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2017年6月13日 (火)

馬鹿がいなけりゃなりたたない

10kouchi_katurahama11

「馬鹿がいなけりゃ成り立たない」とちょとやるせない思いがする今日この頃である。「俺がやった俺がやった」言いふらし自己主張し、人々に賛同を得ようとする人間と、反対に人に目立たないように黙ってコツコツ仕事をする要領の悪い?人がいる。

私は「ボランティア」・「無報酬」・「自分を犠牲にして」などの言葉があるように、人のため、世のためと人知れず陰の力となって尽くしている人が貴重で、世の中よくなるのだと思う。

最近の風潮で、町が汚れているなぁー、・・・黙ってゴミ拾いをし・・・子供が悪い遊びをしているー・・・積極的に注意し・・・人を侮る悪い噂を流す人がいれば・・・つまらないから辞めなさい。など、人が嫌がることをする人が少なくなった。

余計なお節介?はしない。関わりたくない。見てみぬ振りをする。そんなことする余裕などない。自分が生きるためにはそんなことにかまけていられない。という人が多くなったといことでもある。

私は、最近「絆」という言葉が世の中に流布しているが、本当に口では言っているが行動に移せない・移さない人間が多くということだ。したがって、そんな余計なことをする人間が少なくなったと思う。

30~40年前をかえりみると、名物人間がいた、横丁の怖いお爺さんが子供の悪遊びに怒って注意したり、また、お節介お婆さんが、用もないのに隣に家に声をかけたりする人がいたっけなぁーそうして困ったことは、「おたがいさま」で、世の中楽しく暮らせていた。

町の人々は、「迷惑かけてすみません。」「いいえこちらこそ何時もすみません」そうして最期に「ありがとうございます。」のことが懐かしいく思える。

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