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2016年6月17日 (金)

当たり前の日常を見つめ直す

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今日のNHKラジオ深夜便(常磐勝範 壷阪寺住職「当たり前の日常を見つめ直す」)を聞いて…話の中で「天を知る 地を知る 己知る」の言葉は…日ごろの考え・行動はまさにその通りだと思いました。

人の心は、タイトロープの上を歩いているようなもので、フラフラして危うく、ちょっとのことで、くじけたり・転げ落ちたりします。いつも戒めの心を持って人生を送ることだと思います。

「天知る 地知る 己知る」これは、私の大事にしている言葉の一つです。

万引きが出来る環境にあるけど、自分は決してしない。カンニングをやろうと思えば出来るけど、自分はしない。そういう積み重ねが、自分を人間として育てます。

かくいう自分自身はどうかと振り返ってみると、聖人君子ではありません。ごまかしたり、嘘を言ったり、ずるをしたり…そういうことが絶対ないというわけではありません。

でも、自分自身にも語りかけていることは確かです。人が見ていなくても、善行を行った。人が見ていなくても、悪いことをしなかった。そういう自分を認めるときは、密かに自画自賛をしている私です。

逆に「ついつい」という自分を認めたときは、自己嫌悪に陥ります。いずれにしても、「天知る 地知る 己知る」を意識して日々生活するのと、意識に、その場限りで生き抜いていくのとでは、大きな違いがあると思います。

人の陰口を言う。これも、立派な背信行為です。

「天知る 地知る 己知る」と通じるところがあります。「陰口」の定義が問題ではありますが、自分がそういう目にあったときは、人間不信に陥ってしまいます。

「面従腹背」ではありませんが、日頃の顔と蔭の顔との落差を知ったときの人間不信は、(日頃信頼していただけに)ガクッときます。

「壁に耳あり、障子に目あり」は、よくぞ言った言葉です。回り回って伝わった背信行為(言葉)は、相手への不信感を増幅します。そういう意味で、「学校評価」に出てくる「匿名投書」まがいの内容、表現は、まだましなのかも知れません。

いや、これとて「相手が特定できない」のですから、「陰口」と大差ありません。世に言う「誹謗中傷」の類です。

 

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