長寿社会の課題
今まで何をするのも、何の問題もなくできていたものが…出来ないで体力・気力の衰えを感じることが多くなりました。持続力がなくなり、ただ疲れが残り、回復力が低下します。
歩いていて、気をつけないといけないのは、何でもない平らな道で、つまづきそうになることです、足が上がっていないのです。転んだり、歯が抜けたり、耳が遠くなり、視力が衰え、髪が抜けたたり…さまざまなことが悩みとなります。
そして、老いにともない、物忘れがひどくなり、思考回路も衰え判断能力が弱くなる。これまでにできたことが、できなくなり、何をするにもついおっくうになってしまいます。病にかかりやすくなり、快復力も衰え精神的に気弱になる。そして、やがて自分で何ごともできなくなり、他の人の力を借りなければ、生活できなくなります。
長寿社会の日本は、先輩たちが経験したことのない、時代をどのように生きるか、今、このことが課題になってきました。
「老人力」の発揮をどのように生かすか…
人生経験が豊かになり、いろいろな判断能力が身について、なにごとにも偏らずに多角的に理解しようとします。相手の気持ちも受け入れようとする寛容な気持ちの余裕もできて、自己本位の思いをおさえて、相手の立場に立って理解できるようになります。
さらには人をおしのけて進むことよりも協調性を重んじたり、対決軸を持とうとしなくなります。このような「老人力」をどのように社会的子孫繁栄のために発揮するのか、これが長寿の課題でしょう。
老人は、財政を食いつぶす「社会のお荷物」なのか…経験を重ねてきた老人の、高い潜在力を引き出すことが大事なテーマであると思います。高齢化問題の解決は、「近所の老人をいかに生かすか」にかかっているとも言えるのではないでしょうか…
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