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本当の喜びとはどのようなものをいうのでしょう。
それは内から湧き出てくる喜びです。
とかく、何ごとも自分中心に考えてしまいがちな私たちですが、
その心をほんの少し相手に向けるだけで
心がとても軽くなる・・・
なんともいえない幸せな気持ちになります。
そんな経験を味わったことはないでしょうか・・・
それは、理屈ではない
心の奥底からわき上がる充足感です。
私たちは、身体を保つために食事をして栄養をとりますが・・・
さらに大事なのは、心に栄養を与えることなのかもしれません。
心に栄養とは、自分を認める働きかけと、誰かから認められることなのです。
そしたら、自分の考えてする行動に自信をもつことです。
「大河の流れも一滴の雫から」というけれど・・・
こんなにも絶え間なく、なみなみとして流れていくためには、 雫をどれだけあつめればいいのだろうと・・・想像するだけで、気が遠くなるほどです。
そして、同時に思う。
一滴の水から海へたどり着くまで長い道中は、さまざまな出会いがあるでしょう。自然の関わり合いで、その水の質はきれいな水であったり、汚れてしまったりするのです。
童謡の「春の小川」(高野辰之作詞、岡野貞作曲)思い出しました。
♪春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら
春の小川は さらさら行くよ
えびやめだかや 小ぶなのむれに
今日も一日 ひなたでおよぎ
遊べ遊べと ささやきながら♪
きれいな川を守りたいですね。
だれもが住みやすいまちづくり
だれにとってもやさしいまちづくりは、みんなが暮らしやすい環境や社会をつくることです。
○暮らしやすさは・・・不便や不自由がないということ。
○地域の人たちと仲良く交流できるということ。
挨拶をしよう…
同じ地域に暮らす人たちの顔が分かり、気軽にあいさつしよう。住んでいて楽しいし、なんとなく安心感がありますよね。
それにこのような隣近所との関係は、住民の地域に対する関心は高く、犯罪がおきにくい、安全なまちづくりにつながります。
安心・安全なまちづくりは、地域に住む人みんなで考えよう。
地震などの天災は、いつ起こるか分かりません。人の心の隙を狙い犯罪は無くなりません。それは、いつも「天災は忘れた頃lにやって来る」・・・認識を持ち、地域の人々がお互いに助け合いの精神持っていれば、被害を出来るだけ少なく出来ます。
「セーフコミュニティ」
セーフコミュニティとは、事故やけがは、偶然の結果ではなく、予防できるという理念の下、地域住民と行政等が協働して「地域の誰もがいつまでも健康で幸せに暮らせるまち」を創ろうという取組みで、WHO(世界保健機関)が推奨している国際認証制度です。
♪とんとん とんからりと 隣組
格子(こうし)を開ければ顔なじみ♪
日本には昔、「向う三軒両隣」といって、最低近所付き合いは当然としてお互いが何かと助け合ってきた良き習慣がありました。
そこには、信頼と安心によって結ばれたコミュニティー存在していました。
みそが無くなったといっては隣に駆け込み分けてもらい、子供をちょっとあずかってくれと頼まれれば快く自分の子供同様にかわいがるといった風情があったのです。
それが、戦後の教育だけが悪いとは言えませんが、GHQが、日本の習慣、風習は危険?と解体・・・アメリカ的思想や習慣を闇雲に導入し、今や個人主義が謳歌?している時代です。
個人主義的な考えで良いはずはないわけで、昨今のいろんな事件をみてもこの考え方に起因しているのではと思ってしまうほどです。まずは、自分さえ良ければ、他人はどうでもよいという傾向の強い個人主義から方向転換をしないといけないのではないでしょうか・・・
町会・自治会と言うのは、多種多様な方々の集合体です。また地域内の人々は、赤ちゃんからお歳よりまでおり、生活スタイル(戸建て・アパート・マンション・)独り暮らし・老夫婦などなどと、価値観も違います。
防災・防犯について
東日本大震災など、天災は何時やって来るか分りません。また、環境美化や、道路や下水、ゴミのことなどのインフラの維持・整備などと安心・安全は、日ごろの地域住民同士の普段からの、コミュニケーションが大事です。
そこで、「向う三軒両隣」・「困ったときはお互いさま」の助け合い精神を思い出してもらいたいのです。
世の中、口が旨い人が多いです。「信頼」・・・信じて頼りにすることです。
信頼ある人はどういう人なのか?
「100の綺麗事を並べた言葉よりも1つの実践の方が大切」と言うことです。
言葉だけでああだこうだ言うことは誰にでもしようと思えばできることです。でも行動に移せている人は限られます。
そして、上辺だけの言葉だけの人間は信頼を失っていきます。出来る1つの行動を口にし、そしてそれをきちんと実行できる人間であろうと思います。
その人の人格を見るとき、または信用・信頼できるかどうか、成功できるかどうかを判断する時は、その人の言っている言葉よりも行動を見ることです。いろいろと言葉巧みに良い事をいっていたとしても、それをちゃんと実践していないと何の意味もありません。
政治家、企業の社長、教育者、指導者・・・特に人に何か助言や指導する立場の人達の言葉を信用していいかどうかは、その人の言葉と行動が常に一致しているかを見た方が良い・・・ということです。
言っていることとやっていることが違う・・・それはなぜかと言うと、その言葉を言っている本人が、自分の本当の気持ち・方針から出た言葉・行動ではなく、人からの受け売りだったり、本から掠め取った知識、人からの義務や強要などによって、出た言葉と行動だからです。
現代社会は高齢化となり、その勢いは“超”がつく超高齢化となってきているといえます。
高齢者の不安
高齢者が、「自分の将来の日常生活全般において不安を感じている人が70㌫以上・・・(平成22年4月2日内閣府発表『高齢者の日常生活に関する意識調査』)
高齢者が安心して暮らせる町とは・・・
安心の尺度
①健康維持・医療の安心
②福祉の安心
③地域とのつながり
④自分なりの生きがい
この4つのどれが欠けても本当の意味での安心を得ることはできません。「住み慣れた地域で暮らし続けたい」という気持ちは、皆が感じている共通の想いでしょう。
ある年齢までは、個人主義で隣近所との関わりもなく暮らすことは可能です。それは、会社や学校、子ども等を通じて、どこかで誰かとつながっています。その上、自分自身の都合に合わせて必要な人間関係を選び構築しているからです。
これから高齢化社会を迎える今、私たちに課せられた課題は、高齢者が安心して暮らせるための社会づくりであることは言うまでもありません。また家族の在り方が変化・・・独居老人の増加・・・課題などです。
一人で孤独を抱え、一人で最後のときを迎えるようなことは決してあってはいけない、そのためにも家族の在り方をもう一度見直すとともに、社会全体で高齢者のみなさんを見守り、支えるシステム(体制作り)が求められるのではないでしょうか・・・
高齢者の皆さんが不安を抱えることなく、穏やかに過ごすことのできる社会を真剣に考えるべきと思います。
猛烈に 赤く空染め 春の塵
春は強い風が吹く季節です。
春が近づくと暖かい空気が南から、日本列島に入り始めるため、気温差が大きくなり、日本周辺で低気圧が猛烈に発達しやすくなります。
きのう(20日)は強風・・・乾燥続きで土ほこりで、空が茶色と化し目を開けて入られないほどでした。杉花粉の季節でもあります。花粉症の方は、外に出られなかったでしょう。
「木の芽時」
気温の寒暖差の激しい春先は昔から「木の芽時」(コノメドキ)と言われ、体調や精神状態が不安定になりやすい時期だといわれています。
この季節の不調は鼻水、目のかゆみ、頭痛、皮膚の症状など、表面にあらわれるものが多く、突然悪くなる、症状がすぐ変化するなど、風が吹き荒れるように変わりやすいのも特徴です。
ストレス 自然環境、社会など変化の多い春
これらの変化は、人に「ストレス」を与えます。春はイライラ、落ち込み、やる気がでないなど、精神的に不安定になりやすいとき。 「風」の影響もあり、「気」も上がりやすく、感情は乱れがちです。また、ストレスは気の巡りを滞らせ、身体の様々な不調の原因になります。
今の世の中、不確定要素が充満しています。
●トランプアメリカ大統領の一言一言に一喜一憂***
●原子力発電など、エネルギー問題はどうなる***
●東京都の築地市場の豊洲移転問題***
●北朝鮮の動きや、キン・ジョンナムの不可解な死***
などなど・・・
混迷を極め、冷えきった現代、すでに心の冷えが社会…そこから発生する悪いイメージスパイラルが心配です。
いま、落ち着いて考えたいこと・・・
「信用」・「信頼」です。
信用とは・・・過去に対する評価。
信頼とは・・・未来の行動に期待。
互いに歩み寄ること、助け合うことすら忘れかけているのではないでしょうか。
私たちが目指すべき社会というのは、全ての存在がつながり、みんなで幸せになることです。「心のぬくもり」を取り戻せば、互いの縁の結び付きも力強いものとなり、明るい未来も実現しやすくなると思います。
松下幸之助さんの言葉をシェアします!!
『心のぬくもり---人の心は暖かくもなれば冷たくもなる。手にとってその暖かみ、冷たさをはかるわけにはいかないけれど、心の冷暖は温度計ではかる以上の正確さで、人から人につたわっていく。
そのつたわり方は、口先でもなければジェスチュアでもない。心と心のジカのふれあいである。それにしてもきょうこのごろの世の中、心のぬくもりの何とうすくなったことか。頭がよくて、口先が巧みで、理が立って、それでなお寒々とした心の気配しかつたわらない人の何と多いことか。そうした人と人との交わり。
そこには、ジーンと胸にひびく感動もなければ、互いに募い寄る情感も生まれてこない。感謝の心がないのである。ありがたく思う心がうすれたのである。
米一粒にも天地の恩を感じ、人の情けに涙したあの日本人の心のぬくもりはどこへ行ったのであろう。音もなく崩れゆくこの日本人の心を、慄然とした思いで省みたい。このままでよいのかと問いかえしてみたい。他人事ではない。自分のことなのである。』
住んで良かった町にしたい…(2016年8月に書いたもの・・・)
それは、「自由と責任」を認識している人が多いと言うことです。言い換えれば、子供の教育から軌範意識を持った人が多いと言うことです。
快適な社会を実現するためには、個々の市民が少しずつ我慢して他人に迷惑をかけないことを心がける…他人のことに配慮し、「困ったときにはお互いさま」精神が大事なことだと思います。
町が安全・安心…
地域の安全・安心へ向けた活動のための大切なポイントは“ゆるやかな連携”です! 安全・安心の町づくりは、そこに住む一人ひとりが、自分は何が出来るか考え“町のため”に実行することです。
ネットワークの活動を進める上では…それぞれの団体が普段行っている活動(得意分野)と地域のいろいろな問題とを結びつけ、必要な時に、お互いの得意分野を活かした地域で支え合う“ゆるやかな連携”による組織づくり!そして、そのつながりを広げていくことが大切です。
人を信用する…
人は一人では生きて行けません。寄り添いながら生きていけるのです。人間はみんな弱い存在です。嘘をつき、人を裏切りもします。とても弱く、信用できません。でも、どこかで人間社会が成り立っているということは、つまり人間には信じられる部分があるということなのです。
その部分を重点的に見ていくと、この世の中は捨てたものではないと明るくなれると思います。 そしてこの町に住んで良かったと思うのです。
人間は弱いところもあれば強いところもあり、信用できるところもあれば信用できないところもあります。その総体を丸ごと受け止めて、そのうえで人が信用できるかどうかを考えていくことが大切と思うのです。
私たちの地域社会は時代とともに大きく変化してきています。
社会・産業構造の変化とともに、家族形態は核家族化の進行で、一人暮らしや二人暮らし高齢世帯が増加し、地域社会における人々の結びつきも地縁・血縁、土地を介したものから市民としての個々なものへと変ってきました。今後の高齢社会において私たちは地域社会とどう関わっていくべきなのでしょうか・・・
地域社会への関わりと健康余命
地域社会と積極的に関わりをもつ高齢者ほど健康余命が長いことが知られています。地域社会との関わりは「社会参加」・「地域共生意識」・「近所づきあい」という要素を含んでいます。
地域共生意識
「地域共生意識」とは、地域の人々と何かすることで自分の豊かさを求めたい、近所に一人暮らしの高齢者がいたら何かをしてあげたい、町会や自治会の世話をしてくれと頼まれたら引き受けてもよい、といったいわゆる同時代を生きる人々と手を携えて生きていこうという意識です。
都内のある地域で行った調査では高齢者の約1/3が「はい」と答えており、潜在的に地域共生意識は高いことがわかりますが、超高齢化に伴い、私は、地域共生意識は、あっても健康上の理由から、その低下の現象がおきています。
近所づきあい
高齢社会では制度、政策のみで安心した生活を送ることはできません。それらでカバーしきれない領域に高齢者や地域の力が必要なのです。その意味で「近所づきあい」にも目を向ける必要があります。
高齢者のふだんの「外出頻度」は総合的な健康指標の一つです。外出の機会が多い高齢者ほど身体・心理・社会的側面の健康度が高く、のちのちも健康度を維持しやすいという研究があります。
外出頻度の多寡(たか:量)にはいろいろな要因が影響しますが、地域での「近所づきあい」の有無もその要因の一つです。特に年齢が高くなり、からだが不自由になってくると近所周辺が外出先となります。そうした時期に「ご近所さん」があると外出の機会につながり「閉じこもり」が回避できるのです。
高齢社会において安心し充実して暮らす上で「地域社会」は重要な要素です。その意味で「地域共生意識」や「近所づきあい」は私たち自身が見直すべき課題といえるでしょう。
人は誰でも、生まれ育った“ふるさとを”懐かしむ想いがあります。「ノスタルジア」といいます。辞書では…異郷にいて、故郷を懐かしむ気持ち。また、過ぎ去った時代を懐かしむ気持ち。郷愁です。
私は、失った故郷を取り戻したい感情なのではなくて、取り戻したい故郷が失われたことをめぐる感情・・・と思っています。それは、子供の頃の育った環境(自然)で、その人の「人間形成」ににも大きく影響して来ると思っています。
この地球は、人間の勝手な欲望で、「環境破壊」が起きています。貴重な生き物が、失われて来つつあるのです。例えば池や川・池にいた魚や、山にいた昆虫などは、わずか半世紀(50年)でグッと少なくなってしまいました。
便利さだけを追求して、大事(貴重)なモノが失われています。
大自然の中で生きられる人間です。私達は、何気なく毎日を過ごしてしまうものです。何か?・・・誰か?・・・のせいにしてしまうものです。でも、無くしたと思った大切なものが見つかったり、戻ってきたりしたときに、すごい感謝の気持ちに満たされたりします。
「大自然の恵み」があって生きていかれるのです。私たちの自然の財産は、守り・・・後世に引き継ぐ責任があると思います。
ひたすらに 春待つ心 八十路かな
子供のころ、80才というと、とてつも遠いところにあって、「そこまで行けるかなぁー」と考え込んでしまったことがあります。経ってしまえば「もう80歳…」私もその年齢に来てしまったのです~~~。
寒い冬が終わりに近づくと、明るい春を待つ心が兆しはじめます。辛い…悲しい…苦しい時もありましたが、春が来る事を信じて「ひたすら(一生懸命)」生きて来ました。
「春待つ」は・・・冬の寒さに耐えながら春に思いを馳せることです。人生にも必ず冬は訪れます。誰にも必ず辛い時があります。
思えば私が尊敬している人たちは、みんな耐えるということを知っています。みんな何かに耐えてきた人たちなんだよなぁ…
冬の寒さを耐え続けていると、心は自然と春に向くようになります。冬を耐えていた心は、おのずから春を待つ心へと姿を変えていく…
冬のさなかに春を待つ心さえ芽生えれば、人は春をたぐり寄せるために、動き始めることができるものです。春を待つ心が芽生えて…もうそこまで春は来ています。
元気で長生きは誰でも望んでいますが、人は誰でも寿命があります。「生・老・病・死」は人間の運命です。
「老後の不安」は、その時の社会情勢により、違ってきますが、昔のような3世代同居家族は、少子化・核家族化、の現状では考えられません。
私の老後をちょっと考えて見ました。
老後の不安の3K、お金、健康、孤独です。
高齢者にとってこの3つの要素
①お金を稼ぐことが出来ない老人
②老いから来る健康障害の老人
③最愛の伴侶を失った老人
お金・・・仕事をしていない…出来ない…見つからない…体力がない…などの理由で年金以外の収入がない高齢者は稼げない。資産は…貯蓄は…年金だけの収入で…生活をしていけるか?
健康・・・ 年老いてくると体のいたる部分で老化現象が起きる。意識することなく足の筋肉が衰えていく…耳が遠くなる…目がかすむ…物覚えが悪くなる…判断力が落ちる…などの現象が現れます。
孤独・・・人間には寿命があります。老夫婦いつまでも…とは生きられません。何れは(老老介護?)どちらか独りになるのです。
老後の生活環境を想定…家族(子供達)との関係・・・要介護となった時のサポート?最終(エンディング)をどう設定するか?
地域社会とのコミュニテイの変化と対応仕方・・・施設(老人)・・・高専賃(高齢者専用住宅)・グループホームなど…
などなど考えは、纏まりませんが、猶予のないことだと思っています。
今生きる私たちが豊かな自然環境を後世に引継ぐ努力を!
私たちの住む片倉町は、片倉城跡を中心に、古い歴史と伝統のある緑豊かな自然環境に恵まれた美しいまちです。
緑に囲まれ、緑化への市民意識の高いまちづくりは、私たち市民共通の目標であり、これを実現して後世へ継承することは、現在に生きる私たちの責任です。
私たちを取り巻く環境は、すべての生命をはぐくむ母胎であり、人類存続の基盤となっています。しかし、近年における社会経済活動の拡大や生活様式の変化、価値観の多様化により、さまざまな環境問題が生じ、地域のみならず、地球的規模にまで拡大しています。
私たちは、自らの社会を見つめ直し、環境にやさしい循環を基調とするシステムを実現し、多様な自然・生物と共生しながら、すべての人々が公平な役割の下、環境保全活動に参加し、このかけがえのない環境を将来の世代に引き継いでいかねばなりません。
私は、恵まれた自然を愛し、育て、健康で文化的な生活により、生き生きと暮らせるまちづくりを行政と一体となって推し進め、地球環境保全のための取り組みを積極的に進めていかねばと考えています。
豊かな自然と美しい環境は、後世に引き継ぐ責務があるのです。しかしながら、不法投棄や廃棄物の不適正処理が依然として後を絶たず、景観や自然環境への悪影響が懸念されます。
「自然環境に対する美意識の高揚 」
① 公園・広場・湯殿川・道路・河川管理通路タバコの吸い殻などのポイ捨てをしない。
② 自分の家の周りを毎日掃除をする。
③ 子ども達の遊びの中「ゴミは持ち帰り」を教える、また、地域の大人が注意する。
④ ゴミが落ちていたら勇気を持って拾う。
・・・以上実行して欲しいものです。
容赦なく 列島襲う 大寒波
大寒 小寒 山から小僧がやってきた!
山陰地方は上空に強い寒気が流れ込んだ影響で、10日から11日にかけて大雪に見舞われ、鳥取市では33年ぶりに積雪量が90センチを超える記録的な大雪に・・・
先月に引き続き車や列車が立ち往生する事態にまで発展しており、鳥取市から湯梨浜町にかけての国道9号や山陰道で車約250台が立ち往生するなど の交通状況も報じられています。
それでも、地球の温暖化は確実に進んでいます。私の記憶ですが、私の子供の(昭和24・5年)ころ、近くの川(兵衛川)で12月1日川浸り(朝ぼた餅を食べ、川にお尻を浸ける奇習?)がありました。
川が凍っていてお尻を浸けることが出来なかったことがあたのです。しかし、今では、凍ったことはありません。凍った川でスケートをして遊んで氷が溶けて川に落ちたことも覚えています。
「人が住みたいと思うまち」
子どもたちが、この町にずーと住み続けたいと、思えるる町に・・・
私は、この町の農家に生まれ、育ち、今もこの地八王子市片倉町に住んでいる、いわゆる土着者です。今住んでいる私たちのまち、片倉町にも歴史があります。
それは片倉城、湯殿川・兵衛川そして、絹の道といわれる国道16号です。そして、JR横浜線・京王線・・・この町の農家に生まれ、戦争の怖さを知って育って、学校を卒業・就職・結婚・子供・孫もいますが、今は老夫婦で暮しています。
顧ますと、「ふるさと」とは、場所そのものというより、そこに住む人たちの心の中に宿るものなのと思います。ですから、人それぞれであると言うことであろうと思います。
いま、子どもの頃の住んでいた、自然環境が懐かしく思い出されます。子ども達は身近な地域の中で、豊かな自然や地域の人々との触れ合いを通して、創造する、工夫する、困難を克服するといった機会を得ていました。
また、子ども達は、屋外で遊ぶ際に自ら遊びを考案したり、遊びのルールを友達同士で取り決めたりする経験を重ねるなかで、周囲と協調することや規範意識を遵守することの重要性を直接学んでいたのです。
最近、自己中心主義大人(自分さえ良ければいいとの考え)が多くなっているようで、先行きが危惧されます。自然を取り戻すには大変な時間と労力が掛かります。一人ひとりの心がけでが大事です。
「私たちのまちは私たちで守ろう」
人に自然に優しく・・・このまちに住んでいるみんなで、安全・安心で、みんな笑顔のまちにしていきましょう。そして、未来につなげていこう。
自然の力とは・・・空気・水・食べ物・自然環境・引力・太陽熱などで、地球上に存在し、生きとし生けるすべての命を生かし、繁栄させてくれる無限の力・・・自然の力と言います。
自然の力は全地球にいる生物の命を生かしてくれています。 そして、全世界の人類、約70億人と地球に生きる全ての生物のものです。
自然の大切さ
すべての自然環境は地球という星のなかでつながっていて、どこかの環境に問題が起これば、必ず他の環境に影響がおよびます。ですから自然共生社会は、地球にくらす一人ひとりが、身近な自然環境を大切にしないと実現できません。
自然を大切にする。その約束を守ることができれば、地球は豊かな恵みをあたえつづけてくれるのです。
地球の自然環境はつながっています。さまざまな生物の存在が、人間社会を支えています。
地球上には非常に数多くの生物が存在しています。また、それぞれが異なる環境に適応し、同じ種であっても、生息する地域や環境によって、少しずつ体のかたちや行動が違っていたりします。このことを「生物多様性」といいます。
私たち人間は地球の長い歴史のなかで、生物からたくさんの恵みを受けてきました。毎日の食料はもちろん、木を燃料にしたり、家を建てたり、植物から衣服をつくることもしてきました。また、病気のときに飲む薬も約40%は自然界から得られたものを原料としているそうです。
生物が多様でいられること、つまり生物が生きる自然が大切に守られることが、私たち人間の社会には必要なのです。
私は、子ども達にもっと、身近な自然と触れ合って欲しいと思っています。
特別に遠出しないと出会えないような自然ではなくて、近所の公園とか、散歩道とか、庭先とか、あくまでも自分の生活圏内の自分と生活をともにしている自然と触れ合うことです。
具体的にテーマがあるわけでもないのですが、 要は身近な自然と触れ合うことで、そこに存在するものが、みな共存しているということを肌で感じて欲しいのです。
地球上に、生きているのは人間だけではないし、もし自然と上手に付き合える ことできれば、それはその子の人間関係を含む、あらゆる社会との係わり合いの基本となるのではないでしょうか・・・
そして「自然の中に生かされている」ということ「自然の大切さ」を肌で感じて欲しいのです。目まぐるしい現代の社会生活では、どうしても人間中心に物事が運んでいく・・・
そんな視点を身につける前に、素直に自然と向かい合って、 人間も生き物の1つで、自然と共存していて、「自然から人間をみる視点がなければ 人も生き伸びることはできない」そんなことを感じて欲しいと思います。
自然の中で生かされている人間・・・自然を大切にする心が良い人間関係つくられるのです。
地球上で、生きているのは人間だけではありません。もし、自然と上手に付き合える ことできれば、それは、人間関係を含む、あらゆる社会との係わり合いの基本となるのではないでしょうか・・・
生きづらい世の中です。
急かされ、比べられ、すぐに結果を求められる時代です。無理をして頑張って、身も心もボロボロにならないようにしないと・・・
それでも私たちは、この生きづらい世界で生きていくのです。世の中のせいにして嘆いていても何も変わりません。
考え方や見る角度を変えれば、今より楽に生きられる・・・どんなときも穏やかな気持ちで生きられる・・・最近「人生は適当で」いいんじゃないかと思うようになった?
人生いい加減なぐらいで丁度いい・・・
「いいかげん」は「良い加減」
自分の理想と違っても焦りや不安を感じたりしなくていい・・・思い通りにはならないけれど、なるようになるのが人生・・・あきらめでもない。
人より上に立つ必要も、多くを手に入れる必要もありません。自分に足りない「何か」を得ることが、幸せに生きることではないと思う。
肩の力を抜いて生きる
迷ったときは「まあいいか」・・・ウジウジ悩んで、今を犠牲にするのはもったいない。少しぐらい違っていても、上手くいかないことがあっても「まあいいか」・・・難しく考えて人生を複雑にしなくていい。
曖昧さを持つ
答えがないのも、また答え・・・人それぞれに答えがあり、角度によって見える景色も変わります。曖昧だからこそ柔軟でいられるのかも知れない。また、柔軟だからこそ心にゆとりが生まれる?
慌てなくていい 人生は自己満足でいい
考え方は人の数だけあっていい。生き方だって同じだけあっていいのです。正しいかどうかを決めるのは他人ではありません。自分の幸せを決めるのは自分自身・・・。
自分自信の人生です。自己満足な生き方でいいのです。
2月3日日中意外と暖かく感じる日に若干汗をかくほどの日でした。
午前中、散歩を兼ね、往復40分へ歩いて所用を済ませました。
その日の午後、ボランティアで、町内の清掃活動をしたのですが・・・
ちょっとハードだった?「エッ!カゼ?」
熱は38℃…身体がだるい…やっぱり、インフルエンザ?
だけど昨年11月に、風邪の予防接種したのだが・・・?
今日で3日目、家でゴロゴロ身体を休めています。
反省・・・過信は禁物
気力はあっても・・・体力がない(後期高齢者)
言いわけ
ボランティアは、前日に国交省の承認を取り、八王子館清掃事業所の方と立会いを約束していたので、体調が変だなと思っていたのですが大丈夫・・・やっぱり?
植物が太陽の光や水や空気がないと育たちません。
きれいな水・きれいな空気・そして太陽で、生き物は大きく育つのです。人間も同じです。地球は人間の勝手な行動で、水も空気も、どんどん汚れは進んでいます。
幼児期の子どもには「よい環境」「よい教育方針」「よい先生」が必要・・・土の中の目に見えない心の教育“生きる力”をしっかり育てる教育です。
“三つ子の魂百まで”人生における幼児期は、人格形成のために有効な体験をため込む時期・・・
つまり将来、人間としての大木に育つためのたくましい「根」を養うかけがえのない時期なのです。その根とは、人として生きていくためのたくましく、しなやかな身体と精神力を育成することです。
人は育つ環境に馴染んでいくものです。両親・自然環境・地域社会の人間性で、大きく変って行くものと信じています。
今叫ばれています「地球環境の危機」・・・未来に良い環境を引き継ぐ責任があります。一旦壊れた自然は、元に戻すことができないモノがあります。それは自然環境です。
自然環境を大事に・・・
このことが、次世代を引き継ぐ子ども達に教える・・・重大な使命があると考えています。それには人間が生きるための、道徳が大事であると思います。
美しい自然と優しい人に育った人間が未来に繋げて欲しいと思っています。
社会環境の変化と規範意識
現在の日本の若者・子どもたちには、人・自然環境の思い遣り、生命尊重・人権尊重の心、正義感や遵法精神の低下が気になります。
社会を震撼させるような、少年が関与する事件の報道に触れ、子どもたちの規範意識について不安を感じます。
その一方で、現代の若者・子どもたちは、柔軟で豊かな感性や国際性を備えていたり、ボランティア活動への積極的な参加や社会貢献への高い意欲をもつ者も多く現れたりするなど、昔の若者にはなかったような積極性が見受けられます。
大人の規範意識・自覚の問題
「今どきの若い者は」「子どものモラルが低下している」などの指摘は、いつの時代でも聞かれる言葉です。
大人が眉をひそめるような子どもたちの言動も、当の大人が若いころに行動してきたこともあるし、価値観の相違から摩擦を生じる原因となる言動が、やがて時代の流れとともに社会に受け入れられることも少なくありません。
新しい価値を希求する若者の文化が社会発展の原動力となる場合もあります。
したがって、今の子どもや若者の行動が、昔の子どもたちと異なる行動だからといって直ちに否定されるべきではありません。また、このような指摘については、世代間の意識の差によるものであれば、対話によって理解を図り、解決していくことも可能であります。
子どもの言動から大人達が反省すべきことがある
むしろ、今、子どもたちの行動に対して指摘される問題点の多くは、大人たちの問題でもあるのではないでしょうか・・・
子どもたちが、将来大人となる際の手本となるべき今の大人が、手本となり得ていないという大人社会の問題が、子どもに投影されているのではないでしょうか・・・
たとえば、他人のことを思いやらず、自分さえ良ければといった言動や、責任感の欠如した言動、真摯に努力することを軽視するといった言動は、今の大人が行っています。
そうした大人に起因する問題が、子どもの問題と受けとめられているからこそ、問題の解決に至らないのではと思います。
私たちの町に時田公園(八王子市片倉町)があります。広さは2298㎡で小さいですが、ベンチが2箇所・滑り台一基・バネ式遊具が一基があります。
使用上の注意が掲示されていますが、野球・サッカーは禁止です。近所の子ども達が主に遊んでいますが、街灯があり夜は大人が使うようです。
管理は八王子市ですが、南西部地区ゆめおりパーク様が、植栽などを担当しています。但し、日常的な、ゴミなどの始末は、私たちの町の近隣に居住しているみなさんが、行っています。
困っています。
自由に誰もが使うことが出来ます。しかし、子ども達の持ってくる飲み物(缶ジュース・缶コーヒーなどとペットボトル)とおやつ(お菓子・アイス)など持って来て、飲んだり、食べたりはいいのですが、そのまま捨てていくのです。そして大人のタバコを吸ってポイ捨てすることがあるのです。
そのままでは、後の人が使うに、嫌な気分になり、また衛生上でも好ましくありません。公園が汚れていたら、子ども達は、規範意識がない大人になってしまうことが懸念されます。
私は、公園で子ども達が、体得するものが歪んだものになり大人になることが心配です。八王子市は全市歩行禁煙・ゴミのポイ捨ては禁止です。守らない人が多いです。
公園はみんなで気持ちよく使おう。
自己中心の大人になってしまうのが怖いです。子ども会の親御さん達と相談しながら、」公園はみんなで気持ちよく使おう」・・・考えていきたいと思います。
地球環境は確実に悪化しています。
現在、地球の環境はかつてないスピードで変化しています。これが好転しているのなら喜ばしいのですが、残念ながら悪化の一途をたどっていて、危機的状況と言っても過言ではありません。
人ごとではありません。環境をよくするために、私たち一人ひとりが、行動しなければなりません。
でも・・・「環境が悪くなっているのはわかるけど、私たちに何ができるの?」そう思われる方、多いと思います。
確かに、何から始めればよいのか、わからないかもしれません。しかし、私たちにもできること、しかも、今日からできることが、たくさんあるのです。
地球環境のために、今日からできること では、私たちが地球環境のために家庭で、職場で、そして外出時に、今日からできるか考え行動しましょう。
空き缶などのポイ捨てはやめる。
みんなが使う場所での缶やビン、たばこの吸い殻、ガム、紙くずなどのポイ捨ては、周りの人に不快な思いをさせます。空き缶などのポイ捨ては絶対やめましょう。
ごみは持ち帰り、リサイクルしよう。
一人ひとりが出すごみは少ないと思っても、みんなのごみを集めてみると大変な量になります。ごみは持ち帰り、缶やペットボトルなどに分別してごみを出しましょう。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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