時代遅れ
世の移り変りは早いものです。
日本人の「もののあはれ(しみじみとした深い感情)」の感覚は、多く仏教的な無常観と関係があります。
本当はゆったりと、ぼーっとしていたいのに、世の中は宇宙ロケットのような早さで飛んでいき・・・そのままでいて欲しいものに限って、無情にも変化してしまう事を悲しむ事が、詩の題になったのでしょう。
恋することだけが生き甲斐のような暮らしをしていた平安朝の貴族、特に女性は、この変化の絶えざる事を特に憂えたようです。
今も昔も、恋は若く美しい女性にこそ似つかわしいものです。それなのに、その若さと美しさは永遠のものではなく、むしろ世の中で最も変わりやすいものの一つなのです。
「はなのいろはうつりにけりないたつらにわかみよにふるなかめせしまに」…小野小町
「世の中は三日見ぬ間の桜かな」
「歳々年々人同じからず」
「歳々年々人同じからず」・・・(辞書に)毎年毎年、人はこの世を去って行くために、顔ぶれが異なる。人の世の無常であることをいう。→年年歳歳花相似たり・・・
時代遅れ?
年をとってしまったからでしょうか、最近特に感じるのです。。。昨日の朝と、雨戸を開けた今朝は、世の中は、大きく変わっている。。。疲れて・・・とてもついてゆけません。
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