良心の呵責と心のふるさと
今の日本の社会は様々な考えられない事件が起っています。
「誰でもいいから殺したかった…」
「自分さえよければ他人のことなどどうでもいい…」
何か大切なことを忘れて来ているように感じます。
「良心の呵責」という言葉が死語になりつつあります。
「人は誰でも良心(何が善で何が悪かを判断でき、それと同時に自らに善なる行為を命じ、悪なる行為を退けようとする意識。)を持っているのです。良心に背く(そむく)行動を取ると、罪の意識に責めさいなまれてしまう」という意味です。
私もよく良心の呵責に苦しんでいます。いけないとわかっていても、ついついやってしまうことって、多いのですものです。
良心とは誰でもが持っている「心のふるさと」ではないでしょうか。家庭の中で親子の関係を通して育まれる「愛」の思い出も「心のふるさと」ではないでしょうか…そして地域社会の人にも役目はあると思います。
「心のふるさと」…子どもに大切な「心のふるさと」を伝えるのが親の役目です。
「プロセスをみてあげよう」
今の子の夢は現実的です。結果だけを見て褒めているため、失敗が怖くて大きな夢が持てない… 子どもが頑張っている姿を肯定的な言葉で褒めて欲しいものです。
「いいぞ、いいぞ…そうそうそんな感じ」と声をかけ、頑張りを認めてあげる… 躾けは怒ることではないのです。夢は生きる希望です。親も夢を持つことです。
昨日、湯殿川の河川管理通路のゴミ拾いをしていて…公園で遊んでいる子ども達に出会いました。
「そこのゴミ拾って!」と言ったら~
「ハイ!」と返事し、3人の子供が拾ってくれました。
「おじさんゴミ拾い…毎日ご苦労さん」と声を掛けられました。
「後の人が気持ちよく使ってももらうようにしようね…」
「ハイ」と返事が返ってきたのです。
この行為が子ども達の心のふるさと(大人になって)残って欲しいもです。
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