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2016年5月26日 (木)

良心の呵責と心のふるさと

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今の日本の社会は様々な考えられない事件が起っています。

「誰でもいいから殺したかった…」

「自分さえよければ他人のことなどどうでもいい…」

何か大切なことを忘れて来ているように感じます。

「良心の呵責」という言葉が死語になりつつあります。

「人は誰でも良心(何が善で何が悪かを判断でき、それと同時に自らに善なる行為を命じ、悪なる行為を退けようとする意識。)を持っているのです。良心に背く(そむく)行動を取ると、罪の意識に責めさいなまれてしまう」という意味です。

私もよく良心の呵責に苦しんでいます。いけないとわかっていても、ついついやってしまうことって、多いのですものです。

良心とは誰でもが持っている「心のふるさと」ではないでしょうか。家庭の中で親子の関係を通して育まれる「愛」の思い出も「心のふるさと」ではないでしょうか…そして地域社会の人にも役目はあると思います。

「心のふるさと」…子どもに大切な「心のふるさと」を伝えるのが親の役目です。

「プロセスをみてあげよう」

今の子の夢は現実的です。結果だけを見て褒めているため、失敗が怖くて大きな夢が持てない… 子どもが頑張っている姿を肯定的な言葉で褒めて欲しいものです。

「いいぞ、いいぞ…そうそうそんな感じ」と声をかけ、頑張りを認めてあげる… 躾けは怒ることではないのです。夢は生きる希望です。親も夢を持つことです。

昨日、湯殿川の河川管理通路のゴミ拾いをしていて…
公園で遊んでいる子ども達に出会いました。

「そこのゴミ拾って!」と言ったら~

「ハイ!」と返事し、3人の子供が拾ってくれました。

「おじさんゴミ拾い…毎日ご苦労さん」と声を掛けられました。

「後の人が気持ちよく使ってももらうようにしようね…」

「ハイ」と返事が返ってきたのです。

この行為が子ども達の心のふるさと(大人になって)残って欲しいもです。

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