日常が修行
我執(がしゅう)とは・・・自分中心の考えにとらわれて、それから離れられないことです。人は我執の凝り固まりですから、苦行により我執から逃れようとしても、我執からはなれられない。
なぜならば、苦行に執着すればするほど、限りなく欲望は消えることがないからです。金銭欲や名誉欲から離れられたとしても、食欲や、睡眠欲は人間の生理的欲求ですから逃れられません。
悩み苦しみなく生きられれば、それはとても楽で快適です。ところが人間とは弱いものです、我執という甘い欲望についつい心動かされてしまい、煩悩の迷路にはまり込み、苦しみや悩みの泥沼に落ち込んでしまうのです。
我執から少しでも離れたい
生きている限り、尽きない欲望の我執を離れることができません。自らを大きくしないようにと心がける・・・今、を如何に生きるべきかを考えて生きなければと思います。それが、日常生活がそのままで修行です。
食べること、寝ること、庭掃除、町や公園などのゴミ拾いも修行です。この日常生活すべてがの時間が、かけがえのない時間であり、その時間を使って生きているこことは、一瞬一瞬がたいせつなのです。
雑用と思って、いい加減に行えば、本当に雑用になってしまいます。何時もかけがいのない時間だと思って真剣に、真面目に行えば、自分を磨き上げる大切な修行になるのです。
日常生活の平凡な行いを雑用と捉えず、自分磨きの大切な修行と捉えたいものです。
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