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2018年5月

2018年5月31日 (木)

使い捨てプラスチックのこと

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環境破壊防止対策は、現在、多くの国々で大きな問題となっています。

人は、生活の水準が高くなるにつれ、一般的にモノを使い捨てる傾向にあります。私たちの周りには、1度しか使わない「使い捨てプラスチック」製品があふれています。

海洋プラスチックごみの問題は、世界的に超緊急の課題です。誰かが捨てたごみが、汚染物質まみれになって、あなたが食べているかも知れません。海のプラスチックごみが魚の量を超えているそうです。

もうまったなしです。特に、プラスチックゴミは、全世界で取り組むことが必要です。

世界の動き

「プラスチック製ストロー禁止 ヨーロッパでルール策定へ」

EU(=ヨーロッパ連合)の執行機関であるヨーロッパ委員会は、EU加盟国とヨーロッパ議会に対し、ストローやフォーク、容器などの使い捨てプラスチック製品の流通を禁止する新たなルールを提案した。

プラスチックは海洋ゴミの85%を占め、海の生態系に深刻な被害を与えているということで、ヨーロッパ委員会は「EU全体で取り組むべき喫緊の問題だ」などとしている。

リサイクルされずにゴミとして捨てられたものが結局、埋め立てに回されるわけで、そうすると、海へ流れ出てしまうということになるのです。

ゴミが海へ流れ出て、大きいプラスチックが太陽の紫外線や波の力で、ものすごく細かく砕かれてしまう・・・これを魚が飲み込んでしまうのです。

これは、リサイクルされずにゴミとして捨てられたものが結局、埋め立てに回されます。そうすると、海へ流れ出てしまうということです。

大きいプラスチックが太陽の紫外線や波の力で、ものすごく細かく砕かれてしまいます。これを魚が飲み込んでしまい・・・その魚を食べる私たちの体に「回り回って…」悪影響を及ぼすのです。

EUでの取り組みは、他人事ではないことです。

――明日は我が身ということを意識していきたいです。この問題は他人事ではありません。日本周辺の海でも、プラスチックを飲み込んだ魚がたくさん見つかっているんです。

海洋汚染の問題は、「回り回って…」私たちの体に悪影響を及ぼす可能性があるということです。

2018年5月30日 (水)

改ざん・書き換えの違い

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「悪質なものではない」・「麻生大臣“森友”文書改ざんのこと」

「書き換えられた文書の内容を見る限り、少なくともバツをマルにしたとか、白を黒にしたとかいうような、いわゆる改ざんといった悪質なものではないのではないか」

「改ざん」「書き換え」「訂正」

単純にこの3つの言葉の意味を調べてみると。

「改ざん」・・・文書、記録などを本来とは違うものに変えること。

「書き換え」・・・書き直す、文書、証書などを更新すること。

「訂正」・・・誤りを正しく直すこと。

どの辞典やウェブページを見ても大体このような意味のようです。改ざんと訂正では全然別の意味になってます。

それにしても、国会審議をいつまでも続けて貴重な時間が無駄にしています。早く国民が納得いく説明が欲しいものです。

28日の衆参予算委員会の集中審議・・・

政府の説明と食い違う新たな文書が明らかになり、疑惑の解明が焦点となったが、安倍首相は「新しい事実がない」と自身や妻昭恵氏の関与を否定する答弁を繰り返すのみ。野党側は「うみを出し切っていない」と反発したが、追及も決め手を欠いた。(毎日新聞)

2018年5月29日 (火)

人生は一筆書き

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「あれ梅と いう間に曲がる 小舟かな 」・・・小林一茶

浮き世に浮かぶ小舟の、人生の春にも等しく、あっという間に曲がって、喜びが消える風情が謳われたと感じます。

特急や自動車で駆け抜ける現代と違って、ゆっくりと自然と共に流れる素朴な時代で、春の儚さを感じた強さを思い図れます。

自然に身を任せ

人生は、人と比較したり、あの人のようになりたいと目指すものではないと思います。

人生は42.195キロのマラソンと同じで、どんなにすてきなデザインの靴を履きたいと思っても、それが自分にとってマラソンを完走できる履きやすさかどうかが一番大事なわけです。

人生は一筆書き

人生は、自分だけの一筆書きです。ですから、あまたあるマニュアルを追うのではなく、自分の勘を信じていくことが必要で、すぐに答えが出せなかったら、自分自身でタイミングをつかめるまで自然に待っていればいいのです。

悠々自適(生き方)

俗事の煩わしさから離れて、自分の思いのままに静かに暮らすこと…明鏡国語辞典

つまり、「世の中の面倒なことから離れ、自分の思う通りの心静かな暮らしをすること」を表す語となっています。

この「悠々自適の生き方」という言い方は「ゆったり」「伸び伸びとした」生活がイメージされるところがあります。「雨耕晴読」…しかし、そういう気持ちは誰でも思うところですが、現実はなかなか難しいことです。

2018年5月28日 (月)

世のうつろい・・・

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「世のうつろい」

最近のこと、同級生の訃報を聞き、世のうつろい、惜寂の思いがつのります。

「人の世のうつろいは飛花落葉のはかなさにひとしい 」 『辻井 喬 (堤清二…実業家)の言葉』通りです。

現代は、政治、経済、化学、教育、人々の価値観が目まぐるしく変化しています。

歴史・時代文明社会・現代社会は、誰しもの心を揺り動かさずにはおかないような、焦燥感にかられる時代でもあります。

平安…

平安とは、やすらかで変わったことのないこと。一人ひとりの心の落ち着き、つまり平穏のことをいうのです。

心から平安を願いたいものです。

そもそも争いの大もとは、自分の中にあるもの…「あいつは嫌いだな」・「あいつは調子に乗っているから俺が懲らしめてやらなきゃ」などという感情から争いが始まります。

誰かと利害が対立したときに…「自分から折れるのは癪(しゃく)だ」などと思う人もいるでしょう。

心の平安、平穏を得るには、これを克服することが必要で、究極を言えば、みんなが心の平安にたどり着くことで、争いのない世界が実現できるのですが……。

2018年5月27日 (日)

夏燐り

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今日の空 梅雨間近を 忘れさせ

桜木の 木陰の道は 夏燐り

今日5月27日(日)は八王子市の「町の清掃ディ」でした。私たちの町でも朝8時から、多くの人が清掃(ゴミ拾い・広場の除草)を行い、きれいになりました。

朝からよく晴れて、もう初夏の風情です。でも、天気予報は、梅雨がも直ぐ?

心の豊かさ・生きがい

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80歳・・・これからも、心豊かに、生きがいを持って生きたいものです。

心豊かに・・・

心の豊かさは、最低限度の物質的な豊かさが必要だと思いますが、その上で何気ない日常にありがたみを感じることができれば、精神的に豊かだと言えると思います。

何もないところに穏やかさを感じ、心穏やかに過ごす。また何もないところから笑いや楽しみを生み出し、身近な人と楽しく過ごす。

何気ないありふれた日常に、ありがたみや幸福感を感じるようになれば、それは心が豊かなのだと思います。

そんな心の豊かさは、「こうでなければ」という条件はあまりないと思います。

天気の良い日の心地よさや、頬を伝う風の心地よさなど、自然の与えてくれる心地よさは、日常から感じることができます。

心の豊かさは、型に嵌(は)まった幸福感に捉われていないで、ふとした幸せを、心が感じ取れる状態と思います。そして、心が豊かであれば、人に与えることができ、人と分かち合うことができる状態だとも思います。

自分が得ること、それはもちろん大切なことではありますが、必要以上の物を求めず、「足るを知る」感覚があれば他の人と分かち合うことは可能です。欲が少なく、人と分かち合うことができる状態が、心が豊かな状態です。

生きがい・・・

人は誰でも、何らかの「生きがい」を持つことで、人生の価値や意味を見い出そうとします。

広辞苑みると、生きがいとは「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」と定義されています。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものである、と捉えることができます。

「生きがい」という言葉の使い方としては、「生きがいを感じる」というのが一般的であり、主観的な感情を表す用語であるともいえます。したがって、何を生きがいと感じるかは人によって様々であり、一概に定義できるものではありません。

2018年5月26日 (土)

老人川柳(冗句)

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むかし中学の先生の作った「老人川柳(冗句)を思い出す。

中曽根元首相は、明日で100歳となるという。元気で何よりです。

* サジ投げた 子にすくわれて 老後生き    (サジはスクうもの) 

* 口惜しくて 歯軋りのため 入れ歯嵌め    (慌てて上下逆)

* 老いた妻 ドライフラワー じっと見て      (水気・色気欠乏)

* 定年後  妻に洗脳  される日々       (下克上の嘆き)

* 紙オムツ 旅行鞄に  詰めツアー       (参加できる幸せ)

* 喜寿近く 待機晩成 夢と消え          (小器も成らず)

* 同級生  歳たずねる ボケた友         (痴呆の始まり)

* 定年の  肩にヒラヒラ 花が散る        (実り無き人生)

* サバ読んだ 歳も定年 来てバレる       (オールド・ミス)

* 長命と 健康は別と 老いて知る         (ヨボヨボ長寿は否)

* 定年後 枯れ木に 個性の目が伸びる     (生涯学習)

* 一張羅  よりも足腰 先に萎え         (ヨレヨレ服と人生)

* ヨワイ(歳)喜寿 ワープロ転換 弱い喜寿   (名解)

* 本当に 幸せだろうか ポックリ死        (旅たちの準備も必要)

* 結婚は 終身雇用と 悟る今           (転職の機を逃がす)  

* 腰の分 口が達者に なって老い        (ヨボヨボの口達者)

* 肩書きを 捨てて定年 風呂掃除        (三助)

* 防止より 老化を進める 妻の下知       (加老・過労) 

* 「金の卵」 賞味期限切れ ホーム・レス    (50年前の地方出身者)

* 百歳に 長寿法を聞く 医師会          (実利に学ぶ・・・)    

* カツラさえ 長く使えば 禿げてくる       (カツラに育毛剤は?)

* 常識の 変化に老いは 追いつけず      (若者語・カタカナ語)

* 嫁の愚痴 こぼしに婆の 墓参り        (爺ちゃん早く迎えに…

* 老衰と 言うな過労の 大往生          (過労死に非ず)

* 女房の 老後プランに 俺消され         (偕老異穴)

* 家業捨て 遺産継ぐと 言う息子         (身勝手)

自己中とながら族

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「ながら族」・・・

一般的には、「ながら族とはラジオや音楽を聴きながら勉強したり、TVを見ながら食事をするといったように、何か他事をしながらでないと集中出来ない人をいう」…そうです。

最近、忙しいからでしょうか、通勤・通学途中で、歩きながらの飲食・タバコを吸う人が多いように思います。そして携帯を歩きながら、自転車・車に乗りながら使用、電車に乗って、若い人は携帯使用は当たり前?

「サラリーマン川柳」今年(2018年)優秀賞

「スポーツジム 車で行って チャリをこぐ」…です。

矛盾をきれいに、言い当てた川柳と思います。

そこで私も一句

「環境美化 思っていても 家の中だけ」

私は毎日、散歩をして気づくのですが、川に・・・公園に・・・歩道に・・・ゴミのポイ捨てが多くなったように思うのです。

自己中心主義のせいか(成果)?片付け・始末は、無意識・めんどう・・・そして、小さいから、タバコの吸い殻一本ぐらいで捨てて行く、車の窓から・・・捨てられています。

そして自分さえよければの、自己中心の考えの人が多い社会になってしまったように思えます。

2018年5月25日 (金)

心で考えること

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人間が幸せに生きていく上で本当に大切なのは頭ではなく「心」です。

頭で考えるということには限界があり、「心で考えること」が大切です。そして、相反する「心の働き」と「頭の働き」のバランスを保ち、合わせ持つことです。

世間一般においては感情的な人間より、落ち着いた理性的な人間の方が評価されます。

自分の感情や欲求よりも、他人のためにと考えて動く人の方が、社会という集団の中では都合がいいからです。

心で考えるモードへの切り替えには、穏やかで、ニュートラルな状態でいることです。

そして、頭と心のスイッチを切り替えることは難しいけれど…切り替えやすくするためには、いつも穏やかな 「プラスマイナスゼロ 」の状態でいることです。

○ 頭は働いていて、冷静な計算はするけれど、人として温かい。

○ 心は働いていて、感情豊かではあるけれど、感情に流されない。

○ 攻撃的でもなく、詮索することもなく、喜怒哀楽は、あまり表に出さない。

頭で考えるということには限界があり、「心で考えること」が大切と思います。心で考えるモードへの切り替えには、穏やかで、ニュートラルな状態でいることです。

ニュートラルなギアには遊びが必要。。。余裕を持つことが大切です。

2018年5月24日 (木)

人間関係は信頼が第一

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5月22日に宮川泰介選手(20)が開いた記者会見をテレビで観て・・・

アメフト選手の宮川泰介選手による「悪質タックルで関学大QB選手が負傷」した問題で、記者会見を開いた。弁護士と同席であったが、多くのテレビと記者たちの中で、「二十歳の男」があれだけの発言と応答は見事。

「信頼」ない人間関係なんて、社会が成り立たない。

日大の宮川選手は、内田正人監督を「忖度」してやった行為・・・は、加計・森友・自衛隊の問題とよく似ている。

そもそも、忖度とはどういう意味か。(三省堂国語辞典)

(相手の気持ちを)おしはかること。推測。「意向をーする」

「『忖』はりっしんべんで分かるとおり、人の心を推測すること。 『度』は、『たく』と読む場合は『はかる』こと。つまり『忖』『度』ともに『はかる』で、特に『忖』は『心を推測する』

従来(昔)は「母の心を忖度する」「彼の行動の意図を忖度してみた」などと、「単純に相手の心を推測する」場合にも普通に使われていた。

政治と国民・監督と選手の関係は、忖度ではなく信頼が第一

宮川選手は、内田正人監督を忖度してやった行為(悪質タックル)・・・加計・森友・自衛隊の問題・・・「閣僚と官僚」・・・「隠蔽」「忖度」「ハラスメント」・・・日本はどうなるのか?

「誰かが言っていた」

日大の宮川選手内田正人監督を忖度してやった行為は大喝!しかし正直に自ら出て証言したことには大アッパレ! アベ政治とリンクして論じるとどうなるか!国民は目を覚ました方が良い!

2018年5月23日 (水)

無心の心

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「無心」・・・

心にわだかまりのないこと。雑念や欲心のないことです。

見るもの、聞くもの、現前しているものはすべて「あるがままの真実の世界」である、という意味です。何事も無心に徹すれば、すべての真実が現れてくるものです。

ありのままの自分でいることの大切さ

モチベーションが上がったり、下がったりするのは、自分を現状よりもよく見せたい、常に優秀であり続けたいと無理をするからです。

強い承認欲求に応えようとする気持ちが、心身を疲労させ、モチベーションを下げてしまうのです。飾らず、背伸びせず、いつもありのままの自分でいることが大切です。

初夏の爽やかな風のように

人間の気持ちとは可笑しいものです。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。。。人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。

心穏やかに

川のながれのように 、ときには深く考えず、流されるままに、波にゆられるように、ゆっくりと穏やかに…自然の流れに、身をまかせてみるのもいいと思います。

力を抜いて流されてみたら、あっという間にゴールにたどり着くことだってある。

2018年5月22日 (火)

自分らしく生きる

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人生は長さは重要じゃない、どう生きたかなんだ。」

いつも「自分らしく」っていうことを忘れないようにはしたいものです。

そして、考えようによっては死を意識して生きていくことは、大事なことだと思っています。

自分は明日も明後日も当然のように生きてるつもりに思ってても、実際は何があるか分からないからです。突然天災・何かの事故に遭うかもしれません。

だからダラダラダラダラ一日一日を過ごしてたとしたら、結局は一生何もしないまま終えてしまう可能性だって往々にしてあるわけです。

最近、ニュースなどで訃報を知らされ…なんだか無性に寂しい気持ちにさせられることが多い今日この頃です。こうして生きてる以上、一日一日無駄にしたらいけないって改めて思います。

「人生はどう生きるかなんだ。長さは重要じゃない」・・・こうして生かされてる以上は、生きてることに何らかの意味を見出していかねばと思うのです。

自分自身を納得させる為に生きることが大事で「本当の自分が もう、これでいいや…と思えるまで努力をすることが大切」・・・と思います。

他人の視線のために生きるのでは無くて、自分自身を見ながら、自分を見詰める視線で生きることが、大変大事なことだと思います。

西郷隆盛さんの死に際の最後の言葉は、「晋どん、もうここいらでよか」・・・だったと言われています。「自分の良心に従って、やれることを真からやり切った」…お蔭で、本当の自分自身から「これで良か」と許しの言葉が出たのです。

信念を持って生きる

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「信念を持ち、ぶれずに、自分らしく生きる」

信念とは( 辞書)

① 正しいと信じる自分の考え。固く信じて疑わない心。行動の基礎となる態度。
② 神仏を固く信ずること。宗教を信じる気持ち。信仰心。

「信念」=「行動の基礎となる態度」・・・つまり、「行動の基礎となる態度」にぶれがなく、一貫性がある事が「信念」を持つという事です。キャラクター(性格。人格。その人の持ち味)となるものと思います。

自分だけの価値観、信念を持つこと、 何に対しても、自分なりの考え方や、物事の捉え方を身に付けることです。

日常の生活の中で、身の回りに起こることや自分が取り組んでることに対して、自分の意見や意思をはっきり持つようにする…それができれば人生が変わると思います。

「きちんと自分の頭で考え、何事も自分の判断で意思決定すること。」それに伴うリスクや責任が発生するかもしれませんが、それも全て自分で負うのです。

そのようにして自分の人生を、自分自身の力で歩いてみるのです。それが”自分を生きる”です。そして”ブレない人”・・・ 自分を生きることになるのです。

幸せになるために、大切なことは「自分の価値観、信念に忠実に生きること」なのかもしれません。

2018年5月21日 (月)

高齢者の生きがい

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人生100年時代と言われてます。

人生100年時代がやってくるにあたり、その100年時代をどうやって豊かに生きていくのか、その人生設計が重要となります。

高齢者の生きがいとは ・・・

人は誰でも、何らかの「生きがい」を持つことで、人生の価値や意味を見い出そうとします。

広辞苑によれば、生きがいとは「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」と定義されています。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものである、と捉えることができます。

「生きがい」という言葉の使い方としては、「生きがいを感じる」というのが一般的であり、主観的な感情を表す用語であるともいえます。

したがって、何を生きがいと感じるかは人によって様々であり、一概に定義できるものではありません。

人によっては「生きていく上でのはりあい」というやや消極的なものから、「人生をどう生きていくか」というその人の人生の根源ともいえるような積極的なものまで、さまざまな捉え方があります。

私のこれからの人生

「他人がどう考えようが、自分がやりたいことをやる」

私は、年金暮らしの「のんびり人生」でいいはずなのですが、「今の世の中のスピードに、合わせなきやぁー」時代遅れ?「私は、自分のペースで暮していけばいいのだ!」

後期高齢者となってまで、世の中のスピード合わすこともなかろう。「マイペースで行こう」と心がけることしたいと考えています。

2018年5月20日 (日)

花に追われる5月

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爽やかな 五月の薔薇は 凜として

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藤の花…のツツジが満開 …そしてバラ…また野に咲く花も一斉に咲きだします。

今年は5月に入って、35年ぶり?25℃(夏日)を通り越して、30℃(真夏日)近くまで上昇する…また20℃と下がる…といった気候です。

駆け足で初夏から、真夏日へと…景色も気温も変化しています。

そして「花の命は短い」アッという間に散ってしまいます。

夏に向かって、忙しく、慌しくさえ思えます。そう思うのは私だけでしょうか?

思いやりの心の大切さ

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思いやりの心とは・・・

「相手の立場に立って自分が当事者だと思って考えること」 その結果出た「相手の気持ちを大切にする行動を取る」 ことです。

最近は、誰も他人のことを思いやらなくなり…そして、思いやるゆとりさえなくしてしまったようです。そして、他人と関わり合うのさえ厭(いや)になってしまった人が多くなっています。

親は子の世話をしなくなり、子は、「年老いた親の面倒は…」今、増えているのは、親に子どもの暮らす都会に来てもらう「呼び寄せ高齢者」です。

遠方で暮らす母親、頑固オヤジと独身息子、現場の実態に苦悩するヘルパー、介護の犠牲になる子供…「親をどうする」マンガ…(小林由美子)あるように深刻です。

思いやりから社会は成り立っているのです。

金があれば、何とかなる?誰の助けもいらぬと言う社会は、社会としての本質的機能、相互互助の精神を失ってしまう。そうなってしまったら社会など不必要なのです。

人と人との関わり合いの中で、社会は形成され、また必要とされる・・・人と人との関わりそのものを否定し、喪失したら、社会なんて無意味なものです。

お互いさま精神

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日本人は農耕民族です。

私は、昭和20年8月15日の終戦の当時8歳でした。日本は混乱して、物不足と浮浪児と物乞いが町にみらられました。

『♪とんとん とからりと 隣組…格子を開ければ…顔馴染み…廻してちょうだい回覧板…知らせらりたり 知らせたり…♪』・・・の時代を経験しています。

そんな時代で、「お隣り、近所は苦楽を共に・・・精神」あり、互いに助け合いながら暮らしてきました。機械のない農耕は村全体で協力しなければできるものではありませんでした。

ですから、私達の遺伝子には助け合いの精神が長く刻まれてきたのです。また、戦争も多く歴史の半分は戦争によって占められ、過酷な生活を生き抜くためにも助け合いが必要不可欠だったのです。

現在の日本には戦争がなく機械化も進み、豊かで便利な社会が実現されています。いわばお互いに自立して暮らしていける環境にあります。ですが、それは助け合わなくても生きていける社会とも言えることができます。

食べ物と残飯があふれ、飢えに苦しみ誰かを頼る必要がありません。汗を流して畑を耕さなくても海外から安い農産物をいくらでも買うことができ、家庭菜園は生きるための術ではなく趣味となっています。まわりからの善意ではなく、サービスとして足りないものを補ってくれる時代なのです。

なんとも便利な時代なのですが。。。

これほどむなしい時代もなかったのではないかと思っています。面と向かって頼ることがなくなったため、「頼りたい、助けて欲しい」という心の声が、この国を覆い尽くしているように思えることがあります。

プライバシー個人の情報の保護法があり・・・むかしのような、コミニュケーションは、無理です。でも本当に困っている人は、あなたの家の近くにいます。相談したくても相談する人がいません。お年寄り夫婦・独り暮らしの人は最近多くなっています。私もいつ?なるか、分りません将来が不安です。

民生委員・福祉委員など期待したいですが・・・難しいようです。

2018年5月19日 (土)

生きているだけで値打ちがある

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80歳から90歳そして、今は100歳時代

年齢を重ねて生きる意欲が湧いてこなくなった・・・生きる目標が見つからない・・・

人はただ生きているだけでもいいと思います。

『生きる』ということは、何のために生きるかという問題ではないと思います。

「人生において重要なのは 生きることであって、 生きた結果ではない。」・・・ゲーテ

ただ生きるだけで…人間は大事な大きな仕事をしているということです。

生きるというだけで、人間は大きな値打ちのあることをしている・・・その生き方に立派な生き方…値打ちのある生き方…、意味のある生き方とか・・・そんなものは関係ないと思います。

自分は生きがいのない人生を送っていると、考えている人がいるかもしれませんが、そんなことは絶対ないと思います。

「人は生きているだけで値打ちがある」

そのうえに余力があって、色々なことができる人は、すればよい・・・それはその人次第です。思うに任せる人生であっても、私は、人は生きているということに「価値」があると思います。目標は生きることだと思っています。

2018年5月18日 (金)

故郷ってなんだろう

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私にとって「ふるさと」とは場所そのものだけでなく、そこに住んでいる人や存在する物や景色、習慣、思い出それらすべてがつまった大切なものです。

それがなくなってしまったら、すごく悲しいだろうし、私は安心して外の世界に飛び出せないと思ます。帰る場所があるから、人は頑張れるのです。

私の「ふるさと」は、今住んでいる八王子市片倉町です。産まれも育ちも同じ土地です。私と同じような人は、まだ大勢いますが、かけがえのない友達と過ごしてきた思い出という名の「宝」がぎっしりつまっています。

そして、周りの人と築きあげてきた信頼からくる「安心感」があります。もし、私の大切な「ふるさと」がある日突然なくなったら…怖くて想像できません。

歴史の波・土地開発によって幼い頃によく遊んだ空き地や駄菓子屋などが無くなり、ふるさとの姿はすっかり変わってしまいました。もはやふるさとは記憶の中で懐かしむしかありません。

今でも夢に出てくるのは現在住んでいる家ではなく、すでに無くなってしまった生家です。ふるさととはいつまで経っても夢に出てくる場所であり、心が休まる重要な場所だと思います。

むかしの山や川はすっかり形を変え、町に住む人々も、他所から来た人が断然多きなっています。その人たちの、故郷の思う心・価値観はそれぞれ違います。しかし今住んでいる所が第一・第二の故郷になっているのです。

そのふるさとを大切に想い、後世に引き継ぐ責任があると思うのです。先代から引き継いだこのふるさと環境を大事に守る義務があると思っています。

何気ない日々・・・助けあえる人との思い出を、いつまでも大切にしたいものです。進む道も夢も同じ、助け合い、励ましあっていく・・・それは 「ふるさと」

充実した人生を送りたい

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毎日が充実した人生とは・・・

どんな状態が幸せで、充実人生か?は、他人に決めるものでなく、 自分が決めるものです。

心に余裕を持つこと

毎日何かに追われて、「アレもしたい!コレもしたい!・・・でもソレは、したくない 」と目先の欲や快楽ばかりを追いかけてばかりで、何一つ積み重ねがなく、心に余裕がない人生を生きることになってしまいます。

心の余裕が、全ての行き末を決める、といっても過言ではないと思います。心に余裕があれば、物事を冷静に考え、判断することができ、全力で物事に取り組め、視点の広がるのでアイディアも広がり、広い心で人と接することができます。

逆に心に余裕がないと、全てが悪い方向へ進んでしまいます。けれども忙しい毎日の中では、すぐに余裕を失ってしまいがちになります。

身体の声を聞く

心と身体は密接に関係しています。身体が万全の状態でないと、心に余裕を持つまでの作用は働きません。

「十分な睡眠、バランスの良い食事」は基本的だけれど最も大切なことです。逆に「食べれない、眠れない」というのは、心に問題がある状況で、余裕をもつどころではありません。身体の声を聞いて健康的な体調をキープすることです。

自分を大切にする

まずは自分を大切にしないと、他のものを大切にする余裕は生まれません。自分の体を愛でたり、「自分の意見や気持ちを大切にする」など、自分自身を大切にすることです。

自分の体力・能力を知る

そして、加齢に伴い体力・能力(気力)が衰えてきます。人生には坂道(上り・下り)があります。気持ち的には、若い人と一緒に歩いていきたい思うでしょうが、身体の衰えはし方がないことです。その時その時に、体力・能力(気力)応じて、対応することだと思います。

2018年5月17日 (木)

利他の心とは

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利他の心は・・・

「他人に親切にすると自分も気持ちが良くなる」と、いうことです。反対に他人に意地悪をすると、嫌われたり憎まれたりします。それで嫌な気持ちになるのです。

中には、他人から親切にされると「人から情けは受けない!」などと言って腹を立てる人もいますが、そのような人は、心のひねくれた人間です。

普通の人間は、他人から好かれることを望み、他人から憎まれることを嫌います。だから、人から好かれるようになるために、あるいは人から嫌われないようにするために、「利他の心」が起こるのです。

「情けは人のためならず」

ということわざがあります。「人に親切にしておけば、必ずよい報いがある」という意味です。これは、自分が行った利他の行為が、直接に報われるわけではありません。

しかし自分が親切にしたその人が、「人に親切にするのは良いことだ!」と実感して今度は別の人を親切にし、そのような「親切の連鎖」が人々の間にめぐりめぐって、いつかは自分も誰かから親切にされることです。

「親切な心」がめぐりめぐって人々の間に浸透すれば、犯罪や争いごとが無くなって社会が平和になり、ひいてはそれが自分の利益にもなっている。ということです。

しかし私は、「報い」が返らなくても、「利他の行為」は、人間的に心が豊かになり、人格的な深みも獲得していくと考えています。

2018年5月16日 (水)

人生は挑戦の連続

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人生は挑戦の連続です。

自らの意志で、挑む大きな挑戦、日常の中で思いがけず訪れる・・・小さな戦いの私たちの人生は、日々挑戦であふれています。

今日の挑戦者はどんな景色を見ているのでしょうか・・・新しい事に挑戦する事とは、慣れればとても楽しい行動です。

現状を維持

人生で、現状維持はありえないこと、常に変化して、今日の明日はないのです。

今の私たちにとって、新しい事を始めて失敗する事を、恐れ何もしないでいることは、生きていくことに、さらに苦痛な状態になってしまいます。

現状維持のためには努力が不可欠です。

新しい事に挑戦せずに、なるべく現状を維持しながら、過ごすこという考えは、悪いことではありません。生きていることは、挑戦しているのですから・・・

高望みはしませんが、せめて、いまの生活を続けたい・・・と思っている人は、少なくないようです。しかし、今の生活を何も変えずに、続けることは、あり得ないのです。

諸行無常・・・

「生あるものは必ず滅し、形あるものは必ず壊れる」・・・浮世の習いです。

人は誰しも、は老いて、体力も能力も、低下していきます。それを、補う努力をして、はじめて、いまの状態を続けることが可能になります。

なにもしない…望まない…は、現状維持の手段ではありません。自分自身の変化・・・社会の変化・・・それらを考慮した上で、自分自身をよりよくする努力をしなければ、現状を維持することすらできないのです。

挑戦を続けること

やったことがないことをやる・・・読んだことの無い本を読む・・・新しい人達と関わることです。いずれも、思うようにならないから、めんどくさく感じるかも知れませんが、思うようにならないからこそ、自分への刺激になると思います。

2018年5月15日 (火)

五月病のこと

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青葉若葉がまぶしい新緑の5月です。

生きものは活き活きとしてこの時期はとても心地よい陽気です。

しかし、気持ちの穏やかでない人が多いのもこの季節ですが、気持ちが晴れ晴れとしないとか、気持ちが萎えてしまいそうだと感じる人がこの時期には多いようです。

新しく社会人となった人や、転勤や部署を異動した人達が、仕事にも慣れてくる一方で、なじまなくて仕事を続けていくのに疑問を感じたり、自信をなくしたり、そういう気持ちが生まれてくるのもこの時期です。

また学校に入学したり進級したりして、一応の落ち着きがでてくる一方で、やる気をなくしたり、無力感に悩む人があるのもこの時期です。

抑うつ気分とは、なんとなく「気持ちが落ち込む」「気がめいる」などといった、空虚感、絶望感などが、毎日あるとか、ほとんど一日中そのような状態であることを指しています。

「以前は楽しめていたのに楽しめない」「世の中のことに関心がない」など、ほとんどすべての活動が、以前と比べてあきらかに興味や喜びが減退してしまった状態になります。

最初のちょっとした体調の変化を感じた段階で、無理にでも3~5日くらいの休みを取ると、メンタルヘルス不全に陥るのを食い止めることができるかもしれません。

思いきって休みを取れば、「うつ」で長々と休まなければならないことと比べるとずっとましです。でも、それができないから問題なのでしょう。 このようなメンタルヘルス不全は現代人の誰もが陥ることです。日本では今、8人に1人が「うつ病」か「うつ状態」にあるといわれています。

愚者は経験に、賢者は歴史に学ぶ

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「愚者(普通の凡人)は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があります。

その言葉を文字通りとれば、愚者は自分の経験からしか学べないが、賢者はそれに加えて、歴史からも学ぶことができる…という意味になります。

たしかに愚者は、自分の経験に依存することが多いと思います。「痛い目に遭わないと解らない」・・・自分でやってみて、「はじめて納得する…」ということです。 

たとえば、何か目標を決めて、一つの事をチャレンジしたいと、頑張って見て・・・どうしても達成できない・・・何事にもセオリーがあります。そのセオリーを習得すれば、遠回りが、近道だと言うことです。「急がば回れ」と言うことです。

将棋・囲碁などの「定石」を学ぶ・・・「強い人に勝つためには、定跡を学ぶことが必要だ」と実感するようになるのです。投資やスポーツの上達過程においても、同様のことです。

結局、自分が痛い目に遭わないと解らないのです。

「想像力の欠如」といえば、そうなのでしょうが、「自分が痛い目に遭わないと解らない」ということは、あるのだろうと思います。痛い目にあって初めて実感すことです。

2018年5月14日 (月)

自己中心の行動を考える

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自己中心

子どもは、自己中心ではなく、善悪の判断ができないのです。大人の言動・・・大人を真似して育っていくものです。最近思うのですが、マナー・ルールを知らない?人が多くなってきたように思うのです。

躾けの三つ・・・森信三先生の躾け・・・○・・あいさつ○・・ハイという返事○・・後片付けがあります。家庭環境の変化で、核家族化・夫婦とも稼ぎ・・・が大きな理由だと思っています。

その結果が、大人は、自己愛が強く、傷つけられたり、非難されたりすると、一人で悩んだり、極端に反発するなど、自己中心的と言われています。

そして、他人の気持ちがわからず、人とうまくかかわれない。子供の、いじめが蔓延し、常に不安感を持っているといわれています。

まずは、大人が襟を正す

ルール・マナーを守り、子どもの模範となる 子どもは大人の背中を見て成長していきます。まずは、大人がルール・マナーを守り、模範を示すことが大切です。

大人が率先して積極的に声かけやあいさつを行い、厳しくも暖かい目で子どもたちを見守ていくことです。

 「見て見ぬふりはしない」という気持ちを地域全体で持ち、地域の大人が見守ってくれているという安心感を大きくすることで、子どもは落ち着きと安らぎを受けます。

人知れず徳を積んだ者には、必ず表にあらわれた善い報いがあり、隠れた善事を行う者には、必ず人に知れ渡るようになると言われています。

2018年5月13日 (日)

正負の法則

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人生悩みはつきもの、悩みがない人はいません。

悩みがあるのは、誠実に生きているからだと思います。年を重ねるごと増える・・・たしかに、私の経験から、歳を重ねるたびに、悩みは、年齢とともに増えます。

人は、誰しも小さい頃は、自分のことだけを考えていればいいので、悩みは少ないものです。成長するにつれて、人間関係の広がり・・・関わる人が増えてきます。

関わる人が増えることは、人が人生を豊かにするために必要なこと・・・当然、煩わしいことも増えていきます。良いこともあれば、悪いことも同じくらいにあると言うこと・・・それが悩みの元です。

「正負の法則」

良いことがあれば、必ず悪いことが起きるという意味です。逆に考えると「悪いことがあれば、必ず良いことが起きる」という意味にもなります。

この世は一長一短で、光があるから闇があり、闇があるから光があります。どちらか片方だけということはありません。プラスを手にすれば、マイナスを手にすることになる。これが「正負の法則」であり、いずれにしてもプラスとマイナスは、セットになっているのです。

何かを得れば何かを失う・・・全てを手に入れることなどできません。

「正負の法則」の「正」ばかりに気を取られ、「負」に目が行かず後悔することのないよう、この世は一長一短であることを知った上で物事を決めるに、越したことはないでしょう。良いことがあれば悪いことが起こるのです。

広大無辺な宇宙の中で、物事は全てプラスとマイナス、陰と陽、負と正、虚と実、上と下、長と短、表と裏など、相反する二つの要素で成り立っています。

年齢を重ねれば、精神は充実していきますが、肉体は衰え…健康のこと、病気のこと、お金のこと、老後のこと、といった悩みも増えていく・・・実感しています。

2018年5月12日 (土)

世の無常と儚さを知る

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世の無常

最近、自分自身に、体力・気力が衰えを感じ、いつの間にか私の周りに、住む先輩たちが少なくなり、私たちの年代の人が長老?となってしまったのです。世の無常と、儚さを知って、人は自然を愛おしみ、故郷の風景に心をよせる様になってきました。

時は流れ、あらゆるものは変化します。

この人生に永久不変のものは何一つありません。だから、今日の幸せが明日の幸せとはかぎらないし、今日ここにあるものが明日ここにあるとはかぎりません。

自然についても、それは同じです。一見、自然は悠久不変のように思えますが、私たち自身との関係から眺めれば、自然の事物は一つとして同じままであることはできません。

人は同じ川を二度渡ることはないのです。

たとえ今日渡った川が昨日と同じ場所にあったとしても、流れる水は昨日と同じではないし、渡ったわれわれ自身も、厳密にいえば昨日のわれわれ自身ではないのです。

もっと大きな時の流れの中で変わるものに、風俗習慣がありますが、人はそれに合わせて生きるしかないのです。

しかし、変化の中にも変わらないものがあります。個人にとっての変化も、個人を越えて大きな見地で、眺めれば同じことの繰り返しにすぎません。循環する四季のごとく、繰り返すのが世の中の常であり、人間の歴史です。

返報性の原理のこと

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「返報性の原理」

人は他人から何らかの施しを受けた場合に、お返しをしなければならないという、感情を抱くが、こうした心理をいう。(ウィキペディア)

幸せを手に入れる人
は、無意識に、それを実践しています。いつも相手のことを気づかい、一歩引いて構えます。結果は、どんな人でも、その人に好感をを持ちます。

反対に、周りの迷惑も考えず、わがもの顔で横柄な態度を、取ると「自分さえ良ければいいんだ」と言わんばかりに・・・そういう人は当然のことながら人から好感をもたれません。結果的に悪い評判が立ち、人から敬遠されるようになります。

そして、しまいには人から避けられるようになり、そのうち誰も相手にしなくなります。そうなって、「みんな自分のことを嫌ってる」・「みんな私のことをイジメテいる」と大さわぎをはじめるのです。

まず自分から先に、相手に何かをしてあげること・・・「笑顔で挨拶をする」・・・何も物をあげなくていいのです。

「相互扶助の精神」

幸せになる人は、相互扶助の精神で接し、コミュニケーションがよくなり、人に会ったら笑顔になるのです。

現代社会は競争社会です。他人より少しでも、いい暮らしを、考えています。それには子供教育でも・・・「上を目指せ!」と背中を押され、なんだか気が休まることがありません。

今自己中心・・・「自分さえ良ければいいんだ」の考えの人が多くなっています。私は、このままですと「相互扶助の精神」は失われて、社会は崩壊するのではと・・・心配しています。

人生には連戦連勝はありえません。そんなときに負けた人や、弱い人に最後に手を差し伸べることができる人こそが、人生で幸せを手に入れることができる人です。

幸せを手に入れることができる人というのは、どんなに成功したとしても、決して「自分ひとりの力でここまで上り詰めたのではない」のです。そして、必ず人への感謝の気持ちと、謙虚な気持ちを忘れないことです。

2018年5月11日 (金)

きゃらふきの味

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きゃらぶきや 遠い昔の 母の味 

伽羅蕗を近所の奥さんから頂き・・・

「伽羅蕗を煮たから、ちょっと少しだけどたべてね・・・

 みりん・酒・塩と醤油で、砂糖は使わなかったの・・・」

「あぁー懐かしい味だ!」遠い昔の母の顔を思い出しました。

2018年5月10日 (木)

奉仕の心

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「奉仕の心は母ごころ」

老子は「人々のために行動して、大切なものを手に入れ、人々に何もかも与えて…「心は豊かになる。」・・・つまり、精神的な豊かさを得たいのであれば、「他人へ奉仕せよ」と、「奉仕」の大切さを説いています。

「習慣化すること」

誠意や感謝の心を持って、小さなことでも行動することを習慣にすることです。 習慣は意識してするものではなく「身体的」なものです。脳科学の研究によると、人間の行動の95%は無意識によるもので、意識的に行うのは5%ほどといわれています。

大きな野心があるからといって、いきなり強固な意志を要する努力を始めても、身体がついてきてくれません。しかし小さなことであれば、最初に少しがんばって続けてやれば、あとは身体的なリズムになって定着していきます。

習慣化するには、意識してやり続けるうちに、だんだん無意識化していく・・・これを繰り返すことによって、毎日「やろう」と努力しなくても習慣化されてできるようになっていきます。

2018年5月 9日 (水)

人と自然との共存の社会

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自然の大切さ

私たちの町(郷土)の歴史や文化を学び、人と自然の共存の社会をつくり、未来に繋げていかねばなりません。

子どもにとって幼少期は、自然との豊かな体験が、その後の人生に大きく関わると言われています。年間を通じ、さまざまなシーンで自然と触れ合います。

春に花を咲き、夏に青々と葉を茂らせ、秋に実をつけ、厳しい冬に新しい芽吹きの準備を進める・・・大木を支えているのは、大地に広く深く張り巡らされた根っこです。 

一年を通して季節の移り変り実感すること

風の音や草花のにおいに包まれ、温かい日差しがギラギラ太陽となり、夕暮れが早く訪れる季節へ移り変わる。そして雪や氷の冷たさを味わう。日本の四季が与えてくれる贅沢な自然の変化を、五感でフルに感じながら毎日を大切に過ごします。

大人にとっては同じ風景でも、子どもには毎日が発見の連続・・・同じ日は二度とありません。自然のやさしさとたくさんの刺激の中で、子どもたちは自分が楽しむ方法を主体的に見つけていきます。

自然の中では、さまざまな体験を通して友達と助け合い、励ましあい、ぶつかり合いながら人間関係を学んでいきます。

自然保育は、子ども一人ひとりが自分らしくいられる環境を大切にしますので、仲間にもやさしく接することがすることができます。お互いを認め合いながら心地よくコミュニケーションできる力を、遊びを通じて身につけていきます。

2018年5月 8日 (火)

日に新たに、日々に新たなり

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「日に新たに、日々に新たなり」・・・中国湯王の言葉

【今日なら今日という日は、天地開闢『(てんちかいびゃく)=世界の始まりのこと)』以来はじめて訪れた日である。それも貧乏人にも王様にも、みな平等にやってくる。

そんな大事な一日だから、もっとも有意義に過ごさなければならない。そのためには、今日の行いは昨日より新しくよくなり、明日の行いは今日よりもさらに新しくなるように修養に心がけるべきである】

毎日新しい心で、ということは何にも一物も持たない心で新しい世界に触れていくならば、この世界は新しいものです。

昨日の太陽が出ているようだけれども、厳密には、あれだけ熱量を発散したら昨日の太陽と今日の太陽とは熱量が違うはずです。

庭の草木も伸びています。昨日咲いた花は今日は咲きません。水の流れは毎日違っています。自然だけじゃない、私たちの体でも新陳代謝して、昨日の細胞と今日の細胞とは違うのです。

自然は毎日すべてが新しくなている

心も新しくして、昨日のことは忘れて、(昨日起きた出来事は、忘れて、新しい心で今日を迎えていく)ということが、道というものです。それが本当の人間の生き方であり、正しい生き方であります。

自然の世界は毎日新しく変わっています。「人間の心だけが、古いところに拘ってはいけない」・・・と言うことです。

2018年5月 7日 (月)

初夏の江ノ島

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江ノ島や 橋に砕ける 初夏の波

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遥かなる 山々の輝き 夏めけり

真心について

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「真心」

「真心」・・・他人のために尽くそうという純粋な気持ち。偽りや飾りのない心。誠意(大辞林)

思いやりや、いたわりのある行動や、言葉は清々しく尊いものです。

真心、本物の心・・・誰もが納得して喜んでいただける、優しさと温もりを感じる行動と態度、言葉で、日々を過ごしたいものです。

「頼めば越後から米搗きにも来る」

真心をつくして頼めば、人はどんな難儀なことでも承知してくれるというたとえです。心から頼めば、遠い越後から米搗きに来てくれるという意です。

感情は誰にもあります。

嬉しい・楽しい・悲しい・寂しい・・・などはどこから生まれるのかを、考えますと、真心から生まれるのだと思います。真心があるからこそ、感情が生まれるのです。

真心とは、人それぞれの魂の軸のようなもので、それは死ぬまで絶対に汚れない、純粋なもの、汚れのない純粋なものです。

利他の心は幸せの心

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人生の目的・・・「幸せ」になることです。

最近、他人が困っていても、見てみぬを振りをする・・・平気で道路・公園などに平気でゴミをポイ捨てする・・・など自分さえ良ければの「自己中心」の人が多くなっているように感じられる世の中です。

本当に幸せにを思うなら、「利他の心を持つ」ことです。そして、困った人を見たら助ける・・・ゴミのポイ捨てはしない・・・ことです。

「利他心」・・・とは、他人の利益を重んじ、他人が利益を得られるようにと振舞おうとする心です。

他人に親切にすると、喜ばれたり感謝されたりします。それで自分も良い気持ちになるのです。反対に他人に意地悪をすると、嫌われたり憎まれたりします。それで嫌な気持ちになるのです。

「他人が幸せになれば、自分も幸せな気持ちになる」ということです。利己の心で判断すると、自分のことしか考えない、自己中(自己中心主義)の人ですから視野も狭くなり、間違った判断をしてしまいます。世間から敬遠されます。

 一方、利他の心で判断すると「人によかれ」という心ですから、周りの人みんなが協力してくれます。また、視野も広くなるので、正しい判断ができるのです。

ですからよりよい仕事をしていくためには、自分だけのことを考えて判断するのではなく、周りの人のことを考え、思いやりに満ちた「利他の心」に立って判断すべきなのです。

2018年5月 6日 (日)

高校生が異性を意識すること

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私には、4人の高校生の孫がいます。

「高校生が異性を意識する」ことは、人間としての成長過程で、正常なことで喜ばしいことです。

親として見守りと指導

「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」・・・親として大切です。高校生はまだまだ、成長過程で、人を育てたいのならば、話し合うのです。

ポイント1 

頭こなしに反対しないこと。

高校生の我が子が恋愛をしていると知ったとき、良い付き合い方ができるように見守ることが大切です。そのためには何かあったときに親に相談することができる環境にしておいた方が良いのです。

ポイント2

お金の出入りに気をつけること。

 高校生の子供は親に対して反抗的な態度をとることも珍しくありません。友達や恋人の話を自分からはしない子供も多いものです。

自立心の芽生えは成長の一環として過干渉にならないようにすることも大切です。親として最低限アンテナを張っておくべきなのは子供のお財布の中身です。

ポイント3

自己責任についての話をすること。

 高校生は子供ではなく大人でもありません。法律上は未成年ですが女の子は16歳から男の子は18歳から結婚できる年齢でもあります。

身体面においても妊娠や出産が可能な年齢です。高校生の恋愛と聞いて多くの親は「妊娠だけは気をつけて」と思うものです。自分で責任の取れることと取れないことについての認識はきちんと持たせるべきです。 

最後に・・・

どうすれば相手がやる気になり、自信を持てるかを考えて接していきましょう。教えて伸ばせる部分は限られていて、大半は本人が気づき、自らの努力で伸ばせるかにかかっています。気づきと自信をもたらすことが、成長の鍵になります。

倫理と道徳

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倫理とは、人の倫(人の輪・仲間)理(模様、ことわり)倫理(仲間の周りでの決まりごと、守るべき秩序)・・・つまり、社会生活を送る上での一般的な決まりごと、と捉えることができます。

日常の生活上でも、道をあるいていて、突然人が倒れて、苦しんでいる人に出会ったら、つまり、社会生活を送る上での一般的な決まりごと、と捉えることができます。

A  ① すぐに駆けつけて救護する。
  ② ひとまず119番に通報する。
  ③ 一人ではどうしたら良いのか分からないので、誰かが通りがかるのを待つ。
  ④ 怖いので、見なかったことにして通り過ぎる。

①や②を選んだ人も多いことと思いますが、実際にこのような場面に出会った場合には、つい④を選んでしまう人もいることと思います。しかしその場合であっても、その人のことが気になり、少なからず後ろめたさを感じてしまうのではないでしょうか・・・

ではなぜ私たちは、見知らぬ人を助けようと思ったり、助けなかった場合に後ろめたさを感じたりするのでしょうか。

それは、私たちが「人の命は尊いものである」という考えを日頃から持っており、それに基づき「人の命を助けること」は“善いこと”、“正しいこと”であると判断しているからなのです。

このように、私たちが社会の中で何らかの行為をするときに、「これは善いことか、正しいことか」と判も断する際の根拠を、「倫理」と言います。

倫理と道徳の違い

国語辞典から・・・

○ 「倫理」・・・人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。

○ 「道徳」・・・人のふみ行うべき道。ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体とあます。辞典上ではほぼ同義とされており、一般的にもその解釈が用いられています。

ただ、道徳が個人や家族などの小集団に用いられることが多いのに対し、倫理は個々人の関係から社会に至るまでより広範に用いられることが多いようです。

倫理は、「道徳」や「モラル」と言い換えることができ、簡単にいうと「人として守るべき行いや道のこと」を意味します。また本来は倫理学そのものを指す言葉でもあります。

2018年5月 5日 (土)

日々感謝の心を持つ

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日々感謝

一日を終えて夜床につくとき、「あゝ今日も無事に生きられた!ありがとう・・・」感謝する心もつことはとても大事なことだと思います。

私たちは、多くの人と関わり合って生きています。

特に、人との関係の中で「ありがとう」・「ありがとうございます」・「よかった」・「たすかった」という思いを態度や言葉で表したり、出さないまでも胸の中に感じているときも多いのではないでしょうか・・・「ありがとう」とは、感謝やお礼の気持ちをあらわす言葉です。

生きている感謝の心

それは、自分に対しての恩恵や好意や配慮に接して、身の幸せを感じることができる。また、かけがえのない経験をして、心からよかったと思う気持ち。うれしさを感じた気持ちを表すことであると思うのです。「感謝の心」も「ありがとう」と同じ意味を持つものと思います。

私たちは、日頃から多くの人々と関係をつなぎあわせながら生活をし、そんな中で、人から助けられたり…人を助けたり、人から励まされたり…人を励ましたり、人から支えられたり…人を支えたり、頼られたり頼ったり…しています。

自分が何かをしてあげれば、してあげた人から感謝され・・・人に何かをしてもらえばしてくれた人に感謝することは当然なことだと思うのです。

生きていられるのは当たりまえではない・・・

人は慣れる生き物です。はじめは感謝したいたことも、しだいに鈍感になってきます。「やってもらって当然」そんなふうに考えてしまいます。身近なものほど「当たり前」になりやすい。つい感謝の心を忘れてしまいがちです。

「感謝」の反対は「当たり前」

いつの間にか「敬う」気持ちが薄れていく…感謝の気持ちがあっても、口に出して言わくなる…思っているだけでは伝わらないこともあります。

「ありがとう」・・・感謝の心を、言葉して伝えてみましょう。言われた相手も、言った本人も気持ちがいいものです。身近な人に感謝の言葉を伝えてみましょう。

2018年5月 4日 (金)

向老期への心構え

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上手な歳の取り方

70歳での老い、80歳での老いとは異なります。

「怒るな・転ぶな・風邪引くな」・・・と言われていますが、高齢者の生き方として、社会との交流をできる限りもった、生活を続けていくことが幸福な老いをもたらすということです。

「車の運転中、上り坂になったら、ギアチエンジして、エンストしないようにすることです。年を取るにつれて調整が必要になります。」そして、徐々に社会から身を引き、関係を絶っていくことが高齢者にとっても望ましい姿であると思います。

年を取ることを現実的に受け止め、「物事を自分のペースで行い、自分の限界を知ること。」

気力・体力・記憶力・・・衰退などが、考えられますが、一般的には「無理しない」ということです。

「無理」とは(仕事)・・・「無理させて 無理をするなと 無理を言う」が今の社会情勢です。それをどう受け止めるか、自分自身判断で、他人には分らないことです。

私の基本的な考え・・・「シニアの3Kが、お金、健康、孤独」です。確かに、高齢者にとっては、この3つの要素は深刻です。

お金を稼ぐことが出来ない老人、老いから来る健康障害の老人、最愛の伴侶を失った老人たちは、シニアの3Kを代表する。3つの要素のうち一つでも改善できれば、高齢者の不安を軽減できるかもしれない。

老いることの問題

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「生・老・病・死」は生物の法則です。

人間も年と共に老化して行きますが、“老いること”の問題で悩んでいます。

介護が必要になったらどうしたい?

厚労省の意識調査(平成24年度健康に関する意識調査)

介護が必要な状態になったとき、どこでどんな介護を受けたいか、という問いに関しては、男女で意識に大きな差があることに注目です。

男性で最も多かったのは、① 自宅で家族に頼らず生活できるような介護サービスを受けて暮らしたいと考えている人で31%。② その次に多かったのが、自宅で家族に介護してほしいと考える人で24%でした。私は、子供たちは離れて暮らしていているので、① です。

一方女性の答えはというと、家族に頼らず介護サービスを受けながら自宅で生活していきたいと考えている人は43%で、男性の約1.3倍に。さらに、家族に介護してほしいと思っている人は13.9%と、男性の半分近くに激減しました。

女性のほうが家族に介護されることに抵抗があるようです。これには羞恥心の問題や、自分自身が介護の経験があって苦労を知っているからなど、いろいろな理由が考えられそうです。

ただ、男女ともに自宅への愛着には変わりがない一方で、介護が必要になったら高齢者向けの施設や医療機関に移って介護を受けたいと考える人も、全体で25%と決して少なくはありません。

自宅で過ごしたいけれど、家族に迷惑はかけたくない・・・そんな揺れ動く気持ちが感じられるアンケート結果ではないでしょうか・・・(ということです。)

私たち家族は、ご他聞に漏れず、核家族で暮らしています。持ち家を、親たちの老化で、二世帯住宅に改修しても、色々な理由で、子ども達家族は離れて暮す・・・結局二世帯住宅に老夫婦(独り)暮らしになって、子ども達の離婚…寂しい親子関係になっている人も知っています。

2018年5月 3日 (木)

五月初めの大雨

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「メイストーム 木の枝揺らし 軒叩く」

メイ・ストーム(5月の台風のような大雨)

早朝の雨戸を叩く雨の音で目が覚める・・・むかし近所のおじさんどうしの話で…“みなみようき”(南陽気)・・・近所の大人の話を、今でも覚えています。

「朝方は、雨戸をドカン・ドカンと叩き、ジッとしたみなみ陽気だったねー」「そだったねー。こう言う陽気は今時分(夏の初め)によくあるんだよなー」

今日3日・・・(木、憲法記念日)にかけて前線を伴った二つの低気圧が日本海と本州の南岸沿いを進む予想。低気圧に向かって暖かく湿った空気が流れ込むため、大気の状態が不安定となるとのことです。

2018年5月 2日 (水)

人の三毒(貪・瞋・癡)のこと

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仏教では、人間の煩悩は、百八ッあると言われています。

の煩悩の中で「貪りの心」「怒りの心」「愚痴の心」の三つを、人間をいちばん苦しめる毒薬という意味で「三毒」と呼んでいます。また、仏教では「怒り」を「瞋り」の字で書きあらわし貪瞋痴(とんじんち=むさぼり・いかり・おろそか)の三毒とひとまとめに言うことが多いです。

人の体は煩悩の入れもの

だから、煩悩が尽きることなくどんどん出てくる。一つの煩悩を鎮めても、また次の煩悩が出てくる。欲の尽きることがありません。貪・瞋・癡の三毒がさまざまな欲を誘って煩悩とん、じん、ち は愚かの連鎖反応とでもいいましょうか。 三毒と言われていますが、もとは「とん」の場合が多いのです。

「とん」すなわち貪りです。 お金がほしい、地位がほしい、人に好かれたい、成功したいと自分の器以上のことをしても、なかなか手に入るものではありません。

そうすると自暴自棄になって怒りがわいてくる・・・これが「瞋(じん)」怒りです。 怒って正常な判断ができなくなって愚かなことをしてしまう。 これが「痴(ち)」すなわち愚かです。

これを抑えるには、自分の利益ばかり考えず、他の人のことを考えてあげることがまず出発点になります。 人に優しくして文句を言う人はあまりいないでしょう。

それでも心無い人に心をかき乱されるときもあるかもしれません。 そんなときは極力冷静になることです。 これが祈りなのです。 頭に血が上っている人と同レベルで対処してもいい結果は得られません。

負けるが勝ちで早くその場から立ち去ったほうがいいです。 どんなに正しくても争いになれば後悔するのは目に見えています。 愚かな結末は避けるのが知恵というものです。

つまり、常に喜んで人の役に立つようにし、驕らず質素でも笑顔の耐えない環境に暮らし、感情に流されず、人が良い方向に行くように常に祈り、愚かな結果を招くような言動を慎めばよいのです。

人生は捉え方しだい

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「人生は捉え方しだい」

「変えられないのは過去と他人、変えられるのは未来と自分」

「追憶」・・・過去を思い出して懐かしく思うこと。

年を取ったせいか?「昔はよかったね」そう言って今を嘆き、過去を懐かしむ・・・地域の絆があったのに…人情が在ったのに…自然がいっぱいあったのに・・・私も、たしかに実感します。

前向きに捉えることが出来ると…効用(自信や肯定的な物の考え方を促進する)です。

昔を懐かしむ気持ちは自信(自尊心)を高め、それが引いては肯定的な態度を生むということです。つまり、過去の記憶は、現在の自分を肯定・尊重するのを助けまた、将来に対する明るい展望を持つことに役立っているのです。

昔を懐かしむことが、単に「昔は良かった」にとどまらず、将来に対しても肯定的な展望を持つのを助けるというのは、非常に元気をくれることだと思います。

ただし問題は、昔の出来事が必ずしも良いことばかりではない場合です。 

もちろんそういう場合は、良い思い出にだけ焦点を合わせて考えればいいでしょう。しかし、人によっては良い思い出は何一つないという場合もあるかもしれません。そういう場合はどうするかです。

私は、その時は過去の出来事の良い悪いよりも、そのような事態をとにかく生き延びてきたということ自体に焦点を合わせたらいいと思います。

言い換えれば、自分自身をその置かれた環境の犠牲者と受身的に捉えるのではなく、逆に自分自身を困難な環境を乗り越えて生き延びてきた者と肯定的・積極的にとらえる視点です。

2018年5月 1日 (火)

普通の暮らし、心の豊かさとは

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「普通に暮し」がしたいものです。普通に暮らせることが、人生の最高の幸せです。

それには、「心の豊かさ」を図り、感謝の心を持つことです。

心のな豊かさは、最低限度の物質的な豊かさが必要だと思いますが、その上で何気ない日常にありがたみを感じることができれば、精神的に豊かだと言えると思います。

何もないところに穏やかさを感じ、心穏やかに過ごす。また何もないところから笑いや楽しみを生み出し、身近な人と楽しく過ごす。

そんな何気ない日常が、悪くはないというだけでなく、何気ないありふれた日常に、ありがたみや幸福感を感じるようになれば、それは心が豊かなのだと思います。

「人は、人の触れ合いの中でしか、感動をもらえない」と聞いたことがあります。現代は、誰しもが多忙で自由に時間を使えることができず、思考を巡らせる時間すら惜しんでしまい、人生の意味すら分らないままで、暮しています。

しかし、心の豊かさを知り、満たさせることによって、他人のことまで考えられる、余裕を持つことができます。この余裕を持てる状態こそが、心の豊かな状態と言えるのではないでしょうか・・・

心が豊かだと、感じられる要素は、物ではなく、人との関わりや自然との触れ合いで、感動であり、人生に意味を持たせてくれます。それには具体的にどうすれば、人に豊かさを感じられるでしょうか・・・

何もないところに穏やかさを感じ、心穏やかに過ごす。また何もないところから笑いや楽しみを生み出し、身近な人と楽しく過ごす。

そんな何気ない日常が、悪くはないというだけでなく、何気ないありふれた日常に、ありがたみや幸福感を感じるようになれば、それは心が豊かなのだと思います。

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