老齢期を考える
生きることの難しさ、虚しさが如実に現れるのが、年老いてからです。それは、取りも直さず生きることの意味を改めて考えさせられる時期でもあります。
「老いるということは」
かつては、子供や孫に囲まれ、皆に祝福されながら、穏やかで安らぎに満ちた晩年を過ごすというのは、一つの理想でした。
しかし、現代は、子供達から見放され、誰にも世話にはならないと片意地を張って一人淋しく施設の中で老いていく・・・それが現代人の結論?全ては、金の問題であるようです。心の問題は、どこかに置き忘れられてしまっています。
老齢期は、抑制心が弱まり、その人の本性がむき出しになってきます。そこへ、認知症が追い打ちをかけてきます。上手に歳をとると言うことは、本当に難しいことです。だからこそ、人生の晩年は、最高の修業の場となるのです。
老齢期は、人生における集大成であるべきなのです。
失われていく力や記憶、技術や能力それに逆行しながら人間としての最後の修業、修道の期間こそが老齢期、晩年です。自制心や抑制心が失われ・・・自らの規律が保てなくなってきた時、自らを支えるのは、それまで培ってきた、人間としての自信、誇りやプライドです。
老齢期の人たちには、諸々のハンディキャップを乗り越え最後の修養、修業を行う人達を敬意と尊敬を以て支援・援助することです。
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