幸福な道
「道の道とすべきは、常の道にあらず」
道には「天の道」「人の道」があります。「天の道」とは、老子の言葉で、小賢しい、人知の及ばない無為自然の道・・・「人の道」とは、儒教などが説く、いわゆる「べからず集的」な道です。
「幸福な道」・・・幸福とは、人との繫がりの中でこそ生きる喜び、幸福を感じられるものだと、私は思っています。もちろん、お金や財産、名誉などではありません。
人としていい生き方、理想的な生き方(道)ができることを一般的に、みんな望んでように思えますが、本当にそうなんでしょうか?
いい学校に行き、いい会社に就職し、そして地位や名誉を得て、出世することが果たして人の道なんでしょうか?競争や争い、勝った!負けた!の生き方が「人として生きる道」なのでしょうか?私は、そうは思いません。
いくら地位や名誉があったところでも、家族や友人がいないと虚しいもんです。また、お金がいくらあったとしても、その使い道が「活き銭」じゃなければ、価値は低いものとなってしまいます。
結局なにが人の道なのかというと、「人間としての心の豊かさ」「人と共に活きる人生の時間とエネルギー」なのではないでしょうか・・・
奪い合いの人間関係、自分のためだけの生き方をして、人の道を生きたといえるのでしょうか?
老子はおそらく、もっともっと人間らしく生々しく生きることを大切にし、自然とともに地球上の一存在として、道を歩くことを伝えたかったのではないかと私は思います。
« スローライフだよ | トップページ | 自分は自分である »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント