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2017年6月

2017年6月30日 (金)

老い支度・・・

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老いを意識・・・年をとると言うことは、こういうことか・・・実感。

「エッこんな事ができない!」・・・体力が落ち、今まで出来ていたことが出来なくなり、記憶力が衰えて物忘れが多くなります。メモを取っておかないと、とても生活できないほど、物忘れがするようになる・・・

その心の姿が顔に現れてくるのです。このまま物忘れがつづくと、怯えるほどに怯えが老いへの恐怖を感じてきました。

老人の居場所

現代は、実質的に敬老の精神がなくなっている思います。 核家族社会になって、老夫婦は息子夫婦や娘夫婦とは別々の家庭をもつようになっています。

老人も息子や娘と一緒に暮らすことを嫌がります。老人が老人として尊敬される時代ではなくなっていることを、老人は心底から身にしみて感じています。それは疑いようのない事実であす。

お金や地位のある老人は、お金や地位のあるために寄ってくることを知っています。経済的事情で、息子や娘夫婦と同居せざるを得ない老人がいます。そういう老人は息子や娘やその孫からジジイ、ババア扱いを受け、冷たい態度であしらわれる・・・

二世代家族・・・「嫁と姑の不仲」となり、最悪の別居や離婚になるというケースを見聞きしています。

悲惨なケース・・・嫁が家を出る離婚・・・孫兄弟が別れてしまう離婚ということもあるようです。大金をかけ、家の改築をした大きな家は、空き部屋が空しい・・・

年をとってからの、子ども・孫たちと同居は考えられません。いかに老後の暮らしをするか、選択しは、高齢者専用住宅(高専賃)・介護付き老人ホームなどのを検討しなければ・・・思っています。 

遺産の処分・遺言

税金対策?子どもたちに残す、動産・不動産の処分は、心身の健在のうちに、決めておかなければと思います。

2017年6月29日 (木)

個性を生かす

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悩み苦しむことの多い世の中です。

生きるとは・・・こんなに辛いことか?と思うこともあります。

人は、多くの人と関わり合って生きられるのです。

① 他人を気にし過ぎないこと。

人は自分中心の生きものだから、意外と他人は、自分のことを気にしていないものです。だから、あまり自分も他人を意識しないことです。

② 過去をひきずらない。

一呼吸し、自分の身体はいつも新陳代謝しているのだから、考えも新しいもの受け入れ、過去のことは、何時までも抱えていないで、新しいことに意識を集中することです。

③ 笑顔を忘れない。

どうしたら笑顔になれるか?自分の笑顔をつくて鏡に映しそれを、心がけようと努力することです。また、生活改善を進める意欲をもつことです。

悩み苦しみの日々が続くと、自分とはつまらない人間だ、などと自分を卑下してしまうようです。なんのとりえもない無能なもので弱い人間であると思っている人にも、素晴らしい、得意な能力があるはずです。

誰でも個性があり、得意の分野あるはずです。「人間」という意味は「世の中」です。だから世の中に必要とされる自分であるべきだと思います。

2017年6月28日 (水)

むかしよりマナー悪いが7割

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昨年の@niftyニュース編集部の調査によりますと・・・

「昔よりマナーが悪い人が増えたと感じている人」は7割超えているという。

1、「やや感じる」で38%

2、「とても感じる」「どやや感じる」をあわせた【感じる派】は72%

3、「あまり感じない」「まったく感じない」をあわせた【感じない派】は5%

上の世代ほどマナーが悪くなったと感じている人が多い。年代別でみると、上の世代のほうが【感じる派】が多く、若い世代ほど【感じない派】もしくは「どちらともいえない」と回答している人が多い、という傾向。

怖いです・・・

最近、街なかで歩きながら、スマホを使い、時には自転車に乗りながら、スマホを使ってる若い人見かけます。危険です。

歩きながらスマホ・歩きながら食べ・飲み・歩きたばこが多くなって、環境美化、人の迷惑など考えない人がいます。そして、犬のフンの放置には、ほどほど手を焼いています。

公園や駅前に通路に、「ゴミ捨て禁止」、注意看板も小さいものから、目立つように大きい看板にしたりしてもまだ、心ない人が、多いように思えるのです。もちろん八王子市では、「路上喫煙の防止に関する条例」があり、ポスターにも表示しています。

子どもの「躾けと教育」が大事なことは言うまでもありませんが、親の規範意識が、薄れてしまっているのか?日常生活が、あまりにも忙しいからなのでしょうか・・・?社会の秩序を危惧します。

いま、【明るいまちづくり】が提唱されています。

私は、地域の一人ひとりが、マナー・ルールを守ってこそ地域のみんなが、笑顔になれるものと確信しています。人に優しく、環境に思いやりを持ってこそ「明るいまち」になるのです。

忙しい時代でも、心にゆとりを持って欲しいものです。マナー・ルールを守ることにより、社会は秩序を守られるのだと思います。

 

自分軸を持つ

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物事を判断する「自分の軸」

自分がたくさんの判断を求められたり、誘惑を受けたりする中で、常に自分を貫く「確固たる価値観」によって行動をする。自分らしく生きることができるはずです。

しかし、その自分軸が、自分中心に出来ているとうまくいかない。まず、利他を先としなければならない。利他に徹する自分軸であれば、結果、自分に戻ってくる・・・

自分軸を持つ・・・

自分軸を持つということは、行動規準、つまり「ポリシーを持つ」ということです。ポリシーとは、いうなれば、「こだわり」です。

自分の物差しをきちんと持っているということで、「自分がしたいからする」「自分が、行きたいから行く」という生き方が、自分軸を持っているという生き方です。

自分軸を持つということは、理想とする自分を生きるための指標であり、自分に課すルールを持つということでもあります。自分との約束を決めるということです。

自分軸に従う、つまり、自分に従う生き方で行動する。毎日、ひたすら行動ずることです。

最近思うには、信念を持ち、一つの行いを続けていれば、必ず自分に戻ってくるのだ・・・修行?と思うようになったのです。

「行持」(仏道の修行を常に怠らずに続けること)というのは、このことを言うのではないか?そして、行持というのは、一日だけのことではない。しつづけることだと思う。
 

2017年6月27日 (火)

心の老化

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「長生きは目出度い」しかし、どうもそうともえない。

少子高齢化の時代、若者達にとって、年寄りに何時までも“ぐずぐず”長生きされるのは、迷惑なことと思う人もいるのではないでしょうか?

老化は、生きていれば、誰でも避けることは出来きません。自分の老いを認識せず、何時までも若いつもりで無理をし、結果失敗をしたりします。

大事なのは、自分の老化の程度を予め知っておくことです。身体的な老化は比較的分かりやすく、立ち上がる時に思わず、「どっこいしょ!」と言い始めたら老人の仲間入り?間違いなしです。

「心の老化」

それに比べて心の老化の方はちょっと解りにくいものです。八十、九十になっても前向きに溌刺として居られる老人を見ると、こういう人には精神の老化はないのではないかとさえ思われます。

しかし、毎日していることが、結果が見えてこない?・・・いくら努力しても結局は意味がなく、もうやるのもだるいと思ったときが、心の老化の第一歩です。見た目だけでなく、心の中から諦めが漂い始めるのです。

また、「最近の若者は‥‥」と、非難を口にしたくなる、ということがあります。若者にもいろいろあります。それを一括して、こういう言い方をするのは、老と若とを対立的に考え、自分の身を「老」の方に置いていることを意味します。

これは立派な老化現象です。二十代、三十代の相当若いうちから、「最近の若者は」などという者もいます。こういう人達は相当早くから精神的老化現象が始まっているので、「自覚」は必要であると思います。

自分は自分である

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「他人の勝ちは、自分の負けではない」

人は誰しもが、幸せな人生を送りたいと願っています。ところが、その幸せを、他人と比べることによって感じようとしていないでしょうか・・・

「あの家に比べたら、我が家は幸せだ」と思ったり、逆に「あの家は幸せだなぁー羨ましいなぁー」と比べていないでしょうか・・・

古い諺に、「隣で倉が建てば、此方で腹が立つ」というのがありますが、隣の家が羽振りの良い暮らしを始めると、途端に我が家は不幸に陥るというのです。私たちは、こうして知らず知らずのうちに、他人と比べて幸、不幸を感じているのです。

「自分が自分に満足出来たら、それで幸せ」

他人と比べようとすれば、当然そこに競争が生まれます。しかも厄介なことに、私たちの欲望には際限がありません。これで満足ということがないのです。

私たちはどこまでいっても、不平、不満、不足を抱えた日暮らしを送ることになるのです。他人と比べようとすれば、当然そこに競争が生まれます。しかも厄介なことに、私たちの欲望には際限がありません。

これで満足ということがないのです。そのため、この競争は果てしなく続いていきます。その結果、私たちはどこまでいっても、不平、不満、不足を抱えた日暮らしを送ることになるのです。

自分は自分である・・・

他の何物ともくらべようもない状態・存在である人生・・・「自分は、自分である」という考え方えす。他人の生活を羨ましがったり、妬んだり、或いは自惚れたり、優越感を持ったり、といったことがなくなります。

2017年6月26日 (月)

幸福な道

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「道の道とすべきは、常の道にあらず」

道には「天の道」「人の道」があります。「天の道」とは、老子の言葉で、小賢しい、人知の及ばない無為自然の道・・・「人の道」とは、儒教などが説く、いわゆる「べからず集的」な道です。

「幸福な道」・・・幸福とは、人との繫がりの中でこそ生きる喜び、幸福を感じられるものだと、私は思っています。もちろん、お金や財産、名誉などではありません。

人としていい生き方、理想的な生き方(道)ができることを一般的に、みんな望んでように思えますが、本当にそうなんでしょうか?

いい学校に行き、いい会社に就職し、そして地位や名誉を得て、出世することが果たして人の道なんでしょうか?競争や争い、勝った!負けた!の生き方が「人として生きる道」なのでしょうか?私は、そうは思いません。

いくら地位や名誉があったところでも、家族や友人がいないと虚しいもんです。また、お金がいくらあったとしても、その使い道が「活き銭」じゃなければ、価値は低いものとなってしまいます。

結局なにが人の道なのかというと、「人間としての心の豊かさ」「人と共に活きる人生の時間とエネルギー」なのではないでしょうか・・・

奪い合いの人間関係、自分のためだけの生き方をして、人の道を生きたといえるのでしょうか?

老子はおそらく、もっともっと人間らしく生々しく生きることを大切にし、自然とともに地球上の一存在として、道を歩くことを伝えたかったのではないかと私は思います。

2017年6月25日 (日)

スローライフだよ

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「自分の生き方はこれでいい」と信念をもって生きる・・・幸せだろうと思う。大切なのは、自分の心(気もち・望み・考え)を大切にすることではないだろうか?

私は・・・「今の自分は、もっと、もっとゆっくり歩くべきだ」…人生、そんなに急いでどこへ行く(?)だ。そんな声が聞こえてきそうな毎日送って、結果がでないからって焦っているようだ。

“スローライフ”・・・だよ!…どこかから聞こえそうだ。。。

「よく考えてみるとなぜか、慌てているような気がするなぁー、心にゆとりを持つべきだ。」

「人生にゴール」などあって、ないようなものないじゃないか?人生にはゴールあるとすれば、永遠の探求だろう。

確かに、人間は寿命というものがある。いくら寿命あるからと言って別に関係ない。いまの時点で、ハードルが要求されているだけで、越えれば超えたで成長し続けていく・・・それが人間というものだろう。

一つ言えるのは、人は時として苛烈な時代が待ち受けているということだ。なかなか越えられない壁――、絶対にある。だけど、それを乗り切ってしまえば、また一つ成長する。人間に与えられた使命は、目の前の壁を超えることだ。これは決して逃げられない。誰しもがだ。

今現在、悩んでいるのは、今まで何度かクリヤーしてきた、「壁」なのかも知れない。それが、「スローライフ」と言うことであれば、それでいいじゃないか・・・

私は、何かに忙しい?忙しくしている?。。。生活を愉しめないことは、心が急ぎすぎているのかもしれない。愉しむ心の余裕がないのだろう。

“スローライフ”は、「もっとゆっくりと、いろいろ愉しみながら、生きようよ」ということか。。。

グリーンな香り

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六月や 溢れんばかりの 蒼の色

日の光を浴びてすくすく育った森のグリーンの香り・・・

オゾンの香り?

滝のまわりに発生している

マイナスイオンを思いっきり吸い込んで…

ちょと長生きするような気分になる・・・6月

即今・当処・自己

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「即今(そっこん)、当処(とうしょ)、自己」

これは、「今、ここ、自分」の大切さを示す禅語です。 

「いつやる? どこでやる? 誰がやる?」

その答えが「いま(即今)、ここで(当処)、自分が(自己)」ということです。

禅の教えでは、時間について次のように教えています。

即今(今やらずに、いつやりますか・・・) 

当処(ここでやらずに、どこでやりますか・・・) 

自己(あなたがやらずに、だれがやりますか・・・)

日頃から、時間は大切であると思っているつもりですが・・・まだまだ時間を浪費している?自分なりに、タイムマネジメントの仕組みをしっかりと作り、日々生活していかなければならない・・・(反省)

まさに、「時は金なり」です。

2017年6月24日 (土)

人には秘密がある

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人間 誰しも人には言えない秘密があります。

親子・夫婦・兄弟であってもあります。「聖人君子」なんて人は、一人もいないと思います。仏様や神様のような人はいません。全てに完璧なんて人は、一人もいないのです。

よく 、犯罪を起こした人の周りの評価が「礼儀正しく、明るくて、そんなことするような人とは・・・」って言うのがありますが、それは当たり前のことだと思います。

普段、外では理性的でも どこかに、闇の部分を持ってるのが人間だと思います。最近、自民党の女性議員の暴言は酷すぎますが・・・

いま、問題になっている、森友学園・加計学園問題でも、ハッキリ国民に納得のいく、説明できていないことは、言いたくない秘密?があり、真実が分からないのです。

模範となるべき 「学校の先生」とかも・・・

もちろん学校では模範となる人間でいてもらわないと困りますが、プライベートでは 一人の人間なわけで、人間は心に闇や影の部分を持ってます。それは誰でも同じだと思います。

善な自分と悪の自分が心の中でいつも戦っている訳です。ここで「善」が勝つように、子供の頃から 躾けや道徳心が育つよう教育しなくてはいけない訳です。

人間も動物です。オス・メスの性格を潜在的な本能を秘めています。理性で抑制していますが、いつか・・・その“はけぐち”が、でる可能性があるのです。

「陽と陰」、「静と動」のような二面性は誰の中にもあります。どちらかに振れてると バランスをとるために、反動がきます。理性を保ち続けることが大事なことで、人間社会は、安定し安心できるのです。

価値観の多様化について

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今の世の中で、自分は、物事の見方を「正しい」と思い込んで暮らし・・・「正しい」もの同士が衝突して・・・自他共に傷つき、悩みを深めているのではないでしょうか?

とりわけ「最後は結局自分がかわいい」という物事の見方は、自分の力では気付くことも、なくすこともできない根深いものです。

相手があって初めて成立するコミュニケーションは、『価値観の違い』を認識しなければ成立しません。

『価値観』という言葉を使いましたが、価値観とは何のことでしょう?

価値観とは、辞書によれば価値観とは、”いかなる物事に価値を認めるかという個々人の判断基準”とあります。つまり、その本人にとって何が大事かということです。

価値観は人によって違うものだということを理解した上でコミュニケーションを図らなければ、相手の反応を引き出すことは出来ません。自分の価値観と相手の価値観、どちらが上ということはありません。

グローバル化する現代社会

価値観の多様化がしばしば非常に深刻な対立や緊張関係を生み出しています。価値観の違いによる対立や争いは、避けられないのでしょうか。普遍的価値規範を共有し、共生社会を構築することは不可能なのでしょうか。

一般的に、価値とは、良いこと・悪いこと、好ましいこと・好ましくないことなどの程度を表し、私たちの、ものの見方の根底にあります。

規範とは、何をなすべきかという行為や判断の基準に関わることです。個々人の価値と規範は、地域や文化固有の信仰や慣習、政治体制などによって醸成されます。

次世代の社会づくり

若者がこれからの社会を創り、未来を担う存在です。

若者がいかなる生を求めているかを知り、これからどのような「生」を求めるべきかという価値規範について議論することは、将来を構想する上で有意義なことです。

しかしながら、その過程を誰もが通ってきたにもかかわらず、若者は、私たち「大人」から見ると、いつの時代もその行動や価値観は謎だらけです。

そして、若者の意識・行動・価値についての理解は、メディアによる若者論のような類いはあるものの、学術的理解は意外なことに大変不足していると思うのです。

バチが当たるよ!

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「いつかバチが当たるよ」

子どものころ、私は母親から、「悪い事をしたら、バチがあたるよ!」と言われたことを、覚えています。それが、しつけの基本の一つだったのでしょう。

今、「世の中には自分さえ良ければいい人」が増えてます。そして、理不尽だと思うこといっぱいあります。身勝手な人多いです。

でも、私は人間はみな平等と信じています。「因果応報」の世の中であると信じています。

悪いことすれば・・・何時か・何処かで・マイナス(信頼・信用など問われることに)が起こります。みんなのこと考えて損している人はどこかで、プラスが待っているのだと・・・

「義務は果たさないが権利はきっちり主張する!」・「自分さえ良ければ・・・の考え!」

因果応報・・・信じたい!

「義務は果たさないが権利はきっちり主張する!」・「自分さえ良ければ・・・の考え」多い世の中です。

私は基本的な社会のマナーを守れない人が多く、一体何を考えているのか?・・・もちろん自分が完璧な人間だなんて思っていないし、マナーというあやふやなものに対する判断基準や価値観が人それぞれなのも分かっています。

ただ、明らかにどう考えてもマナー違反だろ!って行動を取る人は、何をおもってそういった行動をとってるのでしょうか?

たとえば、ポイ捨てをする人は「自分さえよければそれでいい」ってことさえも考えていないのではないでしょうか?

考えることができればもうしこしモラルを身につけることができるでしょう。考えないから「いらないものは手から離す」ので「ポイ捨てしていることにさえ気が付いていない」のではないでしょうか?

何か大きな出来事が身近で起きて、考えたときに初めて・・・「アッ、自分はポイ捨てをしていた」と気が付くのでしょう。


2017年6月23日 (金)

幸せに生きるって・・・何?

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いい年して、まーだ悩んだりして!何を悩んでいるんだ!

自分の生き方・・・これで良かったのか?

これからの「余生?」どう生きればいいのか?悩んでいるのですよ。。。

人は、幸せを追い求めて生きている動物です。「幸せの価値感」人それぞれと思います。もちろん、お金持ち・土地持ちなどになることではない…分かっています。

もしかして(私は)こんな事で、悩んでいるのだろう?

具体的に一つひとつ上げてみると・・・

○ 他人と比べている?

○ 他人に認められようと考えている?

○ 「幸せ」…他人や、環境が頭にある?

○ 自分には、価値がないと思っている?

○ 起きてもいないことを心配している?

○ 現実から逃げている?

○ 自分の幸せを、後回している?

「生きていられる」・・・ことが幸せであると思うことですよ!そして、生きていることに、感謝することが大切と思いますよ!

家族、お隣さんなどの、周りの人に、感謝することです・・・そして今住んでいる地域を愛することですよ!

稲盛和夫さんは・・・

人は自分一人では生きていけません。空気、水、食料、また家族や職場の人たち、さらには社会など、自分を取り巻くあらゆるものに支えられて生きているのです。

そう考えれば、自然に感謝の心が出てくるはずです。不幸続きであったり、不健康であったりする場合は「感謝をしなさい」と言われても、無理かもしれません。それでも生きていることに対して感謝することが大切です。

感謝の心が生まれてくれば、自然と幸せが感じられるようになってきます。生かされていることに感謝し、幸せを感じる心によって、人生を豊かで潤いのあるものに変えていくことができるのです。

いたずらに不平不満を持って生きるのではなく、今あることに素直に感謝する。その感謝の心を「ありがとう」という言葉や笑顔で周囲の人たちに伝える。そのことが、自分だけでなく、周りの人たちの心も和ませ、幸せな気持ちにしてくれるのです。

2017年6月22日 (木)

自冶会・町内会の現代的課題

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冶会・町内会

まだまだ、災害も高齢者介護も先のことと、思いたい地域住民にとって、町内会・自治会の存在は影が薄くなるばかりです。

となりのアパートに、いつの間にか若い男が出入りして、会っても、挨拶もしません。こちらから話しかけ、近くの専門学生が、1ヶ月前に、二人で入居したという。もちろん住民票は移動していない。名前は・・・電話・・・個人情報で、教えられないという。

今高齢化、独り暮らし、空き家問題が地域社会で問題となっていますが、売り家から、ワンルームマンションを造る不動産が多くなってきています。

その上、社会の動向(時とともに移ろう時代の趨勢)は・・・マイカーとコンビニとSNSがあれば、隣人との付き合いは不要と思われることも多いのが現実です。

その背景には、日々の仕事や生活に追われるなかで、いま地域がどうなっているかの情報もなく、直接関係のあること以外はなるべく関わりたくないし関わる余裕もない、という住民生活の姿があります。

今、住んでいる地域に愛着がわかない。居住地は生活の手段に過ぎない、定住することを考えていないのです。それ考えが講じて、自己中心の規範意識は薄れる風潮があるようです。

そのために、こうした住民で組織される町内会・自治会は、組織への加入率の低下や役員のなり手がないという、組織存続の条件を欠く事態に追い込まれようとしています。

人口減少に転じた社会の構造転換は、地域でもそれへの備えをゆるがせにできないものにしてきています。震災を契機に、一時期注目されていたNPOやボランティア団体も、その守備範囲が明らかになってくるなかで、町内会・自治会などの地縁型組織の意味と役割とが、あらためて問われるようになっています。

きずなづくり基本

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目配り・気配り・心配り

「目配り」・・・自分のことばかりではなく、周囲にも目を向けられるような余裕を持つこと。

「気配り」・・・相手のことを考えて行動をすること。

「心配り」・・・協力しようというキモチを持つこと。

目配り・・・気配り・・・心配り・・・が「きずなづくり」の基本です。

「きずなづくり」・・・主体的に取り組む共同的な活動を通じて、地域住民が「絆」を感じ取り、紡いでいくとを指しています。

「絆を紡ぐ」・・・人と人との結びつきが、大きな利害の中で錯綜しているときに、たった一本の大切な糸のように、絆というものを作りだすことです。

自己中心的な人ばかりでは、安心できる社会成り立ちません。

「心配り」協力しようというキモチを持つ・・・困っている人がいたら、見てみぬふりをしないで、率先して手を差し延べてあげることです。

重たそうな荷物を持っている人がいたら、一緒に運んであげたり・・・本当にちょっとしたことでもに気がつくだけで、絆の大事さを感じるのです。

2017年6月21日 (水)

心の教育

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「心の教育とは」

人間社会で、何をするにも、相手との関わりが条件であると教えることです。

教育とは、人間社会で生きる力をつけることで、愛情、思いやり、親切な言葉や、行動などを示し与えることも含まれます。より良いコミュニケーションの方法を身につけることです。

例えば、自分のしてしまったことに対しての謝り方では・・・

○相手のことを考えるから詫びるのと・・・●謝ればいいでしょう・・・ということで詫びるのとでは違います。謝ることを教えるのが心の教育ではなく、謝るに至る心の過程を教えるのが、心の教育でです。

その心の過程に相手の現実が出てきます。そして謝るとは相手の傷ついた感情を宥めることです。「ご免なさい」と謝られたことで、傷ついた心が癒されます。

この時に「謝った」ということだと教えるのが心の教育です。つまり人間には心がある、人間は「もの」ではないと理解するからです。

「ご免なさい」と謝っても、相手の傷ついた感情が宥められないなら、謝ったことにはなりません。これを理解させるのが心の教育です。

「心のある人」

「愛情」・「優しさ」・「思いやり」・「親切さ」・・・これらは別々のような感じがしますが、一言で言うと「心」です。心のない人は、愛情もなければ優しさもないし思いやりもないという・・・「冷たい人」になります。「心が温かい人」であるほど、魅力的であるということです。

人間の一番の魅力が「心」にあるとおり、どれだけ相手が魅力的かも、まず心から見るようにしましょう。決してお金では買えない、人間だからこそ持っている最高の魅力は、心なのです。

80歳で思うこと

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イヤイヤ私も80歳・・・

「いつ死んでもおかしくない年に、なってしまったものよなぁー」確かに、身体の衰えをヒシヒシ感じられる今日この頃です。。。人生は、各年代いつも未知の領域を歩き続けています。

80歳を越えても元気に動き回っている老人・・・自他共に認めざるをえない・・・「もっと他にやることがあるでしょう?後悔しないようにネ」と厳しいお言葉が・・・心に突き刺さるのです。

80歳の領域に入って

80歳になっても、自分の体を自由自在に動かせる体にするには、体の筋肉を鍛え続けるしかないと思います。先輩方々を見ても、生活環境などで、それぞれの考え方が違いますが、正常な心身があっての、年相応な歩幅で歩けるものだと考えます。

実際、毎日体を動かし続けていれば、体はその生活に順応します。筋肉を使う生活であれば、筋肉は衰えのスピードは遅らせるでしょう。

心身の衰えは、“いかんともしがたい” ものです。

80歳代の老人は、足が不自由になる・・・足の筋肉が急激に衰えて行く・・・運動し続けている80歳代の老人と普通の生活をしてた80歳代の老人では、動き方が違います。行動範囲・・・機敏性。食欲も違う・・・体力の差が歴然と表に出てきます。

殆どの人が、やり残しがない人生を送りたいと思っていることでしょう。でも、諸般の事情は目まぐるしく変ります。満足に思っていたことが、終わる前に命の時間が来てしまうかもしれなません。それは運命?

自分でコントロールが出来ることは何か?

命はいつ終わりが来るか分からないので、やりたい事を後に残して置かない・・・。健康であれば、多くの事はやれるのではないか・・・。命を延ばすことに注力するよりも「今という時間」を満足に過ごす事に時間と労力を費やしたほうが良いと思います。

体が問題なく動かせることが出来れば、自分でコントロールできることが沢山有ることが分かります。私達の生活は、自分である意味コントロールしているからです。自分でコントロールできなくなる時は、病気になり介護を受け始めるときだと思います。

誰れでも、老いてくるので、いつかは誰かのお世話にならないと生活ができなくなります。そうなる前に、自分を楽しませることを先にやってしまうことだと思います。

2017年6月20日 (火)

凡事徹底・・・

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他人の心を動かすもの・・・

「口の上手さよりも、行動こそが人の心を動かす」

細い道で、雨の日に人とすれ違うとき、傘を外側に傾け、濡れないようにすれ違う「傘かしげ」

相手に身体を当たられて、「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保つ「うかつあやまり」

日本人が大切にしてきた「おもいやり」や「礼節」を重んじ、コツコツと努力を重ねていく・・・そんな人間で、あり続けたいものです。

挨拶ひとつをとってみても、明るく元気に満面の笑顔で行うことを自分から発信し続けることで、その相手だけではなく、まち全体が明るくなることにつなげていきたい。町内清掃を続けていくことで、誰もが住みたいと思う美しいまちづくりに貢献していきたい。

当たり前のことであったとしても誰も真似ができないほど続けることで、それは一つの才能や個性となるのです。その積み重ねこそが大切だと思っています。

人は、誰しもが「幸せになりたい」と願っています。私は、幸せになりたいと強く思うとき、人に尽くすことで、私は・・・幸せが“心から味わえる”ものだと思っています。 

「凡事徹底」です。

つまり、「特別なことでなく、ごく平凡な当たり前のことを徹底して継続して実行していく」ことです。「当たり前のことを、当たり前にやる」でも、「当たり前のことを一生懸命やる・・・「やり続ける」ことです。

平凡なこと、当たり前のことは、やれて当たり前と思われがちです。でも、実は、その平凡な当たり前のことを、毎日毎日当たり前にやり続けることは、実は大変なことです。毎日やり続けるということは、平凡なことではない、非凡なことなのです。

 

2017年6月19日 (月)

今が一番幸せ

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あなたは、今幸せですか?

答えは幸せです。

何故ですか?「生きているからです。」

考えることはありません。

今までの人生で、辛いと感じる時…楽しいと感じる時は、その時はそう思えなくても、幸せだったんだなって今になって思うのです。

悲しいことだって…辛いことだって…楽しいことだって…笑いあったり、泣き合ったり、そんなことができるのも生きているからです。 「私は生きている・・・」だからこそ 様々な感情を味わうことができるのです。

それだけで、どんな状況だって例え、その時は思えなかったとしても、「幸せなんだよなぁー」 って思います。過去を振り返るのは後でいい・・・ もちろん自分の過去から、感じることや学ぶことは、たくさんあります。

自分が納得できないと進めない…かなり不器用な生き方をしてきて・・・そこから感じたことや、学んだことは、多いと思っています。「まぁ今ではそんな 生き方しかできない 」・・・私です。

過去を振り返てみても、いま歩んでいる道は結局、全部自分で選んできたのです。 だから ・・・ 「 今が一番幸せ」と思っています。そして、生きていられることに感謝しています。

2017年6月18日 (日)

片倉城跡とあじさい

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片倉城跡の森は、湯殿川を挟んで、私の家の目の前によく見えます。

6月の花は、何と言っても「紫陽花」です。

片倉城跡にも紫陽花があり、きれいに咲いています。 

紫陽花は雨が似合うのですが、今年は雨が少ないようです。

気温は夏日(25℃)であったり、20℃ぐらいの日があって体調に気をつけたいものです。

 つたない俳句ですが、記してみました。

石積みの 苔ひたたりし 城の跡

吹く風に 松の青さも 夏の空

草深し 片倉城や 夢誘う

静けさに 額あじさいや 朝日浴び

音もなく 白紫陽花の 露ひとつ

地域のコミュニケーションが難しい

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ワンルームマンションの住人と地域とのコミュニケーションの問題・・・

期限付きワンルームマンション入居者の増加で戸惑っています。

地域住民の事態も、ますます多種多様になってきています。その上、期限付き入居者が多いワンルームマンションの増加で、地域コミュニケーションが、取りづらく・・・非常時などの“安全確保が”不安となってきています。

マンションの実態もそこに住む居住者も多様であり、一般的には単身居住者のマナーの問題です。ゴミ出しのルールが守られず、適切に分別されなかったり指定日以外に出したり、指定場所以外へゴミを置いたり、出し方が乱雑だったりということもあります。

また、に自転車の路上駐輪や生活騒音などの問題が指摘されることあるようです。また、ワンルームマンションに住む単身者が地域に溶け込もうとせず、地元の行事に参加しない、自治会や町内会などに入らない、地域の住環境を良くしようとする意識がない、などといった理由で地域コミュニティの希薄化を懸念することです。

さらに、住民票を異動させない単身者が多く、住民税も納めないのにゴミ収集などの行政サービスは受けるといった指摘がされることもあります。

入居者の入れ替わりが早いため、近隣の住民から見れば「顔も分からない、挨拶もしない」という「見知らぬ、よそ者」が・・・あまり良くない印象を持ってしまいます。近隣住民と交流がもてないことで、起因する感情的なトラブルも否定できません。

2017年6月17日 (土)

歩き続けること

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歩き続けること・・・

「時には道がさみしく、感じられることもある。それでもいいの、大事なのは歩き続けること」
(カトリーナ・マイヤー)

立ち止まらないことです。逃げないことです。そして諦めないことです。将来どうなるのでしょう・・・良くなる?悪くなる?変らない?迷いは誰れでも訪れるでしょう。

将来はどうなるか?・・・

この激動の時代を生き抜くための、身を守るための知識・・・ 社会情勢、時代の流れ、経済動向、そしてコミュニケーション能力…身につけることです。

不安になるのは、分からないからなのです。もちろん、未来がどうなるかは分かりませんが、知識を身につけることで、未来がどういう方向に動いているのかを予測し、それに対して準備をすることは可能です。

それで初めて、未来に向けてしっかりスタートを切れる・・・そう思います。

いま、自分がしなければいけないこと、必ずある筈です。それを見つけて、奥を深め。。。将来に備えるのです。

かけ声ばっかりで・・・

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「かけごえは、なっぱのこやし」

むかし、先輩から『「菜っ葉の肥やし」では困る』

・・・と言われ?、何ですかと聞いて…

「こう言うことですよ!」言われ…なるほど、、、

 菜っ葉には、肥やしをかけて育ちますねー

「肥やし」のことを「肥(こえ)」とも言いますでしょ。。。

 つまり、「かけ肥」=「かけ声ばっかり」ってことです。

『かけ声ばっかりで実行が伴わないことを、

「菜っ葉の肥やし」と言ったんです。』

2017年6月16日 (金)

公園に大きな看板・・・

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私たちのまちに小さな公園があります。その公園は、時田公園です。

公園は、まちの広場・ホールなどと同じに、私たちのまちのシンボル的、存在であろうと、思っています。

一般的に「公園が汚れているなぁー」と見られると、その“まち”全体が管理不在の町・・・安全の認識が欠ける地域であり、犯罪の起こりやすい“まち”と思われてしまいます。

時田公園の利用者は、ほとんどが小学生以下の子どもさんが多く、たまに近くの保育園の園児たちが先生に引率され、利用しているようです。

以前から、子ども会の会長はじめ、お母さんたちに、この公園には、ゴミ箱はありません。「ゴミは持ち帰り」ですので、お子さんたちに「ルール・マナー」教えて頂くように、お願いしています。 

この事は、教育学者、森信三先生の「返事・あいさつ・あとしまつ」ができる子に育てたら「合格」である信じているからです。

思うに今の大人も「返事・あいさつ・あとしまつ」・・・が出来ない人が多い世の中であるようです。親の教育が出来ていない?のでしょうか・・・

最近、犬を飼うお宅が増えた?ように思えます。愛犬を散歩する人が多くなったように思えます。犬の散歩のマナー「犬のフンの始末は飼い主です」の看板ポスターを貼っていますが、最近、あちこちでそのままの「犬のフン」を見かけます。

特に困ったことに、時田公園に犬のフンがあるのです。近隣の人・管轄の南大沢警察・市公園課・防犯課・などに相談したり、私の拙い、ブログで訴えています。

ある人に、もっと大きな看板を取り付けたらと、いわれ・・・公園課にお願いしして、昨日取り付けていただきました。飼い主の方に認識を改めていただけるかと期待しています。

2017年6月15日 (木)

他人を守ってこそ自分を守れる

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私は、今の世の中・・・これほどまで「自己中心」の人が多いことに、危機感を覚えています。「他人の不幸そ見てみぬ振りをする」・「自分さえ良ければ・・・」の考えの人が、多くなったと思います。

環境の問題一つとっても、思うのですが、拾っても・・・拾っても・・・ゴミのポイ捨てがなくなりません。捨ててる人は、役所の仕事?と考えているのでしょうか・・・自分の家はどうなっているのか?勘ぐりたくなります。

世界に目を向けると、『「パリ協定」脱退!地球温暖化防止よりアメリカの利益ファースト』・・・これでは、アメリカ人も生き残れることができないと思うのですが。。。

「人を守ってこそ自分を守れる・・・己のことばかり考えるやつは、己をも滅ぼすやつだ!」(七人の侍…勘兵衛)があります。

世の中を良くしていこうと、政治家はいるのですが、どうも姑息(根本的に解決するのではなく、一時の間に合わせにする)な考えの人が多く、また、国内に留まらず、世界的にも、対局観を持った人が少なくなったように思えます。

不透明な時代に、国内ばかりか世界にも暗雲がただっている今日、私たちに希望はあるのでしょうか?私は、希望というものは、人から与えられるものではなく、自分の心の中に芽生えるものだと思うのです。

自己中心的で、いつも自分のことしか考えない人には、常に、不安がつきまといます。不安の中からは、決して希望は生まれて来ないものです。もし、希望を感じて生きられる人間になりたいと思ったら・・・自分以外の大切な人の幸せをひたすら願うことです。

他人を思いやる心が、不安におののく毎日から、小さな希望が芽生えてくるような気がするのです。人はだれでも、幸せになりたいと願い、その方法を考えています。

ある人々は、しばしば自分だけで幸福になろうとしています。自分の幸福だけを考え、隣り人の幸福は考えません。しかし、そのために隣り人を幸福にできず、またかえって自分を幸福にすることもできないでいます。

隣り人が不幸な状況にあるとき、どうして自分だけが幸福でいることができるでしょうか。。。人を幸福にしようとすることは、むしろ、自分が幸福になるための近道でもあるのです。
       

2017年6月14日 (水)

心に余裕を持つには・・・

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忙しないスピードで流れる時代・・・私たちは、心の余裕が持てなくなっています。

 余白もつくらずに詰め込んでしまうから些細なことでイライラするのではないでしょうか・・・必要以上に欲望を抱くから、他人に優しくする、余裕が持てなくなっているいる?のではないでしょうか・・・

だからこそ意識的にゆとりを持つことです。そのために必要のないものはを手放すことです。余裕がないならつくればいいのです。

大きなミスをしない

私達が大きなミスをしでかしてしまう時というのは、心に余裕がないせいで、いつもならやらないことをやってしまうからだと言えそうです。

人生で大きなミスをする確率が高まる時→心の余裕を失っている時です。そのため、常に余裕の範囲内で行動するようにしていると、人生を左右するような大きなミスを避けることが出来そうです。

人生で大きなミスをしないコツ・・・
心の余裕をキープし続け生活することです。

私たちは失敗から学ぶ生き物ですが、大きな失敗をしてしまうと、数年間も無駄に過ごしてしまうこともあるでしょう。
人生には時間が限られているため、大きな失敗を避けることは、時間の節約にもなりそうです。

毎日をご機嫌に過ごす

私達は、心の余裕がある時にはご機嫌に過ごしやすく、心の余裕を失うと、些細なことにもイライラしやすくなってしまうようです。いつもご機嫌に暮らすには、常に余裕をキープし、心に余裕のある状態で生活をすることです。

思いやりと、余計なお世話

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思いやりと、余計なお世話の違い

別に「余計なお世話してやろう!」なんて考えているわけではありません。思いやりで・・・したこと(行為)が、余計なお世話・・・「おせっかい」と見られる(思われる)ことがあります。

それが、相手から「迷惑なんだよ!」と言われて・・・複雑な感情に・・・

思いやりって、“相手がいてこそ成立するもの” だと思います。「相手が笑顔でいられ、相手が幸せでいられるように・・・」少しでも「相手が気を遣わないように少しだけ気遣っておく」というのが、思いやりの行動かな?と思います。

しかし、自分の想いが、うまく相手に伝わらないことってたくさんあります。もしかしたら「迷惑なんだよ!」「ありがた迷惑なの」「それやめて」なんて言われてしまうこともあります。

けれど、余計なお世話かどうかじゃなくて、受け手の感じ方しだいです。その言葉をどう受け取るかは、こちらの問題です。それを受けて手のせいにしてはいけません。

「思いやり」か「余計なお世話」かは、この後の感情で判る気がします。

あぁ、自分の行動は間違っていたのかもしれないなー。この人はこれが嫌だから気をつけよう。迷惑なことしちゃって、申し訳なかったなー。

自分は、相手のためを思ってやってあげたのに! それをありがた迷惑だなんてもう・・・もう優しくなんてしない・・・

きっと「思いやり」として行動した人は、自分の行動を省みると思うんです。「あのタイミングでやっちゃダメだったかも」とか、「相手の気持ち考えていたかなぁ」と・・・

どう思うかは人それぞれですが、基準は自分なんです。それに対して「余計なお世話」の人は、相手の行動について考えるんです。

「相手の感じ方が悪い」とか、「相手が正しくこちらの配慮を受け取らないのが悪い」とか、「そもそも相手がこんな行動をとったのが悪い」とか。こちらも考える内容は人それぞれだと思いますが、基準は相手なんです。

●自分の行動を省みているかどうか…○相手を責めてしまっていないかどうか…。その2つが、「思いやり」と「余計なお世話」の判断基準だと思います。

ありがた迷惑だと言われたときに「そんなことを言うなんて!」と思ったら、自分が本当に思いやりで行動したのかを一度内省してみるといいかもしれませんねー

2017年6月13日 (火)

馬鹿がいなけりゃなりたたない

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「馬鹿がいなけりゃ成り立たない」とちょとやるせない思いがする今日この頃である。「俺がやった俺がやった」言いふらし自己主張し、人々に賛同を得ようとする人間と、反対に人に目立たないように黙ってコツコツ仕事をする要領の悪い?人がいる。

私は「ボランティア」・「無報酬」・「自分を犠牲にして」などの言葉があるように、人のため、世のためと人知れず陰の力となって尽くしている人が貴重で、世の中よくなるのだと思う。

最近の風潮で、町が汚れているなぁー、・・・黙ってゴミ拾いをし・・・子供が悪い遊びをしているー・・・積極的に注意し・・・人を侮る悪い噂を流す人がいれば・・・つまらないから辞めなさい。など、人が嫌がることをする人が少なくなった。

余計なお節介?はしない。関わりたくない。見てみぬ振りをする。そんなことする余裕などない。自分が生きるためにはそんなことにかまけていられない。という人が多くなったといことでもある。

私は、最近「絆」という言葉が世の中に流布しているが、本当に口では言っているが行動に移せない・移さない人間が多くということだ。したがって、そんな余計なことをする人間が少なくなったと思う。

30~40年前をかえりみると、名物人間がいた、横丁の怖いお爺さんが子供の悪遊びに怒って注意したり、また、お節介お婆さんが、用もないのに隣に家に声をかけたりする人がいたっけなぁーそうして困ったことは、「おたがいさま」で、世の中楽しく暮らせていた。

町の人々は、「迷惑かけてすみません。」「いいえこちらこそ何時もすみません」そうして最期に「ありがとうございます。」のことが懐かしいく思える。

ままにならないのが人生

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むかしから・・・「ままにならぬは浮き世のならい」と言われ、現代でも、世間でいう「浮き沈みは世の習い」という言葉があります。

人間は一生のうちに幾度も浮き沈みがあるものです。決して始めから終わりまで安穏に過ごせるものではない・・・ということです。

自分を責めても苦しいだけ・・・周りを責めても変わらない・・・どうにもならないことを、諦められないから心が囚われてしまいます。その執着が私たちを生きづらくさせるのです。

今の自分に出来ることをする→あとはどんな結果も受け入れる→私にできることはただそれだけです。

「あるがままを受け入れる」

 人生は思いどおりにならない・・・でもね、それでいいんだなぁー

そういうものだと認めてしまえば生きることが楽になる・・・目を背けるのではなく、受け入れることで心が落ち着くものですね・・・

『「過去を生きるのは終わりにしよう。」「誰か」や「何か」のせいにするのは止めよう。』

「変えられないこと」ではなく「変えられること」に目を向けることです。残されているものはまだまだある。変えられることだってたくさんある・・・。

これからどうするか。。。今の自分になにができるのか。。。受け入れることで、前を向いて生きることができると思う。

2017年6月12日 (月)

自分だけでの幸せはない

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利己主義(者)に考え直して欲しいものです。

人間は自己の利を先とする心で生きるときには、たとえそれが満たされたとしても、本当の幸せにはなれなれません。

単純と言えば単純なことですが、人間は一人で生きているのではなく、常に「他と共に」生きているのです。これは一つの「考え」ではなく「事実」です。

この世のものは何ひとつ単独で存在するものはありません。相互に支えあい関係しあい影響しあって、存在しているのです。

私という人間も当然同じように、いわば一つの共なる命、共生の大地に生きているという事実があります。

これは「共同の命」ととらえるのです。そのようにして生きている世界で、一人だけの幸福などというものは、本来あり得ないのでないのです。

宮沢賢治が「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」と言うとき、彼もまたこの人間の事実に触れているのでしょう。

今求められているものは、他と共にしか生きられないという事実を見据える眼ではないでしょうか・・・

そして同時に、他と共なる世界を踏みにじっているという事実を、目を覆うことなく見つめることではないでしょうか・・・

2017年6月11日 (日)

一瞬童心になる

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今年90歳という元気な、お婆さん・・・元気に野良仕事していました。旦那さんは亡くなって、一人で、2反分(200平方メートル)を耕作しています。

畑は、お婆さんの家からは2キロぐらい離れていて、しかも急な坂道・車が激しく行き交う国道16号を渡り、さらに急な坂道の途中に畑です。自転車は今でも使っているそうですが、坂道をりるときだけだそうです。

もちろん、車・耕運機など使えません。(必要なときには子ども達に頼み)肥料・収穫や市場に出荷したり、しているそうです。今の時期、畑では、トマト・ナス・キュウリ・レタスなど作っています。

私の実家の近くに住んでいて、子どものころより気心を良くし知っているので、気さくに会話が出来ます。(私の実家も農家でした)

「屈託がない笑顔」・・・

「ほーれ!キュウリ持って行くか?・・・」「チンゲンサイもあるよ!」と屈託のない笑顔で、言われ、一瞬童心?にかえったような気分になりました。

日に焼けた皺だらけの笑顔が、印象的でした。90歳・・・艱難辛苦の人生だったことでしょうが・・・まったく、そのような顔は見せない人だと思いました。

明るい町づくり

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明るい町づくりは・・・「話・輪・和」です。

地域のことで、一人ひとりが、何か出来ること

町会でみんなで力を合わせて出来ること

目標をたて、行動をすることです。

私たちが住む町のみんなが地域づくり参加する。

環境美化に意識を高め、

高齢者や身体障害者、子供達など、

誰もが明るく、安心して暮らせる

町にする地域づくりです。

犯罪や防災に対しての意識を持ち、

誰もが住んでよかったと、

笑顔のあふれあうまちにしましょう。

生きる姿勢について

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【生きる姿勢】

「与えられた場所で、与えられた時間を生きる。それが人間の自由だ。」・・・曾野綾子さんが言われています。

しかし・・・人は誰でも悩みや苦しみを持ちながら日常を過ごしています。そして、その悩みや苦しみの迷路から抜け出せないでいます。

京都の感応寺住職の「仏教よもやま話の6月1日」【生きる姿勢】より抜粋・・・

生きていれば、悩み苦しみは避けられません。苦楽をともにした人生(生活)を強いられます。だから、その悩み苦しみと上手につきあう、そのつきあい方を学ぶ、工夫するということでしょう。 

人は向上心があれば、不満心も、不安心も生じないということでしょう。なぜならば、自己の内心に問いかけて、自らの向上心をさらに鼓舞していこうと思うからです。

共生の世には利他心がなければ生きられません。利他心は大慈悲心です。慈心とは他の苦しみや悩みを取り除いてあげる、それができなければ、すこしでも軽くしてさしあげることです。

私たちは本来の自己である自分という生命体に素直な生き方をすべきところ、自我の欲望のおもむくままに利己的な生き方をしているから、自分自身で悩み苦しんでしまいます。

生きる姿勢を正し、目覚めようとする心を発(おこ)すこと、すなわち向上心を鼓舞してより高く自己の向上をはかるべしということでしょう。

究極の「生き方上手の術」とは、苦しみや、悩みごとと上手につきあい、「世の中というものは、なるようにしかならぬものなり」と思えるようになれば、それが悩みも苦しみのない生き方になるでしょう。

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知識技術能力を高める・・・努力を続けること。

知識技術能力・・・知識…分ること。技術…出来ること。能力…意識して行動に移し、獲得された技能。

なによりも大事なのは、現在の自分の生きる姿勢です。成長しようと志して、自分が幸せに生きるように努力することが大事なのです。

2017年6月10日 (土)

八王子市では全市内歩きタバコは禁止です

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ポイ捨て・歩きたばこは迷惑行為です。

あなたは吸い殻等のポイ捨てをしていませんか?

 吸い殻が雨で溶けてなくなることはありません。

今朝、私は1時間30分で、123本(車の灰皿から大量に?)のタバコの吸い殻を拾いました。

携帯灰皿を常備し、吸い殻やごみはご自身で持ち帰ってください。

あなたの行為を、子どもたちは見ていますよ!

ご家庭では、タバコの吸い殻はどうしているのでしょうか?

八王子市では全市内歩きタバコは禁止です。

煙で人に迷惑をかけるばかりでなく・・・

すれ違いざまに、たばこの先が触れてしまったら・・・

相手にやけどを負わせてしまう危険があります。

まちなかには、幼い子どもや体の不自由な人もいます。

ぜんそくの人もいます。

ぜひ「思いやり」の心を持つようお願いします。

教育とは・・・

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最近こと、隣の家(アパート)に、学生風の若者が出入りしています。

何時・何処から・どうも二人のようです。道で会っても、挨拶もしないので、こちらから挨拶したのですが、もう少し聞こうとしても、個人情報とかで・・・選挙権もある大学生のようです。

私たちの地域社会にこのような、人たちが増えるたら、安全・安心の面でも考えてしまいます。教育って何?考えてみました。

教育とは・・・

生きていく為に必要な術を身につけさせる事・・・「アイデンティティの確立」を目標に教育があります。

アイデンティティとは「自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念」のことです。

本来の教育とは・・・社会教育→社会の維持→犯罪の抑止と非常時に対する身の処し方です。犯罪の抑止は、社会の秩序を護ることです。

必ずしも、学校は、学問を教えるところではなく、本質的には、生きていく為に必要最小限の事を教えるところです。ところが、学校を卒業しても満足に生きていくことができない、生活ができない若者が増えています。

微分積分ができないからと言って、生きていく上で、支障があるわけではありません。しかし、挨拶ができなければすぐに困ります。ならば、学校で教えるべき事は、何か、明白です。しかし、それが明白でないのが、今の学校教育です。

豊かな心の育成

他人を思いやる心、生命や人権を尊重する心、自然や美しいものに感動する心、正義感や公正さを重んじる心、勤労観・職業観など、子どもたちに豊かな人間性と社会性を育むための教育を実現することが、教育の本筋と思うのです。

2017年6月 9日 (金)

困った時はお互い様

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「お世話になっているなぁー」・「ありがたいなぁー」

命懸けで仕事をしている人・・・

寝る間を惜しんでなんらかの努力をしている人が大勢いるのです。

知らないうちに助けられて生きていられるのです。

なんらかのことで助けを必要としている人がいたら・・・

「困った時はお互い様」

喜んで力を貸してあげるのです。

もちろん、自分の限界を超えてまで助けるとか・・・

相手が拒否している場合は避けることですが・・・

どんな関係も、そこに関係がある以上、「お互い様」なんです。

知っていようがいまいが・・・

(昨年、近所の一人暮らしお年寄りが、庭木を剪定していて・・・脚立から落ちて、動けなくなり、救急車を呼び、病院まで付いてあげました。お陰様で、かすり傷で、無事に帰宅出来ました。)

普段から、「ありがたみに報いる」ことに、力を惜しむ理由はありません。

多くの人が「お互い様」と思えれば傲慢な人や態度も減るし・・・

もっと簡単に、人に親切に出来るようになるのではないでしょうか!?

ワンルームマンションの問題

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東京都内では、学生や、単身赴任者などで、ワンルームマンションの利用者が多く、「6畳 のワンルームは地域の住環境や治安を悪化させる」として反対しているということです。

私たちのまちにも、ワンルームマンションが建ち、これからも増えるようです。

ワンルームマンションの住人は、ゴミ出しなどに関する、入居者のマナーの悪さが問題となっています。指定日外に出したり、分別しなかったり、乱雑に出したり、指定された場所に出さなかったりです。

居住者の中には住んでいる自治体に住民票を移さない者がいて、地域の住民とのコミュニケーションがなく、地域の崔し物(町の清掃ディ・盆踊りなど)無視し・・・ゴミ出し・・・地域の安全確保に不安を感じるようになってきています。

私の家の前にも一戸建ちに、何時入居したか、分らない若い男が出入りするようになり、聞いてみますと、大学生のようで、男性二人で入居し、近くの高専を卒業する2年間だそうです。当然住民票は移していない。

もし地震などの災害あったら・・・防犯・防災と地域の住民とのコミュニケーションが取られないので不安です。電話番号さえ、個人情報・プライバシーで教えてもらえないのです。

2017年6月 8日 (木)

マナー・ルール守って明るいまちに・・・

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世の中、マナー・ルールを守れない人多いですねー

もちろん、自分も完璧な人間だなんて思っていないし、マナーという、あやふやなものに対する、判断基準や価値観が人それぞれなのも分かっています。

人が見ていないからって、悪いことを平気でする人間の心は、一体どうなっているのでしょうか・・・

毎日清掃活動でいます。

私たちの住む地域(公園・広場・湯殿川の河川管理通路・国道など)のゴミ拾いをしています。タバコの吸い殻・犬のフンの多さには、閉口しています。

最近犬を飼う人が多く、犬の散歩をする人を良く見かけます。

今朝は、犬んのフンで始末をしたのですが、その場所は、湯殿川の河川管理通路から、市道に入るところで、まちの広場の近くです。こんな所?ビックリです。そこには注意ポスター「犬のフンは飼い主の責任で・・・」があり、そのポスターが壊されていたのです。

よほど、飼い主がストレスが、溜まってのことだと思いますが、これは「犯罪です」・・・悪ふざけでは済みません。近くにスパーがあって多くの人が通る道路です。

私は、地域のみなさんと心を合わせて、「明るいまちづくり」を考えています。

「明るいまち」とは、地域の人がお互いに、思いやり持ち、ルール・マナーを守ることで、安全で安心できる町・・・そしてそして“笑顔があふれる町の人たち”だと考えます。

一人のマナー違反者で多くの人が迷惑しています。まちづくりは、一人ひとりの心がけです。絶対に犯罪行為は、止めてください。

梅雨入り宣言

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早朝の あいさつしながら 草の道

入梅や 降り出す雨に ホッとする

湯殿川 我が心にも 水澄みて 変らぬ流れ 昔を偲ばん

匂いつつ 散りにし花が 偲ばれる 夏のみどり 繁りければ

気象庁は、きのう関東地方に、梅雨入り宣言をしました。

平年(6/8)より1日早く。昨年は6月8日です。

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我が家の小庭に、紫陽花の花が、ひときわ、幅をきかしてきました。

梅雨は、うっとうしい・・・嫌な季節と思う人も多いと思いますが・・・

梅雨がなければ、水不足で、私たちの生活も大変なことになるのです。

2017年6月 7日 (水)

80歳にして自分の生き方に・・・

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80歳にして、自分の生き方に迷い?ふとした時に思うことがある。

一人で頑張り、人に頼ると迷惑になって悪いと思ってしまい、自分で全てを解決しようと努力をする・・・その結果解決すればいいのだが、解決できないときは、落ち込んで悩んでしまう。

自分(時間)を、犠牲にしている・・・と自他(妻)とも思ってしまう。良い意味で、とても真面目で、人に対して誠実である(ある人は言う)ため、約束は100%守り、どんな小さな約束だって破るなんて問答無用と思ってしまう。

また、相談を持ち掛けられたら、まるで自分の事かのように相手の立場になって真剣に考え、自分の時間を削ってでも相手の役に立つように色々と対応してあげる・・・

そんな人生を繰り返していると、たまにどっと疲れが襲ってきたり、何もないのに急にむなしくなったりしてしまうことがある。そしてふと、「自分の生き方が正しいのか否か」という考えが頭をよぎる。

自分自身に問うてみる・・・

「少し肩の力を抜いたらどうだろうか?深呼吸して。。。肩肘張らないでも、同じことをするのでも、もっとリラックスして、ゆったりした気持ちで・・・同じ結果が出せるんじゃないかな・・・」

「顔の表情も変わってくる?」と周りから言ってくれるかもしれない。

もし何かをやろうとしているのに、一歩が踏み出せないのであれば、「思い切ってそれをやってみたらどうだろう?実際やってみると何とかなるものだ・・・」

「やりたいことは全部やらないと、絶対後悔する」などなど・・・80歳、自分のことを理解しているはずだから、じっくり自分のことを考えてみることだ。

ご近所づきあいのこと

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少子高齢化の社会・核家族化・結婚しない一人者(男女)が多い、現代社会です。いま、「ご近所付き合いも今は昔…「近所の人に会いたくない」7割を超えているそうです。

近所づきあい(コミュニティ)は大事です。

高齢社会では制度、政策のみで安心した生活を送ることはできません。心と心が触れ合う・・・「近所づきあい」目を向ける必要があります。

遠い親戚より近くの他人

天災・怪我などの緊急時などは、遠い親戚では間に合いません。そう時の「困ったときはお互いさま」と「思いやり」のある地域社会が大事です。

また、年をとり、生活環境も変化し、不安を感じることが多くなります。「助け合い」のご近所で暮らすことは、「安心して暮せる」基本です。

ご近所づきあいは、あいさつから。。。

ご近所で誰でも(子どもからお年寄りまで)会ったら、「おはようございます」「こんにちは」と声を掛ける・・・笑顔で挨拶すれば、お互いに気持ちのよいものです。挨拶は相手を認めた表れでもあり、お付き合いの基本です。

程よい距離でお付き合い

ご近所付き合いのトラブルから、事件に発展することも珍しくなくない時代になりました。「よく聞く話ではあるけど、自分には関係ない」と思っている方も多いのではないでしょうか。

現状はうまくいっていても、ゴミ処理などの、些細なことからトラブルに発展したり、人のうわさ話しや、勝手な思いこみ・・・などで、不信な気持ちになることもあります。

プライバシー侵害で、戻せない不仲になることもあります。程よい距離感で上手なご近所付き合いをして、トラブルに巻き込まれないよう注意したいものです。

2017年6月 6日 (火)

やってみせ・・・

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「安心・安全なまち」

価値観の多様な現代社会です。地域社会で求められるのは「安心・安全」です。安心で安全なまちに住みたいことは、誰でも思っていることです。

人は一人で生きていけません。助け合っていくことが基本です。地域社会で生きるには、義務と責任が課せられます。

明るいまちに住みたいとは思想・宗教は問わず、みんなで協力し合って、願いが達成できるのです。すなわち、ルール・マナー守ることです。

みんなの町をまもり、明るいまちづくりのリーダーは、自ら行動を起すことです。「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」・・・山本五十六の名言・・・です。

犯罪が起こらないまちに・・・

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「自らの安全は自ら守る」「地域の安全は地域で守る」

毎日のように新聞やテレビなどで報じられる犯罪――

身近にも自転車盗難や空き巣などの被害が心配され、地域で安全・安心に暮らしたいという思いはさらに強くなっているのではないでしょうか。

私たちのまちで、6月2日八王子市の備えの消火器をいたずらされ・・・民家の壁、趣味の園芸物に撒かれるという事件?が起こりました。いたずらされた消火器は2本です。

「自らの安全は自ら守る」という考えのもと、市民一人ひとりが防犯意識を持ち、自ら犯罪防止に努めることは大変大事なことです。

犯罪が起こらないまちに・・・みんな意識を持とう

「安全」とは「危なくない様(さま)」です。私は、地域ごとの安全を高めることが、一人ひとりの「安心」につながると考えます。

心がけ・・・意識から、行動を起すことです。平穏な毎日がづいていますが、世に悪人は絶えません。私たちのまちに突然、襲うかもしれない犯罪・・・の被害に遭わないようにしたいものです。

① ごみのない清潔な環境・・・自分の家の周りは自分でしよう。

② 地域のコミュニティ・・・あいさつをしよう。

公園・まちの広場・駅の駐輪場・一般道路・河川管理通路などのゴミをなくすことです。そして、人と人とのつながりを持ち続けることだと思います。

2017年6月 5日 (月)

あいさつしよう

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明るいまちづくり

「私たちの住むまちを私たちで明るい町にしよう」

いつの時代においても、未来を築いていくのは、私たちの役目です。

自己の利益を重視 するのではなく、地域の方が共有できる「まちの未来」を創造する、つまり夢を持つことが必要です。また、まちの発展は、そこに住む人々がまちに愛着を持つことから始まると思います。

そのためには活気にあふれ、人と人が互いに認め合え、誇りを持てる町に、育てる必要があると考えます。

「声かけ、あいさつ運動」

子どもからお年よりまで、私たちのまちで会ったら、「あいさつしよう」

日常的な「声かけ」や「あいさつ」を子どもと大人も含めてみんなで行う運動のことです。これを永続的な、「まちの人の習慣」とすることです。

この「声かけ、あいさつ運動」を進めていくことにより、人間関係豊かな、明るく安全で住み良い地域社会になるのです。

◎ あいさつをすると、また、されると、気持ちがよくなります。

◎ あいさつは、あいさつをする人同士の心の距離を縮め、親近感や連帯感をもつきっか
けとなります。

◎ あいさつにより、地域にお住まいの方や自分の住む地域に深い愛着を抱くようになり、
住み良い地域づくりが進んでいくことが期待されます。

◎ あいさつが交わされることにより、犯罪の起こりにくい地域づくりにつながります。

2017年6月 4日 (日)

環境の大切さ

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「環境は人をつくる」

いつも、広場にきれい花が咲き、ゴミなどが落ちていない環境が人の心を豊かにします。

美しい環境を地域住民の、一人ひとりが自ら、その認識を共有することと、子どもたちに、つなげていく・・・このことが、私たち大人に課せられた責任であると思います。

最近、自己中心主義の若者が多くなったと言われています。そのことは、子どものときに、親や学校・地域の人の教育が、不充分でそのまま、大人になってしまった・・・と思われます。

良い環境が基本

人が社会で生きる基本は、「良好な環境」が条件です。公園・広場を始め、地域の全体がゴミなどがない清潔なことです。

「地域を守る」には一人ひとり環境に対する思いを一つにすることが第一です。共に助け合い協力しあう精神を培うことになり、共に生きる学校・地域社会の実現につながっていくのです。

そして、行動を起すことです。これらの活動で、地域の連携がさらに深まり、地域コミュニティーが育成されるのです。「はいと言う返事・あいさつ・あとしまつ」ができる子に育てましょう。

教育学者の森信三先生の『しつけの三大原則』

(1)朝のあいさつをする子

2)「ハイ」とはっきり返事のできる子

(3)ハキモノをそろえる子

奉仕の心

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奉仕の心・・・

人を助け、人を喜ばせて、始めて自分が幸せになれるのです。

人を助け、人を喜ばせば、その人の喜びと、感謝の念(強い想い)が・・・

自分に跳ね返り、自分が幸せになれるのです。

自分に徳が積まれる事になるのです。

人は皆、社会の恩恵を受けて生かされています。

奉仕の心を忘れずに・・・

自分自身が社会に大いに役立つ人間になる事です。

相手が喜ぶことは勿論、やっている自分自身も充実感を覚えます。

「体験して始めて身に付くのだ」・・・あいだみつを

2017年6月 3日 (土)

不透明な時代

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不透明な時代を生き抜く

不透明な時代と言われています。 お隣の韓国大統領のスキャンダル・イギリスのEU脱退・北朝鮮の動き・・・

さきのフランス大統領選挙では、中道で無所属のマクロン氏で良かったと思います。アメリカのトランプ大統領のパリ協定の離脱宣言(6/2)は、世界の国々に衝撃的な発言でした。

日本国内でも、スキャンダル的な森友学園・加計学園問題・築地市場移転問題・などなど、真相が分らぬことが世の中には、多いです。これらは、明るみに出たものですが、他にも?

経済法則から離れて、悪人(物)がのさばる社会では善人(物)が追い払われるという・・・むかし学校で教わった・・・グレシャムの法則の「 悪貨は良貨を駆逐する」を思いだします。

グローバル化した世界経済

「未来を読むことはできない。しかし、未来を創ることはできる」

ピーター・ドラッカー氏の言葉(オーストリア・ウィーン出身の経営学者・社会学者)

外部環境の変化が急激で、不確実性に満ちた現在、未来を読むどころか「一寸先は闇」と言っても過言ではありません。

不透明な時代を生き抜く経営の3カ条・・・(井上礼之 ダイキン工業会長の経営プログより抜粋)

① 洞察力

② 胆力

③ 新陳代謝

 「正解」のないことに答えを出す胆力を持つことです。大局観で未来を見据え、壮大なビジョンを掲げ、事業戦略を綿密に練ったところで、実行に際して遅疑逡巡しているようでは、グローバルな企業間競争に勝ち抜けません。

近年、スピード経営で先手必勝型のビジネスを展開する中国、韓国メーカーのような企業が増える中で、実行局面での遅れは致命傷になりかねません。

組織の新陳代謝を促し続けることです。

一般的に、組織が大きくなり成熟化し、成功体験が積みあがっていくと、危機意識が薄くなっていき、「うちのような大企業が潰れるわけがない」といった心理が、どうしても生まれます。知らず知らず、視線が内向きに、変化に対しての反応は保守的に、事なかれ主義に変わっていくものです。変化を拒む組織は衰退します。

2017年6月 2日 (金)

川と暮らしについて

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現在の左が兵衛川・右が湯殿川

「川」

私は生まれも育ちも今住んでいるところです。私たちのまちには、姿は大きく変ってしまいましたが、湯殿川・兵衛川が流れています。その川には、魚捕り、泳ぎ、思い出がいっぱいあります。

昔は川は、人々の暮らしになくてはならないものでした。人々は古来より、水を確保しやすい川の近くに集落を作ってきました。

まず、現在も続いていますが、川から水を引き、主食である、米作りをしています。飲料水として使ったのはもちろん、野菜などを洗ったり、洗濯を行っていました。

川の流れのパワーを生かして水車を回し、精米や、小麦を粉にするためにも利用していました。

このように、昔の生活に、川はなくてはならないものだったのです。今では、蛇口をひねれば、簡単に水が手に入りますが、この水も、川の水をきれいにしたものですから、川が人々の生活を支えていることに変わりはありません。

今日の川は、昔のように生活に直結しているようには見えませんが、川のない風景が日本中どこを探してもないように、川のない生活は考えられません。

人々の生活に必要となる水源であることはもちろん、自然の移り変わりを見せ、のんびりした散策を楽しめる憩いの場として今も、川は人々にとってなくてはならないものです。

ゴミを無神経に捨てないで・・・

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鍵山秀三郎「一日一話」より

「タバコの吸殻を捨てたからといって、急に人生が悪くなるわけではありません。だから無神経に捨てるその考え方が問題です。

捨てる人は捨てる一方。

捨てる人で拾う人はまずいません。反対に、拾う人は捨てません。この差は年月がたてばたつほど大きな差となって表れます。人生は、こうしたことの積み重ねですから、無視できません。」

どうせ誰かが捨てているのだから、一つ増えても関係ない。こう考えている人は多いはずです。そして一つ持ち帰っても、たいして、改善しないと考える人はもっと多いでしょう。

でも捨てる人がいなくなり、落ちているゴミを一つ持ち帰れば・・・これだけでゴミはなくなるのです。

自分はゴミを捨てないで、落ちているゴミを一つ拾って持ち帰る。どうせ汚れているから・・・ゴミを捨てるというのは間違っています。一人ひとりの心がけと小さな努力が、「自分が住むまち」の美化につながります。

きれいな花は土づくりにあり

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花づくりの達人は、きれいな花を咲かせるには、まず土づくりからと言われます。

美しい花は、人から注目され人から褒められ人に感動を与えます。多くの人はそんな美しい花のように「人生を輝いて生きたい」と望んでいます。人がそのように望むことは自然なことだと思います。

多くの人は美しい花ばかりに目がいってしまいますが、どれだけ美しく立派な花でも肥沃な土がないと決して咲くことはないということです。その見えない土があるからこそ花も美しく咲くことが出来るという「真実」を人はよく見落としてしまいます。

大切なものほどはっきりと見えず・・・本当の真実はその見えない部分に隠れているのではないでしょうか・・・

このような考え方が出来ると美しい花を育てようとする「土」が少しずつ目に写り、実は花よりも美しいのだと思えるようになってきました。

自分が花になるのではなく、見えないところで他人を支えて育てることができる「土」のような人間になっていきたいと思っています。

人に捧げ、人のことを想って人生を生きることは、「そうなりたい」という単なる自己満足や自己願望に過ぎないのかも知れません。それでも私は「花」になるのではなく「土」になってどんな形でもいいので誰かの役に立つ人になりたい。

明るいきずな社会づくり

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美しいまちは、明るい笑顔の絆社会があります。

環境を変える、景色を変えることは可能ですが、人の心を変えることは不可能に近い程難しいものです。「きれいな心は美しい環境で育つ」と言えます。

家庭・地域・社会・・そしてクリーンな世界で、「きれいな美しい環境を守る」ということが人と人の心を結ぶ「絆」づくりの基本であると思います。

環境を一人ひとり守ることは、躍起になって絆を追い求めるよりも、きれいな環境づくりに注力するほうが、絆社会への近道だと思います。

昔そこいらに満ち溢れていた絆社会が懐かしい。震災で何もかも失った東日本大震災、多くの人がボランティアに現地に行かれました。そこには「真の絆」を感じました。絆がなければ成り立たない社会に見えたのです。

そこにあった絆は作られたものではなく、心の奥底から湧き出してきた絆だと思います。「 絆、絆」と合唱してもなかなか得られない絆、財産、身内など何もかも失い頼るものさえ無くした弱い人たちによって、絆がいとも簡単に得られているのです。

世界中、どの国でも同じだと思われますが、弱さ、貧しさは絆社会をつくり、強さ、物質的豊かさが利己主義社会を作ります。私たちは誰もが強く、物質的豊かさを求めます。しかし、それは残念ながら、「心の豊かさ」に反比例しているのが実情です。

物質的豊かさを追い求めれば、「絆」は遠ざかります。強くて豊かな社会で絆を育てるのは難しいけれども、だからと言って、あきらめてはいけません。

絆を求めてスタートラインに立ちたいならば、平気で法律に違反し、それが見逃される人が見ていようがお構いなしに行われるマナー違反など、今まで行っていた行動を点検していくことも大事なことだと思います。

それが徹底で出来ないなら、道徳教育し、社会の汚染源を除染から始めるべきです。

明るいまちづくり

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『明るいまち』・・・みんなで創ろう。

① 「ルール・マナーを守る」

② 「笑顔であいさつする」・・・誰にでも挨拶しよう。

③ 「いつも、ゴミがないきれいな公園や道路」・・・ゴミは捨てない。

④ 「人を・・・自然を・・・大事にする」・・・人は自然の動植物と共生で生きられるのです。

⑤ 「幸・不幸を分かちあいの心を持とう」・・・人は誰でも、予想しない不幸来るものです。

⑥ 「お互いさま」・「助け合いの心」を持ちましょう。

2017年6月 1日 (木)

規範意識を高めよう

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当然の如く、道路や公園にゴミを捨ててく・・・子どもばかりではない、大の大人もいるのです。犬のフンを片付けないでそのまま・・・という日が続いています。

担当の八王子市の公園課にも相談していますが、どうにも収まりません。社会の乱れを恐れています。家庭のしつけ・学校の教育・地域の指導の問題があるのではないでしょうか・・・

教育学者の森信三先生の「つ。。。の付く(年)までにこれだけは・・・」

9つまでに・・・3原則

①挨拶

②ハイという返事

③脱いだ靴を片付ける

「道徳教育の意義 」・・・(文部科学省)

近年、生命を大切にする心や思いやりの心などの倫理観や規範意識、社会性の育成などが十分ではないとの指摘がなされています。

このため、学校、家庭、地域が十分連携を図りながら、子どもたちの豊かな人間性や社会性などをはぐくむ道徳教育の充実がますます重要になっています。

大人が見本を示すことです。

若い人が、公園や道路に、無意識に(当たり前の如く)ゴミを捨てて行く・・・これでは、将来を引き継ぐ、子どもたちは末恐ろしいことに・・・心配です。

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