公園の空き缶で思う
昨日の午後4時ごろ、公園(八王子市片倉町=時田公園)で、母親と子供の二組(たぶん、お母さん同士が友達)でそれぞれが幼稚園児ぐらいのお子さん連れて、ベンチで話していました。昼ごろから雲行きが怪しくなり黒雲からポツポツ雨が降ってきたのです。
と、声をかけるべきか…お母さんたちの行動を見守るべきか…迷いました。結果的には、声をかけず、その空き缶はそのまま…(空き缶は、前からあったのかも知れません)
フェンスの遠くで眺めていましたのですが、お母さんたちは、ベンチの下に空き缶が5・6個あったのですが、そのまま急いで子供の手を引いて、その場を後にしたのです。私は公園に入り拾って処分しました。
公園はみんなで使うもの…後で使う人のことを考えて…地域の人々に気持ちよく使うことが求められていると思います。お子さんにも公衆道徳を身をもって教える…大変大事なことです。
「子は親の背中をみて育つ」と言われます。公衆道徳は、紙に書くより、「実践で示す」ことが教育効果があると思います。
最近言われていますが、自分さえ良ければの…「自己中心主義」が問題となっています。「人を思いやる」「人や自然に優しさ」はとても大事なことです。
最近、青少年の引き起こす、むごたらしいさまざまな凶悪犯罪が多発しています。その人の、幼き頃の育ち方と、親の子育ての延長線上に、それらの凶暴な犯罪が生じたのではないかと思えてなりません。
子供を育てるにも親はまず言葉より、行いを実践で示したいものです。子供が、片付ける・責任感を持たせる…これが道徳教育の基本です。
親の行動をみて「善悪」の判断できてきます。子供が自主的に善い行動をとるようになるのです。そして我が子をしかり、我が子をほめる…いつもあたたかい親子の心のつながりが生まれてくるはずです。
でも親のエゴでの子育て、幼児虐待や躾のあまさ、偏重教育等々、子供の心が癒されないと、情緒不安定でゆがんだ人格が形成されていくそうです。心豊かな人は、自然な動作をします、自分自身の心の安らぎをとりもどせます。
人は、多くの人と関わり合って生きていけるのです。共に生きていることの幸せを感じて喜ぶことができる人は、ほんとうに幸せな人でしょう。
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