難しい超高齢化社会
超高齢化社会をどう生きればいいのか?
2025年には日本の人口の3人に1人が65歳以上の「超高齢社会」となるという、若い世代は社会をどう支えればいのか?
かつてなら、数が少なかったゆえに大事にされてきた存在が、世の中にあまっている存在になってしまったら、そのポジションや存在感が変わってくるのはある意味で仕方のないことです。
高齢者が当たり前のように多くいる社会というのは、少し前までの日本ではあまり意識しなかった環境であり、当然ながら社会の中での様々な摩擦やトラブルも生まれてきます。
作家の五木寛之さんは、そうした社会の雰囲気を「嫌老社会」と名付けています。
「“嫌老”から“賢老”へ」です。
3人に1人が高齢者となる時代、五木さんによると、深刻な“嫌老”社会にならないためには、一人一人の高齢者が“賢老”、つまり賢い老人になって、自立した人間として生き生きと暮らせる世の中になることが大切だということです。
五木さん「若い青壮年の方たちが、今に給料の半分ぐらいを社会福祉の方に天引きされるという現状になった時は、『子供たちを養わないといけない。高齢者を支えなきゃいけない。じゃあ俺たちはどうなるんだ』ということに・・・
そういう世代の抵抗感と言いますか、プレッシャー、そういう感情が、ある種の“嫌老”と言いますか、“厭老”と言いますか、『あの連中がいるから俺たちが大変なんだ』みたいな、そういうことになっていく可能性があると思う」
ピンピンころり(PPK)で逝きたい。
年をとってもピンピンしている健康長寿の人は、あまり多くはありません。ただ長生きするだけでなく、私しが望むのは、亡くなる直前まで元気に活動する(PPK)・・・不幸にして長期の寝たきりになって亡くなるネンネンコロリ(NNK)にはなりたくないものです。
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