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2019年12月28日 (土)

自然体で生きる

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私たちの日常生活での自然体とはと考えると、それは力まず、心穏やかに生きることだと私は思います。とはいえ、頑張らないこと、感情的にならないことが自然体ではありません。

武道にも「静」と「動」があるように、私たちの心にも「静」と「動」のメリハリがあります。それは、ひとたび力を発揮するときには集中できて、感情的になってもすぐに元の穏やかな静の心に戻れることです。それが基本としての「静」である、自然体に戻ることかと思います。ですから自然体という言葉は、生物としての自然な姿を意味するのです。

頑張らない自然体の自分を認められない

私たちはどだい、頑張らないと自分を認められなくなっています。それは何も頑張らない自分に対して、評価してあげれないのです。頑張らずに力を抜いて、自然体で力を抜いて生きることが、まるで悪いことであるかのように無意識に感じているのです。それでは、ただ怠けているだけじゃないかで、無意識に思ってしまうのです。だからこそ、生き急いで、いつまでも走り続けなきゃって必死になるのです。

自然体で生きる意味

自然体で生きるとは柔らかい自分、頑張るとは「頑」を「張る」と書くように、自分の思いを頑なに主張することだと言えます。
それは物事に固執することや、執着することと同じです。こうでなくてはならないという、頑な心を主張するようなものです。ですから、何事につけても簡単にショックを受けます。自分の頑な思いや考えに合わないことに対して、葛藤が起きやすく受け入れられなければ、すぐにショックを受けてしまうのです。
そして心が折れるのです。「頑なな心」は「硬い心」にも通じるので、心が折れる原因にもなります。でも自然体の心なら、何事にも対処できる柔軟性と余裕があるので、心が折れることはありません。

自然体で生きるとは安心すること

自然体で生きるということは、安心して生きるということです。それは心理的な意味で、何の不安もない、心静かな時間を持っているということ。頑張り続けていたり、生き急いでいるとき、私たちの中には常に不安があります。心がざわついて衝動的に動いており、心が不安に捕らわれているのです。
でもその不安は、頑張り続けることでも、生き急ぐことでも解消できません。出来たと思ってもほんの一瞬で、すぐにまた不安に襲われるのです。その結果、ずっと走り続けることになります。

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