桜は咲いて兄は逝く
令和二年三月十九日 兄は静かに逝った。東京では桜が咲き始めたこの時期に・・・八十八歳でした。
三月二十五日・・・兄の葬儀は親族のみで慎ましやかに行われました。生前と同じ笑顔を浮かべる兄の遺影を見て、奇妙に胸が痛むのと同時に、艱難辛苦を乗り越えた、穏やかな笑顔に思えました。
療養中の兄でしたが・・・親鸞聖人の「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌を連想させられます。「明日があると思い込んでいる気持ちは、いつ散るかもしれない儚い桜のようです。夜に嵐が吹こうものならもう見ることはできません。」
『今生きている命を「如何に生きるか」』
ということではないでしょうか。自分自身が積み重ねてきた過去の経験(苦しみや楽しみ)を現在に生かし、そして未来につなげていくことができるのは、自分一人の力ではありません。いろいろな人に支えられているからこそ実現できるのです。
そのことに気付き、そして感謝の気持ちを持って日々充実した生活を過ごさせていただくことが私たちの使命なのではないでしょうか。
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