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2020年1月29日 (水)

無心の心

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無心の心とは・・・本心と同じ意味のもので、何かに偏ったり固まったりすることなく、あれこれと考えたり判断に迷ったりすることのない状態、体のすべて隅々まで心が行き渡っている状態のことを無心と言います。

私は、ゴミを拾っていて、「アツ、今私は、今まで何をしているのだろう・・・そうかゴミを拾っていたんだ」・・・気付かされることがあります。

日ごろから、ゴミ拾いは修行の一つであると思っていましたが、ゴミ拾いを出来ることが、有り難いことです。理由・は、身体が丈夫であり、私的環境がよいからだと思っています。

「意味を考えず、ただ、その事柄にあたる」

「毎日ゴミ拾いをして、何の意味があるんだ」・・・「こんな天気の悪い日に町内を歩き回るなんて、!」・・・などと愚痴を言ってはいけない・・・心に思ってもいけないと、言うことです。

このように、「意味がない」とか、「イヤだ」「面倒だ」「やってられない」といった気持ちが、一切心に浮かんでこないような状態が、「無心になる」ということです。

「目の前の事柄を行うことの意味を一切考えずに、ただ、その事柄にあたる」ということが本当に大切なのだと思います。事柄にあたる前に、先にその意味や効率を考えすぎると、この無心にはなれないでしょう。

まずは、ただ、行ってみることで無心になれ、その過程の中で浮かんでくるアイディアこそが、最も高い効率や質を生み出すのではないでしょうか・・・

何かに熱中すると、いつの間にか我を忘れて打ち込んでいることは誰でも経験することですが私は、そこに「生きがい」すら覚えます。

いずれにせよ、「無心でゴミ拾い」できることは幸せなことです。

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