今ある命に「有り難う」
私が存在すのは、もう、とうに亡くなっている両親・そして先祖から命を引きついて頂いたから…自分がある…「思いを新たにして」…感謝の気持ちで、月/2回墓参りをしています。そして毎日、眠るとき今日も無事に終り「有り難う」の感謝の気持ちで眠ることにしています。
私自身、二人の子供を授かり、先祖代々から受け継いだこの連鎖を切らすことなく継承できたことに誇りを感じています。そして、二人の子供からそれぞれが、二人で、四人の孫がいます。
「有り難いこと」
一人ひとりの人間が存在することは、この世でたった一つの、真に奇跡的な存在なのです。それだけ、今ここに頂いている命は、非常に「ありがたい」ものであり、何か見えざる力によって私たちが、存在している「生かされている」と思わずにはいられないのです。
そもそも、「ありがたい」とは、「有り難い」と書きます。偶然なのです。偶然なことで、奇跡のようなことに対して不思議と感謝の気持ちを感じます。
「有り難い」という言葉があるのであり、人間という存在の奇跡を思うと、人間が生きていることに対して「有り難い」という思いを感じずにはいられないし、人は「生かされている」と思うのです。
こうして奇跡的な細胞の組合せで私のもとに命を授けて下さったことに、ご先祖様や神仏すべてにありがたさを感じ、私の子供・孫も、そして私自身も、「生かされている」のだということを痛感するのです。
人が「生かされている」ことの「有り難さ」を真に受けとめることができれば、天から与えられた使命を持って生かされた以上、万物を調和し、より良い社会を作っていき、次の「有り難さ」を生むための連鎖のつなぎになろうと努力するのではないでしょうか…
私たち人間は、「生きているのではなく、生かされている」
私たちは「生きている」という表現をよく使います。食べたり、体を鍛えたりなど、自分の意思や力で人生を進んでいるため、生きているような気がします。
「命」あることにに対し感謝し生きる。
本当に自分の力で生きているのではなく、心臓は、自分の力で動かしているわけではなく、勝手に動いています。皮膚の新陳代謝も、自分の意思とは関係なく、勝手に行われています。
眠っているときは呼吸しますが、自分で意識をしているわけではありません。命の元をたどると、私たちの体の設計図「DNA」に辿り着きます。
DNAとは、人の体を作るための設計図です。
そんなDNAですら、人間が作ったり設計したりしたわけではありません。私たちの原点をたどると、大いなる神秘的な力に気づきます。生まれたときから当たり前のようにある命と肉体ですが、実際のところ「生かされている」という状態なのです。
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