当たり前に出来ることは幸せ
「当たり前に出来ることの幸せ」
人って当たり前のことが、「幸せ」と、感じることが鈍感です。
何の病気もしない人なら健康であることの幸せは感じない…五体満足なら五体満足であることの幸せは感じない…仕事があれば、仕事があることの幸せは感じない…平和であれば、平和であることのありがたみを感じない…。
当たり前のことが当たり前のようにできてしまうと、当たり前のことを特別な有り難味のあることと感じなくなり、それに対する喜びや幸せより、文句や愚痴ばかりが多くなります。
でも人はある時、当たり前のことが当たり前に出来ないことに遭遇することがあります。
気をつけていても、病気になる…ある日突然、ケガをする…会社の倒産で失職する…熊本地震のように、突然起こる天災に遭う…
その時になって人ははじめて、当たり前のこと有難さを知ることが分かります。つい最近、私は多くの人が当たり前にできていることが出来ない、ということに遭遇しました。
人は年を重ねると、身体機能・思考能力が落ちてきます。今まで当たり前に出来たり、判断が出来たりしていたものが、出来なくなります。
でも、私はそれを不幸だとか悲しいだとかは思いません。当たり前に出来ないことが、それはそれで仕方がないことです。当たり前のことが出来なくなる人はたくさんいるのだから…
今、何の不自由もなく、そんな苦労もなく、出来ていることって、ついつい日々の生活に流されて、素晴らしいことと感じられなくなりがちだけど、本当は毎日、当たり前にできていることこそ、とっても幸せなことなのです。
毎日、元気なら素晴らしいことじゃないか…毎日、3食、食べれるってすごいことじゃないか…
毎日、仕事してお金がもらえるなんていいことじゃないか…
当たり前のことに幸せを感じる力を。もちろん、人は失ってみないと、そのありがたさを感じることが、なかなかできないわけだけど、今ある自分がどれだけ恵まれた環境にあるか、失わなくても感じられる人でありたい。
苦しいことも悲しいこともつらいことも、探し始めたらキリがない…現状に不満があるなら、よくなるように、自分で前向きに努力すればいい…文句や愚痴をいっても不満がなくなることはありません。
当たり前の幸せに目を向けて、今の自分の環境を素晴らしいと考え、日々を精一杯、悔いのないように生きたい。それが人生だから…
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