郷土愛について
私は、生まれも育ちも、そして今住んでいるところも同じ、東京都八王子市です。私には、想い出の沢山詰まった懐かしい故郷でもあるのです。
生まれ育ったところには、格別の想いがあります。確かに、故郷を快く思う者ばかりとはかぎりません。嫌な想い出、思い出したくないことが多い人も沢山います。しかし、それでも、故郷は大切です。
故郷とは、心安らぐ場所です。回帰する場所です。懐かしい場所です。だから必ずしも生まれ育った場所を指しているとはかぎりません。ただ、自分にとって原点となる場所です。自己を形成した場所でもあるのです。
郷土、それは、自分が生まれ育った場所と今現に住んでいる場所、自分の生活の基盤がある場所であるのです。郷土愛というのは、最も生々しい感情です。複雑な感情です。それは、親子兄弟、夫婦間の存在するような利害と直接結びついた感情です。だからこそ、大切なのです。
ちょっと前の時代では、私たちの生活は、もっとシンプル、単純で素朴でした。生活に必要なものを自分達の手で作り、助け合って暮らしてきました。誰の助けもいらぬと言う社会は、社会としての本質的機能、相互互助の精神を失ってしまう。そうなってしまったら社会など不必要なのです。
人と人との関わり合いの中で、社会は形成され、また必要とされます。人と人との関わりそのものを否定し、喪失したら、社会なんて無意味なものです。何が、自分達に必要なのか…何を、依って立つべきなのか…以前の人々は、もっと単純明快に理解していました。助け合って生きてきたのです。
重要なのは、単純明快さです。今の時代は、複雑怪奇になりすぎて、自分達が依って立つ基盤をも見失いつつあるようです。中央集権化されすぎたために、自分達にとって大切な意思決定が自分達からかけ離れたところで行われるようになってしまったのです。
政治や経済というのは、本来、自分達の身近な生活の延長線上で捉えるべき事柄なのです。子供達の教育も生活に必要な事も、根本は、自分達の郷土をどの様な社会にするのかと言う構想です。だからこそ、環境も大切にすることができるのです。
大切なのは郷土愛です。その上にたって、その土地に生きていく人達、地元で決めていくべき事なのです。つまり、日常生活の一環なのです。それがなければいかに土地が荒廃しても開発を優先するでしょう。
経済は栄えても、土地は荒廃していく…現代社会は、そのころの生活に比べて複雑になっています。私たちの子供の頃と比べても格段に違います。
今は、誰も他人のことを思い遣らなくなりました。そして、思いやるゆとりさえなくしてしまったのです。そして、他人と関わり合うのさえ厭になってしまったのです。親は子の世話をしなくなり、子は親の面倒を見なくなり、それで足りなくなったところを教育制度や介護制度、福祉制度に求めるようになってきています。
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