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2018年8月

2018年8月31日 (金)

道徳を守らない「大人」たち

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小学校の「道徳」が「特別の教科」に格上げされました(中学校は2019年4月から)。「子どもや若者たちの道徳意識が低下しているのは、学校がきちんと道徳教育をしていないからだ。」・・・?

「よいことと悪いことの区別をし、よいと思うことを進んで行いましょう」・「うそをついたりごまかしをしたりしないで、素直にのびのびと生活しましょう」・「幼い人や高齢者など身近にいる人に温かい心で接し、親切にしましょう」。・・・どれも小学校低学年でもわかる正論です。

道徳を守らない「大人」たち

「子どもに道徳を語る前に、自分の胸に手をあてて、はたして自分は子どもたちに道徳を語る資格があるのかどうか、よく考えてみた方がいい」・・・北野武さん

「道徳とは何か?」

「良心の行い」です。社会は人間の道徳(良心)によって生かされて、すべてが循環していると示唆しています。善人も悪人も、人々の良心によって生かされているということです。

社会では、自分自身の良心に従わない悪人がいます。町内のゴミ問題にしましても、善良な他人が片付けるだろうとして、道路・公園などのゴミのポイ捨てする人がいます。・・・つまり、自分の良心に従わない人間です。

それを見て、町内のためにと黙って片付ける人間もいます。他人に指示されなくても、自分の道徳(良心)に従う人間です。

はたして、その道徳(良心)に従わない人間は、ほんとうに楽が出来たのでしょうか?悪事をやった者勝ちで終わるのでしょうか? とにかく言えることは、その人間は自分の道徳(良心)に反した行為をしているということです。

人間は、見るべきものは他人の行状では無くて、自分自身の道徳(良心)を見詰めるべきなのです。人間は他人のことを見るのは得意ですが、自分自身を見詰めることはしないものです。

2018年8月30日 (木)

「道徳とまちづくり」

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「今、どうして道徳?」と思われる方も多いことでしょう。

道徳とは・・・

ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体です。法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くものをいい、また宗教と異なって超越者との関係ではなく、人間相互の関係を規定するものです。(辞書より)

私たちが住むまちは、このままでいいのだろうか・・・?このままでよいだろうかと心配することはいくつかあります。

① 地域社会や会社などで年配の世代から若い世代への受け継ぎがうまくいかない。

② 同じ世代の間でもかかわりが少なくなっている。

③ 結果として、互いに気持ちが十分通いあわない現実がある。

④ ペットの散歩のさせ方、投げ捨てられているタバコの吸い殻・空き缶・ペットボトルに見られるようにマナーやルールに対する意識の弱さも感じられる。

⑤ 家庭において親から子、孫へと受け継がれてきた伝統や道徳心・生活習慣に対する考え方も少しずつ変わり、家庭で戸惑う姿も見られる。

住みよいまちにしようとする積極的な行動を起すことです。

「みんなが安心・安全に暮せる」の「向こう三軒両隣り」の精神で、より良いコミュニテイの場を増やすことです。

◎ 高齢者への福祉向上を図る。

◎ 住民による清掃活動。

◎ まちの歴史を学び未来に継承していく。

助け合って共に・・・福祉・環境美化・青少年育成と地域の活性化を・・・急速に変化発展する社会の中で、共に豊かに生きるために、人として地域としてのあり方を見直し、新たな行動を起すことです。

まちをつくっているのは、私たち町民です。歴史と伝統あるこのまちに生まれ育ち生活していることに誇りをもち、さらに住みよい豊かなまちにするために、今、「道徳のまちづくり」が必要だと考えます。

2018年8月29日 (水)

強い憤りを覚えます

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「中央省庁が障害者の雇用を水増し問題」

国の信頼が損ねる重大な問題です。(NHK・NEWS WEBなどより)

障害者の雇用は、国をあげて取り組んでいるはずだったのに、あろうことか、 国土交通省、総務省などの中央省庁が、義務付けられた障害者の雇用割合を 42年間にわたって、水増ししたりして、定められた目標を大幅に下回っていたこと が、先日わかりました。

加藤厚生労働大臣は、記者会見で、中央省庁全体で合わせて3460人の障害者雇用の水増しがあったことを発表し、「民間に率先して雇用すべき立場にありながら、こうした事態になったことは誠に遺憾で、深くおわび申し上げる」と陳謝しました。

1976年に身体障害者の雇用が義務化された当初から恒常的に 行われていたそうで、呆れます。政府は、各省庁の水増しを長年放置して きました。政府は28日、関係閣僚会議を開いて、再発防止策などの検討を始めることにしています。

責任はどうとるのか?

企業の場合、法定雇用率を達成していないと、原則として不足人数に応じた納付金が課せられます。改善されなければ、企業名が公表されることもある。ごまかしがないかどうか、定期調査もあります。

菅官房長官は、記者団が「職員の処分を検討しているのか」と質問したのに対し、「本来行うべき障害者手帳等の確認によらず、健康診断の結果などに基づいたケースがあったことが確認されている。検証チームにおける事案の検証結果を踏まえ、適切に対応していきたい」 という事です。

私は、強い憤りが覚えます。

本来、模範を示すべき国の施策を中央省庁が・・・国民に謝れば済む問題ではありません。

自動車の免許返納する

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自動車免許返納のこと

昨日、府中自動車試験場にて、自動車免許の返納手続きをしきました。

運転免許証の返納をすると自動車という移動手段が利用できなくなるため、日常生活に支障が生じる、だから返納は難しいとの意見もあります。

私の返納の理由

交通安全指導員を25年、務めています。老化のため身体の機能が減退を感じ、安全・安心の運転に自信が持てなくなったからです。

最近の高齢者の多い事故

★ アクセルとブレーキの踏み間違い…

★ 高速道路の逆走…

★ 信号の見落とし…

などの交通事故のニュースを見聞きして、人身事故など取り返しできない事故が増えているようです。

身体能力の衰えは、自然の摂理で、防ぐことは出来ません。個人差がありますが、私も大きな事故を起こさないという・・・絶対的自信が持てなくなったのです。

行動手段の制約より、交通事故で、多くの人に迷惑は掛けられない・・・という事からです。

2018年8月28日 (火)

親の本当の愛について

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人は「本当の愛」を自分の子供に持っているのでしょうか・・・子を持ってこそ、深い人間の心にふれることができるのであって、古今を問わず人間の心情に変わりはありません。

親となることができたのも、わが子が生まれてきたためです。このように感謝とか愛情というものは、相互的なものです。

子を持つことによって知り得た人間性の深さに対して、感謝することのできない親からは、親に感謝を持つ・・・良い子供は育たないでしょう。

親子でも、近くいすぎては尊敬し合えなくなり、愛し合えなくなることもあります。

それは親が親である前に、人間であることを忘れているからです。人間である前に親になりすまして、人間として振舞わずに親として振舞うことは、往々にして子供に親の実像を隠し、親の虚像を示すことになります。

親の虚像を実像と取り違えて親を偶像視する子供が出てきます。

偶像が台座から落ちて子供が悲しむことを避けるために、親は実像を隠し、自分の虚像を掲げます。これは近くいすぎて自分の実像を見られると、子供の愛と信頼を失うことを恐れるからです。

人は遠くからしか人を愛することができない。

つまり虚像しか愛し得ないのです。自分をしか愛し得ないということです。人が他者を愛する場合は、絶対者として愛するのではなく、他者の中の自分を愛することに他なりません。

人間が愛しているのは自分だけであって、絶対者への愛は欠落しています。人間は人間の虚像をしか愛し得ないし、愛していません。

親が望む進路を押しつけない。

将来のことを本格的に考え始める時期ですが、親が子どもに、ムリに自分の期待や理想を押しつけることがあってはいけません。

このタイミングで子どもと適度な距離をとることです。子どもの将来と自分の理想を重ねるような言動をしていたら要注意です。女の子の母親は、無意識に自分自身が生きたかった人生を娘に強要してしまうことがあるので気をつけることです。

人生は山登りに似ている

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山登り・・・

登頂したあとは、麓(ふもと)をめざして下山します。永遠に続く登山というものはないです。この下山こそが本当は登山のもっとも大事な局面です。

これまで登山行きのオマケのように考えられていた下山のプロセスを、むしろ山に登ることのクライマックスとして見直してみたい。。。

登山が山頂を征服する・・・挑戦する行為だとする考え方は、すでに変わりつつあるのではないでしょうか・・・。そして今、下山の方に登山よりもさらに大きな関心が深まる時代に入ったように思われます。

安全に、しかも確実に下山するというだけのことではなく、下山の過程に、登山の本質を見いだそうということです。

下山の途中で、登山者は登山の努力と労苦を再評価するでしょう。下界を眺める余裕も生まれてくるでしょう。自分の一生の来し方、行く末を思う余裕もでてくると思います。

その過程は、人間の一生に似てはいます。

壮年期を過ぎた人生を「林住期(その勤めも果たし、自然に向き直って自分自身の人生を静かに見つめる時期)」とみて、そこから「遊行期(家を捨て死に場所を求める放浪と祈りの余生の時期)」にいたるプロセスを人間のもっとも人間的な時代と考えます。

下山は「林住期」から「遊行期」への時期です。そこに人生のつきせぬ歓びと、ひそかな希望を思う。

古代インドに人生を次の四つに分ける思想です。「学生期(がくしょうき)」「家住期(かじゅうき)」「林住期」「遊行期」の四つとなっています。

2018年8月27日 (月)

本当の優しさとは・・・

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本当の優しさとは・・・

人は孤独です。

孤独であり、その孤独のなかに人の存在を探す・・・都合の良い「優しさ」で自分を孤独の中から引っ張り上げてくれる人を探す・・・だが、それは「優しさ」ではありません。

○ 「優しさ」とは他人との繋がりの果てにあるものです。

他人に孤独を与え、例え消えてしまったとしても世界は回るというそのことを認めて、逞しく生きていくことをお互いの心のなかに映す・・・宇宙のなかにポツンといるようで星たちは繋がっているということを気づかせてやることです。

○ 自分の力で「生きる」ことを強く望むようにすることです。それを近くで、遠くで、或いは心の中で見守ることが本当の「優しさ」です。

与えることは優しさではありません。 人に何かを与えることも「優しさ」ではなく「親切」です。無条件で与えられた「それ」に果たして与えられた人は「ため」になっているのでしょうか?

○ 自分で掴み、自分で得、自分で喜びを感じることです。

その過程を「与える」という行為で破壊してしまうのだから、もはやそれは「優しさ」ではありません。また、「与える側」もその行為を「優しさ」だと思って行動するとき、両者の間には交わることはないのです。

○ 「優しさ」というのは自分で掴み、自分で得、自分で喜びを感じる過程を人に「与える」ものです。

励ますことは優しさではありません。 そばにいることは「優しさ」ではないのです。そばにいて自分の存在で相手の悲しみが癒えることありません。そして 相手を励ますことも同情してあげることも「優しさ」ではありません。

○ 行動や姿勢で示すことが本当の「優しさ」です。

闘うその姿を遠い場所から見守ってあげることです。うまくできなかったなら手を差し伸べてあげることです。ときに相手を突き放し、自分で解決しなくちゃならない幾つかの事柄をきちんと自分で解決していけるように、共に闘うことです。

結論は・・・自分の放つ光に気付くことです。それを見守ることが「優しさ」だと思います。

過去から学び今を生きる

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「過去から学ぶ」

過去を見なければ、先に進むことはできません。

過去を蔑ろにするということは、未来を見ないということです。何故なら過ちとは、忘れる物ではなく乗り越えるものだからです。

過去の事を忘れるというのであれば、それは逃避であり怠惰でしかありません。過去から目をそらすことは、自己の成長を放棄するということです。

対策を立て、失敗に学び、経験として積み上げることこそが…未来の解決に繋がるのです。過去に起きた事実は変えられなくても、そこにどんな意味を見出すかは自分で決めることができるのです。

「過去から学び、未来を見つめ、今を生きる」

「生きることの目標や目的を、そのゴールという到達する”点”にではなく、行く道すがらのプロセスという”線”に置いている」という捉え方においてです。

大切なのは足らないものより今あるものです。欠けているところをみれば切りがありません。失くしたものを数えても心は満たされません。 手に入らないものを求めても、苦しい思いをするだけです。

まだ残っているものも沢山ある。失ったことで新たに得られたものもあるはずです。

2018年8月26日 (日)

日々に新たなり

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「日に新たに、日々に新たなり」

・・・日々の仕切直し・・・

最近、年を取ったせいか、大きな感動することも少なくなり、毎日が連続した帯のように認識?して、変化の少ない毎日が続くような気がしています。新鮮な刺激に出会うことも青年時代から比べると大幅に減って、同じ事が繰り返され…

「今日もまた始まる」

今日一日を新しい気持ちで、どう過ごすことが大事なことだと思います。一日というものを、どのように向き合って生活して行くか考えますと。。。

今日は、昨日の続きではない…今日は、明日に続かない…毎日新しい心で、ということは何にも一物も持たない心で、新しい世界に触れていくならばこの世界は新しい。

昨日の太陽が出ているようだけれども、厳密に言えば、あれだけ熱量を発散したら昨日の太陽と今日の太陽とは熱量が違うはずです。

庭の草木を見ても、昨日咲いた花は今日は咲かない…川の水の流れは毎日違っている…自然の世界は毎日新しいです。人間の心だけが古いところに拘っていれば、それが病気とも言えます。自然だけではありません、私たちの体でも新陳代謝して、昨日の細胞と今日の細胞とは違うのです。

すべてが新しくなっていくのだから、心も新しくして、昨日のことは忘れて…昨日喧嘩したことは忘れて…昨日人を恨んだことは忘れて…憎いことも嬉しかったこともすべて忘れて…新しい心で今日を迎えていくということが、道というものであると思います。

これが本当の人間の生き方であり、正しい生き方であります。

幸せとは自分で感じるもの

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◎ 生き方に優劣も上下もない…

○ 人より多くを持てば勝ち…

● 何かができないと負け…

今の世の中、そんなふうに比較して優劣をつけることでしか、自分の価値を実感できない人が増えています。

○ 私たちに上も下もないし、そもそも比べるようなものでもない。

○ 争いも、何かを奪い合う必要もない。そして、生き方に優劣はありません。

○ 持つ人、持たない人。できる人、できない人。

○ 人それぞれ違いがあって当たり前。

◎ みんな違いはあれど、同じだけ価値があります。

◎ その違いを抱えたまま、みんなが同じように幸せになれるんです。

生きていれば苦しいこともある

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生きることは苦しみが伴なうものです。

さまざまな苦しみを感じるのは、今、生きているからです。

ストレスが多く、それを解消できない日々を送っている人は多いでしょう。自分の中の幸せは何か理解している人は、うまく解消できているかも知れません。

何か満足できない人は、本当に自分の生きたいように生きていないのではないでしょう。誰れでも、生きていくのが辛いとか、苦しいとか、思い悩むことがあると思います。

それが、どんな苦しみなのか、どういう悩みなのかは、人によってみんな違います。苦しみが長く続くこともあれば、短い期間だけで終わることもあり、また、苦しみがすごく深いものから、それほどでもないものまで、生きているかぎり諸々の苦しみがあります。

この世には 、すべてのものは、それなりに原因があって結果があります。生きていることが苦であるというが、いったいその原因は何でしょうか?

たとえば、財欲、飲食欲、睡眠欲、さらには名誉や権勢(権力を握っていて威勢のいいこと)の欲望にいたるまで、人間はあらゆる欲望をいだきます。

欲しいものが手に入らないと、さらに欲しいという苦しみの気持ちが強くなる。欲望を持たなければ苦しまなくてもいいのでしょうが、生きている限り欲望は尽きません。さまざまな苦しみを感じるのも、今、生きているからです。

2018年8月25日 (土)

みんなの川の清掃デイのこと

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「みんなの川の清掃デー 」

八王子市では、毎年「みんなの川の清掃デー」主催=美しい八王子をつくる会・八王子市共催で行われます。

今年は、平成30年9月2日(日曜日)に実施します。時間 午前6時から、各町会近辺の川の周辺です。(私たち片倉町一町目町会では小雨決行)

八王子市の代表的河川である浅川を中心に、市民の憩いの場となっている主要各河川の堤防周辺の草刈り、ごみ、空き缶、ペットボトル等の回収を市民が協力して行い、清掃することで、環境美化意識の高揚や市民のコミュニティ活動を推進する活動です。

私たちの町=片倉町一丁目町会は、湯殿川の国道16号の住吉橋から上流カタクリ橋までが該当エリアです。

私のお願い…

湯殿川・河川管理通路には、ゴミは捨てない。タバコの吸い殻一本ぐらい・小さいゴミぐらいでポイ捨ては、絶対ダメです。湯殿川には魚がいます。川の水かきれいになれば“あゆ”が見られるのです。(カタクリ橋~稲荷橋…4年ぐらい前から確認しています。)

環境問題を改善・解決していくためには、一人ひとりが問題を認識し、情報などを共有して行動することが必要です。環境問題は複雑で規模が大きいため、「自分一人が行動しても変わらない」と思いがちですが、一人ひとりが行動をおこし、学校や会社、地域社会と連携を図ることで、改善に向けて前進することができます。

環境問題について考えてください…

家族や友人などと、環境問題について話し合うだけでも意識が変わります。少しでも、身近なことからエコについて意識しましょう。

2018年8月24日 (金)

自分の心に言い聞かせること

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私が最近、自分の心に言い聞かせることがあります。

「他人がどう思うとも。。。

自分が納得しているのだから

毎日、地道に淡々とやればいいんだ・・・」

「不言実行」・・・

「不言実行」とは「口では何も言わないが、行動はしっかりしている」という意味です。その人の本当の考えや気持ちは、口からではなく、行動から分かるということです。

普段の行動から存在感もにじみ出てきます。「必ずやります」と言っている人でも、実際の行動が伴っていなければ、人から信頼は失われてししまいます。

しかし、口で何も言わなくても、実際の行動がしっかり取れる人には、存在感を抱いてしまうのです。

2018年8月23日 (木)

奉仕の心

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『奉仕の心』

「地域社会にて生かされている。」

人は一人では生きていけません。お互いに支え合ってこそ生きられるのです。地域社会があって生きられるのです。生きていることは、お互いに奉仕し合って生きているのです。

現代社会は、省力・機械化・・・さてさてAI化?で、心が多くの人に伝わるのでしょうか?心と心が繋ぐことができるのでしょうか?私は疑問を持つ一人です。

人のために自分の時間を使う・・・このとは、昔から言われている「情けは、人のためならず」…(「情けは人の為だけではなく、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味です。)

奉仕する事は、誰かのためでもあり…自分のためでもありまあす。 一般的に親切にする事や、誰かに対し奉仕する事は、人は優しいと言います。

時には自分の時間や、自分の苦労を惜しまず人につくすような人もいて、そのような人を素晴らしい人だと認識する事が多くあります。

昔の誰かの言葉?

「自分が得たいと思うなら、まずは自分から 人々のために行動して大切なものを手に入れ、人々に何もかも与えて、かえって心は豊かになる…つまり、精神的な豊かさを得たいのであれば、「他人へ奉仕せよ」。

 地域の人たちみんなが、笑顔になれる、心の絆が、私たちに必要だと思います。

2018年8月22日 (水)

年をとって思う生き方

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81歳を過ぎて・・・

八十一歳を過ぎて、一日一日の過ごし方が辛くなることがあります。人にはなかなか言えないけれど・・・食事、排せつ、睡眠すべてに、健康を保つ努力が必要になります。耳も遠くなり、物を見づらくなります。つまり心身の機能が減退を感じてくるという事です。

山や川・古さとの…自然を楽しみの、鳥やセミが鳴くのも、昔ほど鋭敏に感じ取れない・・・何とか今日という日を越えて明日を迎えて、またその日を越えて・・・。長生きはいいね、とはとても単純には言い切れないです。

昔は、認知症という言葉もなかったです。また、老人病(老年病)といっても、六十代までの話だったのです。八十、九十まで生きた人間がどうなるかは未知の世界だったのです。

でも、医学が進歩して、百歳を超えた人間を生かしておくすべを持ったのです。いいとも悪いとも言えない・・・?(私は、むりやり生き永らえるのは反対です。いよいよの場合、延命しなくていいと回答します。) 

数少なくなった同級生と会うと、あまり昔話はしないようにしています。今が大事です。体調の話もあまりしません。長く生きていて、目や歯や足が心配とか、そんなことばかり考えてたら愉快なわけがありません。前向きな方が楽だし、幸せです。

人の名前、簡単な字も忘れ、計算も時間がかかる・・・認知症?と自己申告?したいくらいで…車の運転免許も、事故起こさないうちに返納を考えています。行動範囲が狭まる?・・・歩ける足をゆっくりであるが、うまく使いながら、自然を楽しみに、俳句など作って生きたいと考えています。

2018年8月21日 (火)

人生の選択に正解はない

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矛盾だらけの世の中で、何が正しく何が間違いなのか…何が良くて何が悪いのか…本当に難しい世の中です。

良かれと思った事も悪い結果になったり…人の心も分かりません。何が幸せか不幸せか、それは分かりません。変わりたいと思った時こそ選択肢に悩む ・・・現代社会はグローバル化で、今までの価値観では通用しない 時代でます。

変わらなければ生きにくい、そんな世の中と思います。こういう時代だからこそ、いつも以上に様々な、選択肢にぶち当たることになります。

例えば、身近なところから

◎ 今の仕事をどうするか。やりがいはないけどこのまま続けるか、思い切ってやりたい仕事に就くか。

◎ 本当は人間関係をやめたいけど、やめられない。どうしようか?

◎ 自分の人生を生きるか、否か。

など、様々な選択肢が降りかかってきます。そんな時、誰だって正しい選択をしたいと思うのは当然です。でも、正しい選択をしたいということの根底はどんなことでしょうか?

まず「あとで後悔したくない」ということなのではないでしょうか?

結論は、正しい選択なんてその時はないのです。あとで、正解だった!と感じることこそ正しい選択なのです。

後悔しないためにはどうしたらいいか…例えば、今の仕事をやり続けたとき、将来はどうなっているか?思い切ってやりたい仕事に就いた時の将来は?

「自分は本当はどうしたいのか」を考えてみることです。その結果こそが、正しい選択となるのです。自分自身が納得して決断しない限り、あとでそれは正しい選択とはなりません。

反対に、きちんと納得して決断できれば、どんな結果になろうとあとで後悔することってないのではないでしょうか?

今までの生きて来た過去を、振り返って考えてみることです。

きちんと納得して出した結論は、後悔していない?

○ 自分自身できちんと納得して決断すること。

○ 自分は本当はどうしたいのかを考えること。

それで導き出された答えこそ、正しい選択になるのです。

夏は往く

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清流に わくら葉流れ 秋の風

古城祉の 秋を聞けとぞ 鳶の笛

わくら葉に 酷暑つづき 夏終わる 

稲の穂に 居場所はここと イナゴかな 

蝉しぐれ 一段とおさまり 月昇る

夏は往く・・・

宇宙の法則?世の移り変わり…諸行無常の理(ことわり)を知る…季節です。

暑さはまだまだ続きそうですが、昭和だけでなく平成も静かに過ぎていく…明日は何が待っているのだろうか。。。

2018年8月20日 (月)

本当の幸せとは

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人間が生きる真の目的。

自分自身の心を美しくすることです。 品性を磨いて人格を高めることです。 正しい行いと、良い行いをして、徳を積むことです。

社会に大いに貢献すること。

全ての人間関係を円満にすること。 感謝報恩と奉仕の精神を持つことです。 人間が生きてゆくうえで必要なお金・物・地位・その他は、一生懸命に努力をすればその人が持って生まれた器の分だけは、手にすることができます。

人間の生きる目的を忘れ、おろそかにして、いたずらに欲望のみを追い求めると、人は幸せにはなれません。不幸を招きます。

 本当の幸せ感を味合う。

○人に愛されること。○人にほめられること。○人の役に立つこと。○人から必要とされることです。・・・これは、人間の究極の4つの幸せです。

このうちの愛されること以外の3つは、働くことで得られることです。地域社会で、また職場で・・・「貴方働きのお陰で、助かった、ありがとう。」という言葉が自然とでるのだと思います。

人間誰しも持っているという、人の役に立つことが幸せだと感じる脳、「共感脳」が、人に役に立ったときに満たされる…幸せだと感じられる…まさに、自分の存在を確認できるからなのでしょう。

世のため、人のためというと大げさになりますが、人間だからこそ、このように素晴らしい能力を持てるわけで、本当にありがたいと思います。

2018年8月19日 (日)

私たちの住むこの地球を守ろう

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「地球環境が大変です」「自然や生態系を守りましょう」「地球にやさしく」…

地球環境の危機を伝える情報と、この問題への取り組みを呼びかける言葉が今、世の中にはあふれています。

自分たち以外にも生き物は生きている、自然を大切にしなければならないという事を頭にいれ、今一度自分の行動を見つめ直してみるべきです。

環境で私たちひとり一人が守らなければならないことがあります。

環境破壊しないために私たちが出来る事は何だろうか。 例をだすと、ゴミに関してはリサイクルや再生をしてまた使うという事ができます。

他にもゴミを少なくするために買い物へ行くときはビニール袋をもらわないために、自分で鞄をもっていくとか 割り箸のゴミを出さないために専用の箸や水筒を使用するなどいろいろな工夫が出来るかと思います。

また自動車は排気ガスをだし、空気をよごすのでそこまで遠くない場所なら自転車でいくなども環境破壊しない事への第一歩です。

一人ひとりの意識を変えること

「あたりまえ」のことであり、なおかつ数ある環境保全の理由の中の、ほんの一部にすぎないかもしれません。しかし、本当に心に危機感をおぼえた人たちが、何か行動を起こすには、十分な理由でもあります。

私たちひとり一人が出来ること「ゴミのポイ捨てをしない」ことです。タバコの吸い殻・小さいゴミだからいいだろう?・無意識の噛んだガムを吐き出して行く・・・車から空き缶を捨てる・・・最近目に余る光景を目にします。

成長する人は行動する

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良い心配と、悪い心配

人生は、いろいろの経験から、悪い状態になるのではないかと心配するものです。

心配することは大事なことだと思いますが、悪い状態になるのではないかと、憂えることから…ついには優れた人に成長する人もいれば、憂えることから、悪い状態になるのではないかと、ついにはノイローゼになってしまう人もいます。 

その違いは何故でてくるのでしょうか? 

成長できる人は、心配をなくすために行動し努力します。心配するだけで、何も行動しない人は成長はできません。

今度の試験に落ちたらどうしよう・・・心配なら、一生懸命に勉強して準備することです・・・それは良い心配と言えると思います。

悲観的に一生懸命準備して、楽観的に行動することが大切と思います。心配しても自分で準備することも、どうしようもないことを心配する人がいます・・・それは悪い心配です。

今、今日心配してもどうしようもないことは、どうしても心配したければ、明日になって心配することにしましょう。
今日という大切な日だけは、そんなことは放っておいて、今、行動できる心配のほうをすることです。

2018年8月18日 (土)

本当の自分を知る

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本当の自分でいるとき、誰しもは幸せなはずです。

「本当の自分」とは・・・

「自分のことは、自分が一番良く知っている」・・・そう思って誰しも、毎日暮らしているのですが…果たしてそうでしょうか。本当に知っているのでしょうか。

もし「本当の自分」を知らないで暮らしているとしたら? あるいは、一部だけしか知らないで暮らしているとしたら? それは大変なことです。

それには、毎日の言動について、「自分は」どうしたいのか?を問いかけることです。そして、自分の心に問いかけ、暮らすことです。

具体的には・・・

①:感情を認識する

②:色々な事に挑戦してみる

③:ひとりの時間をもつ

④:何も考えない時間をもつ

⑤:自分の思考の癖を知る

⑥:自分へ質問をする

これらを意識して暮してみて、自分を知る方法は、「自分の心に素直に振る舞うこと」だと思います。

2018年8月17日 (金)

善悪を教えることが子育ての基本 

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子育ては、「善悪をわきまえること」このことこそ、親がすべき家庭教育の基本です。

今日では日常生活のしつけまで学校の先生にしてもらうことを期待して、親は食べること、着ることだけを受け持てば、それで親のつとめは果たしたと考えているのでしょうか・・・

子どもは1才の頃から、良いこと、悪いことの感覚はすでに芽生えています。

人生の最初から正しい道徳観を教えて行かねばなりません。 最初の家庭教育は「ことばの教育」です。それと同時に良いこと、悪いことについて教えるべきです。そして、思いやりや愛すること、良いこと、悪いことを理解させることです。

善悪を教えることが子育ての基本 

親が子供に善悪を教えることが子育ての基本ですが、このごろ若者の間でおこっていることで、善悪でものの判断をしないで、みんながしていることが善いことであるという判断です。

たとえ悪行であっても、みんながしているとそれは悪行ではないというのです。親が子供に善悪をきちんと教えていないと、その子が成長して大人になっても、善悪を教えられる親にはなれないでしょう。

親の身勝手なふるまいのために、子供の心が寂しくすさんでいき、善悪の判断ができないままに、さまざまな事件を引き起こしてしまう子供もが、多くなったように思えます。

人は善悪をわきまえずに自我欲望のおもむくままに行動していると、自分さえも見失ない、気がついたら奈落の底に転落してしまっているのです。

世の中の大人の生きざまを子供達は見ています。大人の行動が成長していく子供達の社会生活における善悪の判断に影響します。親の後ろ姿を見て子は育つと言いますが、日常の親の姿から、子も自然と善悪の道理を学んでいくことです。

人は 感動して成長してゆくもの

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人は 感動して成長してゆくものです。

感動は 素直な心から生まれるものです。人の優しさに触れたとき…夢を叶えようと努力する人の姿を見たとき…優れた芸術作品を観たとき…などの外発的な感動・・・

自分自身が困難を乗り越えやり遂げたとき…努力が報われたとき…生かされている自分に気づいたとき…などの内発的な感動・・・

その感動よって自分自身の意欲が高まり、一段と高い目標に挑戦したり、人に喜んでもらえることに積極的になったりしたことがあるでしょう。

感動には人の心を動かす力があります。

真の感動を得るためには、数多くの経験を積み重ね、当たり前だと思えたことに感謝できる心や、自分に降りかかる試練にも感謝できる心を養うこと、そして何よりも、自分の人生に主人公としての責任をもち、懸命に生きることが大切です。

そして、美しいものや、自然、人との関わり合いの中で感動し、たくさんの事に感動出来る感性を磨きたいものです。

2018年8月16日 (木)

心に余裕をもつこと

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心に余裕を持った生き方をして、人生楽しむことです。

 「心に余裕を持つ」ことを心がけるとは、心に余裕があるときは、一つ一つの出来事を大切にすることが出来るからです。

「心に余裕を持つ」とはどうやったらできるのか…

○ 自分の状態を正面から受け止めること。

まずは自分が疲れているっていう自覚が何よりも大切です。それがどんな状況であれ、自分がしんどい、辛い、疲れている、といったことを認めることが大事です。

つまり自己承認です。そして、そのうち何んとかなる…今のこと(疲れている)を、長い人生に(あって当たり前…)と思うことです。そして、そのうち何とかなる。。。と考えることです。

では、心に余裕を持てるようになると、どのような変化が見られるのでしょうか・・・

◎ 人に優しくなれる…

◎ 色んなことに興味を持つようになる…

◎ 人生100倍楽しい…

心に余裕を持てると周囲の人に気をかけられるようになります。相手を思いやれる時間が増えることで、何をしたらその人にとって最善かを考えられるようになるのです。

普段、毎日が目まぐるしく過ぎていき、自分のことで精いっぱいだという人もたくさんいることでしょう。

一日にたった5分でもいいから自分と向き合う時間を作ることです。そうすることで気持ちがリセットでき、心にも少し余裕ができて優しい気持ちになれると思います。

人は悩んで成長する

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生き方に悩むことは、成長していることなんです。

悩んでいるときは、苦しい時間です。結論が出せないときは、どうしたらよいか悩みます。気持ちも落ち着かず、ストレスもあり「早くこの悩みから解放されたい」という一心のはずです。

しかし、悩むのは、苦しいばかりではありません。悩んでいるときは、あれこれ複雑なことを考えている状態です。

「どうすればいいだろうか?・・・」悩んでいるときが、成長しているときでもあるのです。

人間は「どうすればいいだろうか」と悩みながら成長する生き物です。人間の脳はなぜこれほど発達したかというと、悩む能力があるおかげです。

深く悩めることも、人間ならではの能力です。ささいなことでも敏感に反応して考えてしまう性格は、将来きっと大きく成長します。いつか「ささいなことに悩みやすい性格でよかった」と思える日が来るでしょう。

悩めば悩むほど、成長するのです。

「世の中というものは、そんなに簡単ではない。人間も、すこぶる複雑にできている。何十、いや、何百何千もの要素が入り組んで因果関係を織りなしているのだから、「これ一つ」で何もかもがうまくいくわけがない。」

「私たちの未来に何が待ってるかなんて、誰にも分かりっこないんだよ、そんなこと。」

人は、いろいろなものに左右されていろんなことを考えて、それぞれの思惑で行動し、それなりにベストを尽くすけど、最後には必ず…“時の流れ”…がすべての審判を下すでしょう。

2018年8月15日 (水)

将来の夢はなに?

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「夢を追いかける」

を持っている人は、ロマンを感じて、素晴らしいことです。私たちは、子供の頃から、聞かれ続けたきたわけですから、誰もが少なくとも一度はこのことを考えたことがあるでしょう。

夢を追いかけることが果たして…正解なのか?、不正解なのか?

「将来の夢はなに?」・「夢をあきらめるな」・「自分の思うようにしなさい」といった言葉は、はっきりしているようでとても曖昧です。その曖昧さゆえに、それは多くの誤解を引き起こし、場合によってはいらぬ苦悩の原因にもなっています。

「夢を追いかけろ」という言葉の問題

私たちの中で起きている誤解とは 「将来の夢はなに?」・「夢をあきらめるな」・「自分の思うようにしなさい」といった言葉は、はっきりしているようでとても曖昧です。

その曖昧さゆえに、それは多くの誤解を引き起こし、場合によってはいらぬ苦悩の原因にもなっています。将来の夢をひとつ決め、それに一直線に向かっていくという考えは多くの人を苦しめます。

「将来の夢は?」や「夢を追いかけろ」といった言葉には、ある言外の前提があります。それは、やりたいことを「ひとつ」みつけ、それを一直線に追求していくべきだという考え方です。

この考え方はあたかも「夢の仕事に着くこと」が「幸福」に直結しているかのようにも映りかねません。また、こうした、「夢」の捉え方は、ひとつの夢を追いかけ、それを実現することが人生の特効薬であり、それが実現できなかった場合は「夢に敗れる」ことを意味します。

この考え方は、あまりにも白黒はっきりしすぎていませんか?これでは勝率があまりにも低すぎます。 また、「そんなことは分かっている」、「そんなナイーブな考え方はしない」といった反論もありそうです。

しかし、ここで留意しておくべきなのは、「夢を追いかける」ことの反対、つまり「夢をあきらめること」や「自分の情熱、関心を無視すること」に振れることが正解ではないことです。なぜなら、それもやはり「夢を追いかける」という考え方に基軸が置かれているからです。

したがって、「夢を追いかける」という考え方のフレームワーク自体に多くの問題が孕んでいるため、「すべき/すべきでない」といった白黒どちらかという、アプローチはあまり有効ではないということです。

2018年8月14日 (火)

初秋の候

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暑さ冷え  夜風に乗って  虫の声

夕立が 砂利道につく 水の跡

ひぐらしの 遠くに聞こえ 秋を知る

窓開けて 立秋過ぎたと 独り言

初秋の候

日の暮れに時間が早まりを感じ…

吹く風にのって聞こえてくる虫の音を美しく感じる…今日このごろです。

見上げた空の高さに、秋が訪れることを実感し…

季節の移ろいを思い知らされます。

うだるような熱風から、ふと気付けば爽やかな涼風へと吹く風も変わる

一年の四季の移り変わりのなかでも、ひときわ感慨深い時期のひとつです。

2018年8月13日 (月)

前向き生きることは動くこと

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じっと動かずにいても、何も変わらない。

何もアイデアも浮かばないし、考えも気づきも起こりはしない。だから・・・とにかく・動くことで・・・行動することです。

人は常に選択し判断している・・・

その一つひとつの判断をするために、常に「頭を使っている」わけですが、なんでもかんでも考える癖をつけていると、脳は疲れるし、判断も鈍ります。

1日の中で、もっとも重要なことに、しっかりと頭を使うには…頭で考えないでいいことは、できるだけ、頭を使わないでルール(決まり)で、判断できることを増やすことによって、人は楽に生きられるのです。

そして人は、身体を動かし、人間の本能で行動することが大切で、瞬間・瞬間の判断で生きているのです。

今、この瞬間に、ひとつのことにしか集中できません。

お昼の食事のことを考えながら仕事の見積は作れません。お金の支払いのことを考えながら、お金を稼ぐことを同時には考えることができません。

ですから、人間には、無意識ってのがあって、反射的に動く、判断する能力が備わっているいるわけです。

例えれば車の運転・・・

ブレーキをゆるめながら、アクセルを踏んだり…ハンドルを操作しながら左右の確認をしたり…これって考えながら最初はやってるから疲れたり、ぎこちない。

ある時から、意識は、目で追う安全に集中して、足や手の操作は、無意識に勝手に動くようになるのです。そうなると快適なカーライフになるわけです。

これと同じように、いちいち考えなくても反射的にルールに従って判断できる基準を作ると、重要なことに頭を集中させることができて、パフォーマンスも上がることです。

そして、老齢化…により、反射・判断能力のスピードが落ちます。結果、事故に繋がるのです。私は、老齢化で、運転免許を近じか返納する予定です。

2018年8月12日 (日)

道徳と宗教

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盂蘭盆会(うらぼんえ)とは・・・

現在では、7月や8月の夏に祖先の霊をおもてなしをして、供養する仏教行事のひとつとして広く行われています。この行事に合わせて故郷へと帰省する人も多くみられます。

日本人の、25%しか特定の宗教を信じていないと言われています。日本人は、無意識で宗教という意識すらなく、ご先祖様を大切に想っているということなんでしょう。

先祖教?

ある調査で…日本人は、先祖を敬う気持ちを持っている人の割合94%だそうです。

日本人独特の宗教観ですが、一人ひとりの命が古代から脈々と続いてきたからこそ、私たちは今ここに生きています。

父と母という二人の人間がいなければ私は存在せず、父と母が存在するには父方と母方の祖父と祖母、四人の人間がいなければなりません。

「何万人もの人たちが命をつないでくれなければ、自分の命はない。」「自分の後ろには、壮大な命の連鎖が広がっている。」

こう気づいたとき、「自分の命は自分のものというより、たくさんの人たちから与えられたものだ」と感謝できるようになるのです。

道徳と宗教

道徳と宗教の戒律は、よく似ています。その道徳(戒律)ですが、分かっていても守れないのが人間なのです。そこに人間の弱さ、卑怯さがあります。そんな、自分を認め(悔い改め)反省し、守れるような人間になりたいと神や仏により頼むのが、宗教(信仰)なのです。

道徳は国や地域により異なります。文化や慣習が違うからです。しかし、宗教の戒律は全世界統一されています。従って、似てはいますがその根源は全く違っていると考えるのが妥当と思います。

歴史に学ぶこと

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歴史において、私たちが一般常識だと思っている内容について考えてみました。

私たちが、何の疑いもなく学んできた事は、数年後には、変化するかもしれない。

いいかえれば、当たり前と思っている常識が、実は当たり前ではない、不確かなものである・・・そう言う認識を持つことも大切と思います。

例えば、万里の長城…これまで発表されていた8851.8キロより、約1万2千キロ長い、2万1196.18キロに上ると、6年前に再調査で、中国が発表しました。

ショックを受けたりしてはいけない。もしショックを受けたとしても、新しい情報に柔軟に、対応することです。また、どんなに愛着のある馴染み深い名称や、人の名前があったとしても、私たちは、新しい結果と受けいれる器量は必要です。

「歴史の事実が変わるのではない、歴史の見方が変わるのです。」

歴史は、現代に繋がっていますので、教養としては古代から学ぶのもいいでしょうが、現代の時事問題、ニュースを理解するのが目的ならば、近代からの流れを知っておけばいいのではないのでしょうか。

今の世の中の制度の矛盾を正すためには、歴史を知る必要があります。

歴史を学ぶことは、現在の過ちを学ぶことでもあるのです。そして、未来に対する洞察力を磨くことです。そして人生を考えることです。

歴史を学ぶことによって自分の生き方を考えるのす。歴史は、決して、年号を暗記するようなことではありません。人としての生き様を修得することなのです。

2018年8月11日 (土)

身の丈で生きる

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「身の丈で生きる」=「自然体で生きる」=「無理をしない」=「足るを知る」

自分の身の丈で生きるとは、自分の能力や器量に見合った生き方をするということです。ここでいう自分の能力や器量とは、自分を卑下したり、貶めたりせず、おごらず、高ぶらず、等身大の自分に見合った能力や器量・・・

つまり、自分に自尊心を持ち、自己肯定感を育み、自分を慈しむ気持ちをもって、自分の能力や器量に見合った生き方をしていくのが、本当の意味での「自分の身の丈で生きる」ということなのです。

また、自然体で、無理をしないで、「足るを知る」ということです。そして、自分が生きてるということを存分に味わうことができ、そこには驚くほどの心の平安と幸せがやってきているはずです。

人間は無意識のうちに、自分と釣り合う相手を求めるのです。そして、自分の身の丈に合った相手を選んでいる……という考え方です。

◎ 人と比べて、劣等感や優越感を感じることがなくなる。

◎ 日々の暮らしが落ち着く。

◎ あせりや不安がなくなる。

自分が生きてるということを存分に味わうことができ、そこには驚くほどの心の平安と幸せがやってくると思うのです。


心の支え

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地球が誕生してから約46億年という月日。この地球の歴史を一週間に置き換えるならば、人類が文明をもってから、まだ1秒とわずかです。

人生とは「奇跡」であり「瞬間」であり「貴重」だと痛感します。

人生は試練の連続です。しかし、試練は大きな喜びに至る通過点です。これを通らなければ深い幸せは味わえないのです。「辛いことが起きてしまった」と感じたときには、「また先にもっと大きな幸せがある」と思えばよいのです。

心の支え・・・

◎ その日を楽しむ

 オードリー・ヘップバーン名言

「どんな日であれ、その日をとことん楽しむこと。ありのままの一日。ありのままの人々。過去は、現在に感謝すべきだということを私に教えてくれたような気がします。」

◎ ものの見方・価値判断

(伊藤 守 著/ディスカヴァー・トゥエンティワン) より

『天に星が輝いていても、あなたが見上げなければ無いに等しい。あなたが自分自身に目を向けなければ、あなたの価値もないに等しい』

下ばかり見ていては、輝く星に気づきません。曇り空で星が見えなくても、やっぱり星は輝いています、雲の上で・・・

他人のことばかり見ていては、自分の輝きに気づきません。たとえ少ししか星が見えていなくても、本当はたくさんの星があることを私達は知っています。

他人はとても輝いて見えるのに、自分に目をむけるとさっぱり光っていないように感じることがあります。でもそれは、少し雲がかかって見えにくくなっているだけです。

嵐の夜でもちゃんと星が輝いているのと同じように、私達は自分の中に魅力的な輝きがあることを知っているはずです。

2018年8月10日 (金)

物事の捉え方

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現代社会はインターネットにより、居ながらにして膨大な情報を入手できます。

そこには、真実でないものや意図的な嘘が含まれている場合があります。こうした虚偽に振り回され、他に利用されないために、物事を客観的に捉えられる見識が一人一人に求められています。

○ 自分の意見として捉える物事…主観的に捉えること。

「意見」とは、あくまでも感情を伴う、個人の産物です。世論や常識と呼ばれるものは、個人の産物の集約に過ぎません。割合で過半数を超える「意見」が、世論や常識となるのです。

しかし、判断の基準となると、それぞれの見地(世代や文化、国籍、宗教など)により様々となります。「意見」は主観でしかありません。

○ 事実として捉える物事…客観的に捉えること。

「事実」とは、「物事」が価値判断せずに捉えられたとき、初めて、そこには客観的に捉えることになるのです。

例えば「物事」が、5W+H・・・『When(いつ)、Where(どこで)、Who(だれが)、What(なにを)、Why(どうして)、そしてHow(どのように)』のことです。

これらのことをベースに「物事」を語るとき、どのような見地から語っても、そこで言われることに相違は表れません。究極の「事実」とは、このようなものです。

人生現役最終ラウンドの生き方

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人生現役最終ラウンドの幸せを実感できる生き方・・・

自分の人生振り返ってみますと、けっこう異を唱えてみたことがあります。

結果的にはパワーがあって、反発することもありましたが・・・81歳になった今、理不尽さや、不平・不満はあります。しかし、心に仕舞っておいた方がいい?

「しょうがない」

腹が立ったり、イライラすることは誰にでもあります。

そんな時に、いつまでも執着するのではなく、「しようがない」で済ませてしまうことが得策と思うようにすることです。

そうすることで、自身のストレスは最小限にできるし、何より周囲は「清々しさ」感じてくれると思う・・・

あえて深追いするよりも、引き際をわきまえている人のほうが人格者とみなしてくれるのではないでしょうか?

しかも、高齢者は経験的に引き際を知っているので、若い世代よりも理性的に動く判断能力に長けているという。その利点を生かさない手はない。。。と思います。

2018年8月 9日 (木)

善と悪について

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勧善懲悪(かんぜんちょうあく・善を勧め、悪を懲しめる)

「善悪の基準」とは…善悪は時代や地域、における正義に準じることです。「正義」とは、人の道に適うことです。

一般的には、結果や量、外見や形で善い悪いと判断されがちですが、善いことへの結果や量、外見や形ではなく、動機や心の持ち方が良いか…悪いか…です。

良い心の持ち方とは、心が清まっていることです。怒りや貪りが少なく、落ち着いてリラックスし、朗らかで、言葉も対応も丁寧な姿勢でしょう。

反対に、悪い心でとは、心が汚れていることです。怒りや攻撃性に満ち、本心では野心があり、言葉も粗暴で、態度もぞんざいで、落ち着きが無く、騒がしい状態です。

大規模な社会貢献をするよりも、小さくても身の回りで心を込めた親切のほうが、実は大きな結果を招く…量ではありません。質(動機・心のあり方)のほうが何百倍、何千倍も尊くなると思います。

普段の生活の中から、善行ができるのです。性格や気質によって苦手・得意はありますですので、それぞれができることをやっていくのが大切です。例えば、近隣のお付き合い・地域社会での助け合いの心と行動で示すことです。

また、こういう基本的な善悪の見方をするようになれば、無理を強いたり、言わなくてもすむようになります。

出来たなら社会貢献やボランティアはやったほうがいいでしょう。ただし、悪い心でやったなら、それはあまり効果が無いといいますか、意味を成さなくなるということです。そうして、実際に、悪心を起こしながら、行っている方もいますので、せっかくの善行を台無しにしているようでもったいないです。

理想的には、善い心で社会貢献やボランティアをすることになると思います。ですが、量の多さ、活動の広さとかではなく、自分ができる範囲で取り組んでいくことということになると思います。

心を抑圧するのではなく、また興奮したり感情を激しくかき立てるのではなく、リラックスした中庸のある感じで取り組むのが良いと思います。

2018年8月 8日 (水)

季節は立秋というのに

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蝉が鳴く 森の樹々に 秋の風

立秋は 名ばかりの 猛暑かな

涼風を 恋しく思う 秋の月  

今年の立秋は8月7日でした。

今年の夏は、記録破りの暑さで、今日8月8日ですが、今日の岐阜県 美濃市では41度の猛暑でした。

今夜、台風13号が、関東地方に近づき、大雨と強風が心配です。

7月の西日本豪雨…災害があり、6日に山形大雨…そして今回の13号台風の、コースが気になります。なんとか平穏に通過するよう願いたいものです。

自然の流れに身を任せる

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「雨ふらば降れ 風ふかば吹け」

人間には、何をしてもダメだと思う時があるものです。

この様な時は、どうすれば良いのでしょうか?・・・淡々と、目の前のするべきことを努力しながら、その「流れ」に任せることが大切です。

川の流れに逆らい、もがいてみても、余計に苦しくなるばかりです。「川の流れ」を冷静に見ていますと、その流れの分岐点や、取り付く木材が視界が必ず見え始めます。 

しかし、目の前のするべき努力を忘れて、「何とか変える」ことばかりを考えていますと、流れの後ばかりを見ていることになり、流れる「先」を見ていないのです。さらに行き当たりばったりのトラブルに遭うことになるのです。泣きっ面に蜂です。

一休さんの歌

「有ろじより  無ろじへ帰る  一休み  雨ふらば降れ  風ふかば吹け」…がります。

色々とあるこの世から、何もないあの世へと帰り、そして一休み。雨が降るならば降れ。 風が吹くならば吹け。

有漏路(うろじ)とはこの世こと…無漏路(むろじ)とは、あの世のこと。

「無漏路に帰ってしまえば、雨が降ろうが風が吹こうが問題にならない。(だからお好きなように)」…といったような意味になるでしょうか。軽やかで、大変清々しい境地だなぁー、と思います。

「雨が降っている…風も出てきた…「嫌だなぁー」「憂鬱だなぁー」というのは空想の世界・・・事実は、ただ単に「雨が降っている…風が吹いている…」だけのことです。

有漏路に遊ぶのも悪くないけれど、そればかりじゃ疲れてしまいます。たまには無漏路に帰って「一休み」することが、私たちには必要なのかもしれません。

自分で出来る努力をして対応しながら、その流れに任せて、悪いことがあれば「出し切る」ことが大事です。人間は、嫌なごとの流れを止めようとして苦しみます。嫌なことも「出し切れば」、ほんとうに気持ちがよいものです。

今日も、自分が出来ることをしながら、流れを楽しみたいです。

2018年8月 7日 (火)

人生峠とは

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人生という、一本の山道を歩いていけば、頂上を過ぎ、やがて下り始める。。。

峠の下り方は人それぞれ、さらに上ろうと努力する人もいれば、状況を受け入れて歩み方を変える人もいます。

今や100歳時代。「人生の峠とは」、「下りとは」… 

人生の峠とは、経って見ないと分からないものではないでしょうか?「下りとは」自分自身で心身とも、今までのような、頑張りが出来なくなったと、感じることが多くなった時からだと思います。

自分自身で決めること、先輩や過去の人の意見ではなく、人それぞれの考え方、ポリシーで生きる(歩む)ことが大切です。

自分で自分のことを決められない人に、幸せはやってきません。決断には、勇気と責任が伴いますが、生き続けるための、人生の必要なステップです。

下り坂は長い?

人は人生のピークを過ぎたら後は「下り坂」。。。年を取れば体のあちこちにガタがくるし、気力も衰えがちになるでしょう。それをそのまま受け入れて、残りの坂道をゆっくり下っていければいいが、これがなかなか難しいものです。

ついつい「まだまだこれから」…と、人間いつまでも上を目指してばかりはいられなません。体力が落ちてきたなと思ったら、上りから下りへギアを切り替えることのタイミングが大事です。

81歳からの人生

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81歳で思う、これからの人生

人間って、幸せ探しの旅で終わることなんだ。そして、本当の幸せとは、「心から安心・満足」できることだと思いますが、終着駅がないことです。

自分がやりたい事をやる・・・これが一番幸せと思う

人の幸せは人それぞれなんだから、自分自身の幸せは誰からも教えてはもらえない。自分自身に問いかけて、自分が本当にやりたいことをやることが一番の幸せなんだと思う。

でも、「私は何をやりたいんだ」と言っても、その答えが簡単には見つからない・・・「これが今の私の幸せだ」と思っていても、「まだ他にも幸せはあるのでは?と欲張りと考えすぎ?」の迷いがあります。

だから、やはり先人たちが考えたり悩んだりしてきたことも少しは役立つかもしれないと思って、これまで「私の幸せ探し」の旅をしてきたような気がするのです。

結局は、自分の幸せとは、今は分からなくて後から「あの時が私の一番の幸せだったんだろうなあ」と気づくことなのかもしれません。

まぁこれからは、健全健康長生きの三ナイ主義を心がけることにしよう。

○ 食べ過ぎない ○ モノグサしない ○ 欲をかき過ぎない

2018年8月 6日 (月)

今日ゴミ拾いをして思う

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タバコのポイ捨ては絶対にやめましょう!!

まちの景観を損ねている路上に捨てられたごみの約9割が、タバコの吸殻です。

今日、1時間ゴミ拾いをして思いました。

知っていますか?

八王子市内全域で路上での歩きたばこ(歩行喫煙)を禁止しですよ!

八王子市では、安全な歩行空間を確保することにより、快適に過ごすことができるまちづくりを推進するため、平成19年1月1日に「八王子市路上喫煙の防止に関する条例」を施行しました。

タバコのポイ捨ては、まちが汚れてしまい、火災の危険にもつながります。たかがタバコの吸い殻一本ぐらい~誰かが捨てているから~はペットボトル・空き缶・ファーストフード包装など、どんどん増えてしまうのです。 

「割れ窓理論」で汚れた町は、犯罪に繋がるのです。

今子供の道徳教育が重要視されています。学校教育で学んだことが、地域社会の大人の行為で違和感が生じることになるのです。

子どもは大人の行為をよく見ています。

今ある自然環境は、先代たちから引きついています、現代人は、今ある自然環境をを守り、誰もが安心・安全なまちづくりをする責務があると思います。そして後世に引き継ぐ使命があるのです。

タバコは灰皿のあるところで吸うか、携帯灰皿を携行し、ポイ捨てはやめ下さい。

人間として正しい生き方

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正しい生き方とは

稲盛和夫氏・・・正しい生き方とは、けっして難しくありません。

子どものときに親から教わった、ごく当たり前の道徳心。

○ 嘘をつくな。
○ 正直であれ。
○ 人をだましてはいけない。
○ 欲張るな。

そういうシンプルな規範の意味をあらためて考え直し、それをきちんと遵守することがいまこそ必要なのです。

これを、「小学校の道徳のようなことをいう」と笑う人がいるかもしれません。しかし、その小学生のときに教わったようなことを、私たち大人が守れなかったからこそ、いまこれほどまでに社会の価値観が揺らぎ、人の心が荒廃してきています。

では、それらを身につけるためにはどうしたらいいのか?

☆ 人生はその人の考え,産み出されるもの

いいかえれば、その人の心の持ち方や求めるものが、そのままの人の人生を現実に形作っているということです。

したがって、事を成そうと思ったらまずこうありたい、こうあるべきだと思うこと。そして、誰よりも強く、身が焦げるほどの熱意を持って、そうありたいとすさまじく熱望することが何よりも大切です。

それだけではなく、その実現へのプロセスを頭の中で真剣にこうして・ああしてと幾度も考え、シミュレーションを繰り返す。そうして、どんどん完成形がはっきりと見えるようになるまで考えぬくことです。

☆ 原理原則から考える

私たちは、物事を複雑に考えてしまう傾向があるものです。しかし、物事の本質は一見複雑に見えて、実は単純なものの組み合わせで出来ています。

人生を歩んでいく途上では、至る所で判断や決断を下さなければいけない場面がでてきます。その一つ一つの選択によって、人生は形成されていきます。

だからこそ、その判断や選択の基準となる原理原則をもっているかどうかは、私たちの人生の様相を全く異なるものにしてしまいます。

完璧な人間はいません

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人は誰しも、長所(良いところ)と、短所(悪いところ)を持っているものです。

意識していますか?

意識している人は、悪い所を直して、より良い自分になろうと努力している人は、多いのではないでしょうか・・・

悪い所を直すよりも、良い所を伸ばした方がいい…

良い所を伸ばして誰もが認めるようになると、悪いところが目立たなくなってきて、自然と悪いところもなおるはず。」 と私は思うのです。

よい所が沢山ある人になると、本当に信頼さられる人になるはずです。人の悪い所ばかり見る人は、人からも悪い所ばかり見られると思います。そして、人とぶつかります。

私も以前はそんな時期もありました、(今もそうかも知れませんが「どうしてこんなことも出来ないの、どうして分からないの。」などなど…しかし、人はそんなに簡単には変わりません。

人の良いところを見つけて、認めると、相手も認めてくれます。

認めてくれると、誰の話も素直に聞くようになり、周りとの関係も良くなります。結果、それは自分に帰って来るはずです。 大事なことは自分の悪いところ(欠点)を知って、自分の良いところを伸ばすことだと思います。

なぜなら、自分の悪いところを知らない人は 「常に自分は悪くない。」 と思っているから、人に不快な思いをさせたり 迷惑をかけても気が付かないので、良いところを伸ばすどころではなく、知らぬ間に悪いイメージばかりついてしまいます。

2018年8月 5日 (日)

明日は明日の風が吹く

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むかし、親父に

「悩みがあったら、寝て考えてもダメ、起きて考えろ」と言われ…

最近つくづく思うのです。

カナダの心理学者・エリック・バーンの名言

◎ 「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。」

私たちはつい、悲観的な未来を想像してしまいます。考えれば考えるほど、」不安や悩みが増えていきます。寝て考えても結論がでません。

『明日は明日の風が吹く』のです。

「これまでもダメだった・・・どうせまた悪いことが起きるんじゃないか」

人生は「今日」の積み重ね。。。だけどそれは、同じ「今日」の繰り返しではありません。

今がダメでも、この先どうなるかはわかりません。これまでがどうかなんて関係ないのです。

人生は繰り返しでない「今日」の積み重ねです。 今日という日は二度とこないのです。流れていく「今」は常に、この瞬間にしか存在しません。 今日だからできることがある。今しか感じられない思いがあるのです。

エリック・バーンの名言は他にも・・・

◎ 「今、この時を認識すればよい。過去や未来を生きる必要はない。」

 「人類永遠の課題は、起きている時間を、どのように構成するかである。」

日々幸せを感じられる生き方

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人生は、ゆっくりでもなく、急ぐでもなく、丁度よい速さで過ごしたいものです。

現代社会は、人工知能(AI)の進化などどんどん人工的なものが増え、コンピューターの計算速度はより速くなり、メールは世界をかけめぐり、一瞬にして世界で大金が動く、市場経済になりました。

そして、時速270キロで疾走する新幹線・・・1秒という僅かな時間にさまざまな知恵や技術を注ぎ込むことで豊かさや便利さを追求し続けています。

つまり人間の行動や、考える速度が特別に速くなったわけではないのですが、機械がとても速くなり、人間がその機械に振り回されかねない、危険な時代となっていると思えるのです。

なぜ危険かというと、機械に振り回されて、人間本来の気の流れや、思考のスピード、本来もっている気づきの感性などを見失うことで、人間は心と体の気の調和を乱し、気付いたら欝になっている、というようなことになりかねないからです。

また、今から数百年まえに人類の見る、聞く、感じるというような五感は衰えはじめ、今はメガネ、双眼鏡、レーダーなどに頼るために、どんどんその人間の五体の能力は落ちてきていると言われています。

そして時代に先駆けて今脚光を浴びている仕事の最先端にいる人々だって、日々変化する世界の動きをパソコンの画面で見つめながら、大変なストレスにさいなまれているといえるでしょう。

そのうえ、時代の流れに乗れない人々の中で、自分の存在そのものに価値が見いだせなくなり、幸せな人生が送れない人だって増えています。

日々幸せを感じられる生き方。

これこそが、年収でもなく、地位でもなく、キャリアでもなく、人間にとって豊かな人生を送るために、最も大切で求められる生き方なのです。

2018年8月 4日 (土)

生きていれば老いは必ず来る

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普段、あまり鏡を見ない私・・・

最近、妻に「随分顔に皺ができたねーお父さん!」そういわれて、自分でも鏡を“しげしげ”みて、あきらかに以前とは違う、老いをまとった自分がいることに驚ききです。

しかしそれも、日常の一コマにすぎず、見慣れた顔ゆえ「想定内?仕方がない」こととして受け止めるしかないありません。

身体の衰え・・・昨日まで何ともなかった足腰が、何かの拍子で悲鳴をあげる。怪我をするようなことを、していないにもかかわらず…です。

どうして? と首をかしげたくもなるが、「老い」という招かれざる客は、ひたひたと、しかし確実に身を潜めながらやってきているのを実感する…今日この頃です。

すべての出会いは必然であるし、森信三先生の言葉をかりれば、「人間は出逢うべき人には必ず逢える。一瞬遅からず一瞬早からず」だから、「老い」との出会いもその人にとっての一番いいタイミングなのでしょう。

とはいえ、これほど思いがけず、ばったり出会ってしまって嫌な相手はいない。生きていれば必ず出会う「老い」…です。

その出会いをいい出会いにするために、今の時間をいい時間にすることです。いい言葉やいい心持ちが、いい出会いを引き寄せると思います。

幸、不幸は心持ちしだい

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「人は自分が幸福であることを知らないから不幸なのである」

ロシアの文豪、ドストエフスキーの言葉です。

「幸、不幸は心持ちしだい」です。

同じ状況におかれても、幸せと感じる人もいれば、不幸と感じる人もいます。性格の問題もあるでしょう。けれど、それだけで片付けてしまわないでください。

幸せを感じることは、自分の近くにあるのです。

○ ちょっと外に出て…空を仰いで胸一杯に深呼吸する…心地よさ。。。

○ 散歩して…道ばたに咲く可憐な花を見つけ…そのアッと感動。。。

○ 朝の食事…炊きたてのご飯をほおばる…至福のとき。。。

○ 毎日の生活…「おはよう」「おやすみなさい」と言える相手がいることの…幸せ感。。。

何がなくても、何気ない日常にあふれるささやかな喜び。世界はこんなにも小さな幸せに溢れているのです。

不幸の原因ばかりを探しているかぎり、不幸は続きます。幸せになりたいなら、日常にころがけている、ちょとした幸せは一杯あるのですよ。。。

価値ある幸せ

何か偉大なことをしようと思わなくていいのです。ひとりでもいい。誰か自分のまわりの人を幸せにできたら、それこそ、大いに価値ある幸せ…人生です。

2018年8月 3日 (金)

理想の歳のとり方

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正しく歳を取ることとは?

現代は、歳をとれば自動的に「知識」・「経験」・「資産」のストックが自然に増えるという構図が完全に崩れたのです。

昔は「年寄り」は多くの人生経験をして来たので、尊敬 されてきましたが、今はそういう時代ではありません。これからは、個々人が年の取り方を考えていかなければ、自分の中に残るものが無い時代です。それは誰にも教えてもらえません。 

「こういう年の取り方がしたい」って思っている人それぞれだと思います。

私は「こういう年の取り方が理想と、今は思っていますが・・・

○ つねに新しいことにチャレンジする意欲を持つこと。

○ 自分が知らないことは素直に学ぶ姿勢があること。

○ 誰に対しても敬意を持って接すること。

○ 孤独でもさみしさを感じないこと。

一言で表すと、変化への適用力があって、人付き合いも上手いけど、自分以外の人間にに依存しすぎることが無いことです。

年を取ったときの状態ではなくて、マインドセットに焦点を置いているのは、自分以外のものが自分を幸せにしてくれることはないと感じているからです。

結局、自分の内面は何も変化しないんです。自分以外のものはすべて単なる通過点なので、目指すゴールにはなりません。

私は、自分のマインドを自分でコントロールできて、なおかつ周囲に良い影響を与えられるような歳の取り方がしたいと思います。

努力は必ず報われる

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「無駄な努力はどこにもない」

どんな無駄だと思うことでも、努力したことや一生懸命に取り組んだ事が、すぐに成果が出て成功した人もいます。しかしすぐに成果が出たり成功した人はほんの一握りの人です。

大半は毎日何時間も、もしかしたら寝る間も惜しんで努力したり一生懸命に取り組んだりしているけど、なかなか打開策が見つからなく、失敗の連続で成果が見出だせない人がいます。

そして時には失敗の連続で、やることをもうやり尽くしてしまい、挫折を味わい諦めてしまった人もいます。挫折を味わい、諦めてしまうまで努力したり一生懸命に取り組んだ人は決して無駄ではないのです。

また、何かに夢中になれるものがあれば、一生懸命に取り組んだり努力したりする集中力を身に付いているのだから、今度は諦めないで何度失敗しても良いから、成功までやり続けたら必ず成功します。

格言

◎ 「努力した者が成功するとは限らない。しかし、成功する者は皆努力している。」

努力は必ず報われる。そう信じることができれば、 人はどれだけ辛くても努力し続けることができます。

2018年8月 2日 (木)

生きていられることに感謝

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一日の無事平穏に感謝・・・

まさに、ご先祖さまの「お陰さま」で、私たちの生かされているのです。

食事の前に「いただきます」・・・感謝の気持ちの表れです。

そして、当たり前のことが当たり前にできる姿こそが、自分が生きている証です。そして生かされている証でありますから、その時々に手を合わせ、感謝を表すことができれば、それ自体が、他ならぬご先祖さまへの感謝の表れとなります。

また、「おはようございます」や「こんにちは」の挨拶も、自分が生かされ、周りの人がいてこそできることです。したがって、日常の挨拶を感謝の気持ちでするだけでも、一日がより充実したものとなることでしょう。

今の自分や家族があるのも、ご先祖さまがいて下さってこその存在でありますから、家族で交わす挨拶そのものが、ご先祖さまに感謝する行為と何ら変わるものではないのです。

感謝を表す代表的なことばに、「ありがとう」があります。食事の「いただきます」「ごちそうさま」もそれにあたります。私もそうですが、感謝のことばを、本当に感謝の気持ちを持って発しているでしょうか・・・

漢字で書くと…「ありがとう」とは「有難い」ことなのです。

残念ながら、「有難いこと」でも、「してもらうのが当然」のように捉えてしまうと、感謝の気持ちは薄れてしまいます。家族や身近な人に対しては、余計にそうではないでしょうか・・・

私たちは、何事でも、「有難い」こととして捉え、それに感謝する。感謝できる環境に生かされていること自体が幸せである。「日日是好日(にちにちこれこうにち)」なのです。

その幸せに対し、家族や身近な人にこそ、大きな感謝の気持ちを示し、常にそれを口にすることができれば、本当に素晴らしいことであると思います。

また、感謝の気持ちやことばは、決して一方通行ではなく、互いを思いやり支え合う「お陰さま」「お互いさま」の精神で成立します。

2018年8月 1日 (水)

心のこもった言葉

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心のこもった言葉

…「ありがとう」・「おかげさま」・「おせわさま」など、美しい意味と響きを持つ言葉が日本語には数多くあります。

文字、音は形をあらわす表の世界、その裏に心がこもって初めて言葉としての輝きが生まれてきます。

毎日、毎日、一日も欠かさずに使う言葉、毎日使う膨大な量の言葉の中には、ただ習慣になったかのように口から無意識に出て、まったく意味を考えずに使っている言葉もたくさんあります。普段使っている言葉の意味を考える、時にはそういうことも必要かもしれません。

「こんにちは、どうもお久しぶりです。 お元気でしたか?」

ひとつひとつ、その相手に合った言葉をさがす…この作業を通して、本来持つ言葉の意味、心の中の思いを伝える手段として言葉の役割に目覚めるのです。

「心を込める」ということは、本当に難しいことです。

夜床につくとき、その日一日、お世話になった様々な事柄が思い出し、言葉の意味を深くさぐり、考える、これは心の奥を考え(検証)てみる。。。

ものごとの奥を見る…人や状況の真の姿、現実は奥深くまで見なければ見逃してしまいがちになります。人を“誉める”という行為は、正直で、心からの言葉でなければなりません。

心からの言葉か見極めること

私達は物事のうわべだけを見がちです。 人や状況の表面だけを見てしまう時はあります。 ですがもっとその奥深くにあるものを見つめてこそ、新しい見地・視点から相手や状況が見えてくるものです。

言葉に心を込めるということは、言葉の意味を深く考えるということと、同じことなのでしょう。言葉を大切に使うことで、心の世界も広がってくるようです。

思い通りにならない人生

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人生は、なかなか自分の思い通りにはいかないものです。

生きることは、楽じゃないのが当たり前で、うまくいかずに苦難ばかり多いことが普通なのです。でも、「楽じゃない」けれど、苦を離れて、生き方を「楽しくする」ことはできます。

仏教に「一切皆苦(いっさいかいく)があります。

人間は生まれた以上、必ず老い、病気になり、最後には死んでいく、という避けられないプロセスがあります。

「一切皆苦」は、「この世の営みはすべて(思い通りにならない)苦しみである」という意味です。しかしそれは、若さや健康、生命に対して執着をするから「苦しみ」になるのであって、本来の人生は、もっと純粋で素朴な生の営みです。

つまり人生は、私たちの捉え方ひとつで苦にも楽にもなるのです。そのための執着心を制御する方法や、心に平安をもたらす人生の送り方を教えているのが、仏教だといえるでしょう。

自分の人生が終わるとき「この世に生を受けて本当に良かった」「与えられた人生を生き切った」と思えるよう、充実した人生をまっとうしたいものです。

「諸行無常」限りあるからこそ、今を充実させられる

 諸行無常とは…世の中の一切のものは常に変化し生滅して、永久不変なものはないということです。今というこの瞬間は一度きりで、それを見過ごしたら、二度とその今は帰ってきません。

生あるものは、いつか必ず滅びます。無情だからこそ、今咲いている花は、美しいと感じるのです((花はいつか枯れます)。逆説的ですが、死と向き合うことが、生を充実させる生き方につながっているのです。今という瞬間も無駄にはできないのです。

遥かな未来も、今というものの延々としたつらなりであるから、一刻も無駄にはできない。今の一歩を踏み出さずして、何事も未来には成し得ない。道に迷ったときは、これまで歩んできた中で得た経験をもとに道を修正することができます。

なぜなら未来とはまだ決まっていないのだから。。。 遥かな未来も、今というものの延々としたつらなりであるから、一刻も無駄にはできないのです。

今の一歩を踏み出さずして、何事も未来には成し得ません。今は未来の始まりである大切な時間であることを忘れず、日々を積み重ねていくべきとと思います。
  

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