人生80にして思うこと
孔子の「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(耳にしたがう)、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」・・・あります。
しかし、その先の80は・・・我八十にして深く我が生を愛し、何とか今日という日を越えて明日を迎えて、またその日を越えて……と私・・・
「足るを知る」
現実を受け入れることです。欲望を持ち、何かをしたいともがく人ほど苦しみます。絶対に死ぬのですから、上手に死ぬ方法を考えてみることも・・・
「幸せ」の定義
自分の心がつくるものです。・・・自分が笑顔になれる瞬間であるということでしょうか?
家族のことを思って、「よし!頑張るぞ!」って思えたらそれも幸せだし、地域のために、ボランティアすることが出来ることが、幸せだと思います。
人生の岐路
岡本太郎・・・「人生の岐路に立った時、いつも困難なほうの道を選んできた」
スティーブ・ジョブズ・・・「安全にやろうと思うのは、一番危険な落とし穴なんだ」
二人とも、簡単そうな道を選ぶのではなく、難しそうな道を選べよという、至極シンプルな判断基準です。
普通の人の感覚で言えば、やはり簡単そうな、安全そうな、リスクの少なそうな道を選んでしまいがちです。というのも、人間というのはそういう風に考えるように出来ているからです。
人間というか動物全般はそうです。とにかく生き残る事、死なない事が一番重要な事ですから、敢えてリスクの高そうな選択をするのは、動物学的に見たら不自然なわけです。
人間社会で、ある選択をしたからって、それが死につながる事は稀です。どんなことにも良い面と悪い面があります。
長生きも同じ。片方にばかり着目せず、その良い面と悪い面をしっかりと考えることが大切です。長生きはいいね、とはとても単純には言い切れないです。
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