模索の人生
どう生きればいいのか…自分の生き方は自分で作り出す以外に、自分で納得できる生き方はないのです。
世間体を気にしたり、八方美人になったり、責任転嫁ばかりしていては、決して心の底から人生を楽しむことはできないと思います。
後悔のない生き方は…たった一度きりの人生を如何に生きるのか、ここ数年、年を重ねてきたせいか、時々人間の死について考えたりします。
○どう生きるのが本当の幸福か?○私の使命は何なのだろうか?
そんな事を考えていると生命の意味…この地球上の営み…今世間でで起きている事…などを考えるようになったが、もちろん明確な答えは見つかっていません。たぶん死ぬまで模索していくのかもしれません。
幸せ、豊かさ、幸福感…何ともつかみ所の無いこれら一種の感情を追い求める心というのはどういう状態なのか?
たとえ苦しく、辛く、厳しく、孤立している状況に置かれていても幸福感を感じられる人がいますが、一方で、一見全てに満たされているように見える人が実は悩み苦しんでいたりします。
何でそうなるのか、何がそうさせるのか…
人は誰もが幸せになりたいと思っているでしょう、不幸になりたいと最初から思う人はいないでしょう。でも結果的に不幸になり、そしてそこにしがみつき、抜け出せずにいる人がいます。何故なのか…
それは、色々複雑な面もあるだろうけれど、単純に考えると、置かれたそれぞれの状況で、何を優先的に選び、何を後回しにするのかが人によって違うからなのではないか?と感じます。
名言から…
松下幸之助
迷う、ということは、一種の欲望からきているように思う。ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、という欲望から迷いがでてくる。それを捨て去れば問題はなくなる。
バーナード・ショー
間違いを犯してばかりの人生は、何もしなかった人生よりも、あっぱれであるだけでなく、役に立つ。
などありますが、いま納得していることは人生死ぬまで「修行」であると思っています。どんなことでも受け入れる心が大切と考えます。
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