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2017年11月

2017年11月30日 (木)

無くらないゴミのポイ捨て

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何んで・・・

道路や公園・家の前などに、ポイポイとタバコの吸い殻を捨てるの?

自分に・・・直接影響ない・・・自己中の人?

ゴミをポイ捨てする人は、ゴミをポイ捨てされた側がどんなに嫌な気分になるか、理解できず、想像すらできない、未熟な心を持った人です。

誰にも見られていないから、大丈夫だろうと、ゴミをポイ捨てするのですが、誰にも見られていなければ、何をやってもいいという考え方は、非常にいけないことです。

最近思うに、教育学者の森信三先生の・・・しつけの三大原則の大切さを感じる毎日です。

ゴミのポイ捨てする真理

ポイ捨てをする人は「自分さえよければそれでいい」ってことさえも考えていないのではないでしょうか?考えることができれば、もうすこしモラルを身につけることができるでしょう・・・

考えないから「いらないものは手から離す」ので「ポイ捨てしていることにさえ、気が付いていない」のではないでしょうか?

何か大きな出来事が、身近で起きて、考えたときに初めて、「アッ、自分はポイ捨てをしていた」と気が付くのでしょう。

私も、前の車のドライバーがタバコの吸殻を投げ捨てるのを見ると、子供の頃の「しつけ」が出来ていない人で、親はどんな人だろうと想像してしまう。

出来れば、拾って「落し物ですよ」といって車内に放り込んでやりたいとも感じます。・・・実際は何もすることもできず余計に腹立たしく感じます。

2017年11月29日 (水)

理屈だけでは進展がない

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「巧遅は拙速に如かず」・・・

(上手だが遅いよりも、下手でも速いほうがよいということ。)です。

すぐ行動することの素晴らしさ・・・「理屈だけでは進展がない」です。

筋が通っているようでも、理屈は行動にかなわない。仕事でもプライベートでも、「すぐやる人」は最強です。

多少不正確・不格好であったとしても、とにかく前に進んでしまうことの方が大切だと思う。理屈ばかりの人間は、いくら理屈の筋が通っていても、口先だけの人間として侮られてしまう。

黙って行動する人間は信用され、その行動が理屈では通らないことでも、周りが賞賛する実績をあげれば、行動が新しい理屈を作ることになる・・・本人が作らなくても周りが作るのです。

理屈が通っているんだったら・・・行動に移すべきで、理屈がなかったら、信念を持って行動してみることです。

必ず結果が出る・・・その結果から、学んで行動することです。人生はその繰り返しで、人生が前向きに考えられると思うのです。

2017年11月28日 (火)

安心・安全のまちづくり

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今年2017年もあと一か月余りとなりました。犯罪は少なくなっているといわれますが、今年は、大変ショック事件が・・・神奈川県の座間市で猟奇的殺人事件・北海道では12歳の少年がナイフで女性を刺す・・・と言う事件がありました。

まちの美化

私は、まちの安心・安全は、「まちの美化」が基本だと思います。空き家の管理・放置自転車の処置・公園・まちの広場・駅周辺・道路・河川などに、ゴミのないことが大切と思います。

普段からのコミュニケーションが大切

最近は、核家族化、お年寄りなどを含めて独り暮らし、ワンルールマンションに住民票を移動しない、大学生や短期労働者?が多くなっています。プライバシーの問題と町会に未加入者が多くなり、道で会っても挨拶もしない、隣近所のコミュニティがとれない状況が気になります。

地震などの緊急時の対応

「遠い親戚より、近くの他人」まちの安心・安全は、むかしから「向こう三軒両隣り」と言われていますが、「いざという時に・・・」日ごろからコミニケーションが大事と思っています。

体感治安

体感治安(たいかんちあん)とは、人々が感覚的・主観的に感じている治安の情勢をいう。(ウキぺディア)

体感治安の向上・・・思いやり・ルール・マナーなどの規範意識です。

2016年警察庁がはじめて、国民の「体感治安」の調査を行ったそうです。その結果は、大阪最下位、東京29位 警察信頼度に比例 警察庁初調査…

最も良いのは山形で、警察への信頼度が高い都道府県ほど、体感治安も良い傾向がみられたようです。ベスト3は山形、島根、秋田。ワースト3は大阪、千葉、愛知。「地域の警察を信頼度」は、ベスト3は福島、山梨、山形。ワースト3は神奈川、大阪、千葉だったという。

2017年11月27日 (月)

人間は十人十色

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人間は、考え・好み・性質などが「十人十色」です。地域で上手にお付き合いするには、色々な苦難を乗り越えて、経験を積んでこられた人しかできないことです。

どのような方でもお付き合いができる人は、素晴らしいことです。

人間は、他人に何かを頼まれるという場合に、損得で動くと言う面と、損得だけでは動かないという二つの面をもっていると思います。

頼まれた相手がなぜか傲慢な態度だと、上から物を言う態度ですと、そこに自分自身に得があったとしても、断ってしまうこともあります。

また反対に、自分自身に負担がかかり、損をするという場合でも、頼む人の態度が非常に丁寧であり、また感謝の心が感じれる人であるならば、それを引き受けてしまうのもまた人情であります。

このように人間には些細なことで動く心があります。なのでやはり私自身が出会うすべての人間を大事に思えるような人間になることで、そこに新たなきずきというものがあると思うのですがいかがでしょうか。

人の心というものはまことに不思議なものです。ほんの些細なことで、嬉しくなったり、悲しくなったり、また、大きくふくらんだり、しぼんだりしてしまったり、微妙に動くのが人の心です。

地域社会で気持ちよく生活していくためには、お互いのことをよく知って、他人の気持ちを考えながら行動することが、大切なことだと思います。

2017年11月26日 (日)

自然の摂理に生きる

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「上善は水の若(ごと)し」・・・老子

「水はよく万物を利して争わず、衆人の恵む所に処る。」

最高の人生のありかたは、水のように生きるということで、 水は自分の存在を主張しないで、低い方へ自然に流れていきます。

水のようにしてこそ心穏かにすごすことができ、また円満な人間関係を創り上げることができます。

つまり「最高の善は水のようなものでなければならない。水は万物を助け、育てて自己を主張せず、だれもが嫌うような低い方へと流れて、そこにおさまる」と、述べています。

いずれにしても、なにが人間にとって大切かといえば、自由無碍でフリーに動け、しかも自分の存在を主張しないで、人のいやがることも自然に受け止めることだと教えてくれる格言です。

つまり、水の流れにまかせて、無理をせずに自然の摂理に従うことが、人間の道にかなっているということから、「受動的で、積極的に動かない人生観である」と言ってます。

終局的には、山にとじこもっている隠者や仙人の教えが道教の真髄であり、人間の努力や執念から遠ざることが人間の生き方の目標であると理解されているのです。

「君たちはどう生きるか」

人生をどう生きるか?むかしも今も変わらぬテーマ

今朝(2017年11月26日)の7台のNHKニュースで取上げられました。

1937年に出版されて以来、数多くの人に読み継がれてきた、吉野源三郎さんの漫画…「君たちはどう生きるか」が最近になって、多くの大人に読まれているそうです。

情報過多・物の溢れる時代と共に、「勇気、いじめ、貧困、格差、教養」・・・昔も今も変わらない人生のテーマに真摯に向き合い「どう生きるか」一人ひとりが考えことです。

2017年11月25日 (土)

思いやり・道徳

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「思いやり」

思いやり・・・相手の立場に立った物の言い方や行動が取れることです。

道徳・・・ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体です。

思いやりの心育む教育

現代は、核家族化・兄弟(姉妹)の数の減少・遊び場の喪失・地域や家庭教育力の低下などにより人間間係が希薄になっていいます。

その上、情報化社会におけるインターネットや携帯電話の普及により、同世代子ども同士でも機械的な文字の交信のみによるかかわり方が増えてきています。

このような状況の中、学校ではいじめや、不登校など心の問題が未だに後を絶たちません。他人に心を開いて、互いに思いやり、共に生きることのできる道徳性を育てることは、道徳教育の重要課題と思います。

忘れてはならない教育学者の「森信三先生の名言」

第一 朝、必ず親にあいさつをする子にすること。
第二 親に呼ばれたら必ず、「ハイ」とはっきり返事のできる子にすること。
第三 履物を脱いだら必ずそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる子にすること。

2017年11月24日 (金)

利他心について

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「利他心」

他人の幸せを祈り、他人の成功を称賛すること。

他者をねぎらい、些細なことでも感謝の言葉にすること。

日常笑顔に過ごすようにすること。

他人の幸せ」は「自分の幸せ」「自分の幸せ」は「他人の幸せ」

利他心は、人間に本来備わっているものだと私は思います。利他心というのは、今も昔も人が社会で争わずに平和に暮らすために、非常に大切な情感です。

それがないと社会が成り立っていかない.特に現代のような複雑な社会では、利他心をみんなで培って、育んでいくような方向へ持っていかなければ、みんなが自己本位になって、安心して暮らせる社会が崩壊してしまうような懸念があります。

誰から、みんながそのつもりになって子どもを育てて、親や家族や仲間、友達との心の交流をもっと重視するような社会になってほ しいし、してゆくべきだと私は思っています。

「情けは人のためならず」

世のため人のために貢献すること・・・正直、正義、思いやり、公共心といった道徳(教育)が大事です。最近、自己中心の人が、問題視されています。

2018年度から小学校で、19年度から中学校で道徳が教科化されます。

2017年11月23日 (木)

晩秋の雨

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秋霖や 彩り艶やか ぬれ落ちば

予報どおり今朝は、冷たい雨です。

もう新潟県・北の国々では、降れば雪の季節です。

一雨ごとに寒さは増すと、言われています。

今年も一ヶ月ちょっと・・・最近季節の移り変りを・・・

感じること出来ない、心に余裕のない人が多くなったように思います。

今日は勤労感謝の休日です。

日ごろの生活環境を考えてみることも。良いのではないでしょうか・・・

犬の散歩はマナーを守って!

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犬の散歩をするときは、マナーを守って糞の後始末はキッチリしてますか?

私たちのまちの公園・広場に犬の散歩で、犬の糞で困っています。

昨日犬の始末で大変でした。

近くの保育園から、先生と園児たちが、先生に連れられて・・・どんなアクションをするか想像してしまいます。

公園・広場は市民みんなの広場です。大きな注意看板があっても・・・人がいなければ「dog run」を決め込んでいる人がいるようです。

手に袋など持って、糞の処理はしているように見えます。 しかし、現実は空地や道路に糞がたくさん転がっています。 一部の人だけかもしれませんが、ポーズは止めて・・・ほしいです。

犬の散歩をするときはマナーを守って!糞のClean upをキッチリ出来なければ「犬を飼う資格ナシ」です。

2017年11月22日 (水)

清潔で美しいまちづくりにご協力を!

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「ゴミのポイ捨ては 貴方の心が 曇ります」

今日も公園・広場のゴミ拾いをしました。

相変わらずタバコの吸い殻が落ちています。捨てることは、当たり前?それとも無意識? 1日1個のゴミでも、10日で10個になります。それが10人になると100個になるのです。

八王子市は、全市内…歩行禁煙です。

まちが汚れれていれば、あなたも、嫌でしょう。そして犯罪が起こりやすいと言われています。しっかり「ルール・マナー」を守って、美しいまちにしましょう。誰もが笑顔のまちにしましょう。

清潔で美しいまちづくりには、市民の皆さん一人ひとりの日ごろからの心がけと行動からです。

市民一人ひとりが日常生活の場である家庭や職場で美しいまちづくりに心がけるとともに、地域においては、市民の積極的な参加のもとに、美化・緑化「快適な生活環境」づくりが必須です。

八王子市は、「安心・安全で快適なまち」・「誇りと愛着のもてるまち」の実現をめざしましょう、市民にとって「住んで良かった町に」ご協力お願いします。

そして、「自然と共生」「自然は人間の苗床」と言われていますように、幼児の時から自然とのふれあいの機会を多くもたせることによって、子どものみずみずしい感受性や五官を刺激することが不可欠です。

人と自然が共生する快適なまちづくりを進めていきましょう。ご理解、ご協力をお願いします。

2017年11月21日 (火)

人も自然も衰退してはダメです

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次世代を考え今を生きる

過去から学び、今日のために生き、未来に希望を持ち・・・大事なのは疑問を持つのを止めないことだ。

自分の時代さえよければいいじゃない、人も自然もみんな衰退してっちゃだめだです。過去から財産を維持し、次に引き継ぐため、今やっていることを継続していくことだ!と私は思っています。

それが今を生きている人の義務であると思うのです。

こので暮らして「良かった」って思ってもらいたい。そのために自分の役割を果たすだけです。少しでも地域に暮して良かったと、みんなが思える町にする・・・想いを、だからやり続けなきゃならないと考えています。

それには終わりがないし、感謝っていう気持ちが常に根底あるから、そこが自分の一番のやりがいかあるのです。

出会った人に感謝という気持ちをもって、自分ができることを続けていった結果が、地域にとっていいものになっていけば、みんなが楽しいなって思えるようなものにしていくことだと信じています。

「意志」の強く持ち、生活の一部とし、取り組んで行くことだ。それが「今を生きる現代人の役割」であると思うのです。

 意思と意志の違い

意志」は向性を持ち行動が伴うもの。やろうとする積極的な気持ち。

意思」は心の中にとどまる観念的なもの。なにかをしようと思うこと。

差は積極性です。

2017年11月20日 (月)

年寄りの不安

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少子高齢化・核家族化で「将来の不安」と思われる人は多くなっているようです。

年寄りの不安

一人暮らし高齢者の増加に伴い、安全・安心の確保、孤立化の防止、地域活動の活性化によるコミュニティの再構築を促進する必要があります。

地域のコミュニティの衰退が強く感じられる今日この頃です。地域の活性化が叫ばれてきています。

太平洋戦争前後、地域の人たちの意志・行動の結束の必要性が自ずと、人々の心に湧いてきたのです。「とんとんとからりん」の歌がラジオから流れていました。

♪とんとんとからりんと隣、組障子を開ければ、顔なじみ・・・♪

「向こう三軒両隣」

自分の家の道路を隔てた向こう側の家3軒と自分の家の左右の家の計5軒を言います。これが、「隣保制度」もとになり、戦中戦後の「隣組」に繋がっていました。

なぜ、こんなに「コミュニティー形成が大事」と、あえて叫ばなければならなくなったのでしょうか?一言で、時代がそうしたと片付けていいものでしょうか?

日本には昔、「向う三軒両隣」といって、最低近所付き合いは当然としてお互いが何かと助け合ってきた良き習慣があったのです。

私が子供の頃、そこには、信頼と安心によって結ばれたコミュニティーが存在してしていました。みそがなくなったといっては隣に駆け込み分けてもらい、子供をちょっとあずかってくれと頼まれれば快く自分の子供同様にかわいがるといった風情があったのです。

それが、戦後の教育だけが悪いとは言えませんが、アメリカ的思想や習慣を闇雲に導入し、今や自己中心主義が花盛りです。

日本の習慣、風習は野暮で時代遅れと言わんばかりに捨て去ってきました。自己中心主義的な考えで良いはずはないわけで、昨今のいろんな事件をみてもこの考え方に起因しているのではと思っています。

また孤独死もそうです、まずは、自分ありきが先で、他人はどうでもよいという傾向の強い自己中主義から方向転換をしないといけないと思います。

「向う三軒両隣」の助け合い精神は、危機感から必然的に起きるものと思います。それだけ不安感ある世の中とも言えるのではないでしょうか・・・

2017年11月19日 (日)

美しい国ニッポンを後世に・・・

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美しい国ニッポンを守ろう!

むかし母親(明治生まれ)が、天道さまに両手を合わせている光景を覚えています。

日本人は昔から自然を大切にし、自然と闘うのではなく、自然の中に生き、その恩やめぐみに感謝して生きて来たのです。四季折々の自然からの山の幸海の幸の恵みを享受してきたのです。美しい自然豊な日本を後世に引きつぎたいものです。

人間の利己主義

自然環境破壊と地球の温暖化で、今日ほど自然破壊が深刻な問題になっている時代もないと言えるでしょう。

これは人間が利己的な物の考え方で快適さや便利な生活だけを追求し、地球にとってどうなのかを考えずに生活してきた結果です。

地球は生きているのです

大地に種を蒔いて…野菜が育ち、花が咲き、樹木が伸びる・・・地球は単なる物質ではなく人間と同じ生命体であるということなのです。

しかし健康な体でないと自由に動くことも出来ないし、本来の使命を果たすこともできません。今の地球はとても不健康な状態で、全世界の人達が一丸となって地球を守らなければ、危ない状態にあるのです。

2017年11月18日 (土)

湯殿川にゴミを捨てないで!

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私たちの町に『湯殿川』は、きれいな水が流れています。

鴨や鯉が泳いでします。

河川管理通路は、通勤・通学・買い物はじめ、ジョギング・散歩など市民の欠かせない生活通路となっています。湯殿川に沿ってある片倉城跡公園の桜を楽しみ、片倉時田みんなの広場は、お年寄りのゲートボール・グランドゴルフ・町会主催の盆踊りなど崔されています。

心ない人がゴミを捨てています。岸の葦にひっかかっています。さきの台風21・22号の大雨で、上流から流れて来たもの・近くの橋の上から投げ捨てられたもの・散歩しながら投げ込まれたもの・・・など、ゴミが酷過ぎます。

管理通路などは、誰でも掃除(ゴミ拾い)出来ますが、川岸は危険です。河川維持課(南多摩西部建設事務所)にお願いするのですが・・・

川は、むかしから人間が暮すにはなくてならないものでした。川で洗濯・野菜を洗い・水を田にひき米作りなどなど…そして、私たちにとって川は私たちの心が休まる存在でした。

私は、今でも川を眺めていると…遠い昔に思いだします。

川を汚すのは人間です。ゴミ捨て禁止の看板・ポスターは取り付けていますが、一向に減りません。そのためにむかし棲んでいた魚や、昆虫などの姿を見ることが出来なくなってしまいました。

人が生きるためには、自然環境がなければ生きられません。自然を破壊することで、人が住めなくなるのです。もう一度自然の大事さを考えて欲しいものです。自然を取り戻すには長い時間がかかります。

川は、人間が生きる源(原点)です。地域の人間の歴史をじっと見つめています。川を大切にすることがとても大事ことなのです。

『守ろうよみんなの好きな町だから』

『環境破壊はあなたの命も縮めます』

『ゴミのない町にはきれいな心の人がいる』

2017年11月17日 (金)

幸せ探しの人生

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生きる目的・・・「幸福探し」です。

私は、「今日よりも明日の幸せを求めて考え行動すること」他人を幸せにさせること・・・自分が幸せになると信じています。周りが苦しんでいては幸せになれません。

幸福とは、「満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。」です。人は生まれてきて誰でも、幸せを求めて生きています。

人間は、「自分さえ良ければいい」と考えかちになります。しかし、人は本来人を助け、他人をために尽くすことに最高の喜びを覚えるのです。その美しい心を持ています。利己的な思いが強いと、美しい心は、表に出てこないのです。

① 何をしますか?
② 誰のためにそれをするのですか?
③ 相手は何を欲していて、何を必要としていますか?

利己的な思いを抑え利他の心持って「世のため。人のため・・・」尽くすことです。尽くすことで自分の人生の目的「幸福」を得られのです。

心を高める

心を高めるとは、生まれた時よりも、少しでも美しい心になって死んでいくことです。生まれた時よりは、死ぬ時の魂の方が少しは進歩した、心が磨かれた状態です。

身勝手で感情的な自我が抑えられ、心に安らぎを覚え、優しい思いやりが芽生え、わずかなりとも利他の心が生まれるという状態が自分を変化させ、美しい心になっていきす。

また、様々な苦しみや悩みなど味わいながらも、生きる喜びや楽しみ幸福を手に入れる事でもあるのです。そうすることにより、自分自身、十分に生きたと思えるような価値観があるというものです。

心を磨く

(1)誰にも負けない努力をする。

(2)謙虚にして驕らず。

(3)反省ある日々を送る。

(4)生きている事に感謝する。

(5)善行、利他行を積む。

(6)感性的な悩みはしない。

これらを『六つの精進』とし、常に自分に言い聞かせ堅実に実践していくことが必要です。自分を飾るのではなく、普段の生活の中に取り入れ、それが“当たり前”だと実行することが肝心です。

2017年11月16日 (木)

奉仕の心は母ごころ

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難しい理屈よりも実行することの方が大切です。

ボランティア(精神)とは、「決して結果や報酬を求めず、また、活動そのものを他言せず、ある意味、自己満足で行うもの」と思います。

私は、ボランティアが出来る身体と生活環境があるから・・・ボランティアできることに、感謝しています。

奉仕の心(ボランティア)は母心・・・

「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」ちょっとむかしに、指圧マサージで、浪越徳治郎さんがテレビで言っていた言葉です。私は子供のころ、母親の肩をたたいて、あげたことを思い出します。母親の「ありがとうね」の言葉が忘れません。

この世にはひとつだけ「無償の愛」と言える感情があります。

地域や個人に対する思いに、心から寄り添うことです。たとえ直接誰かから感謝されなくとも、「人のために何かをしている」と実感することで、自分は人のため・・・世のため・・・奉仕・・・は「無償の愛」です。

人に迷惑をかけ、自分でも後悔するのが悪であり、人に利益を与え、自分でも満足していくのが善です。

人に害を加えて、その時は得をしたように思うかもしれないが、あとで必ず後悔するものです。この簡単な道理が分かれば、自分も楽しいし、世の中も明るくなります。

しかし、実行となるとなかなか難しい。これを人に教える、となると、なお難しい。今の世の中は、道義が乱れているので、道徳教育をしなければいけない、という声を聞きます。 しかし、道徳は口で教えて分かるものではありません。

ことわざに「蒔かぬ種は生えぬ」とあるように、物の道理について教えです。奉仕を継続実行することです。「何ぞ種を下さずして果実を穫(と)るものあらん。」です。

2017年11月15日 (水)

自己中心主義について

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規範意識の欠如で将来が不安に感じます。

自己中心主義の人(自分さえよければ・・・の考えの人)が多くなったと言うことです。

文化が変わって何でも金で解決できる世の中になりました。金が重要な世の中で、『お金』と崇めつつ、一方で金は汚いという認識も払拭できず、『人より勉強して良い学校に入りなさい』というあいまいな教育が浸透しました。

そう育てられたのが今の親で、受験戦争に勝ったんだか負けたんだか解らずあいまいに育ち、気づいたらそれなりの会社に入ったはいいが、世の中に流されっぱなしの人生を感じて、我が子に『この子に合った個性的な教育を』とかますます解らない育て方をしています。

その中間には『ゆとり教育』とかいう多くの子供をダメにした世代もいます。結局は親の育て方なんじゃないでしょうか。自分自身の生き方、ポリシーもない大人が子供を育てきれないのだと思います。

競争の社会といって、人のことを考える余裕がない・・・不安な気持ちを持ったまま子供に接すれば、子供らしくない子供になってしまうと思います。

子供が悪い事をしたら堂々と怒る、困っている人がいたら助ける、挨拶をする、笑顔を絶やさない、当り前のことを親ができないから子供もできなくて当然です。

それをできないことを『個性』と勘違いしている親は非常に多いと思います。繰り返し繰り返し根気よく子育てをして欲しいものです。

人間らしい生き方を取り戻すこと

人は一人では生きられません。多くの人に助けられて生きています。何でもお金さえあったら手に入る世の中・・・便利さあり・・・で自己中心主義者多くなったと思うのですが、もう一度「生きる」と言うことを考えてほしいと思う毎日です。

2017年11月14日 (火)

晩秋の風景

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柿の実や 夕日に映えて 輝けり

人は支え合って生きられる

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幸せは自分一人では得られなません。

周りの人の幸せを考え、世の中のことを考え支えてこそ、本当の幸せが得られるのです。

人は支え合って生きている

お互い自分で幸せになる努力をしながら、一緒に支え合って生きていけるのです。そして、大事なことは、自分が幸せでないと、人を幸せにはできないということです。

家族や友達が幸せなら、自分は不幸でも良いとは思いません。私が不幸だと、家族は幸せではないでしょうし、困っている友達を助ける余裕を持っていられないと思うからです。

自己犠牲という考えでは疲れます。「奉仕の活動」それが私の生きがいと思っています。

私の奉仕活動

骨身を削って奉仕活動に専念しているわけではないですが、誰かがやらなくてはいけないと思い、あまり無理をせず行っています。

稲盛和夫氏の言葉

「世のため人のために尽くす」ことが人間としての最高の行為です。

人間は「自分だけよければいい」と利己的に考えがちです。しかし本来、人間は人を助け、他の人のために尽くすことに喜びを覚える、美しい心を誰もが持っています。

利己的な思いが強すぎると、美しい心は表に出てこないのです。利己的な思いを抑え、「利他」の心をもって「世のため人のために」尽くさなければなりません。

2017年11月13日 (月)

心が折れそうに・・・

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心が折れそう・・・

迷う、不安なとき、自分を信じられなくなった。80歳を越えたのに・・・この道を選んだのは自分自身ではないか・・・「この道で良いんだろうか」と、過去を振り返り、自問自答しています。

この道を進んで、成果出なかったらどうしよう本当に、自分にはみんなを幸せにする力があるんだろうか?

一時的にハイになっただけで、やっぱり自分には世界を変えるチカラはないんだと、ぐるぐるぐるぐると頭の中で渦巻いています。 

今までは、「こっちのほうが社会一般的だし、今まで通ったことある道だし安心」そんな道を選んでいた?。。。自分の心が小さな声が、かき消してきたでしょう。

人生を変えようと踏み出したはずなのに・・・ 

つまづいて、迷って、「心のワクワクに従って決めた!」と言いながらも、本当は怖くて仕方なくて、また立ち止まってしまうことも・・・。

悩んでも、答えは誰も教えてくれません。 

「keep on」…続けることだ!

選択に迷っていたとしても、勇気を出して踏み出した先には、新しい道に繋がっていく・・・信じることだと思っています。

 

2017年11月11日 (土)

季節を捉えて生きること

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季節を感じる心

最近は、季節感が以前に比べ、薄れてきたと言われています。野菜など、食べるものは季節と関係なく、一年中、手に入るようになりました。

昔から地域で行われていた行事も、都会では、なかなか見られなくなってきました。日本の四季の中で生活する子どもたちのためにも、すべての人が季節を感じる心を大切にしてほしいと思います。

大切な「自然を捉える」

季節を感じ、本来の人間が生きることは大切です。

日本人は、四季に恵まれた国で、刻一刻と移り変わる自然を、毎日の生活の中で身近に感じ、その鋭い感受性、八百万神に象徴されるアメニズム的感で、自然観を育んできたと思います。

かっては日常的に使われていた二十四節気と七十二候を日々の生活に取り入れ、自然を全身に感じ、小さな季節の移り変りに目を向ける日々を送っていました。

2017年11月10日 (金)

ゴミのない美しいまちにしよう

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まちを歩くと、道路や公園、駅前広場などあらゆるところに、

ポイ捨てされたたばこの吸い殻や空き缶、菓子袋などのごみが散乱

川沿いには放置された犬のフンなども見かけられます。

これはマナーやモラルの問題です・・・まちを汚す人の行為は嘆かわしいです。

一人ひとりの、モラルで環境が守られるものです、

 一つぐらいいはいいだろう・・・みんな捨てているからとの、行為が多いようです。

しかし、一つが二つと増えて、片付けないと・・・「チリも積れば山となる」で、ゴミ捨て場と化してしまいます。

個人のモラルの問題と思うのですが・・・自分もこのまちに住んでいるのだから、きれいな町で住みたいと思うでしょう。

ミは人が捨てているのです。

誰かが片付ける・・・

誰も見ていない・・・

これでは町は汚れていくばかりです。

このままでは大変なことになる・・・気づいてほしいのです。

大事なことは、ゴミはすてない、落ちていたら拾うことです。そして、ゴミのない、みんな笑顔のまちにしよう。

2017年11月 9日 (木)

自然は人間の苗床

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近年、国民の意識が“物の豊かさから” “心の豊かさ” に変化しつつあり、自然とのふれあいや自然界に生きる動植物を大切にしようと、自然環境を保全し、良好な自然や生きがいの場を形成するなど、自然が持つ多面的な機能や価値に対する期待が高まりつつあります。

「自然は人間の苗床」といわれているように、幼児の時から自然とのふれあいの機会を多くもたせることによって、子どものみずみずしい感受性や五官を刺激することが不可欠です。

子どもたちが出会う事実ひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒や豊かな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。

安心・安全なまちづくり

「先代からの豊な自然を後世に引継ぐ」という、私たちには使命があると思います。安心・安全なまちづくりは、私たち一人ひとりの認識が大切です。自分だけ良ければいい…という自己中心的な考えでは、環境は守れません。自然の思いやり・優しさが必要なのです。

心の豊かさは自然とのふれあいから

子どもから大人まで自然の豊かな恵みを享受する自然とのふれあいは、生態系の一部である人間が自然との共生への理解を深めていく基本的な行動といえます。

現代の日本では、人間が本来もっている感受性や五感の劣化、さらに人間関係や対人関係のつまづきによるいじめ問題の拡大、孤独への不安など、「内なる自然」破壊が起きてきているといえます。

守ろうよみんなの好きな町だから、「一人ひとりのおもいやり、優しさで・・・みんな笑顔になる、まちにしよう。」

2017年11月 8日 (水)

人口減少で思う

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「日本は将来は、少子化に歯止めをかけないと危うい・・・」

「人生の目的は」・・・生物的に見ますと「子孫繁栄」・「遺伝子を残す」・「己の種を残す」ことです。「人生の目標」・・・善行・利他行を積み、心を磨くことです。

最近ではもっぱら子孫繁栄というものは個人の価値観に委ねられており自由です、しかし昨今の日本の場合、子孫繁栄はその実質としてかなり、軽んじられているように思えます。

それは、出生率が出生数 初の100万人割れ 2016年、出生率も低下1.44とい数字に現れています。出生率は2でその数が保たれるのですが、これでは人口減少社会です。

今の日本の状況は子孫繁栄にはまったく程遠い状況です。一昔は家という価値観があり家の跡取りを残すとう価値観がありました。

この考えが皆の心に重きを占めていたころは年頃になった女、または男は結婚して子を残すのが普通でした。

しかし現在の日本では極端な自由主義と価値観の多様化の弊害か、結婚の晩婚化もしくは結婚をしない男女が多数を占めています。

このことから出生率が、出生数…100万(初めて)人割れ・・・になってしまったのでしょう。まったく、憂うべき状況であると思います。

結婚しない、結婚出来ない・・・そして、子供を生めないを理由と対策が急務です。そして結婚しても子供を生まない、生めない・・・をしっかり認知し、政治により克服することにあると思います。

2017年11月 7日 (火)

認知症のこと

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NHK深夜便「認知症カフェ」を聴いて(11月6日)(国立長寿医療研究センター部長 島田裕之氏)

超高齢化の時代となって、問題となっている病気に「認知症」があります。私も物忘れが多くなって心配ですが、予防が出来る方法があれば・・・と思い興味深く聴ききました。

認知症とは・・・

正常だった脳の機能が、何らかの障害によって継続的に低下し、日常生活に支障をきたす状態のことを指します。

認知機能は、軽度認知障害から段階を経て低下し、本格的な認知症に移行していきます。初期の段階では、外部からの助けがなくても多くの人が穏やかに生活できることがわかっています。

最近、高齢ドライバーによる交通事故や孤立死などの社会問題をニュースで見かけることが多いですが、厚生労働省のデータによると、2025年には65歳以上の高齢者の5人に1人が認知症患者が最大約730万人になるそうです。

そして軽度な認知症も含めると1,300万人を超え、実に3人に1人が認知症もしくは、予備軍になるそうです。

コグニサイズ

国立長寿医療研究センターが開発した、脳と体を同時に使うことで認知症を予防あるいは改善しようとするプログラム。cognition (認知) とexercise (運動) を組み合わせてcognicise(コグニサイズ)と言います。

コグニサイズの目的は、運動で体の健康を促すと同時に、脳の活動を活発にする機会を増やし、認知症の発症を遅延させることです。

もし、この状態を長く保つことができれば、深刻な認知症患者の発生数を抑えられ、「認知症社会」の問題をかなり軽減できるはずです。

コグニサイズの課題自体がうまくなることではありません。課題がうまくできるということは、脳への負担が少ないことを意味します。

課題に慣れ始めたら、どんどんと創意工夫によって内容を変えて下さい。「課題を考えること」も大事な課題です。

2017年11月 6日 (月)

自然環境の大切さ

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人間も動物です。

人間は自然の中でしか生きられません。自然環境は、人間をはじめとする生物の生活が存在している全ての環境を意味します。これは、相互に作用しあう、生きている存在物と、外的、物的な要素の集合体により構成され、生物の行動や成長に影響を及ぼします。

言い換えれば、自然環境とは空気や水、大気圏、土壌、そして人間を取り巻く動植物といった、地球上の自然的な要素の集合体ということになります。

私たちも生きもののつながりの中の一員であり、生物多様性からの恵みを受けて生きています。 空気や水はもちろん、生活に欠かせない食べ物、住居、衣類、どれも自然の産物を利用したものです。

自然界において、さまざまな生物がバランスよく存在し、共存しあっている状態を生態系といいますが、人類もまた、植物や動物とともに生態系の一部に属しています。

食物連鎖の調和がとれている場合は、生態系はふつう安定した状態に保たれていますが、環境の変化などにより、一定の動物または植物が増減することにより、バランスが崩れるときがあります。

しかし、通常はバランスを取り戻そうとする自然の力が働き、元の安定した状態に戻っていきますが、環境破壊が進むなか、自然の力だけに頼るのは難しい状況になっています。

人間社会での環境

人間は生まれ持ったもの3分の1、環境3分の2…で、大人に成長して「人格」が決まる言われています。

【人格】…『独立した個人としてのその人の人間性。その人固有の人間としてのありかた。「相手の人格を尊重する」人格を疑われるような行為」』。

そして、生まれた時の環境から、両親・兄弟・家族・社会・・・多くの人の影響を受け、人間は成長していきます。そして自己確立(アイデンティティ)されていくのです。

2017年11月 5日 (日)

人間としての義務と責任

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苦しいことばかりでは辛いです。

楽しいことばかりでは生きている実感が伴いません。

楽しいことも苦しいこともあるのが人生です。

ただ「楽」や「苦」、そして「生きること」に対しても、

人によって考え方や価値観はさまざまです。

 

それぞれが生きることを実感できる社会で、

悔いの無い人生送りたいものです。

.

.毎日、今を生きることは、

人間としての責任でもあるように感じているこの瞬間であります。

 

人間としての義務・・・

自分の立場に応じてしなければならないことがあります。

義務を果たすから「権利が」あるのに、

権利だけを主張する人間が世の中を乱しています。

 

誰もが、幸せを実感できる世の中になることを祈りたいです。

今日は昨日の続きじゃない

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お変わりございませんか?

と・・・あいさつが交わされます。その言葉は、体調に変化はないですか?いわゆる「お元気ですか?」の丁寧にした言葉です。しかし、毎日毎日変わっています。諸行無常です。

今日は昨日の続きじゃない

今日って今日ですよね・・・昨日の続きではない、新しい日です。それも、だれもその境地に到達していない、前人未到の時間です。

いつもと同じ事を繰り返してると、今日が、「昨日の続き」で、「いつもと同じ自分」になってしまう。さぁ歩き始めよう新しい自分へ・・・

悲しいことがあったとき、また明日も悲しいような気持ちになります。嬉しいことがあったとき、明日も嬉しいような気がしてきます。

昨日のことは昨日のこと。。。今日のことは今日のこと。。。明日のことは明日のこと。。。続かないことはいいことだ。一瞬だけ生きていよう。また、一瞬だけ生きていこう。

一瞬と一瞬が結びついたら、また明日・・・いつか心が折れてしまいます。 人から どう思われても いいじゃないですか・・・  もっと自分を信じて、人生をエンジョイして生きよう。

2017年11月 4日 (土)

バランス(中庸)の宇宙の法則

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「宇宙の法則」

地球は回まわっています。そして、太陽の周りを回っています。広大な宇宙は、見事に規則正しい秩序から成り立っています。しかし、普段私たちはそのことを、ほとんど感じないで生きています。

日本に住む私たちは、春夏秋冬の四季があり、季節の移り変りで、地球の自転、そして、365日で太陽を一周することで、規則正しい生活ができるのです。

バランス(中庸)の『宇宙の法則』とは

物質と思考の垣根を越えて、人生を理想通りに導いていく方法のことです。中でも、「引き寄せの法則」や「思考現実化の法則」など、科学的に証明された法則を使いこなすことができれば、人生を自由自在にコントロールすることができます。

すべて「陰」と「陽」の二極から成り立っています。

この事は、とても大事な考えです。「男」「女」、「光」「影」、「火」「水」、「表」「裏」、「善」「悪」などなど・・・人間の心や感情も、「ポジティブ」と「ネガティブ」があります。

いずれも、どちらかに偏り過ぎるとバランスが崩れて、病氣や災害、戦争や事件事故を招きます。 無理をして、それぞれお互いが相容れる必要は無く、溶け合う事も無く、互いを尊重して、バランス(中庸)を保つことが大切です。

もし今、身体に不調がある人、何らかの問題や悩みを抱えている人など、メンタル面のバランスが崩れること。考えてみて、崩れていたらポジティブに向け「中庸」になる努力をすることです。人間のマインド(思考)は、放っておくとついネガティブになってしまうのが自然で、DNAに刻まれた防衛本能だからです。

2017年11月 3日 (金)

お互いに礼をすること

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「人の道 」・・・

人の道とは、教育学者の森信三先生の「躾け」三原則があります。

第一 朝、必ず親にあいさつをする子にすること。

第二 親に呼ばれたら必ず、「ハイ」とはっきり返事のできる子にすること。

第三 履物を脱いだら必ずそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる子にすること。

私は、時代と共に人の価値観は違えど、この三つは人間社会の基本であると思います。

「人としてふみおこなうべき道を守る」

その一つに「礼」があります。これは儒教の神髄ともいえる思想です。互いに礼をするという習慣が薄れつつあることは、社会的に考えても大問題です。

人間はなぜ礼をするのか・・・自分というものを通じて人を礼する…その人を通じて自分を礼する。互いに相礼する…つまり、人間たる敬意を表し合うのです。その人の人格をとうといものと認めてうやまうことです。

「お互いに礼をする」

すべてはそこから始まらなければなりません。お互いに狎れ(なれ…お互い親しみすぎて礼を欠く)、お互いに侮り、お互いに軽んじて、何が人間尊重であるかと思います。

松下幸之助も、何よりも礼を重んじました。彼は、世界中すべての国民民族が、言葉は違うがみな同じように礼を言い、挨拶することを、人間としての自然の姿、すなわち「人の道」であるとしました。

ところが、最近になってその人間的行為である「礼」が行なわれなくなってきました。挨拶もしなければ、感謝もしない。

礼は人の道、いわば「人間の証明」です。

にもかかわらず、お礼は言いたくない、挨拶はしたくないという人がいます。 礼とは、そのような好みの問題ではありません。自分が人間であるか、他の動物であるかを表明する、きわめて重要な行為なのです。

ましてや組織で一つの目的に向かって共同作業をするとすれば、当然その組織のなかで互いに礼を尽さなければなりません。挨拶ができない、感謝の意を表せない、そんな人は人間ではないと言わざるをえないのです。

公園や広場で、子供の遊び方で思う

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公園やまちの広場で、遊ぶ子供たち「規範意識」のなさに将来を案じています。

最近私たちのまちの公園や広場で、気が付くのが、公園は公共(みんなのもの)・・・意識がない子供が多い。食べ物・飲み物のゴミを家に持ち帰り・・・を教えていないのではないでしょうか。

持ってきた野球のボールで遊んだ後、持ち帰らない。多分、親に要求すれば、また新しい買ってもらえる?物を大事に使う事を教えていないのではないでしょうか。 

「物を大切にする心」

「まだ使える」「もったいない」「いつか使うかも」、こんな気持ちは、物を整理する時に湧きおこります。でも、大切にすると言う事は、持っている事でも、仕舞い込んでおく事でもありません。

大切にするとは、物を丁寧に扱い、労わりを持って、よく使う事でしょう。こんな小さな自分の持ち物への心遣いは、自然と公共物に対しても、社物に対しても現れてきます。

これは、自分を取り巻く人たちとの関係にも当てはまります。自分が関わる全ての人に対し、気配りを持って接する事が出来ます。

子供たちに「規範意識」をもたせる(躾け・教育)

学校、家庭、地域社会とも連携し、子供たちの健全育成上の課題についての、共通理解を深め、どのように取り組むか、を確認し合うことが大切です。

社会のルールやマナーを守れない、子供たちが増えた原因・・・

① 「正しい社会のルールやマナーが身に付いていない大人が増えているから」

② 「子供が悪い行為をしたときに、きちんと叱れる親が減っているから」

大人や、親の在り方に問題があると思います。大人が自分の在り方を見つめ直すとともに、子供たちの規範意識を高めるために、それぞれの立場でできることを考え、その実践に努める必要があります。

2017年11月 2日 (木)

感謝できること・・・

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感謝できることが幸せなのです。

近年、政治・経済をはじめ国際的紛争の問題や、いじめ、悲惨な殺人事件など、殺伐とした事件が、多いように思えます。

また、「お金さえあれば何でも手に入る」といった世の中の風潮をマスコミが報じています。日本人が守り続けてきた、謙虚さや思いやりの心が次第に忘れ去られ、失われてしまいそうです。

人はみな「幸せ」を求めて生きています。

「本当の幸せって何…」

「豊かな経済力」・「地位」・「名誉」・「健康」・・・

幸せだから感謝する気持ちになることは、自然な事のようにも思えるのです。

日頃なかなか大切なことに気づけないことですが・・・

「ありがとう」・・・と感謝する瞬間があったなら、それは気づかぬことに、気づかせてくれた願いが、働いたからだと言えるのではないでしょうか・・・。

心の中に感謝する心が芽生えたことは、その願いに出逢えたことではないでしょうか・・・

「幸せだから感謝するのではない、感謝できることが幸せである」・・・大事にしたい言葉です。

世の中”せっかち”過ぎ

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世の中「せっかち」すぎます。

「せっかち」とは・・・落ち着きがなく、先へ先へと急ぐこと。忍耐強くなく先を急いで気ぜわしいことです。

みんな、“暇”を毛嫌いするかのごとく、常にどこか行ったり何かしたりしています。 そして混んでいることに腹をたてたり、マナーを守らない、他人に腹をたてたりしています。

休み明けの仕事がしんどいほど、体力を消耗していて、週明けから文句ばかり、人間関係でも少し間があると、沈黙は悪といわんばかりなムードがあります。

さらに、世の中ではテンポよく簡潔にオチをつけて話すことが要求されており、じっくり考えて言葉を選んで話すことは、他人をイライラさせるのです。

仕事もそうです。

時間いっぱいにぎゅうぎゅうと予定をつめこんで、みんなが時間に追われてイライラしています。 表向きはキレイなことを言いますが、実際はお客様どころか、自分のことさえも大切にせず、お金の利益を上げなければいけないことに、神経をすり減らしているように見えます。

空気を読まないといけないせいで、みんな自分を大切にしなくなった気がします。その空気だって、直接聞いたわけでもない、誰の人格でもない謎のものです。

自分の時間を誰かのために使って、それでみんなが幸せになるなら良いのですが、自分の時間をすり減らして、心を病んで、今の世の中はどこに向かっているのですか?

もっと、空を眺めたり、風を感じたり、自然を見つめたり、ボーッとしたり、 そういうゆったりした時間があって、初めて人に優しくしたり、じっくり人の話に耳を傾けたり出来るのではないでしょうか・・・けれど、そういう時間が作り出せない社会になっています。

2017年11月 1日 (水)

超高齢化社会となって・・・

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浜矩子氏の『超高齢社会における地域社会のあり方』・・・同感したので記してみました。

中国の孔子は『論語』の中で、「人間は齢70ともなれば「心(おの)が欲するところに従えども、矩(のり)をこえず」・・・という心境に到達することができると言っています。

思う存分自分の夢を追求していくけれども、欲のために人を踏みにじったり傷つけたりという「矩」を超えるふるまいはしないということだと私は解釈しています。

アダム・スミスは、『道徳感情論』の中で、「経済活動を営む人間たちとは、共感性を有する人々であるはずだ」と言っています。

人の痛みを我が痛みのごとく受けとめることができて、他者の痛みに思いをはせて涙することができる。そういう人々が営むのが経済活動であるという意味です。

孔子もアダム・スミスも、大人の感性を持っている人たちが担い手である経済社会によき経済社会の姿を見出しているといえると思います。

経済社会をまともな方向に持っていくために必要なのは「傾ける耳」「涙する目」「差し伸べる手」だと思います。この道具を持っている人々が、まさに大人になりきった人々であるということです。

それが高齢化社会というものが持っている貴重な要素であり、それをどうやってうまく発揮していただけるような環境をつくっていくかというのが、地域社会のあり方という意味で大きなポイントだと思います。 

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