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2015年6月 8日 (月)

少年犯罪に思う

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Ka_0721

今年の2月20日未明、18歳の少年ら3人が、多摩川河川敷であった大変ショックな事件は、記憶に新しいです。が、またもや愛知県刈谷市で、15・16歳の少年が暴行を加え、同じように川を泳がせた8日朝現在被害者の少年は見つかっていないという。

その光景を想像しただけでも恐ろしい犯罪です。他にも、信じられない少年犯罪事件のニュースは後を絶ちません。どうして、凶悪少年犯罪が多発しているのでしょうか…原因は、生活環境と躾を含む道徳教育に問題があるのではないかと思います。

日本の社会経済システムの在り方そのものや、生活様式と社会科学の分野から一人一人の感性や心の問題があると考えます。また、ある意味で、一人一人の子供たちの生き方にもかかわる課題でもあります。

子供の教育を考えると、それは単に、学校教育における取組のみをもっては、到底そのねらいを達成できるものでなく、幼少年期からの、学校、家庭、地域社会のそれぞれの場における様々な取組によって、初めてその実効が期せられるものであると思います。

命の大切さ・人を思いやる心・自然に対する豊かな感受性・環境に対する関心・多くの人に関わり合って生きていることなどを、しっかり身に付ける…教育を考えるべきと思います。

最近、特に気になることですが、「物を大事にする」感覚が薄れたように思うことです。大量生産・大量消費…「消費は美徳」なんて言葉がありましたが、子供たちの公園などの遊びから、物を大事にしない…を感じるのです。そして、「人に物にそして自然に」思いやりがない…いわゆる自己中心の子供が多いということです。

日本の古いことわざに「一人の悪者が出ると(その家族が前後)七代祟る」と言われています。山本有三の戯曲「米・百俵」によって世に知られた…長岡の誇り、「米百俵」の故事であります。

「米百俵のまちづくり」には 「国が興るのも、滅びるのも、ことごとく人にある。その日暮らしでは、長岡は立ち上がれない。食えないからこそ、学校をたて、人を育てるのだ」…を思い出しました。

人を育てる…地域を…日本を…そして世界の人々に平和に尽力する…は教育からだと確信します。少年犯罪で…教育の大切さを痛感したのです。

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