目に見えないものの大切さ
科学がどんどん発達してくると、色々な物が科学によって証明されてきます。
新元素113番を理化学研究所チーム発見の命名権獲得したニュースがありました。素晴らしいことで、日本の子ども達に夢を与える出来事です。
しかし現代社会は、科学によって証明される物しか認めずに、目に見える物しか信じられなくなる。そのような環境ができてくるのではないかと思います。
私は、街で会う子ども達に、あいさつするよう心がけています。現在の多くの子ども達は、挨拶をしても挨拶しても返事がない子どもがいます。「おはよう」と言っても無言で通りすぎてしまう子がいるのです。
目に見えるものや、自分が確認できるものだけを追及していくと、目に見えないものや確認のできない物は重要視されなくなってきます。思いやり、優しさ、気配り、言葉や挨拶、神とか仏、霊など、目に見えない物は大切に考えられなくなり、理解もできなくなってしまうのです。
人の心の“ふれあい”がうっとうしい?
近年、人と人とのふれあい、あいさつや言葉づかいが重要視されなくなってきているように思えるのです。「挨拶はしなくていいんだ」「めんどくさいなぁ」という考えがおきてきます。
ですから、子ども達からどんどん言葉が少なくなって、簡略された新しい言葉が若者同士の中で作られ、私たちには全然何を意味しているのかさえ分からなくなってしまうのです。
物事すべてが科学で、証明されるわけでもなく、目に見える物しか存在が認められないというわけでもありません。本当は目に見えない物の中にこそ大切な物がいっぱいあるのではないかと思います。
目に見えないものの大切さ
目に見える物、科学で証明される物だけを信じていたら、信じられるものの範囲がとても狭められてしまいます。狭められた範囲の中から最終的に自分が信じられるものとなると、自分自身しか信じられなくなってしまいます。
自分自身しか信じられない人は、自分が自信をなくしてしまうと、もろくなってしまう、すぐに崩れてしまう、挫折をしてしまう、立ち直りができなくなってしまうのです。
苦境に立ったとき、人の思いやり、優しさ、励ましの言葉など、色々な形で我々は元気付けられ、又やり直そうという気持ちになってきます。しかし、今の若い人達には、人の心を受け入れられない状態になってしまっているのではないでしょうか。
自分を中心としてしか考えられない結果が、色々な凶悪犯罪を引き起こすきっかけになっていると思うのです。人の心が変われば世の中も変わるのです。世の中が荒れてくると、見えない物の大切さを教えていくことが、これからの教育に大切なことではないかと思います。
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