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2019年2月

2019年2月28日 (木)

助け合い大切さ

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人は信頼関係をどう築き上げ、自分のコミュニティを形成していくかというのは生きていく上で何よりも大切なことです。

日本は今、物質的な豊かさを享受できている一方、誰とも縁のない人々が増えて、いわゆる無縁社会と呼ばれる状況にあります。

これをなんとかして、お互いが助けあって真に喜べるような社会へと変えていくことが、とても大事なことと思います。

私たちは、人との関わりの中で生活しています。相手の特徴、立場や意見の違いをお互いに認め合うことで、心が通じ合い、信頼が生まれます。

信頼関係が築かれると、互いに助け合い、自分が困ったときにも支えになってくれ、真の友情を育てていくことができます。

子供のときから、助け合いの大事さを・・・

本当の友達とは、困難に出会ったときこそ真価が問われる。困難に直面した際、互いに信頼し、支え合い、苦しみを共に乗り越えられるのが本当の友達です。

小学生の児童は、最も活発に活動し、行動範囲や対人関係も広がり、友達とのトラブルなども増えてきます。

また、まわりの状況を理解し判断する力や内省する心も育ち、自主性の芽生えなども感じられるようになってきます。

このような点からその後の社会生活を支えていく基盤作りのために、心豊かに人とかかわる心情を育成していくことが、とても大切なことです。

2019年2月27日 (水)

価値観の違いを認め合う

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人は考え方も価値観も違います。

最近は価値観の多様化と言われています。「相手だってそう考えるだろう」・「みんなもそう思うに違いない」

私たちはつい、心のどこかで「自分と同じ」を求めてしまいます。知らず知らずに自分の価値観を押し付けてしまっています。

「言わなくてもわかってもらえる」をやめる・・・「話しさえすれば伝わる」ではないこともあるのです。だから、伝え方を変えるだけで思いが通じることもあります。

他人は変えられない。

嫌われないように言いたいことを我慢するのではありません。変えられることに目を向けるのです。他人は変えられない。その場では従ったふりをしても、変わったわけではないのです。

私たちは誰もが自分の人生を選ぶことができます。あなたが自分の生き方を選ぶのと同じように、他人も自らの生き方を選ぶことができます。

決めるの本人の自由です。必要以上に期待しない。それは自分の価値観を押し付けることになります。大切なことは自分の言葉で気持ちをきちんと伝えることです。

 人間関係は勝ち負けではありません。

「自分は間違っていない」と、いつのまにか損得や勝ち負けになってしまいがち・・・他人との関わりを勝ち負けで考えてしまうと、人間関係は息苦しいものになります。

優劣や上下の関係で考えないで、みんな対等の存在です。つまらないこだわりやプライドは捨てることです。そして違いを認め合うことです。

この考えが、争いのない社会になる基本と思います。

2019年2月26日 (火)

人生は平凡が一番

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毎日毎日同じことの繰り返しで退屈?

こう嘆いていませんか?「波乱万丈な人生」や「人とは違う人生」というと格好良く聞こえるかもしれませんが、果たして平凡であることはつまらないことなのでしょうか?

何か特別な事や人とは違った事を成し遂げる人生はとても素晴らしいと思います。ですが、何か大きな成功を収めたり、他の人たちから評価されることだけが人生の目的ではないのではないでしょうか。

毎日が平凡であるということは、平和な証拠です。

「毎日毎日同じことの繰り返しで退屈だなぁ・・・」。こう嘆く人も?「波乱万丈な人生」や「人とは違う人生」というと格好良く聞こえるかもしれませんが、果たして平凡であることはつまらないことなのでしょうか?

平凡(普通)は理想の生き方

日常生活で毎日淡々と同じことを繰り返すのは、ある意味辛い・もの足りない・・・?しかし、何かの時にとっさの自体に慌てて、じたばたしないために、平凡なことに馴染む忍耐力は備蓄のようなものです。

平凡(普通)は安心感でもあるのです。

それを好む好まないも本人の自由です。普通でいることは忍耐力も必要、 普通 でいることが一番難しいことです。 何か特別な事や人とは違った事を成し遂げる人生はとても素晴らしいと思います。

ですが、何か大きな成功を収めたり、他の人たちから評価されることだけが人生の目的ではないのではないでしょうか。毎日が平凡であるということは、人生が平和な証拠です。

住むところがある、食べるものがある、きれいな水が飲める、仕事がある、大切な人がそばにいてくれる・・・平凡な毎日にこそ、幸せのかけらがたくさん詰まっているのではないでしょうか。

2019年2月25日 (月)

物足りなさあってちょうど良い

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「人生はもの足りなさがあってちょうど良い」

私も長く生きてきて、いろんな人に出会い、いろんな人の人生を見たり聞いたりしてきましたが、どういう人の人生が一番幸福だったのか、いくら考えてもわかりません。

「腹八分目に医者いらず」 

というように、健康を保つには、体の元気を使い切ってしまわないことです。ちょっと足りないくらいが、健康で楽しい人生を送るには、大切なことです。

たとえその目標が大きくても小さくても、いいのです。

人生は到達した地位や財産が幸せをくれるのではなく、好きな仕事に挑戦し、日々努力をし、仕事をする、その人生の過程そのものが楽しいのです。

人がどう思うか、また、自分はもう何歳だから、男性だから、女性だから、そんなことはどうでも良いのです。いま目の前の人生を、元気を使い尽さずに、少し余裕を残して、悔いなく楽しく生きること、それが人生を楽しく生きる・・・大事なことと思います。

なにもかもが満足な人生はありえません。豊かになれば人は幸せになれません。考え方次第です。自分の心が決める以外に、方法はないのです。

「この程度で私はちょうどいい」と自分の心が思えることが一番いいと思います。ちょうどいいと思える程度は、百人いたら百人違います。

私はまだ足りなと思う人は、いくらあっても足りません。そういう人はいくら富を手にしても、お金持ちになった甲斐はありません。

これくらいが自分の人生にちょうどよかったかもしれないと、満足することのできる人が、幸せになれるのだろうと思います。

「幸福になれるかは、この程度でちょうどいい、と思えるかどうかにある」……いいことずくめの人はいないのです。

心豊かに生きる

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心豊に生きるとは・・・

① 「自分の軸」となるものを明確にする。

② 正直に生きる。

③ 「当たり前」にこそ感謝する。

◎ ご縁を大切にすること

○ 人生は縁です。ご縁を大切にすることです。

人生の中で出逢う人たちによって、私達の人生は大きく変わることは言うまでもありません。自分の人生をよりよく、より楽しくしてくれる人たちに出逢いたいものです。出逢った人たちを大切にすることです。

○ 感謝の心と、好奇心を持って行動することです。

好奇心とは、自分が興味をもったことに対して、どんな小さなことでも面白いと思える心です。これらの心がないと、人生はつまらない。

これらの心をもって行動し、それによって気づいたことに感動することができれば、それが活力になり、様々な考えやアイデアが浮かんでくることになります。

2019年2月24日 (日)

ごみ拾いをして思うこと

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毎日ゴミ拾いをしています。

ゴミ拾いを通じて思うこと。

① 私の住む町が好きになれる。

② 町がきれいだと、気持ちがいい。

④ ゴミ拾いをすると、運動にもなる。

⑤ 大切にしたい場所に、感じるようになる。

だから自分の住む町で、ゴミ拾いをしているのです。

ごみはごみを呼ぶ?

誰かが捨てていったから、捨ててもいいだろうという?それとも無意識?

人間の心理なのでしょうか?ごみが一つでも落ちていると、ごみが増えていきます。

だから、少なくてもごみ拾いを続けるのです。

周囲がきれいなら、ごみを捨てようとはしない。意識するようになるのです。

運動と町の人とのコミュニケーションもとれます。

自分が住んでいる町をごみ拾いをして、歩くことで運動ににもなり、町行く人にあいさつが、出来て、コミュニケーションにもなります。

自分の住む地域を住みやすくすることは・・・

他の誰にやってもらうことではなく、まずは自分が率先することです。

人任せでは環境は良くならないです。個々の人の意識の問題です。

2019年2月23日 (土)

高齢者の不安

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高齢者が安心して暮すには

高齢化社会を迎える今、私たちに課せられた課題は、高齢者が安心して暮らせるための社会づくりです。

また、家族の在り方が変化してきた今、独居老人の問題も見過ごしてはならない課題の一つであると思います。一人で孤独を抱え、一人で最後のときを迎えるようなことは決してあってはいけません。

そのためにも家族の在り方をもう一度見直すとともに、社会全体で高齢者のみなさんを見守り、支えるシステム(体制作り)が求められるのではないでしょうか。。。

孤立していくことほど辛いことはありません。

気にかけてくれる人がそばにいる・・・それは家族とは限りません。友人であり、隣人であり、この地域にいる人、そばにいる人でいいのです。

暮らしやすさとは、自分を知っている人たち、気にかけてくれる人たちがいる、地域だと思います。 地域社会から孤立し、孤独になりがちな人が気を許せるつながりは、お仕着せでない、さりげなさが重要です。

それには、何かの「ついで」に変わりはないか、確認するといった“さりげない”日常性を活かした人との関わりが、気楽にできる関係づくりも必要ではないかと思っています。

「心の豊かさ」を考える

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今、心の時代と言われています。

今日の日本の社会は、物質的には豊かになりました。それは機械文明の発達のおかげです。ところが、機械文明は、生産性の向上のために合理化が優先され、人の心の問題には、あまり関心を示さなかったのです。

人の心の豊かさ

人の心の豊かさは、合理化によっては培われなません。今を生きる私たちは、多くの生活に常に合理性を持ち出し簡素化しています。そのことによって、私たちの心は栄養を失い、心の豊かさを失っています。

心の豊かさを失うと、社会生活が希薄になります。社会生活が希薄になるということは、お互いの人間関係を失うことになり、バラバラに孤独に生きることを意味します。社会生活をしている私たちは、お互いの連帯と協調性を必要とします。

その必要性が満たされるとき、私たちは生きる希望が湧いてきます。お互いの連帯性・協調性が失われると、人は孤独になります。

孤独な人は、自己中心的になり、他人と仲良く生きていくことが難しいと言われています。孤独な人は、さまざまな問題課題を背負って生きています。

多くの知識を蓄え持っていても、その人の心が栄養失調の状態ですと、せっかくの知識も、よい働きはできません。

私たちの心がその力を発揮し、私たちの行動をコントロールして、各人の持っている特質を社会の人々の幸せのために用いるならば、お互いの絆は強くなり、この社会に生きていることに感謝するようになります。

社会の不幸な出来ごとの根底には、心の栄養が充分であれば、自殺者も減少し、悲しい事故や事件も減少すると思います。

今は、その心が豊かになるためには、どうすれば良いのか、さまざまな模索がされています。そのために、「今は心の時代」と言われるゆえんです。

2019年2月22日 (金)

高齢者に優しい社会

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高齢者に優しい社会を

日本は超高齢化社会に入っています。高齢者の行動にむやみに、苛立つことなく、まずは加齢による影響ではないかと気遣ってみることです。若い人も、誰もが将来は高齢者になるのです。

生きていく上で、避けては通れない老い。

体力・記憶力・・・加齢による衰え方は人によりそれぞれ違います。高齢者本人も周囲の人も、その特徴を知り、対処法を知ることで円滑にコミュニケーションすることができると思います。

相手を思いやる気持ちで、高齢者に優しく・・・

お年寄りの話を聞いてあげることが大切です。特に、独り身で話し相手がおらず、日頃からさみしい思いをしている、お年寄りは意外と多いので、そのようなお年寄りは、何かと話したい気持ちでいっぱいです。

お年寄りの方が話し出したら、無理に話をさえぎらずに最後まで、その話を聞いてげることです。真剣に話を聞いていると、お年寄りの方は嬉しいものです。

高齢になると、どうしても耳が遠くなり、そのため、できる限り話をするときは、簡潔丁寧に、分かりやすく話すことです。話す時もできるだけ、お年寄りのペースでと話すことです。

お年寄りの方を見下したり、考え方を否定するようなことは、「プライドを傷つけることになる」ので、極力否定はしないようにすることです。

話に乗ってあげること

また、お年寄りの方は同じことを、何度も繰り返して話してしまうことが、多々ありますが、「大切な思い出」であるのために、話したくなる気持ちは強いのです。そのような場合でも、無理に指摘せず同じように反応してあげることです。

2019年2月21日 (木)

道徳・倫理に欠く人間

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最近テレビで犯罪のニュースの多さに驚いています。

「道徳・倫理に欠く人間が多い」ということです。 

人間は生まれながらに良い心と、悪い心とを合わせ持っています。 良い心を伸ばすか、悪い心を伸ばすかはその人次第です。

個人の育つ環境と友人と本人の善悪を判断する心、本人の軌道修正をする心と本人の努力で決まります。 育つ環境の中でも一番大きな影響を持つのは、両親の接し方と考え方と生き方です。

森信三先生の「しつけの三大原則」を徹底することが大事と考えます。

① 朝のあいさつをする子に。(それには先ず親の方からさそい水を出すことです。)

② 「ハイ」とはっきり返事のできる子に。(それには母親が、主人に呼ばれたら必ず「ハイ」と返事をすることです。)

③ 席を立ったら必ずイスを入れ、ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に。

そして心豊な人間に・・・

次の時代を担う子どもたちが、未来への夢や目標を抱き、周囲の人たちと協調しつつ自律的に社会生活を送ることができるようになるために、豊かな心の育成は欠くことのできないものです。

豊かな心を育成するためには、よりよく生きていくために必要な道徳的価値と倫理観を自覚し、それらを自分の生き方に反映させられるようにしていく必要があります。

郷土の伝統や、文化を継承してきた人々の思いや、先人の生き方について考えることは、豊かな心を育むことや、それらを生み出した郷土や地域、家族や自分自身に対する誇りをもつことにつながります。

私たちの地域社会の未来を担う子どもたちが自分や家族、そして故郷に、愛着と誇りをもった人となることを願っています。

ルール・マナーを守って!

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私は、ゴミ拾いを続けています。

私はただ、町のに住む人が「気持ちが良く・・・」と思っているだけです。そして自分が、今暮している町が好きだからです。

立派な行為でもなんでもないし、ましてやその立派なことをしている自分を、誰かに認めてほしくて言ってる訳でもないのです。

「ご苦労さん。ありがとうございます。」

と声をかけていただく人がいます。そういう人はゴミは捨てないでしょうが、出来たら勇気を出して拾っていただきたいと思います。

ゴミ拾いをキチンとすると、実はそのゴ拾いとは全然関係のないさまざまな、「人生諸々の悩みや懸案など」どうしようと思っているものが、雲散霧消してきれいになって行くことがよくあります。

環境問題はひとり一人の意識のも問題です。

地球温暖化、異常気象と、海に住む魚にマイクロプラスチックのゴミが胃の中から出て、浜に打ち上げられていた、何十頭の鯨には驚いてしまいました。環境問題は全世界の問題です

町をきれいにすることは、行政ではありません。私たちひとり一人の心がけです。「ゴミのポイ捨てはしない・落ちていたらて拾う」を徹底することです。

タバコの吸い殻は、毎日何百本も拾いますが、捨てる人は常識ある大人です。八王子市は、条例で、全域で路上での歩きたばこ(歩行喫煙)を禁止しています。絶対にルール・マナーを守って欲しいものです。

2019年2月20日 (水)

春近し・・・

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「散歩みち タンポポ咲きし けがれなく」

毎日の散歩している、河川管理通路の端に、枯れ草の中に、よく見るとタンポポの花が咲いていました。  

寒さをじっと耐えてきて、少しづつ暖かさを感じて咲いたのでしょう。けがれのない本当の自然の姿を見た気がしました。

「ひかり増す 綿毛に輝く 木の芽かな」

空に伸びる、枯れ枝の先をよく見ると、綿毛に包まれたこの芽が伸びていました。

春を一番に知らせるアンテナのような気がしました。

「声習らし うぐいすの声 藪の中」

「キョ・・キョ・・」と甲高い鳥の声・・・アッあれはうぐいす!

なにか本番の「ホーホケキョ」の練習中のように・・・聞こえました。

2019年2月19日 (火)

思いやりはとは

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今の世の中、“思いやり”が薄らいてしまっています。

思いやりとは、純真な心・・・そして、自分の利益だけを考えるのではなく、自己犠牲を払ってでも相手に尽くそうという、美しい心のことです。

そして、思いやるゆとりさえなくしてしまっているのです。その上、人と関わり合うことさえ面倒になってしまったように思えます。

親は子の世話をしなくなり、子は、親の面倒を見なくなってしまっています。

それで(その結果)・・・足りなくなったところを教育制度や介護制度、福祉制度に求めるようになっています。会社は、会社の都合だけで社員を雇い。社員にとって会社は、生活費を稼ぐだけの場でしか過ぎなくなってしまています。

国に、国民は、要求だけをして国に尽くす事を忘れてしまています。誰の助けもいらぬと言う社会は・・・社会としての本質的機能、相互互助の精神を失ってしまうと思います。

そうなってしまったら、社会など不必要です。

人と人との関わり合いの中で、社会は形成され、また必要とされるのです。人と人との関わりそのものを否定し、喪失したら、社会なんて無意味なものです。

何が、自分達に必要なのか・・・。何に、依ってとなって立つべきなのか・・・。

以前(昔)の人たちは、もっと単純明快に理解していました。助け合って生きてきたのです。今の時代は、複雑怪奇になりすぎて、自分達が依って立つ基盤をも見失いつつあるのです。

2019年2月18日 (月)

今をどう生きる

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今の時代どう生きる

時代は急速に変化しています。

極端に言えば・・・「昨日の事は今日はもう古い」・・・だから動いて新しい情報をどんどん取りに行かないと、すぐに化石になるということです。

しかし、「人間の本質は時代を経ても変わらない。」という事です。

「温故知新」の考え方が大事です。以前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見い出し自分のものとすることです。

どんなに世の中変わろうと、「原理原則」はある筈です。

いうまでもなく、混濁の世に生きるなかで、人が原理原則を知ること自体は自然なことであり、個人・・・勿論人間社会ぜんたいの健全にとって、なくてはならないと言えます。

問題は、「原則」を新奇なものに飽きたために、関心を向けただけの浅薄な位相(時間とともに周期的に変化する現象)から脱して、本当の原理原則として厳密に捉えるかどうかです。

それこそが、時代の騒音を鎮め、保守思想が尊いとしている「まともな生」に立ち返るために、欠くことができない「いとなみ」の筈です。

すなわち「規範」を、いま一度確認する必要が、私たちの第一歩としてあり得るのではないでしょうか。

2019年2月17日 (日)

ふるさとを大切にし後世に

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私は、太平洋戦争の終戦(1945年)以前から八王子市片倉町に住んでいます。

いわゆる土着者で、農家の生まれです。山があり、田んぼがあり、二つの川(兵衛川・湯殿川)自然豊な村でした地名は(東京都南多摩郡由井村片倉)でした。

ホタル狩り・蝉捕り・山栗拾い・川で泳ぎ、魚を捕って遊んだ思い出があます。童謡の「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川」・・・そのものでした。

いつのまにか消えてしまった光景、厳しくも豊かな自然との共存、皆で助け合っていく生活・・・故郷がもたらしてくれた貴重な体験は、〈精神的遺産〉として、親から子へ、子から孫へ伝えていくべきものです。

戦争の恐ろしさも体験しました。

艦載機、グラマン機が、低空で田植え手伝っていた、私を目掛けて?・・・機銃照射したのです。爆音と機銃の音の恐ろしさは今でも忘れません。

片倉城跡の西に、対照灯の日本の部隊が駐留していたので、その部隊の一部が、私の家の近くに兵隊が一時駐留していたのです。

便利さや快適さを追い求めてきた戦後の日本。今こそ見つめ直し、「豊かさ」と引き換えに現代の日本が失ってしまった「大切なもの」を考えべきだと思います。

戦争の怖さ・物の大切さ・隣近所の助け合い・など知り、故郷の環境を守り、後世に引き継ぐことが大事なことだと考えています。

物事の本質を知ること

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多くの人の場合、「価値判断」は視覚的に得る情報をもとに行われます。例えば、見た目です。それが煌びやかであるかそうでないか、美しいか醜いか。

一方で、物事の「本質」を価値判断の基準にする人は、あまりいません。なぜなら、本質を知ることや、目に見えない価値を見極めることは、多くの時間を要するからです。

「目に見えない価値」とは、愛や友情、信頼や思いやりのことです。

ものごとの本質を理解しょうとしないから、現実をありのままの実体(真実)として認識できないで、自ら悩み苦しんでしまうのです。

 誰れの人生にも、後悔は残るものです。

人生において「それをしなければ後悔する」といったことは、後悔してみて始めて理解できることです。そして後悔した後には、その後悔を完全に払拭することはできません。

ですが、後悔したことで、それを後悔しないようにするために、どうすればいいのか分かるようになります。

それは「自分の人生に生きる意味を付け加え、自分で選択して、それを行動に移す」「その結果が良くも悪くも、幸せな後付や理由付けすることが、唯一後悔しない方法です」

人生とは、多くのお金を稼ぐことでもなければ、人より偉くなることでもありません。「自分が、どれだけ幸せなれるか」だと考えています。

そのために、今考えられる最善の選択をして、行動していくことが大切だと考えています。

人生は、思い出の積み重ねであり、自分が次の世代にどれだけ、豊さを残せるか・・・だと思います。

2019年2月16日 (土)

幸せは心の安らぎ

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人が幸せに生きるとは・・・

町なかを歩く人々は、本当に幸せと思っているでしょうか?

「あなたは幸せですか」と聞かれたときに、「はい 幸せです」と・・・私は答えます。

何故って、「今どうにか、気楽に生きていられるからです。」

毎月脳神経科の医師に、診てもらいながら、そして定期的に目・歯の治療していても、、、どうにか生きていられる環境にあるからです。あり難いことだと感謝の気持ちを持って日々を送っています。

そして、もう一つの理由・・・

人の思いやりや、親切心を・・・心からあり難いことだと、思えるからでしょう。りゃーいいことばかりはないのですが、それでも、それが人生だと、前向きに考えることにしています。

「幸せ」を実感できない人がいます。

なぜ「幸せ」を実感できないのか・・・幸せの本当の意味は心の安らぎです。「心に悩み苦しみがない状態」です。 嫉妬・怒り・憎しみなどで、病んでいない心です。

物(財産・お金)ではありません。物をいくら追っても、心が病んでいるなら、そこにあるのは単なる苦しみだけです。 心の安らぎは万人に得られるものです。それに、誰かと競争して誰かを負かして勝ち取る必要はないのです。

失敗は正解のプロセス

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自問自答・・・

「いい年して年甲斐もなく、どう生きりゃーいいんだ?」

そこには自分はどうなりたいのかが、抜けているょー

正解なんてありませんょー。答えは自分自身の心の中にあるです!

「失敗を怖がらなくていい・・・望むように生きればいい・・・」

何を選ぶかではなく、選んだ道をどう生きるかが大切なのだから~

失敗から学び、次に活かせば、それはもはや失敗ではないんです・・・

つまずいても転んでも、その経験が糧になるんです・・・よ

失敗は正解のプロセス・・・遠回りにみえても、必要な道のりです。

他人がどう思うかんて関係ありませんよ。

失敗かどうか、間違いかどうかを決めるのは自分自身なのだから~

2019年2月15日 (金)

悪い人が目立つ世の中

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今の世の中、悪い人が目立ち過ぎているように思えます。

「まぁーどんなことにだって裏表はあるんですよー」

人間も社会も、食べ物も、自然も、良い面と悪い面を持ち合わせていて、陰陽表裏一体があたりまえだと思います。人間も欠点ばかりの人はいません。

正と負のバランスの問題

だから私は「性善説」も「性悪説」もどちらが正しいとも思わないし、社会には「必要悪」もあると思っています。

私は自分一人の力で何かできるとは思いません。だからとにかく自分が「汚い世の中」に巻き込まれないよう、毎日を振り返って反省しながら生きることが自分にできることだと思います

社会を変えられないなら、自分から変えていくしかないです。私は世の中の一員として、とにかく自分の周りから変えていくこと・・・そして、悪い世界に染まらないことだと思います。

「どうせこんな世の中だし」とすねてったって、自殺するわけにはいかない・・・だったら小さなことだけど自分や自分の周りの人が「世の中悪いことばかりじゃないな・・・」と思える出来事を増やすようにしたほうがいいと思います。

自分一人で出来る、奉仕活動をする

善い心と悪い心を持ち合わせている人間です。多くの人が、善い心を持てるように、活動していくことだと思っています。すべての人の心に、訴えるは出来ませんが、私自身の心に善の心が芽吹き、育つと思います。

どんな独裁者でも、世の中すべてを変えることなんてできません。自分の周りを幸せにしたいという気持ちで生きればいいと私は考えてます。

春の足あとが・・・聞こえて来る

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寒暖を 繰り返しながら 春は来る

枯れ萱に 静かに春待つ 鴨家族 

猫柳  陽に輝きて 春を待つ

枯れ草に 包まれ芽吹く 蕗の薹

春の足あとが聞こえてきます。

季節は間違いなく巡ってやって来ます。今も昔も日本人は季節に寄り添いながら暮らしています。四季折々の情景や季節感は、日本の風土によって生まれたものです。

ただ暖かいというだけなのにこの上なく幸せな気分になります。暖かい日が続いたと思ったら冬の寒さに戻るという変化に富んだこの時期ならではのことでしょう。

まさに三寒四温です。

散歩中にふきのとうを見つけ、晴れた日の日だまりの暖かさに、ひと足早い春の訪れを実感しました。しかし、まだまだこれから「東京は2月がいちばん寒い」という声を痛感させられる寒い日は続きます。
 

 

2019年2月14日 (木)

老人が生き続けること

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年寄りが生きることの意味

これは私たちが、続く者であっても、知る事は難しいものです。

わからないからこそ喜怒哀楽のある生活が送れているのだと思います。誰でも周りの人に迷惑をかけたり、かけられたり…完璧な人間なんて存在しません。

年をとり、身体が動けなくなったり、認知症になって、周りの人に迷惑をかける、お年よりもいますが、自分で好きで認知症になった人はいません。

自分も、もう死にたいと思っても死に方さえ忘れてしまっている?「何の為に生きているんだろうか?」・「何を考えて生きてるんだろうか?」

寿命が残り少ないのに最後まで、何を楽しみに生きているか?家族に迷惑かけたくない・・・人様に、迷惑をかけてる自分が憎くて仕方ないのだろうか?

寝たきりで、自分でトイレもできない、ごはんを食べれない、そんな人は生き続ける意味はあるのでしょうか?

本人たちの気持ちがどうだか知りませんが、介護疲れしている人は多いのではないでしょうか。超高齢化になって、たくさん老人がいます。介護疲れによって、思い悩む人もいます。

何のために老人は生き続けるのか?

年齢とともに体力の回復能力は衰えてきます。80歳以上になると、寝たまま過ごすことで一日に2㌫の筋力が低下すると言われています。

もともと筋力が衰えている高齢者は、入院をすると、あっという間に寝たきりになってしまうのです。1ヵ月も入院すれば、筋力は半分以下になってしまうことになる・・・

一度寝たきりになると元の状態に戻ることは極めて困難・・・

年とともに身体がしんどくなっていくのは事実です。周囲の人が世話をしてくれるのはありがたいけれど、手伝ってもらうことが増えるたびに、「自分が生きている意味」が失われていきます。 

長生きするほど、他人に迷惑をかけてしまうのではないか?そんな思考に陥ってしまうと、心が「寝たきり」となり、引きこもる時間が増え、身体も寝たきりになってしまう。

寝たきりの分岐点は、思いもよらないところに存在するものです。日頃の行動でも、若いときと違う体力を考えて・・・「隠忍自重」(怒りや苦しみなどをじっとこらえて、軽々しい行いをしないこと。)の心がけが大切です。 

人生は挑戦の連続

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生き続けることは、逃げずに、目の前の困難に真正面から向き合い、それを乗り越えていくことです。

「生きる」ことは挑戦の連続です。

「失敗は成功の基」

失敗することによってやり方を改めることができ、かえって成功へと繋がることになるから、一度や二度の失敗にくじけるべきではないという教えです。

また、失敗してもその原因を追究しなかったり、やり方を改善しようとする姿勢がなければ、また同じような失敗をくり返すだろうということです。

「成功は正しい判断の結果であり、正しい判断は経験の結果である」

その判断が正しい判断なのか、それとも間違った判断なのかというのは、それをやる前から分かる事ではありません。

「何事もやってみないと分からない。」・・・それが答えです。

しかし、その中で何をやるのかという点においては、その先の成功を強く意識していなければ、多くの時間やお金を無駄にしてしまうという事になってしまいます。

一方で、経験はとても大切で、失敗から学ぶ事の方が大きい。

だからどんどん、いろんな事をやってどんどん失敗すべき・・・あれこれ先の事を考えずに、思った事をやった方がいい・・・という考えもあります。

でも、ずっと失敗していたら、いつになっても成功できないです。やりたい事の全てができるほど、人生は長くありません。

自分には自分の性格があり、他人のノウハウを真似したところで、全く同じ成果を出す事はできません。

大事なことは、「自分自身を深く知り自分を活かすということ。」失敗はそのためのものです。

失敗から自分に足りない要素を発見し、そこで自分を責め、それに悩むよりも、失敗から自分らしさを発見し、自分の強みを活かしていく・・・そう考える方がずっと楽です。

だとすれば、何が正しく、何が間違っているのかという事を決めるよりも、自分の軸を持ち、ひたすら愚直に邁進していく事こそ、それが正しい選択であり、成功への道だという事だと思います。

2019年2月13日 (水)

自然環境について

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「自然環境について考える」

自然環境は、その名の通り生物が生きていくとために、人類のニーズを確保するための源でもあります。

現在世界の国々では、自然環境が衝撃的なスピードで破壊されています。このことから世界各国や国家機関、国際機関は自然環境に特別な注目を寄せています。 

「自然環境がなぜ重要なのか」

自然環境とは・・・空気や水、大気圏、土壌、そして人間を取り巻く動植物といった、地球上の自然的な要素の集合体ということになります。 

人間の暮らしが自然環境に左右され、人類の存続は自然環境を抜きにしては考えられないということを忘れてはなりません。

それは、自然環境を除外することは、人類の滅亡につながるからです。実際、自然環境は人間が存在しなくとも成り立ちますが、人間は自然環境なしには生活できないのです。 

「大切なのは、意識と疑問を持つこと」

普段使っているモノやエネルギーが、どこから、どのようにしてやってきたのか。これは、なかなか分かりません。ですが、その製品のルーツを知ろうとすること、そして、消費者として自ら「選ぶ」意思を明らかにすることは、地球の環境を守る上で、非常に重要なことです。 

「出来ることから始めること」

大気汚染や地球温暖化の問題は、地球に生きる私たちの暮らしの中から生まれてきた問題です。まずは自然環境を常に意識して、あなた自身が日常生活の中でできることを、楽しみながら始めていきましょう。

そんな、ひとり一人の暮らし方や考え方の変化が、社会全体の大きな流れにつながっていくはずです。

道理について

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「道理」・・・「物事がそうあるべき正しい筋道」「人としての正しい道」。

人間はに人それぞれの考え方(価値観)があります。人それぞれに、性格や 価値観が違いますが、異なる道にも、必ず一定の道があります。これが「道理」です。

誰の道においても共通する理(もっともなこと)であるから、「道理」を理解して「物事がそうであるべき道筋」といった意味を持ちます。 ただし、本来的には道理は唯一無二のものです、しかし、往々にして人は道で迷うものです。その道理とするところが必ずしも道理ではないことがあります。

今の世の中、道理ではなく、空気を読んで考える人が多い?

道筋(道理)に従うのではなく、多数や強者の主張に逆らわず生きている・・・多数や強者に従って、利害を共有する仲間との衝突を回避しながら、「安全・安心」を求めて生きている人が多いように思います。

それが、何よりも選択や行動の原理になっている?その結果今の世の中、人の価値観や判断はどんどん道理から離れて行くように思えます。

自分はそれで良いかも知れません。しかし自分の子供や孫の、後の世代の世の中はどうなるでしょう。道理ではなく、「得」と「安全・安心」を追いかけることだけを教えて育てたら、日本の未来はどうなることでしょう?

「人は一人では生きてゆけない」というのは証明する必要もない前提です。

親や大人たちがいなければ、学習をすることも出来ません。人間になることも出来ません。自分を育んでいる社会・自然環境があるからこそ、人は生きて行ける・・・ならば、自分を育む人々や社会・自然環境を、破壊してはならない・・・これは道理 でしょう。

2019年2月12日 (火)

歳をとると時間が経つのが早い

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時間が経つのが早い・・・

2019年(平成31年)も12分の1月が過ぎて、残すこと後11ヶ月・・・歳をとると、時間の経つのが早く、一年の過ぎるのも早く感じます。

光陰矢の如し」の諺がありますが、80歳を過ぎると、超特急の速さで過ぎていく想いです。 

ジャネーの法則によると・・・

「時間の過ぎる速さは、年齢に比例して加速する。」つまり歳を取るにつれ、1年間という時間が人生に占める割合が小さくなるため、早く時が流れるように感じるというものです。 

たとえば1歳のときの1年間を基準とすると、2歳のときの1年間は、2倍早く感じます。50歳になると50倍早く感じ、80歳になると80倍となるということです。

人生何かに挑戦・・・続ける

人間、何か新しいことに挑戦している時は、時間が長く感じるのに対し、慣れたことをやっている時は時間が早く過ぎるように感じます。

毎日を怠惰に過ごしていると、あっという間に寿命が来てしまいます。毎日をダラダラと惰性で過ごすのも、新しい経験を増やして刺激的に過ごすのも、自分次第ですが、どうせなら楽しいことをして人生を終えたいものです。

小さなことからでもいいので、日常生活に新しいことを取り入れて、生活リズムに変化をつけてみる・・・ワクワクすることが増えて、体感的に人生長く生きられるかも・・・

2019年2月11日 (月)

本当の自分を知るということ

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人生で一番大切なことは・・・

どれほど真実と向き合うことができたか? どれほど魂を揺さぶる人生を送れたか?

すなわち、どれほど本当の自分(真実)を知り得たかなのです。

しかし多くの人は、物やお金や地位や名誉を得るために命を削っています。私はこの世の物を否定しているわけではありません。

地位や名誉や財産よりも、もっともっと大切なものがあると言うこと・・・それは真実を知ることです。私達が求めるべきものは真実です。

取りも直さず、「本当の自分を知ること」です。

これ以外人生の目的はありません。本当の自分を知ることとは・・・何のために生きるのか?

○ 自分の生きる意味

○ 自分の使命

これらを知って、そのために生きることができれば、それはとても充実した人生といえるのではないでしょうか。

私もそうですが、実際には、周囲のさまざまな情報に惑い、自分の生きる意味を見いだせないという方も多いと思います。

人はわからないことに対して、不安や恐怖を感じたり、目を背けようとすることがあると思います。だからこそ、自分の生きる意味がわからない、ということは私たちをこんなにも苦しめるのではないでしょうか。

そんな中で、少しでも自分の生きる意味、やりがいといえるようなことを見出すには・・・まず、

①自分の価値観 ②自分がどんなことが好きなのか ③ どんなことを大切に感じるのか を知ることが必要なのだと思います。

自分の価値観を見つけ、 「行動を通じて他者や社会に貢献すること。」だと思います。

人生は出会いの連続

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出会いを大切にすること。

人生は出会いの連続です。

「出会う人を大切にするから、新しい道が開ける」

いろんな人と出会いで、いろんな事を学び、経験して、仕事をします。

いろんな人の中でも、いつの間にか距離が近くなっていることもあります。仕事や、生活・遊びなどにかかわらず、大切な関係になっていることも・・・だから出会いは大切です。

出会う人を大切することは、相手を思いやること・・・大切にする定義は・・・私は、「相手を思いやること」と考えています。

人間は何をするにも、ひとりでは限界があります。だけど人の力を合わせると、不思議なことに、不可能を可能に・・・夢も現実になって行く・・・出会う人を大切するからこそ、その出会いがきっかけで新い道が開けるのです。

出会った相手が、どういうことで困っているのか・・・悩んでいるのか・・・何を求めているのか・・・などを理解し行動することです。

もちろん、相手の求めていることに、応えられないこともあります。その時は応えられないことをハッキリ伝えること、これも相手を思いやることです。ただ仲良くすることばかりないのです。

出会った人に対して思いやりを持って接すると、それが自分に返ってきます。自分がきっかけでなくても、多くの出会いが生まれるものです。その中で出会う人を、どれだけ大切にするか意識しておきたいものです。

気付き大切さ

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気付きとは

気づきの重要性・・・ 私たちは普段日常でいろいろなことに“気づき”を持って生活をしています。 人に対しての気づき、物事に対しての気づき、世の中に対する気づきなどです。

そもそも気づきというのは、自分自身が感じ取れる“情報”のようなものだと思います。「人の状態(健康・心理)推測する」とか、「環境に対する異常(ゴミがたくさん落ちている)」とか、などといったごくごく自然な情報です。

この気づきは、あくまで自分の思考や意識から自然と感じ取れるものなので、 普段自分が考えていないことや意識していないことに対して気づくのはとても難しいです。

よくいろんなことに対して敏感に気づける人がいます。

相手に対して何か気づいてあげたとしても、それをちゃんと伝えてあげなければ意味はありません。 また、自分にとって良い気づきであってもそれを活かすことができなければ意味がありません。

気づきというのは情報なので、それを活かすかどうかということとはまったく別の話です。 それでも、気がつけるというのはとてもすばらしいことだと思います。 つまり、自分が普段から何を考えて、何を元に行動しているかで気づきは変わってくると思います。

気づきを自分の生活に組み込む

人間とは常に何か考えているものなので、たとえ気づきが自分の考えになったとしても、そのまま何もしなければ他の考えに流され、忘れてしまいます。

して、気づきから何も得られないまま終わってしまうのです。そうならないためにも、気づきを自分の生活に取り入れることが大切なのです。

2019年2月10日 (日)

物事の本質を捉える大切さ

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「本質を捉える」とは・・・

何が良くて、何が悪いのか、何が幸せで、何が幸せでないのか・・・など、物事に対する価値観は、人によって大きく異なっています。

多くの人の場合、「価値判断」は視覚的に得る情報をもとに行われます。例えば、見た目です。それが煌びやかであるかそうでないか、美しいか醜いか。。。

一方で、物事の「本質」を価値判断の基準にする人は少ないです。

なぜなら、本質を知ることや、目に見えない価値を見極めることは、多くの時間が必要だからです。

「目に見えない価値」とは、愛や友情、信頼や思いやりのことです。

これらは、対人関係において測ることが難しい「思い」や「心の動き」であり、目に見えるものではありません。しかし、この「目に見えない価値」こそが物事の本質であり、1人の人間の豊かさや、器量を表していると言えるのです。

人やモノの流れがとても速くなっている現代では、本質を知るために時間を費やすより、よりスピーディーに見た目だけで価値判断をすることが自然なことなのかもしれません。

しかし、例えスピーディーな社会に生きていたとしても、「目に見えない価値」、つまり物事や人の「本質」に目を向け、そこに可能な限り時間をかけて見ることです。それが、人生をより充実させる近道になります。

2019年2月 9日 (土)

故郷に吹く風だけが変わらない

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あのころのにおいを風が運んでくる

秋にみんなで栗拾いで登った山道

川・田んぼ・畑だけの風景を

片倉城跡の高台から眺めたり

ターザンごっこで藤つるで遊んだり

あのころ母艦水雷で駆でけ回って

時間を忘れて泥んこになって遊び…

「また明日・・・」

「一番星を見つけたぁー」

返ってきた「おかえり~」の声

今は、もう遠いむかしの記憶しかない

今、片倉城跡の高台から眺めて見ても

民家で埋め尽くされてむかしの面影は

どこを探しても見つからない

あのころの当たり前が 当たり前じゃなくなった今…

それでも風はあの頃のにおいをのせて 吹いている

故郷に吹く風だけが変わらない

ゴミ拾いをして・・・

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3年前のこと、いつものように、湯殿川の河川管理通路のゴミ拾いをしていいたときのこと・・・

「どうしてゴミを拾っているのですか?」

失礼ながらお役所の清掃員ではなさそうだし・・・と、中年のご婦人に声をかけられました。

「いやー好きだからです。」「ただ、拾いたいから拾っているんですよ。」

ご婦人は、頭を横にして通り過ぎていきました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

人は、何か自分にとって得することがないと、普通は行動に移さないものです。

「ゴミ拾いをすると、得することがあるんです。」

得って何ですか?

ごみを拾った人だけがわかるんです。

答えは、「ゴミを1つ拾う者は、大切な何かを1つ拾っている」のです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『人が捨てた“運”を拾っているんです』

 MLBの大谷選手は、グラウンドに落ちているゴミを見つけたら、必ず拾うようにしているそうです。

その行為は、野球をやったことのある人なら分かりますが、そのゴミによってボールのバウンドが変わってしまうことがあり、ボールのバウンドが変わってしまうとエラーをする確率が高くなるという理由からでしょう。

しかし、彼はそれ以外のことも感じているかもしれません。野球というスポーツは、少なからず“運”にも左右されてしまうスポーツですからね。。。少しでも“運”を引き寄せようと、ゴミを拾っているかもしれません。

現実と事実の違い

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「現実と事実」

「事実」とは、現に発生した不変的な出来事や状況を表すものです。

これに対して、「現実」とは、個人が、自分自身の知覚フィルターを通して見聞きした、(体験した)事実を表します。

「事実は変わらない」に対して「現実は沢山ある」・・・もっと言えば人の数だけ現実があるということです。

大事なことは、現実は人それぞれに見方が違いがあるということです。

私たちは、一人ひとりのこれまでの行いや経験が生み出した世界に生きていますから、自分の思っていることが、思っている通り、相手に伝わるということはありません。

同じ問題であっても、それぞれの都合や利害が絡んでくると、意見や考え方が違ってくるのは当然なことです。

ちょっと説明したぐらいで、自分の意見や考えを理解してくれる人がいれば、それは本当にありがたいことです。相手が分かってくれなくて、当然なのです。

意見が対立して、ぶつかった時、このことを心に置いておくと、相手を責めるより、どうしたら、相手に分かってもらえるだろうか、という現実的な努力になります。

このことは今まであまり取り上げられてこなかったので、ほとんどの人が「現実を作る人たち」によって作られた現実を特に疑うこともなく受け入れて、自分の現実にしてしまっていたという経緯があります。

2019年2月 8日 (金)

人間の「こころ」・・・

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人間は悪い心と良い心もっています。

それは、人の心は「幸せになりたい」という心があるからです。

「心」とは・・・

心は胸にあるという人もいるし、お腹という人もいます。頭の中という人もいます。心は自分の中にあってどこにあってもいいんです。

心は、ふだん何かをしたり話したり考えたりするときに、 働いている脳の働きです。 心は目に見えないのに、なぜあるとわかるのかというと、それは人が何かをしたり言ったりすることでわかるのです。

人が、したり言ったりすることは、目で見えたり耳で聞くことができます。人がしたり言ったりすることからわかるのは、その人の性格や能力や人柄もあります。

性格や能力や人柄も、それ自体は目に見えないもので、その人がしたり言ったりすることからわかるものですが、そのような人の性質は、わりに一定しているものです。それに比べて心は一定していなくて、変わりやすいものです。

私たちは人といっしょに何かをしたり話をしたり、その人が何かをするのを見たとき、その人の性格や能力や人柄などのその人の一定の性質と、そのときその場のその人の変わりやすい心の両方を感じとるのです。

この人は、こんな人なんだなぁーと思うと同時に、この人は今こんな心でいるのだなぁーと思うのです。人はふだんはおとなしい優しい人なのだけど、今は怒っているのだなぁーとか、いつもは元気な人なのだけど、今は元気がないなぁーと思ったりするのです。

そのような、人の心の状態を感じとることを、「人の心を読む」と言います。人の心を読むのは、何も特別な業がなくてはできないことではなくて、ふだんだれもがふつうにやっていることです。

夏目漱石の小説「こころ」がありますが、「人間とはいつもはいい人が、いざという時に突然悪人になる」と忠告しています。

2019年2月 7日 (木)

二月の雨

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紅梅の 老木なりし まだら咲き

城跡は 鳥静かにして 二月雨

寒暖の 激しき二月 年寄りに敵

乾燥続きで、インフルエンザ患者が記録的な数だそうでです。昨日(2/6)は、東京地方では、久しぶりに雨が雨が降りました。片倉城址公園の木々も“ほっと”したことでしょう。

また、乾燥しきった空気、各地で火災が起こり死者まで出たとのニュースは、後を絶ちません。火の消し忘れには注意したいものです。

厚生労働省の人口動態統計によると、1年のうちで12~2月に死亡率が急激に跳ね上がる。平成24年の場合、年間死亡数の約28.4%が12月から2月に集中したそうです。

人の繋がりは財産です

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いま、日本ではお隣さんの事情も知らないという状況が急速に増えていて、人間関係が冷め切っています。

人の繋がりを持つのは財産です。 

財産づくり・・・

多くの人を知ることになるきっかけは、「挨拶すること」散歩・・・外に出て多くの人に挨拶する・・・たびたび会うと会話が始まり、寒い・暑いから、お天気のことなどなど続き・・・

そして、健康のことから、暮らしのことと続き、同感して。。。お茶を一緒に飲み、意見が合うと、親しみが深まり、心が豊かになります。

元来、人は相手を思いやり、行動することで幸福を感じるようになります。その感覚も薄れる場合も・・・元々少ない場合もありますが、大切な人が、自分の行動で喜んでくれたら、嬉しくない人はいないのではないでしょうか?

心が豊かだと、感じられる要素は、物ではなく人との関わりや、自然との触れ合いの感動であり、人生に意味を持たせてくれます。

自分の人生をきる中で、自由時間を家族や友人と過ごすことに使ったり、自分の好きな事だけをすることで心の休息に使ったり、普段できない、自然に触れ合いしたりするなどなど・・・自由に使える時間が、あることは心の豊かさに直結します。

また、本音で話せる友人の存在は大きく、直接会うことで、より関係を身近に感じることが出来ます。

2019年2月 6日 (水)

気軽に挨拶できるまちに

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誰もが安心して、住みやすい町に・・・

だれにとってもやさしいまちづくりは、みんなが暮らしやすい環境や社会をつくることです。暮らしやすさは、不便や不自由がないということと、地域の人たちと仲良く交流できるというふたつのことが大切になります。

みなさんは、隣の人に会ったり、近所のお店の前を通ったりするときに、「おはようございます」とか「こんにちは」と、あいさつをしていますか・・・

同じ地域に暮らす人たちの顔が分かり、気軽に挨拶できるようであれば、住んでいて楽しいし、なんとなく安心感があります。それにこのような隣近所との関係は、住民の地域に対する関心は高く、犯罪がおきにくい、安全なまちづくりにつながります。

天災での対応

大きな地震など、災害は何時来るかわかりません。最近ワンルームマンションが、私たちのまちに多くできています。何時から入居したのか、挨拶もないのでわかない…が、若い男の人が見かけるようになって、はじめて気が付く・・・

近所ですの天災で被災されたら・・・連絡先へ知らせることが人間としての責務と思いますので、住んでいる人に聞いてみたのですが、名前は聞いたのですが、「電話番号・出身地は、プライバシィがあるので教えられない。」と言う。

当然住所変更はしていない・・・学生で3~4年で退去する?・・・顔を合わせても、挨拶もしない若者が、私の家の前に住んでいる・・・どうしたらいいのか悩んでしまいます。

私たちの町でも少子高齢化は進んでいます。60代までは、率先して町の行事に参加したおじさん・おばさんも、80歳を過ぎて、町の除草・防犯パトロールなどに参加できません。そして後に続く人がいないのです。

また、私たちのまちの課題は、住民同士のコミュニケーンの在り方です。

思いやりとは・・・

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私たちは、多くの他人と関わり合って生きています。

「共生(共生き)・助け合い」で生きていけるのです。他人が安心して、生きて貰わなければ自分の生きられません。そこで考えられる大事なことのひとつが、「思いやり」です。

思いやりとは・・・

純粋に親切な心から出る行動のひとつで、その形や大きさはさまざです。

相手の息災を気にしてひと言声をかける・・・なんの見返りも期待せずに自分が持っているものを分かち合う・・・こうした礼節の精神から思いやりが生まれます。

「相手の立場になって考える」

思いやりのある人というのは、相手の立場になって考えることができます。自分のことよりまず人のことを心配しようといます。

他人に手を差し伸べ、相手の手を取って気持ちをくもうとする。こうした無私のやりとりに楽しみや満足を見出すことです。

「自分のことを大切にしながら他人のことを優先する」

自分のことを気にかけない人間は、他人のことも気にかけない・・・無私というのは、思いやりのある人たちにとって諸刃の剣・・・自分より他人の要求を優先すると、満足感はあるかもしれなませんが、いざというときにノーと言えなくなってしまいます。

思いやりの優先バランスをうまくとらないと、人を喜ばせるだけの人生になってしまい、生産性がなくなってしまいます。

「ときにはノーということも必要だがこれが難しい」

他人を思いやるときと、自分のことを考えるときのタイミングを見極めること。 イライラしていても、その感情を表にださないことです。

誰しもカチンときたり、イラっとすることはあります。ストレスを感じたり、圧倒されたり、せっつかれているときにぐっと我慢するのは難しい・・・だからこそ取り組む価値があるのです。

「自分が最悪なときに、どうして他人に思いやりを示さなくてはならないのか?」と思うこともあります。確かに誰かに親切にしても、その見返りがあるわけではありません。

ですが、結局はまわり巡って自分に好ましい影響が戻ってくるものです。自分で好ましい影響を与える側になれば、前向きな方向で他人とよりよい関係をつくろうという動機になります。

「正当な理由があるときだけ謝る」

相手を怒らせたくないがゆえに、やたらごめんなさいと謝る人がいます。謝られたほうはあまりにごめんなさいを連発されると、その言葉に無感覚になってしまいます。

ですから、やたら人を喜ばせようとする人にも同じことが言えるが、謝罪にもバランスが必要です。あまりにも人を喜ばせたり、謝ってばかりいると、自分自身を傷つけるだけです。

良いことも悪いこともある人生

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「人生には山があり谷がある」

「良いこともあれば悪いこともある」という事です。

かなり慎重に歩いていてもつまづき、思いがけない怪我をするものです。

良いと時は、調子に乗りがちですが、そんな自分を戒める意味で「この良い状態が続くわけではないから、気を抜かずに維持できるように頑張ろう」と。。。気構えを持ったのだが・・・

「想定外の事は起こるもの」

誰しも毎日、いろんな夢、希望を持って生きています。ところが、人生はそうそう、予定通りにいくことはない。人生は想定外の連続で、「こんなはずじゃなかった」ということが起こるもの・・・

どんなに準備をしても、慎重に行動していても、邪魔な横槍によって努力が台無しにされてしまうことが少なくありません。

だから、人生は、基本的に予定通りにならないもの、思い通りに行かないものと考えた方が、自然なのかもしれない・・・

先輩たちを見て・・・「人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている」・・・長生きとは、こう言うことだったとなんだ。「いつまでもこの悪い状態が続くわけではないから、調子が上向くまで頑張ろう」・・・それが生きることだ。。。

2019年2月 4日 (月)

年寄りが生き甲斐持つこと

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「生老病死」は人の一生・・・

「生まれること」「老いること」「病むこと」「死ぬこと」という、仏教の四つの苦しみを指します。「老い」「病気」「死」への不安というのは、中高年以降にとっては大きな問題です。

生き甲斐を持つ・・・

これらの不安に苦しめられないためには、それよりも大きな「生き甲斐」を持つことです「生き甲斐」は、高齢社会化した現代において、「生き甲斐」を持つこと大事です。

人は、生きるために働き続けて、結婚・子育など終えて、一定の自分の役割に一区切りつくタイミングが訪れます。新たな生活に切り替わるにあたり、何を「生き甲斐」にするのか?を自ずと意識する人も少なくないでしょう。

そんな時に、地域のボランテイア、趣味、就学、仕事などが選択肢として想定されます。

まず何が自分の「生きがいになるもの」になり得るかを踏まえて選択をすることで、生活の質の向上、健康の維持、人や社会とのつながりといった付加価値もついてきます。

超高齢化時代になった今、人生の後半時間も生きがいをもって心豊かに過ごしたいものです。それは、誰かに与えられることを待っているのではなく、自分から積極的に見出していくことです。

趣味の仲間で過ごす時間を大切にすること・・・そこで、「自分にもわかり合える仲間がいる」と感じることです。つまり、「ひとりぼっちではない」と感じたときに、生きる喜びは湧いてきます。

そして、生きる喜びがあれば、「老い」「病気」「死」への不安など、はるかに凌駕(りょうが)することができるはずです。

自然は誰が守る

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私たちの町では・・・

自然に対する畏敬の念が強くあったのです。

かつて(昭和30年代ごろまで)は、人々は、みんなの力を合わせて農作物を生産し、自然の太陽や水、風などを利用しながら、田畑を耕し米・麦・野菜を収穫し、山で、木を切り燃料にし、養蚕・莚織りなどをして現金収入の農業で生きてきました。

「水を汚してはならない」「悪いことすると神さまのバチがあたるぞ」・・・こういったことが生きる条件として、幼少のころから教え込まれてきたのです。

山の木の葉を掃き集めて、堆肥を畑に入れたりして、土を良くしてきました。畑・田んぼ・山・そして川には、「神さま」がいて、正月の仕事始めの田畑に「農入り」厄除けをし、山仕事する前にも、山の神を「お供え」を挙げて、安全を祈願したのです。

現代社会は、価値観の違いからか、自然環境に対する考えが全く違ってきました。私は、「自然と共存でしか人は生きられない」と思う一人です。私たちの町では、タバコの「歩行喫煙」は禁止ですが、歩道・公園・広場に捨ててあります。

それでいいのか?と言うことです。感覚の麻痺が怖いです。

環境問題は世界の人々も、温暖化問題で危機が叫ばれてきています。海辺に打ち上げられた鯨の胃の中から、「マイクロプラスチック」が大量に見つかったという、大変ショックなニュースがありました。

自然環境を守るということは、人間の生命を守るという事です。

少なくても、「私たちの町の自然環境は私たちで守る」という事をひとり一人考えて「ゴミは捨てない」意識改革し、環境に対し神経を使って欲しいです。

2019年2月 3日 (日)

自制心を鍛える

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自己中心の人は、他人の気持ちを考えることができないために、自分の気持ちを優先してしまう。自分の思う通りならないと、気がすまない、忍耐の足りない、感情高い人です。

自制心を鍛えること。その一つに我慢することです。 

自制心とは・・・自分自身の感情や欲望などをうまく抑えたりコントロールしたりする気持ちや精神力のことです。

怒り憎むことがなければ、人は気楽に生きられるのです。

あおり運転は大惨事を引き起こします。運転中のちょっとしたことがきっかけで、かっとなってあおり運転の危険な行動に走ってしまう人がいるようです。怒りの行動による危険なあおり運転は、取りかえしのつかない惨事をまねいてしまいます。

また、人との肩が触れあう程度のことであっても、怒りがこみあげて、自分の感情を抑えきれずに大声を発してののしり合ったり、あげくの果てには暴力をふるったり、争いごとを起こす人がおります。 

 最近の若者はキレやすいといわれますが、若い時の辛抱はきっと後日、役に立ちます。忍耐が自分の体にしみこんでいますから、少々のことは乗り越えていけるのです。

自己責任を認めず、他に責任を転嫁する人もおりますが、はたして気楽におれるのでしょうか。怒り憎むことがなければ、人は気楽に生きられるのですが・・・

子は親を選んで生まれてくる

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「子は親を選べない」

その正反対に「子は親を選んで生まれてくる」という考え方があります。

○ 「子は親を選べない」というのは、まことに息苦しい世界です。偶然にひどい親の元に生まれてしまったから、わたしは不幸だ、ということになるわけです。

○ 「子は親を選んで生まれてくる」というと、偶然ではなく、自分自身に主体性があることになります。親のせいにしていたものが自分に返ってきてしまいます。

親に強いうらみを持つ人にとっては、どちらが辛いでしょう?

自分の中に要素があると分かれば変えていくことができます。偶然が自分を支配しているという考えに立てば、永遠に自分に主導権はありません。

「子は親を選んで生まれてくる」というのは、物質的な世界観の領域を超えています。したがって、信じないという人もいると思います。

こんな親・家に生まれてきたお陰で苦労ばかりなのか・・・一生堅苦しい思いをすることになると思うのか・・・

はたまた、なんの心配もなく居心地のいい家で楽に暮らせるなどと、その家に生まれてよかったと思うか・・・は、すべて本当は本人の心しだいです。

そう言って親や家のせいにするのは、何事も人のせいにしたがる弱い心が考え出した、いいわけに過ぎないと思います。

2019年2月 2日 (土)

不安の人生100年時代

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人生という一本道を歩いていけば、頂上を過ぎ、やがて下り始める。。。

峠の下り方はさまざま。さらに上ろうと努力する人もいれば、状況を受け入れて歩み方を変える人もいます。

いま、日本という国は未曾有の長寿時代を迎えています。今や人生100年時代で、下り坂は長い。どう下ればいいか・・・なんともいえない不安を抱えながら、生きていかねばならない

経済の不安、衰えていく体の問題、介護は誰がしてくれるのか――。

そこにあるのは、これまでの哲学や思想で語ることのできない、100歳までの長い道のりをいかに歩むかという、重い課題です。

百歳人生という言葉を聞いて・・・

「長生きできるとは、これほど嬉しいことはない」「そんなに嬉しいことではない」「嬉しいと感じる人はごく少数で、じつは、そうは言われてもピンとこない・・・

「やれやれご苦労なことで・・・」と感じる人が案外多いのではないでしょうか。

それは、健康面や経済面での不安が重くのしかかり、「百歳人生、何がめでたい!」と思う人もいるでしょう。

実際、日本のような、核家族化・少子高齢化社会では、老老介護・年金の問題や、増加する一方の医療費のことなどが、ますます大きな問題になってきます。

これから、どう生きていけばいいのか?不安は募るばかり・・・

その歩き方も、まだわかりません。人生の下り坂が、思っていた以上に長くなるだけのことではないか――麓の村が見えてきたと思ったら、その先の道のりが、思いのほかだらだらつづいていた、、、それは幸運や否や?――これが百歳人生?

厳しい美しさ

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まだまだ冬景色の中、だれよりもいち早くその花を咲かせようとする草木があります。 

それは冬の花、梅です。

冬空の下、梅は桜のような華やかさはありませんが、その姿は、私たちの心を凛としてくれます。厳しい寒さにも関わらず、春に美しい花を咲かせるため、一所懸命耐え忍ぶその姿に心励まされることが多々あります。

梅の花言葉 「高潔」「忠実」「気品」「厳しい美しさ」「あでやかさ」です。

「厳しい美しさ」とは・・・

厳寒のうちから蕾を出し、養い、大きくしながら咲きはじめる・・・暖かくなる前に香りをそこはかとなく漂わせながら、青い寒空に褐色の枝にそっと咲く。。。

そういう梅に厳しい修行の精進の方をなぞらえていると思います。

香りは徳の高さ、香りがあれば人は慕ってくるとか・・・厳しいことを通っくぐって、優しい徳の香りがほのかにあたりに漂う。

まだ寒さに肩をすぼめて路地や辻を行くとき、何かそこはかとなく香るので、あたりを見回して軒さきに一輪二輪の白梅が咲いている。。。

まさに冷たい空気の中、早々に凛と咲く梅の姿を表わす花言葉だと思います。

2019年2月 1日 (金)

恥の文化を取り戻せ

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「若いうちは恥をかけ」とは・・・

臆病にならず、もっと挑戦しなさい。失敗したら恥ずかしいという気持を捨てなさい。ということで、自分ひとりが恥をかけばすむことをいいます。 かたや、「恥を知れ」とは・・・ 「不名誉なこと、卑怯なこと、人のせいにすること」を言います。

「見苦しいこと」をしないということであり、人様に迷惑が及んだり、不快な気持を起こさせることをしたときに言う言葉です。

昨今は、この「恥を知れ」という感覚が希薄になっています。

例えば、歩きながら、飲んだり、食べたりして、その容器(缶・ペットボトル・コンビニパンの包装などを当たり前に、捨てて行く・・・何の罪意識持たない行為) また、言い訳や言い逃(のが)れ、人のせいにする政治家や経営者・・・そこには、姿の美しさとか、慎み深さ、礼儀正しさという、品性がひとつも感じられません。

日本人の心 恥知らずの人間になってはいけない・・・日本人のよき美徳、「道徳的品性」を忘れないで欲しいものです。

具体的には、農家さんがつくってくださったものに感謝し、お米一粒でも無駄にしないようにという心・・・ 今まで助けてお世話になった古いパートナーだからこそ、そのご恩を忘れずに粗末にしないようにしよう・・・といった日本人の元来持っている、大切な感性のことを「尊敬」という言い方で整理したように思います。

日本語にはどれも、御蔭様や感謝の念が入ってその言葉が素晴らしい響きを持ちます。

日本人の恥の文化 江戸時代、庶民が借金をするときに、「もしもお返しできないときは、お笑いになって結構です・・・」 と言ったそうです。

「笑いもの」になるというのは、名誉ある日本人にとって耐え難い屈辱であり、武士はもちろんのこと、庶民さえももっとも大切にしたのは「人間としての価値」であり、それを「笑われる」という事は死よりも辛いことだったのです。

人との縁を大切に

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「何かの縁」・・・論理的に説明できない運命的なことを表現する語です。

「袖振り合うも多生の縁」

「袖振り合うも多生の縁」とは、知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁であるということ。

「人との縁はすべて単なる偶然ではない」

深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えに基づくものです。前世からの深い因縁であるということ。

「縁」を大切に

人との出会いが自分の人生を形づくっていると思います。人との縁、繋がりほど大切なものはありません。しかし顧みると、人との出会いというものは必ずしも良いことばかりではないです。

「心を許し、信頼していた人なのに裏切られてしまったたり、お陰で大変な損をした」・「この人と出会わなければ、もっと自分の人生は良いものなっていたはずだ」と思うようなこともしばしばあります。

とはいえ、そのような好ましからざる縁も、見方を変えれば、反面教師として相手からよい影響を受けていたり、忍耐や我慢を身につける機会、自分の成長の糧になっているということも少なくありません。

つまり、不運な出会いだと考えていたものが、逆に自分の人生のプラスになることもままあるのです。そもそもそうした悪縁というようなものでさえ、大いなる不思議な力の働きによるものでしょう。

何かしら意味があると考えてみることもできます。前向きに受け止め、あらゆることから学び、それらを常に生かすことを心がけるならば、どのような縁も有りがたいものとなると思います。

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