしてくれます。それを妨げているのも、思考である場合が大半ですから・・・。

2020年4月24日 (金)

ありふれた日常にこそ感謝する

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いま、新型コロナウイルスで世界中の人々を不安に戸惑わされています。
連日の報道で、大人も、子供もストレスで大変ですとマスコミが取り上げています。だから、ストレス発散のために、外出したいという気持ちもわかります。ちょっとの時間なら…ひとりなら…考えて欲しいものです。それが多くの人の命にかかわることなのです。

人間社会の過去の歴史的に見ても、私たちは多くの人に助けられ、沢山のものに生かされてきています。ときに誰かを傷つけ、気づかぬうちに迷惑をかけてしまうこともあったでしょう。

こういうときほど、「困ったときはお互い様」の気持ちを強く持つことです。
人はひとりでは生きられない弱い生き物です。だからこそ、助け合い寄り添いながら生きてきました。大切なのは感謝の心を失わないこと。「ありがとう」という気持ちを忘れないことです。

人はひとりで生きているのではない
人は自分だけに力で生きているのではないのです。自分の弱さを認めること。驕ることなく、謙虚さを持つこと。今があるのが当然ではなく、多くの人たちのおかげです。沢山のものに自分が生かされていることに気づき、自覚することです。

ありふれた日常にこそ感謝する
私たちは変わらない毎日があることを「当たり前」だと思って過ごしています。人が生きるということ、平和が日々があるということです。当たり前になりすぎて、そこにある幸せに気がつかない…何か特別なことがないかぎり、どんなときでも、感謝の心を忘れないことです。そして、何でもない「今」という瞬間に感謝することです。

2020年4月23日 (木)

今住んでいるところを好きになる

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人には十人十色の考えがあります。
現代人は、理念や思想に振り回されすぎています。肝心なのは、自分の生き様であり、自分の思いです。自分本来の想いを素直に吐露できないから辛く苦しいのです。
理論や理想で飯は食えなません。人間は、先ず生きていかなければならなりません。生きていくためには、時には、妥協せざるを得ない時もあります。

今住んでいる地域を好きになること
自分が住み、自分を育んでくれる地域社会・環境に、感謝する心を持つということが大切です。人に恵みをもたらすのは地域の大地(自然環境)です。人が自分の理ばかりにこだわって自分を生かしてくれている天や地に感謝する心を失うことは、人間の傲慢さです。

自分を生かしている、家族を育て守っている大地、土地に感謝することです。その感謝する気持ちがないから、傲慢になり、愛する気持ちがないから、土地を汚すのです。

「自分さえよければ」の自己中心主義は、人間社会を破滅することになることです。「思いやりある人間教育」を考えさせあられる問題と思っています。

2020年4月22日 (水)

足腰を鍛える

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年を取ると、下半身から衰える
運動器である足腰の動きがおとろえたら、それがロコモティブシンドローム(運動器症候群)、略称ロコモです。
ロコモの原因としては、大きく二つに分けられます。
一つは運動器自体の疾患である変形性関節症、脊柱管狭窄症、骨粗鬆症などであり、ロコモの3大疾患と言われるものです。もう一つは、年を取ること自体によって自然におこる、筋力やバランス感覚の低下等による運動器機能不全、廃用性萎縮の原因(サルコペニア)と言えます。

中高年以降になって歩けなくなると、介護が必要になり、もし立ち上がれなくなったら寝たきりになりかねません。元気で立ち上がり、歩けることは、自分のため、家族のため、そして社会のためにも大切です。

健康寿命を延ばす意識を
日本人の平成30年簡易生命表の概況」によると、平均寿命は男性81.25年女性87.32年となっています。健康寿命の平均は男性が約70歳、女性は約74歳と言われています。平均寿命と健康寿命には約10年間の開きがあり、この間は自立した生活ができない状態にあると言われています。

散歩にも工夫し足腰を鍛える
私が心がけていることですが、普通の速度で歩く、早足で歩く、坂道を歩く、歩幅を広げて歩くなど意識して歩くことです。時間は一時間ぐらいがいいと思います。そして、季節移り変わりを楽しむ心に余裕を持って、毎日欠かさず行なうことです。そして人に出会ったら、挨拶をすることです。

2020年4月21日 (火)

毎日を丁寧に生きる

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丁寧に生きるとは・・・ひとつひとつの物事に丁寧に取り組んで生きるということです。
誠実に生きるということでもありますが、誠実さは意識する姿勢であって、丁寧は必ずしも意識はともなわない習い性ともいえるようなスタイルも含んでいます。日々のちょっとした活動、時間に意識を向けるということ。そして、その行為、時間を五感で楽しむということです。

自分で納得する
自己満足に過ぎない、自己満足で終わる、など、「自己満足」という言葉は良い意味で使われることが少ないものです。でも、自分で自分を満足させることというのはとても素晴らしいことだと思います。仮に自分が満足できないのに、他人からどんなに評価されても納得できません。自分のしたことを誰よりもまず自分がしっかりと認めることです。

当たり前のことを当たり前にする
挨拶をする…勉強する…運動する…約束を守る…整理整頓をする…偏りのないごはんを食べる…適切な睡眠をとるといったことを毎日するということです。こうしたことは一つ一つの行為としては決して難しくはありませんが、全部を毎日やっていくことは到底難しかったりします。

2020年4月20日 (月)

人生100年時代をどう生きる

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いま、世間では人生100年時代と言われてます。
高齢者は「どう生きるかが問われる時代でもあると思います。単純に言えば、周囲に惑わされず、しっかりした「自分を持つ」ということでしょう。そのための努力を惜しまず「100年といえども、一日一日の積み重ね」今日一日を、自分の納得するように生きる・・・という決意が大切なのではないでしょうか。

人間社会とのつながりを大切に
人は一人では生きていけません。多くの人と関わりあって生きられるのです。人を大切にし絆を強く結ぶために、そして周り人とうまく付き合うために・・・「自分の前に現れる人は、みんな自分を人間的に高めてくれる存在」と認識することです。そして、自分の出来ないところを補ってくれる大切な存在であり、自分を支えてくれるかけがえのない人であり、自分の至らない部分を教えてくれるのです。

今を精一杯生きる
今を精一杯生きるということが未来につながっているのです。そして、「真実はひとつ」ということ。人をねたんだり、うらやんだり、嘘をつかないことが大切です。思うように物事がすすまないのは、「周りの人や他人が悪いのではありません。全て自分が招いた現象です。」

「感情に振り回されるのではなく、冷静に相手の本当に言いたいこと、伝えたいこと、話の本質」を見つけ出すことが重要です。自分が真の自分に気付き、行動したとき「周りの人たちは自分の味方になってくれる存在」となるのです。

その時に生活環境を変えることなく安心して住みなれた家で地域で暮らしていけるようにしようではありませんか。地域の方も巻き込んだ中に包括的に地域の中にどう生きていくかを考え「新しい福祉を創造」していくことです。

2020年4月19日 (日)

ひたむきな努力

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世の中には「これが正解」と言えることよりも、正解が見えないことの方がはるかに多いです。「これしかない」と思えることであっても、探求は生きている限り続き、広くて深いものです。

人の気持ちを汲み取ったり、自分をわかってもらおうとすること、あるいは異なった考え方がぶつかった時、どう納得し合うかなどの、人間社会の営みは難しいのものです。

本当に大事なことは、経験しないとなかなか身につかないものです。失敗し、痛い目にも遭いながら、私たちは少しずつ知恵を深くしていくのです。人間の知恵というものが人間の社会を豊かにし、幸せをもたらすと同時に、苦しみや不幸をも、もたらすことが多い…いわば「両刃の剣」であるのです。

でも、不幸が高じて苦しい状況になったとしても希望は捨てないことです。人間が希望を抱くというのは「不幸や苦しみを乗り越えうる『知恵の力』を信じる」ということではないでしょうか。

 誰しも明るい社会を願うわけですが、いつの時代においても、不安と苦悩にさいなまれる現実があり、また先行きの不確かであるのが人生であります。何でそこまで・・・と普通の人は思うことも、私は、逆境に屈せず…自分の信念を貫き通す…
黙々と「ひたむきに」に自分の道を突き進む人でありたい。

花の心を想う

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人が、あまり行かないところの山奥などで、咲いている花に出会うと、可憐な輝きをおびて、心に安らぎを与えてくれます。外連味・・・ケレンミ(はったりを利かせたり、ごまかしたりするようなところ)なく、清々しく思えます。

「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」
花は年ごとに変わることなく咲くが、人の境遇は年ごとに変化していく…自然が変わらないのに対して、人の世ははかなく移りやすいことのたとえです。中国の唐代の詩です。毎年同じように咲くが、時の流れは残酷です。自然の悠久さと、人の命のはかなさを対比させた詩となっています。

ここには、必ず死を迎えなければならない人間の悲しい現実が込められています。・・・形あるものは何時か壊れる…命あるものは何時か滅びる・・・という、仏教でいうところの諸行無常をあらわし、いつかは尽きる命だからこそ、今この瞬間を大切に生きていくことを説いているのです。

2020年4月18日 (土)

生き様について

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植木市の石楠花

今の世の中『私って幸せ!』と笑顔満点で言える人って、日本中にどれだけの人がいるのでしょうか? 

「自分の幸せ」とは、他人と比べたり、また自分が感じる凄い人と比べて決めることではなく、自分が本当に心で感じる自分だけの人生の中で思う「しあわせ」のことです。

例えば容姿がきれいである、お金持ち、環境の差、ずば抜けた才能がある…そういった事をどこかの誰かと自分を比較して「自分は幸せではないのかも」と思うことは少し違っています。

自分の幸せとはもっと大切な部分、あなたが何をしている時に幸せなのか、なりたい自分をイメージしてそこに向かって前向きに頑張れているかどうか?そしてそんな自分を「好き」であるかどうかではないでしょうか。

あなたの「生き様」が誰かを助ける
恵まれない環境下で生き抜くのは大変です。そんな中であっても、必死で生き抜こうとする姿勢は、同じような境遇にいる人にとって、大きな励みになります。 成功したかどうかは関係ありません。“今”生き抜こうとしているその様が、人を励まし、勇気と希望を与え、誰かを助けるのです。

2020年4月17日 (金)

小さな幸せを見つけること

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「小さな幸せ」を見つけると、心穏やかになります。
幸せは向こうからやってくるものではありません。ましてや人から与えられるものでもなく、幸せは自分で見つけるもの、感じ取るものです。誰にでも身のまわりには、すでに「小さな幸せ」で満ち溢れています。それに気付けるようになることが、幸せになる近道なのです。

誰もが忙しく、ストレスの多い時代に生きる私たちです。幸せになりたいのに思い通りにならず、何をやってもうまくいかないことも、時にはあります。自分は不幸だという考えにとらわれていると、すぐそばにある「小さな幸せ」にも気づけず、どんどん深みにはまっていってしまいます。

「ないものよりあるもの」
目の前にあるものを当たり前と思い、ないものばかりを考えていないでしょうか。他人が持っているものを羨み、自分にないことを嘆いても、何も得るものはありません。それよりも、自分が与えられているもの、恵まれていることに目を向けることです。

家族や友人、住む場所や着るもの、毎日健康にすごせることなど。目の前にあるものを当たり前と思い、家族や友人、住む場所や着るもの、毎日健康にすごせることなどを、もう一度思い出してみることです。

2020年4月16日 (木)

季節は移り変わっています

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  南の大橋の上から

今世界中で、新型・コロナウイルスで、大騒ぎですが、季節はシッカリ移り変わっています。不安は増すばかりですが、早く収まりを願うばかりです。

 

散歩しながら一句

「雨上がり 日当たる木々に 緑増す」


「遠くより 重ね合いつつ 春の雲」


「城跡森 すべての木々は 目ざめけり」  


「風やさし 山里くまなく 春を呼ぶ」


「春空に ツバメ鳴く声 聞こえけり」

2020年4月15日 (水)

「思いやり」について

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「思いやり」って人間関係を築いていく上でとっても大切なものです。
最近、「自分さえよければ・・・の自己中心の人が、多くなったように思います。思いやりは、もともと持ち合わせている性格だけではなく、日々の生活の中でも育むことができるものです。

本当の「思いやり」と思いやりとは?
「思いやり」の意味は、「他人の心情や状況を心配すること」です。相手の立場になって、心を配る気持ちを「思いやり」といいます。また、相手の感情に寄り添い、相手の為にできることをする...それが「思いやり」です。

感謝の気持ちをいつも持つ
思いやりの心を育てるには、感謝の気持ちをいつも持つことが大切です。いつでも「お陰様で」という精神を忘れずに、どんな些細なことでもしっかりと感謝の気持ちをもち、そして「ありがとう」ときちんと言葉にして伝えることです。

 

2020年4月14日 (火)

生きること・死ぬこと

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道了堂参道

『死生観』とは、「生きることと死ぬこと」に対する考え方、または判断や行動の基盤となる生死に関する考えのことです。

死について考えることを前向きに捉え、「今をいかに生きるか」に目を向けることは、人生の最期を豊かなものにするきっかけになると思います。

人生の最後を考えるにあたっては、「やり残したこと」「やっておきたいこと」について考え実行する・・・しかし、今の生活に満足している方ならすぐに「あれがやりたい」とは思いつかないかもしれません。

死生観を持って生きるということは、人生において大事なことだと思います。 「生きている実感が感じられるようになる」 ・「すべてが当たり前ではないことに気づき感謝の心が湧く」・「死を考えることによって、人生により充実感を味わうことができる」のです。

死を前にしたとき、多くは価値観を手放すことができます。
そして金があっても、物があっても、地位も名声も、もはや何の意味もないのです。 また生きているということは当たり前のように感じているが、「死」を通して「生」を見てこそ、今生きていることに感謝することができるのです。

 

2020年4月13日 (月)

地域の環境美化について

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一般的に環境美化というと、ごみを拾うこと、家の周りを掃除すること、さらにはごみの削減、不法投棄の防止などが思い浮かぶことと思います。

環境美化活動は、美しいまちを将来の世代へ引き継ぐための取り組みであり、広い意味では、地球の温暖化防止や自然環境の保護等にもつながる身近で幅広い取り組みといえます。また、美しい環境を保つことは、一人だけでは難しいものです。

一人で清掃を行ったとしても、周りの人がまたごみを捨てたというのでは意味がありません。市内の道沿い(都道・国道)に、地域外の人によるポイ捨て等によって、地域内での注意だけでは解決できないマナーの悪さも課題になっています。

何よりも大切なのは、「地域に住む一人ひとりが関心を持つこと」だと私は思います。そして、地域の環境に対して関心を持って行動することが重要です。

環境美化活動は、美しいまちを将来の世代へ引き継ぐための取り組みです。個人のモラルの問題が大きく関わるため、きれいにするための活動だけでなく、個人の意識や環境への関心を高めることも重要です。

環境美化への啓発
少数ではありますが、自分さえよければいい、市に税金を払っているからいいなど、地域の環境美化へ無関心な人もいます。
地域でごみ出しのルールが守れない人などへ、注意をしていく地道な取り組みです。直接注意することが難しい場合は、回覧等で注意を促すなどして、少しずつ意識を変えていく工夫が必要です。

2020年4月12日 (日)

「今」を一生懸命生きる

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年をとると身体の機能が衰える
普段あまり意識することのない年齢による変化ですが、疲労がたまったり、大きなイベント(出来事)があると「私も年かなぁー」などと実感することがあります。

パーソナリティ的側面の変化
パーソナリティとは、その人の価値観や生活態度、行動の特性を示すものです。これは個人の生き方や人生観と関係が深いといわれています。

年をとると・・・頑固になる・・・わがままになる・・・などといわれていますが、個人の特性やによるものが多く、加齢現象とは言えないのではないでしょうか。つまり、加齢によるパーソナリティの変化はないと言えます。心を支えているのは肉体で、心の健康のためにも、身体的な健康が大切であると言えます。

「今」を一生懸命に生きる
今を生きるには、やるべきたくさんの課題あります。瞬間、瞬間に対処していれば、先々のことなどを考えている暇はない。「今日」がとても充実している人は、身体が老いるスピードも落ちるということです。

誰でも過去にとらわれたり、未来の不安に駆られることがありますが、「この年になると先が見えてきて心細くていけません。体は動かないし、物おぼえは悪くなるし」・・・我ながら嫌になってしまいます。

しかし、昔は物おぼえが良かったとか、こんなはずじゃなかったとどんなに言ってみても、昔に帰れるはずもなく、物おぼえが良くなるはずもありません。

「今」でしか出来ないことがある
言ったってどうにもならない愚痴は、言わぬことです。後ろを向いている目を前に向きかえ、私の残った人生の内では、今が一番若い、一時間たったら一時間年をとる・・・明日になったらそれだけ身心が老化する・・・ですから、「今」がんばることだと思います。今でしか出来ないことがあると思います。時間は待ってくれないのです。

2020年4月11日 (土)

不安を受け入れる

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今回の新型コロナウイルスで世界中の人が、不安になっていることでしょう。生きている以上、生きることに、全く不安の人はいません。誰しもの不安はつきものです。

受け止め方は「まあ、仕方がないか」・「今は、こうするしかないか」と思って、その中で、不安を追いやるのではなく、不安を受け容れる生き方をすることです。

不安と共に生きていくこころを創り上げる。不安と共に?そんなの嫌だ、と多くの人は思うことでしょう。しかし、不安のない人生などないのです。次々と不安は立ち現れてきます。

今回のコロナの件はあまりに問題が深刻で、人類はこれまで経験しなかった危機に直面しています。しかし、不安におののいてばかりいるわけにもいきません。

自分が感染源であるかも知れない。自分が他者を感染させるかも知れない。そうした思いをもって自重した行動をとることが今は大事です。不安の中にあって、適切な思考をはたらかせ、適切な行動をとる。「考える力」が問われています。

治療薬やワクチンが開発されてもそれで危機が去るわけではありません。地震をはじめとする自然災害や感染症は突如としてやってきます。私たちが生きている世界は危機と隣り合わせなのです。

当たり前の日常というのがどれほど尊いものか。不安に満ちた危機はものの見方を変える好機となるのです。新たな価値観も生まれてくるのです。前向きに生きていくためには不安は生きる力ともなり、エネルギー源ともなるのです。

2020年4月10日 (金)

品格ある生き方

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どんなに立派で美しい虎の皮に身を包んでいたとしても、その内側に、肝心の魂が入っていないのでは意味がありません。人の価値は中身、すなわち心が一番大切なのです。 

自らの至福や欲望ばかりを優先させて、周囲への感謝や気配りの行き届かない人に、品格のある生き方ができるとはいえません。お金の使い方ひとつにしても、まずは「有意義」ということを考えてみるべきではないでしょうか。

年齢を重ねて、周囲から尊敬されるかどうかは、社会的な地位や財産の有無などではなく、人生を歩いた中で得てきた「付加価値」に因るところが大きいと思います。「付加価値」とは、目に見えないものだけに説明が難しく、しかも短時間で得られるようなものではありません。

たとえば、内からにじみ出る「さわやかさ」「つややかさ」「センスのよさ」など、その人が苦労したり、遊んだり、失敗したりして生きてきた経験の積み重ねが、人間的魅力として光り輝いてくるのです。

自分のいまある命はご先祖のおかげで、良きにつけ悪しきにつけ生かされているということを、認識すべきです。そして、感謝の心を持つことです。

そんな中で、自分には何ができるのかを考え、挑戦する人生を進んでいくことが大切と思います。それこそが、ご先祖や家族、周りの人々、そしてなにより、自分自身に対して有意義な人生を過ごせる秘訣ではないでしょうか。

2020年4月 9日 (木)

生きていられること

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「生きているだけで幸せ」
どのような悪い状況に陥っても、冷静さを失われなけらば、よほどのことがない限り、命までは取られません。「生きてさえいればなんとかなる・・・」と開き直る図太さも、人生をポジティブに生きるためには必要です。

お金がなくても、病気にかかっても、孤独でも、生きていれば再び良いことが巡って来る可能性が残っています。「人生が終わってしまえばやり直すこともできず、悩むことすらできない」と考えれば、生きているだけで幸せなんだと思えるでしょう。

人間にとって「命」以上の宝物はありません。命が無ければ徳を積むこともできません、いくらお金があっても、命が無ければ何の価値もありません。

生きていられることに感謝
感謝の心が生まれてくれば、自然と幸せが感じられるようになってきます。生かされていることに感謝し、幸せを感じる心によって、人生を豊かで潤いのあるものに変えていくことができるのです。

今、新型コロナウイルスなどで、不安・不平は募るばかりですが、いたずらに不平不満を持って生きるのではなく、今あることに素直に感謝する・・・その感謝の心を「ありがとう」という言葉や笑顔で周囲の人たちに伝える・・・そのことが、自分だけでなく、周りの人たちの心も和ませ、幸せな気持ちにしてくれると思います。

2020年4月 8日 (水)

スーパームーンで想う

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「スーパームーン」は比較的最近になって占星術から生まれた言葉のようですが、天文学ではこの状態をなんと呼ぶのかというと・・・これといって特別な呼び名はなさそうです。天文学的には「スーパームーン」の状態も、普段の月と変わることのないただの満月、ただの新月なのです。

今年一番地球に近い満月」
2020年4月8日11時35分(日本時間)、日本では昼間なのでこの瞬間を見ることはできませんが、月は満月を迎えます。その8時間半ほど前の4月8日3時9分に、月は今年2020年で最も地球に近づきます。いわゆるスーパームーンと言えます。

「物理の法則」
宇宙、つまりこの世で起こってる全ての現象は極めて物理的な法則によって成り立っていて、ああすればこうなる、こうすればああなるという法則が存在します。そこに誰の意思もなければ、誰の意思を持ってしてもこの法則は変わらないのです。

人間関係でも宇宙の出来事と同じで、ある所で星の大爆発が起こっても、他の所では何事もなかったかのように平然としてられますし、同じ様に人間社会で何か騒ぎ立てた所で、全ては一過性のものに終わってしまうのです。

新型コロナウイルスの感染拡大により、日本でも緊急事態宣言が発出されることになりました。先が見えず不安な日々が続いていますが、地球の歴史をみても、数千万人の命を奪った「スペインかぜ」があります。現在の新型コロナウイルスは、スペインかぜが参考になると思います。

2020年4月 7日 (火)

地域のコミュニティづくりのこと

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南の大橋の上から

共助精神や連帯感の希薄化は、主に核家族化や少子高齢化の進展と戦後の個人主義・自由主義の恩恵の浸透により、町内住民間のコミュニケーションや良い意味での「おせっかい」が極端に減少していったためと思います。

例えば、町内における不審者のチェック、さらには子供たちに対する非行防止、高齢者や目上の人たちに対する礼儀、あるいは躾といった従来より地域のコミュニティが担っていた重要な役割が果たされなくなったことが大きな要因であると思います。
また昔あった、コミュニケーションや“おせっかい”の減少は、同時にコミュニティにおける共助も減退させており、子育ての不安を相談できる相手もなく幼児虐待が起きたり、独居老人の死が何ヶ月も分らなかったりという事例も見られるようになってきています。

もとより、核家族化や少子高齢化そして価値観の多様化は、元には戻せない現実であることから、昔の隣組のようなコミュニティに戻すことは無理です。
しかし、少なくともお互いに助け合い支えあうことによって安心で安全な地域社会に再生していくためには、住民や事業者相互のコミュニケーションや良い意味での、現代において必要と思われる、住民同士の関わり方など新たなコミュニティ文化の再構築が必要と考えられます。

「遠い親戚より近くの他人」
地震・台風などの自然災害はいつ起こるか分かりません、「災害に遭って“辛い”思いをする」ことになるのです。ですから普段より「自助・共助・公助」の精神が大事と思います。◎となり近所・町で出会ったら、挨拶をすること。◎町の主催するイベントに参加することです。

2020年4月 6日 (月)

新型コロナウイルスのこと

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今、「新型コロナウイルス」は、世界中の人々を不安にしています。
国内で新型コロナウイルスの感染が拡大しています。海外の感染者も増え続け、世界保健機関(WHO)は世界的な大流行を意味する「パンデミック」を表明しました。

人類は与えられた知恵を駆使して、科学技術、中でも医学を発達させてきました。しかし今、世界中の人々がウイルスの脅威におびえ、感染防止と一日も早い終息に向けて悪戦苦闘しています。
人との交流や集まりが制限されていることで、私たち自身も含め多くの人々がストレスを抱え、仕事や日常生活に多大な悪影響を及ぼしています。

感謝の気持ちを忘れないこと
今この瞬間も、感染者の命を救おうと、感染を食い止めようと、必死に頑張ってくれている医療従事者がたくさんいます。外に出にくい人々のために、食べ物や生活必需品を配送してくれている人たちもたくさんいます。
ほかにも、私たちには見えないところで、知り得ない方法でこの状況の悪化を何とか食い止めようと、命をかけて尽力してくれている方々もたくさんいます。本当にありがたいことだと思います。

大事なことは考え続けること
どうしても気が散ってしまう状況かもしれませんが、「今はコロナで大変だから、それどころじゃない!」という魔のささやきに負けずに、大事なことは大事なこととして考え続けることです。

気候変動も、海洋プラスチック汚染も、コロナウイルスの間「休戦」してくれるわけではありません。逆に、コロナウイルスのために、状況がさらに悪化していくものもあります。

2020年4月 5日 (日)

本当の優しさとは

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やさしさとは、ときによっては冷たく、冷酷なものでもあるのです。 
やさしさは、苦労を知らない人、本当に悩んだことのない人。人の心を理解できない人とは無縁のものなのです。

優しさとは、その時々に相手が望んでいることをしてあげること。それが「優しさ」になります。人生の修羅場を数多く経験していない人は、やさしくはなれないと思います。

人生の苦しみを知っていればこそ相手の気持ちが分かり、分かるからこそ相手の立場に立って考えることもできるのです。

表面だけの優しさは、優しいフリをしているだけにすぎません。いわば、偽善です。

人間関係のほとんどが、この優しいフリをしたコミュニケーションの上に成り立っています。これはこれで、社会性を重んじる人間にとって大切な知恵でもあるので必要なことです。それは、やさしさでもなく、思いやりでもない・・・と思います。 

2020年4月 4日 (土)

思いやりの心

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「思いやりの心を持つ」
思いやりは、「利他の心」とも言い換えられます。つまり、自分の利益だけを考えるのではなく、自己犠牲を払ってでも相手に尽くそうという、美しい心のことです。

他者の幸せを大切にすればするほど、私たち自身の幸せへの意識が深まっていきます。他者に対するあたたかい心と親近感が深まれば、自然に自分の心も安らいでくるのです。

どんなに恐れや不安を抱いていても、この気持ちがそれらを取り除く手助けとなり、障害に直面したとしても、それに打ち勝つ力を与えてくれます。これが人生における究極的な成功の源です。

「情けは人のためならず」というように、思いやりは巡り巡って自分に返ってきます。相手を大切にし、思いやる「利他」の行為は、自分たちが損をするように見えても、長いスパンで見れば、必ずすばらしい成果をもたらしてくれるのです。

今大事なことは、自分がどのような思考をして、どのような行動をしているのかを知ることが大事であり、自分の事を優先した思考をしていないかチェックすることです。

もし、自分を優先した思考をしていたのなら、まずは相手のことを優先して考えることです。「相手はどうして欲しいのか?」「相手はどうしたら喜んでくれるのか?」を考え、実際の行動に移すことです。

 

2020年4月 3日 (金)

不足はあっても今は幸せ

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「不足」ではなく「満たされていること」を考えること・・・「幸せ」に思えます。
実際に不足していることがあっても、あえてそちらには目を向けない・・・見ようと思っても見ないようにすることです。

では、どこを見るのかというと・・・
満たされていることを見るのです。「友人がいる」・「家がある」・「家族がいる」・「健康である」・「五体満足だ」・「まだまだ時間はある」・「今日がダメなら、明日がある」・・・すでに手にしている幸せを考えるとき、元気が出てきます。

現実をプラスへ受け止めようとすることです。落ち込みやすい人は、今すでに手にしている幸せに目を向けません。不足ばかりを見ようとしていまいます。
そこがいけないのです。本当は、満たされていることを見ないといけない。普段当たり前だと思っていることを「ありがたい」という言葉で感謝に気づくことが大切なのです。

私は今、生きていられることの感謝しながら「地域の清掃活動」続けています。そして、奉仕活動することで、幸せ感を味あっています。

2020年4月 2日 (木)

人生の目的・魂を磨く

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絹の道

「因果応報」
「善いのも悪いのも、自分が受ける結果のすべては、自分が作る」という「因果応報」と言う言葉です。
後で自分が困るようなことを自分自身でしてしまうことです。悪い種をまいたら自分で刈り取らなければならないように、世の中の仕組はなっていると思います。

しかし、中には自分は何も悪いことをしていないのに、どうしてこんなにつらいことが起きるのだろうか、と思う人もいるでしょう。そのつらいことが神様から与えられる試練、修行なのです。

自分に与えられた試練だから、自分が乗り切れない苦労はないのです。投げやりにならない限り、必ず乗り切ることができるのです。そして一つの苦難の山を乗り切ることができた時、自分の魂は一段階成長していくのです。

多くの苦難を乗り越えた人は、多少の苦労や問題事が起きても、動揺しません。黙々と乗り越えていきます。強い精神力がきたえられているので、つらいなーと思うことがあっても、それを一つ乗り越えてしまうと、同じようなつらいことが再び起った時、今度はさほどつらく感じなくなってくるのです。それが魂の成長です。

私たちは、そうしたことは頭の中で分かっています。しかし、現実に又新たな試練に出会うと、迷い、苦しんでしまいます。まだまだ魂の修行が足りないのです。

人生の目的・・・稲盛和夫氏
「人生において、自分自身の魂を磨き、美しい心、美しい魂を作り上げていくことが、人生の目的ではないかと思うのです。 心を磨くとは、魂を磨
ことです。 言葉を換えれば、人格を高めるということです。 人間性を豊かにし、美しい人間性をつくっていくということです。」

2020年4月 1日 (水)

春の雨

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今日は天気予報どおり、朝から小雨でした。
傘を広げなくても大丈夫?のような時間もあったりしましたが、でも、雨傘は、手離されない一日でした。散歩しながら、俳句をつくって見ました。

「春の雨  かすみの中に 高尾山」

「ひろげたり 傘をつぼめて 春の雨」

「見えぬ富士 御殿峠や  春の雨」

「春の雨  カタクリ橋や   君を待つ」

「柔らかく  山を包みて  春の雨」

桜の花を見て想う

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花は人に見せるために咲くのではない。
山河大地は全てありのまま、あるがままの姿を見せている、山川草木、ことごとくつつみかくさずその姿を露わにしている、桜の花は大地自然そのものです、大地自然が桜の花を咲かせている。また桜の花が大地自然を咲かせているともいえるでしょう。

人の命は桜の花の如く儚い、人は、この生の始まりも、終わりも、誰もそれを知る人はいない。生きるとは「生まれる」ことでもなく、「人生」でもない、今、現に生きている、この事実です。桜は今を咲いているから美しい、どの桜もこだわりなく咲く花は、大自然の恵みを得て咲いています。

人間も、大自然の恵み受け生かされている
太陽の恵みを受けた穀物を食べ、海で育まれた魚を食べる。昔に生きた生物の化石を石炭や石油エネルギーとして使う。人類は太陽と地球に育てられてきたのです。

そう思うと、太陽と地球に、そしてあらゆる生命に畏敬の念を覚えずにはいられません。と同時に、深く反省もするのです。私たちは、あたかも地球が人類だけのものであるかのように、高慢に考えてはいなかったか? 地球がずっと変わらずに人類を守ってくれるものだと、甘く考えていなかったか、と・・・。

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